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「……理解も覚悟もあったが、やはり現実は何処までも苦いものだ」
最早実用品というより、調度の類と評すべき重厚な椅子に体重を預けながら、デギンは今日まで続く国難に思いを馳せる。
避けられなかった戦争の中長期化、有限たる国庫……。
何より頭が痛いのが他サイドの懐事情と、今後の経済的問題も考慮した上で動かねばならないということだ。
兼ねてより地球連邦との戦争準備を整え、重工業に重きを置いたジオンと、同じくフレミング・インダストリー社を筆頭とした工業事業によって経済的余裕を持った
連邦政府という外圧さえなければ、どちらもすぐに独立できるだけの地力を有していたのだから当然だろう。
しかし、他サイドに関しては連邦への食糧輸出を中心とした第一次産業を主軸としており、経済的自立を達成するには余りに時期尚早という他なかったし、治安やモラルの面でも優等生とは口が裂けても言えない有様だ。
戦争準備が出来ていない国家など、味方に引き入れたところで荷物にしかならないというのは第二次世界大戦でのイタリアを見れば分かることで、戦争とは平時の積み重ねこそがものを言う。
どれだけ急こうが何をしようが、国家としての基盤すらままならない文字通りの意味での
“他サイドにも
というより、既にしていた。予期出来ていた事態であったが為に既に官僚を派遣し、連邦の官吏が抜けた穴を埋めつつ後進の指導に当たっている最中であるが、喫緊の課題は何と言っても経済だ。
たとえ戦時下にあったとしても、地球連邦はこれまで通り各サイドの余剰生産物である農作物を買い付ける。サイド側も、そしてジオンもそれを呑まざるを得ないだろうし、こうした事態を予見して
連邦への食糧供給など止めてしまいたいのが本音だが、止めればサイドの経済が死ぬのは分かり切っているのだから、強く言える筈もない。
食料は戦時体制故にジオンも買い付けはするが、各サイドの経済を賄うまでには到底及ばない以上、戦時下であっても連邦との流通は続き、折角蓋をした宇宙への出入り口も『経済活動』という枠内に限っては、穴が生じてしまうことにデギンは歯噛みした。
正義の二文字が強いる負担は、かくも国家戦略を束縛するという現実に対して。
「正しさという過ち。この対価の、なんと重いことよ」
そしてこれは、そんな現実はデギン自身の『理想』が忠実に為されてしまったために起きた悲劇だということも同時に理解していた。
「全ては儂が望んだ通りの道だ──ダイクンの理想を汚さず、貫きながら進むこと。
口にこそしていなかったが、儂は息子らにもイワンにも、それを望んでいたことを言外に示していた……何もかも、儂の不手際が招いた種よ」
地球連邦との戦いは、不可避の物だろうとは覚悟していた。だが、だからこそ不可避の現実の中で、『歴史』の中で恥ずべき振る舞いはすべきでないという『
憎しみに囚われた戦いなど、してはならないと
我らの夢は、願いは真の独立だと自分自身に
そこにあるべきは卑劣な搾取者に対する復讐という、負の感情であってはならない。
奴隷労働にも等しかったサイド人民の環境、自由を求めながらも暴力によって闇に葬られた多くの活動家……彼らの死と犠牲を悼むことは有っても、彼らを理由に憎悪を燃やしてはならない。
それこそが、人の革新というダイクンの教えに導かれた、
何故ならば、それら全てが
理想を抱き、正義を信じ、善き道の為にと願った結果が今なのだ。
どれだけ自分達が高邁であろうとも、相手がそれに合わせてくれる筈などない。人は怠惰に流され、愚かに間違え、そして悪に心奪われる生き物だ。
ましてや、政治という蟲毒の世界にあって、そうした正義など屑石程の価値もないばかりか、敵を利するものでしかないという『現実』を見ようとしなかった。
それでも理想を貫き続ければ、現実という齟齬が清算にやってくることは分かり切っていた筈なのに。
「ギレンは常に現実を見ておった。幾度も儂に、それとなく
だが、デギンは敢えてそれに気付かぬ振りをした。だからこそ、
「その結果が
本当ならば、デギン自身が国難に立ち向かうべく『決断』すべきだった。
才気溢れる次世代に託すのでなく、老いた者が責を負い、後進の為の捨て石になるべきだった。
たとえそれによって後の世に、『歴史』にどう記されたとしても、確かな『未来』を掴む為の礎にして人柱になることこそ、デギンの役目だったというのに。
老い、失うことを恐れるあまり、若かりし頃のような取捨選択を出来なくなってしまった。歴史に見放され、世界から悪と罵られようとも進めるだけの胆力を失っていることを自覚した時、デギンは羊飼いの杖を安易に手放し、ギレンにそれを託してしまった。
「ギレンばかりではない……お前の婚約者、イワンにも酷な役目を押し付け続けた」
当人が率先して行ってきたことだとしても、その役の幾つかを肩代わりすることぐらいは、出来たことだろうに。
「──それでも、兄上もイワン様も、その道を後悔してないわ」
次を託された者として、未来を担う為政者として、彼らは迷いながらもその道を選んだことを自らの過失として悩んだことは有っても、デギンのせいにはしていないし、これからもすることはないだろう。
過ちも愚かさも、今という現実も受け入れて前に進んでくれている。
たとえキシリア自身に責任がなかったとしても、その『正しさ』の原因を作ってしまったと自覚しているキシリアだからこそ、デギンにそれだけは伝えたかった。
「……嗚呼、そうだな」
椅子の横、肘掛けに置いたデギンの手に頬を添えながら、キシリアは己の父を慰める。現実は辛いけれど、この道は過酷だけれど、それは今の皆が納得して歩んでいる道だからと。
そう勇気づけてくれる愛娘の頬を、デギンは軽く撫でた。
「お前は決して聡い子ではなかった。秀でている訳でも、余人を驚かせる特技があった訳でもなかった──だが、お前は誰より人を癒せる子だった」
だからそうむくれるでない、と
「そして、今のお前は大人になった──いいや、ずっと前からお前は大人だった」
秀でていなくても、困らせることは有っても、決してキシリアは酷い我が儘を口にすることもなければ、誰かを傷つけてしまうこともなかった。子供のように振舞っていても、決して『子供そのもの』ではなかった。
「家族の為、親しい者の為、周りの為に考えてあげられる娘だった──だから、悩んでいるのであろう?」
「ホントさ──……そこまで人間読めちゃうなら、どうして引退同然に後ろに下がっちゃうかなぁ、父上は」
そこは親しい家族と、敵を相手にする政治との差だからこそで、それぐらいは理解しているキシリアでも愚痴を零さずにはいられない。
「うん、ホントはそう……慰めるついでに、悩みとか色々と相談とかしたかったのよね」
自分の生きる世界は戦争が絶えないどころじゃない。国と国以上の規模の、凄惨な争いの連鎖が続く場所だという現実……デギンと同じように、見えていながら観ていない振りをしていた世界の中で、キシリアもまた立ち止まり、周囲を見なくてはならなくなった。
「私ってさ、そんなに可愛い訳でも、器量よしって訳でもないじゃない?」
そりゃあ、大本の老け顔と比べれば将来も期待できるだろうけれど、と。割かし失礼な感想を抱きつつ、今の顔は悪くないという自信も持てる。
ただ、それでも絶世のという程どころか、ジオンにはそれこそ見目麗しい美女や美少女など幾らでもいるし、旦那様にとって都合の良い、所謂良妻賢母な女性もまた同様だ。
幾らキシリアがザビ家の息女とはいえ、イワンがそれに靡くような婚約者でないことは、誰よりキシリアがよく分かっていて……。
「……優しさとかさ、父上が褒めてくれるほど、別に特別って訳じゃないと思うのよ」
だから、ふとしたときに、少しだけ不安になる。自分が相手を好きだと思うのと同じほどに、相手は自分を好きで居続けてくれるのかと。
こんな自分を好きでいてくれる皆の為に、自分は何もできないままで良いのかと。
「くくっ……なんともまた」
可愛らしい悩みだとデギンは笑う。特に、イワンのことなど尚更だ。特別であることばかりを異性に求める男が、家庭など持てる筈もあるまいに。
「お前が眠りにつく前、何時もお前はイワンを待っていたではないか」
髭が好みだの、渋い方が素敵だなどと口にしていたが、そうした見てくれや男の出自など、本当は二の次だった筈だ。
「お前はずっと、イワンと向き合っていたではないか」
婚約者として相手を考え、婚約者として寄り添った。余人が聴けば大したことではない、妻となる女の義務だろうと思うことであったとしても。
「男にはな──そうした想いが何より
女が自分の帰りを待つこと。女が自分を好きだと実感させてくれること。
それは、愛する者を得た人間にしか分からない充足感を確かに伝えてくれるものなのだ。
「特に、女が自分に惚れてくれていると分かったならな? 誠実な男ほどその女を裏切れなくなるのだよ」
そこから先は簡単だ。互いが互いの誠意に応え続けるなら、政略的な婚約が本当の両想いに切り替わる。いいや、そんなことを考えるよりずっと前から二人は両想いになっていた。
「だから、悩むなら色恋以外にしておけ──ここから先、お前はお前の選択次第で誰より辛い現実を見ねばならなくなる」
何故なら、キシリアは何処まで行こうと普通の女だ。傑物を生むザビ家の人間でありながら、ただ一人凡人として生まれ、凡人として生きてきた。
「お前は軍人となることも、国政を担うことも適わん。ただ一人の無力な小娘でしかないというのに、ザビ家という王族の一員となってしまった」
将来ヨーク家に嫁ぐのだとしても、その事実は変わらない。何処まで行こうと日陰に潜ろうと、キシリアという一個人には、公王家の人間なのだという付加価値が付いて回ってしまう。
「分かるか? お前は何処にも逃げられぬ。たとえこの戦争がどうなろうと……いや、止そう。たとえジオンが負け、滅んだとしてもお前を見つけ、晒し、神輿として担ぐか、或いは殺めようとする者は後を絶つまい。
だが……繰り返すが、それでもお前は逃げられぬし、逃がしてやれぬ」
それが、王たる家に課せられた義務だからだ。どれほど惨く、凄惨な現実が待ち受けようと、家である国を守る為、民の不安を拭う為、ジオンという国に留まらねばならない。
「ここに我らが居てこそ、民と将兵は帰る家を見失わず済む──お前の愛する者も、ここに戻るという思いを抱ける」
たとえどれだけ親しい者が、家族が、愛する者が死ぬとしても、連邦と矛を交える全ての者の為に、ザビ家の姫として常に泰然と振舞わなくてはならない。
「己の無力さを理解しても、来て欲しくない未来に叩きのめされるとしても──それでもお前は、何かを成したくて儂の元に来たのだろう?」
「……ええ、その通り。でもさ、それなら決意表明くらい、させてくれても良いんじゃない?」
「ははっ、許せ。娘の成長が嬉しくてな……だが、本当に良いのか?」
ザビ家の、公王家の人間として役に立ちたいと言うのなら、それは表舞台に立つということだ。愛する一人の為の女でなく、皆の偶像として望まぬ苦労を負うことになるだろう。
「現実を直視するだけではない。受け止め、呑み込みながらも涙を国民に見せてはならぬ。悲嘆に暮れる姫など、国民は一人として望みはすまい……繰り言になるが、たとえイワンやガルマを失おうと、お前は復讐を叫ぶことも、泣き濡れ、閉じ籠ることも出来なくなるぞ?」
何故ならそれだけが、キシリア・ザビという平凡な女の唯一無二の使い道だ。
然したる取り得も、抜きん出たところもない女など、広告塔以外にどんな使い道も思い浮かびはしないのだから当然で、だからこそ再三デギンは引き返すなら今だと言う。しかしだ。
「私の思いも、決意も変わらないわ──だって、私は皆の為にできることをしたいんだから」
たとえそれが、どれだけ小さな事であっても構わない。キシリア・ザビとして再び目覚め、この世界で生きるのだと決意した女は、真っ直ぐに自分の父を、ジオンの王の瞳を見つめて告げた。
「──私を、皆の為になるお姫様にして頂戴」
小さな、一個人程度の善意と勇気を思いに詰めて。
◇
その日から、キシリア・ザビという少女は変わった。だが、彼女は本来の物語のような策謀に長けた女傑という訳でも、余人が胸躍らせるドラマの悪役令嬢にも成り得ない。
取り得も力もない少女は、レンズの向こう側で誰もが思い思いに自由に理想像を創造するような偶像としてジオン国民の、引いては
奇跡のような快復を遂げたことを慶事として国民に広めてから間もなく、キシリアは看護服で、アルテイシアと共に被写体となった。
西暦の時代、英国女王が看護服に袖を通し、銃後の勤めを訴えたのと同様の手法であったが、見目で言えば十代前半の少女がただ服に袖を通すのでなく、快復から間を置かずして専門学校で学ぶというのだからその反響は絶大だ。
王とは、君主とは国家第一の僕であり、年端の行かぬ少女であろうと王族の一員である以上、貴顕の責務は例外なく存在する。
少なくともジオン公国にあって、それは国民の共通認識となり、年若い少女たちも戦時下にあって制服に袖を通すことを嫌がる者は殆ど見ることはなくなった。
これまでも教育という国家の土台に欠かせない分野へのアピールとして、眠りに就く前のキシリアは何度か名門校の制服に袖を通し、実際に通ってもいたが、曲がりなりにも中身は大人であったから、それは彼女自身にとって決して力を入れる程の事ではなかった。
だが、今のキシリアは違う。そうした箔付けなどではなく、本当の努力を惜しまず勉学に励み、国民に強く訴えられるだけの説得力を身に着けつつ、公務として国民に語ることを忘れなかった。
「『この国難の時代に生きている全ての人にお願い致します。皆様の父が、兄が、友が、多くが戦いに臨みました……中には、帰らぬ方も居られることでしょう。
だからこそ、国民の皆様がお力添え下さいますよう、キシリアはお願い申し上げます。
一人でも多くの、隣り合う誰かの愛する人が再び〈祖国〉に帰ることが出来るように。
この人工の大地で手を取り、抱きしめ合うことが出来るように』」
手弱女であったとしても、その手が包帯を巻き、傷口から零れる血を一滴でも減らすことが出来たならば、それが一人でなく大勢ならば、きっと多くの命が救われ、故郷に帰ることが出来る筈なのだからと呼びかける。
そして、志願兵の枠から零れてしまった者、或いは何らかの秀でた特技故に免除された者たちも、祖国に異なる形で奉仕することはできる筈だと諭していく。
我らの元にこそ栄光は輝き、光輝の玉座に坐す日は来ると。そう語れば士気も上がろうが現実は煌びやかな死に装束というお仕着せを纏わせて送り出すだけで、だからこそ、そうした勇ましい呼びかけでなく、一人でも多くの命を拾い上げられるような、そんな演説を心がけたのは、その幼い見目を最も活用できるからという政治的な意図もある。
だが、そうした意図や役目以上に国民の胸に響くのは、キシリアの語る全てが真摯であり、同時に偽らざる願いだったからだろう。
自分が愛した人が、必ず戻ってきて欲しいと願うように。
貴方たちの愛する人が、必ず帰ってきて欲しいと願うから。
だからキシリアは、強く強く、自分が弱い存在であると自覚しながらも、一つでも小さな悲劇が生まれないよう希い、訴え、同時に学び、務めを果たす。
連邦からすれば、それは唯のプロパガンダに過ぎない。
連邦からすれば、それは敵兵の血が多く流れることで掴める大団円に過ぎない。
世界の平和でなく、自国の平和を願う図々しい祈りだと否定されてしまえば本当にその通りで、反駁など決して出来はしないけれど。
“それでも私は──選んだから”
この世界で生きることを。愛する人たちが、失われない未来を。
それを掴むために、平凡な女は女傑でも、悪役令嬢でもなく、姫として振る舞い、相応しくあるべく学び続ける。
──その先に、信じた
なお、その