宇宙(そら)に掲ぐ旗の名は   作:c.m.

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 ……ワイだって、クリスマスの日ぐらい、テロとか戦争とかじゃなくて、男女のラブいシーンを描きたい気持ちもあるんや(なお決まってポケットの中の戦争を視聴してる模様)

※2022/12/29誤字修正。
 麦茶太郎さま、あーるすさま、ご報告ありがとうございます!


37 メッセンジャー

「シン。今日という日まで、俺は武人として恥ずべき振る舞いはすまいと誓ってきた」

 

 それはレビルとの戦いを、ルウムでの『敗北』を経て、一層強固なものになっていたと回顧しつつ、御前会議を終えたドズルは語る。

 

「だが、それだけではレビルを超えることは出来んという自覚もあった」

 

 連邦を下せば、レビル以上の将星と余人や後世の歴史から見做されれば、その敗北は雪がれるのか? そう自問する度に、ドズル自身の心は『否』という解を示し続けてきた。

 亡霊を追う人間のように。霧や陽炎に手を伸ばす童のように。求めるモノは漠然として定まらず、確かな『核』というものを、ドズルはこれまで捉えることが出来ずにいた。だが……

 

「……今年、俺には一人娘ができた。ミネバという可愛い子でな。キシリアやガルマを腕に抱いた時以上に、あんなにも温かくて柔らかいものがあることに、一際感動したもんだ」

 

 我が子を腕に抱き、人の親になるのだと自覚した時、軍人としての純粋な栄誉や賞賛とはまた違った未来が、世界がドズルの目に映るようになっていた。

 

「俺が家族を持つのと同じように、将兵も、ジオンに生きる皆も同じように家族を持っている……これまで俺が抱いてきた誇りや理念などより、それはずっと崇高な、人が『次代』という希望を託す、護るべき未来そのものだ」

 

 軍人として、武人としての気概よりも、レビルに敗れたことへの衝撃よりも、その実感はドズルという男の価値観を明確に固定した。

 

「今日の御前会議の前から、官吏が命を落としたことは知っていた……官吏には娘がいることも、妻をサイド5(ルウム)に遺していることも調べて知った」

 

 固く、血が滲むほど力を籠めて作った握り拳に視線を落とす。

 これから先も、多くの犠牲が重なるだろう。家族に再会出来ぬまま地球で散る将兵も居れば、テロによって命を落とす者も後を絶つことはないだろう。

 

「シン、俺は悔しい……そして、同時に恐ろしくなった」

 

 己がミネバを、妻であるゼナを失う以上に、遺された二人が涙を流すことに。

 これから先も、どれほどの妻子が涙するのかさえ見当もつかない争いが続くことに。

 連邦の手によって、奪われ続ける未来が訪れてしまうのではないかということに。

 

「今までの俺は、ただ貪欲に勝利を欲するだけだった。戦場を駆けるだけの功名餓鬼であったのだ……しかし、今は違うぞ! 俺はジオンが勝つ未来を造るっ! イワンや兄貴達だけに任せたりせん!」

 

 栄光の勝利を求めるのでも、敗退した自身の雪辱を晴らすことでもない。

 今を生きる自分が、未来への責任を背負い全うすること。

 幼子が大人になった時、平和に笑う世界を目指すことこそが真に軍人として、否、当代を生きる『大人』の責務なのだから。

 

「閣下……」

 

 黙し、傾聴に努めていたマツナガは胸打たれた。実直に、ただひたすらに武人で在り続けた、仕えるべき相手……幼少の頃から年の離れた兄のように慕っていた男が見せた雄々しい成長と渇望に対し、感激で息が詰まる思いだった。

 

「シン、これは俺の個人的な我が儘だ……犠牲となった官吏の一人娘に、お前から凶報を伝えて欲しい」

 

 サイド5(ルウム)で待つ官吏の奥方には、既に専門の〈告知班(メッセンジャー)〉が凶報を伝えていたが、娘の所にまでは行っていない。

 戦場で散った兵士の遺族でさえ『不要な情報を伝えるべきはでない』という理念の下、告知班(メッセンジャー)が第一報を届けるのは最も身近な親族一人なのだから。

 

「これが、唯の自己満足だという自覚はある」

 

 どれだけ万全を尽くしたところで、これから先も多くの命が連邦の手で奪われる。それを最初の一人だからという理由で、面識など全くない相手の娘を特別扱いするのは、どう考えたところで公平とは言い難い。

 

「それでも俺は、何かしてやりたいのだ……しなくては我慢できんのだ」

 

 部下として、個人として、間違いだと正してくれていい。断る理由など幾らでもある。筋が違うと、そんなことは重々承知しているとも。それでも僅かにでも同じ思いが、気持ちが有るのならとドズルは顔を上げてマツナガに頼む。

 

「俺と共に、決意を固めてくれ! 俺と共に、ジオンの未来を造る為に協力してくれまいか!?」

 

 ここまで熱く語られ、吹き上がる激情に魅せられながら、どうして拒絶できようか。

 踵を合わせ、部下として敬礼を捧ぐことで、マツナガは了承の意を示した。

 

 

     ◇

 

 

 純白の生地で誂え、カスタマイズされた第三種戦闘服に各種徽章と勲章を佩した正装……第一報を届ける告知班(メッセンジャー)と同様、最大限の敬意と義務を表すべく身なりを整えて臨むマツナガは、実戦のそれ以上の緊張を覚え、感じていた。

 告知班(メッセンジャー)なる役職が専門職として存在するのは、感情を表に出さぬ訓練と情報漏洩を避けるための義務を徹底されているからであり、マツナガのそれは他の職分に踏み込んだ不適切なものでしかない。

 仮に本職の告知班(メッセンジャー)が今のマツナガを見れば、如何に栄えある十字勲章組の列に加わった公国の英雄であっても、余人に感情が伝わるような振る舞いをするようでは不適切であると判じて、役目から外したことだろう。

 

「事前連絡した、シン・マツナガです。オーレリア・ランシア嬢はどちらに?」

「ようこそおいで下さいました。院長室でお待ちです」

 

 王立音楽学校の院長直々に出迎えられたマツナガは、見事な挙措で先導する院長の後に続いた。王立校に相応しい気品に満たされた校内を歩くこと数分。

 院長室の重厚な木製の扉を潜れば、革張りのソファーでマツナガを待っていた少女が立ち上がり、身を固くしながらも礼則に則った見事な所作で一礼した。

 

「失礼……席を外していただいても?」

「畏まりました。御用の際は、そちらのベルを鳴らして下さい」

 

 深く腰を折り、退席する院長と共に扉が閉まる。気まずく固い空気が密室に立ち込めたが、意を決したマツナガがゆっくりと、細心の注意を払いながら口を開く。

 

「オーレリア・ランシア嬢ですね。本日は、ご尊父の件で伺わせていただきました」

「はい……既に母からも連絡を受けました。まだニュースにはなっていませんけど、いずれ知ることになるだろうから、と……」

 

 そこまで口にして、陰りのさしたオーレリアの顔に一筋の雫が伝った。いや、言の葉の途中から、既に息が閊えていた。

 口を閉ざしていたなら装えた平静さも、言葉にして死を実感してしまえば、感情を抑えることはもう出来ない。

 ひっく、ひっくと……一つの思い出が蘇る度、堰を切ったようにその嗚咽も大きくなる。家族と過ごした時間、頭を撫でてくれた手の温かさ。叱られた時の表情さえ、今では全てが愛おしく、同時に戻らないことへの悲しみが激痛となって、胸を深く刺し貫く。

 

「ごめ、なさい……私……」

「良いんだ」

 

 そして、この時のマツナガは告知班(メッセンジャー)として、決してしてはならないことをした。

 抱きしめ、慰めること。痛みを分かち合う肉体的接触は告知班(メッセンジャー)にとって最大の禁忌であり、悲惨な現実と向き合いつつも泰然と振舞うことを求められる。

 だというのにマツナガは己の無力さに打ちひしがれ、抱きしめ合う温かさに心を揺らした。

 

“自分は、何処までも無力だ……”

 

 何か言葉をかけたい。かけなくてはならないというのに、言葉が思うように出てこない。

 

『必ずこの戦争に勝利して見せる』『宇宙移民の独立と尊厳を勝ち取ろう』

 ……そうした勇壮な言葉など、オーレリアは求めていない。平和な世界を生きる民間人の、ましてや音楽を愛する留学生の子女に、そんな愛国的価値観を見出すことはできなかった。

 

 かといって、復讐を誓うことも出来はしない。

『御父君の仇は必ず取る』『その無念を晴らしてみせる』

 そうした憤激の言葉は無責任なもので、同時にオーレリア自身も、そんなものは求めていないと分かってしまったから。

 

“──この子は今、ただ悲しいから泣いている”

 

 かけがえのない肉親を殺めた相手を憎んでのことでなく、我が身の今後の事でもなく、ただ父の喪失が悲しいからこそ、その惜別に涙しているのだと、抱きしめ合うことで分かってしまった。

 決してしてはならない、感情の移入……とめどなく溢れるオーレリアという少女の悲しみと喪失は、赤の他人が抱えるには余りに重く、だからこそ告知班(メッセンジャー)は専門職として存在する。

 必要以上に抱え込まぬように。痛みや苦しみを覚えた相手の人生に、深く踏み込むことがないように。それを職責と割り切ることを求められたために生まれた役割こそ、告知班(メッセンジャー)が担う尊い使命なのだ。

 だが、それを理解できていなければ知りもしない一介の軍人であったマツナガにとって、オーレリアという幼い少女の慟哭は何処までも深く、だからこそ何もできない不甲斐なさに、自分の胸を掻き毟りたくてたまらない。

 自分自身の家族が失われたかのような喪失感……抱擁によって分かち合った痛みを、少しでも肩代わりしてやりたいと思う義務感。

 本職の告知班(メッセンジャー)ならば、すぐにでも二人を引き剝がそうとしただろうが、それを止める者は何処にもない。

 ……オーレリアが泣き止むまで、抱擁を止めることはできなかったのだ。

 

 

     ◇

 

 

「小官に……できることは、あるだろうか?」

 

 辛うじて口から零れた言葉。けれど、オーレリアはそれに小さく首を振って返す。

 

「いえ……もう、お会いすることはないでしょうから」

 

 母親から父の訃報が届いてすぐ、オーレリアはサイド5(ルウム)に戻らねばならないと決めていた。たとえ音楽学校の成績が優秀であっても、母子家庭で今後の学費が捻出できると思う程楽観的にはなれないし、それを見ず知らずの相手であるマツナガに伝えようとも思わなかった。だが、そのまま二人が別れるより先に、院長室の扉が叩かれる。

 

「どうぞ」

 

 マツナガの許しを得て扉が開かれれば、そこに立つのは院長と……信じ難いが、親衛隊の制服を纏う男の姿が見えた。

 

「ランシア様と……マツナガ大尉殿ですな?」

 

 胸を飾る金刺繍と尉官の肩章から特務中尉と分かる男には、マツナガが居たことは予想外だったらしく、微かに数度目を瞬かせてから「ご同行を」と短く、しかし有無を言わせぬ口調で告げた。

 

「……親衛隊が、学生に何用か?」

 

 二階級上の権限を持つ以上、特務中尉はマツナガより上であったが、それでもドズルからの使いでないことは先の当惑した表情からも明白であったため、微かに声を殺して問う。

 

「ここでは話せませんが、無体はせぬと誓いましょう。その上で、どうされるかはご随意に」

 

 階級が上であっても、それは己の職責故のものと弁える特務中尉が十字勲章組への敬意として慇懃に対応すれば「良いだろう」とマツナガも応じる。

 そうして音楽学校を出れば、マツナガの手配した運転兵付きの電気自動車(エレカ)でなく、公国国旗と公王家の旗を立たせた黒塗りの高級車が出迎えたが、これは今日日珍しい。

 暗殺対策を徹底している為、公王家の旗が車に付くのは式典の時か、或いは公王家の指示で重鎮を招く時ぐらいのものだ。

 

“到着した先は……首都随一のホテルか”

 

 ドズルで無いのは当然として、であれば誰かという話だが、その疑念は間を置かずして氷解した。艶やかな橙色の髪に、大きく愛らしい黒瞳。原因不明の昏睡から復活して以来、公王家の息女として多忙な日々を送っていた王女──キシリア・ザビがそこに居た。

 

 

     ◇

 

 

「どうぞ、おかけ下さい」

 

 そう勧めたのは、キシリア当人でなく側仕えの一人である。

 ドズルやガルマのような職業軍人でもなければ、サスロのように軍の名誉階級を賜っている訳でもないが、そうした役職を持たない純粋な公王家という身分故に、過度な直答はすべきでないというのは当然の礼節である。

 たとえそれが、共和国時代からの重鎮足り得たマツナガ家の令息が相手であっても……いや、逆に令息であるからこそ、そうした迂遠さを演出しなくてはならない。

 公国が公王家という権威を箔付けし、成り上がりでなくここから伝統を築く新興国であると内外に示すために必要な措置であると思えば、そうした様式美は何より重視すべきものだった。

 

 ただ、そういった事情を冷静に分析できるのはマツナガだけであって、傍らで身を縮ませるオーレリアは気が気であるまい。

 含んだ湯気立つ紅茶の味も香りも感じられず、緊張で乾いた喉を湿らせる役にしか立たないだろうと傍目に見るだけで察せられたが、それを愛いものと感じるばかりでは付いてきた意味がない。

 

「お招きに与り、恐悦至極に存じます、殿下」

 

 そうマツナガが着席したまま告げれば、キシリアは淡く微笑んで頷いた。声は発していないものの、予定外の来訪者たるマツナガには驚きこそあっても悪感情は欠片もないのだろう。

 むしろ歓迎しているという雰囲気にマツナガは内心安堵の吐息を漏らし、そこから不敬かもしれないが、しばし観察するようにキシリアを眺めた。

 キシリアが昏睡状態に陥る前のザビ家の邸宅で、マツナガは父親や兄と一緒に何度か顔を合わせたし、小学校(プレパラトリー)や社交界でも、言葉を交えたことは度々あった。

 しかし、その時々に見せた闊達さはなりを潜め、飾り気こそ少ないが、それ故に職人の技が際立つ瀟洒なドレスの似合う貞淑な姫君そのものの姿を見せている。

 ただ、それ以上に昏睡から快復して以来、写真で幾度か拝見した時には欠かさず身に付けていた、深紅の耳飾りが今はないことが気になった。

 

“ヨーク長官からの贈り物なら、肌身離さず着用するだろうが……どうやら違ったらしい”

 

 小振りながら気品に満ちた逸品で、ご真影を拝見した際は然程の違和感はなかったものの、やはり外していた方が良いと思えただけに少々困惑したものだが……ふと、過去を思い出すにあたって幼少の記憶が蘇ってきた。

 

“確か同い年の……サンギーヌ家の編入生が……”

 

 そこまで記憶の隅から出かかったものの、マツナガは過去に思いを馳せることを止めた。

 静謐な空間、時間が止まった絵画のような世界にあって、あちこちに目が泳いでいたオーレリアが幾分か空気に慣れてきたところで、キシリアは微笑み話しかけてきたからだ。

 

「ごめんなさいね、急に足を運ばせてしまって」

「め、滅相もございません!」

 

 緊張で身を震わせたが、無理からぬことだろう。公王家の人間とここまで間近に接するなど、有爵者でさえ早々ない機会である。王立校出身と言えど、一介の留学生では決してあり得ない体験だ。

 加え、直々にお声までかけて下さったという栄誉に浴せば、それだけで他に自慢できる話の種であるが、側仕えも含めた周囲が微動だにしないところからしても、オーレリアという少女が半ば無礼講に等しい待遇で招かれていることが窺える。

 反面、予期せずやってきたマツナガに関しては形式(マニュアル)を順守しているところは、前もって話を通しておかねばならない不便さ故だが、本来であればつまみ出されても文句の言えない立場であるから、そこはマツナガも弁えていた。

 

「オーレリアさん、貴女をこの場にお招きした理由は既に察しておいででしょうが、一人の国民として、ご尊父のお悔やみを申し上げます。我が婚約者、ヨーク長官もまた同様の気持ちです」

 

 これにはマツナガも目を瞬かせた。ドズルのように実直な性分であればオーレリアを慰撫したいがために使いを寄越すことも考えられたが、まさか『怪物』とまで称されたあの将軍閣下が、婚約者であるキシリアを動かしてまでドズルと同じ真似をするなどとは、夢にも思わなかったのだ。

 

“いや、それこそ偏見というものか”

 

 キシリアが眠りに就く以前のイワンという男を、マツナガが深く知ることはなかった。

 ヨーク家は確かに資産家でありジオン党の重鎮でもあったが、今年二四となるマツナガはキシリアと同い年で、ヨーク家と関わる機会があるとすれば自身の父親ぐらいのもの。

 その父にしたところでマクシムとならばいざ知らず、軍人であったイワンと多くを語る機会に恵まれる訳もないのだから、結果としてマツナガの知るイワンとは、一週間戦争の祝賀会で垣間見た、あの怜悧な印象が強かったのだが……。

 

“思い返せば、御前会議では瞳の輝きが違っていたな”

 

 正義を貫く自分達の姿勢故に、これから先も続くだろう苦難に苦悩しながらも、総帥閣下と共に不断の決意で勤めを果たさんとしていた姿勢と誠心……。

 そこを見ずして、否、見ていた筈だというのに主君(ドズル)の成長ばかりに目を奪われ、一時の姿や側聞で人間を決めつけてしまった己の青さを恥じつつ、目の前にいるキシリアが婚約者に対して信頼と思慕の感情を乗せた言の葉を思えば、イワンという男の評価を改めるには十分だった。

 

「……私などに、勿体ないお言葉です」

 

 たどたどしくも心からの敬意を込めてオーレリアは謝意を示したが、むしろここからが本命なのだろう。「時に」とキシリアは言葉を紡ぐ。

 

「オーレリアさんは、王立校屈指のソリストだそうですね。是非、一曲奏でて下さいませんか?」

 

 私などが、或いはお耳汚しになりますといった断りの言葉より先に側仕えがヴァイオリンと弓を持ってきた。

 有無を言わさずオーレリアが愛用しているそれ以上の、文字通りの意味で最上級であろう逸品を押し付けられれば断れる筈もなく、「慣れた曲で構いませんよ」と言われれば弾くしかない。

 長々とした曲は場に相応しくないだろうと、小曲の中から特に有名な『G線上のアリア』を奏でる。その優雅さと品格は誰もが知るところでありながら、同時に奏者の味が色濃く出る。

 心が逸れば調和が崩れ、逆に遅すぎてもテンポが乱れる。しかしオーレリアは、この小曲を完璧に奏でて見せた。

 ひと度顎を乗せ、弓を手に取れば余分は余すことなく音と共に散って消える。身器一体と称すべき技巧もそうだが、何より彼女自身がソリストとして天稟を有していることは素人目にも明らかだ。

 

“……この齢で、これほどの物とは”

 

 その感嘆の思いさえ、演奏を終えて一礼してからようやくマツナガの心に浮かんだほど。

 奏でられた時、その音が耳に届いていた時、マツナガは一切の、感情という声さえ出すことを躊躇う程、オーレリアのヴァイオリンに、否、オーレリアという奏者に魅了され続けていたと、全てが終わった後だからこそ実感することが出来ていた。

 そしてそれは、キシリアもまた同じ思いであったのだろう。心地よく耳に残る音の余韻は、どんな美酒より深く彼女を酔わせていた。

 

「──月並みな言葉しか出てこないけれど、素晴らしかったわ」

 

 拍手の音さえ、あの演奏の後で続けるのは無粋だという感想。掛け値なしの称賛に頬が赤らむオーレリアに対し、キシリアは立ち上がって直接彼女の手を取った。

 

「お願い。その才能は、決して枯らせないで。どうか王立校に残って」

「……ですが……」

 

 それはできない相談なのだと、オーレリアは目を逸らす。できることなら続けたい。もっともっと奏でていたいという思いは確かにあって、けれど……。

 

「……そうね。貴女の気持ちを、私は汲み取り切れてないものね」

 

 だから、その一つ一つをほぐす為、キシリアは手を取ったまま問いかける。

 

「音楽から遠ざかるのは、音楽を厭ってのこと?」

「いいえ」

 

 それは、今後の生活こそが最大の理由だ。だが、それを口にするのは躊躇われた。

 きっと、それを口にしてしまえばキシリアはオーレリアを援助してくれるだろう。

 きっと、父が居た時以上の多くを得ることが()()()()()()のだろう。

 だからこそオーレリアは逡巡する。この期に続く幸福や幸運──それらが父の死を原因としてしまうのなら、それは罪深いものではないだろうか?

 父が亡くなったことで、得られた機会。父が亡くなったことで、得られた出会い……これから先の幸福全てが、愛した肉親の死で叶うのなら、いっそ……。

 

「それは違うわ──だって、貴女は何も悪くないんだから」

 

 だからこそ、その胸の裡を読まれてしまったことで、オーレリアは背けてしまった視線を戻した。

 余りに分かり易かったのだろう。ニュータイプのような特異な人間でなくとも、直接手に触れていた訳でもないマツナガであってさえ、オーレリアの逡巡の理由は察しがついたほどなのだから。

 

「オーレリア、貴女のお父上は娘の幸福を妬む人だった? 自分より家族が幸せになることを、許せない人だった?」

「いいえ──父は、父さんは立派でした。私や家族みんなの為に、尽くして、愛してくれた人でした」

 

 なら、それが答えだとキシリアは真っ直ぐオーレリアに告げる。愛しい人に、肉親に想われていたのなら、それは何より幸福で素晴らしいことだと。

 

「世の中なんて、ホントにひどいことばかり……悪い人が得をしたり、良い人が損をしたり……。だけどね。そんな世の中だからこそ頑張ってる人は報われて欲しいし、良い人は幸せになって欲しいって私は思うの」

 

 そして、それが当たり前になる世の中が来て欲しいとも願っている。誰かの悪意に踏みにじられる人が、一人でも減ってくれるように。

 困っている人が居るのなら、手を差し伸べて上げられる人が一人でも出てくれるように。

 

「確かに貴女の思う通り、私達が出会えたのは偶然だったわ。でも、だからこそその偶然の中の出会いを、出会いだけで終わらせたくないの」

 

 誰かに助けられることが後ろめたいのなら、それが依存になってしまうと危惧するのなら、いつか大人になった時、それを返せる大人になればいい。

 

「私が貴女の力になりたいって我が儘を通そうとするように、貴女が大人になった時、同じ我が儘が出来るようになればいいの」

 

 それがキシリア・ザビの願いであり、この場に居ないイワンもまた、彼女と同じ思いだった。このどうしようもない、悪意が渦巻く世界の中で、一人でも多くが救われて欲しいという我が儘……。

 手の届く限りの人間しか、救うことはできないと理解して、それがエゴや自己満足に過ぎないと否定されてしまえば、言い返すことなどできない行為だからこそ『我が儘』だとキシリアもまた口にしていたけれど、その我が儘は何より温かく──

 

「何よりも、貴女が幸せになることで、貴女のお父上に報いて上げて欲しい。それが、公国に尽くしてくれた貴女のお父上にできる、私なりの恩返しだから」

 

 ──その我が儘が、オーレリアの求める道を照らすものなのだろう。

 

 自分が出来なかったこと。口に出来ない、救いを求める少女の心をこじ開けて手を差し伸べる幼い姫君の姿に、オーレリア以上にマツナガの心が揺れ動いた。

 抱きしめることしか、慰めることだけしかできなかった、マツナガ自身の無力……。

 幼いながらも思慮と慎みの深さ故に、言い出せなかったオーレリアの本音と願い……。

 

“どうして自分は、殿下のように彼女の想いを汲んでやれなかった?”

 

 出来た筈だ。公王家という立場などなくとも、一人の大人として、マツナガ家の男として、彼女の願いを叶えることぐらい、本当なら造作もなかった筈なのだ。

 

“だというのに自分は……こんな様で、ドズル閣下と未来を造るだと?”

 

 その一歩を踏み出せなかったことを、これほどまでに悔んでいる。大人としての賢しさ故に、大胆に居られなかった我が身を恥じている。

 抱きしめた時、王立校で泣いているオーレリアの想いを受け止めた時に、その涙を拭う道を示してやれただろうに!

 

「殿下!」

 

 無礼を承知で声を張り上げれば、それに先んじて親衛隊が動きを見せたが、キシリアは親衛隊員らを手で制することで、マツナガに直答を許す意を示した。

 

「殿下っ……小官は……っ」

 

『白狼』の称号と専用機まで賜った戦場の英雄は、キシリアの真っ直ぐな視線に、何より傍らで見つめるオーレリアの戸惑いの瞳に微かに息を詰めたが、敬愛するドズルのように、深く息を吸い込んで告げる。

 

「小官もまた、同じ思いですっ! ランシア嬢、どうか貴女の演奏をもう一度聴かせて欲しい! いえ、これから先も貴女の奏でる音を、この祖国で耳にしたいのです!」

 

 その為に、自分が出来ることならば何でもしよう。軍人としてだけでなく、一人の男として、命を懸けて誓うと叫べば、思わずキシリアは肩を揺らして笑ってしまった。

 

「大尉ってば、今とんでもないことを口にしてるわよ?」

 

 キシリアと変わらぬ程の齢の小娘に、必死になって告白めいたことを口にしたのだから、これには王女らしい貞節さを保っていたキシリアも、思わず平素の地が出てしまう。

 

「ねえオーレリア? ドズル兄上もゼナ様に告白した時はこんな感じだったそうだけど、貴女から見て、マツナガ大尉はどう?」

「ど、どうと申されましても……」

 

 唐突で、有無を言わさない口調であったものだから、どう応えればいいか分からないというのが本音だった。だが……。

 

「とても、情熱的でありました──こんな風に言ってくれる方がいるなら、ソリストを続けたいと思えるほどに」

「あら? 私が手を握った時より感情籠もってるわね?」

「い、いえそんな……!?」

 

 冗談よ、と慌てふためくオーレリアに、からかい交じりに笑みを零す。ただ、そこから先、キシリアはマツナガに対しては真剣な目で口を開く。

 

「今言った言葉は、絶対口先だけの勢いにしないで」

 

 これから、オーレリアは信じて待つ。この戦いが終わった後も、マツナガが演奏を聴きに来ることを。オーレリアが志す音楽家の道をキシリアが守る限り、公国で待ち続けることになる。

 

「──だから、もう一度誓って」

 

 ドズルのように我武者羅なのも結構だが、敬愛する上官をなぞるだけでは、他人の受け売りで口説くようなものだろう。

 直接の交友は少なかったが、ここでない世界のシン・マツナガを知るキシリアにとって、本当のマツナガがどういう口説き方をするのかはよく知っていた。だからこそ、ここで発破をかけてやる。借り物の熱と想いでなく、自分の言葉を吐いて欲しかったから。

 

「ちゃんと、オーレリアの心とお父上に誓って上げなさいな」

「はい」

 

 ここまでお膳立てされて、幼い姫君に背を押されてまで踏み出せない程、マツナガは女々しい男ではない。膝をつき、淑女として扱うべくその手を取って、マツナガは視線を合わせて誓いを立てる。

 

「オーレリア、君が純粋に夢を叶える以外の事でもいい。僕が出来ることなら、君の為に喜んで動こう。道半ばで倒れたりして、約束を反故になんて決してしない」

 

 君の演奏をもう一度聴く為に。

 ドズルや皆と共に、優しい未来を造る為に。

 何よりも──

 

「──君の幸せの為に、尽くすことを認めてくれるかい?」

「は、はいっ……! 私も、精一杯頑張ります!」

 

 ありがとうと告げて立ち上がるマツナガと、凛々しい貴公子然とした青年将校の、告白めいた文句に紅潮させるオーレリア。

 二人の出会いに運命のようなものを感じつつも、キシリアは同時に思う。

 

 ……絶対に、正史のようなゼナに横恋慕する男にはなってくれるなよ、と。

 

 だって、明らかにオーレリアの顔は、ただ感謝している子供じゃなく、女の子の顔だったのだから。

 




 メッセンジャーについては米国映画の『メッセンジャー』(SFでなく、米軍のメッセンジャーが主役の作品)が詳しく語られていて、人としての葛藤とか職責とか色々考えさせられます。
 前半と比べて後半は個人にスポット当たってテンポ悪くなりますが、個人的に良作だったのでぜひ観ていただきたい映画です。
(なお作者は地元のレンタル店で取り扱ってないので購入する羽目になった模様)

 まあそんなことはどうでも良いので、イワン君と同じロリコン連盟に加入したマツナガ大尉の今後を寿ごうず!(台無し)


※誤字報告で、ドズルの台詞「俺はジオンが勝つ未来を『造』るっ!」が正しくは『創』という修正箇所の指摘があり、確かにこちらが正しいのですが、漫画『虹霓のシン・マツナガ』の二巻ではドズルが「造りたい未来」と言っていたので、本話でも『造る』を採用しています。
 ご指摘ありがとうございました!
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