宇宙(そら)に掲ぐ旗の名は   作:c.m.

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※2023/10/4誤字修正。
 テクノクラート社員さま、インファント島人さま、ご報告ありがとうございます!


52 信用とは行動の結果である

「こんな筈ではなかった、と言いたげだな」

「正直に言えば、驚嘆を禁じ得ないのは確かだ」

 

 サイド4(ムーア)の首長たる公人としては、手放しでは()()()

 しかし私人としては胸が()()思いだと、オットー・フレミングはアンディー・ウェリントンに零す。

 

 ジオン公国の一週間戦争での電撃作戦と戦術的完全勝利は、情報統制と新兵器による運用という点から納得できるものだった。

 だが、南極での早期講和が破綻した以上、連邦に対し遥かに劣るジオン公国の国力で地球侵攻作戦を成功させる見込みはないと悲嘆していたし、だからこそオットーもアンディーも自分達が加勢せねば確実に負けると踏んでいた。

 

 ──独立戦争の天秤は、徐々に連邦の側に傾くだろうと。

 

 オットーとアンディーが結論付けていた予想はしかし、蓋を開けてみれば一週間戦争同様、大いに覆されることとなった。

 

 地球という広大極まりない土地と自然環境。

 新兵器に依存し、快進撃を重ねた結果の兵站の崩壊。

 或いは占領地下の不和やゲリラへの対策等……地球侵攻軍の支柱を蝕む白蟻は至る所に蔓延っていた筈だが、現状、侵攻軍が征旅崩壊の兆しを見せた気配はない。

 

「強いて言えば、アフリカのしくじり程度か」

「あれを失敗と称するのは酷だろう」

 

 アンディーは素直に評する。宇宙移民(スペースノイド)の国家が民族対立などという発想に行き着いたことも想像を絶する詭計だったが、連邦側の思い切りの良さもまた然りだ。

 ただ、そうした点とは別に、公国側のアフリカでの失敗は別角度で見るならば、オットー達の背筋に鋭利な氷柱を刺し込んでもいた。

 

「……連邦は纏まりつつある。いや、既に纏まっていると見るべきだ」

 

 平時にあってはその巨体と腐敗故に緩慢なものだが、こと暴力装置として目覚め、立ち上がれば連邦という巨人の歩幅は何処までも広く恐ろしい。

 アフリカでの迅速な対応は、連邦高官の何某かがパワーゲームの勝者として軍と政府の玉座に座したことを確信させるには十分過ぎた。

 

「対し、宇宙移民(スペースノイド)の側は地球居住者(アースノイド)程の団結力を築くことができないまま、現状に至ってしまっている……サイド4(うち)も含め、どのサイドも戦争準備なんてしちゃいない」

 

 それどころか、国家として自立できるだけの経済基盤と統治能力を確立できているのはサイド4(ムーア)サイド6(リーア)だけだ。

 各サイドは連邦に対し、半ば強制的に食糧輸出を強いられており、そうしたモノカルチャー経済が各サイドから自立を可能とするだけの地力を得られないで今日まで来てしまった。

 

 ……より正確に語るなら、そうすることで各サイドが力を蓄えることを阻止し、連邦への経済的依存を強いることこそ、棄民政策を推進し続ける連邦政府の狙いでもあった。

 勝者と弱者の天秤を決して覆させず。自分達こそを永遠の支配者として、君臨し続けるというその思惑。

 そうした事情を鑑みれば、ジオン公国とサイド4(ムーア)が重工業に力を入れた時点で……いや、それ以前に力を持ち得るだけの頭を備えていた時点で、連邦が危険視したのも当然だったと言えるだろう。

 

「……それでも向こう二〇年は、連邦の天下だった筈だったんだがな」

 

 サイド4(ムーア)とて、連邦政府の専横は目に余っていた。

 何しろサイド運営に関する法の改正は、連邦中央議員の七割の賛同が必要とされていたのだ。

 公正かつ真っ当な選挙と民衆の声で搾取体制が覆ることなど、正しく永遠の夢想と称すべきもので、そうでなくとも、中央と植民地の距離が開けば開くほど、植民地で独立の機運が高まっていくことは歴史が証明してしまっている。

 たとえジオン公国が決起せずとも、宇宙世紀が一〇〇年の節目を迎えようとする頃には、必ず民衆の不満と激昂が矛の穂先となって、連邦政府とぶつかり合う形になったことだろう。

 その二〇年後の為。人の一生の中では長く、しかし歴史の中では余りに短い時間の中で、サイド4(ムーア)宇宙移民(スペースノイド)独立の為に起つことを厭わず、着々と準備を進める筈だった。

 

「しかし、歴史の針は余りに早く動き過ぎた」

 

 二足歩行のロボットなどという、子供が夢想するアニメーションのような兵器を用い、人類史上初の統一政権を相手に連戦連勝を重ねるなど、一体誰が想像できた?

 

「願わくば、全てが子供向けのアニメーションのようであって欲しかったよ」

 

 だが、これは現実だ。人という種が協同体を作る時、必ず『宗教』と『政治』が生まれる。

 そこには絶えず陰謀や謀略が存在し、たとえ国民から喝采を浴びる統治であったとしても、他を押し退け制することで、自己の存在を強大なものとすることで、生存と長期的利益を求めることこそ()()()()国家の在り方だと言うことを忘れてはならない。

 

 庇護すべき国民を飢えさせながら、それはより貧しい人々の為に行っている善行であり、『世の為なのだ』と宣うのか?

『平和を愛し、手を取り合おう』と訴えながら、暴力で他を貪る敵国を目の前に、武器を執らないことを選択するのか?

 その結果、唯々諾々と庇護すべき国民を殺されながら『非暴力を説き続ける』ことが、『国家の正義』足り得るのか?

 

 ──否、断じて否である。

 

 共に手を携え、貧する者には分け与え、互いを尊重し合う生き方は、私人としてはこの上ない善性の表れであろう。だが、そんなものは『国家』と『公人』にあってはこの上ない悪徳だ。

 サイド3は、最早植民地(コロニー)ではない。

 彼らはジオン公国という『国』を興した。

 国家としての法を築き、宗教を掲げ、軍事と経済という剣と盾を手にした彼らは、連邦を下すだけで止まりはしない。停滞などという国家への背信は断じて許されない。

 物語のようにピリオドと共に閉じられる本と違い、現実は遥か先まで続いていく。

 終わりなどなく、人の世と共に延々と『歴史』は綴られて行く。

 ジオン公国はその果てしない未来への責任を持ち、自覚するが故に、公国国民の利益こそを、最大多数の幸福こそを最重要視するだろう。

 

「それこそが善き国家であり、それこそが善き指導者なのだから当然だ」

 

 オットーやアンディーとて、いざ独立戦争を終え、サイド4(ムーア)が国となった暁には善き指導者として、私人の悪徳という公人の善行を是としてしまうことだろう。

 

「……この世が、人の世界がもっと純粋なら、どれだけ良かったか」

 

 正しさだけを求められるなら。

 誠実さだけを是として誰もが生きられるなら。

 それはどんなに清く、素晴らしいことだろう?

 しかし、正義とは常にままならず、生きるということは何とも融通の利かないものなのだ。

 信念と共に前を向き、進むことは果てしなく難しいことで、だからこそ誰もが空想の中で、理想の世界を思い描いて物語にするのだろう。

 そんな不自由と不条理は、現実の理不尽は政治家としての道を歩むと決めた時から承知していただろうに、世の無情さというものを、どうしても人として憂いずにいられはしなかった。

 

 ただ、そうした憂いを人としての良心から抱き、嘆くばかりではいられない。

 

 オットーもアンディーも、共に羊飼いの杖を執る身だ。サイド4(ムーア)の民の為、(しるべ)となって先の見えぬ暗闇を羊達に先んじて渡り切らなくてはならない指導者なのだ。

 

「……幸いにして、ジオンは歴史上の国家の中では清廉潔白と言っていい部類だ」

 

 国家という枠を現実的な価値観で捉える者にとって、それは信じ難いものだろう。

 公正であり、正義を信じることのできる指導者と国民性は、希少種と言う言葉ですらまだ足りないし、だからこそオットーもジオン公国に賭けて見たくなったほどなのだから。

 

「……()()な」

 

 アンディーの言わんとするところはオットーも承知している。

 何しろ、この話自体が戦中(げんざい)を危惧してのことでなく、戦後(みらい)に対してのものなのだから。

 政治家というものは、未来に対して責任を負う政治の『プロ』だ。

 素人以下の連中は『二〇年、三〇年先のことなど予想できるか』と無責任に匙を投げるが、真の政治家(プロ)は後の世代に対しても責任を負うべく動くもので、だからこそオットーは思い悩んでいる。

 

 ジオン公国は新興国として瑞々しい活力に満ち溢れ、理想を邁進することに躊躇しない。ダイクンに代わる象徴として君臨したザビ家もまた、国家を玩弄する暴君とは無縁の性質に見える……しかし、それが世代を超えて永遠足り得る保証は何処にもない。

 

()()ジオンには全てをチップするし、し続けられる。サイド国家の盟主になりたいなら、喜んで後押しするとも」

 

 世界の覇権を勝ち取り、至尊の冠を頭上に戴きたいというのなら、それでも構わない。一国家として自国の国益を第一とするのだとしても、他の将来独立するであろうサイド国家群が、ジオン公国以上となる確率は皆無と言わないまでもそれに近いものの筈だ。

 

 だが、その()は?

 

 ザビ家が勝利し、建国神話を打ち立てた後も、永遠の高潔さを保持し得ることは、決して誰も保証できない。

 ……だからこそ、オットーもアンディーもそうした『最悪』を……ジオン公国が第二の地球連邦となってしまうことへの危機感を抱き、若さ溢れる賢君が老いて暴君と成り果ててしまった時、いや、暴君に傾きかけた時に掣肘できるだけの力と発言権は有していたかった。

 

 地球侵攻は、そうした思惑を有するオットーとアンディーにとって最大の奇貨になり得た筈だった。

 征旅が失敗して欲しいとは決して言わない。しかし、サイド4(ムーア)のみならずサイド国家による同盟を築き、ジオン公国が中心となる世界がいずれ築かれるのであれば、何処かで自分達の存在意義というものを示しておく必要があった。

 単純に兵と金を出すだけでなく、共に轡を並べ戦うことの必要性というものを内外に示すことこそ、王者が暴君に成り果てる未来を阻む上で、避けて通れない道だったのに……。

 

「それを示すには、彼らは強過ぎた」

 

 あろうことか、たった一国の力でこれほどまでの成果を叩きつけ、示すことが出来てしまう程に。

 

「なら、手を拱いたままで居る気かね?」

「まさか」

 

 先程までの陰鬱な空気を吹き飛ばすべく、敢えて軽い調子でオットーは声を弾ませ否定する。確かに自分達はジオン公国に恩を売れず、信頼関係も築けていない。だが、だとしてもそこで俯き思考を停止するなど、政治家として論外だ。

 

「アンディー、以前にも言ったが、()()ジオンと戦い抜く。サイド4(ムーア)だけじゃない。宇宙移民(スペースノイド)全てにとって、それが最良の道だと信じているし、何なら心中しても良いとさえ思っているぐらいだ」

「しかし、ジオンがサイド4(われわれ)と同じように見てくれることは無いぞ?」

 

 その理由は語らずとも、オットーは誰より理解していた。

 何故ならオットー・フレミングは『一流』の政治家だ。未来を見据え、国民と国家に対して責任と義務を負うことのできる指導者で、だからこそジオン公国は唯一価値ある同盟国と見做しながらも、サイド4(ムーア)との間に一線を引いている。

 事態が変われば。いざジオン公国が連邦に追い込まれれば、いや、実際に追い込まれずともその兆しを見せたなら、確実に『保険』をかけてくる。

 オットーもアンディーも、ジオン公国と共に理想に殉じはするだろう。しかし、それは戦争責任を負う為の措置であり、サイド4(ムーア)が生き残るための人身御供に過ぎず、いざ公国の敗戦が免れないものになった時、彼らの後継者たる次代の統治者が、公国に肩入れすることは決してない。

 それを思えばこそ、切り捨てられ、背後から背中を刺される可能性というものを、決してジオン公国が捨てることはないだろう。

 だが、国家の存亡という枠を超えて掴むべき未来を掴む為には、そうした『国家であるが故の警戒心』を僅かにでも緩めて貰わなくてはならない。

 

「その為には、ジオンが求めることを率先して行う必要がある」

 

 詰まる所それが全てで、そこが始まりだ。真の意味において重要なのは、ジオン公国の信頼を勝ち得るに辺り、如何にして彼らが求める物を提供できるのか?

 

「それによって、サイド4(わたしたち)が欲して止まない信用(もの)を何処まで得られるかだが……」

 

 そこんとこはどうよ? と軽い口調で問えば、アンディーは人の悪い笑みを作り出した。

 

「順序が逆だぞオットー。我々はまず、『自分が必要な物』を先に得るべきだ。

 ──言っただろう? アナハイムは私が奪うと」

 

 

     ◇

 

 

 アナハイム・エレクトロニクス社役員、アンディー・ウェリントンがまず行ったことは、アナハイムそのものを切り崩すことであった。

 既にしてジオン公国が占領した月に置かれるアナハイムの軍事工廠は工場別の独立採算制を建前に、公然と数多くの兵器をジオン公国に流していたが、地球侵攻が本格化するにあたり、本社の置かれた北米さえもが公国製の兵器類を製造するに至ったのである。

 当然だが地球連邦は大いに反発した。何しろアナハイムは連邦軍の兵器開発・製造においても大手と称すべき取引相手であり、最大手たるヴィック・ウェリントン社とも激しいシェア争いを繰り広げていた会社である。

 最新鋭航空機から潜水艦まで現行の設計図を保有している以上、最重要軍事機密の多くが丸裸に晒されたも同然であり、当然だが「機密保持に従って一切のデータを消去した」という声明を鵜呑みにするほど馬鹿ではない。

 

「月面までならば認めよう。万が一拠点を落とされた時の為に、相応の保険はかけていた。しかし、北米本社となれば全く別で、本来ならば全て物理的に爆破し、公国軍の手に渡らぬよう再三命じておきながらこの始末とは、一体どのような了見か!」

 

 軍高官の憤怒は瀑布(ばくふ)の如く溢れて留まることを知らず、しかしアナハイム・エレクトロニクス社の役員一同は、それに対して次のように応えた。

 

「そのように仰るが、公国軍が侵攻した際には通信衛星すら満足に使えなかったのですぞ?

 ましてや彼らの進軍速度は余りにも異常であり、本社と軍事工廠の発破処理など間に合う筈もありませんでした。ああ、無論連邦政府の『補填』については全額返納致しますとも。

 我々は詐欺師ではありません。アジア方面を始めとした支社と工廠は今後とも連邦軍の為、身を粉にして尽くす所存です」

 

 ここまで抜け抜けと口にできるのだから、役員の面の皮がルナ・チタニウムで出来ていると言われても誰もが納得しただろう。

 罵声の限りを浴びせた軍高官の心情もまた理解できるもので、元よりアナハイムは軍需産業に手を出す以前は家電を中心とした民需産業だったことを忘れてはならない。

 軍需産業自体が『ラプラスの箱』を取引材料として連邦から得た資金を元手に拡張した結果が今であり、その躍進は連邦政府の資金有ってのものなのだ。

 (たか)れるだけ(たか)っておきながら、いざ戦局が傾けば鞍替えするような連中を前にすれば、どのように温厚な人間であってもあらん限りの呪詛を吐き散らしたくなるのも当然だ。

 

「この件はよく覚えておくぞ」

 

 捨て台詞と共に消えた軍高官は、しかしそこで終わりはしなかった。

 ここまで明け透けにアナハイムが公国側に回ったということは、『ラプラスの箱』を握るビスト財団もまた公国に与したと見るべきだ。

 単に財団が寝返ったというだけならばまだ良い。最悪のシナリオは『箱』そのものがジオン公国の手に渡った可能性があるということだ。

 

「潰せ──何としてでも『箱』を奪え」

 

 ビスト財団からすれば幸いにして、というべきか。この命を下したのはゴップでなく『箱』の中身を知りはしても、多少優秀程度の高官だったという点に尽きるだろう。

 秘められた『箱』の意味は連邦を手中に収めたゴップも当然承知していたが、そんな物がどうなろうとゴップ自身に興味はない。

 軍事的パワーバランスを覆す、かつての核兵器や現代のミノフスキー粒子のような代物ならばいざ知らず、『箱』そのものは政治的な面でしか効果を発揮し得ない以上、ゴップの関心を買うには至らなかった。

 仮にジオン公国が『箱』を得たとしても、間違いなく公国側は終戦まで『箱』の封印を解くことはないという確信していたことも大きい。

 

“『箱』を解き放ち、連邦の根幹を揺るがす真実を世界に知らしめたとて、最早それは宇宙移民(スペースノイド)の反連邦感情に対する起爆剤にしかなり得ない”

 

 それをしてしまうことは、ジオン公国にとっては最悪とまでは行かないものの、明確な悪手であることは間違いない。

 ただでさえ連邦への苛烈な憎悪を隠さなくなった宇宙移民(スペースノイド)を宥め賺し、その機会を与えるにしても職業軍人として最低限度の訓練を積み、自制を備えさせた上でなければ意味がないのだ。

 

“急激に兵力が増加すれば、それに伴う兵站の負担は著しいものになるからね”

 

 公国側が欲しいのは『戦力』であって、命令に従えない狂犬ではない。

 連邦への憎悪は十分過ぎるほどに行き渡っている。公国側にしてみれば、感情だけで動き回る兵が徒に戦線を引っ掻き回すような事態だけは──どれだけ人的資源を欲しているとしても──避けたい筈で、そこを抑えているからこそゴップは殊更『箱』に対して無頓着であった。

 

“あんなものに右往左往する連中の気が知れないね。この戦いは滅ぼすか滅ぼされるかだ。一兵も殺せない『箱』などゴミ箱に捨てるか、犬にでもくれてしまえば良いじゃないか”

 

 下らない代物の為に私の優雅な対局(チェス)に水を差すんじゃない。と……喉から出かかった言葉が止まり、湿度の高い陰謀がゴップの脳内に膨れ上がってきた。

 

「『箱』を欲するなら、熨斗(のし)を付けてくれてやろう……ただし、その価値と意味を知る者に厳選してね」

 

 殊更乾いてない口元を舐めて示す笑みは粘つき、口元に引いた糸は間違いなく毒沼のそれだった。

 欲するならば与えよう。是非その手に掴み取ってくれという温かなプレゼントは、しっかりと爆弾を細工してやるという悪意に濡れ光っていた。

 

 無論、くれてやると言ってもビスト財団に対する追求と追っ手を止めるということはしなかった。手渡すにしても尤もらしくすべきであるし、何よりその過程でビスト財団の息の根さえ止めたなら、それがアナハイムへの警告になると軍の高官連中も考えていたためだ。

 ゴップにしても、ビスト財団については息の根を止めるついでに資産の一つも奪えたなら、それが地球圏の資産家連中に対する見せしめに程度になってくれればいいと考えていたが、それについては絶対ではなかった。

 あくまで『箱』をジオン公国の手に渡すための演出として、何本もある脚本の一つに死という項目があったのであって、別段生き残ってもそれらしく演出さえできたならどうでも良かったのだ。

 

 

     ◇

 

 

 しかし、高官達の予想とは裏腹に、アナハイムはビスト財団の手から既に離れていた。

 アンディー・ウェリントンによる離間工作は見事なもので、彼はビスト財団と彼らの有する『箱』の価値を……引いてはその中身さえ役員内に留めたとはいえ秘められた真実を晒し、決して『箱』自体は大それたものでないということ。

 それに踊らされた自分達だけでなく、然るべき相手に『箱』を譲渡しなかったという事実を利用して宇宙移民(スペースノイド)出身の役員に根を回し、ビスト財団とアナハイムを物理的に切り離して見せていた。

 

 ビスト財団の現当主、サイアム・ビストがその事実に至り、諸悪の根源たるアンディーを亡き者にするより早く、既に連邦からの刺客は短剣を喉元に突き立て貫くべく迫っていた以上、サイアムに出来たのは逃げの一手だけだった。

 

“謀ったな……!”

 

 夥しい汗を全身の毛穴から噴き出しつつ、老人(サイアム)は懸命に首筋にかかった死神の鎌から逃れるべく身をひねり続ける。

 身を守る盾として用意していた私兵は数こそ多かったが、流石に上澄みの現役部隊とやり合うには荷が勝ちすぎたし、第一にして分散していた匿名資産の数々も先手を打って凍結されている。

 本来であれば、「このような暴挙が許されると思うのか!?」と声高に叫ぶべきであろうが、そのような声を上げられるほどサイアムは清廉潔白であろう筈がない。

『ラプラス事件』という未曽有の……そして本来在るべき連邦の形を壊した最悪のテログループの一人であり、今日世界を二分しての大戦争をはじめとした、全ての元凶にして唯一の生存者こそがサイアムなのだ。

 余りに重く、度し難く、許されざる罪。過去の罪業を隠蔽するには『力』が必要不可欠であり、その為にサイアムは財と影響力という二つの武器を行使してきた。

 名門の女を娶り、権威を得て、企業に莫大な投資を行い、成功させることで資本を蓄えて、徐々に徐々に、連邦という交渉相手から分を弁えた上で、己の生命と財産を保証しつつ、将来『箱』を託す相手を安穏と待てるだけの城を築く筈だった。

 

“……城は、完成まであと数歩というところだったというのに”

 

 アナハイムの力は巨大化しつつある。今でこそ他企業と兵器開発のシェア争いを繰り広げてはいるが、ジオン公国とのコネクションを確立させた以上、将来戦争がどのような結果に終わるとしても、サイアムは上手く立ち回る筈だった。

 だが……人生が万事望むままに転がるなら、大企業の社長が首を吊る話など出回る筈がない。人生とは常に、一歩先に不可避の落とし穴が待ち受けている。

 上り詰めるための最後の一歩が、断崖への墜落だったなど在り来たりのものだろう。しかし、どんな不幸を可能性として想定していたとしても、自分だけは無縁(れいがい)だと信じ込むことが出来てしまうのが人間の(さが)なのだ。

 躓き、転ぶような失敗はあったとしても、泣きを見る日は来るとしても、決定的な破滅が、ある日突然訪れるだろうという『覚悟』を常に抱ける人間が、果たしてどれだけ居ることだろう?

 

 少なくとも、現時点でのサイアム・ビストはそうした覚悟を有する少数派では決してなかった。何故なら正史と異なり、サイアムはまだ『夢』を見ていない。

 自身が奪った多くの命と祈りが、『コロニー落とし』という最悪の未来を見せつけ、それを回避するのだと訴えることをしなかった。

 その未来は既に別人(イワンたち)が覆し、大戦争であっても流血の量を極端に減らして見せてしまった以上、理不尽に命を奪われた過去の人々はその結末を誰にも見せることをしなかった。

 だからこそ……本来最も責任ある人間が、その義務を果たすよう仕向けることも、努力を促すこともしなかった。

 

『夢』を見せる筈だった過去の人達は、既に希望を見ていたから。

 恨みや憎しみでなく、より良い未来が来て欲しいと願いつつ、来るべき『祝福』を垣間見て、既に遠い(とき)の見える世界に、虹の彼方へと旅立ってしまったから。

 

 けれど、それは理不尽を許した訳では決してないのだ。

 奪われてしまった多くは善き人、善き未来に寿いでも、奪った側に無条件の寛容を示すことはしなかった。

 罪とは贖うもので、罰とは受けるものだから。正しい裁きというものは、現実の中では決して絶対のものでないことは百も承知していたが、それでも遠い彼方に飛び立った過去の人たちは、『夢』見せないことでサイアムが人としての成長を見せず、因果応報の結果を強いられることを承知していたから。

 

 だから、サイアムが逃げ惑うしかなかったのも当然だ。

 この老人の全てがある日突然上手く行かなくなってしまうのは、『そう在るべし』と犠牲者たちから望まれた報い(けっか)でしかない。

 しかし、死者は直接手を下さない。現世に生きる者に裁きをもたらし、破滅に導くのは、その罪咎を知る同じ現世の住人だ。

 

『無残なものだな、サイアム・ビスト』

「……やはり、貴様か」

 

『箱』の真実を知る数少ない人間であり、万が一サイアム自身の存命中に『箱』を託すに足る者が現れなかった時、その後任として、同時に人類の未来を託すという面において信頼を寄せていた筈の腹心が寝返ったという事実は、しかし一定以上の驚きからは遠かった。

 

 アンディー・ウェリントンは人類の未来を憂いていた。

 

 人の愚かさ、度し難さというものを理解しながら『それでも』と足掻き、人類と世界を守護する為の種子を守り続ける、守護者として生きることのできる人間だったから。

 

「私を憎むか。それも当然だな」

『諧謔は止せ。貴様がそこまで殊勝であれば、しかるべき時に“箱”を解き放っていた筈だろうが』

 

 結局貴様は何も選べなかっただけだ。保身に走り、罪から目を背けて贖罪の道を歩まなかった、一握りの勇気さえ持てないテロリストだと。連邦からの刺客に先んじて接触した男から投げ渡された無線越しに、ありったけの侮蔑と憎悪の驟雨をアンディーは叩きこんだ。

 

「罵声で老体に鞭打つことで気が晴れるなら、そうすればいい。だが……」

『貴様を殺せば、“箱”も失うか? それも一つの結末だな……私としても“箱”は確保したいし、然るべき者の手に委ねるか、終戦後にでも自ら公表したいと考えているが──』

 

 ──最後に、一度だけチャンスをくれてやる、と。

 

 このままでは連邦によって死を待つばかりの老人(サイアム)に、アンディーは一本の蜘蛛の糸を垂らした。

 

『ジオンには私が“箱”を託すに足ると考えた者が一人いる。その人物に接触し、全てを見届けろ』

 

 ──そうすれば貴様には法廷に立ち、全ての罪と真実を白日の下に晒す贖罪の機会を与えてやる、と。

 

 死刑宣告文を突きつけ、サインを強要するアンディーの姿勢は、一見すれば一切の慈悲のないものに見えたことだろう。

 しかし、本当に『箱』を持った者の意味と、己の罪に向き合う覚悟を一片でも抱いているのなら。

 心から、今日という日までの自分自身と、人の未来を真っ直ぐ見つめることが出来るなら──

 

「どの道、老いさらばえた身だ。全て明かし、全ての罪を認めよう」

『……良いだろう』

 

 完全に信用した訳でなく、半信半疑という声音でこそあったが、それでもアンディーは──進退窮まった状況にあったにせよ──この老人を見直していた。

 みっともなく、見苦しく、この期に及んでも自分の命を繋ぐことに執着するようであれば、それこそ徹底した拷問の上で『箱』の在り処を吐かせることも躊躇しなかった。

 奪った命と罪の重さを、『痛み』によってその皺枯れた五体に刻み込んでやろうと……黒々とした憎悪が鎌首をもたげ、いっそみじめな小悪党のままであってくれた方が分かり易いとさえ考えていただけに、最後の最後で自分の人生というものに折り合いをつけたサイアムの声には僅かながら感じ入るものもあった。

 

『罪を持つのは貴様だけだ。親類縁者はその潔さに免じ、全ての過去を消してやる』

 

 それぐらいの力はアンディーも有しているし、ビスト家という名家がサイアムというテロリストの汚名によって汚される一因を作ってしまった手前、これぐらいはすべきだろうという義務感からの罪滅ぼしという面もあった。

 

『向かわせた男の指示に従い、この場を離れろ。連邦の手は長いぞ』

 

 そう。連邦の手は長く、そして悍ましい陰謀に耽っているのだ。

 この結果さえ、それなりの結末だと笑いながら、将来の布石にする程度には。

 




サイアム「箱を渡せる人間がいないから、自分が持ってるしかなかったンゴ……」
アンディー「来るべき日が来れば、自ら公表するつもりだ」

 こ の 差 よ 。

 虹の彼方に行った被害者一同が見た未来?
 イワン君の雄姿でないことは確かやな(露骨な主人公sage)
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