宇宙(そら)に掲ぐ旗の名は   作:c.m.

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55 ガルシア・ロメオの優雅? な一日:中編

 グレーデンを退室させた後、ガルシアは椅子に深く体重を預ける。

 見栄えに重きを置いた華美な作りに反し、ガルシアの総身を委ねた椅子は一切のストレスを感じさせることなく深く体を包み込んだ。

 

“……部下を丸め込むのも一苦労だわい”

 

 それも、グレーデンのような特に優秀で紐帯精神溢れる逸材となれば猶更だ。彼らのような者は昇進や勲章以上に、戦友や名誉を重んじる。

 今回のような派閥や政治が絡む案件は、そうした者らにとっては禁忌に等しい。武人気質な前線武官というものは兎に角声が大きいか、そうでなくとも内心では不平不満が煮え滾っているものなのだから。

 

“とはいえ、俺への敬慕も本物である以上無下にできんしなぁ……”

 

 開戦前のように、上官であった為に不平不満を呑み込んでいたというだけで、陰では悪罵が絶えなかった頃の部下共であれば、ガルシアも有無を言わせず頭ごなしに命じるどころか、現地司令官に一任して蚊帳の外を決め込んだだろう。

 人間、心から好いてくれる相手には情も湧くし義理も持つもので、それは首尾一貫して己の栄達の為に邁進するガルシアも例外はなかった。

 こうして直接呼びつけて説明までするどころか、グレーデンに伝えはしなかったが、異動に伴う叙勲や昇進さえ、ガルシアが各所に手を回してのことである。

 そうでなければ、如何に北米最高のエースと言えども一級ジオン十字勲章を得るのは難しかっただろう。何しろ欧州で数多の戦果を重ね続けている特殊部隊でさえ、現時点で一級を受章したのはサザンクロス隊隊長を勤めるククルス・ドアン特務少佐と、闇夜のフェンリル隊隊長のゲラート・シュマイザー少佐。そして、グリフォン隊隊員のチェイス・スカルガード大尉の三名に留まっているのだ。

 MS地上部隊という地球侵攻の要を養成し、北米のみならず、そこから欧州にまで使い物になる人員を回して見せた教官としての軍事的貢献や、今後の活躍を加味しての前借りに加えて、ガルシア直々に推薦状を書いて見せてようやくと言ったところである。

 こうした配慮という奴は、昔なら自分より上に対して行うべきだと考え、部下には疎かにしていたものだが、今にして思えば逆だったと悔いるばかりだ。

 ことあるごとに政治が付き纏う連邦軍ならばいざ知らず、命令を守り、義務さえ果たせば上が勝手に評価してくれるというのは、イワンが証明してくれている。

 しかし、下からの評価というものは自分で周到に用意しなければ、決して得られない物だったというのは、手間をかけてようやく実感できたものだ。

 

“中佐がそれを知るのは後々だろうが、それでも俺の名声は上げてくれるだろうよ”

 

 グレーデン自身がそうした『配慮』をしてくれるかは別としても、骨を折ったという事実は各方面から漏れ伝わる。叙勲と昇進の両面に際して、根を回した部署や人間の数を考えれば、漏れない方がおかしいのだ。

 そうした情報は噂話でも美談となり、美談は評価としてガルシア自身を上に上にと持ち上げてくれるもの。一見迂遠にも思えるだろうが、安定して久しい北米の情勢下にあって、武勲以外で名を上げられる要因が一つでもあるのなら、そこに労を惜しむ理由は無かった。

 

 とはいえ、それも後々の事であるし、何よりガルシアにとっては異動の件は恙無く処理されたに等しい。北米総司令官として多忙な時間を縫って相手をした以上、片づけねばならない仕事も山積していれば、予定も押している。

 一服したい衝動を抑えつつ、卓上に設置された受話器を手に取った。

 

「私だ。車を回してくれ。ああ、今回はガルマ殿下も副官として供をして貰うのでな。抜かりなく頼むぞ」

 

 

     ◇

 

 

 時刻は都市が暮れなずみ、夜へと移ろうとする頃。北米随一と目されるホテルでの会食に招かれたガルシアとガルマを迎えたのはホテル側の人間でなく、主催者一党の執事を勤める、ダグラス・ドワイヨンであった。

 

「ようこそおいで下さいました」

 

 慇懃に腰を折り、初老でありながら重々しい黒服に相応しい貫録を示して見せたダグラスであるが、ガルシアもガルマもそれに呑まれるような無様を晒すことは無い。

 社交辞令に満ちた挨拶は短く切り上げ、ホテルのホールへと案内される。

 整列するホテルの従業員に一瞥もくれず──というより、僅かにでも目を向けようものならその時点でお上り以下の成り上がりと侮蔑される──貸し切りとなったホールへ踏み込めば、正しく絢爛豪華と称すべき世界がそこにはあった。

 クリスタル製のシャンデリアの垂れ飾り。大理石に満たされた床。長大なテーブルも今日の日の為に用意されたものだろう。一見純白に見えたテーブルクロスも、細緻な織柄で彩られている。

 

「お会いできて光栄です、殿下。将軍閣下」

 

 政治家特有の人好きのする笑顔を作り、順序立てて挨拶と握手を交わすのは地球連邦中央議員にして重鎮たる、ローナン・マーセナス。

 地球連邦初代首相、リカルド・マーセナスの後裔にして由緒正しき貴顕であり、ここ北米における事実上のフィクサーこそ彼である。

 

“ようやく姿を見せたか”

 

 ヨーゼフ・エッシェンバッハなど所詮はローナンの走狗でしかない。祝賀会からの北米側の『外交』が悉く手玉に取られた以上、いつかは向こうから接触してくるであろうと踏んでいたが、ガルシアから声をかけることはなかった。

 あくまで己は一軍人であり、政治的対応は仕掛けられれば応じるだけだというスタンスを内外に示していたものの、本心を語るならば「自分から誘いをかけて下出に出るような真似なんぞ御免被る」というプライドからのスタンスに過ぎなかったこと。

 また、ガルシアにしてみれば北米はいざ撤退する段になれば捨て石にする程度にしか捉えておらず、従順に尻尾を振ってきたからと言っても、必要以上に構ってやる必要性を感じられなかったというのが大きい。

 

“どの道我が軍の支配下にある有力者共なんぞ、粗方宇宙に亡命しておるしなぁ”

 

 ヨーゼフのような存在は正しく例外中の例外と言って良く、北米に居を構えていた資産家連中は大枚を積んで秘書や部下を現地に残し、市民権を購入して月や中立地(サイド6)に移っている。

 中には寄付の名目で新規コロニーの建造費用を捻出し、支配者層で固まって移ろうとする輩まで出ているのだから、地球居住者(アースノイド)の強かさには呆れどころか一周回って感心さえ覚えたほどだ。

 

 そうした連中が、いざジオン公国が勝利すれば宇宙移民面(スペースノイドづら)をして横柄に振舞うことに対しては物申したくなるが、それでも貴重な金蔓である以上、行き過ぎさえしなければ公国も口を挟むことは無いだろう。

 どの時代、どの世界であってもこうした抜け目のない連中が生き残るということはガルシアとて理解している為、苦々しいと感じはすれど、敢えて追及する気にはなれなかった。

 

 そうした点を鑑みるならば、連邦中央議員として、またリカルド・マーセナスの系譜として代々政府中枢に食い込み続けたマーセナス家の当主が北米に根を張り続けているという現実は、ガルシアやガルマをして驚嘆の一語に尽きるだろう。

 それこそジャブローの防空壕(あなぐら)なりサイド6(リーア)なり、逃げる場所には事欠かなかった筈なのだから。

 

“或いはこの場で、亡命を打診する可能性も有るがな”

 

 蓄えた財を元手にしての、政治的不可侵(アンタッチャブル)をはじめとした数々の交渉は当然ガルシアとしても予想の範疇にあったし、総帥府からもその手の打診があれば、どのラインで乗るべきかという指示もサスロ機関を通じて逐一回されてきていた。

 内容如何によっては公国国籍どころか、叙爵と貴族院の席まで視野に入れているというのだから、正しく大盤振る舞いと言っていい。

 

 音もなくナイフとフォークを繰って上質な鴨のコンフィに舌鼓を打ち、四〇年物の一級品で満たされたワイングラスを傾けつつ、優雅で無意味な談笑に表面上は花を咲かせる。

 夫人のみならず、幼いと称すべき齢の姉弟さえこの席に同伴させているのは、それだけ教育が行き届いているということを示すだけでなく、帝王学の何たるかを示す為であろうか?

 

“だとすれば、ここで俺がローナン議員の天狗鼻をへし折ってやった日には一家がどういう反応をするか……”

 

 暗い喜びをひた隠しながら、やはり地球産は駄目だとガルシアは舌を湿らす程度にワインを煽る。土の香りも葡萄の風味も見事という他ない筈なのだが、どうにも『酔える』空気を与えてくれない。

 完全に機械化され、品質管理を徹底されながらも自国民の趣味に合わせた自国の酒精というものが如何に得難かったかを再認しつつ、本命に至る為の時間を待った。

 

「失礼ですが、将軍に奥方はいらして?」

「恥ずかしながら、この齢までは男やもめでしてな。ですが、ようやくカーン家のご息女と親密な関係を築くに至りました」

 

 夫人の何気ない切り込みに愛想笑いを浮かべつつ返す。俺には既に間に合っているという意を懇切丁寧に示してやれば、次に視線を向けたのはガルマである。

 

「先日の祝賀会で、一曲を伴にしたことは伺っておりましたわ。やはりああした古式ゆかしい逢瀬というものは、どの時代でも胸を打ちますもの。イセリナさんも、殿下とのダンスを特に熱心に語っておいででしたわ」

「イセリナ嬢のように麗しい女性が、私とのひと時をそのように感じていただけたとは、嬉しい限りですね」

 

 障りなく返しているようで、その実言い淀んだものであることはガルシアも感づいた。親衛隊辺りであれば馴れ馴れしい物言いに「不敬であろう」という視線を向けたに違いないが、しかしガルシアは夫人の目が、微かに娘に向いたのを見逃さなかった。

 

“シンシア・マーセナス。マーセナス家の長女で、確か齢は一二だったな。夫人も夫人で強かなことだ”

 

 詰まる所、「うちの娘はどうか?」と言いたいのだろうし、確かに提案としては悪くない。幼くはあるが、数年もすれば女として見れる年齢になる齢であるし、ザビ家の長女(キシリア)がイワンと婚約したのは一〇の頃であることを考えれば、特段驚く内容でもなかった。

 

“お坊ちゃんは末弟であるし、正室は論外としても、側室ならば角など立たちようのない名家だからな”

 

 何よりザビ家は長男(ギレン)三男(ドズル)共に、正妻以外は女の影が一つとして見えないと来ている上、どちらの正妻も出自としては平凡に尽きたし、次男(サスロ)に至っては未だに独身である。

 確かにガルマは齢も比較的近く、狙い目ではあるのは間違いなかった。

 

“このお坊ちゃんは浮いた話一つも出て来んし、後々見初めるような本命が出てくるとしても、マーセナス家の令嬢を(そく)に回すのを前提にすれば、話を聞くぐらいはするだろう”

 

 これはサスロ殿下辺りに報告だなと心に留めつつガルマに目配せするが、口を開いて貰うより先にローナンが夫人を掣肘した。

 

「妻が失礼を致しました。何分、我が子への愛情が強いものでしてな」

 

 いえ、とガルマは笑顔で返したが、その表情には微かな安堵が見て取れた。

 

“そういう所が青いのだよなぁ……”

 

 貴顕の結婚など所詮は義務であり、恋愛など裏で幾らでもできるのだから、政治的に利を見出したなら、『前向きに検討する』ように示して見せれば良いではないかという話だ。

 尤も、この件に関しては平然と(ギレン)らが恋愛結婚などしてしまっているという問題が、ガルマに政略結婚の必要性を覚えさせることを邪魔しているのは、ガルシアとしても重々承知していたのだが。

 

「何。ご両人が睦まじくあってこそ、公私共に支え合う関係性を維持できるというものです」

 

 だからこそ、こちらは気にしてはいないし、互いを尊重すべく無理強いを行うつもりはないということをアピールしてガルマのフォローに回る。

 失言どころか間の取り方を誤っただけで喰らいつきにかかる政界という暗黒を知るからこそ、ガルシアとしても気を回さざるを得なかった。

 

「将軍の心遣いに感謝を。本日お招きしたのは、当家の『遺産』にまつわることについてです」

 

 ほう。とそれらしく示して見せたが、ガルシアは何のことか全く分かっていない。それというのも、イワンとサスロからはマーセナス家が『箱』の真実を知る数少ない存在であることどころか、『箱』そのものについても全くと言っていい程話を回されなかったからだ。

 イワンもサスロも、ローナンがガルシアに接触する可能性が高いことは承知していたが、ジオン主義(ジオニズム)など歯牙にもかけぬガルシアと言えど、下手に情報を与えれば『箱』の力に飲まれかねない事を危惧してのことであった。

 

“『箱』だの『事件』だのと、特定のワードを出せばそれらしく振舞って躱せとは命じられたが……“

 

 触れるべきでない案件だと理解できる反面、最低限の情報さえ回さぬということは、それだけ厄介な問題だということも嫌でも察せられた。

 何より移民政策を実行し、世界の人種を地球居住者(アースノイド)宇宙移民(スペースノイド)に二分させた系譜の遺産だ。ザビ家のみならずイワンが釘を刺してきた以上、それがどれだけ重要な問題かは大凡だが察せてしまう。

 

“おそらくだが……現在に通ずる移民問題における、連邦側の不都合な真実……一時政権が覆るだけでなく、連邦政府そのものに累が及ぶ類の爆弾だろうな”

 

 そうした危険物でもなければ、中央議員の椅子に後の世代全員が座り続けつつ、強大な発言力と権力基盤を維持できる筈もない。

 父祖がどれだけ強大な権力基盤を構築しようと、後世の台頭には他者からの蹴り落としがセットでついて回るもの。

 強大な議員一党が常に何かしらのスキャンダルに晒され、一時的に中央の椅子を明け渡さざるを得ない蠱毒の世界で、政治的不可侵(アンタッチャブル)の不文律を成立させるのは、純粋な権謀術数だけでは不可能なのだから、それを実現させているという時点で劇薬ぶりは嫌でも知れる。

 

“全く、そんなもんを探った日にはどうなることか”

 

 事前にサスロ機関からこと細かに発言内容は盗聴し、記録しておくとまで伝えられている以上、この案件は決して深入りすべきではない。

 手に余る爆弾は他所で処理してくれというのがガルシアの本音であり、己が栄達に寄与しないどころか、妨げになりそうな案件など手早く片付けてから酒を飲んで忘れたいところであった。

 尤も、そうした浅ましさと場を読めるだけの頭脳を持ちえていると看破されたからこそ、イワンもサスロも敢えて余計な情報を渡さぬ方が、上手く立ち回ってくれるだろうと踏んだ面もあるのだが。

 

「既にしてジオン公国が、当家の遺産以上の物……口伝でなく『現物』を所持している事は私も掴んでいます」

 

 だが、『箱』を使用する時、或いは使用した後で『真実』だということを後押しする者は必要だとローナンは語る。既にして『箱』の現物と、その内容を知るアナハイム役員が傍に控えている以上、遠からず『箱』の中身が世界に知れ渡ることは避けられない。

 ならばこそ、『箱』がその利用価値を持つ内に、交渉材料に用いたいというローナンの思惑はガルシアにも、横で拝聴するに留めていたガルマにも理解できる事だった。

 

「要求は?」

「北米人の全てとは言いません。しかし、資産の心許ない者にも宇宙移民(スペースノイド)として発展目覚しいサイドないしは、月面への市民権を与えていただきたい」

 

 唾を吐き捨ててやりたくなった衝動をガルシアは必死に抑える。

 棄民政策によってゴミを捨てるように人間を宇宙に投げ捨てておきながら、いざ自分達が危うくなれば沈み行く船から逃げ出す鼠のようにコロニーに……しかも、連邦からの圧力に抗い、努力を重ねて国家としての体を最低限成しているサイドへ、特権階級としての恩恵を享け続けた地球居住者(アースノイド)を逃がしたいと言ってきたのだ。

 

“偽善にも程があるというものではないか”

 

 確かに地球居住者(アースノイド)と言えども、そこには貧富の差があり、持つ者と持たざる者は存在する。しかしだ。その提案を持ちかけてきたローナンは、そうした格差を捨て置いてきた側であり、開戦までジオン公国や宇宙移民(スペースノイド)を擁護していた訳ではない。

 それでありながら旗色が悪いと見るや人道的見地からの交渉を持ちかけ、さも高尚な人間であるかのように見せてくるというのは、欲目に駆られた人間以上に腹立たしい。特に……。

 

「ローナン議員は、移民評議会に席を置いておりましたな」

 

 棄民政策を推進し、実行し続けた立場の中央議員様が持ちかけるには、些か虫の良過ぎる提案ではないか? と苦言を呈するも、ローナンは眉一つ動かすことなく首肯して見せた。

 

「過ぎた要望であることも、傲慢である事も承知しておりますとも。しかし、宇宙に上がりたくても上がれない人種と言うものも一定数いるものです」

 

 宇宙への強制移民は、それに伴う費用を財産の強制没収と言う形で賄っているものの、中には資産が少ないことから移民対象から外れるケースも多い。

 特に悲惨であるのは、それによって世帯を分けて宇宙に飛ばされる者達だろう。碌な便りもなく、残された資産も僅かで、爪に火を灯すような生活を強いられる世帯にとっては、一目家族にと願う者は多い。

 

「目の前の生活や家族しか見れぬ人間を、差別主義者と一括りに地球居住者(アースノイド)と呼称はできますまい」

「ならば、ローナン議員が持ち前の影響力で彼らを宇宙に上げてやるべきでしたな」

 

 一体何故連邦の不手際で、老い先短く労働力にもならん人間を宇宙に上げてやらねばならないのかと言う話だ。たとえ差別主義者であったとしても、今後も影響力や資産を保持しえる有権者の方が、余程価値があると言うものではないかと反駁すれば、ローナン議員は肩を竦めた。

 

「確かに。しかし、そうした人間の中に『政治的に使える()()()』者も幾人かは『偶然』居るでしょう。勿論、身元も確かな者たちですし労働力にもなるでしょう」

「ああ」

 

 詰まるところ、連邦政府の非道を訴えられるような立場の人間(プロパガンダ)を回してやると言いたいらしい。

 中々の売国奴ぶりだと言いたいところだが、ローナンに限らず、中央政府より地元民を優先する手合いはヨーゼフで慣れている。

 伝統を有する土地の有権者と言うものは、領地を担う貴族がそうであったように、領民こそを護るべき対象として見るのだろう。

 連邦政府という統一政権が誕生し、地球を平定すれど、その地に根ざす人間の精神までは大きく変革することは無かったようである。

 尤も、自国民のためでなく己が栄達と特権の為に中央議員の椅子を占める連中と比すれば、ヨーゼフやローナンの方が遥かにマシな手合いである事は事実であるが。

 

「本国に掛け合い、可能な限り善処して貰うよう務めましょう」

「十分です」

 

 短くも朗らかに返して見せたのは、公国が乗るだろうという明確な自信があってのものだろう。尤も、今後移送することになる人員の数次第ではローナン側に譲歩を迫るのは予測できる事ではあるし、優先されるべきは現地協力者や特定技能を保有した若い人間であるのだから、『足手纏い(ろうじんたち)』が後に回されることは間違いない。

 

“それも踏まえて「自分は最善を尽くした」と言い張れる下地ができれば十分だろうよ”

 

 この交渉がなければ、北米方面軍は現地協力者を除いたほぼ全ての人間を撤退する段になれば見放したであろうし、少なくともガルシアは見放す気でいた。

 それを考えれば、偽善と誹られようが唾を吐き捨てられようが、『やらない偽善より、やる偽善』に行動に移した時点でローナンは評価されるべきだろう。

 何であれば他の北米有力者たちのように、民草のことなど知ったことかと荷を括って逃げの一手を打つことも十分できたのだから。

 

“今後、水や酸素といった物資を輸送する往復便に便乗する形で、キャリフォルニアベースから移民を運搬する事になるだろうな”

 

 北米は安定しているとはいえ、軍需物資の輸送や前線将兵の『入れ替え』も含め、常に寸分の狂いもないダイアを要求されている宇宙港と現場には悪いが、それでも『遺産』の正当性とやらが要求と釣り合うことになれば、ローナンの要求は吞まねばなるまい。

 

“生き別れた家族との身元の照合もせにゃならん、現場が不憫でならんわ……全く、好き勝手に宇宙に投げ捨てておきながら、余計な仕事を増やしてくれたもんだ”

 

 我が身の安全や後の生活と言った、分かり易いものを提示すればいいものをと思いつつ、ガルシアはそれを顔に出すことはせず、フォークとナイフを進めた。

 

 

     ◇

 

 

「お加減が優れませんかな?」

 

 会食を終え、美酒美食で満たした幸福な腹を抱えて乗り込んだ高級車で、目聡く物憂げな表情を浮かべたガルマに、ガルシアが問う。

 ガルマからして見れば半ば蚊帳の外に置かれたような状況下であったものの、元より今回の会食とそれに伴う交渉は司令官たるガルシアに一任されており、あくまでガルマは副官として──そうでなければ、一国の王族との会食などおいそれと叶うことではない──侍るという名目での同行であったのだから当然だろう。

 ガルシアにしたところであくまで仲介役として話を伺ったに過ぎず、決定権など殆ど持ち合わせていなかったのだから、己の主張を口に出来なかったとしても恥じ入ることは何もないと、そのように口にしかけたが、ガルマは頭を振った。

 

「そうではないのです……夫人がマーセナス家の長女に目配せした時、ああも露骨に表情を変えてしまったことが……」

「確かに、あれは失点でありましたな。しかし、気に病むことは御座いますまい」

 

 夫人も本気で推した訳でないことは、ローナンの対応や場の雰囲気で十二分に察せられる。あと数年もすればどう転ぶかは分からないが、少なくとも現状は『そういう話もあるのだ』と心に留めておくだけで十分だ。

 

「見たところあれは中々の華に育つでしょうし、後々(そく)を設ける上でも……」

「……そのことなのだが」

 

 歯切れが悪く、しかしあまり話題にしたくないという風に運転席を見やるが、ガルシアは気にせずとも問題ないことを手振りで示す。運転兵も親衛隊から選りすぐっている以上、口の堅さは折り紙付きだ。

 

「殿下。全て胸の裡に留めます故、是非臣にご相談下され」

「……済まない。エッシェンバッハ家の息女を覚えておいでだろうか?」

「勿論。殿下の御手を取る栄誉に見合う、美しい女性でありましたな」

 

 話を振られ、イセリナ・エッシェンバッハの名が出た瞬間、ガルシアの笑みが嫌らしい俗物らしさに満ち満ちたものに切り替わる。

 

“このお坊ちゃんめ、中々に年頃らしい面を見せよってからに……実に良いぞ、権力を用いて存分に女を扱う手管というものを仕込んでやろうではないか”

 

 そうすれば、己の女遊びも公然とできるし、ザビ家の世継ぎを多く残すというある種最も重要な大功を果たして見せたという点でも、ガルシアの評価は上がるだろう。

 何より前途ある青年に悪い遊びを教えるというのは、年長として中々に愉しめるもの。是非女のもたらす快楽の味に溺れてくれと、鼻の穴を引くつかせながら下品な笑みを深め──

 

「……私は、イセリナ嬢と正式に婚約したいと考えているのだ」

 

“うげぼあばぁぁぁぁぁぁっぁっぁぁっぁ……!? オロロロッロロロオロロ……!!”

 

 と、備え付けのエチケット袋にありったけのゲロをぶちまけたくなったのを根性で呑み込んだ。

 エッシェンバッハ家は確かに名家だろうが、所詮は一市長風情の家柄の娘に過ぎない。(そく)を設けて私的な恋愛を存分に愉しむ分には文句など何一つありはしないが、この口ぶりは間違いなく正室として迎えたいという意味合いであろうし、側室を設けるという発想自体頭にないことは間違いなかった。

 ……つまり……。

 

“冗談ではない!? 何故俺がこんな爆弾を抱えねばならんのだ……!?”

 

 田舎娘に見初めた王子を諫めねばならない臣下というものは、おそらくこうした思いだったのだろうとらしくもなければ似合いもしない感想をガルシアは抱いたが、所詮それは現実逃避に過ぎず、可及的かつ速やかに問い質さねばならないことは山程ある。

 

“何時からだ!? 一体いつからそんな感情を抱くようになった!?”

 

 少なくとも副官として軍務に励んでいる中で、人目を忍んで逢瀬を重ねているということは無かった筈だ。というより、公王家の末弟にそんな気配があれば親衛隊とサスロ機関が確実に動くし、それとなくガルシアの耳にも届く。

 相手の人となりも知らず、見目麗しい女に岡惚れしただけだというなら、まだ救いは有る。問題は……。

 

「その、将軍を見習ってイセリナ嬢と私信でやり取りをするうちに、な……イセリナ嬢も、この恋に障害が多いことは承知しているが、それでも私を好いてくれている」

 

“……運転手、今すぐ車窓を開けろ。俺の胃はもう限界だ”

 

 エチケット袋と言わず、窓から垂れ流してしまいたい気持ちを堪えつつ、耳を傾け続けた。

 よりにもよって自分のやり方を真似てのことで、私信に関しては口の堅い親衛隊に運ばせたそうである。

 よもや自分の行動がガルマの私生活に悪影響を及ぼしたとは信じ難く、同時にイワンの忠告が脳裏を過ぎる。

 

『将軍。ガルマ殿下は未だ若く、多感な時期だ……くれぐれも、殿下が悪影響など及ばぬよう留意してくれ』

 

 多感な時期の青年が、己に影響を受けて良からぬ方向に転んだと、箇条書きにしてしまえばガルシアの不手際で良からぬ事態を招いたとも取れる流れは、はっきり言って悪夢以外の何物でもなかった。

 

「しょ、正直に申し上げて意外でしたな……私などは、アルテイシア様こそ殿下のお相手に相応しいと常々思っておりましたので」

 

 これはガルシアが、というより、大多数の公国国民がそのように捉えていたことである。ダイクンの血を継ぐ長女ともなれば当然相応しいのはザビ家ぐらいであろうし、齢も近く美男子に成長したガルマとなら、誰もが納得できる組み合わせであったからだ。

 

「確かにアルテイシア様とは今も懇意にしているし私信のやり取りも欠かしていないが、彼女は私にそうした感情を抱いていないよ」

 

 幼少のみぎり友誼を深めたというが、距離が近すぎて恋愛関係に発展しなかったという悪例を見せつけられたガルシアにしてみれば堪ったものではなかった。

 家柄的にも年齢的にも正妻に相応しい相手が宙に浮いているというだけでなく、下手にアルテイシアがそれなりの名家と結ばれるような事態に陥れば、将来的にダイクンの血と名を利用した謀反が発生しかねない。

 アルテイシア自身にその気がなく、権力の移譲が恙無く行われたと言っても、後の世代が問題を起こさない可能性は何処にもないのだから。

 

“そうならぬ為にも、恋愛感情など無視してダイクンの娘と縁談を結べば八方丸く収まるというのに……!”

 

 一体何故、ザビ家の男達は庶子や格下の娘御ばかり見初めてしまうのか。己の出自を弁えて嫁ぐ長女(キシリア)の爪の垢を煎じて飲ませたい思いでガルシアの胸中は満ち満ちていたが、爆弾を投下したガルマは、助けを乞うようにガルシアを見ていた。

 

“……やめろ、こっちを見るな!”

 

 臣として相談に乗ると常日頃から口にしておきながら、いざ爆弾を投げられた瞬間にこのような本音を内心叫ぶのだから都合の良い物である。

 しかし、吐いた唾は呑めぬし前言の撤回など出来る筈もない。前途ある青年というものは、頼れる大人を頼ってしまうものなのだ……実際に頼りになるかは別としても。

 

「将軍、兄上達を説得してくれとまでは言わない……どうか兄上達に、私とイセリナ嬢との仲を取り持てる足がかりとなれるよう、それとなく話してはくれないだろうか?」

 

 余りに高すぎるハードルの高さは、高層ビルを地面から眺める心地であった。しかし、繰り言だが相談に乗ると常日頃豪語していたのはガルシアだ。逃げ道は無い。

 

「……殿下の臣として、最善を尽くさせていただく所存にございます」

「──ありがとう」

 

 晴れやかな面持ちのガルマに対し、ガルシアの表情は何処までも青く──総司令部に到着してから、ガルシアは便所で三回吐いた。

 




 持ち上げるという行為はね、より高い場所から蹴り落とす為にやるんだ(愉悦)
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