宇宙(そら)に掲ぐ旗の名は   作:c.m.

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58 絵本の騎士

 ──貴方は特別な人間なのよ。

 

 亡き母の言葉が呪いとなったのか。それとも清廉な祈りのまま、今の自分を作る骨子となってくれたのかは、今日という日に振り返ったとしてもマレットには分からない。

 けれど。大切な母の言葉だからこそ誰よりそれを重く受け止めていたという自覚と、母の言葉を嘘にしない為の自負を抱き続けていたのは確かだろう。

 

 ──……だから、俺は。

 

 頑張るんだと。両親に先立たれてからも、マレットは母の言葉を真実にし続けた。

 孤児院の生活は不自由もあったが、それでもムンゾは──来るべき戦争に備えるためという打算もあったにせよ──次代を担う子供たちへの教育が手厚かったこともあり、研鑽を積むだけの環境は十二分に整えられていた。

 何より、身体を作る上で重要な食事量も厳正に管理されていたのは、環境によって人生を左右される幼少期にあっては、恵まれていたのは確かだろう。

 特に、マレットのように堅実に生きる、向上心旺盛な子供というものは良くも悪くも目に留まる。重ねた努力、子供らしい幼少期を早熟さによって塗り潰しながら進んだマレットの日々は、サンギーヌ家の養子として迎えられることで日の目を見た。

 爵位を有するムンゾの名家……跡取り不在のまま閉門を余儀なくされかけた子爵家に加わったマレット・サンギーヌは、そのまま上流階級の通う名門校に編入され、日々を勉学と習い事に注ぎ込むことになったが、それ自体に不満はなかった。

 新たな家と望外の地位を得ることとなった我が身は、明日も知れぬ孤児達と比べれば、宝くじが当たったようなものなのだから当然だ。

 故に、求められる以上の期待には応えねばならない。自分以上に優れた子供が新たに養子として迎えられ、スペアかそれ以下の扱いに転落することだけは、絶対に避けねばならなかったから。

 

 ──俺はこいつらとは違う。

 

 生まれながらに恵まれた連中とは、貴顕の出自というだけでガキらしい馬鹿な笑いを弾ませている連中とは違うのだと、いつも眉間に皺寄せながら、黙々と勉学に勤しんでいたものだった──それが、変わったのは。

 

「──ひっどい仏頂面ね。幸せが逃げちゃうわよ?」

 

 そんな、余計な世話だと思わず睨みたくなるような……いや、事実睨んでいただろう幼いマレットに気後れの一つも見せず、腰に手を当てて困った顔をした、橙色の髪の少女。

 名門中の名門……ここに通うなら誰一人として知らぬ者のないザビ家の長女が、机を挟んで正面に立っていた。

 

「……何か御用でしょうか?」

「? 特にないけど? ていうか、用がなくちゃ同級生とも話せないの? 大丈夫? 友達ゼロ人とか寂しくない?」

 

 思わず手を上げたくなるほどずけずけと言ってくれる少女に、本当に余計なお世話だと内心溜め息を吐いた。こういう手合いは本当に苛立つが、だからと言って邪険に扱うには家格に差が有り過ぎる。

 自分は見ての通り忙しいのだとキーボードを叩こうとしたが、次の瞬間には頬を両手で挟まれていた。

 

“あ……”

 

 不覚にも、距離を取ろうとした相手を見つめてしまった。そして、“温かい”と手の温もりを思わず感じ取ってしまった。

 大きな、オニキスのように輝く愛らしい黒瞳が飛び込み、香水とは異なる少女特有の甘い香りが鼻腔をくすぐる。

 

「勉強、誰より頑張ってるのは見てて知ってるけど、それだけじゃ駄目よ? 学校は、友達の作り方も学べる場所なんだから」

「────」

 

 まるで女教諭か、ずっと年上の女性のように諭す少女に、マレットは何も言い返せなかった。両の頬に触れ続ける手も、振り払う事さえできずに固まってしまった。

 

「だから、私が友達一号になってあげる! ご飯まだでしょ? 一緒に食べましょ!」

「自分に友がいない前提で、話を進めないで下さいませんか?」

「え!? 嘘、いるの!? どう見てもボッチのオーラ出てたじゃない!? ホントならその子も呼びなさいよ、多分見栄張ってるだけだと思うけど!」

「……実は、その通りです。ですが、友の数については、貴女も他人のことは言えないのでは?」

「失敬な」

 

 一体どっちが失敬なのか。間違いなくこの少女の方だろうと思いつつマレットは食堂に足を運ぶことになった。

 引かれた自分の手はやはり、少女の温もりが伝わってきていた。

 

 

     ◆

 

 

 何時からだろうか? 人の温もりに恋しさを覚えたのは?

 何時からだろうか? 人は孤高であるよりも、傍に誰かが居る安らぎを求める生き物だと気付かされるようになったのは?

 

 少女──キシリア・ザビはマレット・サンギーヌの心を温もりで溶かした。

 

 おせっかいで、明るくて、お調子者で、周囲を振り回しがちな癖、相手が本当に嫌がることだけは絶対にしなくて……ずっと、正しいことを正しいまま出来る女の子だった。

 いつも何処かで、困っている子供に手を差し伸べてくれる、心優しい女の子だった。

 

「ふふっ。笑顔の作り方ぐらいは、覚えられるようになったみたいね」

「……はい」

 

 恥ずかしい限りだと思う。名家の人間として、爵位を持つ貴顕の姓を持ち得ながら、マレットはただ己を高める事しか頭になかった。

 他者と違うのだと、特別であるために上り詰めねばならないと言う克己心を持っていても、真に貴顕として大切な、特別な人間として有すべき、人と向き合い、導き、護ろうとする心根が欠けていた。

 

“……これで、どう特別になる気だったのだろうな”

 

 未来を背負いなさいと、母は言っていたではないか。

 このムンゾに生きている一人一人の為、未来の為に進むのに、どうして他者を下に見て、自分が上へ上へと進むのだと驕り昂ってしまっていたのだろう?

 耳を塞ぎ、眼を背け、外界と壁を作りながら、どうして特別になれるという? 人の営みを風で感じ、耳を澄まし、目に映るものこそ、自分が守り、背負わねばならない未来ではなかったのか?

 

「今は……自分が情けないと感じています」

「駄目よ、そんなこと言っちゃ」

 

 苦笑するのでなく、真っ直ぐに見つめてキシリアは静かに叱る。

 

「貴方がずっと、努力してきたのは知ってるわ。下らない悪さや喧嘩なんてせずに、勉強も運動も真面目に取り組んで来たじゃない。悪かったって思えるところを恥ずかしがるのは良いことだけど、それを直せたなら立派に胸を張りなさい」

 

 そうすれば──

 

「──貴方は多くの人にとって、『特別』な方になれるわ」

 

“……嗚呼”

 

 その言葉が、胸を打つ。その純粋さが、鼓動を早める。思わず瞳から一筋の雫が伝いそうになるのを堪えて、食い縛りかけた歯を見せぬように、マレットは真っ直ぐキシリアを見つめ返す。

 だって、気付かされたのだ。理解してしまったのだ。今、マレット・サンギーヌはどうしようもない程に、この想いを打ち明けねばならないという衝動に駆られてしまった。

 

「ありがとうございます。ですが、キシリア様……ですが、自分は貴女にこそ、特別な存在として見られたいのです」

 

 斜に構え、世を見ていた自分。慣れ合わぬことを強者の美徳として、人と遠ざかるばかりだった過去の自分。そうした自分を変えてくれた女の子にはっきりと。心に芽生えた、偽らざる想いを打ち明けた。

 

「────」

 

 キシリアは何も言わない。いや……言わせてくれているのだろう。同い年の、一〇にしかならない小僧の拙い言葉であっても、それが心からのものだと分かったから。

 

「自分という個人が、ザビ家と及びもつかぬ卑賎の出自であることも、サンギーヌ家の家格とでさえ釣り合わぬ身分であることは重々承知しております」

 

 この想いが、届かないことは理解している。それでも今は子供同士として。一人の男女として、どうしても全てを告白したかったから。

 

「それでも──、マレット・サンギーヌは貴女をお慕いしています」

 

 唐突で、拙くて、真っ直ぐに見つめながらも、同時に返す言葉に恐れを抱いて揺れるマレットに向顔(こうがん)するキシリアは、その全てを受け止めて──

 

「ありがとう──だけど、ごめんなさい」

 

 淑女としての感謝と、女としての、偽らざる返事を同時に告げた。

 

「私には、婚約者が出来たの」

 

 出来た……その言葉が、マレットの胸を抉って行く。きっと、おそらくはつい最近のことなのだろう。そんな素振りなんて一つも見せなかったし、同じ年頃の子女とでさえ、浮ついた話どころか表情さえ、キシリアは見せて来なかったから。

 

“なら……もしも……”

 

 もっと早く、自分から接していれば。この、誰より素敵だと思える女の子に想いを告げていたなら、変わったのだろうか? 何より……

 

「……それは、キシリア様ご自身も、納得できる婚約なのですか?」

 

 なんと未練に満ちた男の言葉だろう。往生際も、諦めも悪いガキだとはマレット自身頭では分かっている。だけど、けれど、本当に好きなんだ。

 そんな風に、家のしがらみだのなんだので諦めきれるほど、大人にはなり切れていないから。嗚呼、なのに……。

 

「うん……齢は離れてるけど、私、ずっと好きだったんだって。その人の顔を思い出す度に、気付くの」

 

 微かに赤らんだ頬も、俯きがちな顔の中に見れる喜の色も、全てがマレットを惨めにさせた。

 

“……認めよう。これが、望まぬ婚約であって欲しかったのだと”

 

 今はまだ幼く、無力なガキであったのだとしても、いつかマレットは、この少女を連れ去り、何処か遠くで寄り添い合えたならと、そんな浅ましい願望を抱いたのだ。

 だが結果は、現実は寝所で耽る妄想の様には行かない。家としても、男女の間柄としても、意中の相手はそこに何一つ不満を抱いていなかった。

 むしろ、自分の運命全てを幸運のものとして受け入れている。マレットがその間に入り込む余地など、それこそ不幸が起きてキシリアの婚約者とやらが死ぬぐらいでしか有り得ない。いや。仮にそうなったとしても、キシリアはきっと自分の元へは来てくれないと、分かってしまう。

 どれだけ天真爛漫で、ムードメーカーらしさを作っていても、キシリアの芯は揺らがない。相手の、マレットの心にしっかりと向き合ってくれたように。自分の心にもしっかりと向き合って、抱いた愛を貫いて、人生の幕を下ろすのだろうと分かってしまう。

 だって、そんな女の子だと伝わったからこそ、マレット・サンギーヌは恋をしたのだ。

 

 ……──叶わない、恋をしたのだ。

 

「お慶び……、申し上げます」

 

 だから。今のマレットに出来るのは、涙を堪えてキシリアの幸せを寿ぐことだけだった。見苦しく、みっともなく、自分を変えてくれた少女が、不幸な婚姻であって欲しいなどと浅ましくも愚かな願望を抱き、ましてやそれを口にした大馬鹿からの祝福など、どの口でと責められたとて文句は言えまい。

 だけど、けれど、そんなマレットに、キシリアは優しく手を握ってくれた。

 

「ありがとう。嬉しかったのは、本当よ。だって、初めてだったんですもの」

 

 こんな風に真っ直ぐに告白されたのは、キシリアの人生には一度としてなかったことだったから。柄にもなく、慌ててしまいそうになってしまったから。

 

「だから、貴方は貴方で、ちゃんと幸せになって。その為に私が出来ることがあるなら、必ず力になるわ。──勿論、浮気は駄目だけどね?」

 

 最後の最後まで、この少女は少女らしさを忘れず、言葉を付け加えた。

 本当なら、ここで頷くべきなのだろう。キシリアにとっても、マレットにとっても、大人になった時、これが美しい思い出のまま、振り返った時に輝く宝石のような、一瞬の煌めきとして覚えていられたのなら、それで良い筈だ。

 だけど、この時のマレットは、そうしなかった。

 

「なら……どうか。どうか自分を、覚えていてください」

「……そうね。覚えていないとね」

 

 忘れないと、キシリアははっきり応えることも容易かっただろう。

 忘れるような不義理など、決して犯しはしなかったし、瞳を閉じれば、何時だとてマレットとの一幕を思い出せるだろう。けれど、マレットの望みを叶えて上げたくなったから。

 純粋な少年の想いに、僅かながらにでも報いて上げたくなったから、続きを促す。

 

「これを受け取って下さい。自分の、最愛の母の形見です」

 

 ポケットから取り出したのは、赤い宝石の美しい、小ぶりなピアスだった。

 

「この学び舎を離れれば、お会いする機会など、おそらく遠いものとなってしまうでしょう。ですが、どれだけ遠くとも、貴女がそれを付けている姿を何処かで見れたなら、思い残すことは有りません」

 

 だから、受け取って欲しい。忘れないで欲しいという想いを、確かな形で示したいと希うマレットに、キシリアは小さく頭を振って、マレットの手に自分の手を重ねる。

 開かれた掌に乗るピアスを、そっとマレット自身の手で包み込ませる為に。

 

「これは、貴方のお母さんと貴方を繋ぐ大事な物……お母さんの思い出を、私の思い出で塗り潰さないで上げて」

 

 それを、迂遠な拒絶の言い回しでしかないと受け取ることもできただろう。嫌だと、言外に示したようにも聞こえただろう。だけど、マレットはそうは思わない。

 だって、キシリアの瞳は真っ直ぐなのだ。他意など一切なく、心からマレットの母を想うが故に出た言葉なのだと、魂で理解できる、そんな優しい声音だったから。

 

「だから、こうしましょう? 貴方が大人になった時、私は赤い耳飾りを付けて公の場に出るわ」

 

 人の目に触れる時。マレットが何処に居ても必ず気付けるように、赤い宝石で耳を飾ろう。

 

「誓うわ──キシリア・ザビは、マレット・サンギーヌを決して忘れないと。たとえ貴方が私を忘れて、違う愛を見つけるのだとしても、決してこの約束を違えない」

 

 重ねた手に力を込めて。愛する男女の様に見つめ合って、厳かに誓いを口にした。

 どれだけ叶わぬ恋だとしても、ただ、惨めな失恋を慰撫するものでしかないと理解していても、その誓約がマレットの心を満たしてくれた。

 終わらせるべき初恋を続けさせてくれることに感謝して、マレットはその場で跪く。

 

「キシリア様に誓います──貴方の思い出と、誓約に相応しい騎士になると。必ず、この国を救うに足る、特別な男となると」

 

 惨めな敗者の分際で、絵本の騎士の真似事をしようなどと、分不相応にも程がある。だけど、キシリアはそれを笑わない。決して軽んじたりしないと知っていたからこそ、マレットは恥ずかしげもなく、夢見た未来を誓約したのだ。

 

「──信じているわ、マレット・サンギーヌ」

 

 だからこそ、その言葉に報われた。その言葉に明日を見た。

 ただ闇雲に、秀でた人間になる事を目指すのでなく、キシリア・ザビに相応しい、真に特別な男になるのだと決意を胸に抱いて進もう。

 どれだけの未来が待つのだとしても、決して彼女に恥じない男になろうと、この日の思い出と共に歩んで行こうと、この時のマレットは無邪気な決意を固めていた。

 

 ──キシリア・ザビが眠り姫になったのは、それから二年後のことだった。

 

 

     ◆

 

 

 積み上げた研鑽。血の汗を全身から流すほどの、未来に向けた努力……その全てが絶望の二文字で塗り潰され、しかしマレットは、そこで膝をつくことだけはしなかった。

 魂を曇らせることだけは、立ち止まることだけはしてはならないと、全身に活を入れて踏み止まった。

 

“認めて、なるものか……!!”

 

 キシリア・ザビは天の国に旅立ってなどいない。ただ眠っているだけだ。ならば自分は彼女が目覚めた時、全てを栄光の二文字で飾り付けよう。

 連邦の圧政も、不当な支配も存在しない、理想国家を届けよう。世界に冠たる無二の旗は、我らがジオン以外に存在しない。

 如何なる敵が待ち受けようと、マレット・サンギーヌが勝利を『祖国』にもたらすのだと、決意も新たに奮起した。

 他の貴顕同様士官学校の門を叩き、誰より研鑽を重ね、誰より優秀な成績を挙げ──二年目に、奴が来た。

 キシリアの弟、ガルマ・ザビの入学に合わせてやってきた教官を、マレットは顔を合わせずとも知っていた。

 

“イワン……、ターザ・A・ヨーク”

 

 ザビ家の懐刀にして、ヨーク家次期当主──そして、この男こそがキシリアの婚約者だという事も、貴顕の出であれば誰もが承知している事ではあった。

 だが、初めて間近で見た時、マレットは思わず息を呑んだ。

 その、泥のような瞳に恐れを抱いたからか? 否。

 その、軍人としての空気に飲まれたからか? 否。

 

“ふざけるな……、ふざけるなよ貴様! 一体何処までっ……!!”

 

 俺と被るのだ、と。マレットは思わず歯噛みした。

 分かるのだ……同じ女を愛した男として。

 その泥のような、何人も恐れさせるような濁った瞳には、未来を見据えて動きながらも、微かな悲しみの色が見えた。

 軍人として、将校として、怜悧冷徹な決断を下す者が纏う空気は、誰より未来に対して責任を負うという心構えから来るものだと理解できた。

 

 だからこそ、マレットには悔しかった。

 

 同じように想い、同じように苦しみ、同じように未来を掴むべく奮起していた。

 ならば、どうして自分(マレット)この男(イワン)に差が生まれたのだ。

 もしも同じ時に生まれ、同じように機会があったのならと悔やみつつも、同時にこの男が、自分に無いものを持っていることも否応なしに示されていく。

 

 ただ遮二無二未来を掴むべく奮闘するだけのマレットとは違い、イワンは常に教官として周囲を見続けていた。

 キシリアがそうであったように、悩む者、躓く者に手を差し伸べた。

 たとえそれが自分を恐れ、遠ざける手合いであったとしても、イワンは一人一人の将来と向き合い、最善を尽くすべく動いていた。

 

“たとえそれが、教官としての職務に過ぎず、俺が学徒として教えを乞うて研鑽を積まねばならない立場だとしても”

 

 キシリアが眠ったその日から、マレットはまた、知らず昔の自分に戻ってしまっていた。勝利を愛しい女性に捧げるため。目覚めたその日に全てを幸福で満たすためと……そう誓いながら、かつての救われた自分自身の心を置き去りにしていた。

 

“だが……。俺に、そんな余裕はなかった”

 

 必死で在らねば。喰らいつかねば首席の座を得ることは困難だった。

 マレットがそうであるように、士官学校に集う誰もが『特別』足らんと邁進する俊英だ。未来の将校として紐帯精神を培い、同胞愛を築かねばならないことは理解していても、周囲に対して必要以上に気を回すことが出来る程、マレットは決して『特別』ではなかった。

 

“奴が……遠い……”

 

 イワンの顔を遠巻きから見る度に、マレットは現実を叩きつけられる。

 何故あの男は、ああも年下の、軍人としては鼻たれ以下の小僧共に親身になれるのだ?

 どうして、まるで少年少女一人一人を、物語の登場人物か何かのように、敬する視線で見つめ、その一助を担おうと奮起できるのだ?

 

“分かっている……それが『特別』ということなのだと言うぐらい”

 

 そんな男だからこそ、保安隊時代から英雄として敬されてきたのだ。

 そんな男だからこそ、最愛の女性は惚れたのだ。

 

 何処までも被る、自分と恋敵の想い。

 何処までも離れた、自分と恋敵の差。

 

 どうして世界は、こうも残酷なのだろうか?

 初恋は実らず、最愛の少女が愛した男は、自分自身が最もなりたいと思える『特別』で、それを何処までも近くで見る度に、自分の矮小さを思い知るしかなくて……。

 

“認めよう……俺は、同じ過ちを繰り返したのだ”

 

 愛した少女の男が、下賎であって欲しいと思ったのだ。己が栄達のための政略結婚としてキシリアを婚約者とし、何処かで公私を混同してくれる事を期待してしまっていたのだ。

 それが恋敵(イワン)だけでなく──、恋敵(イワン)を愛したキシリア・ザビへの侮辱になると分かっていた筈なのに。

 胸を掻き毟りたくなる衝動を抑えながら、それでもマレットは進み続けた。

 首席の座は一度として誰かに明け渡すことなく卒業式を迎え、卒業式式典ではギレンから直々に首席の短剣さえ受け取った。

 だが、マレットは決してその位置で満足しない。士官学校の首席など、所詮は毎年必ず現れる英才という程度なのだ。

 

“だから、これは一歩だ”

 

 黒と銀に彩られ、剣帯の鎖にさえ細緻なエングレービングの施された両刃の短剣を腰に留めて前を向く。

 

「おめでとう。君の将来に期待している」

 

 そう言祝ぐイワンの心に、一片の曇りも他意もないのだろう。イワンにとってのマレットとは特に出来の良い教え子であり、将校としての道を嘱望するに足る人材でしかない。

 

“なら──、俺は何時か貴方の想像を超えて見せよう”

 

 所詮それが、男の嫉妬から来たものであることは、マレット自身承知している。

 キシリアの身も心も、全て自分の手に委ねられる事はないからこそ、せめてという一念で動いているに過ぎないのだということは自覚していた。

 それでも──今はまだ巣立ちを控える若鳥に過ぎずとも、何時の日か必ずや、何か一つであってもイワン・ヨークを超えてみせる。

 それは智謀であっても良いし、武勲であっても良い。

 この、誰からも畏敬の念で以って迎えられる男を超えられなければ、マレットはキシリアに男として顔向けできない。

 何故ならマレットのなりたい特別とは、キシリアに相応しい男となることだった。

 ならせめて、一つでもこの恋敵より秀でた男にならずして、どうして自分が初恋の少女に、キシリアの思い出に自分は相応しかったと胸を張れるのか。

 

“あの方の思い出を、決して取るに足らぬものにはしない”

 

 それこそが、マレット・サンギーヌの誓い。今も想う姫君に捧ぐ、確かな初恋の形なのだから。

 




キャスバル坊や「どうして僕の時は告白を茶化されたんですかキシリア様!?」
キシリア「……いやだって。あんたみたいな面倒臭いのに気のある素振りなんかしちゃったら、絶対勘違いして拗らせるの目に見えてるし(辛辣)」

 ロリキシリア様、下手に真面目に返したら不味い相手は、キッチリ見抜いた上で返答してた模様(残当)
 正直このマレット様の失恋イベントは、キシリア様をヒロインにするって決めてた初期からずっとやりたかったんや。イワン君と妙に曇り加減がダブるところ含めて。
 ホントは士官学校時代にマレット様出してもよかったけど、あそこで出したところでガルマ様とは一学年ずれてて活躍できないし、キャラが多くなるだけで混乱の元だからエピソードを丸々カットしてここに持ってきました。

※士官学校の首席卒業生に短剣が贈呈されるのは小説版『機動戦士ガンダム』3巻の設定です。デザインは不明だったので、安直に親衛隊名誉短剣(SS-Ehrendolch)のデザインをそのまま描写しました。
 なお原作だとガルマ様は首席じゃなかったけど、ザビ家の人間だからって理由で強引に渡された模様……あのさぁ。
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