宇宙(そら)に掲ぐ旗の名は   作:c.m.

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61 無二の主君

 真空の(おとのない)世界の中、砲撃の如く耳を弄する音の代わりとなる衝撃を、イワンとマレットの全身が襲った。

 

『御見事』

 

 バックパックだけは辛うじて守り抜いたものの、岩石に豪快に擦過したイワン機は右腕と右足がパージしている。

 本来は被弾からの誘爆を避けるための緊急解除ボルトが、ダメージ判定に従って強制的に肩と足の結合を解いたのだろう。

 頭部のメインカメラも、この衝撃であれば間違いなくフレームが歪んで破損しただろうという『判定』から、相応のダメージノイズが走っていた。

 そう……当たり前の話だが、本物の岩石に突っ込んだ訳ではない。そんな真似をした日には大事故は確定であるし、何より上官に対して殺人の意図ありと見做され、軍法会議の後に銃殺刑が妥当である。

 一定箇所に配置された岩石群は訓練用のダミー・バルーンで、実戦ではMSを隠す為の遮蔽物や、岩石と誤認させた上で誘爆させる機雷の役割を担う。

 今回のようなMS戦闘訓練においては障害物として設定した上で、遮蔽や隠蔽用に展開。MSが衝突した際の速度からダメージ計算して判定を出す仕組みである。

 

『まだ続けるかね?』

 

 だが、イワンの声に余裕があったのは、そうした安全対策を徹底されたが故の、命の危険が皆無であったからという訳ではない。

 仮に本物の岩石に突っ込んだとしても、マレットの躍進ぶりに対して裏表のない賞賛を舌に載せながら、同時にその先があるなら見せろと暗に問うだろうことをマレット自身確信しているし、だからこそマレットの答えは決まっている。

 

「無論ッ」

 

 このまま紅葉おろしの如く機体を擦過させ、コクピットにまでダメージを届かせて撃墜判定を捥ぎ取るべくバーニアを噴射するが、イワンは先程と異なり、鋭く躍って躱して見せた。

 あろうことか、片腕・片足が機能しない、AMBAC機動が十全に機能しない機体で!

 

『いいぞ──私を、本気にさせたな』

 

 後で手を抜いただの、訓練だったなどという逃げ道を語るつもりはない。

 だが同時に、この言葉にも嘘偽りなど一つとしてないことに、どっと汗が噴き出し、心臓が早鐘を打った。そして、マレットの顔が驚愕に歪むのはここからだ。

 

「……なぁっ!?」

 

 姿勢制御バーニアを用い、加速させての左中段廻し蹴り。

 動きに手負いの鈍さは微塵もない。狙いはヒートホークであり、アクト・ザクの手首ごと持って行った。

 新型も旧型も、手首から先はどう足掻いたところで強度に限界が出る。機体構造とスペックを把握し、利用するのはマレットも使った手だが、MSそのものをより深く熟知していたのは、やはり一日の長があるイワンの方だった。

 

“だがっ”

 

 部位破壊という選択肢はマレットも当然想定していた。全身を使用しての廻し蹴りだったイワン機は、そのまま流れを殺さず一周し、左手で抜いたヒートホークによる第二撃を放たんとしていたが、マレットの方が僅かに早い。

 余すとこなく神経が研ぎ澄まされる。全身にかかる加速の爽快感と共に予備のヒートホークがイワンのそれとぶつかり合うが、決して長くは続かない。

 鍔迫り合うかと思われた得物は、剣劇の如くマレットのヒートホークの上を滑り、そのままコクピットを潰しにかかったが、強引に捻ってマレットはそれを回避した。

 

“糞、やられたっ、ダメージはどうなっている!?”

 

 ダメージ・コントロールボードが告げた判定は中破(イエロー)。発報箇所の肘関節がダメージに応じてコントロールを制限してきたが、完全に破壊されていないなら幾らでもやりようはある。この相手が、それを見逃してくれるほど容易ければ、だが。

 

『本気だと言った筈だ』

 

 訓練であれば、実戦でも致命とならない隙程度なら腕や足をヒートホークで抉ることで減点を示す。しかしだ。勝敗など拘泥せず、指導者として徹するならばいざ知らず、尋常の戦いを望むとなれば、真っ先にコクピットを潰すに限る。

 

“ぐっ、ぃ、おお!!”

 

 機体の負荷もGも度外視して、操縦桿を強引に切った。強烈なGの急変で嘔吐中枢は刺激され、眼球が圧迫されて視界が濁る。

 死なねば安いと言うが、決して訓練で、ましてや強化体であっても許容範囲を逸脱した動きなど、実戦でなければすべきでない。

 だが、ことイワンとの勝負に限っては──

 

「負けられんのだ……決して、負ける気で挑んだ日など、一度としてなかった……!!」

 

 特別であるために? 或いは初恋の少女を攫った相手への対抗心として?

 それもあるが、それだけではない!

 

“たとえ長官に敗れ続けてきたとしても、俺自身が特別でなかったとしても、姫様は俺に落胆などしないだろう”

 

 優しく微笑み、努力を認め、止まらず進み続けたことを、立派だと褒めてくれるだろう。だが、だが、それでも……!!

 

“俺は、姫様の優しさに甘え続ける事は出来んッ!”

 

 あの笑顔に守られて、あの笑顔に癒されて、それを受け入れて一人満足するようで、一体どうして、初めて恋した少女に顔向けできる!?

 

「俺は……っ、示さねばならんのだ! 止まる訳に行かんのだ!」

 

 貴女を想い、貴女の為に生きたのは──決して甘えたいからではないのだと。自分は胸を張って生きているのだと、目覚めたお姫様に告げるために。この心臓の高鳴りも、魂の熱も、全てが想う心故の、心地よい苦しみであったから。

 

「たとえ報われず……届かぬ思いだったとしても」

 

 あの初恋を、思い出を永遠に輝かせ続けるために。

 永久に夢見る過去の一幕に、今の己を形作った全てに恥じぬ己で在る為に。

 何よりも美しい、地獄に堕ちても決して失わないだろう記憶に相応しい自分になれたのだと。それは貴女のおかげだったと、再会の日に伝えられるように。

 

「俺は──私は姫様を愛して()()のだから!!」

 

 なぁ、聞こえているだろう? 届いているだろう?

 この世で最も憎らしい恋敵! 片時も意識せずにいられなかった、目指すべき『特別』よ!!

 

『……──そうか』

 

 対する返答は短く。凪のように静かだったが、それは平静を保たんとしてのものだったのだろう。何故ならば──

 

『──認めよう。()()は私の恋敵()()()

 

 たとえその想いが過去のものにせよ。終わった恋であり諦めがついたものだったのだとしても、それで手心を加えてやる理由も、敢えて優しくしてやる理由もない。

 部下でもなく戦友でもなく、憎い敵として黒星を付けてやると言う宣誓に「それでこそ」とマレットは口角を釣り上げた。

 

 同じ女を好きになったという馴れ合いで、勝ちを譲られては堪らない。

 一切の情け容赦も呵責もなく、蹂躙してやると言う意気込みで来て貰わねば困るのはマレットなのだ。

 

“全力の貴様を潰してこそ、勝利を勲章に出来るのだから!!”

 

 振りかぶるヒートホーク。満身創痍の両者は、裂帛の気合と共に、渾身の一撃を叩き込んだ。

 

 

     ◇

 

 

「……引き分け(ドロー)

 

 判定は両者戦死(KIA)(Killed In Action)……誰もが想像し得なかった、単機での怪物打倒と言う偉業に、ようやく口を開くことができたイングリッドの呟きは、唖然としたまま止まった全員の時を、再び動かした。

 

「嘘だろっ……、オイ!?」

「上官殺しで軍法会議もんだな! 銃殺にしてやろうぜ!」

「馬鹿お前勲章もんだよ! 全員で叙勲申請書いてやろうぜ!!」

 

 誰も彼もが、信じられないものを見たように歓声を上げ、捲し立てているが気持ちはイングリッドにも分かる。

 絶対に勝てないと。機体性能などでは、決して届かないと思っていた怪物を相手に、相打ちにまで持って行くなど……。

 

「……これ。私のハードルが凄く高くなる奴じゃない」

 

 強化措置を受けているとはいえ、ニュータイプでもないマレットがここまでやって見せたのだ。当然今後、イングリッドにかかる期待は否が応にでも高まってしまうことだろう。

 

「私……まだジョニーにもあしらわれてるんだけどなぁ……」

 

 英雄を迎えるべく格納庫(ハンガー)に走るキマイラの面々とは真逆に、イングリッドは深く溜め息を零すのだった。

 

 

     ◇

 

 

 格納庫(ハンガー)に戻り、ずたずたになったアクト・ザクから降りたマレットは、真っ先にヘルメットを脱がされてチューブ式のアルコール飲料を突っ込まれるという洗礼を受けた。

 重力下であったなら、頭からビールをぶっかけられていた場面だろう。

 ペズンは三交代のシフト制で、当然勤務を割り振られているマレットにはアルコール摂取など営巣もののやらかしであるし、やった奴も同じく営巣にぶち込まれることは確定なのだが、イワンは見過ごしてやることにした。

 

「上官が戦死してこの騒ぎとは、私も随分嫌われていたらしい」

「ご承知の事と思っておりました。小官も含め、皆いつか殺してやると意気込んでおりましたよ?」

 

 堪らんね。とジョニーに対し肩を竦めつつ、イワンはマレットの肩に手をかけた。

 

「サンギーヌ中尉、私のダイヤ付きパイロット章をくれてやる! 誰にも文句は言わせん!」

 

 今日という日の評価如何によっては、前もって渡すつもりだったのだろう。勲章箱ごと渡されたダイヤモンド付きMSパイロット徽章を受け取った後、敬礼することで受領の意を示した。

 

「中尉。貴官がここペズンで示した実績は十分なものだ。今の貴官なら、何処でもやって行けるだろう」

 

 要は転属希望があるなら、好きに聞いてやるということだ。将官権限で昇進させた上で一部隊を預けてやってもいいし、何であればキマイラを増強大隊扱いにして、中隊長を任せてもいいという。

 

「或いは、貴官が望むかは別として親衛隊や近衛騎士団(ロイヤル・ガード)への推薦状を書いても良い」

 

 使えるようになったのだから、思う存分働きたい場所で働け。そのための便宜なら幾らでも払ってやると言う大盤振る舞いに、思わずマレットは声を漏らした。

 

「何故、そこまで……」

 

 これまでも特別扱いに等しい立場であったのは、他ならぬマレット自身が最もよく分かっている。その上でここまでして貰うというのは、有難い話であるのは間違いなかったものの、どうしても口にせずにいられなかった。

 

「貴官が誠実であったからだ」

 

 己の想いに、信念に、歩み続けてきた全てに恥じない男であったこと。それをイワンは、誰より深く理解しているつもりだった。だが、何より──

 

「尽くす男を無下にするほど、私は嫌な男ではないよ」

 

 つまるところ、そこが最も重要なことだった。同じようにキシリアを想い、愛し、彼女の為に息を切らし、歯を食い縛ってきた男への敬意あってこそ、イワンはマレットを認めてやったのだ。

 

「──努力と成果に報いずしては、私も婚約者に顔向け出来んのでな」

「はは……」

 

 嗚呼糞。これは殺し文句として一級だ。

 一体何処まで見せつけてくれるのか。何処まで遠い存在にしてくれるのか。

 どれだけ憎いと感じても、それでも尚意識せざるを得なかったのは、きっと波長が近しいからなのだろう。『特別』だと認めざるを得ないから、その煌めきの片鱗を欲してしまっているのだろう。

 

「であれば、閣下。閣下の直掩として侍る栄誉を賜りたく」

 

 ならばその背に追いつこう。その戦いを、その生き方を間近に見続け、祖国勝利の礎を共に築きたいのだと、その想いの発露に対し、意外にもイワンは初めて渋い顔をした。

 

「……私などに侍ったところで、得るものなど一つもないぞ?」

 

 前線でも後方でも、マレットは十二分に活躍できる。ペズンに()()()()()()()イワンに侍り続ければ活躍の機会は失われるし、そうなれば折角の士官学校首席卒というキャリアまで()()にしかねない。

 副官の席も埋まっている以上、本当にMS(モビルスーツ)操縦士(パイロット)として、直掩以外の役職を用意できないのだ。

 考え直せ。人生を棒に振るなと再三告げたイワンだが、マレットは梃子でも動く気はなさそうだった。

 

「……こればかりは、正直予想外だった。頭の痛い部下を持ったよ」

 

 結局、最後に折れたのはイワンの方だった。

 

「言い出したのは私だ。正式な辞令は、後程用意する。……嗚呼全く、こんなことを言い出す輩は、一人だけだと思ったのだがな。喜べ、マンスフィールド特務中佐。可愛い後輩が出来たぞ」

「気骨のある部下を持てたことは、実に喜ばしいことです」

 

 これにはマレットも目を剥いた。国家でなく総帥個人に忠誠を誓う親衛隊の、それも最高戦力たる男が突撃機動軍長官の直掩など、一体何の冗談だと言いたいのはエリックにも分かる。

 

「言っておくがね、中尉。私は親衛隊と突撃機動軍を繋ぐパイプ役であり、親衛隊長直々に長官の護衛職を仰せつかった身で、我が儘を口にしたのではないのだよ?」

 

 物は言いようだな、とイワンは思う。確かにエリックの言に嘘は一つとしてないが、元よりパイプ役など用意しなくとも、イワンはデラーズと専用回線でやり取りが出来る。

 護衛についてもイワンがペズンに来るまでで良かったものを、デラーズに直訴して強引に今の立場に収まったというのが実情であった。

 一体何がエリック・マンスフィールドの琴線に触れたのだろうか?

 確かに彼にはフィーリウス・ストリームの教育という大任を与えてはいたものの、敢えてイワンの直掩に収まる理由は、イワン自身見当がつかなかったものだが、デラーズにせよギレンにせよ、万が一イワンが前線に出てしまう事態に陥った際の保険を考えれば、これでもまだ不足だと断言しただろう。

 性質の悪いことに、ルウム戦役の頃のように従兵の如く僚機を侍らせるならともかく、イワンの直掩として追随できる人材となれば、それこそエリックやジョニーのような逸材でなくては話にならない。

 エリックも、せめて分隊(二機編隊の最小戦闘単位)でなく小隊(ケッテ)(三機編隊)を構成できるよう、あと一名は確保したかったところだった。

 最悪、フィーリウスをそこに宛がうことも視野に入れていただけに、マレットの申し出は正しく僥倖そのものだったのである。

 

「貴官には期待している」

 

 白手袋を外して差し出された手をマレットはぎこちなく握る。心情としては、当惑と警戒が半々というところだろう。流麗な美貌も、視線も、その全てが完璧でありながら、同時に完璧過ぎるが故に壁を隔ててしまう類で、性格が矯正される以前のマレットとは異なる意味で、近づき難い人物だった。

 マレットが唯一『苦手』と称する人物がいるのなら、このエリック・マンスフィールドを置いて他にないだろう。

 しかし、これからはそのような選り好みなど出来る筈もない。今後はチームとして動く以上、信頼関係を構築する上でも、実力的に追い付く上でも、距離感というものを意識せねばなるまいと意気込んでいたが、そんなマレットを先程から凝視する視線が一つ。

 

「中尉。水を差すのは気が引けるのですが」

 

 満面の笑顔で。けれど「私、怒っています」という言葉が顔に書いてあるのは、マグネット・コーティング完成の功で昇進を果たし、中尉の階級章が目新しいミア・ブリンクマンである。彼女は携行スプレーを軽く振ると、それを勢いよくマレットの両目に吹き付けた。

 

「簡易型の治療スプレーでは限界があります。直ちに医務室に行ってください」

 

 アドレナリンが分泌されていることと、痛覚に相応の耐性を持たせた強化体だからこそ自覚は無いのだろうが、Gによって負荷がかかった眼球は血が滲んでいた。

 

「今少しは、余韻に浸らせてくれてもよかろうに」

 

 それが良い女というものだぞ、とマレットが溢せば、ミアは露骨に顔を顰めた。

 

「一時の満足で殿方の人生を棒に振らせるなんていうのは、悪女のする事です……何でそこまでしたんですか?」

 

 フライト・レコーダーから個別通信のログを抜き取ってしまえば、容易に確認できる情報ではあるがミアにはそんな覗き趣味はない。大人しそうな外見であるが、聞きたい事は真っ直ぐ聞くのが彼女なのだ。

 

「……一言でいえば、意地だな」

「むぅ」

 

 そういうはっきり伝わらない、お茶を濁すような物言いは良くないという目で見れば、暫しの逡巡の後に、マレットはため息と一緒に吐き出した。

 

「……初恋を、終わらせるためだ」

 

 誰が? 誰に? という問いを視線で投げたのは、この場に居た全員だ。

 男という奴はそういうことを口にしたくない生き物だが、煙に巻くには、これまでのマレットは露骨過ぎたという自覚もある。

 

「幼い頃から姫様に……キシリア殿下に恋していた」

 

 だからこそイワンを敵視し、敵愾心を燃やしてきた。口にしてしまえば何処までも幼稚な動機であったし、現に周囲の反応は先程までと打って変わって、何とも言えないものになってしまっていた。

 

“お前……、お前さぁ……”

 

 これまでの言動全てが嚙み合ったし、納得出来るものだったが、よりによって多少なりとも好意的な感情の片鱗を見せている異性を前に、どうしてそんなことを堂々とぶちまけられるのか、恋愛経験皆無のユーマでさえ「そこは誤魔化せよ」と零さずにいられなかった。

 

“嘘でも「お前にかっこいいとこ見せたかったんだ」ぐらい言えよお前”

 

 いや、マレットからすれば終始ジオンのお姫様の為に動いていた以上、初志貫徹していた訳であるし、何よりミアに対しての恋慕と言うのは周囲の勘違いに過ぎなかったのだから、そこをとやかく言うものでない事は承知しているのだが、対するミアはと言えばだ……。

 

「何となくですが、そんな気はしてました。男の人がムキになるのって大体そんな理由でしょうし」

 

 囃し立てる周囲と異なり、ミアはマレットが自分に向けてくる視線の意味を弁えていた。熱意はあっても情動は感じ取れず、真摯であっても、それはミアに対するアピールと受け取る事は出来なかったから。

 自分以外の誰かを愛して、自分以外の誰かを想う……少しだけ、妬けてしまう心地だったけれど、そういう一途な生き方は、ミアにとっても好ましかった。

 

「きっと、初恋と同じぐらい良い女性(ひと)が見つかりますよ」

「っ……世辞でも、嬉しいものだ」

 

 男がしても似合うまいに、バツが悪そうに顔を逸らす。その耳朶は、深紅のピアスと変わらぬ程に赤かった。

 

 

     ◇

 

 

「ご機嫌ですな、長官」

「部下の成長を喜ぶのは当然だよ」

 

 口ぶりこそ平素と変わるところはなかったが、口元を微かに緩めつつ愛飲のウォッカ(ストリチナヤ)を開けているところからして、これ以上ないほど上機嫌なのは明らかだ。

 将官ともなればこれ以上の酒精は幾らでも口に運べるが、イワンは特に機嫌の良い時にストリチナヤを引っかけていた。

 口では困った部下だとマレットに零していたものの、それでも憎からず自分を慕ってくれたことが、私人としては余程嬉しかったのだろう。

 ヒューが知る限り、ペズンでイワンがストリチナヤを開けたのはサイド4(ムーア)に水陸両用MS(モビルスーツ)を押し付けるのに成功した時以来で、今回で二度目の筈だ。

 

「どうかね? 大佐も一献」

「ありがとうございます」

 

 極秘計画を預かる最高幹部が揃ってアルコールを入れるなど褒められたことではないが、どれだけの朗報が舞い込もうとイワンが傾けるのは決まってショットグラス一杯分の酒量であったし、ヒューもその程度で酔いが回る程弱くはない。

 チューブ式の為に風情も何もあったものではないが、そこは重力の存在しない空間である以上どうしようもない。

 喉を焼くアルコールと口内に広がる香りの余韻も程々に、イワンは深く執務室の椅子に背を預けた。

 ジオニストの趣味に合わせて整えられた執務室は、総帥府の模様をそのままに保っていたものの、それがイワンの趣味でないことを、ヒューはよく心得ていた。

 イワン自身は理想の公国軍人を演出する上で自身の趣味や価値観をおくびにも前に出すことはなかったし、今も執務室の空気を自分の体内の如く自然なものに見せてはいたが、体をほぐすには、この空間はイワンにとって華美に過ぎる。

 

「大佐には、長らく苦労をかけた」

 

 マレットやユーマのことだけではない。イワンがペズンに赴任するまでの間、実質的な司令官として重責を負っていたことに対してもだ。

 

「恐縮ですが、労いの言葉だけではありますまい?」

 

 傾いた視線に叱責の色もあることを読み取ってヒューは粛々と裁きを待ったが、イワンは溜め息を一つ吐いてヒューを許した。

 

「イングリッド・ゼロの件か……司令官代理として全権を担っていた以上、大佐が責を負うのは道義として正しい。

 しかし、問題は戦時という混迷と、我が国の窮状につけ込んだフラナガン博士……そして、総帥閣下にも問題がある」

 

 おそらくはイワンが真っ向から反対することを予期して勝手に進めたのだろうが、だとしてもギレンがフラナガンに直接話を持っていくとは思わなかったし、そのギレン直々に口止めされていたとはいえ、ヒューがイワンにも漏らさなかったのも予想外だった。

 

“正史のギレン総帥はニュータイプに否定的だったが……実績を作った私がこそこそと動けば、関心の一つも寄せるか”

 

 その結果がクローン兵や薬物投与による強化人間の推進で、しかもクローンに関しては既に第一号(イングリッド)が誕生した後なのだから堪らない。

 

「過ぎたことは仕方あるまいし、事前通達通りクローンの『破棄』など以ての外だ」

 

 作られた命であり、どれだけの政治的意図があったにせよ、心なき人形でなく感情を有する人間ならば、それは共に轡を並べる同志戦友。出自を理由とした差別や道具扱いなど言語道断と言っていい。

 

「試験個体たるイングリッド・ゼロは、最初で最後のクローン兵だ。総帥には私から話を通す、有無は言わせん」

 

 愚かなことをしているという自覚は、イワンにもある。

 正しさという過ちを理解し、諭され、その上で泥を陰で被りながら『戦後』というビジョンを見据えて動くギレンに対して、更に足を引っ張るなどどうかしているのだろう。

 しかし、こればかりは『多少道義にもとる』という程度で済む話ではないのだ。

 

「……急いた結果、手の付けられぬ怪物を生み出しては本末転倒だからな」

 

 暴走したニュータイプ……それがどのような被害を生み出す劇物か理解しているイワンとしては、決して譲れない線引きだ。何よりも……。

 

“……義兄上(あにうえ)の『真意』を理解できている以上、口を出さぬ訳にも行かないからな”

 

 そうした問題を()()()に起こせば、イワンはジオン本国に戻れず、ペズンから動けなくなるという読みは正しい。正しいが……。

 

“私の不在を好機として、本国で蠢動する輩が出る”

 

 ギレンはそれすら見越して、イワンをペズンに拘束させている事も分かっている。だが、だとしてもイワンは自分の目の届かない場所で物事が動くことに、一抹の不安を拭うことが出来ないでいた。

 バタフライエフェクトなどという言葉がある通り、どれだけ些細な事象であったとしても、それが人の手に余る事態に発展しかねないというのは、歴史を見れば往々にしてあることなのだから。

 

「……どうにも総帥閣下は、私を過大評価しておられるようだ」

 

 イワン・ヨークを死なせないため、安全圏に留め置きたいが為にここまでしたというのだから、イワン自身としてはため息の一つも零したくなったが、愚痴を聞くヒューの方が溜め息を零したい心地だった。

 

“この方は一体何を言っているのだ……?”

 

 MS計画を筆頭とした開発計画に加え、一週間戦争から今日までの戦争指導……公国軍の軍事的成功を独占してきた大黒柱にも関わらず、イワン自身は自分を使い潰すことこそ正答だと信じて疑っていないのだ。

 

“たとえザビ家が潰えるとしても、長官さえご無事ならジオンは存続できる”

 

 信仰にも等しいヒューの思いは、ザビ家さえ同様に抱くことで、だからこそギレンはペズンという秘密基地にイワンを()()()()のだが、それこそが過去にアンリ・シュレッサーが語った、イワンにとっての弱点である『全能感の誤認』に他ならない。

 神の視点から歴史を知ったが故の、イワンの確信を持った行動は暗中模索する者たちにとっては特別視して然るべき半面、イワン自身は自分という人的資源にそこまでの価値を見出していなかったし、状況が推移するに連れ、自身の価値が低くなっていることも正しく自覚していた。

 

 一週間戦争での大勝。

 地球侵攻における戦争指導。

 そして、戦後最大の仮想敵国となることに危惧していたサイド4(ムーア)の脱落。

 

 こうした大局もそうであるが、一人のMS(モビルスーツ)操縦士(パイロット)としても個人戦果はともかくとして、部隊単位としての戦果であればイワン抜きでも十二分に連邦と渡り合えるだけの将来性は維持出来ている。

 たとえ今日という日にイワンが死ぬとしても、ここまでくればジオン公国は覇を掴むだろう。

 だが、ヒューや他の者にとってみれば、決してそうは思わないし思えない。

 

 どれだけ「もう大丈夫だ」と背を押されても、どれだけの優位を確立し得ていても、イワンという男が築いた実績あっての今日である以上、イワンが消えることに恐怖と不安を抱かない方が無理なのだ。

 

「時代さえ違ったなら、長官が宇宙移民(スペースノイド)の王となることさえ叶ったでしょう」

 

 余りに危険な発言だが、ヒューは敢えて崇めんばかりの声を漏らした。

 貴方には王器があると。どれだけ他者が有能であったとしても、心の奥底にある迷いと怯懦を払い、導く絶対の威光を放つ王者として君臨することも出来た筈だと。しかしイワンは苦笑するに止め、軽く手を振ってそれを否定した。

 

「貴官ほどの男にそこまで見込まれたことは光栄だが……器ではないよ、私は」

 

 ぎゅ、と白手袋に包まれたヒューの拳が、無意識の内に固さを帯びた。イワンがヒュー自身の身を案じ、笑いごとで済ませようという魂胆であることも、その優しささえも理解した上で、敢えてヒューは声を大にして否定したかった。

 見込み違いなどではないと。どうして全てを成し得る力を有しながら『駒』であることに拘ってしまうのかと問わずにいられなかった。だが、それに対する答えもまた明確だった。

 

「私の望みはね、大佐。ギレン総帥を世界の王にする事なのだ」

 

 世界を征し、あらゆる不浄を焼き払う棄民の王。

 ギレン・ザビこそを唯一無二の指導者と仰ぎ、彼に志尊の冠を捧ぐ為に尽くしている。

 

「頂点は常に一人であるべきだし、何より私は軍人として忠誠を宣誓した身だ。我ら公国軍人は、常に総帥閣下の剣が差し示す先に向かうものだろう?」

 

 ここまで言われては、ヒューも折れるしかなかった。ただ、イワンの慣れた口ぶりからして、ヒューが初めてという訳ではなかったのだろう。

 これまでもきっと、ザビ家以上にイワン個人を信奉した何某かから、同じようなやり取りを繰り返して来たのははっきり分かった。

 

“惜しいな……”

 

 もし()()()があるなら……クーデターまでとは行かないが、ザビ家が絶えるような最悪が来てしまったなら、ヒューは本気でイワンを担ぐつもりではあったが、おそらくそれさえ見込めないだろう。

 そのような事態にならぬよう動くのがイワンであるし、もしそのような時が来てしまったなら、宇宙移民(スペースノイド)の未来を別の誰かに託した上で、ザビ家の為に殉死するのがイワンという男なのだと理解できてしまった。

 

“生ける軍神と誰もが認め、誰もが『この方ならば』と思う事が出来た”

 

 他ならぬヒュー・マルキン・ケルビンこそ、その筆頭だった。ザビ家の為でなく、イワン・ヨークの為に未来を掴みたいと、イワンの成し得る国の舵取りを見てみたいという欲求に駆られた為に、彼はペズンに馳せ参じ、剣を捧げていた訳だが……。

 

“……私も若かったということらしい”

 

 上官の威光に当てられ、らしくもない感情で動きかけた我が身を自嘲すれば、イワンはもう一杯勧めてきた。この一幕は酒のせいだ。思わず回った悪い言葉も、酒のせいにして喉の奥に流してしまえと言外に笑うイワンの心遣いに感謝しつつ、再度ストリチナヤを呷る。

 酔うには少ない量の酒精……それでも知らず口元から笑みが零れたのはきっと、若気の至りを快く許してくれる、親愛なる上官の気遣い有ってのものだろう。

 




 保安隊時代にイワン君が独白したことですが、イワン君は

「独裁者なんぞ絶対やりたくねぇ! 確実に自分のキャパオーバーするわ!!」

 って泣きを入れるぐらいには「王様とか絶対にノゥ!」って言い切る奴です。
 ただ、ヒュー大佐に限らずイワン君の実績見てきた奴からしたら

「この人、時代が時代だったら絶対名君やれてたよ! やる気あるなら本気で付いて行きますぜ長官! むしろやってくださいよ長官! やれるでしょ長官!? やれるの知ってるんですからね長官……!!」

 って感じで過大評価してくるので、イワン君は「マジで、マジで勘弁して下しあ……!」ってその都度思ってる模様。
 まあそうじゃなくてもイワン君は今話で語った通り「ギレン総帥万歳! ジーク・ギレン!(クソでかボイス)」叫ぶ、実質デラ禿2号なので、仮に能力的に出来たとしてもギレン総帥の天下獲りにしか動かないのでありますが。

 万が一ギレンが暗殺とかされたら、暗殺者一党と背後で動いた奴を全員始末してからガルマの下に付くし、仮にザビ家が滅んだ後で生き残ったとしても、一時は個人的復讐のためにジオンを牛耳るぐらいはするでしょうけど、やることやった後はジオン共和国立ち上げてから日陰で余生を送る模様。

 そら、こんだけ忠犬根性染み付いてたら、デラ禿ともマブダチになるわ。
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