宇宙(そら)に掲ぐ旗の名は   作:c.m.

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※2025/1/24誤字修正。
 路徳さま、ご報告ありがとうございます!



62 悪魔が生んだ天使

 ──フラナガン機関。

 

 表向きは傷痍軍人の快復を筆頭とした医療研究機関の看板を掲げ、現実にも日夜目を見張る成果を本国に提供しながらも、その実、国際法と人道双方に違背した、猖獗を究め続けるマッド・サイエンティストの人体実験場であることは、ジオン本国政府高官にとっては公然の秘密である。

 勝利を希求する戦時下にあっては、往々にしてその手の倫理観は無視されるものであるし、何よりムンゾ時代の手探りであった頃と比較すれは、今の被験者は天と地の環境差だと、どの研究員も口を揃えることだろう。

 無論それは、ニュータイプ適性を有する人間は、どのような環境下で最も性能を引き出すことができるのか、という点をニュータイプであるイワンと協議できたことも大きかった。

 副作用の激しい薬物を大量に投与したりだとか、脳を切開するといった投薬的・外科的実験の必要性は何処にもない。

 最低限の適性把握で素養の有無を見出し、また、その能力を拡張する上でも至極真っ当かつ安全な手段を講じている。

 

“とはいえ、第一世代はその限りではなかったが”

 

 司法取引を経て訪れた囚人、或いは反社会的な勢力の構成員たちの脳を強引に開き、ニュータイプ能力の根幹たる特殊な脳波機能──感応波(サイコウェーブ)を物理的に開眼させた第一世代型の人造ニュータイプは、少なくとも一定の成果を得た。

 

“しかし、イワン・ヨークの足元にも及ばなかった”

 

 消耗品として送られてきた第一世代であったものの、フラナガン自身は被献体を使い潰すつもりであった訳ではない。

 寄越された被献体は年齢層や性別を区分けされた健康体であり、前歴と性格さえ除けば、最高と称すべき素体達だった。

 

“だというのに……第一世代は耐えられなかった”

 

 自己と他者の境界を越え、完璧に相手を理解できるほどに成長できたのに、彼らは拡張された視野と意識を使いこなせず、その全てが精神に異常をきたしたために、()()せざるを得なくなった。

 

 イワン・ヨークなら出来たのに。

 イワン・ヨークなら耐えられたのに。

 

 それこそがフラナガン・ロムにとっての初歩的な、当然と言える失敗の帰結だった。

 どれだけ肉体的に問題なかったとしても、最後に()()を言うのは精神力だ。

 

“ただ徒に能力を高めれば、強くすれば良いというものではなかったのだ”

 

 たとえどれだけ他人の心が入ろうと、自分の魂を凌辱されるような感覚を味わおうとも「それがどうした」と跳ね除けられるだけの鋼の精神を培わなければどうしようもなく、だからこそ第二世代は方針を転換した。

 イワン・ヨークの如き、不壊の精神を培うのは並大抵のことではない。人としての倫理を欠片も有さず、傲岸不遜を絵に描いたような大量殺人鬼でさえも、夥しい思念の波に吞まれた挙句に発狂したのだ。

 

 なら、ゆっくりと時間をかけて慣らしていくのはどうだろうか?

 

 プライベートな空間に、突然見知らぬ誰かが入れば常人はパニックを起こすだろうし、どれだけ神経が太くとも内心不快感を露わにするのは間違いない。

 しかし、それを当然のように受け入れるだけの下地を整えてしまえば?

 徐々に徐々に、ゆっくりと。人が口を使って行うコミュニケーションと同じように、互いの心に触れる行為を握手同然に行うようにして行けば、抵抗感は極端に薄まるのではないかという実験は、フラナガンの目論見通り成功した。

 

“尤も、この成功は私の望む形ではなかったが……”

 

 他人の心に触れる事に慣れる余り、人同士が魂で繋がる事に拒否感を抱かなくなってしまったために、第二世代はダイクンの語る『誤解なく分かり合える新人類』として完成しつつも、フラナガンが求めた兵器的側面として、イワン・ヨークという最高の性能を求める事をしなくなった。

 より深く心を見通し、奥に潜ることが出来たものの、第二世代は先を読むという行為には極端に疎く、戦いには向かない存在になってしまったのだ。

 

「辛そうですね、博士」

 

 このようにフラナガンの心に生まれた虚しさを感じ取り、手を差し伸べる少女──マリオン・ウェルチを見るがいい。

 この慈愛に満ちた表情を。相手を慮り、悪意の泥を寄せ付けず、人としての善性を心から信じつつ、多くの精神疾患者を快復させて見せた天使を見るがいい。

 

“これが本当の意味での、ニュータイプとして在るべき形……その雛形なのだとは承知しているとも”

 

 だが、これでは駄目だ。どれだけ清く美しかろうと、これはフラナガン・ロムの求めたものではないのだから。

 

「また、絵を描いたのだね?」

「はい。皆、宇宙は黒だって言うんですけど、私にはこう映るんです」

 

 美しい蒼。果てのない宇宙(そら)の世界で進化したニュータイプにとって、この世界は暗黒でなく、母なる海と大いなる空を宿した、深奥無辺の揺り籠に映るのだろうか?

 何もかもを飲み込んでしまいそうな、凍えそうな暗がりでなく、無限の可能性を見せてくれる世界なのだろうか?

 

「そんなに深く考えたことは無いんです。ありのままを、宇宙(そら)に住む人の想いを受け止めただけ。ニムバスも、博士と同じように感じてましたけど」

「彼か」

 

 ニムバス・シュターゼン……愛国心に満ちた軍人であるものの、余りに苛烈な性分であったが為に、カウンセリングの名目でフラナガン機関に一時期逗留する事になった青年将校だ。

 

“人格が完成された職業軍人の精神が、ああも矯正されるとは驚きを禁じ得なかったな”

 

 ただ、フラナガン自身はそれがニュータイプからの精神的感応の結果と言うよりは、男女の相性というものも有ったのだと思う。

 ニュータイプ能力をカウンセリングに用いる第二世代はマリオン以外にも複数居たが、他のカウンセラーと比しても、ニムバスとマリオンとの交流は明らかに違った。

 ニムバスの心に凪の様な安心感と、遮るもののない海のようなゆとりを与え、兄妹のような距離で接する二人の関係は私的な……陳腐な言い方だが、愛情と称すべきそれに近かったと考えている。

 

“或いはシュターゼン大尉もニュータイプではと勘繰ったものだが、そうではなかったのが実に惜しい”

 

 イワンの口利きで会った以上、そこを期待しない訳に行かなかっただけに落胆も大きかったが、それでもニムバス自身は強化体として十分過ぎる程貢献してくれたし、術後の経過も安定した有用な被験者だった為に、フラナガンにとっては良い意味で記憶に残る将校だった。

 とはいえ、そうした回想も長くは続かない。静かに、しかし表情を硬くしつつ足早に歩を進めてやってきた職員は、フラナガンに静かに耳打つ。

 

「ヨーク長官からです」

「分かった、すぐ行く」

 

 

     ◇

 

 

「……思った以上に遅い釘差しだったな」

 

 というのが、フラナガン・ロムの正直な感想だった。

 イワンともあろう男がここまで危険な極秘研究機関を立ち上げておきながら、フリーハンドに近い形でフラナガンの好きにさせたという事もそうであるし、何よりミノフスキーさえ警戒していたのだから、当然相応の監視が付くだろうとも警戒はしていたというのにだ。

 

“長官は、信頼できる人間とそれ以外の線引きが他人(ひと)より特殊だということは分かっていたが……ここまで極端だとは思わなかったな”

 

 こんなことならば、もっと盛大に()()()()てしまえば良かったという落胆が、溜め息となって零れた。

 何であれば、ニュータイプの能力を用いて心さえ見通すことも訳はなかっただろうに、この分ではそれさえして来なかったのだろう。

 もしそうなら、イングリッド・ゼロが誕生する以前に早々に監視が付いていた筈なのだから。

 

“どれだけ有能であったとしても、人は完全無欠でないという事か”

 

 ニュータイプは神ではないし、必ずしも有能な人間がニュータイプとして覚醒する訳でないことも承知するところではあった。

 ただ、多くのニュータイプがそうであるように、イワンもまたその内側が独特の感性と価値観で構築されていたということらしい。

 

“まぁ、いい。既にして私の仕事は七割方完遂している”

 

 イワン・ヨークという現状最高のニュータイプから、得られた知識と情報は余すところなく活用した。

 ジオンに限らず、各サイドから選りすぐった被験者は誰もが一級の働きをするか、そうでなくとも次の可能性を見出すには十分な成果を出してはくれた。

 ただ、それでも第二のイワン・ヨークには程遠く……そんな時、総帥府から極秘裏にクローン兵の製造が持ち掛けられた。

 国際法上は厳格に規制され、機材一つとっても厳重な管理下に置かれるそれを堂々と国家が、それも清廉潔白であることを前面に押し出す、あのジオン公国が持ち掛けたのは、正しく天恵と称すべきことだった。

 

 それがイワン・ヨークを死なせぬようペズンに拘束させるための、意図しての事だったとしても構わない。

 

 千載一遇の好機を逃す気はなく、当然だがフラナガンはイワンの遺伝子を基に、最強・最高のクローン兵を生み出すつもり()()()

 そう、過去形であることが示された通り、結果は失敗だ。

 

 理論も素体も問題ない。しかし、産み落とされたクローンはその全てが生命活動を完全に停止した状態だった。

 明らかな異常……科学的には全く道理の通らない事態。しかし、この世には科学では測り切れない事象がある。人知を超えた、未だ神以外許されていない領域がある。

 

“二一グラム。それこそが、私が次なるステージに到達するために必要な要素だった”

 

 人が死した時、失われる魂の重み……イワンのクローンが初めから有していなかった二一グラムこそ、この世には人知を超えたものがあるとフラナガンが確信し、歓喜するには十分な情報だった。

 

“嗚呼、嗚呼! 魂! そう、魂の覚醒だ……! 人の進化とは、革新とは正しく()()にある! それこそが、私が見出すべき次の領域だったのだ……!!”

 

 これぞ天啓。(もう)(ひら)くに至った現実の事象を前に、どうして興奮を抑えられよう!?

 失敗は成功の母などという言葉を、かつては負け犬の遠吠えと嘲っていた過去の自分自身こそ、なんと蒙昧であったことか!

 

“紛い物では至れない。どれだけ究極の器を創ろうと、そこに魂がなければ意味などなかった……ああ、しかし、あの時ほど参ったことはなかったな”

 

 第二のイワンを生み出すという無二の好機が、失敗の二文字で塗り潰されたのだ。

 ならば他のニュータイプでと妥協することも考えはしたが、型落ちを前提とするなどフラナガンの矜持に反した。

 求められるなら究極の成果を。現状の自分自身が成し得る、完璧な作品を産み落としたい。

 

“完全なコピーでも、劣化品でもない。私の手掛ける最高傑作を”

 

 悪しき一念が産み落とした、一つの奇跡。

 ニュータイプ特有の感応波(サイコウェーブ)を発することが可能なだけの脳機能、如何なる環境にも適応可能な筋肉と臓器、バイオ・テクによる神経反射作用の促進……。

 フラナガン・ロムが蒐集した莫大なデータを基に遺伝子設計され、悪意と欲望の汚泥から生まれたのが、金砂の髪と純白の肌を有する天使であったのは、皮肉極まると同時に必然だった。

 怪物じみた倫理観だったとしても、美的センスまで狂っている訳ではない。

 最高の作品を望むのであれば、形作られるのはフランケンシュタイン博士が創造したような継ぎ接ぎの怪物でなく、息を呑むような美の結晶で在るべきだ。

 

“イングリッド・ゼロ……私の愛する可愛い娘”

 

 親元を離れ、ペズンへと引き渡された我が子を想い、フラナガンは陶然とした吐息を漏らす。間違いなく、我が子はイワン以外の全てのニュータイプを超えるだろう。いいや、いずれはイワンさえ超えてくれるかもしれない。

 親バカも極まれりという自覚はあったが、かかる期待と情熱は、親ならば誰もが有するものだと開き直っていた。

 娘の瞳に映るセカイは、どんな色をしているのだろう? マリオンが語ったような蒼だろうか? それとも人の悪意や欺瞞に満ちた、醜悪な汚泥か何かだろうか?

 どんな形でも、どんな色に見えていても構わない。

 

“──君の見える景色を、いつか私に教えておくれ”

 

 父であり、母でもあるフラナガンは、愛しい娘に心からの愛を込めた。

 

 

     ◇

 

 

「ひぃ……!?」

「っと……、大丈夫かよ?」

 

 我が身を抱きしめながら鳥肌を立たせるイングリッドに、何事かとジョニーが見やれば「ちょっと悪寒が……」とイングリッドは自身の体をさすった。

 

「エイシアに診て貰うか?」

「う、ううん……大丈夫、な筈……」

 

 寒気というか怖気というか、全身を嘗め回されるような粘度の高い視線のようなものを感じて周囲を警戒するイングリッドは、無意識にジョニーの手を掴んでいた。

 

「自己判断は危険だぜ? 付いて行ってやるから、ちゃんと診て貰え」

「そう、ね……そうするわ」

 

 無意識に掴んでしまった手を放してから、ジョニーに従って医務室へ向かう道中、イングリッドはジョニーに訊ねる。

 

「ねえジョニー。……人って変わるものなのね」

 

 先程すれ違った、マレットの事を言いたいのだろう。憑き物が落ちたように爽やかで、はっきり言って全くの別人なのではないかと疑りたくなるような変化だったものの、イングリッドの齢でその達観した発言はどうなのか?

 

“或いは、そうした早熟ぶりも含めての『特別』なのかね?”

 

 地頭の良さだけではない。大人たちの世界に適合し、操縦士(パイロット)としてもそこいらのエース程度では相手にならないほど劇的な成長を見せる少女だが、その横顔はやはり子供特有の幼さを含んでいる。

 ふと、ジョニーの向ける視線に気付いて不機嫌になる様など、実に子供らしいではないか。

 

「……その目、止めて欲しいんだけど?」

「悪い悪い」

 

 前言撤回だと肩を竦める。見目がどれだけ幼く、実年齢は一歳児以下だとしても、女は女ということなのだろう。ただ、謝罪の軽さからしてジョニーが本気で悪いと思っていない事はイングリッド自身にも明らかだったが。

 

 

     ◇

 

 

「デリカシーが無いって、ああいうのを言うのね」

「そうね。でも、男の人にその手の機微を求め過ぎちゃうのは駄目よ?」

 

 不平を漏らすイングリッドと、くすくすと笑うエイシアであったが、ここにジョニーの姿は無い。クローンである以上、通常の強化体以上の精密検査を必要とすることから、衣類を脱がねばならないし、メンタルケアに関しても余人を挟むのは好ましい事ではなかったからだ。

 

「身体の方はこれまで通り至って健康よ。正直、ここまで健康優良だと定期検査が本当に必要なのか疑わしくなってくるぐらい」

 

 各種ライフサインのモニターは、これまで通り完璧な数値を弾き出している。万一危険値に突入した際、自動的に投与される薬剤が使用されることは、これまで一度としてなかった。

 

「そうでしょうね……別に嬉しくないし、フラナガン博士(おや)に感謝する気にもなれないけど」

 

 ここにフラナガンが居れば、当然だと胸を張る姿が想像できるだけに、イングリッドは一層不快さを露わにした。

 並の人間より()()()()が短く、並の人間より繊細に扱わねば()()()しまう矮小な存在など、どれだけ性能が良くても欠陥品だ。

 あからさまな欠陥など、それこそ発覚次第リセットするのがフラナガンであるし、現に彼はイングリッド以前の()()()なクローンを失敗作と断じて、生まれる前に全て破棄したほどの完璧主義者なのだから。

 

「じゃあ、いつもの訓練(メニュー)に移りましょうか? 今日はヨーク長官が相手をして下さるわ」

「……ねぇ? 我が儘を承知で、機関から他の子を回して貰うんじゃ駄目?」

 

 ペズンに在籍するニュータイプは、イワンを除けばアルレットしかいない以上、どちらかと行うしかないのは承知しているし、アルレットは『人間』でなく『機械』を理解する事に特化したニュータイプの変異種なのだから、可能な限りイワンと訓練をした方が効率的なのはイングリッドも分かっている。

 

 宇宙という環境に適応するための、新たな意思疎通と空間認識能力の獲得……感応波(サイコウェーブ)を発する事によって発揮されるニュータイプ能力を高めるには、一つは戦闘という生死にかかわる極限状態に身を置くこと。

 もう一つは、ニュータイプ同士が感応波(サイコウェーブ)を送受信する方法がある。

 前者については、限りなく実践に近い戦闘訓練を行い、感覚を研ぎ澄ます事によってニュータイプ能力を磨けるし、後者に関しては能力を使用し続ける事で、脳に新しい機能を使い込ませていくという点で、安全性と性能向上の双方で、非常に有効なやり方ではあるのだ。

 

 ただ、先にイングリッドがあからさまな反応を見せた通り、イングリッドはイワンが苦手である。勿論、イワン個人がイングリッドに対して無体を働いたり、傷つけるような言動をした訳ではない。

 しかし、過去にハマーンがイワンを化け物扱いしたことからも察せられる通り、ニュータイプ能力に覚醒した存在であれば、誰もがイワンの異常性を察知できる。出来てしまう。

 

「……そんなに凄いの?」

「どれだけ安全だって専門家に太鼓判を押されても、鮫と泳ぎたい人って普通居ないでしょ?」

 

 その鮫は人間に慣れていて安心させるように振舞ってくれるし、泳ぎの練習相手として、人間に合わせてくれはするが、それでも鮫は鮫である。

 

「それも、ホオジロザメどころかメガロドンクラスの大鮫よ。生きた心地しないでしょ?」

 

 本能的な警鐘は頭の中に鳴りっ放しであるし、イワンは決してやらないが、覗こうと思えば心の隅々まで覗いて丸裸に出来てしまうのがニュータイプだ。

 だからこそ、せめて同性の相手にして欲しいという懇願はエイシアにも深く理解できるところだった。

 

「そうね。私からも長官に伝えるわ」

 

 

     ◇

 

 

「アルマ・シュティルナー少尉! 本日付でペズンに着任致しました!」

 

 イワンに話を通してから即日で訪れたのは赤毛に翠の瞳が美しく、それでいて年の頃は一六と、花盛りの快活な少女であった。

 

“仕事早いわね……”

 

 多忙の中での、それも一個人の我が儘に過ぎなかったというのに、この対応速度である。こんなことなら無理に堪えず、さっさと我が儘を口にしてしまえば良かったと肩を落としたが、そうした落胆はおくびにも出さず、微笑を湛えながらイングリッドは答礼した。

 

「宜しくね、少尉。私はイングリッド・ゼロ。士官学校は出てないけど、一応貴女と同じ少尉の階級を頂いているから敬語は要らないわ。事情は聴いてる?」

「ええと、栄えある『総帥の子供』の中でも、ニュータイプとしての素養を見出された子達の、能力を引き出す事だっていうことは……」

 

『総帥の子供』──それは、ニュータイプ能力を有する次世代を指すものではない。

 繰り言となるが、かねてより産児制限をはじめとした人口管理を行うことで、生活水準を連邦と同等の先進国に保ってきたジオン公国だが、戦時下に突入することが既定路線であった以上、戦後の人的資源の不足……特に、若年層に空洞ができる事を、当然指導者層は憂慮していた。

 公国が各サイドに官吏を派遣し、教育機関まで設立したのは、将来を嘱望される子供達を公国国民として召し上げる為の第一歩で、早い話が人材確保の為の投資であり、どれだけ高潔なお題目を掲げたところで、無償の善意という訳ではない。

(そもそもにして、国家間の外交や支援に無償の善意など有り得ないのだが)

 

 どれだけ貴族趣味が高じようと、ジオン主義(ジオニズム)をでっち上げようと、所詮宇宙移民(スペースノイド)など大多数が棄民であり、考慮すべきは出自でなく純然たる能力だ。

 ならばこそ、人口という分母だけは膨大な棄民の中から、将来を担えるだけの人材を発掘する。教育費の無償化然り、寮や給食費用の負担然り、金で解決できる問題ならば──国庫の上限から弾くべき算盤はあるにせよ──可能な限り受け持とう。

 全ては宇宙移民(スペースノイド)の未来の為というお題目を掲げて、能力さえ示したなら、示し続けることが出来るのであれば、ジオン公国は子供たちの背中を押そう。

 そうして選りすぐり、篩にかけられた俊英に、箔をつけることも忘れない。

 

 見よ、彼らこそ未来を担うべきエリートである。

 志高き総帥の先見の明と、慈悲の御心によって手を差し伸べられた幸運の子らよ。

 嗚呼、汝らこそ総帥の子。高潔なる魂と力を、己の手で磨き続けた努力の子よと煽て持ち上げ、両親共々公国国籍を与えてやれば、後は恐ろしい程簡単だ。

 中には親が親として相応しくない子供や、身寄りのない子供もいるが、むしろそちらの方がやり易い。

 

 産児制限をかけられたジオン公国にとって『育児』とは手がかかりつつも、ある種のステイタスとして機能している。

 特に教条主義で知られ、恐れられつつも清廉潔白で鳴る親衛隊員などは、可能な限り多くの総帥の子供を養子として迎え入れるよう奨励していたが、これはかつてのナチス・ドイツがレーベンスボルンで行ったことの模倣である。

 ナチスは金髪碧眼の特徴を持っていることや純血性といった面に固執していたが、ジオン公国の場合、それが実力主義に置換されたという訳だ。

 

 地球居住者(アースノイド)宇宙移民(スペースノイド)だ、人種だ血筋だ肌の色だなどという差別より、余程分かり易くて益になる。

 

 そして当然だが、物分かりの悪い馬鹿な餓鬼よりも、成績優秀で向上心溢れる秀才の方が手がかからない。

 公国国籍を付与され、会った事もない里親の養子にされるとしても、孤児は宝くじが当たったように喜び、理想の子供という役目を誰に言われずとも果たして見せた。

 何しろ環境そのものが雲泥の差だ。西暦時代の北米も、どれだけ勉学に励んだとしても学区一つで差が付き纏っていたもので、だからこそ我が子の教育に熱心な親は無理くりにでも金を工面して富裕層の多い土地に引っ越すという事は多かった。

 

 二一世紀の日本のように、勉学さえ真面目に励めば一発逆転が狙えるという公平な社会自体、本来は希少なのである。

 

 その点を鑑みれば、総帥の子供が如何に幸運であるか。その幸運を一過性のものとはすまいと、日々研鑽を重ねるのも、至極当然の帰結であろう。

 何しろ里親は国が誇るエリートであり、将来自分達がどのような道を歩むにせよ、努力()()で済む環境を用意されたのだ。

 

 とはいえ、何事にも大人の事情という奴は付き纏うし、利用もする。

 例えば将来を担う子らを、ダイクンと彼の宗教(ジオニズム)に傾倒させるのでなく、栄達の機会を与えたザビ家そのものに忠誠心を抱くよう仕向けたこと然り。

 例えば名家出身であるフィーリウス・ストリームを、総帥の子供の筆頭として大々的なプロパガンダを打ち出したこと然り。

 或いは『総帥の子供』という枠組みを隠れ蓑にして、ユーマ・ライトニングやイングリッド・ゼロのような、通常なら表に出せない人材を特別扱いしてキマイラに加えたこと然り。

 一つの政策に対し、複合的な価値と役割を担わせることは殊更珍しいものではないが、それでも大っぴらに口にできない内容であることは間違いない。

 

「シュティルナー少尉も、そういう意味では『総帥の子供』の一人なのよ」

 

 ニュータイプ能力を向上させるという面でも、他に抜きんでた成績を収めるという面でも、それは決して動かないのだとイングリッドが漏らすが、対するアルマは半信半疑と言った表情だ。

 

「私なんかが……? 試作MA(モビルアーマー)一つ満足に動かせなかったのに?」

「知ってるわ。サイコミュ搭載型の奴でしょ?」

 

 ニュータイプが発する感応波(サイコウェーブ)に反応して、遠隔操作を行うという特殊兵装搭載型MA(モビルアーマー)……ミノフスキー粒子という戦場の霧が濃くなった戦いにおいて、一方的にドローンの代替兵器を使用できるというアドバンテージは確かに大きいが、何分実験段階の代物だ。

 

「最初期のサイコミュは長官(ボス)ですら苦戦したらしいし、改良型も今のとこ私以外まともに動かせたって話は聴かないから、気にしなくて良いと思うわ」

 

 プライドの塊であるフラナガンは認めないだろうが、サイコミュ兵器自体今次大戦でまともに運用できるかは怪しいと言うのは、フラナガン機関の研究員の誰もが思う所であるし、莫大な予算を注ぎ込んで認可しているイワンでさえ、MAにかかるコストと資材の消耗度合いから、解体前提の実験機に留めているほどなのだ。

 

「あれはあくまで次世代機の為のもので、欠陥も多いもの」

 

 将来はMSに転用できるレベルまで小型化したいと常々口にしているイワンだが、それが冗談のつもりなのか本気なのか。今回ばかりは定かでない。

 だから気にする必要はないのだと、明らかに十代前半のイングリッドの年上っぽい仕草にアルマは戸惑いつつ、頷く事しかできなかった。

 

「だから、少尉。貴女はここで『洗礼』を受けて貰うわ。気分は最悪でしょうけど、間違いなく成長できるわよ」

 

 

     ◇

 

 

「うぅ……」

「へぇ。戻さなかったんだ」

 

 ガッツあるじゃない、と差入れにチューブ式のコーヒー飲料を渡すが、アルマは持ったままで口に含む気配はない。

 

「正直、ギリギリです……ヘルメットの内側を汚物塗れにしたくなかったですし」

「分かるわ」

 

 自分もそうだったとイングリッドが苦笑する。

 ペズンに来たニュータイプが真っ先にやる事と言えば、どの程度のものかイワンに確認して貰うことで、一番手っ取り早いのがアルマが経験した模擬戦闘だ。

 とはいえ、流石にマレットのようにしごき上げることはしない。

 武装らしい武装は殆どなく、立ち回りや反応速度から、ニュータイプとしての空間把握や予知がどの程度の物か見定めるものであるのだが、イワンの動きを読もうとすることは、当然だが莫大な放出量を誇る、イワンの感応波(サイコウェーブ)を感じ取ることとなる。

 

“その結果が、これなのよね”

 

 海底にまで手を付けるように、深く他人を心を覗き込もうというほどではない。あくまで動きを察知する程度で、例えるならゴーグルをつけて、水面から海の様子を覗こうと首を突っ込んだら、大口を開けた人喰い鮫が出迎えてきたようなものだ。

 

“慣れれば冷や汗程度で済むけど、初めは自分でもよく漏らさなかったなって思うもの”

 

 何よりイワンは相手が自分の動きを予知し易いように、()()()()思惟を垂れ流している状態だ。本人にとっては善意のつもりだろうが、聴力検査で耳を澄ませていた矢先、鼓膜が破れるほどの大音量でヘヴィメタルを垂れ流されては、ショックで吐き気の一つも起こすだろう。

 いざニュータイプとの実戦となった時を考えれば必要な『洗礼』とはいえ、堪えることに変わりはない。

 

「採点だけど……私から見ても、少尉の動きは鈍かったわ。でも貴女、敢えて深く読もうとしなかったわね?」

 

 末尾の言葉に、()()()を抑えるばかりであったアルマがピクリと反応した。実際その通りで、もしもアルマが深く、本気でイワンの動きを読む気でいたのなら、その瞬間に嘔吐していただろう。

 

「映像だけで分かるんですか……?」

「これでも経験豊富なのよ、私は」

 

 人造と言えど、イワン・ヨークに匹敵する最高のニュータイプであることを期待されて創られた身だ。

 意図して力を抑えなければ会話一つで相手を覗き見れてしまうだけに、イングリッドは感情的な言葉を口走ることは先ずない。

 尤も、本人からしてしまえば円滑なコミュニケーションが出来るという大人の処世術を意図せず身に着けてしまえた以上に、非常に生き辛く、やり辛いとも感じてしまうのだが。

 

「まぁ……少尉みたいな子は他にもいるから、先ずはその子達と打ち解けるところから始めましょうか」

 

 皆良い子だから大丈夫よ、と気遣うイングリッドは、本当に年上の女性のようだった。

 




 イングリッドは気苦労が多くて世話を焼く術が身についたというより、単に新米にお姉ちゃん面したいだけでごわす(かわいい)
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