飯炊きめっしーさま、ご報告ありがとうございます!
“自分が恵まれている自覚はある”
生まれ育ちだけではない。才幹一つ、縁一つとってもおそらくこれ以上は望めぬことを、フィーリウス・ストリームは誰より強く感じていたし、その幸運に見合うだけの努力は決して惜しまなかった。
『総帥の子供』の筆頭などと持て囃され、プロパガンダに利用されるのは構わない。
名家故に下駄を履かされ、依怙贔屓されたのだと余人が口にしたとしても、積み上げた努力と実績で捻じ伏せて見せると柄にもなく意気込んだものであるし、国家戦略や戦後の人的資源の確保という面を思えば、偶像だろうが道化だろうが、喜んで請け負う所存であったから。
──だから、フィーリウスが思い悩むのは別のこと。
“特務中佐殿……貴方は僕を、どのように見ておいでなのですか?”
名家の子息として、子守を任されたような心地なのだろうか?
或いは耐G適正が高い、特異体質故のテストパイロットとして?
それとも──
“僕に、貴方を師と仰ぐだけの資格は有りますか?”
口にはできない懊悩。尊敬し、認められたいと思う相手が自分をどのように見ているのかという不安が、常に胸中に渦巻いていて……。
「何か用事?」
心を読んだのでなく、視線に気付いたのだろう。床を蹴って宙に身体を流すイングリッドが近付けば、少女特有の甘い香りがフィーリウスの鼻腔をくすぐった。
「……用という訳では……いえ、そうですね。少し、相談に乗っていただけませんか?」
同階級でありながら敬語を用いるのは、異性を相手にしているからだろう。顔立ちこそイングリッドにも負け劣らぬ少女のような優男であるものの、立ち居振る舞い一つとってもやはり男なのだと察せられて、内心イングリッドは安堵した。
“いや、骨格とかで男の子だっていうのはちゃんと分かってるんだけどね? なんていうか色々重いのよ、このお坊ちゃん”
主にエリック・マンスフィールドに向ける感情が、だ。
視線を意識した瞬間、つい無意識に
“でも、そこがこのお坊ちゃんにとっての地雷でもあるのよねぇ……”
ニュータイプなど難儀な能力である反面、相手の地雷を踏まずに済むという一点だけは、有用であることを否定できなかった。
“女の子扱いされるの、本気で嫌がるタイプだって分かって良かったもの”
どれだけエリックに敬慕の念を示そうが、どれだけ可憐な顔立ちだろうがフィーリウスは男で、当然だが性的嗜好も男のそれだ。
エリックに対して恋慕の情を抱いている訳でも、ましてや女性になりたい訳でもない。
先程イングリッドが近付いた時に見せた表情一つとっても、年頃の男なのだとはっきり分かる。
“メイが悪乗りしかけた時なんか、全力で止める羽目になっちゃったし”
女物の華美なドレスを着せようなどという企てを断固阻止した過去に、思わず頭痛が再発しかけた。
確かに似合いはするだろう。今思い返しても間違いなく深窓のご令嬢のようで、そこいらの子女より余程似合いそうだなとは思った。
しかしだ。それをした瞬間、間違いなく双方の関係性に修復不可能な亀裂が走ったに違いない。
当然、既に察している悩みについても子女か新妻のようだと茶化すべきではない。
多少の冗談程度は顔を顰める程度で済むが、今回の話題は当人の中では冗談では済まない部類なのだから、あからさまな地雷を踏み抜く必要は何処にもないのだ。
「相談っていうのは、特務中佐がらみかしら?」
読んだのでなく、察した体を装いながらそれらしい疑問形で問えば、安堵からかフィーリウスはやや相好を崩した。
「いっそ
「冗談」
そこまで悪趣味じゃないわよ、と息を吸うように嘘を吐けば「不躾でした」と素直にフィーリウスは謝罪してきたが、だからといってイングリッドまで素直に白状する訳には行かない。
円滑なコミュニケーションには嘘も方便なのだ。人生経験こそ短いものの、そういう社会性を培い、学ぶ機会は良くも悪くも恵まれていた。
必要とあらば覗き見るが、打ち解けるには上手く引き出すべきなのだ。
“たとえ知り得ている答えだろうと、ね”
スムーズに会話を進めるには察しが良いと思わせる反面、多少の手間を惜しんでも回り道も必要だ。
そして、回り道をすべきか否かは『知り得ている情報』だけで正答に行きつけるか否かが分かれ目である。
周囲の会話や視線だけで察せられる情報なら素直に正答を。
そうでなければ相手に喋らせることで察したように見せろというのは、同じニュータイプ能力者であるイワンからのアドバイスだった。
……完成された政治将官からの助言など、スパイの手口のようで余り気乗りがしなかったし、何ならアドバイスをしたイワンの目も全く笑っていなかったものだから正直怖かったが。
“アドバイスとしては正しかったし、役には立ってるんだけどね?”
ニュータイプに対して理解がある相手だとしても、能力を多用していると見られれば、軋轢が生じることは目に見えている。
力とは正しく使うものであり、濫用など以ての外であると示すこと。
それが嘘偽りに過ぎないとしても、
『何しろ人間というものは、兎に角異なる存在を排斥したがる生き物なのだからね。
優しく教え諭したイワンの言葉を振り返りつつ“そうね、その通り”とイングリッドは内心溜め息を零す。
少々余談が過ぎたが……ともあれ今はフィーリウスの問題である。
「それで? 特務中佐と喧嘩……なんてするような性格じゃないでしょうし、訓練での困りごとかしら? それとも付き合い方?」
当たり障りのない二つを並べつつ、他に何かないか問う。焦らず長丁場になることを見越して、飲み物を用意するのも忘れない。
言い辛いこと、伝え辛いことを打ち明けようとする時は緊張で喉が渇くもので、逆に強引に口を割らせたいなら水分を摂らせるなとはジョニーの言だったか。
最先端技術を取り扱う
「このようなことを口にするのは憚られますが、小官は特務中佐殿に認められたいのです」
名家の子息としてでも、
フィーリウスという個人を、エリックに見て欲しいのだと打ち明けた。
「……あー、うん」
気持ちは分かる、などと言えばイングリッドがジョニーにそのような感情を抱いていると思われかねないので、何とも言えない表情と言葉でしか返せなかった。
答えが分かっているからといって、上手く返せる訳でも躱せる訳でもないという好例だろう。
“慕ってるお兄ちゃんに自分を見て欲しがってる弟とか、父親に認めて欲しい子供の気持ちよね、これ”
そこを馬鹿正直に伝えた日には会話は打ち切りであろうから、上手い言葉を探る。ただ、フィーリウスとしてはそうした自分の欲求と同じほどに、エリックに対して迷惑をかけてしまっているとも思っているそうだが。
「小官は手がかかるばかりの子供です。とても、特務中佐殿直々にお手を煩わせるべき人間ではありません」
これがイングリッドのようなニュータイプなら。
或いはユーマのような強化体なら、まだ分かる。
どちらも公国最高峰の、そして暗部に位置する軍事技術の最先端で、存在そのものが秘匿すべき対象だ。生半可な人間に任せられぬ以上、ヒューやジョニーに一任されることは理解できる。
翻って、フィーリウスはどうか? Gへの耐性を備え、覚えも人一倍早く、
間違いなく天才と称して良いだろうが、言い換えればそこまでだ。
ストリーム家とザビ家の距離然り、プロパガンダという面然りを加味しなければ、フィーリウス個人の価値だけでは、決してペズンに来ることはなかった筈だと肩を落とす。
「そのような小官が少尉の階級を賜り、特務中佐殿の指導まで受けていながら、なおこのようなことを望むのは厚かましく、卑しいことなのでしょう」
頭では、理性では分かっている。しかし、感情としては問いたい思いが強くあるのだと。口にこそしていないが、ニュータイプとしての能力を羨んでさえいる筈だ。
相手の気持ちを、思いを見通せてしまえたならという欲求がなければ、イングリッドに相談はしなかった筈だろうから。
「でも、私は覗かないわよ?」
「……。分かっています」
僅かな逡巡の後、諦めるようにフィーリウスは漏らした。そのような、道具のように人を扱おうことは決してしないと、改めて誓うような口調だった。
「……気持ちは分かるんだけどね」
他人と違うイングリッドでも、
言って欲しいことと、聞いて欲しいことが分からないから、食い違いに戸惑いながら、時に傷つけたり、腫れ物に触るように慎重に言葉や態度で示していくしかないのだろう。
そんな
「──少尉でも、伝え辛いことはあるのですか?」
「そりゃ有るわよ」
相手の気持ちが分かってしまうからと言って、それが上手く作用するかと問われれば別なのだ。むしろ却って足枷になってしまう方が、はっきり言って多い。
相手を知り得てしまうということは、誤解なく分かり合えるということは、始めから結果が分かってしまうということなのだから。
「言われることが分かっちゃうなら……希望なんて、持てやしないんだもの」
漏れた言葉は、思慮があってのものではない。むしろ、考えもなしに呟いてしまった事を後悔したほどだ。
「今のなし」
だから、そんな子供らしい言葉も口をついて出てしまう。恥の上塗りで、こんなのは自分らしくないと分かっていながら、思わず感情的になってしまっていた。
「……いま、笑ったでしょ?」
平静を保っている様で、軽くフィーリウスの口端が動いていたのを見逃さなかった。ただ、相手はそれに対して重く受け止めはしなかったようだが。
「申し訳ありません。ただ、少尉があまりに愛らしかったものですから」
「そういうの止めて」
口説くつもりもない癖に、そんな口ぶりは止めろとジト目で示す。
苦笑も絵になる美少年だが、生憎とイングリッドの好みではないし、何より……。
“……何より……何よ?”
思わず自問自答する。そもそも男の好みがどうこうなどと、そんな思いが過ること自体どうかしている。
“所詮私なんか、先の見えないクローンでしょうに”
文字通りの純粋培養で、同時に日陰者として生きるしかない身だと、承知の上でペズンに居る筈だろうに。
「……ま。良いわ。今はストリーム少尉のことだもんね」
だから、敢えて深くは考えずに話題を戻す。
「でも、結局は少尉自身の勇気の問題よ?」
ニュータイプ同士でもない限り黙っているのに分かって欲しい、察して欲しいと言うのは無理がある。長年連れ添った恋人や親兄弟でさえ、何かと齟齬が出てしまうのが実情だ。
何となしに察する事は出来たとしても、それで全てが通じる訳では決してないのだから。
「私から見たら、脈は有ると思うしね」
心を読んだ訳でも、口から出任せでもない。義務感から接する人間と入れ込む人間というものは、細やかな点でも対応に違いは出るものなのだから。
「変に距離を開けられたりだとか、気を遣われたりしてないでしょ?」
エリックにしてみれば、当然義務感や職務としての面はあるだろう。だが、本当にそれだけなら、必ずそれらしい態度というものが出て来る。
アルマの面倒を仰せつかった初期のトーマスなど、その点分かり易いもので、将校としての指導的側面がハッキリしていたというのに、今では中々の入れ込みようなのだから。
「そう、ですね……ありがとうございます。正直、話せて良かったと思っています」
「ん。それは何より」
また困った事が有ったら言いなさいな、と。妙にお姉さんぶって見せるのは、ペズンという場所でしか生きられない自分が、僅かながらにでも頼りにされたいという思いもあるだろうが……。
“友達の影響って、思うより大きいのね”
メイ然りアルレット然り、年頃らしい会話に華を咲かせられる相手というのは、本当に有難いと思う。
自分は戦争の兵器と言うだけではないのだと。殺す為に産み落とされただけの人形ではないだと実感する事が出来た。
そして、それを教えてくれた友達のようになりたいとさえ思ってしまえたから。ただ……。
「こっち見てニマニマするの、止めて欲しいんだけど?」
「いやぁ、イングリッドちゃんのお姉ちゃんぶりが微笑ましくって」
フィーリウスが去ってからすぐ、ラウンジで一部始終を観察していたメイが寄ってきた。映画だのカフェだのと即物的な娯楽に溢れている反面、こうした人同士の悲喜交々はどうしても不足しがちなのがペズンである。
メイのような人間模様を観察したがる手合いにとって、先程の様な話題が垂涎ものだということは理解しているつもりだ。
「全く……悪食も大概になさい」
恋愛話に食いつくのは同じ女として気持ちが分かるが、あれもこれもというのはいただけない。
「その歳で噂好きのオバさん扱いは嫌でしょ?」
「花盛りの乙女捕まえて、それはないんじゃないかな?」
腰に手を当てて顔を顰めたメイだが本気で不快な訳ではないし、多少は思うところもあったのだろう。「程々にしとくわ」と小さく零したのをイングリッドは聞き逃さなかった。
「でも、気にはなっちゃうのよねー。どう? 二人の恋路、上手く行きそう?」
「そういうんじゃないから、絶対フィーリウス君の前で言うんじゃないわよ」
マレットとミアのように健全な男女関係ならばいざ知らず、どうして男同士をくっ付けたがるのかイングリッドには全くもって理解できなかった。
いや、確かにフィーリウスの方は女装でもさせれば、さぞ絵になることだろうが、だとしても趣味嗜好としては業深いことこの上ない。
「……フィーリウス君と特務中佐なら、上手く行くわ」
私と違ってね、という言葉は飲み込んだ。そして、おくびにも出さなかったというのに、メイはじっとイングリッドの瞳を覗き込んでいた。
「
「……時々、貴女がニュータイプじゃないかって疑いたくなるわ」
有り得ない事だとは分かっている。名実共に天才と持て囃されるメイ・カーウィンだが、彼女はアルレットの様に本能的に全てを感じ取るのでなく、理論と発想でもって実績を重ねてきた努力の人だ。
だからこそ、と言うべきか。違和感一つでも逃せば、それが元で死者に繋がる分野であり、軍属と言えど佐官の階級を戴く職責を鑑みるならば当然と言えることかもしれないが、所作一つ。何気ない視線や息遣い一つに対する観察眼がずば抜けていた。
「うーん。アルレットちゃんのは便利そうって思ったことあるけど、正直私には要らない力かな。だって、全部分かっちゃったら楽しくないじゃない」
分からないから悩む。先が見えないから努力して、アプローチを考える。
初めから何もかもが判ってしまうのは楽かもしれないが、だとしても欲する事は決してないだろう。
「それで正解よ。こんな力、所詮道具でしかないんだから」
人類の革新だの進歩だのとダイクンは大仰に語っていたそうだが、いざ当事者となったイングリッドにしてみれば、決して愉快なものでなかったのは確かである。
「メイみたいに、相手のことを考えて過ごす時間が空しくなるだけだもの」
メイが手にしたビデオレター以上に、多くの手紙やビデオレターをケンに送っていたのを知っている。恋する男の為を想い、どんな内容なら喜んでくれるのか。どんな文章が相応しくて、きちんと思いを伝えられるだろうか?
想う全てを、余すとこなく伝える事は出来ないだろう。綴った言葉が、間違った解釈になってしまう事もあるかも知れない。
けれど。だけど。真摯な思いを届けようとする心が報われると信じている。
前を向き、恋した殿御に恥じない己であろうとするメイは、イングリッドにとっても美しい女の在り方だと思う。
“私と違って、ね……”
だから、そんなメイ・カーウィンのようにイングリッド・ゼロはなりたかったのだ。
子供っぽく、悪戯っぽく笑って周囲を巻き込みつつも、自分の時にそうしてくれたように悩む誰かに寄り添い、手を差し伸べてくれる姿に憧れたから、イングリッドは誰かの世話を焼く事をしているのだ。
“そんな私が、勇気だなんだって出しゃばっちゃうのは、自分でもどうかと思うけど”
本当の勇気なんて、持っていない癖に。知らず不安になって相手の気持ちを読んで、その癖素知らぬ顔で勘と洞察力が優れた女のように見せている自分が、恥知らずに思えるのだ。
まるでカンニングで良い点とって、それで威張る様なものではないか、と。
「えい」
「……なにすんのよ?」
むに、と人差し指で皺が寄った眉間を押される。
「折角のもちもち肌なのに、そんな顔してたら二〇歳までに小皺が寄っちゃうよー?」
おどけるメイに「そうね」とため息を溢しながら首肯した。
だから、ぷにぷにと眉間を押し続けるのはいい加減止めて欲しいのだが?
という視線の訴えは、「良いではないか、良いではないか」と何処で覚えたのかも定かでない、やらしさに満ちた言葉と共に続く。
「てい」
「あ痛っ!?」
きりがないので軽くデコピンなどすれば、大仰に額を抑えて見せた。当然演技だ。幾ら身体機能も強化しているとはいえ、力など殆ど込めていないのだから当然である。
「うー……イングリッドちゃんが反抗期にー……」
まだ言うか。そして母親ぶるな。そんな齢じゃないだろうがとツッコミたくなるのを抑えつつ、更に溜め息をこぼした。
……いや、実年齢は幼児以下のイングリッドと、既成事実を作る為なら何時でも動く用意のあるメイの現状を鑑みれば、あながち無理のない構図なのやもしれないが。
「そこまで気を遣ってくれなくて良いのよ?」
「遣うよ、友達なんだから」
だから、悩みがあるならちゃんと言って欲しいと。今度は真摯に見つめて問う。……嗚呼全く。これだから弱いのだと自嘲して、イングリッドは言葉を紡いだ。
「ここじゃ何だし、ちょっと歩きながら話しましょうか」
◇
「……本当は分かってたわ。フィーリウス君が、どうして不安だったのか」
どうしてイングリッドが、自分を誤魔化さなくてはならなかったのか。
「私達に『好きになって貰う』のが、ここの大人達の仕事だって知ってたから」
エースが個人指導など、贅沢などという言葉では到底足りないほどで、ユーマなどはペズンの司令官代理たるヒューが直々に付いている。
だが、それも全て故有ってのことだ。
「ニュータイプと強化体……私やユーマ君みたいな子供から、反抗心を消したいのよ」
大人達は自分を理性と合理の中に封じる術を心得、感情でなく理屈によって動く事を学習している。軍衣を纏い、国家の奉仕者にして庇護者たるべく生きる者としての自覚を有した上で動いている。
「でも、私だけじゃない。志願したユーマ君でさえ、大人程割り切れてないの」
軍衣を纏い、国家への忠誠を宣誓した大人達と同じように、本当にいざという時、命を懸けられるのか?
そうでなくとも感情の赴くまま、命令に反する事もあるのではないか?
無論、有るだろう。どれだけ教育に余念がなく、どれだけ優秀な成績を叩き出そうと、子供というものは青く未熟な面が残ってしまう。
理性で自らを殺し切れず、衝動に任せて動く可能性は大いにある。
「少なくとも私達の
おそらくだが、ペズンに集うエース達には能力とは別の採用基準が設けられていたのだろう。
一見横柄に映っていたマレットやトーマスでさえ、根の部分は真面目な男だった。そうでなければ、どちらも決してペズンに招かれることはなかった筈だ。
「本気で私やユーマ君みたいなのを差別したりしない……それどころか、同情や敬意を抱いてくれる人達ばかり」
しかし、現実を生きる多くが、そのような善人ばかりでないことぐらいイングリッドも承知している。
なのに、ここに集う者は例外なく、心からイングリッド達を案じている。
自分たち大人が不甲斐ないからと、イングリッド達が大人になるまでは、必ず自分達が負うべき責務を果たすのだという一念で居てくれている。
それは反抗の種を潰すのに、最も効果的なやり方だった。
心とは折るのでなく育む物だから。
心服できる人間の為なら、どれだけ残酷な命令だろうと実行できてしまうのが、摩訶不思議な人の心というもので、どんなに強力な薬物や暗示よりも、尊敬や信頼という感情は恐ろしい劇物になり得るのだ。
「だから、こんな風に立ち話や私語だって幾らでも出来ちゃう」
人間不信にならないように。
そうでなければ、どれだけ有能だろうと、過去に機密保持で問題を起こしたメイ・カーウィンを秘密基地に招聘する筈がない。
「……流石に気付いちゃうかー」
ぼやくメイだが、彼女自身はそうした裏の事情があったからイングリッド達と仲良くした訳ではない。精々が大人の企てに乗って、軍生活では出来ない雑談を楽しみたかったという程度であるし、そこを理解してくれていると確信した上での告白だった。
「そうね。私もメイと仲良くなるのは嫌じゃなかったし、ここに来れて良かったとも思ってるわ」
だけど。けれど。それでもだ。
「私……自分が嫌になる時があるの」
決して深刻でも何でもない、下らない理由でだ。
「自分が好かれてる。義務でも同情からでもなく、ちゃんと見てくれてる……それが判ってるのに、何故か嫌なのよ」
誰に好かれているのか。誰に見てくれているのかは言わない。言う必要もない。
「自分が欲しい気持ちが上手く言葉に出来なくて、なのに、それが自分の方には向いてないって分かるのが嫌なの」
欲張りな自分が嫌だ。これ以上ないほど恵まれた世界の中で、自分でもはっきりと自覚できないものを欲しがる、浅ましい自分が嫌だ。
「何が嫌かってね……そんな嫌な気持ちを、同性に向けちゃいそうになる時が一番嫌」
自分以外に向けられた、熱っぽさの有る視線。そこに込められた意味を思う度に自分の身体を見て、その都度軽く頭を掻いていた。
「……馬鹿ね。分かってるのに」
自覚したくないことだ。求められないと分かっているからこそ、その気持ちが強くて、だから必死に誤魔化してきた。分を弁えて、引き下がっていた。
「作り物の分際で──ってね」
だから、さっさと告白でも何でもして、幸せになってしまえと。変に大人の駆け引きだの距離感など考えず、正面から告白すればいいじゃないかと内心愚痴を零していた。
どうせお互いを信頼しているし、相性もいいのだから断られることもないだろうと、そんなことばかり考えていたという告白に……。
「は? 何それ?」
心底呆れたという風に、メイは不機嫌な表情で首を傾ぐ。
「まさかと思うけど、初めっから異性が自分を見てくれるのが当然と思ってる? どんだけ自己評価高いの?」
どれだけ可憐だろうと、大人びた仕草だろうと、育ち切っていない身体というハンディキャップは受け入れて然るべきだろう。年端も行かない少女がお好みな特殊性癖でもない限り、普通のコミュニケーションで恋愛関係に発展させることが難しいのは、メイとて百も承知だった。
「私は、その上で勝ったのよ?」
何しろお相手はコロニー公社勤めのエリート様だったのだ。肉感的な美女から適齢期のご令嬢まで選り取り見取りであった中、振り向かせる為の労力を怠ったことは一度もない。
「相手の家柄と自分の格差が不安なら、私の家に言って養子にでも何でもして上げるわ。カーウィン家の家格なら、ザビ家の縁者からだって縁談が来るわよ? 実際来たし」
因みにそのお相手こそフィーリウス・ストリームだったりしたのだが、フィーリウス自身からしても候補の一つに過ぎなかったし、メイも既にケン・ビーターシュタットに的を絞っていたことから、どちらも「そんなこともあったな」程度の関係性でしかない。
「それはそれで衝撃的なんだけど……ひょっとしてフィーリウス君、もう婚約してるの?」
「さぁ? ご婦人方のサロンにでも顔出してたら、その手の情報は入るんだろうけど、そっちは興味なかったから分かんない」
あの手の女の集いはお家同士の顔繫ぎと派閥形成が前面に出ており、既に技術者として成功していたメイからすれば、どちらも不要であったので顔見世すらしていない始末だった。
「でも、多分居ないんじゃないかな。もし居たら、特務中佐さんに首ったけなんてあり得ないでしょ?」
「……確かにね」
婚約者そっちのけで同性の反応ばかり気にしているというのは、フィーリウスの性格からして考え辛い。それらしい気配もないところからして、戦時を理由に縁談を流してペズンに来たと見るべきだ。
「そんなことより、イングリッドちゃんがどうするかだよ?」
勝手に諦めて泣き寝入りして嘘の祝福なんてものは、女として最も惨めな敗北宣言だ。
「認めちゃいなよ、本気で諦める気なら結果も出てない内から私に話したりしないでしょ?」
「……じゃあ。どうしたら良いっていうのよ?」
ここで問うということは、認めたということに等しい。白旗を立てて両手を上げ、その上で教えを乞うているが、メイは肩に手を置いて、満面の笑みで告げた。
「既成事じ──痛、いたたたた!? ちょ、ちょっと待って本気で痛いってば!?」
「色ボケを信じた私が馬鹿だったわ」
よりによって、この状況下で言う事がそれか。第一にして相手は成熟した女が好みのノーマルだ。何処ぞの
「そ……そこは色々と創意工夫をね? 大体男なんて一回出すもの出す状況になったら絶対ずるずる行く筈だから! 後ろめたくなって断れなくなる筈だから!」
「…………。ねぇ? それ、実体験じゃないわよね?」
割と本気の口調で言ってくるものだから、メイとケンのやり取りを聞くのが怖くなってきた。いや、話を聞く分にはプラトニックな付き合いしかしていないようなので安堵したが。
「じゃあなんでそういう発想になるのよ」
「いや、割とタイムリミット近そうだし、正直一番手っ取り早そうだなぁーと安直に思いついた次第で」
「…………」
タイムリミットという言葉にイングリッドの手が緩む。すかさず脱出したメイは極められた肩を労わるように軽く解しつつ、今度はまじめなアドバイスに切り替えた。
「『私は貴方の子供でも妹でもないよ』って示した上で、それでも突き放さずに好意を示して好感度上げて、告白するのが一番かな」
真っ当な攻略法としてはそんなところだろう。ただ、当たり前だがどれだけ努力を重ねたとしても、誰より強く想っていたとしても、それが報われる保証など何処にもないのが恋愛だ。
最終的に勝者となったメイ・カーウィンとて、出自や礼節でめかし込み、ライバルの悉くを自身のコネクションで排除した上で、身も心も全て捧げてようやくと言ったところであった。
そうでなければ政略結婚でもないというのに、年端も行かぬ小娘が大の大人と将来を誓い合うなど無理筋な話であったから。
「全部やり尽くして、何もかも投げ捨てる覚悟で進んで、それでも叶わない、実らないモノになるかも知れない」
けれど、それでも欲しいものを掴むのが女なのだ。掴もうとせずに、指を咥えて見ているだけで手に入るなんてご都合主義が、現実で罷り通ることは有り得ない。
お家同士の婚約で理想のお相手と巡り合うことが出来たとしても、相手の心を繋ぎ止めたいのであれば、そこから先は誠実に向き合わねば浮気をされて終わりなのだから。
「だから、先ずは進むべきだよ」
負けたくないなら、譲りたくないなら駆け抜けろと。
どんな結末になるとしても、思い通りにならないとしても、きちんと正面から、自分と相手に向き合うべきだと、メイは背中を押して──
◇
「──ジョニー、私。貴方に恋したみたいなの」
これは幾らなんでも
次話でペズンの話は一旦区切って、戦争のお話に戻そうと思います(戦争やりたい病)