「──ジョニー、私。貴方に恋したみたいなの」
あまりに唐突な告白だった。
いつもと変わらぬ訓練。いつもと変わらぬ日々。拙い面を指摘しつつ、良かったところは褒めて伸ばす。この年頃の子供は少々気難しくなりがちだというのは分かっていただけに、匙加減は特に意識していた。
だから「聞いて欲しいことがあるの」と言われた時、思いつめたような表情でこちらを見つめてきた時、ジョニーは周囲に目配せして二人きりで聞こうとしたが、それをイングリッドは断った。
そう。断ったからこそ、衆人環視の只中だからこそジョニーは言葉に窮したのだ。
はぐらかすにも、本音を伝えるにも人の目が有り過ぎる。誰も彼もイングリッドの言葉に対して興味と好奇の視線を向けている状況下では、さしものジョニーも身動きが取れずにいた。
「……イングリッド、俺は、お前は……」
「うん。言いたいことは分かるから、言わないで」
好かれること。好いて貰うことが、ジョニーの職責の一つだという事は理解している。
これは雛鳥の刷り込みのように、盲目のものでしかないのかもしれない。
或いは本当の家族を知らないために、親愛と恋愛が綯い交ぜとなっているだけなのかもしれないこともイングリッドは理解しつつ、潤んだ目でジョニーを見つめる。
「全部、全部分かってるわ。私自身……混乱してるし、この気持ちに対する自信もないわ」
これが正しい恋なのかは分からない。
ひょっとしたら、勘違いなのかもしれない。
「それに、私がジョニーに不釣り合いな歳なのも、ちゃんと分かってる……だから、時間が欲しいの」
せめて、身体だけでも釣り合いが取れるまでは。
どんなに長くても、それまでは待って欲しいと訴える。
「ジョニーだって、まだ誰とも付き合ってないでしょう?」
由緒正しい名門たるライデン家の出でも、恋に関しては一度も経験してなくて、誰とも深い仲にはなっていないことは分かっている。
「だから、今は答えないで」
きっと、貴方が振り向きたくなる
ちゃんと、自分の心に向き合うから。
「私を女の子として見れるようになったら、お返事を頂戴」
◇
「……大胆だねぇ、イングリッドちゃん。お姉ちゃんビックリだよー」
誰が姉か。と半目になってメイを見やる。
ジョニーと離れた後、メイの個室でのんびりベッドに腰掛けるイングリッドは「あれしかないと思ったからね」と軽く返した。
「今回のは唾つけと、
ジョニーがイングリッドに対して恋慕の情を抱いていない以上、受け入れられるとは思っていない。しかし、断られるような真似もさせない。
「『タイムリミット』っていうメイの忠告もあったしね」
あの単語がなければ、イングリッドもこんな手には出なかった。悩み、惑う内にエイシアに攫われてしまっていただろう。
「だから、こっちから猶予を貰うことにしたの」
衆人環視の中、大っぴらに告白したのもその為だ。
ジョニーから言質を取らず、一方的に伝えるだけ伝えて去ったものの、だからといってジョニーがイングリッドに隠れて違う女と付き合えるほどプレイボーイでない事は、しっかりと心を読んで理解していた。
ジョニーがイングリッド以外の女に思いを伝えようとしても、今後は必ずイングリッドの姿が脳裏を過ぎる。
「ジョニーは真面目だから、間違いなく二の足を踏むでしょうね。今からエイシアにも私が告白したことを伝えるつもりよ」
ニュータイプ達のケアが職務であるエイシアだ。職場恋愛で庇護対象が情緒不安定になるのは避けたい筈で、だからこそその気があったとしても、ジョニーとの大っぴらな交際は出来なくなると読んでのことだった。
「うっわー……恐ろしい子」
互いに気のある男女の間に強引に入りつつ、男を奪う手管にはメイも苦笑した。これで恋愛経験皆無の一歳児以下なのだから、実に末恐ろしいものである。
「何言ってんだか」
貴女に比べたら可愛いものでしょ? と手練手管を仕込んだ恋愛の師に、イングリッドは薄く笑った。
◇
「はぁ……」
本日何度目かも分からぬ溜め息を、エイシア・フェローは溢す。
“
『陽性転移』というものがある。カウンセリングを受ける患者が医師に対して好意や愛情を抱くもので、十中八九イングリッドがジョニーに好意を寄せたのはそれが原因だろうとエイシアは確信していた。
何しろペズンに集う大人達は、意図して子供達が好意を向けてくれるよう振舞っていたのだ。
直接カウンセリングを行うエイシア然り、ジョニーやエリック然りに矢印が向くことは既定路線ですらあった。
“それでも、いざ現実になった時に飲み込めるかって問われたら別問題なのだけど”
常日頃から接してきた妹のようなイングリッドが、恋敵になってしまうなどというのは中々に気分が重い。
“とはいっても、こればかりはどうしようもないのよねぇ……”
告白されたジョニーとて、小児性愛者の
お互いに付き合うことになるだろうな、という漠然とした思いを抱いてもいたし、はっきりと言ってしまえば、どちらかが告白しても受け入れるつもりではあった。
だからそういう関係になるのは秒読みの段階だった筈で、だというのにイングリッドの告白騒ぎだ。
確かに陽性転移の兆候は見えていたものの、ここまで唐突なのは不自然に過ぎる。おそらくだが、メイかアルレット辺りがけしかけたと見るべきだ。
“だからって下手に陰で付き合ったり、関係を持った日には間違いなく拗れるのよねぇ……”
ニュータイプである以上、下手な誤魔化しは効かぬし、膂力についても鍛え上げた軍人のそれを上回る。見た目こそ天使のように可憐で華奢でも中身は別だ。
そんなイングリッドが暴走した日にはどうなるか考えたくなかったし、そうならぬよう動くのがエイシアの勤めでもあった。
“つまり、私が取れる選択は二つ”
一つは潔く身を引いて、ジョニーとイングリッドの仲を取り持つこと。
もう一つは、イングリッドに自主的に身を引いて貰うことだろう。
“長官の思惑や軍組織としての実益を考えたら、間違いなく前者を選択すべきでしょうね”
恋は盲目という言葉もある。クローンとして、少年兵として精神を安定させたいなら、ジョニーの意思はどうあれイングリッドの心を満たしてやるのが手っ取り早い。
“それが出来るほど、ジョニーは器用に見えないけどね”
そういう不器用な一面も含めて、エイシアはジョニーを好いていた。名家の出だというのに存外可愛い男で、だから庇護欲をくすぐられてしまうのだ。
“だから、私が身を引くのは無しよ”
どうせ上手く行きっこない恋愛だ。無理をして付き合ったところで、ジョニーは絶対にボロを出す。
その後でエイシアが堂々と付き合うという選択肢も有るが、唯でさえ陽性転移という奴は、愛情を抱いた相手に深く関わるに連れて『陰性転移』に移行し易いのだ。
エイシア自身、抱いた愛情が攻撃性に切り替わってしまう症例はペズンに来るまでにも目撃したことがあるだけに、取り扱いには細心の注意を払わねばならない。
そうでなくとも、あれぐらいの年頃の女の子では、変なところに怒りの矛先が向くこともエイシアは正しく理解出来てていた。
“泥棒猫扱いだけは御免だしね”
そうなれば、必然的に選択すべきは後者だろう。
やるなら慎重に。イングリッドが不快にならず、何より自主的に身を引いてくれるのが良い。
貴女のそれは、恋慕じゃないと。
ジョニーは家族であり、兄であり、父なんだと思わせる。
決してエイシアからはそれを口にせず、イングリッドの恋心も否定しない。
粘り強く日頃行うカウンセリングの中で傾聴しつつも、エイシアの意見をそれとなく混ぜればいい。
心を誘導するのは意外と簡単なもので、だからこそ世には詐欺というものが絶えず蔓延る。どれだけ強固に見える心にも、隙間は必ず生じてしまうものなのだ。
「ふふっ」
そこまで考えて、思わずエイシアは笑ってしまう。自分は悪い大人で、悪い女だということを自覚したから。
好きになるよう仕向けながら、それが予想外の形になってしまったら妨害するのだ。全てを知られたら、殺されたって文句は言えまい。
けれど、恋愛と戦争というものは、手段を選ぶべきでないとも言う。
どれだけ悪辣であるにせよ、どれだけ悍ましく映ろうと、勝者の立場を譲れぬからこそ、愛憎劇などというものは尽きないのだ。
「だから、ごめんなさいね」
狡知に長けた嫌な大人だ。しかし、女の性を否定するほど枯れても冷めてもいないのだ。貴女はまだ青いのだから、熟れ頃の女に譲ってくれと、一人静かに笑みを浮かべつつ時計を見やれば、
“本当、素直で愛い子”
ここ最近は特に色恋の話題に絶えないからだろうか? 或いはそうした年頃からか、初めは純粋に大人を見つめる程度だった視線が、単なる雑談程度に過ぎないと考えていたのだろう時間が、異性と過ごす事を意識したそれに変わっているのが、この上なく分かり易かった。
“ただ、ユーマ君に関しても決して良い方向とは言えないのだけどね”
イワンの思惑としては、エリックに対するフィーリウスがそうであるように、ヒューを意識し、慕うようになって欲しかった筈だ。
勿論その思惑は一定の成果を得ているし、ユーマはヒューを慕ってもいる。しかしそれは、イングリッドやフィーリウスほどのものではない。
善き大人、善き上司としての敬愛は有れども、先の二人ほど首ったけかと問われれば別で、むしろエイシアは自分にこそ意識しているのだろうと確信もしていた。
決して思い上がりでも、自意識過剰でもない。男が『女』を見る視線という奴をエイシアは心得ていた。しかしだ。生憎と恋愛対象にするには幼過ぎる。
“良い子だし将来有望そうだけど、流石にね……”
一〇年早いわよ、という思いを吞み込んで、微笑みながらいつも通りのカウンセリングを開始する。女としての性に蓋をして、母のように、姉のように振舞って見せよう。なに、恋と母性の欲求を取り違えることなど良くある話だ。
一〇年と言わず、数か月すればエイシアに母性を求めていたことを自覚して、ベッドの上で悶絶するように仕向けてやろう。
“本当、我ながら嫌な大人なこと”
◇
「なぁ……どうすんのが正解だと思う?」
何故それを私に聞いた!? 言え!!
……と。思わずジョニーに対して喉から出かかった言葉を飲み込む。
「意外と煮え切らない男だったのね」
代わりに真正面からぶった切るエイシアであった。
だってそうだろう? よりによって、それとなく互いにアピールして親密になった異性に対して、教え子から告白されたことの相談を持ち掛けるなどどうかしている。
……いや。逆か。その日のうちに話に来たということは、エイシアへの後ろめたさというものを自覚しているからに他ならない。
それはそれとして、男らしくないとも思いはしたが。
「否定できねぇが……断ろうにも『待ってくれ』じゃなぁ……」
「ふぅん」
上手いやり方だとイングリッドの評価を──そして警戒を── 一段階上げた。ジョニーが自分を恋愛対象として見ていないことも、自分の足りない点も自覚した上での伝え方だ。
その癖エイシアには告白したこと
“しっかり私を
幼かろうと女は女ということなのだろう。この手の化かし合いは三角関係に付き物だが、まさか創作物でなく現実で当事者になろうとはエイシアも想像していなかった。
「私はそこまで気長じゃないわよ?」
言いたいことは分かる筈だ。気持ちも理解できている筈だ。なら、流し目で蠱惑的な仕草を見せるエイシアに、どういう反応を示すのか。
しかし、ジョニー自身は多少体をゆすった程度で、動く気配はなかった。
「分かってるさ。あそこで断らなかったのが、俺の落ち度だってこともな」
だからこそ、この義理堅い男は裏切れないのだろう。それで愛想をつかされるとしても、仕方ないという思いもあっての相談だったのやもしれない。
「……はぁ」
深々と溜め息を零す。これぐらいは許されて然るべきだという思い。
面倒な恋路に対する落胆。しかし、惚れた弱みとはこういうのを言うのだなと感じる我が身の呆れ。
それらを綯い交ぜに一息で吐き出し、立ち上がる。
「どれだけ長くても、この戦争が終わるまでよ?」
そこが限度で、それが線引きだ。負ける気も譲る気もない。自分で動く気でもいた。しかし、流されるばかりの中途半端な男相手に身を焦がせるかと問われれば、はっきり言って否だった。
「ちゃんと決めなさい」
それが男の責任というものだろうとエイシアは思うから、太く長い釘を刺すことを忘れなかった。
◇
「ねぇねぇ、
暇さえあればこの手の話題を出してくることは目に見えていたが、人目のない個室ということもあり、今回は特に食いつきが良いメイであった。
教えて教えてと、ベッドを転がりながら強請ってくるのに対し、イングリッドはバツが悪そうに俯いた。
「……。自分の気持ちに、自信がないってジョニーに言ったの。あれ、本心だったの」
クッションを抱いた腕が、微かにこわばる。吐露してみせた弱さと煩悶は、意中の相手にも見せられない、信頼できる同性に対してだけ顕わに出来るものだった。
これが本物の恋なのか。それとも大人達が用意したレールに乗った結果の誤認なのか。
大胆な告白や理詰めの行動とは裏腹に、イングリッドは自分の心の正体が掴み切れていなかったのだ。
「だけど、だからこそ急がなくちゃって思ったわ」
この気持ちが錯覚でしかないのなら、その時に改めて間違いだったと打ち明ければいい。今のジョニーなら間違いなくホッとしてくれることだろう。
けれど、この気持ちが本当に恋だったら?
自覚こそないだけで、邪魔者を消してでも奪いたい程の強い感情だったなら?
取り返しがつかないほど、暴走してしまうような感情だったら?
「自分が化け物だってことぐらい、自覚はあるもの」
心を読めるだけではない。膂力一つとっても素手同士なら歩兵相手でも殺せてしまうほどに凶悪で、その手の訓練もしっかり受けている。体格差に伴うリーチなど、容易に覆せてしまうだろう。
「だから、自分を納得させなくちゃって思ったわ」
終わるにしても、負けるにしても悔いのない結末にしたかった。
勘違いだと笑って済ませてしまうにしても、自分自身を誤魔化さずにおけるだけのことをしておきたかった。
「エイシアにだって、本当に悪いと思ってるけどね」
けれど、そのエイシアを考えての事でもあった。ある日突然、唐突に。好きな相手を奪われたのだと理不尽な怒りを抱かないためにも、必要な儀式だったとイングリッドは思っている。
「嘘吐き」
対し、メイの返しは簡潔ながら核心を突くものだった。
「好きか嫌いかも分からない子は、正面から告白なんかしないよ」
頬を染めて、耳まで赤くして。大勢に見られている中で、それでも想いを伝えたじゃないか。
「変に悪びれたり、賢くならなくたって良いじゃない」
好きなら好きでいい。大人の思惑がどうとか、立場がどうだなんて考える必要は何処にもない。
「女の子だもん。恋ぐらい気楽にしたって良い筈だよ」
唯でさえ先の見えないご時世だ。どれだけ人生が成功していても、ふとした拍子に落とし穴に嵌まることだってあるだろうし、正しいと思っていた道が間違いだったなんてことは、人生の中で幾らでもある。
「人生は一度だけでも、恋は何度だって出来るんだからさ」
失敗も成功も人生のスパイスだ。最初は好みでも何でもなかった相手と上手く行くこともあれば、理想だと思った相手に裏切られることもあるだろう。
「進んでみなよ。それでずっと、一生一緒に居たいって思えたら、それは間違いなく本物の恋なんだから」
そこに誰かの許しなんて必要ない。勘違いだったとしても、咎められる謂われはない。だって、恋は誰だって一度はするものなのだから。
「そうね。ありが──」
「──じゃあ、そういうことで!
「……。絶対そこが聞きたかっただけでしょ……ああもう、分かったから落ち着きなさいってば」
良い話が台無しだと嘆息しつつ、思いつくところを口にしてみる。
背が高いだの、端正な顔立ちだのと言った当たり障りのないところから、ぶっきらぼうに見えて気を遣ってくれるところ。子供の扱いなんて慣れてないだろうに、それでも真っ直ぐに関わってくれるところ。
いつも目を見て話してくれるところ。変な噓や誤魔化しはしたくないと思っていて、それが顔に出てしまうところ。
自分だけじゃない。キマイラや他の皆にも、分け隔てなく接しているところ。
「正直者で、だから変なとこで不器用で……でも、絶対に放り投げたりしないところ」
そういう誠実な生き方が、見ていて心地好かったのだろう。
砕けたりふざけたりすることはあっても、心根は相手を慮っているところが──
「──好きなんだねー」
「そう……ね」
そうかもしれないと。クッションに埋めたイングリッドの赤らんだ顔が、メイにはとても愛らしかった。
最近まともに戦争とか諸々やってなくてほのぼの気味なので、そろそろ宇宙攻撃軍とか、北米にスポット当てたいと思います。