宇宙(そら)に掲ぐ旗の名は   作:c.m.

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今話のあらすじ:(ひたすらに)お労しやキャス上……。

【お詫びとご報告】
※第70話、第71話、加筆したので改訂版とタイトルにつけました。
 具体的には、旧ダイクン派のクーデターの理由に、ラプラスの箱が加わっているという内容で、今話にも箱がガッツリ絡んでおります。


76 神聖ジオンの旗の下に〈改訂版〉

「キャスバル様。シュレッサー閣下が接見を求めております」

「通してくれ」

 

 邸宅でなく、敢えて病院で面会を希望したのは防諜の為だろうと素人考えながらに当たりを付けつつ、キャスバルは二つ返事で快諾した。

 シュレッサーが(ダイクン)の遺臣というだけで信用の担保として十分であったものの、それ以上にキャスバル自身、シュレッサーには全幅の信頼を寄せていたことが大きかった。

 亡命生活を送って来た幼少の頃には、テアボロ・マスが新たな父としてキャスバル達を支えてくれたし、今では本当の意味での父になってくれている。

 しかし、キャスバルが大人となって祖国に戻った時。

 自らの出自に対する責任をひときわ強く感じるようになった時。

 常に寄り添い、支えてくれたのは他ならぬシュレッサーだった。

 肉親の、家族としての繋がりとは違う。

 主従の間柄にあったのだとしても、そこには人生の指針を定め、迷いを除いてくれる『恩師』に対する敬慕があるからこそ、キャスバルは肩を弾ませつつシュレッサーを迎え入れ──瞬間、護衛として両脇に侍っていた親衛隊員の眉間に風穴があいた。

 

「……!? !?」

 

 困惑、憔悴、スローモーションになる視界は、発砲音と共に脇見見た護衛の後頭部が爆ぜ割れ、脳漿を散らしながら弾丸が突き抜けるのをはっきりと捉えた。

 

「……っ」

 

 込み上げる吐き気。人の脳など外科医として何度となく見てきただろうに、初めて目の当たりにした凄惨な現場は、生理的嫌悪と拒絶反応を示して、胃の内容物を喉元までせり上げてきた。

 

「何の真似か!?」

 

 だが、無様に吐瀉物を撒き散らすような醜態を晒さず、毅然と声を張って見せたのは賞賛に値する勇気だろう。

 キャスバルから発せられた当然の怒号に対し、しかしシュレッサーは臣下として動じることなく、むしろ褒め称えるように目を細めてから慇懃に腰を折って見せた。

 

「ご無礼、平にご容赦を。ですが、全ては安全な場に移ってから」

「……シュレッサー将軍の忠誠を、信用して良いのだな?」

「我が心に一点の曇りもございません」

 

 たとえニュータイプが心を読んだとしても、淀みない(いら)えに嘘偽りは無いと誤認しただろう。

 アンリ・シュレッサーは正しくキャスバルを王として仰ぎ、神の子として奉じ、命を捧げると誓っている。それはシュレッサーの背後に控える防衛師団員もまた同様だった。

 

「閣下、退路は確保致しました」

「キャスバル様、こちらへ」

 

 消音器(サイレンサー)を装着した火器を手に、精鋭と称すべき面々が退路をこじ開けたのだろう。中には道半ばで斃れた者も居たようだが、シュレッサーを筆頭とした将兵は、屍を越えて装甲車の後席にキャスバルを届けて見せた。

 

「不自由をおかけ致します」

「なに。死者を直接目の当たりにしたのは初めてだが、こうした事態は亡命時にも何度かあった」

 

 あの頃は護衛が相応の配慮を示したことも有って、直接荒事を目の当たりにすることは無かったが、それでも銃声や慌ただしい足音とは切っても切れない関係にあったものである。

 

「シュレッサー将軍……親衛隊内部にさえ、連邦の毒が回っているのか?」

 

 だとすれば、ザビ家の安全は何処まで保たれるのだろうか?

 防衛師団本部に向けて走る装甲車の中、不安から来た震えを握り拳を作る事で耐えるキャスバルに、シュレッサーは微笑を浮かべて──

 

「いいえキャスバル様──ザビ家一党こそが、ジオンにとっての毒なのです」

「貴様っ……!」

 

 それだけで全てを悟ったが、既に遅きに失していた。激し、立ち上がらんとしたキャスバルは両脇に控えた屈強な()()()よって、再び席に縫い留められる。

 

「貴方のご尊父にして我が主君は、ザビ家によって弑されました。主君を守り通せなかった遺臣として、全てが終わった後には如何な裁きをも甘んじて受ける所存です。

 しかし、キャスバル様には再び玉座に就いていただかねばなりませぬ」

 

 ザビ家という簒奪者が奪った血濡れの玉座……それを再び奴らの血で染め、その席に座れと()()()命じている。

 跪き、頭を垂れて礼を示す忠臣と、それを見下ろす王者の構図でありながら、主従としての決定権は完全に逆転していた。

 

「何処にそんな証拠がある! 気でも違えたか!?」

「お若いことですな……証拠など、必要がありましょうや?」

 

 あの暗殺事件にあって、最も得をしたのは誰だ?

 ダイクン派も連邦も、全てを鎧袖一触とばかりにねじ伏せた挙句、民からの信頼さえ勝ち取って万事丸く収めて見せたザビ家の動きを、出来過ぎだとは考えなかったのか?

 謀殺されたダイクンからザビ家の政権掌握までの流れは、確かにこれ以上ない程出来過ぎていた。

 

「滑舌の良いことだな」

 

 だからとて、シュレッサーの言葉に黙し頷く理由もなかった。キャスバルとて全てを鵜呑みにする雛ではない。

 理を通しての対話というのなら、反駁は当然の権利であるが故に。

 

「しかし将軍。今日までのザビ家の統治と戦争指導を見返せば、ザビ家一党の政権掌握は、指導者を失った国を立て直すべく尽力した結果と見ることもできる筈だ」

 

 仮にザビ家が民意を操作し、万雷の拍手の中で樹立した独裁政権下で私利私欲を貪るばかりの暗愚であったなら。

 国家と国民を玩弄する悪しき専制君主であったなら。

 たとえ真実がどうであろうと、ザビ家をダイクン暗殺の主犯と一方的に断じ、己の血を錦の御旗としてキャスバルは義挙したやも知れない。

 しかしだ。万が一ダイクン暗殺がザビ家一党の謀略であったのだとしても、キャスバルは現政権に対して、大義を掲げる意味を見出せなかった。

 

「酷な現実を告げるが──ジオン・ズム・ダイクンは優れた思想家ではあったが、政治家ではなかった」

 

 それは亡き父の尊厳に泥を塗る発言に他ならなかったが、同時に真実でもあった。

 生前の父は確かにキャスバルを、家族を愛してはいただろう。

 

“しかし、私人としての父は最低で、公人としても問題のある男だった”

 

 同じ理想を胸に、公私を問わず支え続けてきた筈のローゼルシアを子が為せないという理由から見限った。

 浮気相手であったアストライアを、子を生したという理由一つで公邸に住まわせた。

 

「当時のサイド3(ムンゾ)には王も臣下もなかった以上、私の『血統』に……ダイクンの血に価値などなかった筈だ。

 父は議会から選出された議長であり、国家の代表でしかない……私も妹も、後ろ指を指されて当然の不貞の子だ」

 

 後継ぎが産まれたことを黙認した議員たちや、無邪気に喜んだ民衆も、そこについては同罪であったことは否定し得ない。

 民主主義国家において、共和制議会において醜聞以外の何物でもなかった行いにも拘らず指導者の子と肯定された、共和政治の未成熟さ故の問題もあったのだろう。

 それでも愚かな称賛の輪の中心にいたダイクンは、咎められて当然だった筈だ。

 

「君主制を布いていなかった時代。貴顕が側を置くことを認められていなかった時代の不祥事を公の場で顧みず、周囲の言祝ぎに流されるまま慶事として糊塗した父は、己の地位を利用したことを恥じねばなるまい。まして、公邸の私物化など言語道断だ」

 

 斯様な不道徳と公私混同も然ることながら、最も罪深いのは議会の中心人物でありながら、政策でなく思想に耽溺し続けた不義だろう。

 弁舌とカリスマを武器として誰もかもを熱狂させ、狂奔の渦に導きながら、ダイクンは国家元首としての立場も、自国の国力も見えていなかった。

 

「理想を掲げるという行為は、どれだけ甘美であったとしても、それ自体が闘争の萌芽だ」

 

 にも拘らず、軍事・経済両面から見て地球連邦には決して太刀打ちできない、余りにも弱い地盤の上で、ダイクンの声だけは誰より大きかった。

 ダイクンはニュータイプ論を提唱し、ジオン主義(ジオニズム)を掲げたが、それが政治的大局を見据えてのものだったかは、当時の情勢を鑑みれば甚だ疑問だ。

 あの時代の情勢は、独立を勝ち取るには余りに無謀な前駆の時代だったのだから。

 

「あのまま父が、父の理想を邁進すれば……父は神でなく暗君として終わっただろう」

 

 ジンバ・ラルがそうだったように、精神主義に基づいた夢想論を以て議会を空転させ、どのような財貨より貴重な時間を浪費して、遠くない日に連邦によって未来を摘み取られたに違いない。

 

「歴史の分岐点は善悪を超越する。たとえ……本当に父を暗殺したのがザビ家だったとしても、民の未来が閉ざされるよりは()()だった」

 

 言い方は悪いが、ダイクンはあそこで死ななくてはならない存在だった。

 真の意味で宇宙移民(スペースノイド)を導く指導者としての資質を持ち合わせ得ず、同時に一個人としての半生も清廉潔白とは言い難かった。

 ジオン・ズム・ダイクンの不名誉の数々が覆い隠され、国父としての『記号』だけを残して大仰に奉じられるのは、あくまで神格化するのに都合が良かったという政治的理由一つきりだ。

 

「対し、日々の糧と未来を確約せんと躍進したのは、万民の為の統治を実現したのは……他ならぬザビ家だ」

 

 キャスバルは父を忌み嫌ってこのようなことを口走っているのではない。キャスバルはキャスバルなりに自分を愛した父を同じように愛しているし、こうして負の側面を口にするごとに、心臓が胃に沈み込むような重い気分を味わってもいる。

 だが、それでも父を妄信する人間の愚行を止めねばならない一心で、自分自身の心をも傷つけながら現実を突きつけている。

 お前達が目の敵にしている敵こそ、お前達が弑さんとしている敵こそ、宇宙移民(スペースノイド)の悲願を果たすべく時代を進めた、真の指導者なのだという現実を。

 富国強兵を推進しつつ、それでいて立憲君主として何一つ恥じるところのない、清廉な指導者として統治を続けてきたと言う厳然たる事実を述べた。

 家族を愛する自分自身からも目を逸らすことなく、民の未来を守り、旧臣を止める為、血を吐く思いで亡き父を弾劾したのだ。

 

「我らの民は、苦難の時代にありながらも満ち足りている。皆、未来を見据えているではないか」

 

 積み重ねた実績と偉業の数々を前にして、どうして血統を理由に国を割れよう?

 体制の船を揺さぶった所で、それを喜ぶのは連邦だけだ。

 

「かつての栄光と、父への忠節の日々が忘れ難いのは理解できる。だが、真に祖国を想うなら、我々は日陰に甘んじるべきなのだ」

 

 それがジオン公国の、全ての宇宙移民(スペースノイド)にとっての最良ではないか? 過去に縋り、現実への不満に腕を振り回したところで、それで苦しむのは守るべき民なのだ。

 

「憑かれた夢から目覚めなくては、全てが破滅に進んでしまう。

 将軍……、ここで拳を下ろしてくれるなら、私は我が身を呈してでも父に忠節を尽くしてくれた貴方と部下の命を守ろう」

 

 だからもう、このようなことは止めてくれ。

 今や遠い時代の全てに別れを告げて、共に前を向いてくれと。

 口先でなく心からの嘆願に、しかしシュレッサーの心は動かなかった。

 

「確かにザビ家の統治は、万民の支持を得ております。しかし、彼奴等はダイクンの臣であった筈。口先だけでなく真に民の為であったのだとして、それを理由に主君を殺め、玉座を乗っ取ったことを我らは旧臣として認められませぬ」

 

 王に至らぬ点があろうとも、否、至らぬ点があればこそ、臣とはそうした王を輔弼してこその臣。

 王を見限って毒を注ぎ、自らが王に取って代わろうなどと企てた一党など、どれだけの善政を敷こうとも旧臣にとっては逆賊の徒でしかない。

 だが、その理屈こそがキャスバルとシュレッサーの精神の地平に、和解の二文字を隔てる奈落の谷底が生じた決定打となったのだろう。

 シュレッサーの忠道は、人によっては美談に映るやもしれない。

 二君に仕えることを良しとしない、武人の心に同情の念を寄せる人間も居るかもしれない。

 しかし、現実を見据えるキャスバルにしてみれば、決して容認することは出来なかった。

 シュレッサー達が何処まで理想的原理で動こうと、現実はキャスバルが最も忌み嫌う形で動いてしまう。

 民の血が流れ、国が亡ぶという最悪の形でだ!

 

「父の無念を晴らしたい一心と言えば聞こえは良かろう! だが、我執を剥き出しにした私闘で国を割って良いと思うのか!?

 挙国一致の(とき)(らん)(みだ)し、要らぬ血を流した果てが、何処に行き着くか本当に分からないのか!?」

 

 何故ここまで言って分からない!?

 何故自分達に、誰も付いて来ないと分からない!?

 

「既に時代は変わったのだ!! 万事抜かりなくザビ家一党を排除しようと、議会は自分達を支持してくれるか!? 民がダイクンの子という()()で納得するか!?」

 

 ザビ家が刷新した国家体制は涙を過去に、ダイクンの死を歴史の一頁に置き去った。

 旧ダイクン派とダイクンが最も脚光を浴びた時代は永久の過去であり、ダイクンを失ったことへの痛手の涙は、国民にとって『物語』に成り下がっている。

 公王制の移行に伴い、公僕たちは家臣として脱皮を果たし、共和政治を生きた民もまた、棄民から王を戴く臣民としてのアイデンティティーを築くことで、自己形成を果たしてしまった。

 最早彼らはザビ家の臣、ザビ家の民なのだ。

 

「ザビ家が理想の王として君臨して久しい以上、クーデターを成功させても反抗する者が必ず現れる!

 私も防衛師団(おまえたち)も、()()()()は流血の統治を為すばかりの()()()独裁者にしかなり得んのだ!」

 

 ()()()()公国民は、皆ザビ家の臣民としてのアイデンティティーを築いた以上、反旗を翻した『逆賊』に与することを決して由とはしないだろう。

 キャスバルを錦の御旗にして血統による正統性を主張しようと、忠義に厚い臣下も民も、決死の覚悟で抵抗する。

 たとえ国を奪えたとしても、防衛師団は祖国を統制する為の手段としてそうした臣民の粛清を選択せざるを得ない訳だが、血と恐怖によって為される統治など二流の仕事で、その点を鑑みるならば、ザビ家のやり方は完璧とさえ言って良かった。

 

 ジンバ然りローゼルシア然り、ザビ家にとって不都合な政敵は、()()政敵を国家の癌と見做し、()()()政敵を除くことを後押しした。

 私利私欲の為、国を牛耳る為にザビ家自身が動いたのではなく、()()()排除する方向に動いた結果に過ぎないと誤認させてしまったのだ。

 現実には巧みな民意操作によって国民の胸に『敵』を作り上げたザビ家とイワンの権謀術数によるものだったにせよ、真に優秀だったのは、それ以降ザビ家が国内を流血で以て統治することはなかった点に尽きるだろう。

 

 官民を問わず旧ダイクン派を取り込み、厚く遇すると共に国父としてダイクンの声価を確立させたことで、ダイクンと遺臣の顔を立てた。

 旧ダイクン派がどれだけ腹の内に黒々としたものを抱えていたとしても、矛を向けるだけの大義名分の悉くを抑え付けつつ、決して粗略に扱うことなく重用して見せること。

 過去の政治的対立がありながら公正に功労を考課し、栄躍栄華を与えてやるというのは並大抵のことではないが、ザビ家はそれをやってのけた。

 旧敵たるジンバの息子、ランバ・ラルこそその筆頭だが、ダイクン派にあってもシュレッサーを始め、皆が能力に応じた椅子を与えられた。

 

「にも拘らずお前達は椅子を蹴って唾を吐き、首を獲らんと暗躍する! 恩を仇で返すとは、正にこのことだ……!

 敵を取り込み、敵を使い、敵を重用すること! それができてこそ一流の独裁者足り得るが、お前達にそんな真似は出来まい! それが出来るだけの下地を、お前達は整えていない筈だ!」

 

 出来ていれば、ザビ家が今も絶大な支持を得ている筈がない。

 かつてザビ家が追い込んだジンバ・ラルのように、上から下まで売国奴と詰られながら、キャスバルの統治を声高に望む民が、暴徒鎮圧という名目の暴力にも負けず、街路という街路を練り歩いていただろう。

 たとえキャスバルが有りもしない野心の赴くまま、防衛師団の馬鹿げた企てに乗ろうとも、全てを終えた後で昨日の敵を今日の友に出来ないのであれば、ザビ家以上の統治は不可能だ。

 

「何より統治以前の問題として、クーデターを収束させるまでに、どれほどの時間を要するか考えたか!?

 お前達が国を掌握するまで、連邦が待つものか! 奴らは確実に内乱に付け入る! 戦時に身内争いなどしては、勝てる戦も勝てなくなると何故分からない!?」

 

 下野を表明し、一度として政界に身を置く立場になかったキャスバルとて、ここで旧ダイクン派とザビ派の内乱など生じては、連邦が意気揚々と切り込んでくることなど分かり切った話である。

 だからこそ将の地位にあるシュレッサーが、このような愚行を企て、積極的な姿勢でいることが、キャスバルには心底理解できない。

 ましてや今のザビ家は──ムンゾ時代からそうだったが──実務の面から言ってもジオンの頸動脈である。

 自らの手で喉首を掻き切り、致命傷を負った上で連邦相手に立ち回ろうなど、空論以前の戯言だ。

 

「確かに我々が内乱を制し、ザビ家を打倒しようとも連邦は疲弊した我々を破るでしょうな」

 

 ──だが、それで?

 

「ジオン、嗚呼、ジオン──貴方の父の名を冠した国に、今やどれだけ真にジオン主義(ジオニズム)を解する者が居りましょう?

 貴族趣味に被れるばかりのこの国に、真のジオン主義者(ジオニスト)はどれほどの数が残っていると?」

 

 忌まわしい、悍ましい……国父の名を騙りながら、誰もが国父の想いを、遺志を忘れてしまった。在るべき姿を見失い、目先の自己肯定に着飾るばかりの愚民共など、どれだけ死のうと構うものかよ。

 

「真に導くため、まずは一切を砕くのです」

 

 貴族趣味も、公王制も……、虚飾の特権と服従に基づいて塗り替えられた社会体制の全てを破壊することこそ、『宗教国家』を再誕させる唯一無二の、そして始まりの道なのだと豪語するシュレッサー。

 その姿、その妄念に対し、キャスバルは声を枯らして叫び、上下させた肩を力なく落とした。

 

「……私は将軍を、旧臣達を見誤っていたらしい」

 

 失意の呻きが、言葉となってキャスバルの喉を通る。

 旧ダイクン派は時流を解さない頑迷さ故に血迷った訳ではなく、その忠誠の在り処は(キャスバル)にも(ダイクン)にもなかった。

 民も国も、彼らの世界観には欠けていた。彼らの語る刷新と団結は、政治を解さず宗教に耽溺する人間特有の、実体のない名詞に過ぎない。

 

「お前達が仕えるのは『教義』なのだな」

 

 教祖(ダイクン)でも神官(キャスバル)でもなく、宗教()()()()に仕える集団……。

 何処までも一途に己を捧げる故に俗世の理を手放し、神の理に縋り続ける信徒にキャスバルは短く吐き捨てた。

 

「心外ですな。我々はダイクン一党に対して()、一層の忠節を尽くす所存です」

 

 だが、忠節とやらの果たし方に関しては決して大衆の想像と一致するものではないだろう。

 彼らは自らの奉じる神と神の子の為なら死ねるし、キャスバルが自裁を命じれば迷わず果たして見せる。

 但し、それは彼らにとっての『宗教』に準じる形でだ。

 

 死を命じられるのであれば、命じる『立場』に就いて貰う。

 地獄に堕ちろと命じられれば、『彼らの国』を創った後に、甘んじてそれを受け入れよう。

 

「全てはキャスバル様が神の子となり──、神国(エデン)を建国した後に」

 

 ザビ家の傀儡として与えられた神官などに、罰を下されてなるものか。

 真に世界を導く救世主(メシア)の手でこそ、地獄に堕ちる甲斐がある。

 あくなき信仰に対する奉仕と情熱に目を輝かせるシュレッサーは最早この世のものとは思い難い顔をしていた。

 

“父よ……これが、貴方が導いた弟子の姿ですか? こんな人間達を膝下に加えて、世界を回せると本気で信じていたのですか?”

 

 彼らの頭の中にある世界観には、俗世を謳歌する人間の心根に対する理解がない。全てが失われれば、文明の悉くを打ち砕けば、無辜の民が再び自分達の教義に帰依すると信じ込んでいる。

 現実世界が包蔵する諸々を無視して、自分の価値観に合わせて世界が動くと驕り昂っている。

 

“そんな筈はないだろうに。そんなことは有り得ないと言うのに”

 

 確かにダイクンは宗教という光明を与えてくれはしただろう。しかし、人というものは、心身を豊かにしてくれたものを決して手放せない俗な生き物だ。

 

“国民に生活を与え、自尊心を満たし、より大きく育ませてくれたのは宗教でなく国政だ”

 

 もし、今この場で、再び宗教以外に縋る物が無い過去に戻りたいかと問われれば、精神論が蔓延る弱者の地位に戻りたいのかと問われれば、真っ当な公国国民は絶対に拒む。

 どれだけ高邁な理想を。共感できる思想を。信順できる宗教を用意したところで、人が寄る辺を見出すのは生きる糧と身を護る術を与えてくれる指導者と機構なのだから。

 

“だからこそ、そんなことも示せない父だったからこそ、後の世に残せたのは宗教と狂信者だけだった”

 

 そんな父親の負債を間近に見せられたキャスバルにとってみれば、正しく悪夢以外の何物でもなかっただろう。

 同時に、どうやればこいつらに一杯食わせてやれるのかという昏い思いが鎌首をもたげた。

 

「ザビ家のジオンを廃し、全ての宇宙移民(スペースノイド)が惑うばかりの仔羊の群れに戻ったとして、お前達はどのように仔羊(スペースノイド)を纏める気だ?

 築き上げた国を壊し、連邦にも敗北し、隷属の鎖に繋ぐ結果を招くような売国奴共に、どんな力があると言う?」

 

 嘲弄的な笑い声を含ませて、キャスバルはシュレッサーを静かに責める。

 シュレッサーの構築する価値観の全てを粉微塵に否定するため。お前達の企てなど、決して成功しないのだと叩きつける為に。

 しかし、その問が出ることを、キャスバルが口にしてくれることを心待ちにしていたのだろう。くつくつと心を湧かすシュレッサーに対し、侮蔑の念を露わにするばかりだったキャスバルは、初めて恐怖から汗をかいた。

 

「ラプラスの箱──ザビ家が()()()()真実の封印を、世界に解き放つことで」

 

 何を言っている? 箱とは何なのだ? と問うべき場面だとは承知している。

 しかし、その先を、シュレッサーがこれから語ろうとする全てに対し、耳を塞げと本能が訴えかけてくるが、シュレッサーは一顧だにしない。

 

「箱とは──」「……止めろ」「──リカルド・マーセナスは──」「やめろ」「──それが、全てであり真実」「やめろと言った筈だ……!!」

 

 とめどなく溢れた汗が全身を汚し、喉が張り裂け、口の中がサンドペーパーのように渇き切る程の絶叫にあっても、まだ声を発し足りない。

 それが真実だったなどと信じたくない。いったいどうやって、そんな品をザビ家が有している事を掴んだのかも含め、話の正誤や真贋を問う真似もしたくはなかった。

 ……だが、シュレッサーの自信が。

 全てが終わった先に、自分達の勝利が続くと確信しているその笑みの正体が、何もかもが不快で堪らなかった。

 嘘だと、偽りだと突っぱねればいい。

 

“だが、もしも箱が本当に存在しているとしたなら”

 

 そして箱が『ジオン公国に存在しながらも未だ開示されていない』という事実が付き纏ってしまうのなら……。

 

 ──世界が()()()()()()

 

 公明正大な理想の王室が。

 ザビ家が積み上げた権威と実績が。

 ニュータイプ論を提唱したダイクンを、不都合と見做して排除したという荒唐無稽な陰謀論に、僅かなりとも信憑性を持たせてしまう!

 ジオン主義(ジオニズム)を形骸化させ、ダイクンを日陰に追いやったことも含め、全てがザビ家の陰謀だったと仕組むことが出来てしまう!

 

「箱の封印を解き放ち、キャスバル様は救世主(メシア)として世を治めるのです──我らの興す、『神聖ジオン』の旗の下でっ!!」

 

 振り上げた拳。全身から迸る熱量。裡より燃え盛る黒々とした信念の火を垣間見たキャスバルは、膝をつきたいと言う誘惑を耐え抜きながら、震える声で最後の抵抗を示した。

 

「私が……自害するとは考えないのか?」

「無意味と承知しておりましょう?」

 

 繰り言だが、ダイクン派はジオン主義(ジオニズム)そのものに奉仕している。

 彼らが仕えるキャスバルとは『神の子』としてのキャスバルであって、『人間としての』キャスバルに仕えてはいない。

 ここでキャスバルが斃れたとしても、それを利用して神聖ジオンの聖者へと祀り上げる。その死を悼み、嘆き、潰えた命を糧として、神聖ジオン建国に向けて邁進するのだろう。

 

 ──奇しくも、そして皮肉にも、ダイクンを謀殺して神に据えたザビ家と同じように。

 

「……そして、私と無為な話に興じたのも全てが整っているからか」

 

 キャスバルという神輿を確保した時点で、シュレッサーは仕事を終えている。全てが掌の上で、何もかもが望みどおりに動いているからこそ、こうして指揮の一つも出さずにいる。

 

「だが、上手く行くかな?」

 

 イワン・ヨークこそ居らずとも、ギレン・ザビと親衛隊を敵に回し、企てが成功するのかと不敵に笑うキャスバルに、シュレッサーが逆に勝ち誇って見せたのは決して強がりからではない。

 

「──ギレン・ザビは既に討ちました。だからこそ、貴方を確保できたのですよ。キャスバル様」

 

 

     ◇

 

 

 音も影もないままに、一息で引き裂かれた喉から血が噴き出す。

 赤い赤い噴水のようだと、そんな感慨に耽る事もなく、ダメ押しとばかり後頭部から脳髄にかけて携帯式のガスバーナーで丁寧に焼き切った。

 どれだけ四肢を破損させようと再生は容易だが、こと脳に関しては替えが効かない器官である。

 IQ二四〇を誇る天才の頭脳は破壊し尽くされ、その遺体は更に切り刻まれた。凶行に及んだ下手人が、嗜虐趣味の持ち主だからではない。

 万が一にも影武者だったなどということが無いよう、念入りに情報を採取しているだけだ。

 世紀の独裁者……或いは人類史にその名を刻む名君になり得たであろうギレン・ザビは、死後もその尊厳を破壊し尽くされた。

 

「本物だ」

 

 遺伝子情報は一致している。確実に始末したのだという確信からの言葉は、これまでの労力に対して余りに短いが、プロとは押し並べてそうしたものだ。

 凶行に及んだのは複数の親衛隊だったが、無論のこと、彼らは全員が連邦工作員である。

 ターゲットを定めて殺め、殺した人間に置き換わる。

 指紋や網膜といった表面上の体組織を完璧に整えただけに、かかる費用と時間は相当なものであったし、当然プロフィールを始めとした全てを完璧に抑えておくのは言うまでもない。

 そこまでやって、己が両親から貰った全てを暗殺の為に擲ちながら、失敗した者も当然多いが、そんなことはこの稼業で有り触れた話だ。

 技術の発展と共に、この手の仕事は難易度を増していき、鼬ごっこを繰り返す。

 流れた同胞の血潮がどれほどのものであったとしても、最後に一人でも笑う者が出たならば、それは間違いなく勝利なのだ。

 たとえ──全てを成し遂げた後に、自分達が殺されるとしても。

 

「我々の、勝ちだ……ッ!!」

 

 地獄で待つ同胞の土産としては、絶望に染まった敵の顔は極上だろう?

 




連邦「勝ったッ! ギレン暗殺計画編、完!」

Q:結局、ゴップ閣下は箱を使って何をしたかったの?
A:箱をザビ家に渡してから、旧ダイクン派に「ザビ家が箱を持ってるよ! 箱の内容はこんな感じだよ!」と情報をリーク。
  そんな情報に釣られクマーした旧ダイクン派が、箱の情報を理由にクーデターを起こすように画策したんだ!
  具体的には、ザビ家は前々から箱を持ってて、箱の影響力とニュータイプ論が結びついてしまうことを危惧したので、邪魔になったダイクンを排除して、ザビ家はずっと箱を隠蔽し続けているんだ!
  だから我々旧ダイクン派は、クーデターが成功してから箱を公開すると同時に、ザビ家がダイクンを暗殺したって大々的に吹聴するよ!
  って感じです。まぁ割と雑ですが、ゴップ閣下からしたら、咄嗟の思い付きでの作戦の一つってだけで、切り札でも何でもなかったからね。
  (なお盛大に上がった花火)
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