宇宙(そら)に掲ぐ旗の名は   作:c.m.

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※2025/11/24誤字修正。
 和尚EXさま、ご報告ありがとうございます!


80 国父の遺火

「陛下、よくぞご無事で」

「キャスバル様も、ご無事で何よりでした」

 

 親衛隊の手厚い保護を受け、公王庁へと護送されたキャスバルはデギンの顔と、何より騒乱から回復しつつある人々の動きを見やり、安堵の吐息を余人に気付かれぬ小ささで吐き出したが、しかしその瞳は、微かな猜疑の翳り見えた。

 

「陛下、未だ騒乱を鎮めねばならない状況で、このような我が儘を口にする事をお許し下さい。何卒、しばし人払いを」

「良いでしょう」

 

 熟考や逡巡、或いは煩わしさなどと言った感情を微塵も見せず、デギンは手を振って私室に招くと、侍従に茶を運ばせてから下がらせた。

 

「聞き耳を立てる不届き者は居りませぬ。ダイクンの子としてでなく、個人として自由に吐き出して下さいませ」

「私は虜囚となった時……、ラプラスの箱なるもの存在を逆徒の首魁から告げ告げられた。その箱を、ザビ家が秘めているとも」

 

 嘘であって欲しい。『箱』そのものが現実に存在するのだとしても、それはザビ家とは無縁の存在であって欲しい……そんな願望を滲ませながらの吐露に対し、しかしデギンは迷うことなく首肯した。

 

「事実です。地球連邦初代首相、リカルド・マーセナスが刻んだ真実……元はビスト財団が保有していた箱は、ザビ家の掌中にございます」

 

 だが、箱は戦時を迎えてから手にしたものに過ぎぬし、箱の封印を解かぬことも、ここまで再三語ってきた通り、相応の理由あってのことである。

 

「逆徒共の主張は成程、我らザビ家を崩すには絶好のものでございましょう。我らは遠くない未来に封印を解く為の準備を進めておりましたが、首都を奪われ、私が弑逆された後に箱の存在を明るみにされれば、その準備も水泡に帰したことでしょうな」

 

 歴史は常に、勝者がその手で作り上げる。純粋な祈りや贖罪を呪いに変え、善意や正義を政治利用や利益の悪意で覆い尽くす。

 

「シュレッサー将軍然り、ロートレック将軍然り、手にする者の扱い方次第で、箱はその在りようを変えてしまう。だからこそ、我らはダイクンの遺志に恥じぬ形で、封印を解かねばなりませんでした」

 

 その為に用意した舞台、かかる時間を鑑みれば、決してクーデター騒ぎで箱が露見しかねなかった為に、箱の開放を急き立てられたのでない事は明らかになるだろう。

 

「……左様でしたか」

 

 目の前の王が、ザビ家が清廉潔白だと知れたこと。少なくとも口先だけで取り繕っている訳でない事はキャスバルとて理解できたが、同時に、それなら何故私を除け者にしたのか? という疑念が鎌首をもたげた。

 

“仰って下されば、私が封印を解く役を担いましたものを”

 

 箱が地球連邦への憎悪に油を注ぐ劇物だとしても、キャスバルならば口八丁で取り繕い、民心を慰撫することも不可能ではない。

 頭を悩ませる難題であることは否定しないが、それでもザビ家と一丸となって動けば、その情報の断片でも流せば、シュレッサー達を勢いづかせることもなかったのではないか?

 斯様な疑義を呈しかけたものの、自分が封印を解く役を含め、全てが浅はかな考えだったと思い直した。

 

 仮にキャスバルが、クーデター以前に箱の封印を解いたとしよう。

 

 真実を知った宇宙移民(スペースノイド)の暴走を阻み、箱に込められた願いを正しい形で世に届ければ、確かに箱の問題()()は解決する。

 

“しかし、当然箱を解放した私自身の権威は青天井となってしまう。私を神の子と仰ぎ、持ち上げる人間もまた後を絶つまい”

 

 シュレッサー達のように、愛国的美辞麗句で糊塗された化粧を剥げば、醜悪な素顔を晒す人間も、その中には多く居た筈だ。

 ジオン主義(ジオニズム)が形骸化し、公王(ザビ)家の権威主義によって社会が形成された只中であってさえ、クーデター派の動きは凄まじかった。

 その上、更に高まった権威に相応しい権力をキャスバルに与えようと画策する一派が、クーデター派に加わってしまえばどうなっていたか……。

 下剋上が成立しかねなかった未来が脳裏を過ぎれば、青くなった唇を慰撫するようにカップを口元に運び、心身を温め直した。

 

 結局、箱の封印を解こうが解くまいが、クーデター自体は発生しただだろう。それならいっそ、キャスバルの権威を向上させず、ザビ家主導の下で動いた方がよほど理に適っている。

 

「王太子殿下は……ギレン総帥はご無事で?」

「彼奴らが仕留めたは影武者です。万一クーデター派が首都を制そうと、即座にギレンが直接指揮した艦隊が首都を封鎖し、鎮圧したことでしょう」

 

 勝ち目など、クーデター派には最初から存在してはいなかった。どれだけ現実を拒み、腕を振り回したところで、破滅の坂道を転がり、砕けるだけの一本道でしかなかったのだ。

 

“ならば、これで良かったのだな”

 

 我が身に降りかかった災難……血の呪いには心底辟易したし、祖国に刻まれた爪痕と犠牲を悼みもしている。

 

“それでも、二度とこのようなことは起こり得まい”

 

 クーデター派の野望は潰え、旧ダイクン派からなる首謀者も死亡した。

 世論は間違いなく彼らを逆徒として裁き、キャスバルも改めてザビ家の統治を支持すれば、キャスバルの死後であっても、ダイクンの血を求め、担ぐ不届き者が現われることは無いだろう。

 

“私が将来腕に抱く子も、孫も……子々孫々に至るまで、血の呪いが降りかかることは無い”

 

 刻まれた歴史が途切れない限り。血統と狂信に魅せられた一夜が、永劫の罪として語り継がれて行くのだから。

 

 

     ◇

 

 

“これで良かったのだな、シュレッサーよ”

 

 全てを呑み込み、受け入れるキャスバルの瞳が穏やかなものになったのを間近に感じながら、好々爺然として相好を崩し続けるデギンは、その心を完全に閉ざしつつ、シュレッサー達への別れを惜しみ、ここまでの道程へと思いを馳せた。

 

“時代は変わり、人も変わった”

 

 ダイクンの思想、その息吹は過去のものとなり、形ばかりの権威主義が蔓延る社会。玉座に坐し、臣民からの敬慕を受ける国家の頂点に在りながらも、デギンはマクシムと共に、移ろう時代に遣る瀬無さを感じずにはいられなかった。

 ……臣民の敬愛と忠節に、嘘偽りがない事は弁えている。仮初の階級社会に過ぎないとしても、公国臣民の気品と威厳は、決して上辺だけのものではない。

 ロシア帝国がそうであったように、保身と享楽によって堕落し、破滅した過去の『本物』と比較するならば、己の手で建国神話を築かんとする自分達『偽物』の方が、余程清廉だと自負している。

 何より……猛々しい思想が蔓延りつつつも、現実には棄民の、弱者の叫びに過ぎなかった過去に戻りたいなどと、政治家として口が裂けても言うつもりはない。

 

“それでも、せめて人類の革新を、人の在り方というものの、理想の息吹だけは残して行きたかった”

 

 若かりし頃に耽った夢想。現実に付き纏う諸々の困難も、押し退けて行けると固く信じていた時代……。

 青く、拙く、先を読む力を磨き切れてはいなかったが、それでもあの時代は、唯々純粋で居られたものだ。

 

“ダイクン、ローゼルシア、ジンバ……お主達を憎んだことは、誓ってなかった”

 

 共に駆け抜けた理想に、目を輝かせていた頃。

 皆で宇宙移民(スペースノイド)を救うのだと誓い合った青春の時代……。

 たった一人の例外。真の『政治家』だったマクシムを除いて、旧友達を政敵として追い落とさねばならなかったデギンは、だからこそ理想に溺死した彼らと決別し、マクシムと共に現実的な守護者としての道を歩んだが、未だその胸から、理想の熾火が輝きを失うことは決してなかった。

 

 衣食足りて礼節を知るではないが、仮初の権威と階級社会が蔓延り、誰もがそれに満足した時……。

 全てが満たされたその先にこそ、宇宙移民(スペースノイド)は再び人類の革新を求め、学び、ジオン主義(ジオニズム)と向き合う日が来る事を望み、期待し、その時の為の準備も怠らなかった。

 かつての同志たちの論文を編纂し、王立図書館を建て、後世に語り継ぐべき思想の足跡を、確かな形に残し続けて行く筈だった。

 デギンが、マクシムが、始まりの時代を生きた皆が永遠の安息につく日が来るのだとしても、夢見た理想が潰えることは決してない。

 蒔かれた種を芽吹かせる土壌を整えたなら、後世の誰かが活力の息吹を吹き込むだけで、再び思想は芽を伸ばす。

 

“虚飾で飾り付けられた権威の衣を脱ぎ、進化と革新の階梯に、宇宙移民(スペースノイド)は辿り着く”

 

 その未来は遠いのか、或いは近いのかは分からない。けれど、ジオン主義(ジオニズム)という思想が開花すると言う希望だけは、確かに繋ぐことが出来る筈だと……。

 

“そんな夢を……信じてしまった”

 

 何処までも愚かにも、未来を楽観視してしまった。

 現実の苦さを、連邦という巨悪を侮っていた。

 人的資源に乏しい我が国(ジオン)に対し、テロによる斬首戦術を図るなど、決して突飛な策ではない。

 デギンが逆の立場であれば、間違いなく率先して動いただろう。

 

“そして、連邦が()()()切り崩しにかかるかも、弁えていた”

 

 少なくともシュレッサーは、()()()()読んでいた。旧ダイクン派という、人的資源が乏しい公国が重用しつつも、全幅の信頼を置くには至らない派閥に連邦が接触するだろうことも。

 

“だから……彼らは……”

 

 決めたのだ。自分自身にさえ幕引くことを。

 一人の例外もなく刺し違えながら、連邦工作員を道連れにすることを。

 権謀術数に長け、猖獗(しょうけつ)を極めた地球連邦を欺くには、並大抵の策では足りぬ。それこそ、本当に国を盗る気概でなくてはならなかったし、動機もまた同じくだ。

 

“権力の夢と狂信の熱に身を委ね、遺臣が主君の子すら利用する……筋書きこそありきたりだが、旧ダイクン派は本気でザビ家の牙城を崩しにかかった”

 

 必ずやザビ家が、旧ダイクン派の野望を打ち砕く。綺羅星の如き将星と、それを率いる叡智が処刑刀を振るい、連邦()()自分達を処してくれると信じたからこそ、全霊をかけて殺しにかかった。

 ケイ・タキグチ名誉参謀顧問を筆頭とした、公国でも特に秀でた重鎮もまた、彼らの計画を察知しつつも、自ら人柱となることで、防衛師団が連邦の信用を勝ち得る一助を担った。

 

“命を捧げ、血を流し、民を巻き込みながらの残酷な猿芝居だったが、それは確かに功を奏した”

 

 公国内部に潜り込んだ連邦工作員は、クーデターに乗じて一掃された。

 グラナダをはじめとした複数拠点に構えた者共も、同時期に『処理』されたことだろう。

 斬首戦術を仕掛ける連邦に対し、これを敢えて懐に引き入れることで一網打尽にするというのは、ギレンとイワンが御前会議で詳らかにした策と同様のものだが、当初の計画と比して、今回のそれは正しく乾坤一擲の……しくじれば首都を乗っ取られかねないほどの大掛かりなものだった。

 

“だからこそ、イワンめを本国に置く訳には行かなかった”

 

 イワンが事実を知らぬまま『本気』で動けば、防衛師団の蠢動を察知して音もなく潰しにかかる。クーデター騒ぎなど発生せず、首都に生きる民にさえ悟らせず、師団員の息の根を止めただろう。

 

“さすれば連邦を引き込み、根絶やしにすることは難しくなる”

 

 鮮やか過ぎる手際では、連邦が深入りを躊躇ってしまう。

 かといって事実を告げて『手心』を加えさせては、万が一にもそこに生じた違和感を連邦に嗅ぎ取られかねない。

 

親衛隊長(デラーズ)を始め、イワンを心酔する者達はダメージ・コントロールの観点からイワンを本国から除くことを危惧していたがな”

 

 一抹の不安があるのは分かる。本国に潜む凶手達の根を絶やさねばならないばかりでなく、可能な限りの出血を抑える上でも、イワンを手放し難かった心理も理解できる。

 

“それでも、連邦高官もかくやという完成された政治将官たるイワンは、絶対に盤外に弾かねばならなかった”

 

 それが間違いでなかった事は、結果が証明してしまっている。

 陰謀の匂いを嗅いで、増援どころか冬季戦装備まで送りつけて来てしまったことには、デギンどころかイワンを惜しんだデラーズ当人ですら内心肝を冷やした。

 連邦が周到さに違和感を覚えて撤退に動く前に、拠点ごと殲滅できたからこそ良かったものの、宇宙港の奪取が遅れていれば、どうなっていたことか……。

 

“……あれが味方であったことに、初めて頭を痛めたわ”

 

 奴は駄目だ。切れ過ぎる。本国から遠退かせてこれとあっては、近くに置けば間違いなく連邦工作員の誘引殲滅は失敗に終わったことだろう。

 終わり良ければ全て良しとは決して行かない。どれ程有能であったとしても、決して手綱を離してはならない手合いだと自戒したが、扱いかねる身内については、今は脇に置いて良い。

 今、この時ばかりは散った者たちを想いたかった。

 自分自身と、向き合いたかった。

 

“流血の幕引きは痛々しいが、名誉参謀顧問らには然るべき名誉を保障できる”

 

 忠節を尽くし、道半ばで斃れる形となってしまった重鎮達には、相応の埋め合わせをしてやれる。

 勲功大章や十字勲章にこそ手は届かずとも、生前の功労に幾分かの下駄を履かせ、犠牲者として大々的に祭り上げれば、上位の公王家勲章の死後追贈を通し、遺族にも不自由ない暮らしを保証することが出来るだろう。

 

“だが……防衛師団は、シュレッサー達はそうではない”

 

 未来永劫、旧ダイクン派は国賊として歴史の一ページに綴られる。

 彼らは自分達のイデオロギーの為に同胞を、民を、祖国を裏切り、主君の子すら利用した、恥ずべき反逆者としての汚名を背負わねばならなくなった。

 最も偉大な正義を成した勇士達が、我が身を擲った戦士達が、最も唾棄すべき悪として、永劫歴史に綴られてしまう。

 この国に生きる誰もが。

 後世で歴史を紐解き、学ぶ誰もが。

 命を賭して繋ごうとした未来の果ての、全ての国民は彼らを憎み、蔑み、顔を顰めながら『歴史』を見つめることになる。

 

『それでは……あんまりではないか』

 

 過去に、デギンはそんな言葉を口にした。

 それが祖国を守る為の代償だとしても。

 ジオンの歴史を途切れさせない為の、避けられない定めなのだとしても。

 全容を知る数少ない一人となったデギンは、歯を食い縛る力すら失いながら喘いだ。

 他に道はないのか? いいや、そもそもお前達は本当に命を、()()()()のものさえ捨てられるのかと、シュレッサーと相対して問わずにいられなかった。

 ダイクンの騎士であり、今も忠実なる臣下を自負するお前達が、キャスバルに恨まれたまま、逝くことができるのか?

 お前達が魂を捧げたジオン主義(ジオニズム)が、狂信者の道具として扱われたのだと誤解され、掲げた理想を何も知らぬ民が踏みにじることを、本当に良しと出来るのか?

 

 問い質すデギンの言葉は、自分自身に向けた恐れに対する裏返しでもあった。

 

 祖国の為、民の為に捧げねばならないのは、生涯を賭してデギンが護り抜かんとしたジオン主義(ジオニズム)……。

 そこに生きる人々の為、ジオン公国という国家を維持するために手離さなければならないのは、デギンが唯一、過去に置いてきた盟友達と自分を繋ぐ、理想にして夢だった。

 

 ──世界が、運命がデギンに決断を迫る。

  お前は、お前自身が国を滅ぼしかねないと危惧して手にかけた者達と同じなのか?

 

 ──宿命が問う。過去の行いが己を質す。

  お前は信徒にして思想家なのか?

  それともお前は、()()()擲ってでも、民を守る王なのか?

 

 その、逃れられない答えを定める為に、デギンはシュレッサーに問わずに居られなかった。

 その場に、支え合ってきた親友(マクシム)の姿はない。

 苦楽を共にしてきた友だからこそ、今の姿は見せられない。自分が前を進んでこそ、躊躇わない姿を見せ続けてきたからこそ、マクシムは信じついてきてくれたという自覚はデギンにもあった。

 あったからこそ、信仰を同じくした教徒に問うのだ。

 自らの手で十字架を外し、余人からは三〇枚の銀貨を受け取ったと誤解され、裏切り者として永遠に語り継がれる未来を……イスカリオテのユダのように、永劫語り継がれる悪名を背負うことを、どうして真の殉教者が受け入れねばならないのだと。

 

 しかして、全てを捨て、悪名を負わねばならないシュレッサーの表情は凪いでいた。

 

 これが、偽りの不忠を演じねばならない男の顔なのか?

 祖国の捨て石となりながら、死して報われぬことのない運命を背負う男の佇まいなのか?

 

『一体何が、其方に進む力を与えたのだ?』

 

 ジオン主義者(ジオニスト)の、人生の先達でありながら、縋りつくように問うデギンに対し、その憂い、戸惑いを払うように微笑を浮かべるシュレッサー。

 正しく両者の姿は、迷える者とそれを導く羊飼いの図だった。

 

『我らの道が、愛する者を救う道だからです』

 

 最早時代は、ジオン主義(ジオニズム)を真に必要とはしていない。我らが護るべき民は、宗教に縋る形でしか自分を慰撫できない、奴隷の群れではなくなっている。

 

『そこに寂しさを覚えないとは申せませぬ。私もまたジオン主義者(ジオニスト)として、一人の遺臣として、人の革新をその目にしたかった』

 

 だが、今や民に必要なのは宗教でなく団結だ。

 

『巨悪を前に立ち向かう意志と力は、既にザビ家が与えました。ですが、団結の為に繋がる鎖の、最も弱い輪が存在します』

 

 鎖の強さは、最も弱い輪によって決まるというスコットランド人哲学者の言葉通り、旧ダイクン派の存在自体が、団結の輪を断ちかねない弱点となってしまっている。

 

『だが、お前達は国に尽くしている』

 

 蟠りを乗り越え、ランバのように名誉と称賛を得るだけのことを成して来たではないか?

 真の団結を訴え、共闘して連邦に立ち向かう道もあるのではないか?

 それが出来るだけの強さを、お前達は示して来たではないか?

 

 デギンは、ザビ家はその忠節にまだ報い切れていない。過去にどのような確執が、陰謀があったにせよ、ジオン公国は信賞必罰を以って治めてきた公明正大な国家だという自負がある。

 なればこそ、職業軍人としての義務に誠実であった者達を、チャップマンのような手合いでなく、真に祖国に尽くし続ける気概を有した者を、生贄に捧げて良い道理があるのか?

 しかし、そんな助命の道を用意してくれたデギンに対しても、シュレッサーの心は動かなかった。

 

『仮に何事もなく、我らがザビ家と共に勝利したとしましょう。

 キャスバル様が子を成し、子々孫々に至った未来……その先で、“本当に愚行を起こしかねない者達”が動いたとき、それを阻み切れる保証はございますまい?』

 

 遠い未来、聖なるダイクンの血を悪用し、祭政一致の神権政治を謳いながら、ダイクンの血族を傀儡化して権力を握らんとする売国奴が現れない保証は何処にもない。

 戦争に勝利し、独立と国家主権を勝ち取った祖国が、宗教の名の元に国を割り、望まぬ争いを招くなど旧ダイクン派にとっては冗談ではなかった。

 

『キャスバル様も、アルテイシア様も、(まつりごと)の闇と血の毒を承知しておいでです。我らが主君の子は、自由と日向の世界にこそ、心地良さを感じておられます』

 

 なればこそ、彼らの子孫にも同じ世界を与えよう。血で血を洗う政争の世界など、二度と足を踏み入らせはしない。

 固く、高潔なシュレッサーの瞳は魂を捧げてでも、世界を相手にしてでも愛した者を護り抜く、父性の信念を宿していた。

 その為ならば、我が子も同然のキャスバルに恨まれても構わない。

 いつか来てしまう()()()()()()、馬鹿げた内乱の未来の可能性を()()()摘み取り、宿る血の呪いを解き放つ為ならば、どんな汚名も甘んじて容れよう。

 裏切り者として茨の冠を被り。

 不忠の徒として十字架を担ぎ。

 狂信者として投げ付けられる石を浴びながら死の丘に進み、ジオン主義(ジオニズム)の原罪を背負って逝こう。

 

『その道を臆す者は、誰一人として存在しません』

 

 亡き主君が愛した子と、その世界の為ならば、地獄にさえ飛び込み、救って見せる。

 だから──

 

『──陛下には誓っていただきます』

 

 ここで去る我らに代わり、新しい世と民を護り抜くと。

 新しい時代に、ザビ家は責任を負い続けると。

 矢の如く刺さる視線、万力の如く締め上げる言葉の力。その双方に対し、デギンは先程までの無様を完全に脱していた。

 乾き切った老骨の手は活力の血が行き渡り、鉄骨を差し込んだかのように背骨が伸びる。

 民の為、大義の為に同志を殺めた男が、自分の理想を差し出せないなどと宣う事は許されない。

 既にして掲げた理想の為、長く険しい戦いに我が子を巻き込み、正義の二文字で祖国を縛ったデギンは据え物となって久しいが、それでも王たる立場として、果たすべき勤めとケジメがある。

 

『誓おう、嗚呼、当然だ。過去も未来も、そして現在も、ザビ家が歴史に責任を負う』

 

 その日、デギン・ザビは自分を殺した。思想家として、宗教家として、敬虔なるダイクンの弟子としての自分を業火に投げ入れることで、過去との決別を果たしたのだ。

 

“最早迷うまい、(たが)うまい”

 

 あの日、あの時から。自分の眼から(もう)(ひら)かれると共に、デギンは宗教の何たるかを悟った。

 

 ──無償の愛こそ、救いこそが宗教の意義なのだと。

 

 死後に罰すること。

 善悪の在り方を定めること。

 清く在れと戒めること。

 

 それらは全て、枝葉末節の物でしかない。

 人の世における究極の信仰とは、即ち(それ)だ。

 自らの苦難も、試練も、立ち上がれぬ者に手を差し伸べて庇護する事も、突き詰めれば(そこ)に至るものなのだ。

 

“キャスバル様。貴方は永久(とわ)に、貴方を愛してくれた人々(シュレッサーたち)を恨み続けてしまう事でしょう”

 

 それはデギンの胸を抉るほど、苦しい現実だ。

 旧ダイクン派の名誉は、戦いの後も回復しない。

 殉死という事実を覆い隠さねば、狂信者の悪事として歴史の一ページに綴らねば、キャスバルとアルテイシアの子孫に類が及ぶ。

 今回のクーデターと同じことが、今度は純粋な悪意で以て起きてしまう。

 だからこそデギンも、この企ての全貌を知る全ての者が、真実を明かす事は決してない。

 

“その結果として、旧ダイクン派遺族の風当たりが惨憺なることとなろうともな”

 

 公国には連座制など存在しない以上、法的な罪が問われることは決してない。

 実行犯を除いた家族らには、与り知らぬこととして国民の暴行などといった被害を受けぬよう、デギン直々に沙汰を出したが、何処まで守られるかと問われれば、俯かずにいられなかった。

 人というものは、正義に酔う生き物で、目の前に糾弾できる人間がいるなら、嬉々として大義名分を掲げて、醜悪な行為に勤しむことができる生き物だから。

 

“キャスバル様、貴方はそれを糾し、戒めることが出来るでしょう”

 

 旧ダイクン派に浚われ、彼らの醜悪な姿をその目に焼き付ける形となったとしても、それによって生じる理不尽を、引き起こされた不条理の連鎖を正義の心で止めることが出来る人間だ。

 

“そして、その清廉さが貴方自身の限界でもある”

 

 キャスバル・レム・ダイクンは正義の人だ。

 民を慮り、必要とあらば世界と愛する者の為に、その身を建てにする事も厭わない、高潔な男に育ってくれた。

 それは正しく、この上ない善性の在り方なのだろう。

 

 但しそれは()()として、人の()()()()()()()()()個人であればこそなのだ。

 

“真の政治家としての素養がキャスバル様に備わっていれば、此度の芝居は成立しなかったことでしょう”

 

 その、政治家としての素養とは何か?

 大儀の為、生贄を是と出来る非情さか?

 未来を見通す先見の明か?

 或いは他を領導できるだけの、決断力とカリスマか?

 

 否。それらは必要不可欠な要素というより『あれば良い』という特技の類に過ぎない。

 公人として、社会を運営する人間において『これなくしては成り立たない』と言わしめるものはひとつ。

 

 ──人を。物事を。あらゆる事象を『多角的に』捉える視点だ。

 

 人とは邪悪のみ。善性のみの存在に非ず。

 世の営みとは、企てとは利害、利潤のみによって生じるものに非ず。

 

“貴方様は、その『視点』の位置が極端だった”

 

 読心の力を有していたにせよ、ハマーン・カーンのような幼いと称すべき小娘でさえ、そうしたキャスバルの欠点は見抜かれていた。

 私人としては決して問題にならずとも、政界に生きるとなれば決して容認できない欠点であり、だからこそシュレッサー達はアルテイシアでなく、キャスバルに白羽の矢を立てた。

 

“アルテイシア様が浚われたなら、こうは行かなかったでしょうな”

 

 見破られた旧ダイクン派は悪役を貫けず、アルテイシアに対して本心を吐露し、その上で散ることしか出来なかったことだろう。

 それは旧ダイクン派の心を、魂を救うことには決してならない。

 彼らは心から、ダイクンの子供達に日向を歩いて欲しかったから。

 キャスバルとアルテイシアの心に翳りをもたらし、罪悪感で人生を縛りかねない結末など、論外でしかなかったのだから。

 

 ──だからこそ、これで良かった。

 

 良かったのだと、デギンはシュレッサー達に短い黙祷を捧げてから、目元を細めて告げた。

 

「幸せにおなりなさい、キャスバル様。家族と共に、愛する者と共に、光る人生を歩みなさい」

 

 誰もが悪くなる政治の世界に、本当の意味で踏み込むのは今日で最後だ。

 その世界に続く道は、貴方を愛する人が、愛に殉じて絶ったのだから。

 輝きと温かな光に満ちた世界こそを、届けたくて散ったのだから。

 

「貴方様は、もう自由なのだから」

「陛下、何処(いずこ)へ……?」

 

 立ち上がりざまに優しく、実の父がするように肩に手を置いたデギンは、そのまま踵を返して自らの手で戸に手をかける。

 その後ろ姿は、先程までキャスバルと差向う好々爺と同一人物とは思えなかった。

 背中は丸まらず、歩みは杖を必要としない程に力強く、全身から立ち上る覚悟の念は、正しく威光と称すべきものだった。

 

「私は王です。国父ダイクンから跡を継ぎ、国を治め、導く者なのです」

 

 言葉に、自らに言い聞かせる暗示めいた弱さはない。

 国家第一の僕として、終生国に捧げ尽くすという覚悟の表れだ。

 

「急ぎ、避難なさるが宜しい」

 

 これより先、安全な場所など()()()()なくなるのだとしても。

 

「既に貴方様は、守られるべき立場の方だ」

 

 統べる者として、矢面に立つ必要などなくなったのだから。

 

 

     ◇

 

 

「見違えましたな、陛下」

「貴様もな、マクシム」

 

 相も変わらぬ忠臣ぶりで侍る旧友に、三〇は若返った笑みをデギンは向ける。思想家として、宗教家として、始祖の弟子としての己をデギンは殺め、灰となるまで焼き尽くしたが、それは無気力と諦観の死を意味するものでは決してなかった。

 不死鳥とは灰の中でこそ蘇るものであり、生焼けでは再生を得ることは叶わない。

 それをデギンは、最も惜しんだ物を、未練を手放したことでようやく理解した。

 魂の一片までも王としての覚醒の輝きを放ち、マクシムもまたその決意を前に、魂の在り方を定めて見せた。

 己の弱さ、己の在り方、残す人生の使い道を、彼らは確かに託された者達の

想いと共に胸に刻んだ。

 

 己を王と定めた男。

 己を臣と定めた男。

 

 理想に燃えた若かりし頃。尻の青いかつての日々こそを全盛期と溢した、開戦前の老いぼれの姿はそこにない。

 王号を帯びて民の上に君臨したデギンの今。

 最も信任篤き臣たる宰相として、民の未来を預かるマクシムの今。

 真に責任を負うべき立場となった今こそが、二人にとっての最盛期だ。

 

「民の避難は、どれほど進んだか?」

「全てつつがなく」

 

 クーデターの混迷を理由とした手抜かりなど、マクシムには存在しない。未だヨーク家当主として君臨し、宰相位を与る立場にある以上、()()イワンの父として余人が見る以上、怠惰であることなど許されない。

 たとえ宇宙(そら)に生きる()()()宇宙移民(スペースノイド)に、安全圏など存在しなくなっているとしても、人事を尽くすのが政治家の仕事だ。

 

「ならば、最後の仕事だな」

 

 ──戦時特務命令:五一号『鉄の梯子』

 ギレン・ザビ直々に発せられた最終指令を、ここ首都でも遅まきながら発令する。

 それは学徒、予備役を含めた戦える者全てを宇宙(そら)に上げる、総動員令に他ならなかった。

 

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