分厚い噴煙が上がらない土地などなかった。
かつては豊かな実りを約束していたであろう畑は焼き払われ、今や黒ずんだ燃え滓と、砲弾に掘り返された土塊しか残っていない。
焼けた土の臭いに、火薬と人間だったものの臭気が混じり合い、風が吹く度に大地そのものが呻いているようだった。
先人から賜り、
文化という文化が打ち砕かれ、日常は瓦礫と共に埋もれて息絶え、営みの残滓は黒煙に包まれて、もう見ることは叶わない。
今や息をするのも困難な、厚い砂塵の靄が立ち込めるばかり。無数の爆弾孔が、月面を思わせる灰色の大地を作っていたが、こと戦争において、それは『最短の道路を作る』という意義ある破壊であった。
防衛線の地雷原は爆撃によって空白を穿たれ、その上を悠々とGMが通り過ぎていく。
地雷も、鉄条網も、対戦車壕も、そこに人間が命を懸けて築いたという事実も、機械化部隊の進撃を止める理由にはならない。
ヤザンが破城槌としての役目を果たし、ドナヒューという閂を爆ぜ割った時点で、防衛線という堅牢な門は、軋みを上げながら徐々にその入口を開きつつあった。
シロー・アマダを筆頭としたMS大隊は北西に居ない。彼らは南米から迫りくる、大規模部隊を押し止めるべく奮戦している。
誰もかも、四方八方から迫る連邦軍に、義務以上の務めを果たしている。だからこそ「何故連邦の大本命たる北西方面に動けないのだ!」などと苦言を弄することは出来ない。
彼らは彼らの場所で、既に限界を越えて血を流している。
ならば、後は為すがままか? 北西に苛烈な攻勢を仕掛け、ドナヒューを下した連邦軍は、無人の野を征くが如く進み続けたか?
否である。
荒野の迅雷は確かに討たれ、北西の主力たる風神雷神部隊も無残に溶けた。
しかし、そこで算を乱して散り散りに逃げ出すほど甘いなら、連邦軍は起死回生の一手を打つまでに、ここまでの時間は要さなかった。
ウォルター・カーティス大佐は、ドナヒューの死を悼みながらも動じなかった。「戦いつつ、有利な防衛陣まで後退する」という鉄則を忘れず、北西防衛軍はカーティス指揮の下、規則正しく後退していた。
前線将校に率いられた阻止部隊──オートバイ、装甲車、高射砲隊や機甲大隊──は、とにかく粘り強かった。
戦闘指揮所は、連邦の進攻に耐え切れないと見るや即座に放棄される。次の拠点へ、その次の野戦陣地へと、追い立てられるように転々と移り替えながらも、指揮機能を維持し続けた。
無線機を担いだ兵が走り、地図を抱えた将校が泥の中に転び、通信線が砲撃で千切れるたび、別の兵が命懸けで繋ぎ直す。
敗走ではなく、後退。逃げ惑うのでなく、戦い続ける為の抵抗なのだから当然だ。
各基地の司令官は愛用の小型軍用車が攻撃を受けるまでもなく、エンジンが焦げ付き、熱でボディに穴が開くほど軍用車を酷使して前線を駆け巡っていた。
砲弾の黒煙が濃霧となって視界を遮る中、火線の驟雨をものともせずに突っ切るのだ!
司令官達の驚嘆すべき行動を支えているのは、鉄骨の如き誠実さを支柱とした胆力だけではない。
部隊の心理を汲み取り、砂の如く掌から溢れていく『時間』を稼ぐという目的もあった。
──ここを抜かれれば、殿下と将軍は死ぬ。
彼らの瞼には、常にガルマが、そしてガルシア・ロメオが居た。
彼らの思い描くガルシアは、本物のガルシアではないのだろう。野心深く、打算的で、己の利益を決して忘れない男……けれど、直接会い、言葉を酌み交わしてきたガルシアには、命を懸ける価値があった。
視察・査察に来たガルシアは、決して粗探しなどしなかった。
報告書の数字だけを見て兵の怠慢を罵ることもしなければ、華美な執務室から現場を論じることもなかった。
だが、「諸君」と前置きして述べる要望は常に明確で、理性的で、何より実戦に飛び込んだ時、自分達の命を守ってくれるだけの誠実さに満ちていた。
塹壕の深さ。予備弾薬の配置。衛生兵の人数。退路に必要な車輛……戦いに必要な全てを、ガルシアは決して軽んじなかった。
たとえそれが、人的資源に悩み続ける首脳部としての現実的な打算に過ぎなかったとしても、その結果として自分達は生かされ、今日まで戦い続けることが出来ている。
その事実を、将兵は忘れていなかった。
今、こうして公国将兵が勇敢な闘士として敵砲火の下でも着実に責任を果たし、誰もが第一級の軍人として折り紙付きとなっていのは、物資や命令以上の『信頼』を、将軍との間に一兵卒までもが築くことが出来ていたからに他ならず、その点を取り上げるならば、ガルシアは正しく名将の列に名を連ねるに相応しい立場にあった。
しかし……それらは軍事ヒロイズムとロマンチズムに彩られた、一瞬の輝きに過ぎない。
未来を懸け、敬愛する上官と王族を護るべく、圧倒的物量差を用意しての連邦の突破作戦に、文字通りの捨て身で猛攻を受け止めようと、水火を辞さない覚悟で奮起する公国軍将兵は、その代償を命で払うこととなったのだ。
カーティス大佐を始め、基地司令官の車両は、その大多数が砲弾で宙を舞った。
剛健な気風も、能力に裏打ちされた活動性も、積み重ねてきた経験も、全てが急流に乗るが如き連邦の物量に飲み込まれ、圧死した。
砲炎で煮え滾る灼熱の大地を駆け、健気にも装甲車に隠れながら対戦車砲の狙いをGMに向けた歩兵は、GMのビーム・スプレーガンで盾の装甲車ごと溶けた。
経験に飢えていたが、行動欲と使命感は人一倍の若者は、負傷したベテラン兵を懸命に退避壕まで引き摺っていたが、機銃掃射でベテラン兵ごと蜂の巣にされた。
逆に、経験に富み、勇気も十分な将校程、矢面に立つために死が早かった。
これぞ現代戦。大量虐殺をこととする、集合知が織り成す技術の殺人にして、人の描く地獄絵図である。
しかし、勝利の月桂冠を欲し、サディズムの権化たる女神の枕元に、両軍は将兵の屍を積み上げ続ける中でも、軍医と衛生兵は返り血を浴びながら、負傷者の命を懸命に拾い上げている。
「眠るな」「母親の名前を言え」「故郷は何処だ?」
その問いかけに医学的な意味があろうとなかろうと、彼らは声をかけ続けた。
うわ言を必死に聞き取り、勇気づけながら処置を施していく彼らは、非人間的性格を帯びた、戦争という地獄の中で垣間見える人間性の表れだった。
苦痛に悶え、水を、或いは鎮痛剤を求める負傷兵の数は余りに多い。全ての野戦病院と包帯所では、絶叫めいた金切り声が途絶えなかった。
痛みはある。死への恐怖も当然。しかし、多くは中途で途絶えた。
絶命したのだ。赤十字標識ごと砲弾で!
南極条約を無視した、無慈悲な砲撃で!
嗚呼、これぞ無法と叫べたなら。悪意を込めて狙い撃ったというのなら、まだ憎悪で返せたであろうに、現実はただの流れ弾だった。
脇目も振らず進み続け、突破の為の火力の一つが、たまたま
ならば、本命たる防御施設や陣地はどうだったか? 考えるまでもない。
地雷原、地下壕、塹壕、トーチカ……公国軍が準備した全ての防御陣は職人芸の極みと言えたが、それさえ連邦はものともしなかった。
破壊、破壊、破壊、突破……かつての公国軍の快進撃もかくやと言わんばかりに、連邦は公国の勇気を砕き、死力を慮らず、抵抗を踏みつけて進み続け、
追い立てられ、疲れ、泥塗れになり、足はセメントで固められたように重く、汗と砂に塗れた公国軍人の今の姿は、正しく敗け続けだったかつての連邦軍の姿そのものだったが、それさえ攻勢に動き続ける連邦将兵は見向きもしない。彼らもまた、止まることを許されてはいなかった。
減らすのだ。一人でも多く。
『進め! キャリフォルニア・ベースへ!』の声を和として。
事実、勝利は連邦の手の届く位置にある。
かつての連邦軍北米総司令部は、四時間もかければ到達できよう。
──ガルシア・ロメオの、敗北は確定した。
◇
陸上、海上、空中といった戦場を問わず、戦争指導の技術は、常に次の中にしか存在しない。
すなわち、数や兵器の効果における優位……重点形成をもって、敵の脆弱箇所を叩き──或いは局所的奇襲・重点攻撃によって脆弱箇所を生み出し──敵に対する勝利を、敵の敗北にまで高める攻撃方向に向かって敵にぶつかることである。
「そして、連邦軍はそれを貫徹して見せた訳だ」
目まぐるしい状況下にあって、望ましい変化を呼び込めるか否かは司令官の能力にかかっている。
敗北を認め、口にしたガルシアは「好機を逃したのだ」とは思わない。
欧州のように、末端まで完璧な精兵で構成されていたならば、結果が違ったとも思わない。
いつか来るだろうと分かっていた。
攻められる側となり、守らねばならない立場であると弁えていた。
勝利の絶対条件とは詰まるところ数であり、この条件を忘れ、数的不利や物的窮状を美徳に置き換える事は、危険かつおぞましい怠惰であることを誰より理解していた上で、可能な限りの戦力を懐に蓄えていた。
“そこに、軽率な計算をしたつもりはなかった”
物資や人員のことだけではない。
幕僚部と部隊との間によく接触が保たれており、気持ちが通っていたのは事実である。
『部隊というものは、幕僚の利益のためにあるのだ』といった、かつての連邦軍特有の、尊大な大司令部めいた価値観など欠片もなかった。
不確実性の霧を透視し、全体把握に努め、決然と行動してきたが、それはガルシアがここまで続けてきた、努力だけによるものではない。
前線指揮官と部隊に奉仕してきた北米参謀連の努力は、十字勲章にさえ値するものだった。
勇気と計略、戦力を総動員しての、何一つ恥じるところのない防衛戦だったことは、後世のどれほど辛口の史家であってさえ、認めざるを得ないだろう。
だが「それでも」を口にしなくてはならない。
準備を整え、努力をしたからと言って。
自分達に正義があり、大義があり、勝ち取らねばならない未来があり、信念を持っていたからと言って、主人公が勝つ物語のようには決して行かない。
どれだけ彼らの活躍を
「……俺は、負けたのだな」
周囲には、静寂の背景音楽が奏でられた。重苦しく、沈鬱な音色である。
常勝という心地良い夢は暗黒の目覚めと共に霧散し、進退窮まった総司令部。
嘆き、俯き、歯を食い縛るしかない状況にあって、ガルシアは「ふ」と寂しげに微笑みながら、肩を竦めた。
「ヨーク長官以外に負けるなど、夢にも思わなんだよ」
だが、言い逃れ出来ぬ結果を突き付けるのが戦争だ。地団太を踏み、現実に目を背けたところで、待っているのは見苦しい最期だけ。しかし、その諦観に対し、誰より先んじて一歩前に出たのはガルマだった。
「未だ戦線は崩壊していません! まだ戦えます……! 戦えますよ閣下………!!」
連邦軍がここに到達するまで、どれだけ早くとも四時間は猶予がある。
「一点突破を図る連邦に対し、総員を結集し、ことに当たれば……、友軍到着の可能性を捨てるべきでは……がっ!?」
「愚か者がァッ!!」
乾いた音が響き、ガルマの身体が床へ投げ出される。ガルシアが見舞ったのは、頬骨を砕かんばかりの本気の鉄拳であった。
過去には士官候補生として、ガルマも幾度か制裁を受けてきた経験はあったが、それでも王族として手心の加えられたものであったし、何より、このように無様に尻もちをつかされるような、本気の物では決してなかった。
「最早我が軍に、敵を拒止する力はない! 如何な手を打とうと、勝ちはないのだ!」
士官見習いとて、戦局図を見ればガルシアと完全に意見を一致させる。
勝利を設定し得る、理性的な方法を述べることなど誰にもできない。楽観的な希望論では、誰一人として助からない。
「友軍到着など夢のまた夢だ! 希望論に
「しかし、それでは……ッ」
分かっている。ガルマとて、何故戦線が崩壊する
だからこそ、ここから先の結末を理解し、そんな未来など来て欲しくないという思いの丈を叫びながら、腫らした顔の痛みさえ意に介さず食い下がったが、これ以上をガルシアは許してくれなかった。
「正常な判断能力を失った以上、現刻を以ってガルマ・ザビ少佐を副官の任から解く! 憲兵ッ! 直ちに少佐を本国に送還させよ! 無理ならば欧州だ! 略式裁判の場を整えるよう、マ・クベ将軍に必ず伝えろ!!」
肩に提げた副官
どのような事態が生じようと、鋼の精神で軍務を実行できた筈の憲兵が、この時ばかりは動きを鈍らせていたが、それでも命令の意味を悟った以上、動かぬ訳にはいかなかった。
「閣下! 閣下ぁ……っ!!」
嗚咽交じりの、ガラス戸を引っ搔くような、誰の耳にも痛くなるガルマの叫び。しかし、それを受け続けて尚、ガルシアは全く動じなかった。
「何をしておる……? 武器を配らんかぁ!!」
身じろぎ一つできず固まっていた将校達を睨み、叫べば、将校達は電撃を受けたように走り散った。
しかし、足音の慌ただしさとは打って変わって、総司令部に勤めるだけの有能さを、迅速な対応によって示して見せた。
参謀、主計、通信手………軍本部要員は、軍属と医官、衛生兵を除く全員が短機関銃と手榴弾で武装された。
ガルマ
「……閣下」
「今すぐにでも俺を銃殺したかろうが、それは待て」
冗談めいて、お目付け役であった親衛隊に笑いかけるが、親衛隊の誰一人としてその気はない。むしろ、逆だ。
「ここは我らが」「閣下も、殿下と共に」
「馬鹿もん。近衛は王族の為に死ぬもんだ」
ガルマ達にしたような、語気鋭い
死に場所を間違えてくれるな。命に代えてガルマをマ・クベの元に届けろ。
「一将軍の為に、貴様らが死ぬなんぞあっちゃならん」
一人ずつ肩を叩く掌は重く、温かかった。
「忠誠無比の名が廃るぞ、親衛隊」
念を押してから、ガルシアは公的な総司令官として、最後に事前に準備していた最終コードを入力した。
簡潔に述べるなら、北米方面軍司令長官、ガルシア・ロメオ中将の保有せし指揮権限は、ノイエン・ビッター少将に移譲せしこと。
決死隊を除く各員は、ビッター少将指揮の下、速やかに敵攻囲を突破脱出し、欧州に到達されたしというものだ。
元はガルマと共に悠々と宇宙に逃げ落ち、ノイエンに丸投げする為のものでしかなかったが、それでも見捨てた訳ではないと体面を気にするガルシアらしく、微に入り細を穿つ完璧な指揮権移譲措置だった。
あらゆる意味で皮肉な結果だが、少なくともガルシアが消えても北米方面軍は十二分に動ける。
そして、最後。届くかどうかも怪しいが、全ての将兵に向けて訓電を送る。
『ガルマを護れ』、と。
「じゃあな。子守りはしっかりやるのだぞ」
将帥として、北米司令長官として作り上げてきた威厳も、前面に押し出し続けてきた見栄も捨てて、ひらひらと軽く手を振りながら、ガルシアは悠々と総司令部を後にした。
◇
総司令部を去ったガルシアを見送りながら、親衛隊は歯を食い縛る。ガルマを第一としなくてはならない彼らだけではない。
最前線からは遠い幕僚さえ、ガルシアの為なら機関銃に飛びつく覚悟があった。命を擲てるだけの、覚悟を示す理由があった。
“これが敗北というものか! 姿勢を正し、敬愛する人間を見送ることさえ許されないとは!”
それが戦争。敗者の末路。だが、それを意義あるものに出来るか否かは、托された者達の努力一つにかかっている。
だからこそ……奥歯が砕けそうなほど現実を噛み締めながら、親衛隊は望まれた通りに動く。
その背と入れ替わるように、すれ違った
「あばよ」「宮仕え、ご苦労さん」
ぶっきらぼうに。簡潔に。しかし、その選択に悔いなどないと示す彼らに、親衛隊は言葉を返せなかった。
志願し、署名し、この時が来れば戦うと。そう誓ってきた彼らは、今日という日まで、誰からも忌み嫌われてきた
督戦隊。同胞喰らい。味方の背を撃つ獣……表向きには誰からも白い目を向けられ、陰口を叩かれ、同じ食堂に入るだけで席を立たれることさえ数えきれない彼らの存在意義は、今日この日の為にあった。
戦友から愛されず、誰からも後ろ髪を引かれることなく、死に臨んで打ち捨てられるため。
誰かが残らなくてはならない時、誰にも惜しまれぬ者として残るため。
最も過酷な任を帯びつつも、それを表に出すことなく選択した彼らには、どれだけの言葉も、勲章も決して足りないが、そんなものは彼ら自身望んでいない。
その為にデラーズをはじめ、真実を知る高官達も、真実を知る権限を有していた親衛隊自身も、疑われることのないよう彼らを公然と唾棄して見せた。
『我ら、最後の命令なり』──
戦線が崩れた時。誰もが退かねばならない時。誰か一人が、最後まで残らねばならない時。彼ら自身が、軍から発せられる最後の命令となる。
無名のまま戦い、無名のまま死ぬ。それこそ
ただ、彼らを率いる隊長だけは、部下の分まで思いを込めて、短く親衛隊に遺した。
「俺達は死ぬ。お前達は生かせ」
「必ず……っ」
ああ、果たそう。果たそうともよ。ガルシアにも、
“我らも、殿下の為に死んでみせる!”
命に代えても、ガルマを守ろうともよ……!!
◇
“俺ぁ、なんってバカなんだ……っ”
誤魔化しも、言い訳も五万とできた。
長年に渡る軍務で身についた、将官の経験や専門知識は、かけがえのない財産であり、贖いや償いという行為の中で失って良いものではない。
そうでなくとも総司令官が前線で戦死など、誰だとて悪しき前例を作る、阿呆の痴れ事と罵るべき愚行なのだ。
あの
だというのに、ガルシアは馬鹿でも分かる馬鹿をしている。身一つを武器として王族を守ろうなどと、職業軍人らしからぬ、武人めいた愚行に……イワンが目にすれば「そのような男ではあるまい?」と咎める暴挙に出ている。
“分かっていた筈だ! こんな生き方をした奴から、早死にするんだということはっ!”
自分より誰かを優先すれば、そいつは早々に命を捨てる。
生きる意味も、寿命も、後に続く幸福も、全てが水の泡になる。
……それが分かっていたからこそ、ガルシアは我が身可愛い生き方を選び、それを恥じることをしなかった。
積み上げた努力も、成果も、全ては自分の為だ。自分一人の幸福の為に、やって来たことの筈だっただろうに……。
美酒も、女も、地位も、戦後に楽しむ筈だった、下らなくも愛おしい享楽の数々も……その全てを捨てて、一人の青二才を生かそうとしている。
“嗚呼、畜生……畜生、畜生がよぉ……”
何故、内心の叫びと裏腹に、心がこうまで軽いのか。無残な自分の死を待つばかりだというのに、どうして足取りが軽くなる?
恐怖はある。死にたくないという本能も、当然ある。
それでも、胸の奥には奇妙なほど澄み切ったものがあった。
“全部、あのお坊ちゃんのせいだ”
人を惹きつけ、人を愛し、こいつの為ならと思わせる、人たらしの青二才のせいだ。我が身より、これまで味わってきた享楽より、あのお坊ちゃんが死ぬのは御免だと、そんな風に思ってしまったせいなのだ。
「馬鹿だなぁ……本当に、大馬鹿もんだ」
自分で自分を罵りながら、ガルシアは遊技場に繰り出すかのように、ニヤケ交じりで歩を進めた。自分の足で死刑台に向かい、自らの手で絞首刑のロープを首にかけようとしているというのにだ。
「準備は出来ておるな? サハリン将軍」
「……ボルト一つまで、完璧に仕上げております。ですが……」
「分かっておるさ。秘密兵器ってのは、秘密にしてこそだ。戦争屋として、ここで使うのは戦略的にゃ不正解だ。本当なら、真っ先に吹っ飛ばすべき代物だろうよ」
そうではない。ギニアス・サハリンが言いたかったのは「貴方が死にに行く必要など、何処にもない」ということだった。
決死隊に任せれば、アプサラスは動く。総司令官直々に、死地に赴く必要などないというのに……。
「顔に出とるぞ? 全く……お前も将官なら、分かるだろう?」
連邦軍は猛然と向かっているが、ただ勝利だけを目的として攻めているのではない。
そこには明確な政治的意図がある。
「ガルマ殿下が本命でも、取り逃す可能性はゼロではない」
大本命たるガルマを手に入れることは難しいが、『北米司令長官』たるガルシアも、捕虜としての価値はあると。
そうかもしれない。しかし、ガルマならば兎も角、ガルシアでは必ずしもそれが正しいとは限らない。
ガルマを守ったという功を上乗せしても、如何に名高い将軍といえど、政治的妥協を見せて、後に禍根を残すぐらいなら、ジオン公国は泣いてガルシアを切り捨てることも当然考え得る。
そうでなくとも、戦死する確率の方が圧倒的に高いだろう。だが、ガルシアは腹を括っていた。
「将兵はやり抜いた。次は俺の番だ」
その声に、虚勢はなかった。それで少しでも、守りたいものを守れるなら。
皆が命を懸けたように、総司令官として勝たせてやれなかったという負い目だけでなく、負け戦にも、僅かにでも意義を求めることができるなら、その勤めを果たすと、既にガルシアは決めていた。
「俺は負けたが、ジオン公国は敗けん」
北米は陥ちる。キャリフォルニア・ベースは連邦軍に奪い返される。しかし、ガルシアが許してやるのは
心中に敗戦の諦観など存在しない。たとえ己がここで死のうと、ジオン公国には届かせない。
「……将軍」
「付いて来るなよ? 将軍にゃ、何としてでもアプサラスを量産して貰わにゃならん」
アプサラスさえ量産できれば、義勇軍を駆使した数的優位を待つまでもなく、ジオンが勝つ。全てが一朝にしてひっくり返る。
「そうなれば、ジオン勲功大章は確実だ! 戦後は英雄として祭り上げられて、サハリン家も安泰よ! ザビ家の孫と、将軍の子息が結ばれる未来もあるやもしれんぞ!」
皮算用の軽口だが、嘘出鱈目でもない。イワンもザビ家も功には報いる。あれらは絶対的な存在だが、どこまでも公明正大だ。
「ま。だからこそ、連邦はここを潰したかったんだろうがな」
情報というものは、どれだけ気を付けようと確実に漏れる。一週間戦争の時のように、あらゆる手札を伏せて連邦を叩き潰すことができたのは、文字通りの奇跡としか言いようがないものだ。
「だが、もう止められん」
ここでアプサラスを使おうと、交戦時の情報や残骸から情報を得ようと、全てが遅い。宇宙で量産体制を整えてしまえば、如何に地球が広遠だろうと、アプサラスの前には打つ手がなくなる。
「勝てよ、将軍。勝利の美酒は、お前さんに奢ってやる」
譲るでなく、奢るとは何ともガルシアらしい言葉である。
そういうところは昔のままだと感じつつも、ギニアスの表情は晴れなかった。だが、嗚呼、何を言っても、今のガルシアには無駄だろう。
どのようなものを差し出そうと、千の言葉を手繰ろうと、ガルシアは我意を押し通すに違いない。
「マレーネ嬢には……、何とお伝えを?」
預かる物があるなら、必ず届ける。言葉を遺すなら、必ず伝える。
「……そうだな。俺の死を利用しろとでも言っといてくれ。北米で出会った時の俺のようになって、その後は俺のことなどとっとと忘れりゃ良い」
そうすれば間違えない。そうすれば、幸福を掴める。全てが楽しく、面白おかしく生きていられる。
「今の俺のようには、決してなってくれるんじゃないと、そこだけははっきり伝えとくんだぞ」
人生を棒に振るな。他人に身を捧げようとしてくれるな。幸福で満ち足りた、自分が主役の世界を築け。
「あいつは良い女になれる。男一人にめそめそ泣くような、小娘であって欲しくないんでな」
「……必ず」
それで良いのか? とは思う。しかし、それが望みであり本心なのだ。
死にに行くことを受け入れた男が、遺した女の人生を縛らせまいとして託した、何よりも情に満ちた言葉なのだ。
「必ずや、ロメオ将軍の言葉を……将軍?」
「ああ、いや……何でもない」
片手で頭を押さえ、呻くような、自嘲のため息をガルシアは重々しく吐き出した。
マレーネ・カーンに何一つ渡そうとしなかったのは、言葉さえ飲み込んで死地に赴こうとしたのは、無自覚だったにせよ、ガルシアに独占欲というものがあったからだ。
“……黙って去れば、あいつには俺を覚えて貰えるだろうと”
あの若く、美しいジオンの少女の心に、ガルシア・ロメオを残したかった。悼まれつつ、覚えていて欲しかったという馬鹿馬鹿しいロマンチズムを自覚してしまっていた。
“まさか、こうも女々しい男だったとはな……”
こればかりは、誰の影響という訳でもない。
己の齢では似合わぬ、笑われて当然の、思春期の少年めいた願望を顧みて、呆れたように再度ため息を零す。
「ありがとうよ、サハリン将軍。俺らしくない俺のまま死ぬとこだった」
そして、死にに行くには長居し過ぎた。
「ヨーク長官には、俺の人工象牙に本国産の最高級酒を添えるよう伝えとくれ」
「そちらの方が、大事そうですな」
最後の最後で笑わせてくれたガルシアを見送って、ギニアスは踵を返す。
伝えよう。届けよう。託された全てを、必ずや。そして……振り返った先に立つ、もう一人を見送る為に。
「行くのか? ノリス」
「総司令官閣下には、負い目がありましてな……何より、ここで時間を稼ぐことが、貴方様とアイナ様を生かす道と心得ておりますれば」
「感謝する。アイナには、後ほど伝えよう」
ギニアスの妹、アイナにとって、ノリス・パッカードは単にサハリン家に仕える騎士というだけではない。
アイナの心には、ノリスは第二の父の場所を占めていた。その実直さ、逞しさ、不器用な優しさを、誰より深く敬慕していた。
「こちらこそ……正直、泣かれては堪えますので」
「優しすぎるのが、あれの貴顕らしからぬ欠点だな」
再び、ガルシアと言葉を酌み交わしたようにギニアスが笑う。思えば、こうまで自然な笑みが漏れたのはいつ以来だろう?
家の存続ばかりを考え、栄達の為に労を惜しまず来た人生の中で、こうした『余裕』を覚えたのがいつ以来だったか、思い返せばずっと遠い昔のように感じられる。
「私は……良き主君ではなかったな」
「いいえ。良きご当主であらせられます」
そんな風に己を顧み、そんな顔を従者に見せられるのだ。
「私が居らずとも、新たな従者は幾らでも選べましょう。ですが、もしその気がございましたら、目のある者を今からでもお伝え致しますが」
「悪いが、私の代で、お前以外を仕えさせる気にはならんな」
サハリン家には、斯くも忠孝厚き騎士がいたのだと。その者を召し抱えたことこそ、当家の誇りだと伝え抜く。
「私がお前にできることは、それぐらいだが、ああ、従者候補以外に望みがあるなら、何なりと聞いてやれるが?」
「では……、アイナ様に、自由にお相手を選ばせて欲しいという願いも?」
「良かろう」
過分な願いだ、とは思わない。
「そんなお前だからこそ、アイナも慕ったのだ。お前を誇りに思う」
「恐縮です。であれば、思い残すことはございません」
ニムバスを召し上げて貰うことはできなかったが、そんなことをせずとも、あれは一人で大成する。余計なお世話であることも弁えていたし、これで良かったとノリスも思う。
「では、おさらばです」
「ああ、さらばだ。私と、我が妹の騎士よ。卿にジオンの加護があらんことを」
その言葉を背に、マントを翻したノリスは、ガルシアの道に続く。
帰還を望まぬ道。
死を知りながら進む道。
それでも、自らの足で選び取った道。
──死と、忠誠と、名誉の道に。
初期プロットだと、編集長の出番はなくて、地上戦は欧州が中心になる筈でした。
サクッと書くと、正史のオデッサ攻略がメインの舞台で、資源回収に止まらず、アプサラスを完成させようとしていたのを連邦がかぎつけ、一気呵成に叩きにかかるのを、ジオンのエース達が奮戦。
マ・クベも最後にギャンに乗って自ら出陣しつつ……。
という流れだったのですが、勢いというかノリで編集長にスポットが当たり、まさかまさかでマ・クベを差し置いて、実質的な主人公の一人となりましたが、編集長と北米を地上戦のメインにして大正解だったなぁと、ここまで書いてて思った次第。
最初はギャグ・シリアス双方こなせる将軍という便利キャラ扱いだったのですが、ここまで編集長が大出世するとは、作者自身思ってなかったです……。
これだから二次創作は止められんね。