紅き天使のレクイエム(改訂増補版)※未完   作:順砂

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第一章 ロンギヌス(下)-Il Lance Santo-

 そこは路地裏にあったそのビルの跡地だった。低いトタンの塀に囲まれて、すでに何かが建つこと決まっているのか、資材が大量に野積みされている。塀は結構適当に組まれていたので、何カ所から容易に入り込むことができた。

 

 そこで私は……私たちは見てしまった……。

 

 助けを求める声……悲鳴…!

 

―――パシュ―――

 

 乾いた、空気が通る音。何かが弾けるような音。

 

 倒れる人。奥で黒い筒を持つ女。

 

 月明かりが一瞬だけ、その女の顔を照らす。

 

 私はそれか誰かを理解する前にその名前を呟いていた、ハッキリと。

 

 

「祐巳ちゃん・・・?」

 

と。

 

 

 

 

 

 祐巳の、洪との逃走劇はその長さとは比例せずに楽に終わった。すでに洪には逃げ込む先などなく、洪と同様、祐巳にも土地鑑があったからだ。あとは、追いかけて、追いつめて、人目のつかないところで殺すだけ。まさに狩りだ。

 そして、洪がビルの跡地に逃げ込んだところでしとめることにした。祐巳は一気に彼を追いついて、地面に引き倒し腹部を踏み抜く。洪が血と吐瀉物を吐き出すが、祐巳はそれにかからないように足を引いた。しかし、そうしても、もう洪は動くことが出来なかった。その洪に銃を向けた。

「鬼ごっこ、これで終わりね…」

 そう言ってからふと、祐巳は気づく。

(この場所って…)

 苦笑いが漏れる。

(『福沢祐巳』が「殺された」場所…)

 だが、どうでも良いことだ。ぐちゃぐちゃ汚れた顔で助命を哀願してわめく男を消すだけ。これ以上騒がれても厄介だ。

 パシュ―――

 そう思って、躊躇うことなく引き金を引けば、男はこの上なく静かになった。

 足元に何かが転がっていた。

(携帯電話…?)

 黒い携帯電話であった。通話中の表示だったが、ふっとそれが消えた。

(誰かと連絡…?いまさら?)

 と、その時だった。

 ジャリ……。

(!?)

 足音が聞こえて咄嗟にそちらへ銃口を向けた。が…

(すこし油断した……――え?)

 慌てた様子で現れた影を一瞬で確認して、トリガーにかけた指が固まる。

(え…あ……?)

 祐巳は目を見開いて、幻でも見たのかと思った。まさに夢の中の人物に出会ったようであった。

(なんで…?)

 しかし、鼻につく硝煙に匂い、吐き気のする血の臭い、拳銃のグリップの冷たさ、ハッキリとした思考―――その全てが現実であることを祐巳に実感させていた。

 影も驚いたように放心して呟いた。

「祐巳ちゃん……?」

と。

 祐巳は彼女に見取れてしまった。ギリシャ彫刻のような彫りの深い、美しい顔は昔と変わらず、月の光の中でさらに映えて見えた。

 なぜか奇妙な分離感を覚えていた。

(………聖、さま。……っ?!)

 祐巳は慌てて口を押さえて、声を漏らさずに済んだが、そのあからさまな動作はこの月明かりで見られてしまったはず。そして、そのことに大きな衝撃を覚えた。

 聖が、そして、今まで聖に気を取られて後ろにいた二人気づいていなかったが、蓉子と景がハッとしたのが、月の薄明かりのなかでハッキリと見えた。

 呪った。こんな再会など…。いや、なぜ呪う必要があるの?見られたのなら殺すだけじゃない。そう殺すだ―――

「祐巳ちゃん?!」

 聖が祐巳に近寄ろうとした。祐巳は咄嗟に思考の海から戻って引き金を引いた。聖の足元の地面に弾を撃ち込むと、聖が驚いたように立ち止まった。

(なっ、なんで…っ?!)

 しかし驚いたのは祐巳も同じだった。自分が殺さなかったことに驚いた。そんな生ぬるい対応をした自分に動転した。気が付くと手が震えている。

 そして、意志に反して足が勝手に動いた。

(なぜ……)

 気が付いたらこの場からきびすを返して逃げ出していた。なぜそうしなかったのか、なぜこうしているのか、訳が分からなかった。

(………なんで、私は逃げている……?)

 すぐにスピードがついて、空き地が、街が後ろへ消えていく。

 祐巳は夜の街を疾駆した。人にぶつかったりしたが、そんな些細なことに気を止めず、だだ一心不乱に走った。

 くそ、くそ、くそ、くそ!

 あの場を去って、多少の冷静さが戻ってくる。それとともに走りながら、どうしようもない憤りが湧いてきた。心中で悪態をついたが、困惑はやまず、少し離れたところでだんだん走る速さを落とし、歩みを止めたところの路地のビルの壁を思い切り殴りつけた。

 が、痛みは痛みでしかなかった。

「くそっ…」

 ビルの冷たい壁に額を押しつけて、記憶から掘り起こされる聖の綺麗すぎる笑顔――それにともなって発掘されようとするさらなる記憶――を消し去ろうとしたが、上手くいかずそのまま崩れ落ちた。

「…くそ…なにが違う……?」

 今まで殺した人間と何が違う?!何がっ!!!!

 殺さなかったことは祐巳をそれまでやってきたことを否定した、ひいては今の自分さえ否定した気分にさせた。

「何が…何が……」

 そんな暗鬱で陰惨なつぶやきだけが月影に染み込んでいった。

 

 

 たしかに彼女だ。十年前行方知れずになった彼女だ。それがそこにいた。

 その衝撃で唐突な事実は、酔いを一瞬で醒まし、不思議にもすんなりと私の胸に入ってきた。しかし、何が起こっているのか、まったくもって見当がつかなかった。

 ただ、目の前にいたのが、妹の…祥子の妹、私にとっては「孫」にあたる祐巳ちゃんであるということ、それだけは確か。聖がそう言っているのだから間違いない。彼女が祐巳ちゃんのことを見間違うなんてことはないのだから。

 でもどうして?なんで拳銃を持っているの?そこの死体は誰?

 そこまで、考えを巡らして、どうしても出したくない結論を避けて堂々巡りをしていた私はハッとする。聖が動いた。いくら相手が祐巳ちゃんでも不確定要素の中で銃を構えている人間に近づくのは危険だ。

「聖っ!」

 叫んだが、遅い。祐巳ちゃんは引き金を引いた。ダメかと、思った。だが、弾はそのまま、聖の足元に着弾してホッとした。

 しかし、それも束の間だった、祐巳ちゃんが私たちに背を向けて走り出した。

「祐巳ちゃん?!」

 これは誰が呼び止めたものか。加東さんか聖か、もしかすると私かもしれない、または三人ともか。そんなことはどうでもよかった。

 私の意識は祐巳ちゃんを追いかけようとした。しかし、足が金縛りにあったように動かない。自分が思っているよりも今見た光景が衝撃となって、身体を駆けめぐっているようだ。仕事柄、殺害されたあとの遺体を見たことはあるが、今まさに人が殺された瞬間を見てしまったのは初めてだ。まして、親友に向けて銃が放たれる場面を見るのも。

 身体とは違い、ハッキリしている意識と視界の真ん中で、聖が動いたのがわかった。

「聖?!」

 追ってはダメ、と叫ぼうとした瞬間、走りだした聖がすぐに口を押さえてうずくまった。そこで、私はこの空き地に来た本当の目的を思い出した――多少、間の抜けた目的であったが…。

 いまは、それに多少の感謝をした。

 その時には完全に祐巳ちゃんの姿は見えなくなっていた。

 私はそっとため息をついた。

 

 

 

 私には何が起こったのか、何が起こっているのか、混乱しすぎて理解できていなかった。水野さんが呼んだ警察はほどなく到着して、現在、現場検証を行っていた。通りから一歩入った静かな路地は、今や野次馬や少なからずのマスコミで騒がしくなっている。

 事情聴取は警察に顔が利く水野さんが私達のかわりに受けていた。

 私と佐藤さんはパトカーの中だ。横で佐藤さんがすやすやと寝息をたてている。ハッキリ言えば、私はそんな佐藤さんがうらやましかった―――寝ている理由がアレであれ…。もう少し飲んでいれば、隣の友人のように胸のもやもやも一時的にせよ忘れて眠ることができただろうか。もっとも、彼女が良い気分で寝ているとは私には思えなかったが。

 あれは、父が倒れたとき以来の、いや、それ以上の衝撃かもしれない。人が殺されるところを初めて見た、そして…祐巳ちゃんが居た。再会とは言えない。なにせ、私の位置からでは顔は判別できなかった。かろうじて、佐藤さんが「祐巳ちゃん」と判断し、相手もそれに反応を示したから、そうなんだろう、と私は解している。しかし、遠目から見た彼女の影は、あのくるくると表情が変わる「祐巳ちゃん」とは似ても似つかないように思えた。

(祐巳ちゃん…)

そこで、私は警察が来るまでの間の会話を思い返した。

 あの後――祐巳ちゃんが消えたあと、佐藤さんはひとしきり吐瀉して、すぐにまた追いかけようとした。

――聖、待ちなさい!――

 それを水野さんが手首をつかんでとめた。佐藤さんは必死な形相でそれに抵抗し、「放して!祐巳ちゃんが!」と叫んでその手を払いのけようとしたが、水野さんは頑として手を放さず、静かに、それでいて佐藤さんの瞳をじっと見つめて言った。

――もう追いつかないわ。それに銃を持っている相手にどうするつもり?――

――でも、あれは祐巳ちゃんだよ!――

――だから?あなたが行ってなんになるの?――

――だけど…!――

――…一歩退いて。それから考えましょう…――

 そう水野さんが言うと、佐藤さんは押し黙った。きっと何か意味があるのだろうが、私には分からなかった。でも、効果は覿面だったようで追いかけようとする様子はなくなった。しかし、佐藤さんは厳しい顔をして唇を噛みしめていた。

 その後、水野さんが死体を検分した。本当は警察来る前に動かすべきでは無いのだろうけど……。水野さんは死体の顔を見て片眉をつり上げた

 そこで水野さんは、ただ傍観するしかなかった私に話しかけてきた。

――加東さん、これから通報するけど、一つだけお願いがあるの――

――何?――

――祐巳ちゃんのこと、誰にも話さないでほしいの、警察にも――

 水野さんは佐藤さんに向き直り、

――祥子にも、ね。ううん、とくに祥子には――

 私達が怪訝な顔すると、水野さんは困ったような顔になった。

――祥子は今、危険なのよ…。祐巳ちゃんの情報を得るために色々な事に頭をつっこみすぎたのよ……。それで最近、とある中国系の組織が怪しいとだいぶ探りを入れていて…。祥子にこの事を伝えれば、伝われば、どんなことになるか……それに…いえ、なんでもないわ。ともかくお願い…――

 つまり、今回の「祐巳ちゃん」のことで、小笠原さんがさらに踏み込みすぎないか心配しているということのようだ。

 私はそれを即答で承諾した。そもそも、私は祐巳ちゃんのことを他に言うつもりはなかった。なんとなく、何もわからない自分が広めていいことではないと思ったからだ。

 佐藤さんはうつむいたまま、何も言わなかった。

――聖もいいわね。祐巳ちゃんのことは私が調べてみるから――

 水野さんはそういった後、携帯電話を取り出して110をプッシュした。さらに一度、電話を切った後、別の所にかけていたが、私にはわからなかった。

 そのあと、諦めて静かになった佐藤さんはパトカーが到着して、その中で寝てしまったのだ。むしろ寝ることぐらいしかできなかったのかもしれない。

 そこまで思い出して、パトカーの窓の外を見る。けっこう時が経ったように思えたが、そうそう過ぎていないようだ。水野さんがさきほどとまったく同じ位置で刑事の聴取をうけていた。

 そこで、ふと私の頭をいやな予感がよぎった。それは形にならない些細なことではあったが。でも…

「本当に小笠原さんに話さなくていいの?」

 横で聖が気分悪そうに寝返りをうった。起きていれば、この私の言葉に、佐藤さんはなんて反応しただろうか。

「……雨?」

 ふと窓の外を見やると、雨が降り始めていた。

 

 

 

 フロントガラスに雨粒が、一粒、二粒、と落ちてきていた。闇が溶けて、墨汁にも見える。その小さな空間で冷徹な声が響いていた。

「―――呉二、裏切り者の…洪、だっけ?始末しておいたわ」

 祐巳は、あの場から逃げた後、気持ちを落ち着け、少し離れたところに停めておいた車に乗り込んだ。十分ほど走らせたところで、報告のため携帯で呉二に連絡を入れていた。

『流石だな。他に何かは?』

「……そういえば、洪のやつ何処かに連絡していたわね」

『連絡?……ふむ。あぁ、そっちには心当たりがある。気になるようなら調べておくが?』

「別に気にはならないわ」

 祐巳にとっては本当に殺した相手の情報などどうでも良かった。そんなことに構っている必要はない。

『他には?』

「…何故?」

 その呉二の指摘に内心ギクリとしたが、なんとか外にそれが出ないように平静を保つことに成功した。

呉二は機転が利き、細かいことに目が向く男だ。何か感づいたのかもしれないし、見ていた可能性もある。

『いや、なんか声の調子が、な』

 さて、どういうつもりなのか。そこまで考えて苦笑した。呉二相手に何を疑り深くなっているのか。あの三人との関係なんて、呉二が知っているはずもないし、知っていたとしてもなんだというのだ。

『で、どうしたんだ?』

「人に見られた」

『珍しいな……。問題は?』

 電話の向こうから、車の走り去る音とともに呉二の驚いたような声が聞こえる。それが多少滑稽に聞こえて、祐巳は思わず口元に笑みを浮かべてしまった。

「ないと思う。私のミスといえばミスだが、暗くて顔は見えなかったはず。わざわざ殺すよりも、逃亡したほうが良いと判断した。問題ある?」

 嘘は言っていない。相手にしっかりと顔が判断出来たかはわからないし、聖さまは……多分直感だろう。聖さまらしい、と場違いな笑いが出そうになって、それを慌ててそれを押し殺す。

『そうか…まぁ、おまえが言うなら、ないんだろ?』

「……多分ね」

『…?しかし、珍しいな。…大丈夫か、饕餮から仕事の方は?なんならやめてしまってもかまわないぞ』

 さりげなく呉二がとんでもないことを言った。饕餮の命令に逆らうことがどういうことか、呉二もよく分かっているはずだった。もっとも、生きることに興味のない祐巳にはどちらでも良いことだったが。

 しかし、祐巳の疑念を電話越しに受け取ったのか呉二が先を言った。

『なに、饕餮に追われたら、二人でやればいい。今まで通り細かいことを俺がやって、大きな事はブラッド、あんたがやればいい。俺とあんたなら饕餮に捕まえられることなどないさ』

 ふっ、と電話の向こうで呉二が軽く笑ったが、彼がこういう笑いをする時は大抵大まじめ、しかも採算がとれる話をするときだ。つまりは、こんな馬鹿げた、空想じみた誘いも現実に可能であるということだ。その点は、疑う余地はない。呉二が本気で言うなら間違いないだろう。

 だが、それこそ本当に祐巳には興味がなかった。

「ふん、私が向きだと思う?」

『それもそうだが……だからこそ向きなことをあんたに任せて、向きではないことを俺が引き受けようと思ったんだがな』

 こんどこそ本当に軽口であった。ここ十年でこんな言葉を祐巳に言うのは、呉二ぐらいなものであった。

ちなみに祐巳にいつもくっついている呉二は祐巳に気があるわけではないようだ。祐巳が「何故、私について来るんだ?」と聞くと、「ついていきたいと思ったからだ」と答え、祐巳はそれならそれで良いと思い、これ以上深くは聞かなかった。便利すぎる男なので、ともに居て損はなかった。

「じゃあ…本当に小笠原祥子を殺るのか?」

 呉二は情報扱っているだけに祐巳の事情などを把握していた。というより、祐巳の過去のことを饕餮に報告したのは呉二自身であったので、知っていて当然である。祐巳もそれを知っていたが、彼がどういうつもりで今の言葉を言ったのか、電話越しにはわからなかった。

 しかし、その言葉、いやその名前を聞いて、祐巳の心はサッと急に冷えた。しかし、どういうわけか考える前に口が動いていた。いや、それは複雑に揺れ動く心情の裏返しなのかもしれない。そんなことはどうでも良かった。悩む前に決まった。それだけだ。そして、それだけ終われば、楽になれる……ハズだ。私は―――

 

――どうしたいの?――

 

「今夜やるわ……」

 

 その言葉に最も驚いたのは、誰でもなく祐巳自身であった……―――

 

「……そうか――」

 

 かくて、彼女たちは最悪の再会を果たす――――

 

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