神は我々に概念を与えた。
~古来よりこの地に伝わる創世記 その2節~
神々が天上界に移ってから、およそ5万年が過ぎた頃。
新しい世界には、様々な種族が繁栄し日々を過ごしていた。
その様子は、かつての神話大戦の事実を忘れ去ったかのような、そんな穏やかさを含んでいた。
そんな世界に、ある1人のガウス族の男がいた。
名をラプティム・ディザ・クメールと言う。
この男には、1つの野望があった。
彼自身の手で、それも彼が生きている内に、自身の帝国を築くことだ。
何故その野望を抱いたのか?
それは、彼が生まれたとある集落の話に遡る。
彼が生まれた集落は、ゼイロン川の中流に位置するそれなりに大きな集落であった。
ゼイロン川は、砂鉄や砂金がよく採れることで有名な場所の1つであった。
彼が住んでいた集落の住民達は、それらの加工技術も獲得していて、なおかつ生活用品にしか加工する気がなかった。
その集落は、自給自足が成り立っているかと訊かれたら、お世辞にもそうとは答えられなかった。
だから、彼らは金を加工して装飾品を作り、鉄を加工して例えば鍋などを作ったりし、それらを他の集落や国に売ることで食料を手に入れていた。
彼のいた集落は、至って平和な日々を送っていた。
だが、その集落の外では平和とはほど遠い感情が渦巻いていた。
その当時、極悪非道傍若無人で名が知られていたとある山賊団があった。
彼らは、自身の利潤に繋がるのならいかなる事をするのも辞さない冷酷で残虐な集団であった。
そして、運悪くその集落が彼らの標的にされた。
求められたものは、やはり砂金と砂鉄であった。
しばらくしない内に彼らは、集落に襲撃をかけた。
満月の夜であった。
集落の集会場を始め、食料庫を除く全てが火にかけられた。
むろん、彼の住んでいた家も然りだ。
集落の住民は、彼を除いて全員が殺された。
彼の家族や知り合い、集落の皆が努力して手入れた食料は、全てがその晩に連中の胃の中へと消えた。
自分が暮らしていた場所が、余所者に汚されていく様子を、彼はずっとかつて暮らしていた自宅の瓦礫の陰で見ていた。
握り締められた拳の中で、引っ込めることが出来ない爪が掌に食い込んで、そこから血が流れ出た。
飛んでくる火の粉が彼の頬や鼻先について、そのたびに軽い火傷と毛が焼けるとき特有の悪臭が彼を苛んだ。
そして、夜が明けて山賊達は去っていった。
残ったものは、冗談でも比喩でもなく本当に彼の命だけであった。
空は皮肉なほどに晴れていて、それがまた彼を苛立たせた。
彼は、生まれて初めて罵詈雑言というものを吐き捨てた。
何度も、何度も、幼子ののどに耐えられないほど長い時間をかけて、気が済むまで、何度も。
途中から嗚咽が混じりだして、最後にはまた静けさが戻っていた。
彼は、もはや嗚咽さえ絞り出せないほどに怒りを放っていたのだ。
それも、明け方から昼が過ぎるまで、ずっとだ。
彼は、その日をその場所で過ごした。
声を出すのも、動くのも、全てが億劫になっていた。
一昨日まであった、それなりに寝心地の良いベッドの感触はなく、ただ冷たくてザラザラでゴツゴツした地面の感触だけが背中に伝わる。
やはり、死体の焦げた臭いが鼻について彼はその晩を寝ることも出来ずに過ごすことになった。
そして夜が明けて、彼はかつての集落を背にして宛があるわけでもなくふらりと歩き出した。
時に草原にある窪地で、時に雨をしのぐために逃げた洞窟で、時には木の根元で・・・・・・
彼は何日も歩き続けた。
再び満月が出る夜の日に、彼はやっとまともな寝床になりうる場所を見つけた。
彼が生まれて初めて見る、外の集落であった。
そらまで太陽の光と月の明かりだけを頼りにしていた彼にとって、久しく目にする火の光は暖かで歪だった。
彼は、吸い込まれるように頼りない足取りでそこへと向かって歩いた。
そこは、集落ではあるが特殊な部類に含まれるものであった。
傭兵達が暮らす集落。
分かりやすく言えばそう言う場所であった。
その集落は、鉱山の麓に位置していて、そこもまた金属の加工技術に秀でた集落だった。
かつて彼が住んでいた集落と決定的に違うのは、複数で大型の踏鞴製鉄所の存在と、自給自足が成り立っているところだった。
鉱山とは別の場所から流れる川が、その集落の水源になっていて住民達はそこから生活用水を補給していた。
また、川の向こう側には広い平原が広がっていて、そこで酪農を営んでもいた。
何より、武具の製作所の存在が、彼には一番印象的であった。
集落の入り口で見渡せたのはそれらだけで、そこで彼は気を失った。
次に目が覚めたとき、彼は知らない天井を最初に目にした。
「Li ent?」
それは、彼が初めて耳にする異民族の言葉であった。
リ・エント? ジルト語で目が覚めたか? と言う意味に当たる言い方だ。
彼はジルトの男の家で保護されていた。
「おっと、すまなかった。君はコッチの方だったな」
次に耳にしたのは、少し覚束ないジルト特有の訛が残ったガウス語であった。
その男の名前はモーラス・リュンセンと言った。
モーラスはこの集落に定住している数少ない住民の内の1人で、農家と狩人の両方を営んでいた。
モーラスが彼を見つけたのは、3日前の日だったという。
モーラスが狩から帰ってきた時、偶然にも集落の入り口で倒れている彼を見つけたのだ。
「嫁は逃げてったからな、飯の味は期待しないでくれ」
モーラスは無愛想な声で言った。
出された料理は、川魚のフライと野菜と魚肉の団子を煮込んだスープ、そして1枚のバゲットだった。
常に母が料理をするものだと思っていた彼にとって、男が料理するという行為自体が物珍しく感じられた。
味はさして悪くなかったが、魚を食べるのが初めてな彼にとって、やはり魚の味や匂いはクセが強かったらしい。
食べられないわけではなかったが、元来鼻が利くガウスにとって魚の匂いは異質であった。
「すまんな、ガウスの食習慣は知らんのもんでな」
相変わらず無愛想な声ではあったが、申し訳なさは充分に感じられる口調でモーラスは言った。
「・・・・・・お母さんのご飯は・・・・・・」
この時、初めて彼は口を開いた。
「んん?」
「お母さんのご飯は・・・・・・もう食べられなくなっちゃった」
彼は、独白よりも悲しげな口調で続けた。
「知らない男の人達が来て、家がいっぱい火事にさせられて、僕以外の皆が殺されて、臭くて、熱くて、怖くて・・・・・・壊れた僕の家の陰でずっと隠れてた」
口から流れるように出てくるそれらは、今までため込んで出口を見つけられないでいた彼自身がその身に刻まれた恐怖そのものであった。
潰れたと思っていたのどは、思っていたよりも酷くはなく、だからこそ彼はここぞとばかりに続けた。
続けて、続けて、さらに続けて、続けた。
泣きはらすことも、鼻水を垂らすことにも、何の抵抗感も持たずに、延々と。
一通り言い終えて、テーブルに突っ伏して泣き崩れていると、その頭に大きな手がのった。
その手は、手荒く頭をクシャクシャにかき回して、かき回して撫でた。
撫でるだけで、ただ無言であった。
しかし、無言ながらもその手から伝わる優しさは確かに彼に伝わった。
「・・・・・・間違っても、そのクズ共を殺してやりたいなんて思うなよ、小僧」
しばらくしてから、モーラスはそう言った。
「たとえクズ共であろうと、そいつ等の命は皆レイド神から授けられてる。それを、復讐なんて事のためだけに奪うことは許されん、何があってもだ」
淡々と出てくる言葉に、彼は耳を傾ける事しかできなかった。
「レイド神は俺達に命をお与えなすった。その命を奪うためには、理由がいる。感情からくる動機は、理由としては数えられない。理由として数えられるのは、俺達が生き物として生きるために必要な時だけなんだ」
例えば、お前がさっき口にした魚や、今まで腹に納めてきた肉や野菜、果物・・・・・・
モーラスは諭すように、無愛想で暖かい声で彼にそう話した。
だからお前は殺しちゃいかん、と。
何度も、何度も。
お前は親や肉親を見殺される悲しみや怖さ、苦しみを知っているからこそ、同じ事をしでかしてはならない。
お前は、その感情を糧にして優しくなるんだ。
モーラスはそう言って話をくくった。
「・・・・・・優しくなるにはどうしたら良いの?」
彼は純粋な疑問をモーラスに投げかけた。
「しばらくここで暮らせ。自然と分かるようになってくる」
モーラスは快活な声でそう返した。