秘封倶楽部の二人がお話しするだけのお話です。お楽しみ頂ければ幸いです。
「待たせてごめんねメリー。此処が私のお気に入りの喫茶店よ」
「へぇ、小洒落たカフェね。まさかウチの大学の近くにこんな店があったなんて」
蓮子は驚いているメリーを見て得意げに胸を張った。蓮子が案内した名も無き喫茶店の奥まった窓際の席は、彼女だけの密やかなお気に入りの場所だった。
「ここなら近くに他の客も来ないし、景色も良いし、おしゃべりをするにはぴったりの場所でしょう」
席に着いたメリーはメニューを見て眉を顰め、小声で呟く。
「珈琲一杯で五百円だなんてちょっと高級志向過ぎるわ。私たち貧乏学生には場違いな店じゃないかしら?」
「ふふふ、その値段には場所代も含まれているのよ。私とメリーとで好きな飲み物を一杯ずつ注文しましょう。それでこの席は私たちのものよ」
「ふーん、そんなものなのね」
自動販売機の缶コーヒーにすら懐を痛めるメリーは、この喫茶店が物ではなく場所を売る商売をしているのだと蓮子に説かれて納得したようだった。彼女達は各々好みの飲み物に口を付けつつ、他愛もない雑談話に花を咲かせる。この物語は、そんな二人の語りの一幕の継ぎ接ぎである。
〜四方四季〜
「四季があるのは日本だけだっていう古典的な言い回しがあったわよね。それがどうにも気に入らないわ」
「あら、急にどうしたの蓮子?」
「春めいてきて季節が身近に感じられるから気になったのよ」
「ふーん。で、どうしてその言い回しが気にかかるの?」
「だって、気候っていうのは大雑把に言えば緯度や経度に紐づけられた領域のことでしょ? 四季が日本にしか無いなんて大嘘吐きも良いとこよ。日本と同じぐらいの緯度なら、日本と同じような四季があるはずなのよ」
そういって蓮子は卓上に載せた携帯端末から地球儀のホログラムを投影した。日本とおよそ同緯度の領域が強調表示されている。
「四季は地球にへばりついている。帯のようにね」
「そんなに単純な話では無いでしょう。地形や風向きの影響だって受けるでしょうし、標高だって関係するわ」
「まぁ、確かにそうだけど……」
メリーは携帯端末の音声認識機能を有効にして言葉を放つ。
「ケッペンの気候区分における温暖湿潤気候区を表示してちょうだい。ほら、四季は地球にへばりついているけれど、私には帯のようには見えないわよ」
「手厳しいね。流石はメリー」
表示された分布図では、東アジアから南アフリカまで様々な地域が示されている。そして確かに、帯状ではなく飛び飛びだ。
「ええと、ケッペンの気候区分は植生を元にして気温と降水量で気候区分を定めていたはずだから、その気候の成因までは分からないはず。それに気候学的に見るならばそうかもしれないけれど、天文学的に見れば太陽高度の差異から四季は定義されるはずよ」
「それでも蓮子の言い分を否定するには──否定できないわね。確かに日本と同じように四季の変化が明瞭な気候区分は地球上に
「帯状でないのはそうでございますからお許しくださいメリー様」
「ふむ、許す」
畏まって芝居がかった素振りで頭を下げた蓮子を、メリーはこれまた劇的に許した。ともあれ、蓮子の主張の本筋にはメリーも頷いている。
「で、やっぱり四季は日本以外にもあるでしょ。なのに四季があるのは日本だけなんて言い回しは欺瞞よ」
「それはそうだけど……それはあんまりにも風情がない断じ方よ蓮子」
「風情?」
首を傾げる蓮子に溜息を吐きながらメリーは諭す。
「確かに四季と呼べる気候は日本以外にも存在する。でも、春に桜を見てお酒を呑んだり、夏に氷水で冷やした西瓜を食べたり、秋に紅葉した山を物見遊山したり、冬に炬燵に入って蜜柑の皮を剥く。そうした四季の過ごし方があるのは日本だけでしょう?」
「ああ、成る程。あの古典的言い回しは四季という
蓮子は晴れやかな表情で頷く。
「しかし複雑ね。四季という言葉一つに、文化的な四季、天文学的な四季、気候学的な四季といった複数の意味合いが纏められていて、それを混同してしまうから今回みたいな疑問が生じるのね。日本の文化的な四季は日本にしかない、そう言ってくれれば誰も異議は唱えないでしょうに」
「そんな厳格な言葉遣いを要求されてしまっては堅苦しくて堪らないわよ。蓮子とこうして話し合えているような曖昧とした言葉が私は好きね」
メリーは肩を竦めて見せる。
「あ、でももう一つあるわよ」
蓮子は思いついたように語る。
「暦の上での四季、とか。まあ、これについてはあまり興味無いけどね。だから今まで忘れてた訳だし」
「あら、どうして興味がないの? 暦は古来から天体との関係が深いわよ。太陽、月、そして星々。人々は変わらぬ天上の運行の循環から地上の暦を得たのよ」
「それは昔の話よメリー」
悲しい目をした蓮子は、物憂げに俯きながら言葉を漏らす。
「暦は常に権威によって捻じ曲がる。私は世界がどう在るかについて尽きない興味を抱くけれど、人間が定めるものにはさっぱり興味が無いわ」
「蓮子ったら、そんなだから私との待ち合わせに遅れるのよ。ちょっとは人間が定めた時間に従ってくれないかしら」
「それは……ごめんなさい」
「ふむ、許す」
「やった、許された!」
「喜ばないで、これでも結構怒ってたのよ」
頬を膨らませたメリーを前にして蓮子は縮こまる。
「ええと、このエクレアなんてどうかしら? ほら、私が奢るから」
メニューを手にメリーの機嫌を直そうと四苦八苦する蓮子を見て彼女は微笑んだ。
「ふふ、蓮子のそういう即物的な所、私は好きよ」
「それって、どっちの意味で?」
「ど、どっちって……それは……」
蓮子の唐突な問いに言い淀むメリーに、蓮子は事もなげに言葉を続ける。
「主観を排してこの世の物に対して真摯である科学者然とした姿勢という意味なのか、それとも金銭的な事を優先して考えることなのかと思ってね。ほら、四季という言葉一つとっても沢山の意味がある事が分かったから、今回は厳格にメリーの言葉を受け止めてみようと思って」
「……はぁ。分かったわ蓮子。そのエクレアと、あとはこのプリンで許してあげる」
メリーは甘いプリンを口に運びながら溜息を吐いた。蓮子は賢いしカッコいいし優しいけど、人の心の機微には少し疎い。それは良くもあるけど、悪しくもある。できるならば厳格に、言葉ではなく心を受け止めて欲しいな、なんて。
そんな風に思いながらメリーは、不思議がっている蓮子の目をじっと眺めたのだった。