「暑いわねぇ」
メリーは晴天を見上げながら気だるげに言う。蝉が鳴いてはいないが、その日は焼けるような真夏日だった。
「でも店内は空調が効いていて快適よ。文明の利器は偉大だわ」
蓮子は店員に注文を伝えて冷えたテーブルに突っ伏した。店内は人為的に管理された空間であり、人間にとって快適な環境に保たれている。また、飲食物を取り扱っていることもあり、あらゆる備品は潔癖とも言えるほど清潔そのものだ。
「ドアひとつ隔てただけでこんなに環境が変わるなんて、なんだか不自然な感じね」
「それは当然よメリー。人為的に管理されたこの空間はあるがままの自然とは正に対極に位置しているのだから」
〜Artificial・Nature〜
「自然と不自然の境界って何処にあるのかしらね?」
蓮子はメリーに問いかけた。
「自然な風景を思い描くとある程度の類型があるでしょ。例えば赤トンボの飛んでいる田畑だったり、清らかな小川だったりね」
「そうね。実に自然で牧歌的な風景だと思うわ」
「でも田畑は人間が農業の為に手を加えた不自然の塊のような土地よ。河川だって治水の歴史を鑑みれば自然との戦場の最前線でしょ?」
鋭い言葉にメリーは考え込んでしまう。
「う〜ん、程度の問題だと思うわ。確かに蓮子の言う通り、田畑は農業の為の人工的な管理された土地よ。でもそれは都会の無機質な交通路よりも遥かに自然的ではないかしら?」
「自然的! 自然的ってなーに?」
蓮子は微笑みながら問う。メリーは困り顔だ。
「あんまり意地悪しないで頂戴」
「意地悪? まさか、私はただの知りたがりよメリー」
「植物の占める床面積の度合い、とか?」
「それだと人間が人為的に植林した里山は人の手が加わっていないツンドラよりも自然的になるわね」
メリーは暫く沈黙した。その間に、二人が注文したアイスティーがテーブルに届いた。彼女は茶に口をつけて、リラックスして椅子に深く腰掛ける。
「降参よ蓮子。私には分からないわ。貴方には分かる?」
「元はと言えば私の疑問だったからね。少し考えてみる」
蓮子がプランク並と自称し、メリーからは
「ごめんなさい。私にも分かんないわ。だって人間が決めた事だもの。決めた人間に聞きに行かないとどんな天才にだって分からないわよ」
「ま、それもそうね」
「でも私が思う自然と不自然の境界は──」
蓮子は自信たっぷりに胸を張って言う。
「直線よ!」
メリーは首を傾げたが、蓮子は構わず早口で言葉を続けた。
「自然には直線がないのよ。まあ、全く無いとは言わないけれどほぼない。でも、人間が手を加えているものはあら不思議、ほとんど全て幾何学的な直線がある。田畑も堤防も交通路も何もかも直線よ」
「確かに言われてみるとそうかもしれないわね」
「厳密な直線は自然界には存在しない……そんな風に私は思っているわ」
「あ、雪の結晶とかはどうかしら?」
「あ〜……それは例外ってことで」
蓮子は窓の外の空を指差した。
「ほら見てメリー。綺麗でしょ?
「そうね、とても素敵な考え方だと思う」
目を輝かせて空を見つめる蓮子に、メリーは目を奪われた。その憧れを含んだ情熱的な眼差しが、メリーを見惚れさせたのだ。
「ただ、これは私がそう思っているというだけのことよ。言わば信仰のようなものとも言えるわ。例えば昔はビー玉とかあったでしょ?」
「大昔の炭酸飲料の栓として使われていたガラス玉のことね。民俗学のデータベースで目にした事があるわ」
「そうそれ。人工的な──球体よ。つまり、不自然に自然な不自然よ」
「ごめんなさい、ちょっと何を言っているか分からないわ」
ややこしい言い回しに疑問符を浮かべるメリー。しかし、蓮子は話の核心部を語り始めた。
「この話の一番面白いところはね、何が自然かを定める事ができればつまり、自然は人工的に作る事ができるというところなのよ」
「人工的な自然……」
「そして日本ではそれは遥か太古から認知されていたのでしょうね。例えば庭園では枯山水なんかを見て貰えばわかるけれど、あれは直線のない自然を人工的に再現する試みの一つなのではないだろうかと私は思っている」
「自然を人工的に再現する試み?」
「人類が誕生してから約500万年の時が流れたけれど、文明と呼べるもの──古代メソポタミア文明とか──が現れたのは5000年前ぐらいからでしょ? そうだとすると、人類が文明と共に生きた時間は、その誕生から現在までのたった0.001%にしか過ぎない」
蓮子は両手を広げて周囲を示した。
「ほら、世界には直線が多すぎる。人は自然を、これまで99.999%の時を過ごしてきた直線無き世界を求めているように私には思えてならないわ」
そして、芝居らしく劇的に語るのであった。
「即ち人は、空を見上げたくなる生き物になったという訳よ」
「それは蓮子の個人的な嗜好でしょ?」
「……流石はメリー。私のことがよく分かっているのね」
「それほどでも」
暑い日差しの照りつける夏日。それでも涼しく快適な店内から、蓮子は帽子をずらして空を見上げ、自然と不自然の境界を幻視する。
青い、青い空に、真っ直ぐに引かれた飛行機雲を。