「秋めいてきたわね」
蓮子は、喫茶店の扉を開けて帽子を脱ぐ。室外と室内の空調による寒暖差は失われつつあった。メリーは一足先に普段の席に着き、ブレンドのコーヒーを注文して寛ぐ。店内に差し込む光は柔らかく暖かで、微かに肌寒く感じる空調と相俟って心地良い具合だった。
「ほら、蓮子こっち」
「はいはい、今行きますとも」
二人はゆっくり一息つき、頬杖を突いて窓の外を眺める。何処からともなく漂うコーヒーの香りが、蓮子を上機嫌にさせた。彼女は一仕事終えて羽を伸ばすかのように、背もたれに寄りかかって身体を伸ばす。
「夏を越えたご褒美みたいな季節ね」
〜オータム・ゴー・デイズ〜
「今年の紅葉はどうなるかしら。去年は色鮮やかで素敵だったわ。今度、蓮子も一緒に観に行かない?」
「あ〜良いね。秋って感じ。でも、紅葉を観たいだけなら遠出しなくても、ほら」
蓮子は喫茶店前の街路樹を指差した。イチョウである。秋が深まれば、店内から自然と紅葉も見えるようになると彼女は言う。
「観光地でお上りさんみたいに見上げる紅葉よりも、馴染みの喫茶店でコーヒー片手に眺められる紅葉の方が、私は好きよ」
「それは蓮子がコーヒーを好きだからでしょ」
「うん、否定はしない」
注文していたブレンドコーヒーが二人の元に届いた。蓮子はコーヒーを運んできた店員に、追加でホットケーキを注文する。コーヒーの心地良い香りに当てられて、甘味が欲しくなったのだ。
「でも、喫茶店の前にイチョウねえ……。銀杏の匂いとか強烈でしょうに、大丈夫なのかしら?」
「最近の銀杏は無臭だから大丈夫よ。イチョウは火災に強いし、剪定も容易で紅葉も綺麗。だから、街路樹として広く利用されていた。昔は銀杏の悪臭が酷いから実をつけない雄株を植えたりしてたけど、今や遺伝子編集技術の発展でその必要も無くなったって訳」
「悪臭のしない銀杏、美しい紅葉のイチョウが全国に普及するなら、素敵な技術の使い方だと思うわ」
蓮子は指を立てて左右に振る。浮かべられた微笑みは、悪戯げな少女のものだ。
「遺伝子編集で無臭の銀杏を作るのと、全国のイチョウを植え替えるのは別種の問題よ。今時、片田舎や地方の街路樹を悪臭や銀杏の為だけに植え替えたりすると思う?」
「わあ、夢の無い話」
「夢はある。それが世界に行き届くかは──」
「別種の問題、でしょ?」
「その通り」
蓮子は、運ばれてきたホットケーキにフォークを突き刺した。ホットケーキに載せられたバターの風味と、蜂蜜の甘い香りが漂う。
「美味しそう。私も注文しようかしら」
「スイーツは人生を豊かにしてくれる。甘味に美食、それで人生の半分は解決したも同然よ。もう半分は睡眠! 毎日、半日は寝てたい気分だわ」
「けれど、過ぎれば水さえ毒になる。蓮子、最近寝坊が多いでしょ。それに、なんだか太り気味じゃない?」
「メリーったら酷い。女の子に太り気味なんてタブーよ」
「タブーは破る為にある、なんて、常日頃から吹聴してるのは誰だったかしら?」
「それはサークル活動での話よ。食欲の秋、人がそう言う季節に節食だなんて馬鹿らしいわ」
ホットケーキを頬張り、満足げに咀嚼してみせる蓮子。メリーは呆れ顔をして甘い香りを嗅ぎ、ふと想起する。
「金木犀……秋の甘い香りね」
「あはは、ホットケーキから金木犀だなんて、メリーってば連想力豊かね」
「入り組んだ仄暗い路地を行く時に、香ってくる甘い匂いよ」
「金木犀は日陰を好むからね。日に当たると葉焼けして、真っ暗だと花付きが悪くなる。明暗の境界を好む花よ」
蓮子は、メリーを見て固唾を呑む。彼女は、差し込む光と日陰の境目に手を差し伸ばして金木犀の花を取り出していた。
「花は橙色をしてるわ。そう、それ。高さは精々4〜5m程だから、生物学上では亜高木の区分に入る常緑広葉樹よ。花言葉は──真実」
メリーは手に取ったそれを卓上に置く。二人の席には、金木犀の香りが漂い始めていた。
「次のサークル活動で、月の桂でも見に行きましょうか?」
底知れない瞳をして、傾いた日と日陰の狭間に座るメリーを見て、蓮子は頭を掻く。これだから彼女は時々おっかないのだと。
「メリー、怖いからそういうの止めて頂戴。私、貴女が本当に同じ人間なのか分からなくなっちゃう」
「蓮子が暴くべき未知の一つに私を追加しないといけないわね」
「じゃあ、今後もしっかりこんな風に──対話を続けるべきね。魔術師メリーさん」
「あら、他人行儀」
クスクスと、二人して笑って空気が緩む。
「さて、次の目標も決まった事だし、メリーも何か頼まないの? 私のオススメは日替わりパフェよ」
「へえ、本気で見に行くつもりなの?」
「当然。花が咲くのは秋なんだから、寧ろ今しかないでしょ」
月に生える伝説の桂の木。きっとさぞかし美しいに違いない。そう蓮子は楽しげだ。
「で、どうやって見に行くつもり?」
「それは、これから考えるよ。幸い時間はある。こう言う難題を解決するには万物を関連付ける三次元的な思考が必要で、さて……う〜ん……」
蓮子は、コーヒカップを口に運んで苦々しい表情を浮かべる。
「さっぱり分かんない」
「それは残念」
「諦めてお月見にしない?」
「あら、スケールダウンしたわね」
「ダメかな?」
機嫌を伺うように問う蓮子を見て、メリーは微笑む。
「構わないわ。でも、月見団子は蓮子の奢りよね?」
「花より団子かあ……」