皆の傷になって死にたい転生者がベルの兄で才禍の怪物なのは間違っている 作:マタタビネガー
朦朧とした意識を底のない泥沼に溺れているかのような倦怠感だけが支配していた。まどろみの中で果てしないだるさと、身体中が悲鳴を上げるほどの激痛とが入り交じり、まるで悪夢の中にでもいるような気分だった。
深い闇の中に沈んでいた意識が少しずつ浮かび上がり、視界がぼんやりと形を取り始める。薄暗い天井の照明が目に映り、同時に全身を貫く痛みも徐々に強まっていった。
テントの中で横になっているらしいことを理解するのに数秒を要す。しかし、なぜ自分がこんなところにいるのか理解できず、まだ覚醒しきっていない頭は混乱したままだった。記憶が混濁している。
ここに至るまでの経緯を思い出そうとするが、脳裏に浮かぶ光景は断片的なものばかりであり、思考がまとまらない。まどろみと覚醒を繰り返すうちに、ようやく少しずつ視界が鮮明になる。
仰向けに寝転んだままの姿勢で、首だけを動かし周囲を見回す。天井からぶら下がった魔石が淡い光を放ち、テント全体を照らし出している。布地の天井をぼぅっとした頭のまま見上げていると、だんだんと思考が鮮明になり始めた。
たしか────
「────リリ、ヴェルフ!!」
『怪物進呈』を受けてからのことが鮮明に蘇ってくる。大量のモンスターからの逃亡劇、そして目の前に現れた巨大な階層主『ゴライアス』。圧倒的な威容を誇るその存在を前にして死すら覚悟したあの瞬間のことまで全て思い起こされた。二人の仲間がどうなったのか気が気でなく、慌てて起き上がろうとするが、途端に身体中に鋭い痛みが走る。
「〜〜〜〜〜ッツ!!」
声にならない悲鳴を上げながら再び倒れ込む。逃走劇の中で酷使に酷使を積み重ねた肉体はもはや限界を迎えていたらしく、たったそれだけの動きでも全身を襲う苦痛は筆舌し難いものがあった。酷使の代償として肉離れを起こした足や腕、そして折れてこそいないもののヒビが入っているであろう肋骨からは耐えようのない激痛が断続的に襲い掛かっている。
呼吸をするだけでも胸の奥に焼けるような熱さを感じ、まるで全身の血流が全て心臓に流れ込んでいるかのように錯覚するほどの高鳴りを覚えた。ポーションか回復魔法かで傷自体は治っているようだが、軋むような痛みだけは誤魔化しようがない。
「ん、起きたか」
すぐ横から聞こえてきた懐かしい声音に、まさか幻聴ではないかと思いつつ声のほうへ顔を向ける。そこには、布地の壁を背景にいつも通りの仏頂面でこちらを見下ろす記憶よりもより逞しくなった兄がいた。
「え、はっ、ええっ········?!」
「久しぶりだな」
思ってもない再会に奇声じみた驚きの声を上げる僕に、相変わらず無愛想な態度の兄さんは素っ気なく返す。あまりにも唐突な出来事に頭の中は真っ白になり、しばらく呆然としていたが、兄さんは「いや、9階層でチラッと会ったか」と頬を掻きながら声を漏らす。
幻聴でも幻覚でもないらしいその事実を飲み込めず、ただひたすら困惑するしかない僕の表情を見て、兄さんは困ったようにため息をつく。なぜここにいるのかとか、ヴェルフ達がどうなったのかとか、聞きたいことは山ほどあるはずなのに言葉が全く出てこない。
混乱を落ち着かせるために深呼吸を繰り返し、どうにか気持ちを静めて改めて兄さんになぜここにいるのか聞く。
「ど、どうしてここに······?!」
「今は遠征の帰りで、この階層にとどまってんだ」
兄さんの所属する都市最大派閥【ロキ・ファミリア】は深層の未到達領域への遠征の帰参途中らしい。モンスターの出現しない安全階層である18階層に留まり、休息を取っている最中なのだという。
そこでふと思い出す。そういえば、リリが二週間ほどど前に【ロキ・ファミリア】が遠征に行くと言っていたことを。たしかに時期は一致している。
「·······兄さん、具合悪いの?」
「少し毒を受けてな。まぁ、慣れた」
久しぶり故、ハッキリとは言えないが少し前にミノタウロスと戦ったときにチラッと見たときと比べて明らかに血色が悪く、力強さがない。よく見れば目の下に隈ができており、かなり疲労しているように見える。深層のモンスターの毒を受けたのであればそうなってもおかしくはない、と納得する。具合は悪そうだが、兄さんは苦しんでるようには見えないし、本人がそう言うなら大丈夫なのだろう。
「っ!! 僕の仲間は──?!」
しばらくポツポツとオラリオに来てからのことを話していたが、はっとヴェルフ達のことを思い出して二人は無事なのか、と慌てて問おうとする。だが、起き上がろうと上半身に力を入れた途端、ガクッと力が抜けて再び倒れ込んでしまった。重い衝撃と共に鈍い痛みが全身を駆け巡る。あまりの激痛に悶絶していると、兄さんが慌てる様子もなく仕方なさそうに倒れこむ僕の体を支えてくれた。
しかし、そんなこと気にしたふうでもなく兄さんは支えた手とは逆の手でテントの入り口を開く。今度は自分の力で立ち上がってしっかりとした足取りでテントの外に出る。ズキズキとした身体中の痛みを堪えながら、兄さんを追って出口をくぐった。
一面に広がる明かりが眩しい。思わず目を細めてしまうほどの明るさに、ここがダンジョンの中であることを忘れてしまいそうになる。大規模な野営に、いくつもの天幕、そして簡易的な炊事場では食事の準備をしている冒険者達の姿が見える。ダンジョンの天蓋から降り注ぐ淡い光の下、地上に見間違う木々や草花が生える景色は幻想的ですらあった。
森の香りを運ぶ風を感じながら、兄さんに促されるまま天幕が設置してある場所まで移動した。森の中央にぽっかりと空いた円形の空間を囲むように大きな天幕がいくつも張られており、そこに多くの団員達が出入りしていた。
ヒューマンだけでなくドワーフにエルフ、獣人など多種多様の種族が入り混じっており、その誰もがどこか強者の雰囲気を漂わせている。歴戦を思わせる武具のどれもが今の自分では手の届かない一級品であり、それを身につけている彼らの実力の高さを窺わせた。
此処にいる全員が僕より強いのが一目見ただけでわかる。そんな百戦錬磨を思わせる雰囲気を放つ冒険者達は例外なくすれ違う兄さんにうやうやしく会釈をしていく。中には憧れにも似た視線を向ける者もいることから、兄さんの実力は全員が僕よりも遥かに強いであろうこの人たちの中でも突出しているのだと理解できた。
「こっ、こっ、この度は助けて頂いて、ほほほほ本当にありがとうございましたっ!!」
しばらくして案内されたのは一際大きなテント。中にいたのは四人の第一級······Lv6の冒険者。【ロキファミリア】の団長でもある『勇者』フィン・ディムナ。エルフの王族の出であり都市最高の魔導士と謳われる『九魔姫』リヴェリア・リヨス・アールヴ。都市随一の頑強さを誇るドワーフの大戦士『重傑』ガレス・ランドロック。そして·······『剣姫』アイズ・ヴァレンシュタイン。
たった二人のLv7を除けばオラリオで事実上の頂点に位置する実力者達を前に、緊張で舌を噛みながらもなんとか感謝の言葉を述べる。
Lv2になったばかりの僕と当代の英雄とも言うべき彼ら相手に────いや、兄さんこそその最たるものだけど────比べれば月とすっぽんの差があるのだから当然だ。
「君達を助けたのはアルだよ。そう、畏まらないでどうか楽にしてくれ」
都市最大派閥【ロキ・ファミリア】団長という肩書きとは裏腹な気さくな態度でそう言うフィンさん。言動の一つ一つに余裕があり、カリスマ性が滲み出ている。
「それに、アルの弟でベートの弟子と知っておきながら見殺しになんかしたら、僕はベートに蹴り殺されてしまうからね。夜を安心して過ごせるように、君は何としてでも助けておかないと」
そんな冗談を口にしながら爽やかな笑みを浮かべるフィンさんは、僕の横に立つ兄さんへと顔を向けた。兄さんはいつも通り無表情のまま、フィンさんを見返す。どうやらあの時、意識を失う前に助けを求めた相手は兄さんだったらしい。つまらなそうに鼻を鳴らした兄さんを見て、少しだけ心が軽くなった。
「君達の事情は理解しているつもりだけど、一応説明してもらえるかい?」
「あ、はい」
きっと大派閥の首領故の手腕なのだろう、自然に話を振ってきたフィンさんに、僕はここに来るまでのことを説明しようとする。
「その前に······アル」
「ん?」
僕が口を開こうとしたとき、緑髪の女神のような美貌のエルフ────リヴェリアさんが頭痛を抑えるようにこめかみを押さえながら、深いため息をついた。
そして、僕の隣で座っている兄さんへ視線を向ける。兄さんを叱るような口調に思わず身構えてしまうが、そんな僕とは正反対に兄さんは平然とした態度で首を傾げていた。そんな兄さんに、リヴェリアさんはもう一度深く嘆息すると、疲れたような声で言った
「·······なぜ、普通に歩いている? 毒はどうした?」
「慣れた」
「········なにも見えないなあ」
13階層、モンスターの襲撃を掻い潜りながら進んだ先には暗闇が広がっていた。天井が高くなっているが、光源の確保された上層と違い微かな明かりしかないのだから当然だ。『恩恵』により視覚などの五感が強化された冒険者ならいざしらず、下界に降りて常人以下の全知零能となった神の目には闇しか映らない。
だが、ヘスティアの言う見えないとは冒険者の目から見ても残像すら捉えられない二人の動きのことだ。
『剣聖』がLv7に至るまで都市最速の称号をほしいままにしていた猫人最強の男、アレン・フローメルと深層での死闘を乗り越えて冒険者の実質的な最高位たるLv6へランクアップしたベート・ローガの戦いはそれほどまでに
風を切る音だけが響き渡り、気が付けばモンスターの首が落ちているのだ。僅かな燐を反射した銀光の軌跡だけを残してヘスティアやヘルメスはもちろんのこと、Lv2止まりの【タケミカヅチ・ファミリア】の面々では視認することさえできない。自分自身も速さに秀でた前衛であるリューですら漸く視界の端に捉えることしかできないほどだ。
ヘスティアの目と耳には灰色の岸壁にかかった血とモンスターの断末魔が飛び込んでくるだけだ。先の見えぬ暗闇に鼻をつく血錆びの臭いと肉片の悪臭、響き渡る陰惨な断末魔にベル達はいつもこんなところを毎日駆けずり回っているのかと尊敬の念を抱く。
「ぎゃあっ?!」
「おっと」
暗闇の中でなにかにつんのめったヘスティアが転びかける。すでに息絶えた血まみれのヘルハウンドの死骸を踏みつけたようだ。ヘルメスが咄嵯に手を伸ばすことで事なきを得たがヘスティアよりもダンジョンに順応しているヘルメスに恨めしい視線を向ける。
魔石を取られずに死体をのこしたヘルハウンドの腐臭に僅かに顔を歪めるヘルメス。魔石を取る余裕などなかったのか。
ベルの安否への不安に気を揉むヘスティアの足が止まる。
「······チッ、雑魚どもちんたらしてんじゃねえッ!!」
「狼もうるせえが、テメェらはそれ以前だな。黙ってついてくることすらできねぇなら今からでも地上に帰るか?」
ヘスティアとヘルメス、そして【タケミカヅチファミリア】の面々に向けられるオラリオでも随一の実力と刺々しさを持つ第一級冒険者二人の視線はひどく冷たい。ベートはともかく、アレンに至ってはヘスティア達がついてきているかすら確認していないだろう。そんな冷徹さが二人にはある。
ぶっちゃけ部外者であるアレンに対してもその隔絶した実力差と言動の刺々しさからかなり萎縮していたが、それ以上に【タケミカヅチファミリア】は出発前にベルの師であるベートに土下座して謝罪した際に散々、詰られている。
『自分達の実力すら理解出来ずに不相応な階層潜った上に怪物進呈して逃げ帰った? 冒険者なんざやめちまえ、向いてねーよ、雑魚ども』
ランクアップしたベルが中層で死ぬとは考えていないからこそその程度で済んでいたが、それでもキレた第一級冒険者の叱咤は相当キツいものがあった。しかし、それでもこうして付いてきたのは彼等なりの意地があるからだ。
「·······なら、どこを探すんだ。でたらめに探し回ってもベル・クラネル達は見つかりっこないぞ」
第一級冒険者の視線に身を震わせる千草を庇うように前に出た桜花が低い声音で言う。筋骨隆々の体躯と鋭い眼光、190センチを超える身長の桜花はそれだけで相当な威圧感を醸し出すが件の二人は歯牙にもかけない。
「日帰りの装備で中層へ赴いたベル・クラネル達に、迷宮内で滞在をする選択肢はありません。·······なにかしらの事故に遭い、この層域を脱出できない状況下にあると考えるのが妥当でしょう」
「事故ですか?」
「はい。全滅を免れ、かつ一日以上も中層にとどまっているという彼等の動きはあまりにも不可解です。恐らく、縦穴に落ちたのではないでしょうか」
答えない二人の代わりにアスフィが口を開く。
「自力で帰ってこれないほど、深い階層に落ちた彼等が取るべき行動は何か。モンスターの脅威に晒されながら、広大な迷宮を無闇にさまよっている可能性は低い。そんな愚かな選択をするパーティなら、一日を待たずして全滅している·········と、私は考えます」
「地上に帰還する選択肢を捨て、あえて安全階層である18階層を目指している。一考する価値があるのではないでしょうか」
「·······本当に実行するのか、そんなこと? まともな神経じゃない」
アスフィの言葉に信じられないといった風な反応を示す桜花達だったが、アスフィは
淡々と事実を述べる。アレンは至極くだらなそうに鼻で笑うだけだった。確かに、普通ならまず思いつかない手段である。そもそも、中層に出現するモンスターの群れに突っ込んでいくなど正気の沙汰とは思えない。
怪物進呈によるモンスターの波に呑まれて、生き残っていること自体が奇跡に近いのだ。より深い階層に潜っていくような真似は自殺行為に等しい。
ダンジョンの恐ろしさを知る彼等だからこそ、信じられなかった。
だが────
「俺なら、そうするな」
苛立たしげにベートが呟き、その言葉にアレンが僅かに目を見開く。
「あのバカも、振り返らず前へ進むだろうよ」
自分の弟子はそういう奴だ、と。ベートはその言葉を呑み込み、吐き捨てるように言う。ベートはベルが生きていると信じている。例え、どれだけの可能性が低くても、諦めることだけは絶対にしない、とも。
「うん、ボクも······ベル君は下にいる·······ような気がする·········」
与えた『恩恵』により、眷属の居場所がなんとなくつかめるヘスティアは自信なさげに言った。根拠など無い。ただ、神としての勘のようなものだが、ヘスティアには確信があった。
ベート、アスフィ、二名のベテランの考えに反論する者はいない。
「決まりですね。18階層に向かう、これを現状の方針でいきます」
アミッドと神二人を守る隊列を組み直して先に進む一同。モンスターは出現しても前衛二人が即座に蹴散らすため、戦闘と言える戦闘は起きない。暗闇の中で爆散するモンスターの悲鳴だけが響く。
正規ルートを最高速度で駆け抜けていく。ベートは時折立ち止まっては周囲の匂いや音を嗅ぎ分け、ヘスティアは眷属達の気配を探るが成果はない。岩壁に挟まれた通路の先には無数の枝分かれした道。それを迷わず進んでいく。
二人の第一級冒険者を前衛として、走り続けることおよそ三時間。ついに彼等の視界に灰色の大壁が映り込んだ。迷宮の天井まで届く傷のない壁面。それはまるで巨大な一枚の板だった。
たったの一種の『孤王』を除いてモンスターの出現しない17階層。ようやく彼等の足が止まる。痛いほどの静寂の中、荒い息遣いが聞こえる。
しばらくして辿り着いた一行を迎えたのはまっさらな大壁の前に門番のように立ちふさがる地上の家屋ほどのサイズの灰色の巨人だった。その巨体と見るからに盛り上がった筋肉の鎧に覆われた肉体は見るものに畏怖を与える異様である。
中層最強のモンスター、ゴライアス。
「ガア、アアアアアアアアアアアアアアアアア──ッ!!!!」
「───ッ、ゴライアスか?!」
初めて見る階層主の迫力にヘスティアや千草はおろか、豪胆な桜花ですらたじろぐ··············が。
「るせーな、どけや」
「吠えんな、轢き潰すぞ」
ベルへの信頼度はベートが一番高いかもしれない