皆の傷になって死にたい転生者がベルの兄で才禍の怪物なのは間違っている   作:マタタビネガー

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あと数話でアルの方に視点戻ります


四十一話 雷鳴と疾風

 

 

 

母たるダンジョンは察知した。自分を縛り付け、自らの仔を封じ込めた大敵たる神の忌々しき神威を。

 

故に産み出そうとした、自らの眷属を、七年前と同じように漆黒の神殺獣を。本来、中層からではいくら強化したところでLv5相当が精々ではあったが、母たるダンジョンは丁度いい『素材』を手にしていた。

 

モンスターの輪廻転生。なにかの間違いで地上や人間に強い憧憬を持ったモンスターの魂はダンジョンの中で、廻り文字通りの転生を行う。 

 

その魂、自らの表面で死した強き魂を持ったモンスターをダンジョン自らの手で神殺の獣へと転生させた。七年前の『大最悪』以上の力を持って生まれたそれは母の命を受けて間違いなく、神を殺すだろう。

 

いくら強大な力を有していても母の命には逆らうことなど出来はしない。

 

だが───

 

 

 

 

 

 

 

地上へ出発の際にアルにベルの面倒を見るのを頼まれたリューはもとよりそのつもりであったが、ベル達を地上まで送り届けるためにリリルカたちと行動をともにしていた。

 

「アルの口ぶりからなにかあるかとは思いましたが、流石にこれは··········」

 

 ならず者たちが起こした諍いもヘスティアによって諌められ、地上に帰ろうとしたとき、リューは見た。七年前の大抗争で、この18階層で相対した漆黒のモンスターと気配を同じくする怪物の誕生を。

 

 

 

 

 

 

 

 

ガタガタと断続的な揺れが足元から伝わってくる。その振動は、次第に激しさを増していた。何か巨大なものがダンジョンの大地からせり上がってくるような……そんな感覚だった。

 

「ヘルメス様、今度は何をやらかしたんですか!!」

 

「はは…………流石にオレが小細工を弄しても、あんなことはできないな」

 

 アスフィの主への信頼の感じられない叫びに、ヘルメスが乾いた笑いを浮かべる。ビリビリと震える空気の中、一同はただ事ではない状況であることを察していた。ダンジョンの天蓋部分に黒い影が現れ、それはどんどん大きくなっていく。

 

「ああ、ウラノス·······祈祷はどうした。こんな話は聞いていないぞ」

 

 ダンジョンそのものが敵として襲いかかってくるなど、誰が想像できようか。ヘルメスが呟くように言った言葉には、隠しきれない焦燥感があった。

 

「一人納得していないで、状況を説明してください!! 今何が起こっているんですか!!」

 

「暴走かな。しかも今までにないほど神経質になって、オレ達に感付いた」

 

 加速度的に大きくなっていく揺れに動揺するアスフィに、ヘルメスが端的に応える。暴走とは一体どういうことなのか、そう問おうとした時だった。―――ドォンッ!!!! 一際大きな衝撃音と共に、天蓋の水晶が崩れ落ちた。

 

そして彼らは見た。崩落した天蓋部分から、ゆっくりと這い出てくる存在を。己より遥かに強大な怪物の気配に誰もが息を飲む中、冒険者だけでなく階層内にいるモンスター達も、一斉に動きを止める。

 

「アスフィ、千草ちゃん達にリヴィラの街へ行って応援を呼んでくるよう言ってこい」

 

「応援? まさか、戦うんですか、この階層から避難するのではなくっ?!」

 

「いや、多分········」

 

 ガラガラと崩れ落ちる水晶の音が響く中、ヘルメスがぽつりと言う。彼の視線は17階層への洞穴に注がれており、それを追うようにしてアスフィもまたそちらを見やった。アスフィの眼鏡の奥にある瞳が大きく見開かれる。

 

「塞がったかな、洞窟が······やっぱり逃がすつもりはなさそうだ」

 

「〜〜〜〜っ! ええいっ、もうっ! 生きて帰れなかったら恨みますからね、ヘルメス様!」

 

 ヤケになって叫びながら木霊のように反響する水晶の破砕音とモンスターの遠吠えに向けてアスフィがその場を離れる。ヘルメスは申し訳なそうにそれを見送ってから、視線を罅の入った天蓋部分へと向けた。

 

「さて·······」

 

 亀裂音を立てている天井部分から降ってくる水晶の破片。止まらない地響きの中で、ヘルメスは静かに目を細めた。水晶の天蓋が裂け、漆黒の影が姿を現す。瞬間、世界が軋んだかのような錯覚に陥った。その光景を前にヘルメスは引き攣った笑みを浮かべる。

 

「あぁ、やっぱり漆黒のモンスターか」

 

 七年前の大抗争で女神アストレアの中で護衛として貸し出した眷属の言っていた漆黒のモンスター。水晶の天蓋を突き破り出てきたその存在は、頭部から生えた一対二本の角を輝かせていた。

 

18階層の天蓋から現れた漆黒の巨人を見て、ヘルメスは苦笑いを浮かべる。水晶の胎盤から首が生えるかのように出現したそれは、眼球をぎょろりと動かしてから周囲を睨むように見渡した。漆黒の腕がビキビキと水晶を破壊しながら伸びていき、ズズンッという轟音を響かせながらその巨躯に相応しい巨大な逞しい上半身が露わになる。

 

ダンジョンそのものを震わせるような産声を上げながら、漆黒の雄牛の頭を持つ巨人の怪物がこちらを見下ろす。安全階層であるはずの18階層に突如として現れた異質な存在に、冒険者達は思わず後ずさった。

 

雄牛は水晶の天蓋を破壊した際に飛び散った破片を踏み潰し、砕きながらゆっくりと腰まで地上に現す。ひび割れた水晶の胎盤は時折内部で脈打つように光り輝き、やがて完全に姿を現した漆黒のミノタウロスは、まるで怒り狂う獣のような荒々しい呼吸を繰り返す。大気を揺らしながら放たれるのは途方もない威圧感。

 

重力に従って隕石の如く落下してきたモンスターに、迷宮全体が悲鳴を上げる。振動が、空気が、世界が震え上がる。水晶の大地が砕け、砂塵を巻き上げる中、冒険者のみならずモンスターまでもが目の前に現れた規格外の怪物に悲鳴じみた鳴き声を上げた。

 

中層の階層主など比較にならない圧倒的な存在感を放つモンスターの出現に、もはや誰も動けない。否、動こうとしても身体が言うことを聞かないのだ。そんな彼らを見下ろしながら、漆黒のミノタウロスは直下の中央樹に轟音をあげて着地する。

 

ドォンッ!! という凄まじい衝撃音と共に、中央樹の幹が弾けた。たった一撃で中央樹が根元から折れ曲がり、地面に倒れる。一瞬遅れて結晶の雨が降り注ぎ、大地にヒビを走らせていく。緑豊かな美しい風景は粉々に破壊され、幻想的な空間は瞬く間に廃墟と化した。

 

水晶による淡い光が消え失せ、暗くなった階層に大樹の断末魔が木霊する。枝葉を散らして倒れ伏した大樹の骸の上に、漆黒の怪物が悠然と佇んでいた。水晶は怪物が歩く度に踏み躙られ、粉砕されていく。蒼然とした雰囲気に包まれていた水晶の階層は、今や見る影もなかった。

 

水晶の胎盤から解き放たれた雄牛の怪物は、天を仰ぐようにして大きく息を吸う。

 

ソレは岩石のように握り固められた拳を有していた。

ソレは鋼のごとき剛体を誇っていた。

ソレは、巨大な黒き大剣を持っていた。

恐るべき黒き怪物は、戦慄する全てのモノを睥睨する。

黒き怪物は─────咆哮した。

 

『────ォ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

森から出たベル達は、ダンジョンそのものを震わせるようなモンスターの産声を聞きながら目をむく。ミノタウロスは水晶の胎盤を突き破って姿を現し、そのまま中央樹へと着地すると、周囲を一望するように見渡す。水晶の胎盤から現れた漆黒のモンスターは水晶の天井を突き破った際に飛び散った破片を踏み潰し、砕きながらゆっくりと歩みだす。

 

ひび割れた水晶の天蓋から覗かせる明度の落ちた光を受け、水晶の欠片が舞う中で漆黒のミノタウロスは眼球をぎょろりと動かしてから冒険者やモンスター達を一通り眺め、天を仰いで大音声を放った。

 

『────ォ、オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

それはまさしく雷鳴の如き轟音だった。大地を揺るがす振動と大気を震わせる振動。ビリビリと肌を震わせる威圧感を孕んだ声は、聞く者の心臓を鷲掴みにする。

 

 

漆黒の体表、天を衝くかのような長大な体躯、鋭利かつ堅牢なる無数の刃を思わせる威圧

「何だ、あれは······!!」

 

「黒いミノタウロス?」

 

 ベル達が知るミノタウロスとは明らかに格が違った。漆黒の体毛に覆われたその巨躯は、まるで山のように巨大で、そして禍々しい。漆黒の威容は、対峙する者全てを呑み込むような錯覚を覚えさせた。

 

離れているにも関わらず空間が軋んでいるかのような重圧を纏う漆黒のミノタウロス。その威風堂々とした姿に誰もが言葉を失い、ただ呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。

 

「あのモンスター、多分ボクを······いや神達を抹殺するため送られてきた刺客だ」

 

 ダンジョンがヘスティア達、神を殺すためだけに生み出した存在。それが目の前にいるモンスターの正体だとヘスティアは確信する。大敵たる神の存在を感知して産み出された神殺しの怪物。

 

「·······は、早く助けないと!!」

 

 リリルカ達と同様に重圧に呑まれていたベルがミノタウロスの至近距離で戦意喪失した冒険者────モルド達の姿にハッと我に返る。

 

「待ってくださいッ!!」

 

「っ!」

 

 慌てて駆け出そうとするが、リリルカが腕を伸ばして引き留めた。なぜ止めるのか、そう言わんばかりに振り返ってきた少年にリリルカは真剣な表情で言う。

 

「本当に、彼等を助けにいくつもりですか? このパーティで?!」

 

 これは自分達が招いた事態であり、だからこそ自分が彼等を助けなければならない。ここで自分だけが逃げるなんて真似は出来ない。そんな考えが透けて見えるベルの瞳に、しかしリリルカは首を横に振った。彼女は、いやここにいる全員が分かっていた。あのモンスターが、レベル2の冒険者がどうにか出来るような相手ではないと。

 

確かにベルは前途有望な冒険者だ。だが、あの怪物は規格外過ぎた。数名のレベル2とレベル1からなる臨時パーティでは、どう足掻いても勝ち目はない。

 

レベル2のベルと階層主以上の脅威であろうミノタウロスとの間に存在する実力差は絶望的なまでに隔絶しているのだ。仮に勝てる可能性があるとすれば、それは奇跡か英雄譚のような物語だけだ。

 

直接戦わない後方支援にしても魔道士のいないベル達にできることは少ない。砲撃の攻撃魔法を使える仲間がいれば話は別かもしれないが、前衛としても対階層主では半端な能力しかないベル達には荷が重いだろう。

 

つまり、今の彼等にできることは一つだけ、今すぐこの場所から逃げ出すことのみ。それを理解していたからこそ、リリルカは止めに入った。

 

そもそもの話、モルド達に助ける価値などあるのだろうか。たしかにヘスティアは神威を解放させてモンスターを呼び出した張本人ではあるが、そもそもの原因はモルド達がヘスティアを人質にしてベルに危害を及ぼそうとしたからだ。

 

…………もっとも、元凶はヘルメスなのだがそれをリリルカ達が知る由もない。

 

今も心のなかでは冒険者を嫌っているリリルカはベルを危険な目に遭わせてまでモルド達を助けたいとは思えなかった。

 

「······ごめん、リリ」

 

 しかしそれでもベルの意思は変わらなかった。申し訳なさそうな顔で謝って決断したベルに、リリルカは眩しいものを見るかのように目を細める。仮に自分達が逃げてもベルは一人であの戦いに参加するであろう、そんな確信がリリルカにはあった。

 

「·······はあ、仕方ありませんね。けど、直接は戦いませんからね? 私達には瀕死の冒険者の回収が精一杯ですよ。そもそも私達じゃ後方支援すら厳しいんですから」

 

 リリルカの呆れたかのような微笑みにベルは再度、申し訳なさそうな顔をしたが、今度は嬉しそうに感謝した。振り返ればリリルカだけでなくヴェルフ達も仕方なさそうに笑みを浮かべており、彼等もまたベルと共に戦う覚悟を決めたようだった。

 

「ありがとう、みんな······!!」

 

 全員の意志を確認してベルは感謝を告げると、改めて漆黒のミノタウロスを見据える。その視線の先には、今まさに戦闘を開始しようとしているエルフの戦士の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不運だったのは漆黒の雄牛が産まれ落ちたすぐ近くにいた冒険者たちだろう。深層種の『咆哮』にも匹敵する産声を間近で浴びた彼らは狂乱状態に陥り、無謀にも剣や魔剣を雄牛に向けてしまった。

 

その様を不可視となった状態で見ていたアスフィは戦慄に背筋を震わせる。

 

水しぶきのように吹き飛んでいくつもの影。それは水などではなく雄牛によって薙ぎ払われた冒険者達だ。粉砕される武具と防具の音と共に宙を舞って虫の息となって倒れ伏す冒険者達。そして、血飛沫の中、悠然と歩みを進める雄牛。

 

二十を超える上級冒険者達が、たった一体の 『怪物』によって瞬く間に一掃された光景を見て、アスフィたちは絶句した。漆黒の皮膚にはLv2程度の攻撃では刃が通らず、魔剣の射出は大剣で打ち払ったのか傷一つ付いていない。

 

「黒い、ミノタウロス········」

 

 フゥー、フゥーという荒い呼吸音。戦慄に支配させる一同の中でアスフィだけが冷静に思考を巡らせる。アスフィをして未知、知らない、知るわけがない。

 

アスフィの知識にあるミノタウロスとはあらゆる全てが違う。大気を振るわす産声も、常識外れな肉体強度も、何もかもが異常過ぎる。これが、迷宮の悪意だとでも言うのだろうか? そう思わざるを得ないほど、目の前の存在は異質過ぎた。

 

間違いなく、24階層で相対した『精霊の分身』以上の脅威。こんな化け物が生まれるなら主神をぶん殴ってでも巫山戯た見世物をやめさせるべきだったと深く後悔し、激しい動悸を抑えながらアスフィは漆黒の雄牛を見据える。震えそうになる手足を押さえつけ、アスフィは唇を強く噛み締めた。

 

武器を交えずともわかるあまりにも隔絶した力量差に鳴りそうになる歯を食い縛り、全神経を集中させて意識を研ぎ澄ませる。雄牛のもっとも目につく特徴、それは手にする人間大の刀身をもった漆黒の大剣だろう。

 

刀身の濡れたような黒い輝きは『天然の武器』とは思えないほどの美しさを感じさせる。第一級冒険者の持つ第一等級武装であるかの如き存在感を放つそれを見つめて、アスフィは思考を続ける。

 

都市最強(アル)の持つ黒竜剣(バルムンク)に極めて似ており、かの剣の素材として主神であるヘルメスがさる神から受け取った『隻眼の黒竜』の逆鱗と同質の気配を感じられる。

 

まるで黒竜剣(バルムンク)を参考にして作られたかのような一品であり、その推測は間違いとは言い切れない。仮にあの大剣が及ばずまでも黒竜剣(バルムンク)に近い性能を持っているならば、第三級冒険者など防具ごと両断されて終わりだ。

 

しかし、ミノタウロスの足元に横たわっている彼らにはまだ息があった。それどころか、この場にいるどの冒険者もまだ死んではいない。おそらく、漆黒の雄牛にとって彼らは敵としてすら認識されていないどころか、玩具を壊してしまうことを躊躇うように手加減しているのだ。彼らは継戦能力を失った時点で放置されており、命を奪われていない。すぐに処置を行えば死ぬことはないだろう。

 

逃げ道が塞がれてる以上、見捨てて逃げる選択肢すらない。それをアスフィよりも理解したエルフの戦士───リュー・リオンは静かに自身の持つ木刀と小太刀を構えた。

 

視界が澄んでいく。耳の奥で血管がドクンドクンと脈打つ音が聞こえる。全身の血流を感じ取り、指先まで熱を帯びていく感覚。身体が軽い。五感全てが冴え渡っていく。

 

ミノタウロスがリューを認識するよりも疾くリューは駆け出した。一歩踏み出すごとに加速していく。地面を踏み砕かんばかりの疾走で瞬く間に間合いを詰めると、ミノタウロスはその巨体からは想像できない速度で反応を見せた。

 

大剣を振りかぶったまま振り下ろす動作に入りかけた体勢で即座にリューの方へと向き直り、迎撃態勢を取る。その二者にやや遅れてアスフィはベルトから抜き出した飛針と爆炸薬を投擲した。風切り音を響かせて飛来する二つの物体にミノタウロスの反応は早かった。振り下ろしかけていた大剣を片手で持ち上げ、そのまま水平に薙ぎ払う。

 

漆黒の刃に触れ、飛針は粉々になり、爆炸薬の爆発によって生じた火の煙幕を隠れ蓑にして、既にリューはミノタウロスの背後に回っていた。『疾風』の名に恥じぬ高速挙動にミノタウロスは驚くべき反応を見せ、振り返らずに肘鉄を繰り出した。だが、その攻撃は虚しく空を切る。リューは既に攻撃の軌道から外れており、回避と同時にミノタウロスの脇腹に回し蹴りを叩き込んだ。

 

『────!!』

 

「ッ!!」

 

 蹴りを放ったリューの方が逆に痛みを感じるほどの強度。まるで分厚い金属板を蹴ったかのような反動に表情を歪める。ろくなダメージなど期待していない牽制の攻撃だったが、ミノタウロスは僅かにうなり声を上げただけで大剣を構えて反撃に転じようとする。下層どころか、深層の怪物をも軽く凌駕する肉体の頑強さにリューの怜悧な美貌に戦慄が浮かぶ。

 

一方、今のやり取りで初めて己に対抗しうる『敵』の出現を認識した漆黒の雄牛は吠え猛りながら大剣を振り上げた。リューは咄嵯に身を屈め、雄牛の足元を潜り抜けて背後へ回る。

 

しかし、ミノタウロスの剛脚は凄まじい速さで旋回し、リューを捉えようと薙ぎ払われる。地面を蹴り砕いてくるりと反転したリューの鼻先ギリギリを大剣が通り過ぎる。ほんの一瞬でも判断が遅れていたら真っ二つにされていただろう。

 

透明化に加え、飛行の魔道具を用いて戦いを俯瞰するアスフィが援護する隙間すら見いだせないほどの高速戦闘。第二級冒険者としては間違いなく最上位に位置する速力とスキルを交えた高速戦闘技術、そしてなによりも下手な第一級冒険者を上回る戦いの経験値に裏付けされた『疾風』の立ち回りはまさに卓越していた。

 

しかし、それでもミノタウロスの攻勢を凌ぐので精一杯だ。大剣の一撃は速く、重く、鋭い。少しでも気を抜いてしまえば次の瞬間には死んでいるだろう。リューは死の予感に背筋に冷たい汗を流しながらも必死に喰らいつく。そんなリューの肩に狙いを定めて漆黒の刃が叩きつけられる。振りかぶられる大剣に、リューは倒れた冒険者の武器であろう大太刀を拾い上げて防御を試みた。

 

───ギィン!! 硬質な音と共に火花を散らし、漆黒の大剣を受け止めた大太刀が半ばから折れる。衝撃を殺しきれずに吹き飛ばされたリューの身体が宙を舞い、受け流し損ねた衝撃に意識が飛びかける。

 

空中で身を翻して着地したリューだったが、足に力が入らず膝をつく。たった一度の攻防で受けたダメージは深刻だった。全身に激痛が走り、視界の端に血が流れていく。

 

「~~~~~~~ッ!!」

 

 唇を噛み締め、歯を食い縛って立ち上がる。ミノタウロスの動きは速いが、立ち回り次第で埋められる差ではある。その動きにさえ慣れれば、攻撃を捌くことは可能だ。しかし、それでは根本的な解決にはならない。このまま続けていてもジリ貧だ。どうにかしなければ死ぬだけだ。ミノタウロスの鋼が如き肉体はただの打撃や斬撃では損傷を与えることなどできない。

 

唯一、リューが繰り出せる決定打は至近距離での砲撃魔法のみ。だが、リューの技量をもってしても圧倒的格上を相手とした高速戦闘のさなかに並行詠唱を行いつつ、正確に目標を撃ち抜くことなど不可能に近い。

 

そう考えている間にも豪砲のような拳の連打が降り注ぐ。紙一重でかわすも、掠めただけで骨まで軋む威力に表情を歪めるリュー。

 

風圧そのものが脅威と化した暴風のように振るわれる拳は、一発でも受ければその時点で終わりだ。直撃すれば即死は免れない。アスフィは何とか隙を見つけて狙撃を試みるが、その度にミノタウロスの反応速度がそれを阻んでくる。

 

戦慄とわずかばかりの恐怖心を振り切らんばかりにリューは果敢に立ち向かう。対して、ミノタウロスは戦いの愉悦に浸るように笑みを浮かべながらその大剣を引き絞った。

 

降り下ろされる一撃に対し、リューもまた腰を落とし、木刀を正眼に構える。直後、轟音を響かせて漆黒の刃が大地に突き刺さり、生えている水晶ともども無数の弾丸を弾き飛ばす。

 

「くっ!!」

 

 

「────ぐあッ?!」

 

 散弾の如く襲い来る水晶の破片に思わず顔を庇うリュー。砕けた破片の一つが左目の近くをかすめ、鮮血が舞う。神速の踏み込みから放たれた木刀の一閃によって残る弾丸を振り払う。だが、彼女の背後で水晶の破砕音と苦悶の声が上がった。

 

一撃一撃を凌ぐのに命をかけなければならない自分よりも未知数の魔道具を活用するアスフィを脅威と考えたのだとリューは理解する。致命傷は避けたのか、ぎこちない動きでホルスターからポーションを取り出して口にしているが血は止まらない。

 

だが、アスフィに構う余裕はリューにはない。ミノタウロスは次はお前だと言わんばかりにリューを見据えている。いまだ無傷に近いミノタウロスを相手に、リューは絶望的な気持ちを抱きながらも、それでも前へと進む。半身になり、腰を落とす。

 

ミノタウロスは大剣を振り上げ、再び突進してくる。そのタイミングに合わせてリューは素早くバックステップを踏む。ミノタウロスの攻撃を回避し、懐に飛び込むべく加速したリューの頬を大剣が通り過ぎていく。

 

たった一人でリューはミノタウロスに立ち向かう。

 

額からは玉のような汗を流し、息も荒い。一挙手一投足に全身全霊の力を込めて疾走する。相手の攻撃の瞬間だけ回避に徹し、それ以外の時間は攻撃に転じる。言ってみればそれだけの単純な行動だ。しかし、それがどれほど難しいことか。

 

常に死と隣り合わせの戦闘において、自分の全てをかけて敵の出方を読み、敵の行動に対する最善の選択を取る。一瞬でも判断が遅れれば次の瞬間には死んでいるだろう。

 

一撃でもまともに喰らえば即座に戦闘不能に陥る。そんな怪物相手にリューは互角の戦いを繰り広げていた。だが、それでもまだ足りない。このままではいずれ押し切られる。

 

逃げるわけにはいかない。アスフィが倒れた以上、Lv3がせいぜいであるリヴィラの街にこの雄牛に相対できる者はいない。自分の敏捷であれば自分一人は逃げ切れるだろうが、階層からの逃げ道がない以上は限度がある。なによりも、深層の怪物にも匹敵する雄牛が解き放たれたら虐殺が起きるだろう。その中にはアルの弟であり、シルの想い人であるあの少年も含まれるはずだ。

 

『静寂』と相対したときに匹敵する実力差。死を覚悟して、誰かのために己の限界を超えようと挑むその姿はまさしく『英雄』のそれだ。

 

死臭漂うダンジョンで幾度となく潜り抜けてきた死線。その中で培われた全てを絞り出し、研ぎ澄ませ、極限まで集中力を引き上げる。

 

その、次の瞬間。

 

─────閃光が疾走った。

 

『──ッ?! ヌッゥ』

 

 雄牛の肌から飛び散る鮮血。自らを殺し得る『敵』の出現に雄牛の眼が変わる。リューはおろか、雄牛ですら一切反応できなかった銀槍を伴った戦車の激進は雄牛にこの戦い初めての明確な傷を与えた。

 

「チッ、硬えな。『深層種(ブラック・ライノス)』の亜種か?」

 

「おい、雑魚どもに魔剣を揃えさせろ」

 

「『女神の戦車(ヴァナ・フレイヤ)』、『凶狼(ヴァナルガンド)』───ッ!!」

 

 冒険者の最高位。英雄の都市、オラリオが誇る第一級冒険者がそこにはいた。






【一方その頃、地上への帰宅中】

アル「(あー、いつ抜け出してやろうかな…)」

アミッド「(#^^#)」ビキビキ

アル「クゥーン」

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