異世界の宇宙飛行士は月に居る兎を助けたい   作:ぶたはこ

1 / 2
第1話

 それはきっと、物心がつく前からだったと思う。毎夜、家の縁側で祖父と一緒に月見をするのが僕の原風景だった。

 

 とある満月の夜、祖父は言った。「月にはウサギさんが居てお餅をついているんだよ」と。僕は「本当なの!?」と驚きながら、祖父から月の模様がそう見える事を教わり「本当だ!ウサギさんがおモチをついてる!」と大興奮だった。

 

 しかし。ちょうど正月の後の頃で、祖父と祖母の息の合った餅つきを覚えていた僕は「でも…ひとりでおモチをついてるの?」という疑問を祖父に尋ねていた。

 

そんなたあいもない子供の疑問に祖父は「そうだなぁ、一人じゃ大変そうだなぁ…」と言って生真面目に考え込んだ後「ならお前が月まで行って手伝ってあげればいいんじゃないか?」なんて、大笑いしながら答えてくれた。

 

祖父は恐らく冗談半分で言ったのだろうけど…子供の頃の僕はその言葉を真に受けて、一つの決意を固めた。

 

「うん!僕、お月様に行って兎さんを助けてくる!」

 

 これは、その後の僕の人生を決定付ける大切な決意だった。

 

――――――――

 

 ゴクリと、温かい緑茶が喉を通り抜ける。

 

「はぁ~…」

 

 思わず吐き出した息が一瞬だけ白くなってすぐに霧散した。傍らのお盆に湯呑を戻すと、手に残った暖かさがあっという間に冷えていく。

 本格的に寒くなってきた11月のある日、僕は家の縁側で日課であるお月見をしていた。本日の月は見事な満月、雲も無い快晴で絶好のお月見日和だ。月はどの顔であってもそれぞれの風情があって飽きが無い。けれど僕の中では満月は特別で、今後厳しくなっていく受験戦争を前にしっかりと鋭気を養えそうだ。

 隣をチラリと見ると、そこにはスマホが置いてある座布団がある。そこはかつて祖父が座っていた場所で、僕が中学に上がって間もなくから空席になっていた。

 

(おじいちゃん…少しずつだけど確実に月に近いてるよ)

 

 今はスマホが置いてあるが、昔は電話の子機を置いていた。祖父は入院してからも僕の為に毎日お月見に付き合ってくれて、その名残から少しでも祖父に思いが届くようにと続けているのだ。

 そうして祖父の事を思い出すと、小さい頃に月の兎の話をしてくれた事を思い出す。今も目に映る満月では、兎が寂しそうに餅をついているように見えた。勿論今では月に兎が居ない事なんて百も承知だ。けれど、一度向いた月の…宇宙への興味は無くなることは無かった。祖父も亡くなるまではどうすれば宇宙に行けるのかを一緒に考えてくれていて。進学についても、両親を説得してくれたりと感謝をしてもしきれない程の応援をし続けてくれた。

 

「昇、今日はもうこれくらいにしたら?最近すっかり寒くなってきたし、風邪でも引いたら大変よ」

 

 もう一口お茶を飲もうとしたことろで、後ろの障子越しに母さんに声を掛けられた。

 折角の綺麗な満月をもう少し眺めていたい気持ちは山々なのだが、実際寒いのには違いなく、持った湯呑はもう暖かさを失いつつあった。

 

「うん、もう戻るよ。ありがとう」

 

 ぬるくなったお茶を一息で飲み干し、体をほぐしながら立ち上がる。母さんは僕の返事を聞いて家事に戻っていったみたいだ。

 傍らに置いていたお盆とスマホを拾おうとしたところで、名残惜しいのでもう一度月を眺めてみる。目に焼き付いた月の光で少し見えにくい。

 

「?」

 

 今、月の光が強くなったような気がした。焼き付いた光のせいかなと、まばたきをしてみる。

 

「わ!?」

 

 まるで月から伸びてきたような、急な明るさに目がくらんだ。そして次の瞬間、強烈な土と植物の匂いが鼻に飛び込んできた。

 

「…え?え?え?」

 

 あまりに突然な事に、足がもつれてしまった。ジャリという音を立てて、僕はお尻から床に座り込んでしまった。

 …違う!床じゃない!さっきまで縁側の板張りの床の上に立っていたのに、いま自分が座り込んでいるのは明らかに地面の上なのだ。滑って庭に落ちたのかと思ったけど、それならもっと衝撃があったはずだ。それよりもこの昼間のような明るさはなんなんだ?最後に時計を見た時はもう夜の10時を回っていたはずなのに。

 

『…嘘』

 

 その声はまるで機械で合成したよう女性の声で、イヤホンで聞いている音楽のように頭の中で響くように聞こえた。

 誰かが居る?まだ光に慣れてないない視界の中、青空と林のような背景に人の形をしたシルエットがぼんやりと見えた。地面についた手に砂利が刺さって軽い痛みを感じる。これは…夢じゃないのか?

 

「………」

『………』

 

 それ以降僕も向こうも一言も発さず、僕はじっと見つめられているような視線を感じ続けていた。

 

(女の子?)

 

 光に慣れてハッキリとした視界に映ったのは、僕と同じくらいの年であろう女の子だった。

 欧米人のような彫の深い端整な顔、やや赤みがかった茶色の髪、日に焼けたような褐色の肌。明らかに日本人ではない彼女だが、さらに奇妙なのはその服装だ。中世のヨーロッパ?というのが正しいのか分からないが、そんな感じの布の服を身につけている。

 いや、それよりもおかしいのは周りの風景だ。さっきまで居たはずの家の縁側どころか庭でも無い。これもまた中世ヨーロッパ…いや、いっそのことファンタジーなRPGに出てくる村というのがしっくりくる。

 

『………』

 

 彼女は相変わらず何も喋らず、その茶色の瞳で僕の事を観察するように見つめていた。

 このままでは何も進展しない。先ほど聞こえた声はとりあえず日本語のように聞こえたんだ、外国人のようだけどまずは話しかけてみよう。英語は日常会話なら問題ないし、簡単な受け答えならロシア語もいける。こんなところで宇宙飛行士を目指して習得した事が役に立つとは思いもしなかった。

 

「ふぅー…」

 

 僕は一度大きく息を吐いた。あまりの事態に無意識に息を止めていてしまったのか、少し気分が楽になった。僕は顔を上げ、彼女に挨拶をしようと今度は大きく息を吸い込んで…。

 

「ぐぅ!?ゲホっ!」

 

 息を吸ったとたん、喉や胸が急に痛くなった。まるで吸い込んだ空気が毒だったかのように、僕の体は必死に咳を繰り返し続ける。

 熱い、痛い、苦しい。それしか考えられなくてどうすればいいのか分からない。口に手を当て、体を折りたたむ様にうずくまり、目を固く閉じて早く痛みが収まってくれと祈り続ける。

 

『大丈夫?』

 

 また…この機械のような声。喉や胸に感じた痛みは、既に頭や腕や足…全身にまで広がっていて、頭に直接響くようなその声がとてもつらい。

 僕はその声を目の前の彼女が出しているのかと思い、限界の状態の中でわずかに顔を上げて目を開く。

 

『痛いの?。大丈夫?』

 

 涙で滲む視界の中見えたのは。先ほどまで呆けたような表情とはうってかわって、必死の表情で僕に声を掛け続けている彼女の顔だった。

 いったいここは何処で、彼女は何者なんだろう?それが最後の思考となって、僕の意識はプツリと途切れてしまった。

 

――――――――

 

(固い…)

 

 まず頭に浮かんだのは、背中に感じる布団越しの板の感触と、体にかけられている掛け布団の肌触りだった。枕も布団同様に固く、普段寝ている自分のベッドとはまったく違う環境に物凄い違和感を感じる。目を開けると見えたのは板張り天井。かなりくたびれたような色をしていて、昔家族旅行の時に観光した古民家がこんな感じだった覚えがある。

 慣れない場所で寝ていたせいか体が痛かった。とりあえず顔だけを動かして周りを見てみると、やけに明るい室内に誰かが居るのが見える。

 

(そうだ!女の子!)

 

 瞬間。寝起きでにぶった頭が、まるで冷水をぶっかけられたかのように覚醒した。視線の先には椅子に座り、テーブルに両肘をついて祈るようなポーズをしている女の子が居る。記憶を辿って思い出せるのは、真夜中の自分の家から真昼間のへんな村に突然移動してしまった事。目の前に一人の女の子が立っていて、変な言葉を喋っていた事。とりあえず話しかけようとしたら急に体調が悪くなった事。そしてそんな自分を彼女が介抱しようとしてくれた事だ。つまり、今自分がこうして寝かされているのは彼女が運んでくれたからだろう。

 

(体は…痛くなくなってる?)

 

 あの時の、深呼吸をした後の激しい痛みはもう感じない。痛いといえば痛いのだが、この体の痛みは固すぎる布団のせいだと思う。試しに意識的な呼吸をしてみても問題無いみたいだ、ただ普段嗅ぎ慣れて無い他人の布団の匂いはちょっとキツイ。

 なにはともあれ、体調は回復した…のかもしれない。まずは彼女とコミュニュケーションを取って、色々と聞き出そう。早く家に帰らないと父さんと母さんが心配してしまう。

 

『起きたの?』

 

 まずは上半身だけ起こしてみようとしたところで、僕の視線に気づいたのか彼女が慌てて駆け寄ってきた。その声はやはり機械の合成音声の様で、心配そうな表情とのギャップに頭が混乱しそうだ。

 僕は上半身を起こして彼女を含め、家の中を観察してみた。気絶する前にも思ったけど、内装もまたRPGで見るような民家みたいだ。彼女の存在もそうだがここは日本じゃ無いんだろうか?考えたくは無いけど…もしかして拉致をされて外国に連れて行かれた?夜から昼にいきなり変わったのも眠っている間に連れて来られたからなんだろうか?

 

『気分はどう?』

 

 そうこう考えている内に彼女は僕のすぐそばに来ていた。目線の高さから、今更ながら僕はベットに寝かされている事に気付く。彼女はその傍らに立って心配そうに僕を見下ろしてる。

 

「えーっと…、とりあえず大丈夫です。それよりもここは何処なんでしょうか?日本ではないんでしょうか?」

 

 聞こえる声は合成音声でも、明らかに僕に対して日本語で話しかけけて来ているのは間違いない。僕はとりあえず日本語で話しかけて見たのだが。彼女は僕の返答に対して物凄く怪訝そうな表情を浮かべている。

 

「あー…『日本語は話せますか?英語の方が良いですか?』」

 

 今度は英語で問いかけてみる。見た目からすれば欧米人のようではあるので、これならどうだろう?欧米とひとくくりにすると範囲が広すぎるので、英語なら大丈夫という保証は全く無い。けど少なくとも日本語よりは広く使われている。

 

『ごめんなさい。あなたが何を言っているのか分からない』

 

 彼女は申し訳なさそうな顔をしながら、やはり日本語でそう答えた。

 どういうことだ?現に今、日本語で答えたじゃないか。おかしいと言えば合成音声のような声で頭の中に響くように喋っているのも無視できない。もしや彼女は宇宙人で謎の翻訳技術を持って居るとか?そういえばあの時…眩しい光に目がくらんだと思ったらこの場所に移動していた。まさか本当にアブダクション?

 

『あなたは、意思を伝える魔法を使う事が出来ないんですか?』

 

 バカな事を考えていると、今度は彼女からとんでもない質問が飛んできた。

 

「魔法!?」

 

 オウム返しに驚くと、彼女も僕にビックリしたのかビクリと体を震わせた。

 聞かれた内容が内容なだけに、どう答えたら良いのか分からない。いや、魔法なんて本当にRPGみたいな事を聞かれても「使えない」としか答えられないのだけれども…。

 

「………」

『どうやら使えないみたいね』

 

 僕が返答をしないのを否定と取ったのか、彼女は残念そうな顔をしてそう結論付けた。

 つまり…「意思を伝える魔法」なんてものが使えれば、彼女が合成音声で話すように僕も彼女と意思疎通が出来るという事なんだろうか?確かに彼女の声の異常さを考えると、魔法を使って話していると思った方が納得出来る。この場所の雰囲気といい、もしかして僕はRPGの世界にでも入り込んでしまったのだろうか?

 

『ごめんなさい。こんな言葉も場所も分からない場所に召喚してしまって』

「…召喚?」

 

 彼女がまたしてもファンタジーな事を大真面目に語り出した。その表情がとても申し訳なさそうな感じではあるけれど、言っている事が言っている事なだけに本気なのかどうなのかがまったく分からない。

 

『私はヒト族の南の村の魔法使い。あなたが元居た場所からここに来てしまったのは、私が召喚魔法で呼んだからです』

「………」

 

 知りたかった事情を彼女の方から話してくれるのはありがたいが。内容がファンタジー過ぎてまったく頭に入ってこない。これならまだ、拉致して外国に連れてきたと言われる方が信じられる。

 

『混乱してますよね、突然連れて来られて。魔法が使えないから言葉も通じない、そもそもあなたの元々居た場所とは何もかもが違うでしょう?とても困惑をしているのが表情から分かります』

 

 ただ一つ助けがあるとすれば、彼女はとても落ち着いた深慮深い人物に思えるという事だ。どうやら僕をここに連れてきたのは彼女なのだろうし。なんとか元の場所に戻りたいという事を伝えられないだろうか。

 

『そして私も困惑しています。まさか召喚魔法が成功してしまうとは思わなかったのです』

「…え?」

 

 先ほどよりもさらに申し訳なさそうな…辛そうな顔をした彼女の表情とその言葉から、僕はとても嫌な想像をしてしまった。

 

『召喚魔法で何かを呼び出せたという事は聞いた事がありません。そのくらい、成功率が少ないか…そもそも成功する事は無いと言われる魔法なのです』

 

 聞きたくない。けど、彼女が何を言うのかもう想像出来てしまっている。きっと僕は今、絶望を感じた表情をしているだろう。

 

『ですから…あなたを元の場所に戻す手段が、私には分からないのです』

 

――――――――

 

 衝撃の事実を聞かされてからどれくらい経ったのだろう。その間、僕はただただ左手首に巻かれている時計の「チッチッチッ…」という音をだけを聞いていた気がする。

 この時計は高校入学の記念にと父さんからプレゼントされた物だ。手巻きの機械式時計で、月の満ち欠けが分かるムーンフェイズという機能が付いている。僕はこの時計をとても気に入っていて、風呂と寝る時間以外は常に身に付けて居る程だ。

 

 文字盤を見てみると時刻は6時を回った所、月は満月からほんの僅か進んだ所に位置していた。つまり気絶していたのは大体6時間、いやそのまま朝まで眠ってしまっていたという事だろう。毎日の習慣から時計のネジを巻いていると、頭にじんわりと血が通ってきたような感じがした。日々のルーティーンはこんな状況でも作用するのか、おかげで少し冷静になる事も出来たみたいだ。

 

『………』

 

 顔を上げて傍らに立っている彼女に目を向けると、やはり彼女は悲痛な面持ちで立ち尽くしていた。

 先ほどの話が嘘や冗談じゃないとすれば、彼女は彼女で予想外の事で戸惑っている。僕を連れてきてしまったのも意図した事では無く、むしろそうしてしまった事に責任感を感じているように思える。目元や顔色からも疲労の色がにじみ出ている様に見えるし、僕が起きるまでの長時間ずっと気が気でない時間を過ごしていたのかもしれない。

 

 僕が被害者で彼女が加害者であることに違いは無いが…だからと言って一方的に攻め立てる気にはならなかった。しかし、簡単に許してあげるという事では無く、彼女にはしっかりと責任を取って貰わなければならない。そしてその為に必要なのは彼女との会話する手段だ。魔法…なんて物のおかげで彼女から話しかける事が出来ても、僕からの意思が彼女に伝わらなければ意味が無いのだから。

 

「………」

 

 僕はまず、片手を上げて彼女に注目してもらう事にする。いや、そんな事をしなくても彼女は僕の事をじっと見つめてはいたのだけれど。これから何かをするという事に気付いて貰いたかった。

 

『なに?』

 

 挙手というジェスチャーはどの国でも人の目を集めるのに有用だ。ただジェスチャーというものは国によっては忌避の対象になったりもするので、自分の国で通用するからと言って良く考えずに同じジェスチャーをするのは危険でもある。これもまた宇宙飛行士を目指す過程で習得した知識の一つだ。様々な国の人と交流する可能性があると思い、雑学的な知識も広く浅く覚えておいた甲斐があったというものだ。

 しかし相手が全くの未知の種族である以上、そういった地雷を踏む可能性は十分ある。もしやってしまったとしても、それはもう仕方ない。僕がここの文化を何も知らない事と、彼女が僕に負い目を感じている事から許してくれる事を期待しよう。

 

「僕、あなた、会話」

 

 単語を一つづつ区切るように喋りながら。「僕」で自分を指差し、「あなた」で彼女を指差し、「会話」で口をパクパクと動かしてみる。

 

『………』

 

 彼女は僕の言葉とジェスチャーを見て、困惑しているような表情で僕を見続けている。

 ここで大事なのは僕が彼女に何かを伝えようとしている事を、彼女に気付いて貰えるかという事だ。そして僕の伝えたい事と彼女が受け取った事が合致するまで繰り返す事で、僕からの意思を正確に彼女に伝えられるようになる。

 ちなみに言葉を出しながらやっているのは、「僕」や「あなた」等の汎用的な言葉を彼女が覚えてくれるかもしれないという期待があるからだ。ジェスチャーも大事だけど、言葉が通じてくれるのならばそれに越したことはない。

 

『あなた…私…』

 

 もう一回やったほうがいいかなと思っていたら、彼女も言葉を区切りながら「あなた」で僕を、「私」で自身を指差してくれた。

 どうやら指で差す事が対象の事を示すという事を分かってくれたみたいだ。いや、元々ここでも通用するジェスチャーだったのかも知れないが、通じるのであれば問題無い。ただ…あくまで彼女が見逃してくれているだけで、一般的には失礼に値するかもしれないという事は考慮しておこう。実際人を指差すというジェスチャーは、日本でもあまり良くは見られないし。

 

『………』

 

 彼女は最後の口パクについては何も言わずに僕の真似をしただけだった。

 口を使う動作は喋る以外にも多いからダメだったか…。もっとあっちの文化に沿った「会話」のジェスチャーじゃないと。

 

『あなたは…私をどうしたいの?』

 

 どういうジェスチャーをすれば分かりやすいのかと考えていたら、彼女の方から話しかけて来た。

 そういう質問はもうちょっと待って欲しい、まだこちらからの伝達手段が確立してないんだから。

 

『私はあなたになにをされても良いと思っています。私は自分勝手にあなたを召喚して、あなたの生活を壊してしまったのだから』

 

 彼女はまるで覚悟を決めたような顔でそう言った。

 その決意はありがたいけど、今自分が望んでいるのはそんなに重い事じゃ無い。単純に彼女と会話する事を第一に、当面の生活の補助をしてくれればそれでいいのだ。もしかしてさっきのジェスチャーの口パクが分からなかったせいで、「僕」は「あなた」に「何かをする」という風に伝わってしまったのか?

 

「僕、あなた、会話」

 

 僕は慌てて先ほどのように言葉とジェスチャーを交えて彼女に意思を使えた。

 だが今度の「会話」の部分は、魔法での会話であると分かるように。両手の人差し指を使って自分の口を彼女の口をそれぞれ差した後、その指先がお互いの頭…実際には額を指差すように動かすという物に変えてみた。

 

『………』

 

 その僕のジェスチャーに、彼女は少し眉間に皺を寄せながら考え込んだ。そのポーズは片手で口を隠すような仕草で、どうやらここでの「考える」ジェスチャーは僕の知ってるものとそう変わりが無いようだ。

 僕も僕でそういった彼女の動向をしっかり見る事で、ここで通じるものを逃さず知っていかないと。

 

『あなたも…意思を伝える魔法を使いたい?』

 

 やった!多少ニュアンスは違ったけど分かってくれた!僕は心の中でガッツポーズを取って喜んだ。けどここで終わりじゃない、彼女はまだ僕の伝えたい事がそれだと確信を持てていないんだ。多分、今の僕はかなり嬉しそうな顔をしてると思うので表情で察してくれるかもしれないが。それだけではなく、明確な「はい、いいえ」を決めるチャンスでもあるんだ。

 

「はい!」

 

 僕はそう返事をしながら、首を縦に振る。指でOKのサイン。両手を頭上でつける〇のポーズをそれぞれ取ってみた。

 

『………』

 

 僕が嬉しそうに取ったそのジェスチャーに彼女はちょっと驚いた後。少し安心したような顔をして

 

『あなたは、私と話したかったんですね。そして先ほどの動きは、正しいという仕草で間違いは無いですか?』

「はい!」

 

 そう言って僕は、先ほどのジェスチャーから一番見えやすいであろう〇のポーズを取った。この辺の、どのポーズが最適なのかというものは後から教えて貰えば良い。こうなると次は「いいえ」のポーズも決めておきたい所なのだが。

 

『では、違うという事を私に伝えたいときはどんな仕草をしてくれますか?』

 

 もう自分の中では彼女に対してスタンディングオベーションの大喝采を送ってあげたかった。本当に彼女が察しの良い人で助かったとしか言いようがない。

 

「いいえ!」

 

 僕はそう言いながら両手で×を作るポーズを取る。これで…ようやく彼女とのコミュニュケーションの基礎が出来上がった。

 

――――――――

 

 あれからどれくらいの時間が経ったのだろうか。さしずめジェスチャー伝言ゲームのように僕のジェスチャーを彼女が言い当てるという作業をしたり、必要最低限の事を彼女が教えてくれたりとしていると。「カンカンカン」という鐘の音が外から聞こえてきた。

 

『あ…ごめんなさい、仕事の時間なので行けないといけません。申し訳ないけれど、私が帰って来るまでこの家で大人しく待っていて貰えますか?』

 

 少し残念そうな顔でそう言った彼女に対し僕は、「はい」と答えながら〇のポーズを取った。

 

『…行ってきます』

 

 僕の返事を聞いた彼女は、本当に少しだけ嬉しそうに微笑みながら家の外へと出て行った。出会った時から初めて見た笑顔に僕の心臓が跳ねる様に心拍数を上げる。

 必死になって交流を取ろうとしていたから忘れていたけど、彼女はとても美人なんだった…。これからしばらくの間は彼女に世話をされながら一緒に暮らす事になる…そうか、そういう生活環境にも慣れて行かないといけないんだ。

 

 彼女が居なくなってしまった以上、僕がここで出来るような事は無い。とりあえず先ほど彼女と決めた事の再確認でもして時間でも潰すとしよう。ここがブレてしまったら元も子もない、決めた事を守れなくては信頼関係を築けないからだ。

 

 僕は先ほど彼女が座っていた椅子に座り、腕を組んで目を瞑った。

 まず「はい、いいえ」に関しては腕で〇と×を作る事で問題無い。細かいニュアンスについても彼女ならばある程度察してくれるのも確認済みだ。次に「あれ、これ」等の対象を示すには指を差す。まだこちらの言葉が通じない以上、目の前にあるものに限定されるが現状は仕方ない。それに一気にあれこれと聞いたら彼女も大変だし、情報が多すぎて僕の方も整理しきれないだろう。

 

 そして重要なジェスチャーとして「首を横に倒す」ポーズ。これは「疑問」を表すポーズで、指を差すと併用する事で「これは、なに?」と彼女へ質問する事が出来るのだ。ただ、ざっと家の中を見た感じ、僕が使い方が分からない未知の物体は一つも無く。これを決める時にわざわざテーブルやらイスやらを指差して首を傾げる僕を見る、彼女の若干可哀想な人を見る目が忘れたくても忘れられない。

 

 あと生活していく上での大事な物として、水場、食材庫…そして便所等を軽く案内して貰った。水場にはかなり綺麗な水が大きな木桶に溜められていて、飲んでも大丈夫な事を彼女が実際に飲んでアピールしてくれた。食材庫は梯子で降りた涼しい地下にあって、割と新鮮な野菜や乾物が保管されている。お腹が空いたら食べて良いとは言っていたけど、色んな意味で気が引けるなぁ。唯一抵抗無く行けそうなのがカッチカチのジャーキー、一枚食べきるのにどれだけ時間がかかるのやら。

 

 そして便所なのだが、誰にも見られないように家の外でして欲しいと言われた。どうやら便所は村単位での共用のようで、恐らく一か所に溜めてたい肥にしやすくしているのだろう。そんなところに素性も言葉も分からない自分が行くのは無理という訳だ。そんな悲しい便所事情で不幸中の幸いと言えたのは拭く手段で、トイレットペーパーではないがそれ用の布が数枚用意されていた。当然洗って使い回すので現代の衛生感からすれば受け入れがたい物ではあるが、木やら葉っぱで拭くよりは遥かにマシで綺麗になるだろう。

 

 一通り確認し終わった所で椅子から立って伸びを一つ。貸してもらった木と布で出来たサンダルが「カラン」という音を立てた。子供か女性物のようでやや小さいが、裸足で来てしまってそのまま歩くのが危険すぎる以上贅沢は言ってられない。僕が召喚された時に持って来れたのは本当に身につけていた物だけだ。冬用のやや厚めのパジャマとどてら、そして腕時計だけである。スマホを持って来られなかったのを最初悔やんだけど、どうせ数日で電池が切れて使い物にならない事に気付いたらどうでも良くなった。

 

 カランコロンと家の中を良く観察しながら歩き回ってみる。

 日常で使う道具は大体が木製だ、けど決して粗末という感じは無くて綺麗に形を整えられていた。ナイフやフォークの一部の食器や道具なんかは鉄で出来ている物もあって、割と充実しているんだなぁという印象だ。

 

 そして歩き回っていてようやく気が付いたのだが、家の中心に光の玉が浮いていた。昼間の家の中とはえ、蝋燭や松明も無しで明ると思ったらコレのおかげだったのか。彼女は自分の事を「魔法使い」と言っていたから、コレを出したのは多分彼女なんだろう。でも彼女は「意思を伝える魔法」

を僕が使えないという事を不思議に思っていた節がある。普通の人と魔法使いとで使える魔法が違ったりするんだろうか?ジェスチャーである程度コミュニュケーションが取れるようにはなったけども、もし可能ならば意思を伝える魔法くらいは使える様になりたいものだ。

 

 家の中はとりあえずこんなものだろう。広さは12畳くらいのワンルーム、炊事場やタンスなどの家具は壁際に配置してあって中心にはテーブルとイスが二脚。ベッドも二つある事から彼女の他にもう一人住んでいる人が居るのだろうか?このサンダルが余っていた事と彼女の歳を考えると、母親が同居しているのかな?もし彼女の仕事と入れ替わりで帰って来たら気まずいなぁ…ちゃんと説明はしてくれるだろうけど。

 

 そんな彼女が出て行った所が玄関だとすると…逆側のドアは勝手口?もしくは庭かなんかに出る為の物だろうか。こっそり開けてみるとどうやら正解で、柵に囲まれたスペースがあるのが見えた。というか僕が最初に来た場所が多分ここだ、地面にちょっと引きずったような跡があるのは…僕を運んだ名残かな。僕はそんなに身長が高い方ではないけど、女の子一人で運ぶのは大変だっただろう。…いや、もしかしたら魔法を使ってなんとか出来たりしたのかな?力を強くしたりする魔法はRPGとかなら定番だし。

 

 パタンと静かにドアを閉めたところでふと疑問が浮かんだ。腕時計を確認してみるともうそろそろ11時、朝見た時が6時でそれから彼女と色々試行錯誤、彼女が仕事で出て行ったのが多分10時くらいと考えると…太陽の光が変わらなすぎないか?だって僕が召喚されて来た時もすでに昼間だったんだ。時計が間違って無ければ、約半日もこんな明るさなんておかしすぎる。

 僕はもう一度勝手口を開けて、今度は太陽の様子を確かめて見る。影の出来具合から太陽の場所を確認してみると「日本での夏至の時よりも高く、ほぼ南中の位置」に太陽が輝いていた。

 

 僕は家の中に静かに戻るとフラフラを歩きながら椅子に座った。テーブルに両肘をついて両手を組み、そこに額をつけて祈るようなポーズで今見た事を考える。

 明らかに、昼が長すぎる。

 

 僕は仮にという事を付け加えながら、頭の中に太陽と、それを中心に回る星を思い浮かべた。昼の長さが長いという事は…自転の周期が長いという事になる。けれど、そんな自転速度の星だと昼夜の温度差が激しすぎて、とても生物が生きて行けるような環境を持つ事は出来ない。僕がこうして普通に動けて呼吸も出来る、地球と同じような環境の星なんて広い宇宙を探しても片手で数えられるくらいだ。

 僕はそんな、まさに天文学的確率で存在する星に召喚されたのだろうか?あまりの荒唐無稽さに、僕は椅子に体重を預けて天を仰ぐ。そして「ふぅー」と息を吐き出しだところで…天井に浮いている光の玉が目に入った。

 

「そうだ!魔法!」

 

 思わず声を上げる。そう、僕が召喚されたこの場所には魔法なんていう技術が存在しているんだ。具体的に魔法がどんな事まで出来るのかは分からないが、それを使えば科学では解決出来なかった問題が解決出来たりするんじゃないか?そうなると、そもそも星である必要も無い?どっかの神話みたく平たい大地を下で巨大な亀が支えていて、太陽が常に空にあるような世界感だってあり得る話だ。

 

 科学という常識を取っ払って、魔法という存在を認めたとたん。魔法を使った様々なアイディアが頭の中を駆け巡った。桶に入っていた水も魔法で出した物だとしたら、世界中の水問題が解決する。意思を伝える魔法をあらゆる人が使えるのならば、世界の人々との交流がより身近になるだろう。というかこの光の玉が灯りになるんだったら電気を始めとしたエネルギー問題も解決する?魔法って物凄いクリーンエネルギーなんじゃないか?もし魔法を元の世界に持って帰れたら…。持って…帰れたら…。

 

「………」

 

 僕がこの「魔法という物が存在する異世界」に来てしまったのは彼女の召喚魔法で呼ばれたからだ。じゃあ…帰るためには、元の世界で召喚魔法を使って僕を召喚して貰う?…そんなの無理に決まっている。彼女は召喚魔法が成功したこと自体がありえない事のように言っていた。こちらから別の世界に送るような魔法があったとしてもその成功率は…。

 

「…うぅ。ぐすっ…」

 

 目が辺りが急に熱くなって、涙が溢れてきた。突然の事で追いついてこなかった「悲しい」という感情が、じわじわと頭の中を染め上げていくのを感じる。きっと僕は「二度と帰れない」という事を、ようやくハッキリと自覚した。

 

「父さん…母さん…急に居なくなっちゃってごめんなさい…」

 

 夜中に突然消えてしまった僕を…ずっと探し続けてしまうんだろうか?大学に入ったら一人暮らしも考えていたけど、母さんは心配だからと実家通いをして欲しいって言ってたっけ。父さんはあまり口には出さなかったけど、僕を応援してくれてる気持ちはしっかりと届いていた。そんな素晴らしい両親と…もう会えないんだ。

 

「あああああぁ…」

 

 家の中に僕の泣き声が響き渡る。もし魔法が使えたなら、この声はどんな意思を伝えるのだろう。

 

――――――――

 

 泣き疲れた僕は、あれからベッドに横たわっていた。気絶から覚めた時に僕が寝かされた方のベッドで、腕時計の音だけを聞いていた気がする。

 ただ、そのおかげか少し気持ちの整理がついた気がする。あんな風に大泣きしたのはいつ以来だっただろう?

 

 僕はサンダルを履いてベッドから降りると、水場で目元を重点的に顔を洗った。

 そのうち帰って来る彼女に酷い顔を見せたくない。泣いてしまった恥ずかしさもあるけれど、泣いていた事を知ったら、彼女はまた気を病んでしまうだろう。

 

 顔を拭くタオルが無かったので仕方なくどてらで拭いていると、「カンカンカン」という鐘の音が外から聞こえてきた。この音は朝にも鳴っていたので聞き覚えがある。この音が鳴ると、彼女は仕事に向かっていった。という事はこれは仕事終わりの合図?そろそろ彼女が帰って来るんだろうか?

 

 鏡が無くて顔の確認が出来ないのを憂いながらイスに座って待っていると、「ギィ」という音が玄関から聞こえた。そちらを見ると、彼女が恐る恐るといった感じで家に入ってくる。

 何でそんな風に入ってくるんだろう?僕が変な事をしてなかったか不安だったんだろうか。

 

『…ただいま』

 

 彼女は僕を見て、ほっとしたような表情をして微笑んだ。

 

「………」

 

 僕は思わずそれに見惚れてしまって、すぐに反応する事が出来なかった。けど、彼女が一瞬不安そうな顔になったのを見て。

 

「お、おかえり!」

 

 そう言いながら、イスから立ち上がって慌てて〇のポーズを取る。なんだろうこの滑稽さは。

 

『………』

 

 彼女は無言で少し驚いたような表情をした後。

 

『…ふふっ』

 

 今度は明確に、笑顔を見せて笑ってくれた。

 

「…っ!」

 

 そのあまりの可愛さに、自分の顔が赤くなるのがハッキリと分かった。

 慌てて〇のポーズをした気恥ずかしさもあったと思うけど…それにしたって彼女の笑みは破壊力が高いものだったのだ。

 

『失礼する』

 

 恥ずかしさから彼女から目を逸らそうとしたところで、頭の中に「男性の機械音声」響いてきた。逸らそうとした目線を玄関へ向けると。彼女の後ろから男の人が家に入ってくる。男性は見た目40~50代の少し白髪が混じった褐色肌で、服装は彼女と同じような素材の布の服を身につけていた。

 

『彼が召喚された異世界人で間違い無いね』

『…はい』

 

 男性はそう彼女に確認すると、僕の事をじっと見つめ始めた。

 この男性の視線には覚えがあった。たしか受験の時の面接で、面接官から似たような目線を送られた覚えがある。

 

 そう思った瞬間、僕は背筋を伸ばして姿勢を正した。そして男性の目を、自身の全てを見て貰う気持ちで見つめ返す。

 きっとこれは面接なんだろう。男性の威厳のある佇まいから、恐らく村長…もしくはそれに準ずる立場の人間に違いない…と思う。彼女とはある程度の信頼関係を結べたのかもしれないが、村として考えればまだただの不審者だ。男性はきっと、僕が村に居て大丈夫な人間か見定めに来たのだ。

 

「………」

『………』

『………』

 

 僕と男性が見つめ合っている間、視界の端では彼女は不安そうな表情を浮かべていた。ここでの僕の失敗は彼女の失敗となってしまう。大丈夫、受験での面接では中々の高評価を貰って来たんだ。言葉は通じなくても心身の姿勢で誠意は伝わる…ハズだ。

 

『…ふむ』

 

 男性はそう呟くと険しかった顔を少し緩め、今度は申し訳なさそうな顔をしながら。

 

『私はヒト族の南の村の村長だ。まずはこの村の魔法使いがご迷惑を掛けた事を謝罪する』

 

 やはり村長さんだった。丁寧な謝罪をしてくれたところをみると、僕が危険人物ではないと判断してくれたのだろう。声こそ感情の無いような機械音声だが、村長さんは僕の目をじっと見つめ、その表情で謝罪の意をしっかりと伝えてきてくれている。

 

 ここで僕は、短いながらも彼女と交流した時の事を思い出して一つの仮説を生み出した。それは「意思を伝わる魔法が感情の無い機械音声でしか喋れない代わりに、表情で感情を伝える」という事だ。例えば日本なら頭を深々と下げるのが謝罪の姿勢としては正解なのだが、ここではその表情を互いに見せ合わなくてはコミュケーションが取れないのかもしれない。

 

「わかりました」

 

 僕は村長さんの謝罪を受け取り、真剣な面持ちをしながら手で〇を作った。

 

『ありがとう。その仕草については魔法使いから聞いている。君がとても聡明な人物であるということもな』

 

 彼女にそう思われていた事に、少々面はゆい気持ちになる。僕からしたら、彼女の察しの良さには非常に助けられたところなのだが。

 

『意思を伝える魔法が使えないという事も聞いている。本来なら村の一員となったからには何かしらの仕事について貰いたいのだが、そのままでは難しいだろう。まずはこの村での生活に慣れて、その上で出来る事をやって貰いたい』

 

 村長さんも彼女と同じく優しそうな人で助かった。村を統率する人として、どんな事情あれ穀潰し置いておく事はしない。けど僕の事情を分かってくれてちゃんと猶予を与えてくれているのだ。

 

『村長さん。彼がこの村に来たのは私のせいです』

 

 村長さんの提案に〇を出そうとした所で彼女が口を挟んできた。

 何を言い出すのかと思ったが、彼女の表情を見てすぐに分かった。彼女が僕の召喚に責任を感じているのは知ってる。でも、僕はそんな「哀れな存在」で居続ける気持ちはさらさら無い。

 

『私が彼を養いますから、彼の仕事は…』

「ダメだ!」

 

 僕は彼女の言葉を遮って大声を出すと。怒りの表情を作りながら×を出した。

 

『あ…』

 

 僕に睨まれて彼女は恐がっていたが仕方ない。僕は次に村長に向き直ると、指を村長さんに向けその指の先を自分の額に持ってきた。そして真剣な表情をしながら〇のポーズを取る。

 

『本当に、召喚されて来たのが君のような人物で良かった。焦る事は無い、もし意思を伝える魔法を使えるようになったらまた話そう』

 

 村長さんは笑顔でそう言うと、彼女には『彼が自立出来るように支えてあげなさい』と言ってそのまま家の外へ出て行った。

 

「ねぇ」

 

 僕は声を掛けながら彼女に近づく。彼女は体をビクっとさせ、少し怯えたような表情をしながらも僕に向き直ってくれた。

 

「………」

 

 僕が彼女を止めた意味。僕が本当にして欲しかった事。村長さんの意図はもう分かっているだろう。言葉がまだ喋れない僕は、彼女を真剣な顔で見つめるだけだ。

 

『…ごめんなさい。あなたはちゃんと働いて村の一員になりたかったんですよね?』

 

 僕は〇と答える

 

『…はい。私も頑張ってあなたに教えられる事を教えます。意思を伝える魔法を、是非とも使える様になって貰いたい。私は…あなたともっと話したい』

 

 切実にそう語る彼女に対し、僕は笑顔で〇と答えた。僕も…もっと君と話したい。魔法の事、この世界の事、そして…召喚魔法を使おうと思ったきっかけを。

 

――――――――

 

 村長さんとの対面から一週間が経った。といってもその区切りはあくまで僕の感覚で、腕時計から計れる地球時間で換算すると一週間経ったという事だ。

 

 この世界の太陽は頑張り屋でのんびり屋だ。一週間経った今でも空に輝き続けて休む事を知らない。だがまったく動いていないという事は無く、確実に高度が下がっては来ていた。自転速度が遅いのか、この世界を中心とした太陽の速度が遅いのかは分からないが、日照時間が長すぎて灼熱の熱さになっていないのが不思議でならない。

 

 そして、例え日が沈まなくても人間の生活はそんなに変わらなかった。寝て、食べて、働いて、また寝る。そのサイクルが村に響く鐘の音で決められているだけだ。この一週間、僕も彼女のサイクルに合わせて生活をしたのだが、時計に頼らない生活というのは案外すぐに馴染むものだった。

 ただ…いまだに違和感というか罪悪感を感じてしまうのが寝る時だ。就寝時は光の玉を彼女が消して家の中は暗くなる。けど外が真昼間なのに寝るという行為が、普通の学生だった自分には本当に馴染みの無い事だったからだ。授業中の居眠りだって、内申の為に死ぬ気で耐えていたから余計になのかもしれない。

 

 そんな長いようで短い一週間で僕が得たものは実はそんなに多くない。別にサボっていたという事は全く無く、むしろ目標に向けてひたすら頑張っていた為に他に時間を割けなかったのだ。その甲斐あって僕は短時間ではあるが「意思を伝える魔法」を使えるようになり、今日はこれからの事を話す為に村長さんの元に訪れていた。

 

 村長さんの家は村の真ん中に位置していて、彼女が案内役として先を歩いている。今は村の時間で言うと仕事終わりの鐘が鳴った後の頃で、日中は仕事で忙しいためこの時間の訪問となったのだ。

 この時間帯に外に出ている村人はそんなに多くは無かったが、僕はそんな村人達の好奇の視線の的だった。それもそのはず、屋外と屋内で働く人の差はあったものの、長く続く昼のせいで全員が褐色の肌なのだ。白い肌の自分はさぞ珍しく映っただろう。

 

『魔法使いです。異世界の人を連れて来ました』

 

 彼女がドアノックを鳴らしながら家の中に声を掛ける。すると中から少し物音がした後に。

 

『入ってください』

 

 という男性の声が帰ってきた。彼女はその声を聞いて『失礼します』と言いながらドアを開けて家に入る。僕も『失礼します』と言いながら彼女に続いた。

 村長さんの家は特別広いという訳では無く、彼女の家同様に必要最低限の物が置かれている家だった。一角に彼女の家には無かった物が大量に置かれている机があるが、きっと村長としての仕事で必要な物なんだろう。

 

『まずは掛けて下さい』

 

 村長さんに促されて彼女共々椅子に座る。やや広めの長方形のテーブルには4脚の椅子があったので、僕と彼女が並んで、村長さんは対面に座る配置だ。

 

『無事意思を伝える魔法が使える様になったようでなによりです。こうしてあなたと話せる事を嬉しく思いますよ』

 

 村長さんは本当に嬉しそうに、にこやかな顔をしてくれている。僕はそれに答える様に、出来る限り嬉しそうな顔をしながら。

 

『ありがとうございます』

 

 と簡潔に答えた。本当はもっと喋りたい所なのだがこれには理由がある。村長さんは僕の返事を聞くと、隣に居る彼女へと目線を向けた。

 

『やはりまだ多くは無理なのかな?』

『ハッキリとは分かりません。今回の話し合いもどれくらい喋るか分からないので、彼は出来る限り短く答えると思います』

『わかった、むしろ…よくぞこの短期間でといったところだろう』

 

 二人はやや残念そうな顔をしながら話している。これに対し、僕も同じように残念な顔をしておいた。

 僕は意思を伝える魔法を短時間…いや、村長さんが言ったように「多く」使う事がまだ出来なかった。その原因は「魔力」の少なさであり、僕はこの一週間とにかく魔力を増やす為に頑張っていたのだ。

 

 この世界の魔法の基礎知識として、まず魔法を使うには魔力が必要だ。そして魔力はあらゆる所に存在していて、それを体に取り込む事によって人は魔法を使えるようになるらしい。

 ここで魔法使いと普通の人との違いがあって、魔力を取り込める量が普通の人より格段に多いのだ。これが村で魔法使いという職業が成立している理由で、そもそも普通の人は意思を伝える魔法魔法以外の魔法はそう使わない物なのだそうだ。

 村での魔法使いの役割は多岐に渡り、毎日各家に光の玉を設置したり、一日分の飲み水を分配したり、さらに各職場で魔法を使った手伝いをしている。ようするに村のインフラ管理をするのが魔法使いという訳だ。

 

 そんな便利な魔法使いだが、村一つを賄えるほどの魔力を最初から持って居るという訳ではない。村の各職業というのはほぼ完全な世襲制で、魔法使いの子供は将来魔法使いの仕事を継いでいく事になる。農家の子供が農業を手伝ったり、狩人の子供が森に入って知識を付けるのと同様に。魔法使いの子供は取り込める魔力を増やす修行を、子供の頃から欠かさずこなさなければいけない。

 普通ならば成長の過程で、意思を伝える魔法が使えるくらいには魔力が貯まるように体が出来ていくらしいのだが。いままで魔力なんかに触れた事が無かった僕は、魔力だけでいうなら赤子並み。意思を伝える魔法を最低限使うには、魔法使いの子供が行うような訓練をこなすしか無かったという事だ。

 

『さて、何から話せばいいのだろうか?魔法使いからはこの一週間で何か聞いているのかな?』

『実はそれほどまでは…村長さんも知っての通り、魔法使いになる訓練はとても大変です。魔法の基礎的な事と、その訓練法。あとは…私がどんな仕事をしているかぐらいでしょうか?』

 

 彼女がそう話している横で、僕は手で〇のポーズを取った。

 この二人ならばジェスチャーも通じる。少しでも魔法で話せるように節約できる所では節約させて頂く考えである。

 

『それならば君から質問をして、分かる事を私達が答えるとしよう。さぁ、君は何が知りたい?』

 

 村長さんは気を引き締めたような顔をして僕に向き直った。

 この一週間、僕はこの時の為に頑張ってきた。聞きたい事はそれこそ山ほどあるけれど、まだまだ魔力が少ない以上無制限に聞く事は出来ない。だから差し当たって聞きたい事も、優先度を決めて考えてきた。

 

『まず聞きたいのは…』

 

 さぁ、この世界を知りに行こう。

 

――――――――

 

『この世界に、名前はありますか?例えばこの村や村長さんの名前は何というのですか?』

 

 僕の質問に、村長さんは口元に手をあてて考え込んだ。

 この質問の意図としては、僕らでいう所の地球や日本等の地名という物があるのかという事と。そもそも「固有名詞」というものが存在するのかという確認だ。彼女も、村長さんも、自己紹介の時に「ヒト族の南の村」という前置きを付けていた。そして名前自体は名乗っていなかった事から、そういったものを決める文化が無いじゃないかという考えに行きついたのだ。

 

『ここはヒト族の南の村だ。そして私はヒト族の南の村の村長だ』

 

 僕の質問に少し訝しげな表情をしながらも村長さんは答えてくれた。村長さんからすれば今さら確認する事なのか?と言ったところだろう。けれど村長さんの答えから名前を付けるのではなく、役割で呼ぶ文化があるという事がわかった。

 僕は決してふざけてはいないという事の証明に、真剣な顔を崩さないまま次の質問へ移る。

 

『僕の名前は月見里昇ですか?ヒト族の南の村の異世界人ですか?』

 

 僕は意思を伝える魔法を使いながら自己紹介をするとどうなるのかを、試しに聞いてみた。後者は間違いなく伝わるだろうが、問題は前者のほうだ。やはり村長さんは少し考えた後に。

 

『君はヒト族の村の異世界の人だ。先に言った言葉は…申し訳ないが私には分からない』

 

 実際どう伝わっているのかが分からないけど、今の僕を表現する物として後者の方が的確だというのが分かった。確かに、僕の名前という物を言葉で説明するのは難しい。親が付けてくれたもの?いや、戸籍に記録されている月見里家の長男の名称とか?そもそも名付けるっていう文化が無いから固有名詞というものの理解が出来ないのだろうか?

 

『それでは…コレは何ですか?テーブルですか?机ですか?食事や作業を床よりも高い位置行う為の、足の付いた広い板ですか?』

 

 次に僕は、目の前にあるテーブルを指差しながら質問をした。村長さんは机をチラリと見た後すぐに僕に向き直って。

 

『私には君が同じ事を続けて言ったように聞こえる。これはテーブルだ』

 

 なるほど、そう聞こえてしまうのか。机を表す三種類の言葉、特に最後の説明じみた言い方でも同じように伝わるのか。床も板もある意味固有名詞だからどうかと思ったけど、僕の「テーブルを示している」という意思は問題無く伝わっている様である。

 この事から、意思を伝える魔法という物はテレパシーのようなものでは無く「相手に説明を送る」魔法なんじゃないかと僕は思った。例えば机という日本語を知らない外国人に、机という単語をテレパシーで送っても分からない。けど、先ほどの僕のように説明した事がそのまま相手に伝わった場合、外国人の人は「この人はテーブルの事を言っているのか」と理解してくれる訳だ。

 

『変な質問ばかりですみません、とても有意義な回答を得られています』

 

 とりあえず確認しておきたかった疑問が解消された所で一旦お礼を伝える。忙しいであろう村の管理の中で、僕に時間を割いてくれて有り難い限りだ。

 

『そうか、役に立てているなら何よりだ』

 

 村長さんの穏やかな顔は僕に安心感を与えてくれる。この抱擁感こそ、村長さんが村長さんとして居られる所以だろう。異世界へと来てしまったのはもう仕方のない事だけれど、彼女や村長さんの居るこの村に来れて本当に良かった。

 

『それでは次に、僕はこの村でどんな仕事が出来ますか?』

 

 いつまでも彼女の家に厄介になり続ける訳にはいかない。実際に十分な魔力を蓄える事が出来るようになって独り立ちするにはまだかかるだろうけど、どんな仕事があるのかは確認しておくべきだろう。というか…あまり意識しないようにはしているけど、同じくらいの女の子と二人暮らしは色々と問題があると思うのだ。

 

『その事についてなのだがな』

 

 村長さんは少し申し訳なさそうな顔を僕に向けた後、隣の彼女の方に少し目線を移す。僕も隣の彼女に目を向けてみると、彼女は僕の方を何か言いたげな表情で見つめていた。

 一週間も一緒に暮らしはしたものの、こんな近くで見つめ合ったのは初めてだ。思わずガタっと椅子ごと後ずさってしまったが、この世界の礼儀(?)としてなんとか目だけは逸らさなかった。

 

『この村はそれほど大きく無く、村の仕事はそれぞれを各家が持ち合っている。あれから村の各家を回って人手が足りているか聞いてみたのだが、やはりどこも問題が無いようでな』

 

 慌てて村長さんに顔を向けると、やはり申し訳なさそうな顔をしながら話している。

 とりあえず村の仕事が空いて無い事は分かったけど、彼女と何か関係があるんだろうか?

 

『そんな中一つだけ、君に頼めそうな仕事がある。実はな…先日魔法使いが突然の病で倒れてしまったのだ』

 

 それを聞いて僕はすぐに隣を見る。彼女はとても辛く悲しそうな顔をして、初めて俯いたまま『私の母親です』と呟いた。

 じゃあ…僕が使っていたベッドやサンダルとかは…。

 

『幸いにも。魔法使いはある程度の魔力を既に持ってた為、村の仕事回す上では問題は無い。だが何事にも備えという物が必要なのだ』

 

 村長さんが言っている事は理解できる。魔法使いに限らず、他の村の仕事でも同じ事なんだろう。子供の頃から親の仕事を覚えさせるのは、親が何らかの事情で働けなくなったときに代わりに働くことが出来るようにだ。小さな村ならば、単純に産めよ増やせよでは回らない事も多いのだろう。

 

『そこで君には魔法使いの子供のように、訓練を続けて魔力を蓄え続けて欲しいのだ。私も村長として各家の仕事それぞれの大変さは把握している。異世界からきた君にいきなり頼むのは心苦しいのだが、また新たに子を授かるのも大変だという事を分かって頂きたい』

 

 終始村長さんの表情は変わらず、僕に対して無理を言っているのは重々に承知の上なのだろう。今の村長さんの言った事を頭の中で反芻するに、もし僕がこの村に来なかった場合、魔法使いの見習いのために新しく子供を作らなければならないという事だ。現代のような医療機関を望めないこの世界では、余分な出産というものはリスクが高い事になっているのかもしれない。

 

『わかりました』

 

 僕は覚悟を決めた顔でそう言った。村長さんは驚きと喜びを混ぜたような表情になり、隣の彼女は『本当に?』と小さな声を上げた。

 僕は隣に居る彼女に向き直ると。まだ信じられないといった顔をしている彼女に宣言する。

 

『本当だ。僕はこれから、ヒト族の南の村の魔法使いの見習いだ』

 

 僕の決意を聞いて、彼女の目からは涙が零れる。そして泣きながらもとびきりの笑顔で彼女は。

 

『はい!』

 

 と、応えてくれた。

 僕は嬉し泣きをしている彼女から村長さんへ向き直ると。

 

『ありがとうございました。まだ聞きたい事はありましたが、今回はこれで終わりたいと思います』

 

 村長さんは少し不思議そうな顔をしながら。

 

『いいのかな?まだ魔力は残っているようではあるが』

 

 僕は迷いが無いという気持ちを表情に表し、一瞬彼女の方に目線を向けた後。

 

『家に帰って、彼女と話したい事が出来ました。それに比べれば僕の小さな疑問は今じゃなくても大丈夫です』

『そうか』

 

 村長さんはとても嬉しそうな顔をしている。なんとくなくだが、僕が彼女の事を優先したことを喜んでいるような感じがする。村長さんはこの村の規模を小さいと言っていたし、その分村人同士の距離というのはただの他人という訳でも無いんじゃないだろうか?最近母親を亡くした彼女の事を、父親のように心配していたのかもしれない。

 

『帰ろう。帰って、魔法使いの事をもっと教えて欲しい』

 

 僕はイスから立ち上がり、隣の魔法使いを見下ろしながらそう言った。

 

『はい』

 

 彼女も、涙の残る目をぬぐって立ち上がる。そして二人並んで村長さんの方を向くと、村長さんはイスから立ち上がって、威厳の満ちた表情をとった。

 

『魔法使い、あなたのおかげで村は問題無く回っている。母親もこなしてきた仕事を誇りに思いなさい』

『ありがとうございます』

 

 村長さんはまず、彼女に向かいねぎらいの言葉を掛ける。それに応える彼女の声は、もし魔法が無ければ涙声だったであろう。隣からは少し鼻をすするような音が聞こえている。

 

『魔法使いの見習い、君の存在はこの村の助けとなった。君の優しさと決断に感謝する』

 

 続いて村長さんは僕にも言葉を掛けてくれた。村長さんの表情も相まって、本当にありがたくて涙が出そうになる。だからこそ、その表情だけで気持ちを伝えられるこの世界の人に、僕は自分の拙い表情でちゃんと感謝を伝えられているのかと不安になってしまった。僕のこのあふれんばかりの気持ちを村長さんに伝えるには…。

 

『ありがとう…ございます』

 

 それは思い付きではあったけど、間違いなく僕の感謝の気持ちを最大限に込めた「最敬礼」だった。姿勢を正し、腰をほぼ直角に曲げたその姿勢は村長さん達にはどう見えているのだろう?なるほど…相手の表情が見えないというのは、こんなにも怖い事だったのか。

 

『この姿勢は、僕の元居た世界で最も感謝や敬意を持つ相手にするポーズです。僕はこの世界の作法というものがまだ未熟です。だからこそ、自分が出来る最高のお礼をしたいと思いました。村長さん、突然異世界から来た僕を受け入れて頂き、本当にありがとうございます』

 

 僕は顔を伏せたまま言い切ると、ゆっくりと顔を上げて村長さんの顔を見る。村長さんは一瞬呆けたような表情をしていたが、僕と目が合った瞬間楽しそうな表情をして。

 

『こうでいいのかな?私からもありがとう』

 

 たった今見た僕の最敬礼で、お礼を返してくれた。予想外の返しに僕がびっくりしている間に、村長さんは少し意地悪そうな笑顔を向けてくる。

 

『はい、とても綺麗な礼でした』

 

――――――――

 

 村長さんの家から帰ってきた。帰りもやはり数人の村人から遠巻きに見られたが特に話しかける事は無く。正式に僕の役職も決まった訳だし、近いうちに顔合わせをしておきたい所だ。

 

 彼女はドアを開けて家の中に入ると何故か玄関で立ち止まった。

 

『…どうしたの?』

 

 僕が問いかけると、彼女は僕に振り返って。

 

『おかえりなさい』

 

 と、笑顔で迎えてくれた。

 

『…ただいま』

 

 出会ってからこっち、そんなに笑顔を見せて無かったのに。彼女の中で色々と変化があったのか、今日は大盤振る舞いだ。本当に美人なのだから急にやられると戸惑ってしまう。

 

『ちょっと話…してもいいかな?』

 

 表情を引き締め、浮かれる気持ちを抑えて彼女に声を掛ける。

 

『…はい』

 

 僕の提案に彼女の顔が少し曇る。僕が見習いになった事が相当に嬉しかったみたいだけど、話はそれだけでは終わらない。今から僕は、彼女にとって辛いであろう事も聞いておかなければならないのだ。

 僕が家の真ん中のイスに座ると、続いて彼女も対面のイスに座った。

 

『お母さん…亡くなっていたんだね』

『…はい』

 

 こういう時、相手の表情を互いに見合うという習慣が辛い。

 

『それは…召喚魔法を使った事と関係がある?』

 

 僕の質問に、彼女はビクっと体を震わせた。彼女の表情はさらに暗くなっていく。

 

『勘違いしないように言っておくと、理由がどうあれ僕は怒ったりしない。それに見習いを辞めるという事も無いから、安心して。ただ、君の事を知りたいだけなんだ』

 

 僕の言葉を聞き、彼女の表情に安堵の色が見えた。

 どうやら僕が見習いを続けるという事が、彼女の中で大事な事のようである。僕は、その本心を知りたい。これからも一緒に暮らしていく上で、変なわだかまりを残したく無いんだ。

 

『はい…私は、お母さんが亡くなって。凄く…寂しかったんです』

 

 ぽつりぽつりと彼女が話始める。表情は辛そうで…けれど頑張っているようにも見える、そんな顔だった。

 

『お母さんが外に出られなくなって…教えられたとおりになんとか仕事をこなして…でも、家に帰ってくればお母さんが居たから頑張れてたんです。おかえりって言ってくれるお母さんが居てくれれば…』

 

 仕方の無い事とは言え、彼女くらいの歳の子には酷な事だ。この世界の平均寿命がどれほどなのかは分からない。けど病で亡くなったという事は、それなりに早い別れだったのだと思う。

 

『だから…もう話せなくなったお母さんを村長さんが連れて行って。誰も居ない家に帰って来るのが…本当に寂しくて』

 

 僕も、おじいちゃんが亡くなった時に実感した事だ。隣に誰も座らない座布団を用意してしまった時、僕は初めて月を見ないお月見をした。

 

『試してみたくなったんです。何も起こった事は無いけれど、自分が望む何かを呼び出す事が出来る魔法があるという事は教えられてきたから。元気なお母さんが…戻って来てくれるかも知れないって思ったから…』

 

 彼女が召喚魔法を使う事になったきっかけ、それは僕からすれば責められない動機だった。死んでしまった自分の大切な人が蘇るかもしれない魔法を試す。それは天国に声が届くようにと、電話越しにおじいちゃんに話しかけ続けた僕といったい何が違うのか。

 

『魔法が成功してしまった時…私は成功した喜びと、やってはいけない事をしてしまったという気持ちでいっぱいでした。あなたが苦しんで倒れてしまった時、少しでも喜んでしまった自分を恥じました。眠り続けるあなたが起きるまでの間…あなたと、あなたの大切な人を別れさせてしまった事にずっと…ずっと謝り続けていました…』

 

 彼女から感じられた罪悪感は本物だった。別れの辛さを分かっているからこそ、それを自分がしてしまった事を後悔していたんだ。

 

『けど…あなたは起きた後、すぐに私と話そうとしてくれた。絶対、いっぱい、寂しかったし、辛かったのに』

 

 これは…僕が現代の日本から来たからこそだったのかもしれない。巷ではそういったファンタジーな内容のゲームや小説が存在していたし、もし自分が主人公だったらなんて想像をする事もあった。さらに魔法なんて存在を目の当たりにして現実感薄れていたのだろう。今置かれている現実を自覚して大泣きするまでは、どこか夢を見ていたような感覚だった気がする。

 

『それで…何処にも行く当てが無いのなら。一緒に居てくれればって思った。私が帰って来た時に、おかえりって言ってくれる人が居るのが嬉しかった。もう一人は…嫌だったから』

 

 確かにこの一週間でも、ときおり笑顔を見れたのは仕事に行く時と帰って来た時だった気がする。彼女からすれば、それが母親との別れを思い出させる大事な場面だったんだろう。

 

『…ごめんなさい自分勝手で。あなたを一人にしてしまったのは私なのに…私は…あなたが居て良かったって、あなたを呼んで良かったって…思ってしまう。さっきだって、魔法使いの見習いになってくれて…これから一緒に居てくれるって判った時。本当に嬉しくて堪らなかった』

 

 きっと…これこそが僕の知りたかった彼女の本心。ずっと…どこか引っかかっていたわだかまりだ。僕が居る事に嬉しそうで、安堵していて、けど腫れ物のように近づきすぎないで、常に気を遣う。ただ呼び出してしまった罪悪感だけではない、彼女の不安定さがずっと気になっていた。

 

『あなたは…こんな私の事を…』

『許さないよ』

 

 彼女の言葉を遮って、僕は言った。

 

『…え?』

 

 呆けた表情で聞き返す彼女に。僕は笑顔のまま喋り続ける。

 

『君のした事を許すことは出来ない、けど…君から離れる事は無い。ありがとう、本当の気持ちを教えてくれて。これで僕は本当に、魔法使いの見習いとしてこの村で生きて行こうという気持ちになれた』

 

 おじいちゃん、僕は宇宙飛行士にはなれなかった。月に居る兎を手伝ってあげる事は出来なかった。

 

『家族になろう。この村では一つの家が一つの仕事を受け持っているんだよね?じゃあ魔法使いの君の見習いである僕は君の家族だ。お母さんの代わりにはなれないけど、兄妹として君と家族になりたい』

 

 彼女の目から涙が溢れる。村長さんの家の時よりも激しく泣いてしまっている彼女の頭を、僕は笑顔で撫でてあげた。

 

「…あああぁ!ああああぁ!」

 

 初めて聞く、魔法を使わない彼女の声。それは魔法の声以上に、僕の心に深く響いた。

 

 おじいちゃん…僕は…「異世界で、たった一人で頑張っている女の子」を手伝ってあげる事にしたよ。

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。