「…ん」
まぶた越しに明るさを感じて目が覚めた。
目を開けるとこの一週間ですっかり見慣れた木の天井、体を起こして周りを見ようとして…。
「あっ!」
慌ててまた体を倒して毛布を被る。さらに壁側を向き目を固く閉じて、僕は背後の光景を考えないように腕時計のネジを巻いて気持ちを落ち着かせた。
本当に心臓に悪い。彼女はそんなに気にして無い様に見えるけど、同年代の女の子が同じ部屋の中で着替えているなんて僕には刺激が強すぎる。彼女は大抵僕よりも早く起きていて、まず部屋の中心に魔法で光の玉を設置する。その後着替えをするのだけれど、僕がその光で起きてしまう事が多々あるのだ。たしか…ここに来て三日目の朝、まだまだ生活に慣れていなかった事もあって僕はその着替えを…。
『いいわよ』
思い出してはいけない事を思い出しそうになっていた所で、彼女が声を掛けてきた。僕は本当に飛び上がる程に驚いた後、ゆっくりと彼女の方に振り返る。着替え終わった彼女は僕の方を笑顔で見ていて、僕と目が合うと。
『起きたね』
と、挨拶をした。この挨拶に最初は慣れなかったが、この世界の昼夜関係を考えれば仕方がない。一日という区切りが昼夜で区切れない為「おはよう」という挨拶は存在していないのだ。
『起きたよ、着替えるからちょっとごめんね』
僕も笑顔で挨拶を返すと。ベッドから降りて、その下にある竹のような植物で出来ているカゴを引きずり出した。
これは一週間前の面接の後、村長さんが持ってきてくれたものだ。中には僕の体格に合った男性の服が数着納められている。僕の着て来た服に比べて固くて重いけど、予定外の服の需要に即座に対応してくれた事には感謝しなければならない。ここは異世界の…しかも小さな村の一つなんだ、着心地とかファッションとかローテーションとかの贅沢なんて言っていられない。
『いいよ』
着替え終わって合図をすると、彼女は僕の方に振り返った。そして一通り僕の姿を眺めると、嬉しそうに頬を緩めて笑顔になった。
これも…心臓に悪い。昨日、晴れて家族になった僕達だけど。僕からすればまだまだ彼女は魅力的な女の子とも思ってしまう。友達の一人にとても可愛い妹が居て、何時だったか「あんなにかわいい子が四六時中一緒に居るのってどうなんだ?」みたいな話になった時、確か友達は「慣れたというか何も感じない、だって妹だよ?」って言ってたっけ。
きっと僕がそう思うようになって初めて、彼女と本当の家族になったと言えるのかもしれない。それまでは…出来る限り、彼女に対してよこしまな感情を抱かないように頑張ろう。
『今日から魔法使いの見習いとして生活する訳だけど、ここ一週間と同じようにすればいいのかな?』
笑顔に少し見とれてしまったのを誤魔化すように、僕は彼女に今後の事を尋ねる。
この一週間、僕は村長さんとの対話の為にひたすらに魔力を増やす訓練をこなし続けていた。まだ他の住民に認知もされていなかったので外には出れず、彼女も仕事で居なかったのでそれしかやる事が無かったとも言えるけど。それしたってその訓練は地味で退屈なもので、何もしないというのがこんなにも辛いものだとは思いもしなかった。
その訓練方法とは、RPGとかで魔法使いの定番とも言える「瞑想」だ。彼女から魔力を増やす方法を聞いた時、僕はこんな事で増やせるなら結構楽なんじゃないかと思ってしまった。しかし、実際にやってみるとまったく簡単な事では無く。魔法使いの子供というのはこんな事を毎日やり続けなければいけないのかと、それをこなして魔法使いとして働いている彼女の事を改めて尊敬したものだ。
僕なりに考えて、この世界の人の魔力という物は風船のような物というイメージを持っている。しぼんでいる風船は空気…魔力を吸って大きくなる。魔法を使う時は口を緩めて空気を抜き、意思を伝える程度なら普通の呼吸でまかなう事が出来る。しかし水を生み出したり、約半日も輝き続ける光の玉に使う魔力の量はそれの比ではない。それを使うための魔力を得るためには、少しずつでも限界以上に魔力を取り込んで、風船の容量を増やしていくしかないのだ。
『そうだけど…今日は私と一緒に村を回って貰おうと思ってる。村の皆にあなたの事を紹介して、家から出ても問題無い様にしないと。いつまでも家の中に出られないのは辛いでしょう?それに外に出て体を動かすのも実は訓練の内なの、体内の魔力の流れが悪くなってしまうんですって』
それはありがたい。実はこの一週間、まったく動かないという事に少し危機感を感じていたからだ。宇宙飛行士になるには体の丈夫さも必要と、基礎体力作りには余念が無い様にしてきた。瞑想も大事だけど体も大事と、家の中で出来る体操や筋トレも一応やっていたのだ。
「わかった」
僕は手で〇を作るポーズで彼女に応える。それを見て、彼女は楽しそうに笑いながら同じような〇を作るポーズで応えてくれた。
確かに僕は意思を伝える魔法を使えるようになった。けれど体に貯めておける魔力はまだ少なく、
多くの言葉を伝えるとすぐに魔力が無くなって話せなくなってしまう。さらに瞑想で魔力の容量を多くするためには、なるべく魔力を使わない事が望ましい。風船を大きく膨らませようとしてるのに空気が漏れていれば、それ以上大きくなる事は無いという訳だ。それらの不具合を防ぐため、僕は二人で決めたジェスチャーを使える時には使っていくという事にしたのだ。
カンカンカン
顔を洗ったり、用を足したししていると仕事始めの鐘が鳴った。
僕と彼女がジュエスチャーを取り決めたあの日。この鐘の後、彼女はずっと仕事に行ってしまっていた。しかし、あれは僕が召喚されたというイレギュラーがあったからで。彼女はあの日、徹夜の上に食事も取らずに仕事をこなしていたのだという。
本来ならば鐘の後に魔法使いが水と光を各家に配り、そこからそれぞれ食事等を済ませて仕事に出るという流れになる。言われてみれば、そうしないと他の家は仕事に出る準備が出来ない。改めて、村のインフラを支える魔法使いの存在は大事な物なのだと理解できた。
『行きましょう』
彼女は一足先に玄関に向かう。僕も、〇のポーズを取りながら後を追った。彼女はやはり、そんな僕を見て微笑んでいる。
彼女が母親を亡くしてから、どれほどのあいだ一人で居たのかは分からない。けれどこうして僕という家族が居る事を喜んでいる姿を見るたび、本当に寂しい思いをしていたという事が良く分かる。彼女の側からすれば僕という存在が特別に喜ぶような事じゃなくなった時…居ることが当たり前で、自然に思える様になった時が、僕と本当の家族になったという事なのかもしれない。
『いってきます』
『いってきます』
僕と彼女の声が重なる。といっても片方は相変わらずの機械音声、そういえば彼女の肉声を聞いたのは昨日がはじめてだった。僕の声は、彼女にはどう聞こえているのだろうか?
――――――――
家を出てまず向かったのは隣の家だった。けど隣といってもそれなりに歩く。僕は都心に近い住宅地に住んでいたので、この距離で隣という事にちょっとだけ違和感を感じてしまう。昨日外に出た時は村長さんの家に一直線で向かっていたし、それなりに緊張をして周りを見る余裕が無かった。その点今日は僕の紹介がメインでもあるのでじっくりと村を見させてもらおう。
家に着くと、彼女はドアノックを鳴らしてすぐに家の中に入る。これも現代社会に生きていた自分からすると驚きだ。そりゃあ田舎とかなら家にカギを掛けないと聞いた事があるけれど、実際に目の当たりにするとどうしても不安に感じてしまう。というか…ここ一週間はそんなカギのついてない、誰でも入って来られるような家で生活していたんだった。この場合僕が違和感を感じているのは、他人の家に断りも無く侵入する事なんだろうか?この辺りの文化というか生き方というか、そういうものにもちゃんと慣れていかないと。
さておき、まだ紹介もされてない部外者の僕まで入るのはダメかなと、家の中には入らないで彼女の働きぶりを観察する。外はまだ昼間だけど、今の所開け放たれた玄関からの光だけで中は薄暗い。彼女はまず部屋の中心に光の玉を設置した。続いて炊事場に向かって空の水桶を水で満たす。さらに炊事場の竈に火をつける。それらを終えた所で、壁際のベッドからこの家の住民の人が起き出して来た。
『こんにちは』
『こんにちは』
『こんにちは』
どうやらこの家には男女二人が住んでいる様で、彼女の他の挨拶はそのように聞こえる。僕はここで初めて彼女以外の女性の声と、村長さん以外の男性の声を聞いた事になるのだけど。聞こえた機械音声は若干ではあるが違いが感じられた。といっても本当に声の高さぐらいのようなもので、男女の違いは分かるがそれ以外となると難しいだろう。
『今日はお知らせがあります。こちらの人は魔法使いの見習い、少し前にこの村に来て私の家で暮らして居ます。昨日村長さんと相談をして、正式に魔法使いの見習いとなりました』
彼女が紹介をすると二人の視線がこちらに向く、その目は当然だけど僕を探るような視線だ。さて、突然現れた明らかな人種も違う僕を彼らはどう思うのだろうか。
『わかった、俺は狩人の弓だ。この辺りでは見ない容姿だが他のヒト族の村から来てくれたのか?』
『私は狩人の弓の妻。こんなにも早く代わりの人が見つかるとは思わなかったけど、あなたが引き受けてくれて良かった。頑張ってね』
あまりにもすんなりと受け入れて貰えて驚きを通り越して呆然としてしまう。二人の顔はどこか安堵をしたような表情で、魔法使いの後継者が現れたという事を本当に喜んでいるようだった。
昨日の村長さんの口ぶりからすると、決して魔法使いの彼女が未熟で人が足りないという訳では無い。事実先代の後を継いでしっかりと村のインフラ維持を務めている。これはやはり、新たに魔法使いの見習いをする人材を捻出する手間が省けて良かったという事なのだろう。村の誰を魔法使いの見習いにするか、優先順位を決めるのは村長さんの仕事で、恐らく相当に悩んでいた事だろう。そして村人も誰がそうなるのか気が気で無かったのかもしれない。
「あ…えっと!」『初めまして、魔法使いの見習いです。早く村に馴染めるように頑張ります』
思わず考え込んでしまい。二人の表情にちょっと変化が見えて慌てて挨拶をする。こんな自己紹介で大丈夫なんだろうか?
『実は彼、本当に偶然この村に来ただけだったの。それに魔力も少なくて、意思を伝える魔法すら使えなかった。それでも短い間で必死に訓練する事で克服出来た。私も村長も、彼にはとても期待をしています。魔法使いが皆にご心配を掛けて本当にすみません』
彼女は僕のフォローをするようにそう話してくれた。二人はその言葉に驚いたような顔をしたけど、すぐさま僕に向き直って。
『よろしく頼む』
『よろしくお願いします』
真面目な表情で、重ねて挨拶をしてくれた。僕はうっかり下げそうになる頭を抑えながら。
『よろしくお願いします』
と、顔を引き締めて挨拶をし返した。
これで一件目、これから何件回るのか分からないけど大変そうだ。特に最後の家の人なんて中々魔法使いが来ないなんて怒られたりしないだろうか?僕は狩人の弓さんの家を出た後、今の会話で気になった事を彼女に尋ねてみる事にした。
『時間は大丈夫?最後に回る人の迷惑にならないかな?』
『仕事始めを気にしてるの?それなら大丈夫、大変な仕事を割り当てられている人の家から回っていく決まりだから』
『そうなんだ。じゃあ次に、今の人は狩人だと言っていたけど。最後につけた弓ってどういうこと?』
『同じ役割を複数の家で受け持っている場合は、その仕事で使う道具を区別する為につけるの。次は狩人の矢の人の家になるわ』
なるほど。確かに一つの家にそれぞれ仕事が割り振られているとしても、たった一つの家だけじゃ回らないという仕事もある。多分だけど農業をやってる家も複数なのだろう、トラクターとか耕運機がある訳が無い手作業農家だろうし。
『あと…妻の人も狩人になるのかな?それとも別の仕事をやっているの?』
『各家の妻の人は集まって服の洗濯や簡単な作業を共同でやってるわ。勿論、その家の仕事を優先してやっている人も居るけれど』
これまたなるほど。村という場所はこうして助け合う事で成り立っているのだと勉強になる。便利が物が溢れて、お金さえあれば一人で生きていける現代とはまるで違うという事だ。
…いや、待てよ?一人で生きていけると言ってもそのお金を使うお店には店員が必要だ。そしてお店には商品を運ぶ運送の人が居て、さらにその商品を作る生産者が居る。普段は全然気にしてなかったけど…小さな村も現代社会も、大きく見ればそう違いは無いものなんだろうか?
『次の家よ』
彼女の声を聞き、余計な事を考えていた頭を切り替えた。ドアノックの後、流れる様に家に入り魔法を使っていく彼女の姿を目に焼き付ける。何事も起きない事が望ましいが、その時というのは突然来るものだ。そしてその時にしっかりと仕事をこなせないのならば、それは僕だけでは無く彼女の責任にもなってくるからだ。
起きて来た住民と挨拶を交わして、彼女は先ほどと同じように僕を紹介する。
さっきのようにしどろもどろにならないように、しっかりと挨拶して僕が魔法使いの見習いとして問題無い人物だと知って貰わないと。ここで村人に人達に安心感を持って貰わないと、僕という「魔法使いの予備」が居る意味が無い。
どうやら彼女は、母親が急に亡くなって「魔法使いの予備」であった自分を使い切ってしまった事に責任を感じているような気がする。確かに村の人からすれば、魔法使いが居なくなれば生活が成り立たなくなる…とまでは行かないにしても相当質が下がってしまう。その魔法使いに不慮の事があったとして、代わりの人が居るか居ないかで安心感の違いは大きいだろう。
そして今回、そんな不慮の事が起きてこの村には現役で働ける魔法使いが一人だけになってしまった。次の魔法使いの予備を決めないと安心できない。そのためには村の誰かがその役目を負わなければならない。そんな時に現れたのが僕で、魔法使いの見習いになる事も了承したのだから村の人からすれば願ったり叶ったりだ。
僕は、たった一人で頑張っていた彼女を助けると心に決めた。僕が魔法使いの見習いとして頑張れば頑張る程、彼女一人に掛かっているプレッシャーは軽くなってくれるだろう。
『魔法使いと村長さんの厚意により魔法使いの見習いになりました。この村に来てまだ短く、分からない事ばかりですが早く馴染めるように頑張ります。どうぞよろしくお願いします』
――――――――
小さい村とは言うけれど、その規模を僕は勘違いをしていた。狩人や農家、妻の人達の洗濯等の想像しやすい仕事の他にも、村という物を支えるには本当に様々な職が必要なのだと思い知らされる。
僕が今着ている服だって、ただ縫って作るだけじゃなく原料を作るという仕事も当然存在する。布を作るには繊維、繊維を作るには羊を育てないといけない。家の地下にあった加工食も、狩人の他にも加工をするという職が必要なのだ。
ある程度近い職ならば手伝うという事もあるけれど、そうなると一人当たりの負担は大きくなっていく。危険度の高い職ならばしっかり休む事も仕事の内になるだろうし、人間無理をし過ぎると後々しっぺ返しが来るものだ。
それに比べて魔法使いという仕事は本当に特殊だ。基本的には光と水と火、現代でいう所の電気水道ガスのライフラインをたった一人でまかなっている。そりゃあ他の仕事に比べれば体は使わない、怪我や病気にかかる確率も低い方だ。けれどそれは、代わりがたった一人でいい理由にはならないような気がするのだ。
この村ではずっとそれでやってきて、それなりに問題は起きなかったのだろう。でも例えばの話、彼女の母親が近くの人にうつってしまうような病気にかかっていたとしたら。彼女も亡くなってしまい、村には魔法使いが居なくなってしまう。または今このタイミングで彼女が倒れでもしたら、僕の魔力では村のインフラを回すなんてことは不可能だ。
勿論、任命されて受けたからにはしっかりと役目を果たす気はある。でも、本当にそれだけで彼女に掛かる負担を軽く出来ているのだろうか?もっと他に、僕がやってあげられるような事は無いんだろうか?
『次が最後、村の中では少し変わった仕事をしている家よ』
そうこうしている内に、他の家とはちょっと離れた場所にある家にたどり着いた。彼女は職業が特殊だと言っていたけど、僕からすれば家自体も特殊に思える。大体の家は、大きさや間取りに違いが無かったけれど。目の前の家は石と土で出来たドームのような家だったのだ。
当然そんな家でも彼女は躊躇なく入って仕事をこなしていく。そして起きて来た住民にもう慣れたような僕の紹介をして、僕も同じように自己紹介をした。
『俺は歌手をしている。他の住民と違い、あまり外に出るような仕事はしていない。けどそれは魔法使いの見習いと同じような物だ。俺も必要な時の為に常に訓練を続けている、お互いに頑張ろう』
ここにきて本当に予想外の職業の人が居た。少し呆気にとられながらも挨拶を返し、僕と彼女は歌手の家を後にする。この後は一旦家に戻って仕事前の食事を取り、今度は村の仕事を魔法で助けて回るというスケジュールだ。
ただ、その道中で彼女の様子がおかしい事に気が付いた。少し肩を落としてうつむきがちに歩くその姿は明らかに元気が無い。そういえば、色々考えていたから気付かなかっただけで、歌手の家に行く前も多少歩みが重く無かっただろうか?見た感じ歌手の人は悪い人には見えない…というかこの村には普通の人しか居ないように思えたけど、歌手の人に何か思う事があるのだろうか?
(もしかして好きな人だったりするのかな?)
元気が無さそうに見えるけど、実際は恥ずかしがってる?ありえない話では無いけど…なんか違う気もする。本当は歌手の人の仕事はどういう物なのか聞きたかったけど、この様子じゃ聞きにくい。歩きながらじゃ表情をしっかりと見ながら喋れないし、家に帰って落ち着いた頃にまた聞くとしよう。
『ただいま』
家に戻り、彼女が入ったところで声を掛ける。彼女は振り返って、僕の笑顔を見ると。
『おかえり』
と、笑顔で返してくれた。うん、このやり取りでちょっとでも元気を取り戻してくれたかもしれない。
『火をつけておくから、水を温めておいてくれる?私は食材を持ってくるから』
僕は手で〇を作り、金属製の鍋に水を移して竈の上に設置した。そのまま火の番をしていると、彼女が食材を持って地下から戻って来る。彼女は沸騰したお湯にそれらの食材を一口大にちぎり入れ、味見をしながら岩塩を使って味を整える。初めて食事を取った時、おっかなびっくりしていたのが情けない程に彼女の料理は美味しかった。これは彼女の味付け具合もさることながら、こんな簡単な調理でも美味しく食べられる食材を、村の人達が作ってくれた事にも感謝をしなければならない。
調理も終わり、僕が器に分けている間に彼女は追加で羊のチーズと黒パンを食材庫から取って来た。テーブルにそれらを並べ、僕と彼女は対面で椅子に座る。
『いただきます』
『いただきます』
二人で手を合わせて、その言葉を口にする。最初は僕だけやっていたこれを、彼女はいつの間にか真似をするようになっていた。僕が少しだけ魔法を使えるようになった時、彼女が真っ先に聞いてきたのが「いただきます」についてだったりする。
僕は食事前のただの挨拶ではなく、動植物やそれらを育てた人と調理してくれた人、自分を生かしてくれる食べ物への感謝の言葉なんだと説明をした。この考えを僕に教えてくれたのは祖父と祖母で、今は僕自身の考えの一つになっている。それを聞いた彼女は「とても素敵な考え方をしているのね」と非常に感心をしてくれて、以後はポーズだけでなくしっかりと言葉も添えてくれるようになったのだ。
『少し聞きたい事があるんだけど』
食事をしながら僕はそう切り出した。
多分僕から聞かれる事を予想していたのか、彼女は落ち着いた顔をして『うん』と小さく返事をした。
『歌手の人の仕事ってどんなものなのかな?君が元気が無かったのと関係があるの?』
彼女は努めて落ち着いた表情のまま、少しだけ覚悟を決めるような間を開けてから口を開いた。
『…歌手の人の仕事は。死者を送る事なの』
僕が思っていた歌手の仕事との違いに、少しだけ体が震える。
『村で亡くなった人は、昼と夜の境目に月へと旅立っていくの。月に辿り着くと、死者の人達はそこから私達の事をずっと見守り続けてくれる。歌手は旅立つ死者に歌を贈り、無事に月まで辿り着けるまでの力を授ける役目を担っている。あと少しで夜になるから…母はその時に月に向かうわ』
朝に村の中を回った時、教会や神社のような宗教的な建物は見られなかった。つまりこの村の生き死にに対する考え方は、親から子へと自然と口伝されてきたもののようだ。世界には本当に様々な宗教や思想が存在するけれど、僕はこの村の考え方を良い物だと感じた。どこか日本のそれと考え方が似ている気がする事と、月が関係していたからかもしれない。
『…そうか。無事に辿り着けるといいね』
彼女は小さく『うん』と呟いて食事に戻った。僕も食事に戻り、それ以降は食べ終わるまで何も喋る事は無かった。
それにしても…歌手の仕事と歌の意味を考えると、どちらかというとお坊さんとお経のような役割に感じるが意思を伝える魔法ではそうではなかった。じゃあお坊さんとお経、歌手と歌をどう説明すれば良いのかと考えると、これもまた難しい。そういえば日本以外で考えればレクイエム…鎮魂歌という物もある訳だし、地球規模で考えればお坊さんは死者に向けてお経という歌を贈る歌手ともいえるのだろうか?
彼女が言った通り、太陽は初めて僕が来た時よりも大分傾いてきている。彼女の母親を送る為の歌が歌われるのは近いだろう。その時には、彼女の母親が心置きなく旅立てるように僕からも言葉を贈ろう。おじいちゃんがそうだったように、亡くなる人が心配するのは残された家族の事なのだから。
――――――――
食事も終わり、食器を洗ったり火の始末もしたところで二度目の出勤になる。今度は各仕事の現場を回って、魔法で補助をするらしい。
今の所僕が見た事がある魔法は「意思を伝える」「光の玉を作る」「綺麗な水を出す」「火をつける」ぐらいだ。意思を伝える魔法を彼女から教わった時、彼女は「魔法はイメージが大事」という事を言っていた。確かに僕は意思を伝える魔法を「相手に説明を送る」物だと予想したので、その点でもイメージという物が大事なのだという事が分かる。
それ以外の3つについてはまだ何とも言えない。知っているのは意思を伝える魔法よりも魔力を消費するという事ぐらいで、魔力を使ってイメージするだけでそういった現象を起こす事が出来るのだろうか?訓練を続けて魔力が増えた時、僕にもちゃんと使う事が出来るのかな?
『いってきます』
『いってきます』
さっきと同じく彼女の後を付いて行く。その時、僕はさっきの会話で気になっていた事を確認するために少し空を見上げながら歩く事にした。
(あれが…)
僕の見上げた視線の先。地球のそれとは大きさも模様も違うけれど、青空と雲の中にはハッキリと月が浮かんでいた。
(この世界にも月はあるんだ)
僕はこの世界に来て、常々何か物足りなさを感じている事があった。魔力を高める訓練をしたり、彼女と交流をしたり、この世界の事を考えたりと、割と忙しい日々を過ごしていたのにと思っていたけど。多分それは、毎日の日課にしていたお月見の事だったのだろう。
今日の自己紹介である程度は外に出れれるようにはなった事だし、今後は寝るちょっと前に月見を再開するのも良いかもしれない。あ…でも、彼女の事を考えるとお月見をするのは止めた方がいいのかな?でも、故人は月に行って見守ってくれてるとも言っていた。ちゃんと説明をすれば大丈夫かな?彼女ならばよっぽどの事が無い限り誤解をする事は無いと思うけど…本当に嫌がるようならば、僕が我慢をすればいい事だ。たまにチラっと見て楽しむだけに留めよう。
彼女が最初に向かったのは洗濯場だった。洗濯場には既に各家の妻の人達が集まっていて、その人達の傍らには洗濯物が山のように積まれている。まず彼女は、その洗濯物の山にいつの間にか持ってきていた服を加えた。その後風呂桶にも使えそうな大きさの木の桶に向って。
『水』
と小さく唱え、魔法で桶に水を満たしていく。洗濯場に集まっていた各家の妻の人達はそこから小さな桶に水を汲むと、一か所に集められていた服の山を手分けして洗い始めた。
自分の家の物だけでなく、本当に村全体の洗濯物を皆で片付ける訳か。朝配っていたのはあくまで飲料水、洗濯に使う水まで個別に配っていたらとんでもないロスになってしまうだろう。つまりこの一週間、僕が着ていた服や…トイレ布なんかの洗濯もこの人達がやってくれていたのか。
『ありがとうございます。大変な仕事をこなして頂いて』
つい、僕は洗濯をしている人達にお礼をしてしまっていた。それを聞いた人達は少し手を止めて僕の顔をじっと見つめると。
『いいのよ、この村では皆持ちつ持たれつなんだから』
『皆自分の仕事に責任を持って取り組んでるし、お互いにそれを分かり合っているからね』
『魔法使いの見習いも、自分の仕事をしっかりと頑張りなさい。あなたの頑張りは必ず村の為になるのだから』
『でも、この村に来て間もないあなたからそう言われるのは嬉しいわ。自分の仕事が本当に村の為になっているか…特に子供の頃に不安に思う人は多いのよ』
皆笑顔を浮かべながら、僕に激励にも似た言葉を掛けてくれた。仕事を再開した手つきはまさに職人とも言える手際の良さで、手元の桶の水は落とした服の汚れでどんどんと濁っていく。一人僕よりも小さな女の子が居たのだけれど、この子の手際も見事だった。多分もっと子供の頃からこの仕事を手伝う…いや仕事としてこなして来たんだろう。
『そう、焦らなくても大丈夫。さぁ次に行きましょう』
彼女からもありがたい言葉を貰い、僕たちは妻の人達に挨拶をして洗濯場を後にした。
そういえば、この村には井戸とか川とか湧き水とかは無いのだろうか?水の確保は生活の基本だと思っていたけれど、完全に魔法使い依存にしているのかな?
そんな事を考えていると、あっという間に次の場所につく。それは洗濯場のすぐ隣、便所だった。先ほどの洗濯場からは石で出来た排水の溝が伸びてきていて、便所の下と流れ込んでいる。
便所は半畳よりもやや大きめの四角い個室が、正方形に繋がった形をしている木製の建物だった。中は田舎らしく和式のもので、拭くための布もちゃんと用意されている。なにか違和感を感じる建物なのだけど、一番違和感を感じるのは臭いがほとんどしない事だ。家のトイレだって消臭剤が無ければそれなりに臭ってしまうものなのに。
『消臭』
一瞬自分の目と耳を疑ってしまった。彼女は便所の建物の床辺りに向けて、臭いを消す?魔法を唱えたのだ。
『ねぇ、魔法ってそんなことも出来るの?』
あまりの事にすぐさま彼女へと質問を投げかける。多分自分は今、信じられないといった表情をしているだろう。彼女はそんな僕を見て少しおかしそうに笑いながら。
『うん、便所の構造は分かる?この建物の下には大き穴が空いていて、出た物は下に溜まっていくの。農家の肥の人がここの管理をしていて、溜まっている物に色々な物を混ぜて畑に混ぜる肥料を作っているわ。だから穴に臭いだけが出て来ないようなフタをイメージして、嫌な臭いが上がって来ないようにしているの。やっぱりそういう臭いって、快適に暮らすためには無くしたい物よね』
確かに、向こうに居た時もQOLって言葉をよく聞いていたし。国際宇宙ステーションにおいても、人間が閉鎖された場所で快適に暮らすための最先端の工夫がなされていた。その精神は人間が暮らす以上必ず出てくる問題で、この村ではそんな事も魔法使いが何とかしているのか。
『この建物って地面に完全に固定されてる訳じゃ無くて、動かす事も出来るの。農家の肥の人が頃合いを見て移動をして、場所を変えてたい肥作りをしているのね。ほらこっち、あの穴がこの前に建物があった場所。洗濯場もそれに合わせて変えてるから、完全なたい肥と便は混じらないようにしているみたい』
建物に感じていた違和感はそういうことだったのか。その辺りの専門的な知識は分からないけど、昔の肥溜めとかだってそのまま畑に撒いたりはしていなかったと思う。ただトイレで流していただけの物は、必要とされる場所ではこうした工夫を重ねて有効利用されている訳だ。そう思うと今後トイレに行く時にも、そういった仕事をしている人達に感謝をしながら…。
『…ちょっと聞きたいんだけど。ここ一週間僕が家の裏でしていたのって…』
ものすごく聞きにくい。けど、これはちゃんと聞いて真実を知っておかないといけない事だ。
『うん、私がここまで運んでおいたよ』
『そうだよね!ごめん!普通ならやらなくていいような仕事をさせちゃって!』
本当に申し訳ないという表情をしながら彼女に謝罪する。勢いよく謝ったけど、彼女に聞こえてるのが機械音声のようなものだと思うともどかしくて堪らない。まさかとは思ったけど、本当に運んで貰っていたとは思わなかった。思い返せば用を足していた場所でそういった臭いを感じる事は無かった。それは彼女が処理をした上で、消臭の魔法を掛けていてくれたからなんだろう。
『気にしないで』
彼女は僕の様子に少し慌てて声を掛けてくれる。
『あなたに窮屈な思いをさせてしまったのは私なんだし、もう過ぎた事なんだから。それに、一人で便所に行けない家族の補助をするのも家族の役割よ。もう私達は家族なんでしょう?私は当たり前の事をしただけなんだから』
彼女の表情はとても優しくて、僕はそれだけで申し訳なさに拍車がかかってしまいそうだ。けど、家族という事を言われてしまうとそれ以上何も言えなくなってしまう。僕自身、体が思うように動かなくなった祖母の介護をしていた時期もあったし。彼女は最近まで母親の世話をしていたのだろう。
『…わかった。貸し借りじゃあないけど、君が困っていたら家族としてちゃんと助けるよ。きっとそういう事を考えないで出来るようになれば、僕たちは家族としてさらに繋がっていけるんだよね』
『うん。これからもよろしくね、お兄ちゃん』
意思を伝える魔法がどういう翻訳をしているのか分からないけど、彼女の笑顔とセットで言われたその言葉は僕の心に突き刺さった。お兄ちゃんとして…もっと頑張っていかないと。
――――――――
一通りの仕事が終わる。村の様々な場所のそれぞれの仕事、そのいずれの場でも魔法は有用なものだった。この職場見学で、僕は改めて魔法使いという存在の重要性を認識させられた。そして同時に、もし魔法使いが居なくなった時に村の仕事はちゃんと回るのかという不安も大きくなっていた。
これは僕が、高校の生徒会に所属していた時に感じた事と似ているような気がする。最終的に生徒会長にも就任した僕は、今までなあなあでやって来たせいで効率の悪かった所の改善を結構大胆に行ったりした。その時に先生や生徒会の皆から聞こえてきたのは「別にこれまで通りでもいいんじゃないか?」という事なかれの考え方だ。
宇宙飛行士を目指していた自分からすると、その考え方は半分正解で半分間違いだと思っている。これまで成功していた物から変更する事は失敗の可能性もあるけれど、だからと言っていつまでのそれに固執している限り発展は望めない。
宇宙開発はそんなジレンマの繰り返しだ。前回成功したからと同じようなロケットを飛ばしても、何かが間違っていて突然失敗する事もある。これまで通りで大丈夫というか考えは、突然の事故の後のリカバリーが大変なのだ。常に新しい技術や考え方を模索していれば、そんな時にすぐに代替案を出せるし、そもそも手痛い失敗自体を無くせる可能性も有る。
僕は生徒会長になり、このような考え方をしっかりと説明する事で皆の協力を仰ぐ事が出来た。しかし、もし僕がただの一生徒なら無理な話だっただろう。つまりこの村の魔法使い依存という現状に僕がいくら危機感を訴えたとしても、すぐに聞き入られる可能性はとてつもなく低いという訳だ。
別にそういう大変な仕事が自分に回ってくるかもしれないという訳では無い、彼女に親身になりすぎているという事でも無い、他にも改善したほうが良いと思う所もある。けれどそれらをしっかりと受け取って貰うには、僕はあまりに新参者過ぎるのだ。
『お疲れ様。君が普段どんな仕事をしているのか知れて良かったよ』
『お疲れ様。村での魔法使いの仕事、分かって貰えたかな?』
僕のねぎらいの言葉に、彼女は誇らしげな顔で応えてくれた。
さらにやきもきする事として、彼女を含め村の誰もが魔法使いの現状に疑問を抱いていない事だ。村長さんは…どうなんだろう?もしかして知った上で、中々改善出来ない仕方ない事と思っては居るかもしれない。問題が分かったとしても、それを改善する具体的な策を呈さないと所詮は子供の絵空事だ。流れ星に向って世界平和を願うのとなんら変わりはない。
カンカンカン
僕達が家に戻ってからしばらくして、仕事の終わりを告げる鐘が鳴らされた。この鐘を鳴らしているのは村長さんで、全村人の仕事が終わったのを確認して鳴らしているのだという。
先ほど仕事の途中でも出会ったのだけど、村長さんも僕達同様村の各仕事を見て回っている。そして仕事の進捗具合や不具合等の情報を集め、適宜指示や調整を行っているそうだ。やはり僕が感じた魔法使いに関する問題も把握していると思う、今回彼女の母親が倒れた事でより現実味を帯びてきた事だろうし。
『じゃあ食事にしようか。今日畑の収穫をやっていたから新鮮な野菜が配られていると思うよ』
僕は〇のポーズを取ると、どんなものかと食糧庫を覗いてみた。確かに先ほど収穫していた野菜が食糧庫に追加されている。そして野菜だけではなくパンなどの食材も増えていて、多分各生産者の人達が届けてくれていたのだろう。
『もしかして、この食糧庫にも魔法がかかってる?食べ物の鮮度を保つような』
ふと気になった事を彼女に尋ねてみた。もはやクセになってしまった首を傾げるポーズをしながらだ。まぁ、分かりやすいのは良い事だと思う。
『うん。水や光と違って毎回では無いけれど、食べ物が悪くならないような魔法を掛けてるよ』
『毎回じゃないんだ?魔法が切れちゃうタイミングって大体分かったりするの?』
『分からないわ。ただ昔からこれくらいの間隔で掛けるようにしていたから私も同じようにやっているの。他にもそういう風に毎日使う訳じゃ無い魔法があるから、それについてはその時に教えようと思っていたのだけど。やっぱりあなたは凄く優秀ね、私なんかお母さんから教わるまで気にもしていなかったのに』
まるで我が事のように嬉しそうにしてくれている所悪いのだけど、ここにも昔からの習慣にのみ頼った事があったのか。確かにこの魔法については切れる前にちゃんと上書きを欠かさなければ問題無い、けれどいつ切れるかが正確に分かっていないというのは結構怖いものなんじゃないか?それにもしまだ効果が残ってるのに上書きしていたのならば、それはそれでロスとなってしまう。電池が十分に残ってるのに新品に取り換えるようなものだ。
『そうでもないよ。それよりも食事にしよう、この新鮮な野菜を早く味わいたいよ』
『そうね。じゃあ持っていくのはこれと…これと』
彼女が示した食材を手に取り、その手に感じる重さを噛みしめる。
これが顔の見知った農家の人が作った物だと思うと、運ぶ手にいつも以上の力が入った。どうやって作られているのかを知っていると、粗末に扱う事も無駄にする気持ちもまったく湧いて来ない。一応好き嫌い無くこれまで生きて来たけれど、祖父と祖母の教えてくれた食べ物への感謝を、本当の意味で理解出来たのは今だったのかもしれない。
『いただきます』
『いただきます』
以前よりも感謝を込めた「いただきます」をして食べた食事は、心なしか今まで以上に美味しく感じた。
その感謝の先は、農家の人は勿論だけど目の前に居る彼女に対してもだ。僕の勝手なイメージとして、小さな村では食料の確保がなんだろうと思っていた。しかし今日目の当たりにした農業への魔法の効果は、農作物の成長促進というとんでもないものだった。思えばここは昼夜の間隔が著しい世界、魔法なんて裏技が無い限り農作物のまともな成長は望めないだろう。
そしてやっぱりというべきか、ここでも魔法使いへの依存は止まらない。こうなると魔法使いを増やさないのには人口と食料問題以外の理由があると思った方が良いだろう。今はまだ僕なんかが聞けたり知ったり出来ない事だろうけど、いつか村長さんに聞いて自分自身が納得がいけるような答えを得たいものだ。
そしてその本当の理由を知ったとしても、僕がやるべき事は変わらない。今目の前で、僕と共に食卓を囲んでいる家族を支え助ける事。彼女の笑顔を守る事だ。
――――――――
『いってきます』
『いってらっしゃい』
仕事始めの食事を終え、彼女は手伝いの仕事をしに出掛けて行った。外はもう夕焼け模様で、見送る彼女の顔を赤く染めている。僕がこの世界にやって来た時ほぼ南中の位置にあった太陽はその高度を徐々に下げて、今はもう沈みかけていた。
その太陽の動きと腕時計の進み具合から計算したところ、どうやらこの世界の昼夜というものは二週間ごとに移り変わるもののようだ。普通そんな極端な日照時間を持つ星は、昼夜の温度差が激しくて生物が住めるような環境にならない。けど実際のところ日中は日本の春くらいの気温をキープして過ごしやすく、夕方となった今も若干気温が下がったかな?という違いにしかならなかった。
もしかして…これもまた魔法のおかげとでもいうのだろうか?何日かの間隔で村全体に結界みたいなものを張っているとか?なんかもう、物理とか科学とかで解明出来ない事は魔法で片付けようとしている自分がちょっと情けなく思えてくる。でも実際に魔法で解決してしまっているのも事実であって、そのたびに僕は勝手に一人で危機感を募らせてしまっていた。
そんな事を考えながらやっていた食器の片付けも終わり。僕は魔法使いの見習いとして、魔力を容量を増やす訓練を始める為にベッドへと移動した。
ベッドの真ん中にあぐらをかいて座り、目を閉じて両手は膝に置く。まさに瞑想というポーズだけど、彼女いわく自分が集中しやすい姿勢で良いらしい。後は余計な事を考えずに、空気中から魔力を吸って体の中に貯めていくだけ。僕のイメージで言うなら、風船をどんどんと大きくしていく感じだ。
ゆっくりと、長く長く息を吸って。口から細く細く、少しずつ息を吐いていく。より多くの魔力を取り込みながら、外に魔力が漏れないように留めていく。これを最初は意識するように、徐々に自然にそうなるように。イメージを意識の底に残しながら深呼吸を繰り返す。
まったく音が無いと思っていた家の中に音が溢れてくる。自分の呼吸。わずかに聞こえる心臓の鼓動。時計の針。軋む木。外の風。なびく木の葉。鳥の鳴き声。それらの音を聞き取りながらも、その音に対する意識が段々と無くなっていく。
唐突に頭に浮かぶ言葉と風景。それらは何も考えないようにとすればするほど浮かび上がってくるものだ。それに対して僕は無視という反応を返さない。自然と霧散していくのを、ただただ待ち続ける。
そんな意識の揺れを何度も繰り返していると、眠っていないのに眠っているような感覚が脳から全身へと広がっていく。呼吸は意識と離れてゆっくりと繰り返されている。体はゆらゆらとわずかに揺れている。自分の中の風船が少しづつ…少しずつ大きくなっていく。
(………)
気が付くと、あれだけ聞こえていた様々な音が無くなって、時計の音だけしか聞こえなくなっていた。
「…ふぅー…」
ゆっくりと息を吐き、ベッドから立ち上がって体をほぐす。そのまま炊事場まで歩いて行って、乾いた喉を水でうるおした。
「はぁ~」
さらに一息。喉の渇き具合から、昨日よりも長く瞑想を出来ていたような気がする。けど、僕は腕時計を見て実際に何分経ったのかというのを確認はしなかった。これは最初に瞑想を教えられてやった時、たったの10分程度の時間しか経っていなかった事に絶望を覚えたからだ。瞑想…ひいては魔法使いになるための訓練を甘く見ていた結果である。
そもそも、どのくらいの間続けていれば成功という明確な線引きも無い。ゲームみたくはっきりと数値が出る事もない。ただ愚直に訓練を続けて、代替わりの時に困らないぐらいの魔力を確保出来ていればいい。すぐに結果を求めてしまうというその気持ちが、瞑想を妨げている原因なのだろう。
「よし」
僕は腕時計を一旦外してテーブルに置いた。
次は筋トレだ。子供の頃から続けてきた事で、もはや毎日やらないと落ち着かないぐらいだ。これは宇宙飛行士を志した時に祖父と相談して決めた事で「宇宙に行くには健康で丈夫な体が必要」という考えの元、運動部ほどガチガチではないけれど人並み以上の強度のトレーニングをこなし続けてきた。
「うし!」
軽く汗ばんだ体をクールダウンさせて、軽く一杯の水を飲む。ゆっくりと柔軟もやった後で、僕は玄関から外に出た。
「いってきます」
誰に言うでもなく、それをスタートの合図としてジョギングを始める。
今まで家から出れなかったし、昨日は彼女の仕事見学をしていた為、こうやって走るのは本当に久しぶりだ。もう村の人達は僕の事を魔法使いの見習いと認識しているので、僕が近くを通ったりすれ違ったりするときに笑顔を向けてくれる。彼女の言う通り、こうして運動不足にならない程度の運動をする事は訓練の一つだと思われているからだろう。
そうしてほぼ村を一周回った所で、家に変える前にトイレに寄る事にした。近場の洗濯場では妻の人達が洗濯をしてくれている。山も大分少なくなっていて、もうそろそろ干す作業に入る所だろう。そして昨日見た事から、もうしばらくすればまた彼女がやってくるはずだ。洗濯物が乾きやすくなるように魔法を掛けて、さらに家に帰る前にもう一度寄って洗濯物を回収してきてくれる事になっている。
つまり少し時間を潰せば仕事中の彼女に挨拶していけるのだけれど、僕は用を済ませてさっさと家に帰る事にした。理由は簡単で、わざわざそんな事をするのは単なるサボリになるからだ。この村では、皆が皆自分の仕事に真剣に取り組んでいる。そして僕の今の仕事は魔法使いの見習いとして、いち早く魔力の容量を増やす事だ。
筋トレ、ジョギングと最低限の運動を済ませたのならば、後は家に帰って再度瞑想をしなくてはいけない。正直なところ、瞑想をするよりも体を動かして仕事をしている方が気が楽だと思う。目に見えて仕事をしたという実感が得られるからだ。けど今さらそんな事考えても別の仕事に変われる訳でも無いし変わる気も無い。さぁ、帰って着替えて瞑想しよう。
――――――――
『ただいま』
開いたドアの音と、彼女の声で一気に意識が戻って来る。
彼女が帰って来たという事は、もう仕事終わりの時間になっていたのか。瞑想中は気にならなかったお腹の減りが、それに気づいたとたん急に襲い掛かって来た。
とりあえず目を開けて玄関の方を見ると、彼女はまだそこに立ったままだった。彼女はベッドで瞑想の格好をしている僕をじっと見つめていて、何故か家に入ろうとは…。
『おかえり』
少し慌てて、僕はお疲れ様という気持ちを込めた表情をしながらそう言った。彼女は僕の言葉にとても嬉しそうな顔をして。
『ただいま』
ともう一度言って、ドアを閉めて家の中に入ってきた。
どうやら彼女にとって、家に残っていた僕に出迎えられるのは特別な事の様だ。確かに、僕も家に帰った時に母さんからの返事があると安心感を覚えていたような気がする。たまに買い物に行っていたりで返事が帰って来なかったときは、逆にちょっとした寂しさを感じたりもした。
大して意識していなかった自分でもこうだったのだから、最近それを不可逆な形で体感した彼女からすると大切に思ってしまうのも無理はない。そう考えると…母さんは今どんな思いで家に居るのだろう?もう「ただいま」を言って帰って来る事の無い、自分の事をずっと待ち続けているのだろうか?
今さらそんな事を考えてもどうしようもない。けれど…もし叶うなら、帰る事は出来ないけれど無事に生きている事ぐらいは伝えたい。人一人を異世界に移動させてしまう魔法があるならば、声を伝える事ぐらいは出来たりしないのだろうか?
魔法はイメージが大切だと彼女は言った。なら…いつか魔力に余裕が持てるようになった時、ダメで元々と地球に向けて魔法でメッセージを送ってみるのも良いかもしれない。そういう目標を持っていると、日々瞑想に取り組むモチベーションになるというものだ。
『ご飯にしようか』
ベッドから降りて、食事の準備をしようと食糧庫へ向かう。すると、彼女が何も言わずに僕の手を握って引き留めて来た。
『どうしたの?』
首を傾げ、彼女に向き直りながら言ったところでそれに気づく。彼女は、僕の事を心配するような表情で見つめていた。
「………」
「………」
そのまま無言で見つめ合う。彼女は僕に対して何かを言いたげな感じをしているので、僕はとりあえず彼女を見つめ返し続けるしかない。
『…辛い?違う…寂しい?』
彼女にそう言われて、僕は母親の事を考えていた時、そんな表情をしていたのだと気が付いた。
そんなに気をつかって貰う程では無いと思っていたけど、先ほどの事から彼女はまだまだ母親の事を引きずり続けている事は明白だ。だからこそ家族になった僕の事を常に気にしているし、同時に僕をここに連れてきてしまった罪悪感も根強く残っているのかもしれない。
『大丈夫。本当だよ。確かに残して来た家族の事を考えてちょっと寂しくなったけど、ちゃんと前向きに考えられてる。そのうち魔力に余裕が持てるようになったら、魔法を使って何かメッセージを送れないかなって考えてた。ちなみにそんな魔法ってあったりする?』
彼女に強がっているだけと誤解されないように、表情を引き締めながら答える。
『遠くに…届ける?そんな魔法は効いた事が無いかも』
少しほっとしたような顔を見せた彼女は、思い出しながらそう答えてくれた。
そうか、割とあり得るように思っていたけど前例は無かったようだ。ちゃんと顔を見合わせながら話すのが基本的なコミュニュケーションな訳だし、声だけで会話をする事自体が考えの外にあるのかな?
『僕の居た世界ではそれが当たり前の事だったんだ。例えば君が村を回って仕事をしている時、家にいる僕と仕事をしながら話をしたりね。最近じゃ声だけじゃなくて顔を見ながらも話せるようになっていたよ』
『本当?』
僕の話に、彼女は目を輝かせて食いついてきた
『どのくらい遠くの人と話せたの?』
『どのくらいかー…』
聞いてくる彼女の表情はまさに興味津々といったもので、こんな彼女を見たのは初めてだ。
折角なのであちらの技術の凄さを分かりやすく説明してあげたい所なのだけど、いざ説明しようとすると意外なほど難しいという事に今気づいた。この村以外を知らないであろう彼女に、地球の裏側とまで会話出来る通信技術をどう説明すればいいのやら。何かこの村からも確認できる遥か遠くのものといえば…。
『空にある月…あそこくらい遠い場所とも話す事が出来たはずだ』
『月?本当に…?あの月に居る人と話が出来たの?』
信じられないといった表情で彼女は外に飛び出していった。僕もそれに続いて外に出ると、彼女はもう暗くなりつつある空にある月をじっと見つめていた。久々の月見が出来るなと、僕も並んで月を眺め始める。
少しして、彼女は僕の腕をつかんで注意を引いた。僕が彼女の方へ向き直ったところで。
『じゃあ…あそこに旅立っていくお母さんとも、話が出来たりするの?』
すがるような顔をして聞いてくる彼女に、僕はすぐに答える事が出来なかった。
そうだった…この村の風習によればあの月には死んだ人が居て、この村の事を見守ってくれているという考えなんだ。僕の言ったような例えなら、それに期待してしまうのは当然の事なのかもしれない。
『…それは出来ない。僕の世界でも、死んでしまった人とは話す事は出来なかった』
『…そう』
落胆する彼女の顔に罪悪感が湧く。ただ遠くにあるという事で月を引き合いに出すべきでは無かったのだ。
カンカンカン
仕事終わりを告げる鐘が鳴る。彼女はその鐘の音を聞いて、その表情のまま家に戻ろうとする。
『でも』
それを、僕は声を上げる事で引き留めた。彼女の顔がまた僕の方を向く。
何を言うべきか考えていない見切り発車の言葉だったけども、このまま暗い顔を彼女にさせたくなかったのだ。
『話す事は出来なくても、伝える事は出来ると僕は思う』
僕の放った根拠の無い希望に、彼女は少しだけ反応をしてくれた。
『僕が変な事を言ったせいで君の気を落としてしまってごめん。でも…君がそんなに元気が無かったらお母さんは安心して月に旅立てないし、月に行っても君が心配で安心して見守る事が出来ないと思う。
魔法はイメージが大事だって言ってたよね?なら無理だなんて思っていたら出来る事も出来ないt思う。僕はしっかりと魔力が貯まってきたら、異世界に居る家族に向けて「自分は無事に生きている」っていう言葉を魔法で送りたい。君も、月に行ったお母さんが心配しないように「元気だよ」って送ってあげようよ?』
『…うん。貴方にも、心配を掛けてごめんなさい』
彼女の申し訳なさそうな顔に対し、僕は笑顔で応えてあげた。そうして僕はもう一度視線を月へと向ける。少ししてチラリとだけ隣を見ると、彼女も月を見上げていた。これがこの世界に来て初めての月見だった。久々にやった、家族と一緒の月見だった。
――――――――
その日の彼女は、少しいつもと違って見えた。仕事に行く前も、食事をする時も、そして帰って来た時も。どこか険しい顔を、ときおりのぞかせていた。
カーン
いつもと違う鐘の音が鳴る。仕事終わりの鐘が鳴り、やや重い雰囲気での食事が終わって少し経った頃だ。
普段なら、食事の後は食器の片付けや寝る前の準備をしてすぐに寝に入る。しかしこの日、歯を磨いたり体を濡らした布で拭いたりと寝る準備はしたものの、彼女はベッドには入らないで椅子に座って祈るようなポーズで目を閉じていた。
『昼と夜の境目に、死者は月へと旅立っていく』と彼女は言っていた。多分これから、歌手による葬儀が行われるのだろう。彼女の表情が険しかったのも、寝ずに祈るようなポーズを取っていたのもそういう訳だ。
『…送りが始まるわ、行きましょう』
そう言って立ち上がった彼女に従い、玄関から外へ出る。外はもう真っ暗で、彼女が配置したのであろう光の玉が夜道を照らしていた。鐘の音を聞いて出て来たのか、他の村人も皆同じ方向へと歩いて行く。光の玉はまるで提灯の様で、盆や縁日などの夏祭りを思い出させた。
詳しくは分からないけど。それらの祭りが賑やかに行われるのに対し、この村のそれはしめやかに行われるもののようだ。村人の表情は皆粛々としていて、これから行うのは葬儀なのだというのがひしひしと感じられた。
そうして辿り着いたのは、今にも日が沈みかけている山が見える広場だった。村の周囲は森とは言わないまでも木が立ち並んだ林になっていたはずなので、多分村の外の平原のような所なのだと思う。こんな事なら明るいうちに村の周辺がどんな地形なのか確認しておけばよかった。
空にはほぼ満月の月も輝いていて、囲うように配置された光の玉と共に広場を照らしている。その中心にはまるでキャンプファイアーのように薪な積まれていて、見えにくいけどその中には木で出来た箱があった。
(あれは…恐らく、彼女の)
村の人達は光の玉に沿うように、中心からは少し離れた場所に円形に並んでいく。彼女はその円から少し内側に立っていたので、僕もそれに付き添うように立つことにした。サクサクという人が草を踏む音が消えていって、次第に静寂が広がっていく。
そうして、聞こえるのが風にさわめく木の葉と草の音だけになった時。村の方から二人分の足音が聞こえて来た。
(多分村長さんと、歌手の人かな?)
二人はそのまま僕と彼女の脇を通り、広場の中央へと歩いて行く。すれ違った時に気付いたけど、村長さんは火の点いた松明を持っていて、歌手の人は普通ではない衣装を身にまとっていた。派手な色をした腰巻以外に衣類は身につけず、裸の上半身と顔には白に近い染料で模様のようなものが描かれている。不思議とどこかで見たような気がする模様のような気がしたけど、僕は思い出すよりも先に村長さんは声を上げた。
『今回の昼の時に、村人の一人が息をひきとった。魔法使いであった彼女は村を支えるために尽力し、村と共に生きてきた。彼女が次に向かうのは、常に私達を見守り続ける月である。
月には豊かさがあり、快楽があり、安息があり、永遠である。かつて旅立っていった先人と共に、彼女もまた永遠に私達を見守り続けてくれるであろう。しかし月までの旅路は遠く険しいものでもある、それを私達は助けよう。
原初の言葉で送り出そう。その言葉は道標となる。その言葉は月まで届く。歌え歌え、彼女が月へと辿り着くまで』
村長さんの語った、死者に対する言葉を理解する間もなく。
「おおおおおおおおぉぉぉぉ!」
歌手の人の雄たけびが、本当に月まで届くほどに響き渡った。
「ああぁ!おおぉ!うあぁ!ああああぁ!いぃえぇ!」
それはただ叫んでいるのではなく、紛れもない「歌」だった。
この世界の会話は、意思を伝える魔法によって成り立っている。それは僕からすれば機械の合成音声のようなもので、違いは男女の声が判別できるぐらいだ。当然、人と人とのコミュニュケーションにおいて大切な、感情というものが非常に伝わりにくい。それを補うため、この世界の人達は豊かな表情と、それをお互いに見せ合うという文化を作り上げてきた。
その結果、この世界の人々の声帯というものは著しく衰退していく事になる。彼女と交わした何気ない会話。その一つに僕と彼女の「魔法を使わない声」というものがあった。声帯が未熟なこの世界の人達は、魔法を使わなければ「あー」とか「うー」等の赤ちゃんのような声しか発する事が出来ない。普段そんな声が聞こえないのは、その声に乗せる形で魔法を使っているからのようだ。イヤホンで音楽を聴いていると、周りの音が聞こえにくくなるのと同じようなものだろうか?
そんな背景があったため、彼女は最初僕の事を歌手なのかと勘違いをしたのだという。確かに魔法を使う事無く、赤ちゃんのような声以外の「音」を口から発する僕をそう勘違いするのは理が通っている。この世界で生の声を大事にして、喉を鍛えているのは歌手の人だけだ。すぐに僕が魔法が使えないだけの異世界人と分かり、すぐにその誤解は解けたものの。その時点で母親を亡くしたばかりの彼女からすればさぞ驚いた事だろう。
「おおおぉ…おぉー!」
歌手の声に酔いしれていると、いつしか歌手の前で大きな炎が踊っている事に気が付いた。火の粉と煙が空に立ち上って消えていく、彼女の母親もそれにのって月まで昇っていくのだろう。
「う…ぐすっ…」
歌手の声が響く中、僕の耳は小さな泣き声を捉えていた。きっとどんなに騒がしい中でも、僕は彼女のその声を聞き逃す事は無いだろう。だって僕は、彼女の家族だから。
「…あ」
僕は後ろから、首に両腕を回して抱きしめた。彼女は小さく声を上げた後、僕の腕に手を重ねて力いっぱい握りしめてくる。
「ううぅ…ううぅ」
意思を伝える魔法と、お互いの表情。この世界での基本的なコミュニュケーションも、今この場には要らなかった。僕は優しく彼女を抱きしめて、彼女は僕をよりどころにする。彼女の母親は、歌手の歌によって月へと旅立っていく。例え魔法を使わなくても、人はこんなにも繋がれる。
「うおぉー!おおぉー!」
炎と同調するように歌う歌手。そしてその炎も、徐々にではあるが収まりつつあった。
「ああああぁぁぁぁ…」
ひときわ大きな咆哮が、徐々に小さくなっていく。その咆哮は炎が消えると同時に途切れ、広場にはまた静寂が訪れた。
パチパチパチパチ
少しの余韻の後、広場に一人分の拍手の音が鳴る。光の玉に照らされた村人達の顔が、一斉に音の発生元…つまり僕の方を向く。
僕は余韻の間、彼女が泣き止んでいるのが判ってから。彼女から腕をほどいて、歌手に向って拍手を送っていた。歌手は一人で拍手をしている僕の事を、不思議そうな顔で見つめている。
『これは、僕が以前住んでいた場所での風習です』
少しだけざわつく村人を気にせずに僕は続ける。
『これは自身が感動したもの、感銘を受けたもの、素晴らしいもの、偉業を達成したものに。惜しげのない称賛を与えたいと感じた時にするものです』
歌手の人の顔に、驚きの色が見える。
『歌手の人…あなたの歌は本当に素晴らしい物でした。僕は今まで生きてきて、これほど心に響く歌を聞いた事がありません。僕は魔法使いの見習い、魔法使いの家族です。ならば、送られていった魔法使いの母は僕の母親も同然。歌手の人、お母さんの為に最高の歌をありがとう。お母さんはきっと良い旅路の果てに月へと辿り着けたはずです』
僕の言葉の後。僕の隣から拍手の音がし始めた。
『ありがとうございます。お母さんの事…ありがとうございます』
僕と彼女のしていた拍手は、そこから伝播するように村人全員へと広がっていった。村人数十人による拍手は全て歌手へと注がれて、それを受けた歌手は目から涙を流しながら。
「おおおおぉぉぉ!」
と大きな雄たけびを上げた。
そう、魔法を使わなくても。感動はというものは全てを超えて繋がっていくんだ。