あの一件から数日が経過した。
私が意識を失った後、天龍さんや潮ちゃんら数人が、司令官を治療室へと運び出し応急手当を施した。結果、司令官は何とか一命を取り留めた。
幸い、鎮守府から数キロ圏内で十分に処置が可能な病院が数件確認された為、泊地の憲兵によって司令官は直ちに病院へと搬送された。
その後、司令官は泊地へと無事に帰され、現在は私たちが身の回りのお世話を担当している。
「司令官…まだ目を覚まさないんでしょうか」
私は今、食堂にて昼食を取っている最中である。
隣には潮ちゃんと夕立ちゃんがちょこんと座って、私と同じく昼食を取っている。
「…き、きっと、大丈夫ですよ!お、お医者さまも、安静にしていれば大丈夫だって!…きっと…。…提督」
潮ちゃんは初めこそ確信を持って『大丈夫』だと言いきるが、まだ不安が残っているのか段々と声が小さくなっていく。
「…てーとくさん」
夕立ちゃんは野菜が盛られたお皿を見つめながら、そっと司令官の事を心配していた。
夕立ちゃん…ずっと司令官の事を心配して…。
実は、司令官が病院へと搬送された日から夕立ちゃんの様子がどこかおかしいのだ。
主に私と潮ちゃんが司令官のお世話をしているのだが、夕立ちゃんは司令官から距離を取って治療室の窓からじっと様子を見つめていた。
ーそれが毎日。
この佐伯湾泊地で夕立ちゃんだけが唯一、あの優しい司令官が戻ってくる事を信じて地獄の日々を過ごしていた。
いくら司令官から罵詈を浴びせられようが、どれだけ暴力を振るわれようが、夕立ちゃんは目に涙を浮かべながらも元の司令官が戻ってくる事を信じていた。
まだ司令官が優しかった頃、私と夕立ちゃん…今はここには居ないが、睦月ちゃんの3人はよく司令官と遊んでいた。
海沿いで追いかけっこをしたり、小さなカラーボールを投げ合ったりもした。
…あの頃は本当に楽しかった。
特に夕立ちゃんは司令官の事を一番好いていた。
…『懐いていた』と言った方が合っているのかもしれないが…。
いつも「てーとくさん!夕立と遊ぶっぽい!」と言って、執務室で作業をしている司令官の膝の上で、小犬のようにゴロゴロと動き回っていた。
司令官は、「困ったな〜」と言ったような表情で夕立ちゃんの頭を撫でながら作業を続けていた。
ーこれが本来の『佐伯湾泊地』
「夕立ちゃん!大丈夫だよ!司令官を信じよう?…ほら、私の竜田揚げ!分けてあげる!これで元気だして!…ね?」
私は夕立ちゃんを少しでも励まそうと、今日のメインである竜田揚げを分けてあげる。
すると、夕立ちゃんに少しだけ笑顔が戻る。
「…ありがとうっぽい!」
お礼を言いながら、夕立ちゃんは竜田揚げをこれでもかと言うくらい頬張ると「ん〜!美味しいっぽい〜!」と言って私にとびっきりの笑顔を見せた。
ー司令官…大丈夫かな。
私が一番、司令官の事を心配しているのかもしれない。
私たちが昼食を食べ終わる頃、一番奥の列に座っていた五航戦の瑞鶴さんが椅子をガタンッと鳴らしながら立ち上がってこんな事を言った。
「翔鶴姉ぇ!やっぱりアイツは信用ならないわ!」
そう言って瑞鶴さんは、机を叩きながら姉である翔鶴さんに訴える。
一方で翔鶴さんは、瑞鶴さんに落ち着いてもらおうと必死で宥めていた。
「まぁまぁ、落ち着きなさい瑞鶴。…こんな所で怒っていても何も変わらない。…でしょ?…今は、みんな混乱しているはず。…私だってそう。…まだ実際には会っていないけれど…あの提督が…」
翔鶴さんの言う通り。
ここに居る皆、この現状に混乱しているのだ。
あの怖かった司令官が、あの憎たらしい司令官が…
ー前の司令官に戻るなんて。
誰もが予想していなかった事態に今、私たちは直面している。
「…翔鶴姉ぇも、アイツに数え切れないほど酷いことをされたでしょ?…だったら!」
皆、不安や怒りを募らせているのだ。
信頼していた人に裏切られ、貶され…挙句の果てには捨てられ。
…仲間を失い、次は自分の番だと。
皆、常に恐怖と隣り合わせで生きてきた。
「…確かに、今の提督はどうか知らないが…、俺たちが受けたこの傷跡は…辛い記憶は…一生無くならない」
私たちの後ろの席に座っていた天龍さんがザッと立ち上がり、この食堂に居るみんなに聞こえるよう、こう呟いた。
「…みんな、あの時の提督の言葉、覚えているか?…『お前達は俺の大切な家族だ』。…まぁ、殆どの奴は忘れたかもしれねぇが、アイツはそう言った」
天龍さんの一言で、今ここに居る全員が顔を下に向けた。
…『大切な家族』。
「アイツはそう言って、俺たちを裏切った。…結局はアイツにとって、俺たちはただの道具に過ぎなかったってことだ。なぁ、雪風?」
そう言って、天龍さんは隣の席に座っている雪風ちゃんに呼びかける。
雪風ちゃんは、一瞬ビクッと肩を動かして下を向いたまま目に涙を浮かべる。
「みんなも分かっているとは思うが、こいつの姉妹は全員!…アイツによって解体された。…陽炎、不知火、親潮、早潮、天津風、時津風、浦風、磯風、浜風、谷風…10人だ。…何故あいつらが解体されたと思う?」
皆、その理由はもう既に分かっていた。
…聞かなくとも、私たちはこの目で見たのだ。
「そう!…アイツは自身の私利私欲を満たすためだけに、こいつの姉妹に手をかけた。…なぁ、何処に自分の家族に手をかける奴がいるのか?…何処に自分の家族を解体する奴がいるのか?」
天龍さんの言っている事は事実だ。
私もこの目で、実際に見てしまったのだ。
あの優しかった娘が…、あの元気いっぱいだった娘が…。
…目の前で解体されるところを。
「俺はあの時、どんなに悔しかったか…。目の前であいつらが解体される姿を…。俺らは見ているだけで、何も出来なかった!」
「…ひぐっ、…っ!…ひっ」
ガタッ
突然、隣に座っていた雪風ちゃんが泣き始めたと思えば、椅子から立ち上がりそのまま逃げるように食堂を去っていった。
厨房でこれらの話を聞いていた間宮さんも、出ていった雪風ちゃんの後を追うように食堂の扉を開けて出ていってしまった。
「…天龍、あなた少し言い過ぎでは?」
先程まで、同じく話を聞いていた加賀さんが天龍さんに注意を促す。
「ふんっ…俺はアイツの事なんざ信頼なんかしちゃいねぇぜ?…あんたと違ってな」
天龍さんは加賀さんの注意をそのままに、腕を組みながら加賀さんを睨む。
加賀さんは、少しの間自身の胸元を見るとこう呟く。
「私が信頼しているのは、今の提督。…天龍、あなたは過去の提督に囚われているんじゃないかしら?」
そう言って、加賀さんも天龍さんを睨み返す。
そして…
「あの時、…何故あなたは提督の事を助けたの?…私が提督を殺しかけた時。…何故あなたは必死で、提督の名前を呼んでいたのかしら?」
「!?」
加賀さんの一言に天龍さんは一瞬たじろぎ、こう返す。
「…あ、あれは提督が…!…っく」
すると、天龍さんは「…ふんっ」と鼻を鳴らして急ぎ足でその場から立ち去ってしまった。
…食堂内に流れる一時の静寂。
加賀さんはそのまま元の座っていた場所まで戻ると、普段と変わらない表情で食事を再開する。
それにつられて、周りの者たちも全員行動を再開する。
五航戦の瑞鶴さんは、流れる雰囲気に気まずくなったのか残りのおかずを急いで食べ終えると、そのまま厨房へ食器を戻し食堂を後にする。
私は今の提督と過去の提督…どちらに囚われているんだろう。
***二ヶ月後***
あの後、司令官は無事に目を覚ました。
一時はもう目を覚まさないのかと不安に苛まれていたが、体は思ったよりも元気そうで私も潮ちゃんも、そして夕立ちゃんも少しだが安堵の表情をよく見せるようになった。
しかし、司令官は精神面で少し不安が残っている。
ーある日、司令官が私に向かって今の佐伯湾泊地において確認が可能な『艦娘の数』を報告して欲しいと頼んできたのだ。
…私は一瞬、報告すべきかしまいか、躊躇ってしまった。
何故なら、報告次第で司令官をさらに苦しめてしまうのではないかと不安がよぎったからだ。
しかし、司令官の命令であれば報告するしかない。
私は、正直に現在の数を報告した。
ーそして、司令官は報告を聞いてこう呟いた。
「それも全て…俺の…」
私は後悔した。
やはり報告すべきでは無かったと。
その日から、司令官は何処か遠くを見つめる事が多くなった。
…私もまた、そんな司令官を見て不安に感じることが多くなった気がする。
ーあの時のような笑顔をこの目で見られるのは、まだ遠く先の未来になりそうだ。
現在、私と潮ちゃんは間宮さんが作った食事を司令官の居る執務室まで運んでいるところだ。
この二ヶ月間、司令官はまだ治りきっていないその身体で、この佐伯湾泊地の数人に謝罪の意とその償いを誓った。
しかし、それらの殆どは聞く耳を持たれず、返答すら得られなかった。
それどころか、司令官が殺されかけた場面もあった。
瑞鶴さんが司令官に向けて艤装を展開し、爆撃機を射出する寸前でリミッター制御装置が作動したこと。
その後も瑞鶴さんが司令官に襲いかかろうとした為、同室の翔鶴さんと共に瑞鶴さんを取り押さえたことで、その場は事なきを得た。…が。
去り際の瑞鶴さんの一言で、司令官はさらに暗い顔を見せた。
「私たちの前から消えてっ!…アンタの顔なんか見たくないの!…全部…アンタの…!アンタのせいだ!」
ーその時、私の記憶の中で何故か、司令官と瑞鶴さんが何処か楽しげに言い争っている場面を思い浮かべた。
『あ”ーー〜!ちょっと提督さん!これ、私が楽しみに取っておいた間宮さんの特製パフェでしょ!?…なに勝手に食べてるのよ!』
『…でもお前、今日寝坊したじゃん?…それは仕方ないとしか。…ん〜相変わらず間宮が作った特製パフェは美味しいなぁ〜』
『うふふ…それは良かったです。提督』
『…ぐぬぬ。…今日は仕方なかったの!昨日の哨戒訓練と演習で疲れてたの!…ていうか提督さんもいつも寝坊してるでしょ!?…あっ、ちょっと全部食べないで!…私の分も残しといてよ!』
『ね、寝坊はまぁ、仕方ないとしか』
『さっきから仕方ないばっかり!…コノヤロウ!』
『お前も仕方ないって言ってた…あっ痛い!瑞鶴!痛いから!…助けて吹雪!』
『…自業自得ですよ。2人とも…』
ーそれも今ではいい思い出…か。
そんな事を思いながら、私は今の司令官と瑞鶴さんを見る。
…何故こんな事になってしまったのだろうか。
司令官は歯を食いしばり、今にも泣き出しそうな表情をしていた。
きっと、過去の瑞鶴さんと今の瑞鶴さんを重ねているのだろう。
…ここまで変わってしまった。
ー何もかも。
コンコンコン
執務室の扉をノックした後、「どうぞ」と返事が聞こえてから入室し、私は元気よく食事を持ってきたことを伝える。
「司令官!昼食を持ってきました!」
見ると司令官はちょうど書類を片付け終わったようで、加賀さんにお礼を言いながら此方にも目を配った。
そして司令官は「ありがとう」と言いながら、今日の昼食を受け取る。
「あ、あの提督…こ、これも、どうぞ!」
私が司令官に食事を渡すと、潮ちゃんも続いてグラスに入った牛乳寒天を差し出す。
「ほう…牛乳寒天か」
「は、はい!」
司令官は潮ちゃんからグラスを受け取ると、少し頷いて何処か嬉しそうな表情を見せる。
…司令官、間宮さんが作った食事を楽しみにしてたのかな?
最近は、間宮さん本人から頼まれて司令官へ持っていくようになった。
何故、間宮さんが突然食事を作り出したのかは分からないが。
…多分、間宮さんも司令官の事が気になるのかな。
ーその後、司令官は静かに「…いただきます」と言って食事を始める。
こう見ると、司令官は本当に間宮さんの料理を美味しそうに食べる。
…確かに、間宮さんが作った料理はどれも絶品である。
もしかすると、以前の司令官が間宮さんの料理をいつも楽しみにしていたから、だから間宮さんもそれを知っていて、こうして作っているのかもしれない。
「…美味い」
ーその後も、司令官は間宮さんが作った食事を堪能し、牛乳寒天を何処か懐かしそうに食べるのであった。