保健室のきゅうり   作:へびのあし

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✳︎物語のあとの後日譚:鶯色の風吹くtomorrow

雨森修は緊急の出張を終えて、急いで雄英高校へ戻ってきた。

やるべき仕事はまだまだたくさんある。保健室の戸をガラリと開くと、そこにはいつものように緑谷豆子がいた。

 

「きゅうり先生、お帰りなさい!」

「はい、ただいまー。…あれ?豆子さん、今日はやけにうきうきしてるような…」

 

何か良いことでもあった? と続ける修に、豆子は悪戯っぽい笑顔を向ける。

 

「実はですね……ジャジャーン!」

 

豆子が、後ろへ隠し持っていた一枚の紙を前に出す。ぴしいっと広げて、修によく見えるようにした。

 

「これ見てください!“体育祭に向けて:有志による女子チアダンス、配置図“ です!」

 

瞬間、うわあ懐かしい!と雨森修が声を上げた。

 

あれ僕らの代の男子のちょっとした悪戯(女子をだましてチアガールの格好をさせる)が始まりだったはずだけど、もうすっかり伝統なんだね……って、あれ?」

 

唐突に修がいぶかしげな表情をする。

 

「最前列中央に緑谷豆子さんの名前が?もしかして踊り結構上手だったり…っていうか、え、これ決めたの今さっきだよね?!…つまりそのために今日は保健室の席を外し……え、出席?もしや出席したの?」

「はい!」

 

緑谷豆子は、透き通るような鶯色のボブカットを照れ隠しのように撫でながら、嬉しそうに笑った。

 

 

「いや〜、びっくりさせたかったんで、親とかきゅうり先生には内緒にしてたんですけど…。今日は授業出るってこと、雷香ちゃんみたいに仲のいい友達には事前に話したりもしていて」

「そうなんだね…うん、いやびっくりしたよ。すごく驚いた」

 

修が複雑な表情で、頭をかいた。

 

「……その、こんなこと今更聞いても意味ないけどさ。…大丈夫だった?」

「全然大丈夫だったです。むしろ今まで、なんで行けなかったんだろうって」

 

それを聞いて、雨森修は白髪に纏われた色白の顔で、幸せそうに微笑んだ。くしゃくしゃっと、泣きそうに顔を歪める。

全てを包み込む、まるで孫を守るお爺ちゃんのような温かい表情。

ややあって。修ははあっと息をつく。

 

「そういうことってあるよね。さんざん苦しんだ悩みの種を、時間がいつの間にか解決してくれる」

「はい。きっと、私にとって、今日がちょうど良い時期だったんです」

 

いま、雨森修は、直感していた。

豆子が彼を心の拠り所として頼るのは、今日が最後。

多分彼女はこれから、クラスメイトと手を繋いで上へ駆け登っていく日々を送り出す。

 

…そして。

 

「あの、きゅうり先生、ひとつ聞きたいこと…聞いてもいいですか?」

 

豆子も、おそらく同じ気持ちを感じていた。

今しか聞けないと思ったこと、今を逃せば一生後悔するだろうと思ったことを、聞く。

ずっと知りたくて、でも中々言えなかった。

その目は真剣だった。

 

「先生にとって……学校って、ヒーローって、何だったんでしょうか? 」

 

ん?と雨森修は首を傾げる。

質問が抽象的で、どう答えればいいかわからない。

少し迷いの表情を見せる修に、豆子は、「あの!」と勇気を出して言う。

 

「私の家に、だいぶ前に出版された、雄英高校の変遷記があるんです。その、卒業生全員のインタビューに……きゅうり先生も答えていて。…USJ襲撃事件について。1年生の時に演習場にヴィランが攻め込んだUSJ襲撃事件。そこに書いてあったことが、私にはすごくショックだったんですけど…」

 

伏せられた修の目に、少し昏い光が宿った。修はややあって、口を開く。

 

「うん、あれは世間にも衝撃を与えた事件だよね。今はドラマ性があるってことで別の意味で有名になっちゃってるけど。———豆子さんが言ってるのは恐らく、“脳無“ のくだりかな」

 

豆子は勇気を出して聞いたものの、緊張で冷や汗をかいていた。

この質問をするということは、雨森修の心に大きく傷を残した過去に踏み込むことと同義。そう思うと、声が尻すぼみに小さくなる。

 

「っ…はい、でも、そのあの……あまり話たくないことだったら、答えなくて大丈夫ですっていうか…」

「大丈夫だよ」

 

豆子が驚いて顔をあげると、雨森修は、穏やかな微笑みを浮かべていた。

ふうー、と静かに息をついて、ゆっくりテーブルの方へ歩き出す。豆子に椅子を勧め、自分も反対側の椅子へ腰掛けて、二人向き合うような格好に落ち着いた。

 

修は、豆子の目を見ながら、静かに語り出す。

 

「僕は10歳の冬、母をヴィランに拉致されたんだよね。それが“脳無“なんていう訳わかんない悪の改造人間に宿る個性になって、5年ぶりに僕の目の前に現れた。しかもそれは、僕が初めて目にした本物のヴィランだった、と」

 

雄英高校の、ヴィラン襲撃事件。

世の中に大きな衝撃を与えたその事件。

雨森修の心には、ことさらに大きな爆弾のような衝撃をもたらした。

 

「……うん、色々考えたよ。カッと頭に血も上ったし、ヒーローって何だ、ヴィランって何だ、そもそもこんな個性が世界に存在するから、みんな不幸になるんじゃないかって、そりゃあもう色々と」

 

雨森修は、ここで一息入れて、目を伏せた。

「“雄英高校変遷記“ にも、この辺のことは書いてあったと思う。——それで、“結局僕は、治癒ヒーローとして人を助けるために生きると決意して、それで一応落ち着いた”——と。」

 

豆子は、目を伏せたまま必死に言葉を紡いだ。

「……はい。ただ私、どうしたらそんなにすぐ心を整理できたのか、わからなくて。人って一時は吹っ切れたように思っても、しばらくするとまた迷いや悩みが湧いてくるものですよね。でも先生は、それから何が起こってもブレなかった。ヒーロー全部が後ろ指さされるような時代がきても、ただひたすらに仲間たちの間を飛び回って治療を続けていたと聞きます」

 

「そうだね。他のことを考える余裕もなかったってのが、正直なところかな。1年生の体育祭の頃から先は、事件続きで命に関わるような怪我ばっかり発生して。ヒーロー殺し“ステイン“ が保須市で暴れ回ってくれたお陰で対応に追われて、体育祭にすら出られなかったし。職場体験、林間合宿、インターンのヴィラン襲撃。っで、いつの間にやら戦争勃発……もう本当に流血事件多すぎて、いつの間にかリカバリーガールのサイドキックみたいになってた」

 

「す、すごい壮絶な青春時代?!」

 

「うん」

 

でもね…と雨森修は続ける。

 

「今話したのは建前」

「え、でも…」

 

困惑する豆子に、修は柔らかく微笑む。

 

「僕はやっぱり何度も迷ったよ」

「………」

 

「そう、それはメディア媒体では話したことがない。ヒーローたるもの、本気で無辜の市民を守ろうと働いている……その信頼に背いて、僕は瀕死の怪我人を目の前に治療をためらったり、胸の中でヒーロー社会や学校の在り方に疑念を抱いていたりしていた。これは単なる精神的ショック故の一過性の悩みじゃない。これを表にするようなことは口が裂けても言えないと思ったから。ただ——」

 

雨森修は、水色の羽織のコスチュームの裏側から、銀色に光る何かを取り出した。

それは小さなコインのようだった。

美しい。

キラキラひかる宝石のようにも見えてしまう。

 

丸い金属片には、美しい絵が描かれていた。白い砂浜に、お砂糖のようにまぶされた水色の粒ビーズ。煌めく星屑の夜空と、真ん中には可憐な赤い薔薇。それら全部が、親指に乗るくらいの小さなコインに描かれている。有名な銀細工師の作品かとも思えたが、なぜそんなものを彼が見せるのか、豆子にはわからなかった。

 

「これ、僕の元クラスメイトで現お嫁さん、芸術ヒーロー・スケッチブックが学生時代、クリスマスにプレゼントしてくれたものなんだ」

「あぁ…確かにあのスケッチブックの作品なら納得……って、え?お嫁さん!?きゅうり先生と? あの天才的芸術ヒーローと?」

「………ちなみにこのコインの出どころは、君のお父さんのデク」

「もっとびっくり!っていうかなんで?」

 

悪戯っぽく目を細める雨森修。

彼は、豆子の質問には答えずに口を開いた。

 

「僕のそばにはね、たくさんの仲間がいてくれたんだよ。一緒に悩んで、本気で僕のことを心配して。それはもちろん友達だけじゃなくて、先生方とか、ヒーロー活動中に出会った方々とか。警察の方にも、昔からの知り合いの人がいる。……だから」

 

修は、大きく息を吸う。

 

 

 

「僕は迷っても、必ず戻ってこれたんだ」

 

 

 

 

 

夕暮れ時の保健室。

赤いマーブル模様を彩る部屋の空気は、いつもと同じで、そしていつもとは違った。

溢れおちる涙を手で頑張って拭う緑谷豆子。

風に吹かれる髪の毛以外、ブロンド像のようにピクリとも動かずに椅子に座る雨森修。

 

 

静かに、豆子が椅子から立ち上がった。

雨森修も、続いて立ち上がる。

 

 

トコトコと豆子が保健室のドアまで歩いていって、そして振り返った。

その顔は笑っていた。

 

「そういえば先生。ひとつだけ聞きそびれたことがあります」

「何かな?」

 

雨森修も、穏やかに微笑む。

 

「———きゅうり先生って、なんでヒーローネーム“リカバリー爺さん“ にしたんですか?」

 

そう聞かれた瞬間、雨森修はキョトンとした表情になった。

 

「あれ、メディアにインタビュー受ける時は必ず答えてるはずなんだけど……もしかして知らなかった?」

 

普段、修がなかなか見せない戸惑いの表情。

豆子は吹き出したいような気持ちを抑えて頷いた。

 

「少なくとも、私の仲の良い友達に知ってる人はいないです」

 

そんなあ、とがっくり肩を落とした修は、すぐに気を取り直して顔を上げた。一緒にきゅうり葉も元気にぴんと立った。

 

「僕が目指したのは、みんなを完璧に安心させられる治癒ヒーロー。リカバリーボーイじゃぁ駄目なんだ。名前を聞いただけで絶対大丈夫だと思えるような信頼できる人物。だから、“爺さん“ を選んだ。———リカバリー爺がきたよ、そう言って、安心させるために」

 

「…実年齢とのギャップで、患者が笑い出して元気になっちゃいそうですね」

「いや、それを目指したわけじゃ……」

 

うふふ。

本当に幸せそうに、豆子が笑う。

雨森修も、眉を下げながらも嬉しそうな表情だった。

 

「それじゃあきゅうり先生、さようなら」

「リカバリー爺だよってたった今———もういいや。うん。…困った時はいつでもおいで、歓迎するよ」

「はい! 今までありがとうございました」

 

 

緑谷豆子が、ゆっくりと。しかし確かな足取りで扉の向こうへ消える。

しばらくして。

雨森修は、心臓に手の平を当てて目を閉じた。

 

人生に、乗り越えるべき受難は多い。

時々人は潰れてしまいそうになる。

けれどきっと、大丈夫。

 

周りが支え、迷える羊は自分を見つけ、いつかかならず日は昇る。

 

 

「……ありがとう」

 

 

それがいったい何に向けた言葉だったのか。

それは誰にも分からない。

 

けれども一つだけ確かなことがあった。

 

 

雨森修は、夢を叶えて、治癒ヒーローになった。

戦乱の時代を生き延びて、たくさんの人の命を救った。

 

しかし、10歳の時に抱いた夢は、少しずつ形を変えていった。

誰にも守ってもらわない、そんな強さは必要ない。

誰かに守られっぱなし、それもちがう。

 

 

 

 

みんなで、助け合う。

 

 

 

 

窓のカーテンを煽り上げ、夕方の涼しい風が吹きこむ。

雄英高校の保健室が、一気に、初夏の雨と若葉の香りに満たされた。

 




これにて完結です。
この作品を『面白い』と言ってくれた方、誤字報告をしてくれた方。そして何より、この作品に興味をもってページを開いてくれた方々。本当にありがとうございました。

またいつかお会いしましょう!
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