保健室のきゅうり 作:へびのあし
おばあちゃんはリカバリーガールで、母さんはハイ・ヒール・ガール。
僕が自身の特異性をはっきりと自覚したのは、十歳の時だった。
その年の冬は、珍しく東京に雪がふった。
近所の友達とはしゃいで。真っ暗になるまで雪合戦をして遊んだお正月。僕と同じ個性をもつ母が誘拐された。
慌ただしく僕の家を出入りする警察やヒーローたち。マスコミを玄関先で押しとどめるスーツの男の人。
夕ご飯に食べた黒豆とかまぼこ、数の子と伊達巻は冷たかった。
あたりまえの幸せな毎日が崩れて。女手ひとつで育ててくれた母さん、そのたった一人の家族を失って。
僕はようやく気づいたのだ。
近所の中でただ一軒、この家にガードマンが常駐していたことの意味を。
世界中が羨む希少な一族であることの困難を。
個性『治癒』
この遺伝子を受け継いだ僕。そう、僕の運命なんて、初めから全部決まっていたのだ。
母さんは死んだ。
命は無事かもしれないけれど。
拉致された先で、もしも人を傷つける敵の治療を強制させられているのなら。もう、お医者さまとしての母さんは死んだ。
冷たい木枯らしが吹き付ける。
ぼんやり家の玄関を出た僕の肩に、ふわりと羽織が被せられた。思わず顔を上げる。
「雨森修くん。大丈夫、お母さんはきっと無事だ」
その声のあたたかさを、僕は一生忘れないだろう。
眼鏡の優しそうな警察官が、隣を歩きながら僕を見下ろしていた。
…塚内、と後に名乗ったその人は。僕を安心させようとしてか、どこか強張った笑顔で笑っていた。
「大丈夫。君も、これから暮らす公安の家では安心だ。たくさんのヒーローがヴィランから守ってくれる。ほら、俺って実は警察の中でもかなり特別でね、あのオールマイトにも会わせてあげられるかもしれない!」
オールマイト。
大人も子供も、みんなが憧れる存在。
この世界の圧倒的なNo.1プロヒーロー。
僕は、目を少し見開いて警察官を見上げた。
初めて反応を示した僕に、彼はほっとしたように言葉を紡ぐ。
「そうそう、俺はオールマイトの知り合いなんだ。すごいだろ?…公式にはできないけど、こっそり呼んでみることくらい出来るんだ!」
僕は、黙って彼の目を見あげた。彼はやはり懸命に笑顔を浮かべている。僕を保護すべき子供として、安心させるために笑っている。
…プロヒーローに守られて生きる。
それは恥ずかしいことでもなんでもない。
みんながそうやって、治安を保たれたまちで生きている。
だけど。
僕はもう知ってしまった。
自分の身も守れないようじゃ、人を守ることもできない現実を。
僕の父さんは、僕が物心つく前に友人との飲み会で倒れて、そのまま死んでしまったのだそうだ。アルコールに弱いのなら、酒を断固拒絶するする強さが必要だった。
母さんはしっかり者だったけれど、格闘術なんかはからきしだった。だから今日、ろくに抵抗も出来ずに誘拐された。
弱い人間は、結局誰かを傷つける。
僕は。
僕のやるべきことは。
僕の風に吹かれて靡く髪の毛は、真っ白。絡みつくようにして、緑色の蔓と葉っぱが生えている。
僕の個性は、両親のそれぞれが複雑に混合されて受け継がれた。
ありがとう。僕にこんな凄い個性を残してくれて。新しくできた夢を諦めずにすむ。
大丈夫、例え戦闘向きじゃなくても、平凡な人間がヒーローになれることを僕は知っている。
警察に手を引かれて公安の門をくぐった日。
それが僕の、治癒ヒーローとしての始まりの日だった。