保健室のきゅうり 作:へびのあし
原作に影も形もない新しいキャラクター、2人目です。
僕の毎日は、公安の一室で完結される。
ヴィランに狙われていると判明した僕は、安全のため地元の学校へは通えない。
だから専属の家庭教師が来て、一緒に勉強する。
普通の勉強と、そしてびっくり、ありとあらゆる人体構造や薬品の勉強。…これは、祖母のリカバリーガールと違って、僕は生き物の内部構造を把握していなければ治癒できないから。擦り傷ひとつ治すにしても、采配を誤ると深刻な事態になってしまうから大変だ。
だけど、練習するうちにだんだん上手くなってきた。
治す部位によって、卵や牛乳、ほうれん草やネギ、その他薬草もろもろ、即席の治療補助薬を調合するのもお手のものだ。
最近は粉薬にまとめて常時ストックするようにしている。逆にこういう類いのものを飲ませずに治療すると、患者の体内の栄養を使い切って疲弊させてしまうし、最悪死ぬ。
ちなみに新しい臓器をつくることもできるけれど、個性を発動して10分以上たつとどんどん壊死して膿がでてくるので、早めに解除しなきゃならないのが注意点。
それからうすうす気づいていたけれど、僕の頭に生えている葉っぱを食べると、効果が早く現れることもはっきりした。ちなみに味と香りはなぜかきゅうりで、見た目は朝顔の葉によく似ている。これを摂取させれば、僕が直接触れなくとも怪我を治せるので便利だ。
話は変わって。
学校どころか公園にも通えない僕は、ある日芸術の家庭教師が連れてきた女の子と仲良くなった。
少女の名前は
髪の毛がふわふわっと広がって、いつもベレー帽を被って笑っている。スケッチブックをかかえて目を閉じると、ショートケーキの夢を見ているお姫様みたいなかわいい子だ。
そんな彼女の個性は『変色自在』。彼女の半径一メートル以内の視認したものの色を、自由に変えてしまう。
一度なんかは、僕の髪の毛の色を突然ブルーに塗り替えられて大いに慌てた。すぐにもとの白に戻してもらったけれども。
そして。彩ちゃんは天才の絵描きだ。
「修くん、みてみて…?」
蝉の鳴き声うるさい夏の、ある蒸し暑い昼さがり。しばらく僕のベッドルームへこもっていたと思ったら、僕を引っ張ってきて目の前で得意げにドアを開けた彩ちゃん。その中の変貌ぶりに腰を抜かしたのは、人生後にも先にもない良い思い出だ。
部屋中の壁という壁にはおいしそうなバースデーケーキが飛び出していて、天井には『ハッピーバースデー』の横断幕。地面はお花畑だった。バラやらイチゴやら水仙やら、季節混合めちゃくちゃに生えた植物群の上に尻餅をついて頭が真っ白に…!と思ったら、なんとそれらは全て絵だった。彩ちゃんの個性が描いた絵。
影やら光の反射やら、全て忠実に再現したスーパーリアリズムの描画だったのだ。
純粋に驚いた。虹色のりんごとか、溶けたオールマイトとか、いつも奇妙——芸術的な絵ばかり描いているので、てっきり彩ちゃんはその方面しか描けないのだと思っていたのだ。
彩ちゃんは天性の画家だ。
将来の進路など迷うこともないはず。
…と思ったら。
なぜか僕と一緒に過ごすうちに、ヒーローに憧れるようになっていた。
「わたし、みんなの笑顔を守りたいの」と言う彩ちゃんに困惑しながらも、止める言葉は思いつかず。
結局、二人でヒーロー科高校の受験勉強をするようになった。
ヒーローになるためには、ただ人を救うだけでは足りない。
暴力を振るう敵を捕らえるため。悪をこの身で食い止めるため。こちらも攻撃手段を持たねばならない。
僕の『治癒』は意外とやりようがある。
相手の呼吸器官の細胞を一気に増殖させて詰まらせたり。髪の毛を一気に生やして視界を塞いだり。僕のきゅうり葉(きゅうりの味がするので適当に名付けた)を混ぜた弾丸を専用のピストルで相手へ打ち込めば、あとは遠隔操作で好きなようにいじれる。
だけど、彩ちゃんの方は、なかなか難しかった。
壁や地面に一瞬で絵を描けるのはすごいけれど、どう考えてもヒーローには向かない個性。
雄英高校のヒーロー科入学はほぼ絶望的だったのだが、思わぬ発見があった。
変色自在:『“彩ちゃんの“半径一メートル以内の物体の色を操る個性』
……髪の毛はどうなんだろう?
と、試しに僕の個性で伸ばした彩ちゃんの髪を使って長い紐を編んだところ、百メートルくらい先でも問題なく個性が発動した。ただし、微妙に色が薄い。ちなみに細かく切り取ってそこらじゅうばら撒いてみたら、色の変化がほとんど透明になってしまった。
あくまで万能ではなかったようだ。
ただ、これをきっかけに彩ちゃんも考えたようで。
「工夫…工夫…」と頭を捻り、翌日強力な武器を思いついてきた。
その名も『黒目つぶし』
食らったらひとたまりもない。瞬きの間に失明する、恐ろしい技だ。
どれだけ準備しても、倍率300倍という壮絶な雄英高校の入試に合格できるかわからない。
しかし、これを乗り越えなければプロヒーローなど夢のまた夢で終わってしまう気がする。
今できる努力をしよう。
僕らの一日は、夢に向かった努力で過ぎていく。
充実している毎日は、本当に幸せだった。
♦︎
ひんやり夕方の風が頬を撫でる。
ピカピカに磨かれた薄暗い公安委員会の一室で、二人の影が夕明りに伸びていた。
「…特例入学?」
警察官の塚内直正は、不思議そうにつぶやく少年に向かってはっきり頷いた。
五年前に初めて会った少年——雨森修は、雨に濡れた樹の枝葉のような、不思議な髪質を持っていた。お面のような…もっと上手く例えるならば、化粧をした子供の貴族のような。彼の透明で色のない表情は、独特に人を惹きつけた。
小柄でもないのに幼く純粋に見える彼に、まっすぐ目を見つめられた時から。この少年は塚内の心を捕らえて離さなかった。
「そうだよ。表向きはただの一般入試だが、君の入学はすでに決定している。…つまり、実技試験が免除なんだ。筆記はこの間特別に前倒しで受けたのを覚えていると思うけど、余裕で合格点を超えていたから問題ないよ。」
塚内の言葉に、雨森少年は考えこむようなそぶりを見せた。
「大丈夫さ。君なら雄英高校でやっていける!担当教員も、君ならと受け入れを決断してくれた。」
ねずみか犬かクマか。
人間以上の頭脳をもつ奇妙な動物、根津校長。
そして抹消ヒーロー、イレイザーヘッド。
以上二名が、彼を見極めるため身分を隠して雨森修くんに直接会っている。
もちろんこの特例措置は、彼にしか適用されない。
生まれ持った個性によって、ヴィランから逃げ隠れしなければならない子供。推薦入学を受験するにも、籍だけ置いている地元の中学の欠席日数のせいで実現不可能だ。そもそも推薦で合格できる実力が雨森修くんにあるかが怪しいところ。
そして一般受験させようにも、万が一の事態で責任を取りたくない雄英の大人たちが承知しなかった。
一方で、いちはやく貴重な個性持ちを成長させ、人を救う人材となってもらわねばならない。そんな大人たちの思いもある。上層部が頭を悩ませ、出した結論がこれだ。
もちろん、他の受験生は普通に自力で突破してもらうしかない。
そもそも今回の特別扱い自体が、雄英高校史の中でも類を見ない異例なのだ。
およそ五年前。雨森くんのお母さん——ひとりの回復の個性持ちがヴィラン側に攫われた、その事実は大きかった。社会不安を防止するためこの事件は極秘とされているが、それを抜きに考えても、ここ数年でなんだかキナ臭い動きが広がりつつある。
ごめんよ。
君にはいろいろ我慢させてしまう。
だが、大丈夫、乗り越えてくれると信じてる。
命あるものはみんな苦労をしょってるんだ。
世界中が、君たち、新しい世代に期待してるんだ。
「わかりました。雄英高校、入学させていただきます」
「…じゃあ、決まりだな」
塚内は、雨森少年の情熱籠った眼を見返して微笑んだ。彼はいつも、こうしてまっすぐに目を合わせる。塚内は、この目が好きだった。
それじゃあまた、と別れの挨拶をして部屋の外へと歩きながら、塚内はふと窓の外を見上げる。
夕暮れの空のダークブルーは澄み切って、静かに梅の香りを運んできた。
もう、二月も終わる季節だった。