保健室のきゅうり 作:へびのあし
「きゅうり先生。今日、“星でお茶を飲む会“ しませんか?」
「ん?別にいいよー」
橙色づいた夕焼け空。
あたたかいオレンジの光が差し込む雄英高校の保健室。
今日も平和なこの部屋は、一夜限りの無料宿屋に変身する。
「緑谷豆子さん、デクくんとお茶子ちゃん……じゃなくて、親御さんには連絡済み?」
「はい!」
「じゃあ泊まり込みってことも伝えてあると……それじゃまあ、こっちも準備しようか」
雨森修が、うーんと伸びをして立ち上がる。
さっき図書室から帰ってきたばかりの豆子が、本でギッシリのリュックサックからお弁当箱を引っ張り出す。赤い水筒もセットで、中身は生姜焼き&海苔弁当だった。
ちなみに雨森修のお弁当は、おにぎりと小松菜1束。色々ツッコミどころ満載だが、今日は奥さんともども寝坊したので行きずりの八百屋で野菜だけ買ってきたらしい。
豆子と向かい合わせのテーブルでお弁当を頬張り、その後、雨森修は校長室へ生徒が泊まり込むための許可を申請しに行った。
その間に、豆子は嬉しそうにティーセットの用意をする。
…なぜ保健室にティーセットがあるか? それは雨森修が持ち込んだから。急須も茶漉しも、お茶の葉っぱも。全部彼の趣味である。
そうこうしているうちに、雨森修が保健室に戻ってきた。
「許可降りたよー。僕も今日は泊まっていくことになったし…どうする? もうお茶淹れるか、それともこの前みたいに個性の訓練付き合ってもいいけど」
「お茶飲みたいです!」
「了解」
湯沸かし器から急須に熱湯を注ぎ、緑茶を淹れる。煎茶派の雨森修も、今日のゲストは豆子なので、彼女の好みに合わせる。
やがて綺麗な緑色の湯にゆらゆらと白煙が立ち昇り、ふうわりと茶の香りが保健室に広がった。
一番星が輝き出した窓の外の空模様をお茶請けがわりに、二人はゆっくり湯呑みに口をつける。
はあぁ、と、豆子が幸せそうに笑って、口を開いた。
「先生。私が初めてココに来た時のこと、覚えてますか?」
「もちろん。そりゃあもう、慌てたよ。看護教諭として独立して早々に不登校が出るとは思わなかったからね」
「でも先生、全然そんな素振り見せてなかったですよ〜」
「そりゃあ…まあ一応プロだから」
のんびりと、二人は笑い合う。
「なんで私が授業出られなくなったか、先生わかりますか?」
「うーん、未だによく分からないよ。だって緑谷さん、自分の心の管理とか上手そうだし。心配してかなり調べてみたけど、誰かに虐められたってわけでもなさそうだったし」
「そうなんですよね。私もまさか自分がこうなっちゃうとは思ってなかったです」
豆子が、窓の外をまっすぐに眺める。
暗く染まった空。開け放たれたガラスの向こうに、紫紺の雲がわたみたいにぷかりと浮かんでいた。
「焦っちゃったんですよね。お父さんがNo.1ヒーローのデクで、お母さんもあのウラビティだし。すっごい努力して頑張って、受験勉強して。でもいざ雄英高校に入学してみれば、みんな私以上の実力者ばっかで」
雨森修が、豆子に寄り添うようように頷きながら話を聴く。
「信じられますか? 3年生の教科書まで丸暗記してる人とか、戦闘訓練で常闇先生のダークシャドウさんを追い詰めちゃう人とか」
「あぁ…、確かにあれは僕もびっくりしたよね。あの常闇くんが僕に”旧友を驚かせるための潤滑油的虚偽“とか言い出すんじゃないかと本気で疑って」
「そうそう!みんなすごくって…」
豆子がくすりと笑う。
「で、私。別にそれで折れたりしないで、頑張ったんですよ。一念発起、挫折を乗り越えていくのがヒーローだって。それから毎日毎日勉強に訓練に、寝る時間まで削って。強くなろうって頑張って、実際どんどん成績上がって。だけどそんなある日の朝……」
「———突然、通学路で頭痛を起こしたと」
「はい。そっからは毎朝お腹か頭が痛くなるし、でも保健室行ったら治るし。精神的に参っちゃったんだな〜って気付いた時にはもう遅かったというか」
「でも授業じゃなきゃ、大丈夫なんだよね……現に、学校も訓練も勉強も続けられてる」
「そうなんです。保健室は私のペースを受け入れてくれる感じがして…きゅうり先生が優しく勉強教えてくれるし、雑談も楽しくて、なんか安心な場所だったんです」
ふうぅ、とお茶を吹いて啜りながら、豆子が笑顔を向ける。
雨森修も、真っ白な髪の奥から、ひかえめに笑った。そして嬉しそうに言う。
「…緑谷さんの話、聞けてよかったよ。1年間のもやもやが晴れた」
「確かに、こういう話をしたの初めてですもんね〜」
二人が和やかに笑い合う。
ふと、雨森修が腕時計を見て立ち上がった。
「———そろそろ10時過ぎだね、もう寝ようか」
「はい」
「自分のタイミングで消灯してね。僕はこの部屋もう使わないし、好きなベッド使って良いから」
雨森修が、よっこらしょと書類の山を抱きかかえて立ち上がる。
豆子とそう変わらない低身長の体が、それじゃあ、と挨拶を残し、水色の羽織を翻してドアの向こうへと出ていった。
「きゅうり先生そばにいると安心なんだけどなぁ………」
ガラガラッと閉まったドアを前に、ポツリと呟く豆子。
しばらく動かず、ぼうっとしていたが、ハァー、と気合を入れ直すように息を吐き出し、やおら豆子も立ち上がった。
雨森修のかわりに、ティーセットを片付けるのだ。お茶の淹れ殻はゴミ箱へ、器類は水道で洗って、広げた布巾の上へ伏せて並べる。それが終われば、手慣れた手つきで保健室の窓の戸締まりをして歩き、開け放っていたカーテンも閉める。
それから部屋の隅へ歩いて行ってパチン、と電灯の灯りを消した。
保健室が、真っ暗な闇に覆われる。
ゆっくりベッドに歩いて行って、ごろんと寝転がった。目を瞑れば、ふわぁっと洗いたてのシーツの良い匂いに包まれる。
「あぁ…真っ白」
豆子は掛け布団の匂いをクンクン嗅ぎながら、くすぐったいような顔をして笑った。
そしてゆっくり左手を布団から抜くと、薄ぼんやりと見える天井に向かって、握り拳をえいやっと突き出した。
そして親指を立てて、サムズアップのサインを作る。
「頑張れ私、明日もハッピィ」
おまじないのようにそう唱えて、豆子はそっと目を閉じた。
初夏の夜に保健室に、一人の生徒の静かな寝息が響いて染みてゆく———
♦︎
「げっ!」
「わっ!」
保健室前の廊下で、二つの影が小さな悲鳴をあげた。
一人は、寝袋に丸まって寝息を立てていた雨森修。もう一人は…
「……って、なんだお前かよ。マジでビビったじゃねえか、リカバリー野郎」
「リカバリー爺です……まぁでも、学生時代の渾名“はっ葉“よりはまだマシか…」
雨森修の目の前で苦い顔を崩さないその人物は、派手なコスチュームに、腕には巨大な籠手。
ツンツン突っ張った髪の毛に、生来の強面。
ヒーロー大・爆・殺・神 ダイナマイトこと爆豪勝己ご本人であった。
「いや、どう考えても“爺さん“より“野郎“のほうがマシだろう。アンタのネーミングセンスが壊滅的なんだ」
「うーん。爆殺王! とか 爆殺卿! とか、大爆殺神 に決めた!とか吠えていた爆豪くんに言われても……」
「これでも反省してるわ!学生時代の話を蒸し返すな!」
青筋を立て、(深夜の学校であるので、)静かに怒る爆豪勝己を華麗にスルーしながら、雨森修が小さく欠伸をしながら寝袋から抜け出てきた。
水色の羽織をぱんぱんと払って爆豪勝己と並び立つ。
「ところでダイナマイト、こんな時間にどうしたんですか? まさか毎日終電ギリギリまで残業ってわけではないですよね?」
「もうすぐ体育祭だからその準備だ。体育主任で俺が主導だから忙しくなってきたんだよ。———つうか、あんたこそ何でこんな場所にいやがるんだ。イレイザーヘッドの亡霊と勘違いしちまったじゃねえか」
思わず雨森修は吹き出した。
確かに、昔の担任だったイレイザーヘッドは、どこにでも寝袋を持参して眠っていた。
入学初日から寝袋に入ったままもぞもぞ廊下を這ってきて、生徒の度肝を抜いたのは忘れられない。
「いや、保健室で生徒が泊まっているので。見張り番と言っちゃあなんですが、まあ何かあったらすぐ駆けつけられる場所に寝ていようかなと」
「………緑谷か。フン、あんたも大変だな」
「一応言っときますけど、彼女はとっても良い生徒ですよ」
穏やかながらも釘を刺すような雨森修の言葉に、爆豪勝己は苦々しい表情でふいと横を向いた。
「ああそうだな、腐っても奴ら二人の子供……どうせ努力家で人たらしで、さぞかし優等生なんだろうよ。授業には来ないがな」
「それは褒めてるのか貶めてるのか……??」
「どうでもいいわ」
「…ふふ。あの頃と比べれば、随分と丸くなりましたね、ダイナマイト」
「ああん?」
バッと顔を動かせば、柳のように、白髪を靡かせる修とまともに目があった。仏のような微笑みには取り付く島もなく、はあ、とただ大きくため息をつく爆豪勝己。
それに応えるように、ふうぅー、と雨森修も静かに息を吐き出した。
一瞬静寂が廊下を支配し、しばらくして雨森修がもう一度口を開く。
「僕らの学生時代は、本当に色んなことがあり過ぎた。だから、ついつい努力とか試練とかの度合いを測る物差しのサイズを、間違えてしまう。…そう思うことはありませんか?」
「……いったい何の話だ? 」
「緑谷豆子さんですよ」
「なんだ? ああいう感じやすい生徒に俺の授業がキツすぎるから、もっと生優しくしろってか?」
「いいえ、そういう話でははなくて」
雨森修は、遠く昔を懐かしむような声で言葉を紡ぐ。
「ただ…ヒーローになるためには、必ずしも自分を追い込む必要はない。…そう、最近思うようになったんですよ」
「俺はそうは思わねえな。プロヒーローの世界は過酷だ。挫折や試練を天の果てまで乗り越えていける奴じゃねえと務まらねえよ」
「大丈夫。彼女は乗り越えられます。自分の弱さや、限界。知っているからこそ」
雨森修は、やにわに語気を強めて力強く言った。
「緑谷豆子さん。彼女はNo.1を目指さない。級友の努力と、同等の努力をしようとして頑張らない。自分のペースで動くことを身に刻んで遵守してる…だから、もう潰れない。確実に一歩一歩進んで、プロヒーローという虹の向こうの舞台、必ず辿り着きます。…僕が、雄英のリカバリー爺が、断言します」
爆豪勝己は、しばらく呆気に取られて言葉を失った。まじまじと雨森修の顔を見ながら、ややあって、歯切れの悪い調子で口を開いた。
「……時代が変わったってか? …まさか雄英高校の教員に、“プルスウルトラ”の校訓を否定する奴がいるとは思わなかったぞ」
「否定じゃないですよ。ただ、人それぞれってだけで」
「ふん」
ここまで語り合って、ふいに爆豪勝己が腕時計をチラリと見た。
もうそろそろ深夜をまわっている。
「俺は失礼するぞ。喋くってて終電逃しちゃあ洒落になんねえ」
「ええ…体育祭実行委員でしたよね、応援してます。ぜひ成功させて生徒たちの良い思い出つくって下さい」
「言われなくてもやるわ」
「社交儀礼くらい素直に受け取ってくれても……」
「うっせえ」
じゃあ、と律儀に頭だけ下げて、爆豪勝己は去っていった。
雨森修は、そんな彼の後ろ姿を眺めながらうっすら微笑む。彼とは毎日職員室で顔を合わせる。けれども今日はなぜか、昔の彼をありありと思い出した。次から次へと思い出がチェーンみたいに繋がって胸を駆け巡り、修は懐かしさで一杯だった。夜のせいかもしれない、と修はぼんやり思った。
爆豪勝己が廊下の角を曲がるのを見届けると、彼はもう一度寝袋へ潜り込んだ。そして、ゆっくり目を閉じる。
明日に備えて。彼の仕事は看護教諭だけではない。日本中…いや、世界中で彼に助けを求める人がいる。本当に忙しい時は、雄英高校を一週間空けることも珍しくない。雄英の生徒たちと、一般の人と、マスコミと。対応に追われ、連日徹夜で疲労困憊に目を回しかけた日だってある。
それでも。修は思う。
僕は幸せだ。
夢を叶え、生きたいように生きることを選択できたのだから。
ありがとう。みんな。僕のそばで生きてくれた人みんなに、感謝の言葉を贈りたい。
——ふと。
眠りに落ちた修の髪の毛の奥から、もぞもぞときゅうり葉が生えてくる。千切ったそばから生えてくるのは、初めの20枚くらい。そのきゅうり葉が夜中の今になって育っているということは、昼間にそれだけの治療をしたということ。
世界中の期待を背負って、ヒーローは活動する。
その重圧すらも大事に抱えて、雨森修は彼の人生を歩む。
年若いヒーローの、未だあどけない顔つきを、廊下の窓から月光が差してきて照らす。
夜の雄英高校の廊下に。一人の教師の静かな寝息がゆっくりと溶けてゆく———
雨森修の家族構成について、裏で考えていた設定をのせておきます。
気になるかたはどうぞ。読み飛ばしてくださっても全然大丈夫です。
〜✳︎雨森修の家族✳︎〜
お父さん:雨森草太。個性は薬草を頭から生やすこと。
お母さん:雨森直美(旧姓は、活堂直美)。個性は超再生で、ハイ・ヒール・ガールとして医者をしていた時に、お父さんと知り合いました。
〈お母さんの方の家族〉
お婆ちゃん:修善寺治与。個性は、“癒し”。患者の体力を犠牲に、治癒力を活性化させます。原作登場人物。
お爺ちゃん:活堂火鳥。個性は“活力アップ” 。人間の体力やエネルギーをふやします。
→二人の個性が合わさって、お母さんの超再生が生まれました。
〈お父さんの方の家族〉
お婆ちゃん:雨森みよ(旧姓は、藤波みよ)。無個性。山菜採りが大好きなやさしいお婆ちゃん。
お爺ちゃん:雨森薬斗。個性は薬草を頭から生やすこと。