此処に決着。
黒い光が煌めく瞬間。
亜鬼は全力で硬化術式を展開。
扱えるだけの呪力を全て防御に回した。
そうして防御姿勢。
もはや避けることは不可能だと考えての判断。
その判断は最適解だったと言える。
だが最適解は必ずしも良い結果を生むわけではない。
亜鬼はボロボロになっていた。
体中の皮膚は火傷をしたように爛れ、下半身は消失。
右腕も残っておらず、もはや活動を停止するのも秒読みだと思われた。
情けない。
かっこよく啖呵を切っておいてこのザマか・・・
もはやほんの少し身動ぎすることすらままならない。
頭の中に明希の声が響く。
なんと言っているのかは分からないが、きっと泣いているのだろう。
明希にこんな姿は見せられない、見せたくない。
親というのは見栄張りな生き物なのだ。
視界も霞んでいる。
呪力を廻す力もない。
このまま死ぬのか・・・
死ねない。
娘一人残して死ねるもんか!
やはり一人で戦うのは無理があったのかもしれない。
どうしても明希には戦わせたくなかったが、最終手段だ。
ずっとおかしいと思っていた。一人で体を動かしていてもなぜか想定より力が出ない。
ずっとおかしいと思っていた。
あの時明希が戦っている様子を見ていたが、明らかに動きが鈍い。それでも圧倒していた訳だが、明希も首を傾げていた。
ずっと不思議だった。
何かが決定的に足りていないような感覚。
そして気が付く。
私たちは二人で一人。
私だけが戦うのも、明希だけが戦うのも間違っているのだ。
私たちは二人で最強。
その真価は二人でいてこそ発揮される。
だから明希・・・
──うん!ママ・・・
明希が私の体に覆いかぶさってくるのを感じる。
私は意識が朦朧とする中、必死に精神世界で明希を抱きしめた。
前髪を払い、額に一つキスを落とす。
許して欲しい。
結局あなたの力を借りる弱い母のことを。
──んーん嬉しい!だって私も一緒に戦える。
二人なら、きっと全てが輝いて見えるから!
混じり合う。
混じり合う・・・
二人で一人。
その精神も、体も、感覚も、呪力も。
そして顕現する一人の鬼。
夜を象ったかのような漆黒の髪。
穢れなき白き肌。
一対のツノは消え、代わりに額の中心から突き出る水晶のように透き通った真っ直ぐな角。
紅い瞳は爛々と輝く。
体に残されていた傷跡は何事も無かったかのように消え失せた。
そうして鬼はニヤリと笑う。
鬼神「羅刹天」
ここに完全顕現
◆
五条は上空から街を見渡していた。正確には街だった場所を、だが。
巨大な円状の大穴が空き、昔の面影すらない。
祓われているとは思う。
だがあの呪霊なら生き残りかねない。
舞い散る砂埃を吹き飛ばし、そこに血塗れで倒れ伏す白い鬼の姿を確認した。
死にかけだ。だが死んではいない。
予想していた通りだった。
「さよならだ」
そう呟いて呪力を廻す。
──術式反転「赫」
トドメはこれで充分だ。
それを放たんとしたその時。
「なんだ・・・」
どこかから視線を感じたのだ。
一つや二つではない。
百、二百・・・いやもっとだ。
そして白い鬼が光り輝く。
傷が全て治っていく。
そして姿も変化していって・・・
容赦無く「赫」をぶち込んだ。
変身を待ってやるのはフィクションだけで充分だ。
強烈な悪寒がする。
そして鬼が跳ね起きた。
「赫」は鬼に直撃し、何事もなかったかの様に霧散した。
ニヤリ
そう聴こえてくるかのような笑みと共に膨大すぎる呪力が立ち上る。
大気が軋んでいる。
世界が哭いている。
この災厄の誕生に・・・
五条は流れ落ちる冷や汗を止める術を持たなかった。
◆
アキが動く。
一歩前に踏み出し、指がしっかりと地面を噛んだ。
そして五条に向かって跳躍。
一瞬にして亜音速に到達。
宙に浮かぶ五条の前に躍り出た。
呪力を使って足場を形成。
それを踏み砕いてまた跳躍。
瞬きするほどの間で五条に迫った。
最早軽口を叩く暇もない。
瞬間移動を駆使して攻撃を避け続ける。
空を駆ける鬼と空を飛ぶ人間。
命懸けの鬼ごっこが始まる。
アキが繰り出す攻撃の一つ一つが必殺。
右腕の手刀。左脚から繰り出される蹴り上げ。
それら全てがさも当然のように無限を抜けてくる。
掠るだけでも命を刈り取られそうな死神の刃。
それを時に避け、時に流し、守りに徹する。
反撃する隙もなく、勝ち目も見えないこの状況。
だが五条の口角は自然と上がっていた。
本気を出した事が無かった。
彼の前に立ち塞がるのは有象無象ばかり。
明希を倒すことを目標に修行を始めてからは立ち塞がる者すら居なくなった。
誰も彼もが下手に出てくる。
戦う前から負けている腑抜けた奴ばかり。
つまらない。
なんの魅力もない人間の集まり。
だが今はただ愉快だ。
この闘争が!
五条の体から膨大な呪力が溢れ出し、その呪力が全て身体強化に回される。
向かって来るアキが繰り出す拳に対して真正面から拳を振るう。途轍もない衝撃が走り、骨が軋む音が聴こえてくる様だった。
ぶつかり合った拳は人体が出すとは思えない金属同士がぶつかり合ったような硬質な音を発した。
少しの拮抗の後、五条が競り負ける。
拳は砕け、血が飛び散った。
そんな事は関係ないと瞬時に反転術式で再生し、またぶつけ合う。
同じ結果になると思われた勝負だが、しかし押し合いは拮抗していた。
五条は自分の肘の後ろに「赫」を創り出すことによって斥力を自らの勢いに変えていたのだ。
使えるものは全て使う。戦いで勝つ為に工夫をするのもこれが初めて。
ずっと持て余していた天性の才覚が初めて存分に振るわれる。
何度も何度もぶつかり合うお互いの拳。そこに織り交ぜられる芸術的なまでの蹴りの数々。
何度も壊れる体は瞬時に治され、また武器となる。
大気は揺れ、世界は軋む。
圧倒的な暴力のぶつかり合い。
お互いに幾つもフェイントを交え、受け、流し、貫く。
緻密に紡がれる美しい戦闘。
気がつけば五条もアキも楽しそうに笑っていた。
魂のぶつかり合いは1時間以上続いた。
五条が振るわれる拳を受け流しつつ右脚を振り上げて顎に膝蹴りを入れる。
雷鳴が轟く音。黒閃だ。
だがそれを意に介せず左腕で五条の体を切り裂く。また黒い稲妻が輝き、黒閃が放たれる。
黒い雷は止むことを知らず、戦場に響き渡り続ける。
極限の集中力の中、二人は当然のように黒閃を繰り出す。
その場には濃密すぎる呪力が渦巻き、即死の攻撃が飛び交っていた。
二人が繰り出す一撃一撃が常人の目では残像すら捉えることが出来ない理外の暴力。
一級以下の呪霊では近づくことすらできない死の領域。
そんな場所で二人は踊る。
両者の顔には隠しきれない笑みが浮かんでいた。
◆
私は今、初めて戦いに楽しさを感じていた。
体の底から暖かさが湧き上がってくる。
これが明希の暖かさだと思うと同時に胸も温まるようだった。
実を言うと私はまだまだ本気を出していない。
明希と一つになることによって実力は今まででも随一。
だが明希が持っている識覚も、理を突き詰めた戦闘方法も、身体強化すら使っていない。
純粋な身体能力と羅刹天になってからできる様になった放出術式「天逆鉾・絶界」による無限の強制解除だけで戦っているのだ。
それでいいと思う。その状態で実力が拮抗している今、それ以上の力を使うのは無粋だと考えた。
五条先生だって六眼の力で私が全力じゃないことなんて見抜いている筈だ。
でも私は本気だ。
本気で勝負に挑んでいる。
だからこそ楽しい。
今まで頑張ってきたのが実を結んでいるようだ。
それにもう一つ。
──楽しいね、ママ!
──そうだねぇ〜!
明希がものすごく楽しそうにしているのも理由だ。
この状態だと明希の感情も思考も全て共有される。
娘が幸せそうでなによりだ。
やはり明希と一緒なら何でも楽しい。
だがこの戦い、もう一時間以上も続けているけどどうやって終わらせるんだろう?
正直、五条先生に私を倒す手段はない。硬化術式を使っていない今ですら体術によるダメージが入っていないし、術式による攻撃も全て無効化できる。
仮に領域展開を使ってきたとしても私も使えば押し勝てる自信がある。
対して私も五条先生を殺す気はまるでない。
確かに始めは少し怒っていたが、今は明希と遊べて楽しいと思っている。でも正直呪力がそろそろ尽きそうだし・・・
長引いたら普通に祓われてしまうかもしれない。
よくよく考えたら私、さっき祓われそうになったんだった。
そう思うとなんかむかついてきたな。
なんかかっこいい感じの技でずるかったし。
私も使うか。
俗に言う切り札というやつだ。
◆
五条は戦場の空気が変わったのを感じていた。
相手が全力ではない事は分かっている。
そろそろ仕掛けてくるか?
そう考えて身構える。
「終幕としましょう」
声を掛けてくる呪霊に対し、五条が問う。
「お前、名前は?」
少し驚いて亜鬼は答える。
「アキ」
「そうか」
会話はそれだけ。
お互い構える。
最後の一撃だ。
五条は思考する。
もはや今となっては切り札であったアレフ・ゼロすら通じるとは思えない。
そこにプラスして素の防御力が余りに高い。
領域展開など使ったところで意味がないのは明白。
だが術式の強制解除にも相応の呪力消費がある筈。
五条に必要なのは強制解除に必要な呪力が枯渇するほど圧倒的な一撃。
残されたのは最終手段のみ。それも絶大な隙ができる。
だが相手がその隙を突いてくることはないだろう。
ここまでくれば相手に自分を殺す気がないことだって分かる。
そんな奇妙な信頼関係がこの戦闘の間に育まれていた。
それでも勝ち負けは譲らない。
五条は負けず嫌いだった。
──術式順転「蒼」
──術式反転「赫」
五条の周りに無数の「蒼」と「赫」が浮かび上がる。それらがぶつかり合い、百を超える紫の光が出来上がった。
──虚式「茈」
それらが全て五条の掌の上に集まっていく。
凝縮され、黒い光を発しながら完成されていく黒き宝玉。その周りに稲妻のような円環が廻り、破壊の力が振りまかれる。
五条をして制御するのに精一杯なそれはこれ以上ない無限の力。
いくら術式を強制解除されても尽きることのない力の極地。
暴れ狂う質量が五条の体を切り裂いていく。
体がボロボロになっていくのを必死に耐えながらアキに照準を合わせた。
吸収の力がアキの右手の上で渦巻く。
その渦は少しずつ大きさを増し、同時に黒く輝く。
それは世界を軋ませ、存在しているだけで崩壊を感じさせる。にも関わらず込められ続ける呪力。
これは五条の纏う無限程度では到底防げない理外の一撃。
余りにも強まった吸収の力は次元ごと対象を喰らう。
全てを喰らい、取り込み、なお飢えは収まらぬ。
神懸かった呪力操作はそれ以上を可能にした。
次元程度ではない。概念にまで作用する域に達したのだ。
この竜巻に触れた瞬間、その物体はこの世界に存在していなかったことになる。
つまり、存在の吸収。
世界に存在してはいけない力だ。
──崩界「
放出の力がアキの左手の上で踊る。
不定形のそれは形を持たずとも不思議な力を感じさせる。
色は黒色にも、赤色にも、虹色にも見える。
存在自体が未確定で、何にでも変化できるそれもまた、理外の力。
全ての存在への可能性を残す芽だ。
──新理「
二つの力が混じり合い、渦が細く、長く、まるで一本の槍のように固まる。
それは破滅の槍。
それは創世の槍。
槍に触れた瞬間その存在は吸収され、それが存在していないことが正常という事実を放出する。
つまりは世界に存在する事実の改変。
防ぎようのない死の具現化。
それが五条に向けて放たれる。
──零式「永永無窮」
──羅刹「画竜点睛」
黒い光が全てを覆い隠した。
今日の解説!
放出術式「天逆鉾・絶界」
言わずもがな。身体中に天逆鉾が持つ術式強制解除の力を付与する。莫大な呪力消費と引き換えに遠距離から攻撃してくる系統や、精神や体ごと作用する系統の術式は全て無効化できるというチートっぷりを発揮する。
崩界「伊邪那岐」
読み方はイザナギ。
世界に存在するものを吸収し、存在ごと消し去る力。軽く言ったがぶっ壊れ。
新理「伊邪那美」
読み方はイザナミ。
何にでもなれる可能性を秘めた力。
「伊邪那岐」で吸収したものの情報から世界の理を創り変えることが可能。
軽く言ったがぶっ壊れ。
零式「永永無窮」
読み方はインフィニティ。
例によって例のごとく作者がやっちゃったやつ。
無限が無限個あるという意味が分からないチートっぷり。
例え天逆鉾でも、強制解除を続ける内に呪力が切れるので防げない。
羅刹「画竜点睛」
読み方はそのまま、がりょうてんせい。
槍のような形をしており、触れたものの存在を吸収し、この世に存在しないことが正常な状態へと作り変える技。
ぶっちゃけていうと亜鬼と明希の虚式(挙式)。
羅刹天の状態じゃないと打てない。