「――だからぁ、さっきのは何だって聞いてんだよぉ!」
路地の入り口で、肉の塊のような詐欺師が吠えていた。
対する男は、ひどく退屈そうに、あるいは壊れた機械の動作でも眺めるような無感動な目で相手を見返している。相手がなぜこれほどまでに顔を赤くし、声を荒らげているのか、その理屈が根本から理解できない――男の表情には、そんな断絶した静けさがあった。
「なんとか言えよぉ、あぁ!? 俺が何だってぇ?」
詐欺師が威圧するように一歩踏み込む。だが、男は微塵も揺るがない。
男はただ、吸い込まれるような視線をすっと動かし、詐欺師の瞳の奥を、そのさらに裏側を覗き込んだ。
「ですから――あなたは今日、死にます、と」
その声は冬の沼地のように冷たく、視線は沈んだ泥のように濁っていた。
その視線と声に殺気立っていた詐欺師が、冷や水をかけられたかのように後退した。男をこれ以上相手にするのは無駄だと判断したのか、毒づくことすらせず、逃げるようにその場を立ち去っていく。
数秒後だった。
角を曲がろうとした詐欺師の横腹に、スピードの乗った自転車が突き刺さったのは。
鈍い衝撃音。詐欺師の体は地面へ叩きつけられる。
自転車に乗っていた若者は、ヘルメット越しに辺りを一度だけ見渡すと、血の気の引いた顔で再びペダルを漕ぎ、逃げるように雑踏へ消えていった。
(いい気味だ)
胸のすく思いで、俺はその光景を眺めていた。
だが、倒れた男は一向に動かない。アスファルトに広がっている手足には一向に意思を感じない。
ふいに、隣を風が通り抜けた。
先ほどの男が、何事もなかったかのように俺の横を素通りしていく。
『あいつは、今日死ぬ』
その言葉が、耳の奥で呪いのようにリフレインした。
まさか。そんなはずはない。
俺が慌てて振り返ると、そこには――すでに、男の顔があった。
「うわっ……!」
心臓が跳ね、尻餅をつきそうになった俺の手を、男の冷たい指先が掴んだ。
逃げ場のない距離。至近距離で見つめてくる男の瞳は、やはり何も映していない。
「あなた――」
俺は、男の口の動きを息を呑んで待った。
「睡眠が足りていませんね」
耳を疑った。あまりにも間抜けで、あまりにも日常的な言葉だった。
「あぁ、倒れた彼なら気にしなくていい。どう足掻いても助かりませんから。それよりも、あなただ。最近眠れていないでしょう。ひどい顔色だ」
男は一方的に、言葉を重ねる。
「どうして……」
あいつが事故に遭うなんて、俺が言い切る前に、男は小首を傾げた。
「彼の寿命は、もう先ほど使い切られていましたから。一応お伝えした方が親切かと思ったのですが……少々、お節介がすぎましたね。まあ、それよりあなた、睡眠不足は健康に毒だ。寿命を縮めてしまいますよ。生活環境の改善を強くお勧めします」
会話が成立しているようで、その実、噛み合っていない。
けれど、奇妙な感覚だった。
父や、あの詐欺師や、街に溢れる人間たちに対して抱く、あの『気持ち悪さ』が、この男からは一切感じられないのだ。
それが得体が知れない。不気味だ。
なのに、この男の言葉には、不快な脂気が欠落している。
それはまるで、今までの俺の不幸を忘れさせる程の異質さだった。
「思春期の悩みでしたら、腕のいいカウンセラーを知っています。紹介しましょうか?」
どこまでも的外れな男の言葉を聞きながら、俺は確信していた。
今日この瞬間、俺を取り巻いていた何かが――決定的に、壊されてしてしまったのだと。