【完結】血錆の騎士とはじめて愛された竜   作:澱粉麺

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明けましておめでとうございます。


ワン・バースディ

 

 

 

 

そうして、あの夜から数年が経った。

何年経ったかは定かではない。

 

元少年は数えず、数える余裕も無く戦い続けた。

ただ、一年よりは確実に多く、五年よりは短い。

その程度の経過だ。

 

 

 

「死ね、死ね、死ね…」

 

 

ただ、その日もイドは不死の者を滅殺する任に就いていた。周囲に侍らせた魔物も血塗れになりながら一掃し、命乞いをしてきた不死者の首を断裂して、動かなくなった身体を丹念に、丁寧に、焼いて切って貫いて挽肉にしていた。

ただ、呪詛のようにその単語を吐きながら。

 

 

 

「…イド」

 

 

「ん…ああ、ニコ。

何故あんたが此処に居るんだ?

ここの任務は俺だけだった筈だろう」

 

 

「帰投が遅れていたから様子を見に来た。ただのバンシーに万が一にも遅れを取ることは無いとも思ったが…

何を、していた」

 

 

「死体も徹底的に滅却しなければ、何かしらの不確定要素で蘇るかもしれない。だからこうしている。問題はあるか?」

 

 

当てつけのようなその発言は、彼にとっては、そのつもりは無い発言である。そうして生き延びていた吸血鬼が前例で有り、それが部隊の半数を戦闘不能に追い込んだという事はただ事実なのだから。それを予測出来る筈など、無かったのだから。

 

 

 

「それはいい。だが感情のままに戦いすぎだ」

 

 

「勝てば、それでいいだろう。

それにあんたのような戦い方は、きっと俺には出来ない」

 

 

 

それもまた、当てつけや衒いでは無く、事実。

 

あの老吸血鬼の戦いで、イドは戦闘の本質に気付いた。戦闘とはつまり、恐怖を失わせること。変化を伴い、痛みを忘れ、恐れを麻痺させるどころではなく、一切合切無くしてしまうべきなのだと。

 

ニコは、自らの心を殺し。

イドは、その全てを怒りの激情で上書きし。

それを可能にした。

恐怖からくる動きを前提にしている、戦闘に慣れた不死者程、恐怖を忘れた進軍は想定外の物となり得るのだ。

 

彼らは奇しくも両極端でありながら、示し合わせた訳でもなく、そうして同じ極地に辿り着いていた。

 

 

 

「そうか、ならいい。

その死体遊びをやめて、そろそろ戻るぞ」

 

 

 

その言葉を背に受けて、渋々、剣を仕舞った。

短剣を腰のホルダーに締め直して入れた。

それでいて尚湧いてくる感情の数々。

 

 

憎い。

憎い、憎い。

 

激情。不死者の前に立つ毎に、彼を埋め尽くす憤怒。

八つ当たりであることはわかっていた。

この湧いてくる怒りに何の意味も無い事も。

彼らが何をした訳でも無い事も。

そのすべての品性が邪悪で無い事も。

 

それでも。

それで、いて尚。

 

 

 

「俺は、不死者は嫌いだ」

 

 

 

反吐が出るようだった。

不死者が、彼の大切な者たちを、唯一誇ることのできる、仲間たちを『あんな姿』にまで貶めたのだという事実だけが、理屈を超えて感情を燃やし続ける。理論と理屈を薪にするように、怒りが日々増していく。

 

 

 

「そうか」

 

 

振り向きながら、無感動にニコが呟いた。

そして、ふふ、と笑う。

人形が人の真似をしたものを、更に何かが真似したような不自然な笑い。真似の真似のような、下手くそな笑み。

それは敢えて例えるなら、自嘲だった。

 

 

 

「……ニコ?」

 

 

「…あの日、お前を助けた理由。

ただ私刑にされるお前の目を見た時に…」

 

「そうだな。

似た者同士になれるかと思った」

 

 

 

「どうにも、見込み違いだったようだ」

 

 

それは寂しがるような言い草だったが、そういった感情は微塵たりとも無かった。どうせ、元々から無いのだから。

 

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

「また生傷だらけだな、イド。

だがまあ、どうせすぐ治るだろ。部屋で少し待機してろ。そうしてたら追加の任務がまた来る筈だ」

 

 

 

任務を終えた者への、定期的な検診。

フロイ、一人の研究者が、アンプルを彼に打ち込んでからそう乱雑に言い放つ。目の下の隈には年季が籠っている。

 

 

 

「フロイ」

 

 

「…なんだよ」

 

 

「……ゴイとナナの殺処分を止めてくれたのはお前だそうだな。本当に、ありがとう。礼を尽くしても足りない」

 

 

「はっ…!違…くねぇ、けど…

やめろ、礼を言うな!俺をそんな目で見るな!」

 

 

 

 

過去に77番、ナナが言っていた事。

フロイはつっけんどんだが優しく、照れ屋なのだと。

 

だが、そうではないと、今のイドにはわかる。

 

これは照れているわけではない。

いたたまれなさ。罪悪感。そういったものだ。

断じて照れ、ではない。

 

 

 

 

「…違えんだよ。俺は、優しさとか、そういうのなんかじゃない。ただ、なんだ。俺は…」

 

「俺、他の奴らからも言われてるんだ。

『あいつらと話すな』『人と思うな』って。

俺も、心底そう思うんだ。思ったところで、お前たちを『そう』したのは俺たちであることは変わらないんだし、辛くなるだけなんだ」

 

 

「でも、でもよ…無理だよ、俺には…

名前を互いに付け合ってさ。

怪我したら心配しあって、赤い血を流してさ。

仲間が死にかけたら、泣き叫ぶようなとこ見て…」

 

 

「……人じゃねえなんて、思えないんだよ…」

 

 

「だから優しいなんて思うな、言うな。そんな目をするな。本当に優しいやつが、お前らにこんな『処置』をするわけねぇだろうがよ…」

 

 

 

懺悔するように、頭を抱えて、膝の間に頭部を埋める。その背に触れようとした瞬間、激しく暴れてその手を払われる。

ただ出ていけと言われて、イドはそうした。

 

 

 

「よォ、イド!お帰りかい?

…っと、なンかあったかい。酷い顔だぜ」

 

 

「ああ、ゴイ。

…いや、なんでもないんだ。本当に、大丈夫だ」

 

 

 

太い声だった。

研究者の錯乱に気を取られて下を向いていたイドが顔を上げれば、そこには彼の頼れる兄貴分の姿があった。

 

ただ、その姿は随分と変わったものだ。

切り落とされた片腕片足には義手が嵌められ、それでは振るえない大鎚は小さく加工された。筋肉もごっそりと落ち、最前線に嬉々として向かっていた彼の姿は最早遠い。

 

 

 

「なら、いいがよ。

そンじゃあ、俺も行ってくらァ」

 

 

「今日も魔物退治か?」

 

 

「あァ、流石に不死者はまだ無理だ」

 

 

 

ここ最近に漸く持ってリハビリを終えて戦いに復帰できるようになったゴイだが、しかし今のまま不死者の討伐に向かえばただ餌を与えるだけだ。故に露払いのような、こういった討滅にしか駆り出されないようになった。

 

前線に出る兵というよりは、どちらかというと、こういう露払いと、『戦術顧問』としての地位に就いている。

彼の知識は、そのまま彼の身を救っていた。

 

 

 

「何度も言うようだが、無茶はするなよゴイ」

 

 

「そりゃこっちのセリフだっつの。俺たちが動けなくなったから仕方ないとはいえ…ニコ兄ィとお前は働きすぎだ。ずっと、飛び回ってンだろ」

 

 

「俺は大したこと無いさ。

ニコの方が、よっぽど動いている」

 

 

「あン人と比べられる時点でイカれてるっつってんだよ」

 

 

 

それを耳半分に聞き流しながら、イドはこつりと奥に進んでいく。彼らの狭い宿舎に向かって行っている。

 

 

「っと、昼寝でもすんのか?」

 

 

「いや、ナナのとこにいくよ。容体はどうだ」

 

 

「最近はすっかり大人しいもんだ。

何より、お前が行ったら喜ぶさァ、イド」

 

 

 

部屋を開いて、新たに増設された二階部分につながる階段を進む。ぎしぎしと今にも崩れそうな音を立てる木製のものは、杜撰な管理が目に見えるようだった。

 

隙間風が多く多くありそうな扉を3度ノックする。

内側から、入ってーと、間延びした声。

 

 

「あーっ、イド。久しぶり。

よく来てくれたね」

 

 

「うん。ようやく、少しだけ休めそうだからさ。

君に会いに来たんだ」

 

 

「そっかそっか。嬉しいなあ。

それじゃあ、今日も外の事を教えて貰っていい?」

 

 

 

…あの夜の傷は、ゴイも重傷だった。

だが、一番深刻なのは彼女、ナナだった。

 

胸部と腹部を強かに破壊され、それをゾンビとならざる為に共喰いの炎で焼かざるを得なかった。身体の中枢を治らない焔で焼いた彼女は、二度と戦う事が出来ない体になった。息をするのすら引きつき、食事すら消化できない。

 

そしてまた、戦えないということはつまり、外出が許されないということでもある。王国の恥部そのものである彼らが、任務以外の理由でその姿を表す事が、赦されるはずが無かったのだ。

 

彼女には、戦いも、『人として生きる』行動も、食事も。何もかも生きる楽しみを奪われてしまったのだ。そうなった彼女は、すっかりとお淑やかになってしまった。たまに暴れる事もあるが、もう、暴れたとしても脅威にならない。すぐに倒れ込んでしまうのだから。

 

 

そんなに、一般人よりも劣りそうな状態の者。それでも彼女が生かされているのは、ただ当時のイドたちには不思議で仕方がなかった。処分されないことは、喜ばしくあった事に間違いはないが。

 

 

 

「…なあ。俺で、いいのか?

それこそ、ゴイなら俺よりもっと、話が面白いだろうに」

 

 

「く、あはは。確かに、アンタの話はつまんないね」

 

 

「ぐ」

 

 

「でもね。あんたから、教えてもらうのがいいの。

アタシが好きなイドから、説明してもらうのが」

 

 

「…そっか」

 

 

「うん。だから、話してよ。

どれだけ下手でも、変でもいいからさ」

 

 

 

 

そうして、外の話を続ける。

ある日は倒した不死者の話。難敵だったが、下した。

ある日は食した物の味。甘くて、しょっぱかった。

ある日は街そのものの話。偽りの世界樹の話。あれは過去に朽ち果てた幻想と云うレベルの竜が風化して転化した、そんなものだと。

 

どの話も、ゆっくりと、下手で、長いもの。

ただどの話もナナはにこりと笑いながら聴いていた。

 

 

 

「…なあ、一つ聞いてもいいかな」

 

 

「ん?急にどったのー」

 

 

「…なんで、俺を好きになったんだ?なんで俺を。君が俺を好きと言った時の俺は、何も出来ない木偶の坊だった筈だ。なのに、どうして」

 

 

「理由なんて無いよ」

 

「ただ、強いて言うなら…

一目惚れ。それでいい?」

 

 

「…うん、いい」

 

 

「あはは、うん、か。

それじゃあ話続けてよ」

 

 

 

こくり、と頷いてまた話を続けようとした…

 

その瞬間だった。それは、脳の後ろに響くような音。声。どこかから飛んで来た電波を、脳が受け止めてしまったような不自然な音が脳に奔った。

 

 

 

(…けて…れか…

誰か…人間で…いい……)

 

 

 

「ーーッ!?」

 

 

 

それは断末魔。

何のそれなのかはわからない。

どうあって聞こえてきたのかもわからない。

ただ、頭を割るようにその音だけ響いた。

 

 

 

「…今、何か聞こえなかった、か?』

 

 

「?いや、なにも。

イドも疲れてるのかな?幻聴じゃない?

 

 

「いや…そうか…

ああ、そうだな。多分、気のせいだ」

 

 

 

ナナは聞こえていないと、言う。

きっと気のせいだと。

そう、思おうとする最中にもその声は続く。

 

 

 

(此処に、私の娘がいる。

彼女に──}

 

(彼女に、復讐をさせてくれ)

 

 

 

 

「……ド……イド!」

 

 

「ッ!」

 

 

 

ナナの、気付けの声でようやく正気付くイド。

その顔色はまた、ウンディーネより青褪めている。

 

 

「…疲れてるんだよ、イド。

今日は、あたしこれくらいでいいから休みな」

 

 

「でも」

 

 

「でも、も何も無いよ。あたしを大切に思ってくれるのは嬉しい。けど、あたしもそれと同じくらいイドを大切に思ってるんだから」

 

 

 

ちゅっ、と。

触れるだけのキスをした。

それは、ただの接触だったが、故に愛が伝わってきた。

友愛、恋愛、純愛。そういった、愛。

 

 

 

「あはは、またね」

 

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

その、ほんの数日後の事だった。

 

 

新しい計画の発足が、大々的に告知された。

死人のような顔色をしたフロイから。

 

先に聞いたゴイが激昂した。

ニコが、派手に顔を歪めた。

 

 

 

 

新たな計画。

それは、77番を母体に、苗床にして新たな個体を産み出すという計画。ハーフの、更に半分ならば。それなら人で御しきれるのではないかという、余りにも浅ましい計画だった。

 

ただそれでも、それが場当たり的なものではないことを知った。今までの彼女がただ、それの為に生かされていた事を知った。それを止めようと、どうにかならないかと思い、行動した。

 

どうにも、ならなかった。ただ、母体の素にする為にとイドの子種を摂取されて、寧ろ利用されてしまうだけで。

25番と51番は去勢されている為、お前からしか摂れないのだと。

 

 

 

 

それが、彼らの終わりの始まり。

 

 

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

ぜひゅ、ぜひゅ。

苦しそうに息をして、膨らんだ腹を抑えるナナ。

破水を起こして、共に出血をした。

その部屋に人は居ない。どいつもこいつも、薄汚い実験体の出産など見たくも無いと、立ち会いすら拒否をした。騎士団の皆は、示し合わされたかの如く不死殺しの任務につかされた。

 

 

 

ナナは、ここで死ぬのだと分かった。

胸、腹が大きく裂けている状態でのこのような悪環境での繁殖。それに耐え切れる筈など無いと、自分の身体故に一番理解していた。

 

 

 

「……ッ、ナナ、ナナッ!ナナッ!!」

 

 

がぁん、と扉を壊す勢いで飛び込んでくる音。

ただ一人、イドが戻ってきた。彼女の横にいる為に、誰よりも、何よりも早く任務を終わらせて、走って来た。

ただ、それでもあまりにも遅すぎたのだが。

 

 

 

「ナナ、しっかり、しっかりしてくれ…!

もう少しだ、もう少しで二人も戻ってくる!

ゴイがいれば、きっと色々教えてくれる!

ニコがいれば、何か、きっと処置を…ッ!」

 

 

 

絶望的な趣きで、イドが呟き続ける。

そうはならないのだと、ナナが首を横に振ったからだ。

 

彼女はただ熱に浮かされて、言葉を呟き続けた。

もう、できるだけ遺すことを少なくするように。

 

 

 

 

「……クク、あ、ハハハ。この笑い方も、本に載ってたものを必死に真似しただけ」

 

 

「………っ…?」

 

 

「笑っちゃう、よね。

あたしさ、イドに人らしく、なんて言っておいて。笑い方も何も、ぜーんぶ知ったかぶりだよ。こんな笑い方、あたしじゃないの」

 

「私、あたしには、結局最後までそういうさ、普通とか、普通の幸せとかわかんなかった。必死に、人の真似をして騒いでたけど、もう、その必要もないみたい」

 

 

「…そんなこと無い、無いから、頼む。

そんな事を言わないでくれ」

 

 

「ねえ、イド、どう。

あたし、ちゃんと人間らしくいられた?」

 

 

「ああ。ナナのおかげで、みんなは人らしくいられた。

俺も、だ。きみのおかげだったんだよ、本当に」

 

 

「あたし、本当にイドのこと好きだったのかなあ』

 

 

「俺は好きだった」

 

 

「そっか、そっか。

うん、あたしも、大好きだった。

きっと、愛してたんだと思う。

これは、きっと愛だったよ」

 

「ハハ、あは…」

 

 

 

 

びく、どくん。

身体が、一際強く痙攣した。

激痛に顔が歪む。

赤子が蠢く衝撃で、腹部が裂けていく。

その悲鳴を噛み殺しながら、ナナが話す。

 

その目から涙が、ぼろぼろと流れ落ちていく。

赤い涙と、透明な涙。どちらも混じって。

 

 

 

「くやしい、悔しいなぁ…!なんで、なんで好きな人への愛すら、わからないんだろう…!なんで、こんな普通に知ってるはずのものすら、あたしたちは知らないんだろうね…!」

 

 

 

普通。

普通とは、なんだろう。

イドにはわからなかったもの。

そして、ナナにも、生涯わからなかったもの。

皆が持っていて当然のものは、彼らには与えられなかった。奪われ、与えられず、遠ざけられ続けていた。

 

 

 

「悔しいな、ぁ…

あたし、ようやく、貴方を愛して…

普通の、普通の女の子みたいに、恋愛とか、さ……

できたじゃん、なのに、こんな。

死にたくない、死にたくないよ…」

 

 

 

どぐ、どぐ。

滝のように、血が流れていく。

それを止める術が一つもない。

イドは手の内で消えていく命に、絶望的な無力感を覚えた。自らの頬を濡らす感触が、初めて流す涙である事にすら気付かず。

 

 

 

 

「………ね。ゴイに伝えて。

あんたのうるささ、嫌いじゃなかったって。

あんたに救われて、妬んでた。

ずっとあいつみたいに、人間らしくなりたかった」

 

 

「ニコに、伝え、て。

もっと、愛想よくなんなよって…

フリでもいい、そうした方が、いいよ…

せっかく、美形なんだから、ふふ…』

 

 

 

「ナナ、やめろ。やめてくれ、ナナ。

そんなことを言わないでくれ。

まるで、これで終わり、みたいじゃないか」

 

 

 

「…ごめんね、イド。

ごめん。今から、酷い、呪いを残す」

 

 

 

 

目から、光が失われていく。

唇から熱が消えていく。

喉にすら、息が掛からなくなる。

流れる血すら、止まっていく。

 

 

「これが、愛って気持ちなら。『この子』と、あんただけはね、心の底から愛おしいと思うんだ」

 

「フロイが教えてくれたの。

これの、種はあんたのものだって。

それだけ、唯一、救われるようだったんだ。

あなたとの、子どもっていうのが、嬉しい」

 

 

 

「だからさ。

この子だけは、この私たちの子だけはさ。

こんな、こんな生活じゃなくて」

 

 

 

「普通の暮らしを、させてあげて」

 

 

 

 

目の焦点が、消え失せた。

流れる血が、完全に止まった。

ただ、ぽたりぽたりと垂れるに留まった。

声も、もう聞こえない。

 

それでも、彼女の額に額を当てて。

最後に、言葉をほんの少しだけ交わした。

 

 

 

(ねえ。

この子の名前、考えてたんだ)

 

 

(名前?)

 

 

(うん。110番の、イド。

77番の、あたし。

足して、2で割ったら、94)

 

(だから、この子はね──)

 

 

 

名付けた理由は、番号由来だったかもしれない。

それでも、ただ、でも。

この子は94番でも、何番でもない。名前の元はそうであっても、この子に番号なんてつけさせない。

 

 

 

 

 

(この子は、ただの、【クシー】)

 

 

 

 

 

それは終わりの始まり。

大切なものが壊れて砕けて、無くなった日。

そして、また。

 

 

それは、誕生した日。

君が生まれた日。

 

俺が愛した君の。

愛子が生まれた日だった。

 

 

産声が、聞こえた。

 

 

 

 

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