【完結】血錆の騎士とはじめて愛された竜   作:澱粉麺

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許されよ
もうひとつの蛇の足


別離

 

 

 

暗い闇の中はそれ故に安寧に近い。光は全てを見透かしていく。それが照らしたものの傷をより腐らせることを意に介さないままに。

だからその男には、それがよかった。

その真っ白な鎧が黒く埋もれるほどの暗黒こそが、むしろありがたく、安心する場所だった。

 

ゆるゆると溶けていく身体は、きっと苦痛の先触れ。

だからこそその男には、それがよかった。

きっと予測できる痛みこそが彼の犯した罪への罰。

彼が抱く罪の意識を慰めてくれる贖い。

歩いていく。

どこに行くためではなく、何にも遭わない為に。

逃げて、逃げていく為に。

 

 

「挨拶も、無しかィ」

 

 

そんな彼にかけられたもの。

それは太い、声だった。

闇の中でもそのまま存在が確かなもの。

彼に、彼らにとっては忘れられない声。

 

 

「………」

 

 

「だんまりか。ま、良いけどな。

それならそれで、これは俺ン独り言さ」

 

 

暗い暗い、光すら無い空間で存在だけが確かに見えた。彼の存在そのものの強さによるものか、果たして彼の記憶の中にある残光こそが彼の姿を鮮やかに映していたのか。

そんなものは、誰にだってわからない。

 

 

 

「………やめてくれ、51番」

 

 

「やめねェよ、ニコ兄ィ」

 

 

「その名で呼ばないでくれ」

 

 

「何度だって呼ぶさ」

 

 

「俺を許してはだめだ」

 

 

「赦すよ。

ぶっちゃけあン時ゃ恨んだけどよ…

結局、俺がアンタを憎めるわけねぇだろ」

 

 

太い、声。

それはただ大きな声という意味では無い。太く、図太く、硬い芯が有り、揺るがない。そういう、声だった。

ずん、ずんと近づいて、手を握る。

無理矢理に、闇に溶けた白騎士の、ニコの手を取って。

 

 

 

「…ク。

ははっ、はははは…

ありがとうな、ゴイ。本当に嬉しいぜ」

 

 

「…」

 

 

「…そう警戒するな。模倣、だ。

自分の模倣というのも滑稽なものだけどな」

 

 

 

そっと、軽薄な笑みが消えていく。

狂気に呑まれた彼のその貌は、ただしかし、彼の記憶の中に、皆の中に残り続ける。その罪が存在することも、確かで。

 

それを証明するようにまた一つの足音。

頼りのない、ふらりとした足音だった。

 

その足音はニコを見つけるとひたりと止まり、そして一気に助走を付けて…

 

 

 

「……この野郎ッ!!」

 

 

……思い切り、握り拳で顔面を殴り抜いた。

 

 

 

 

「ぶっ…ダッハッハッハ!

なんだいニコ兄ぃ、ずいぶん恨みを買ったなァ!

いやいや、気持ちのいい殴りっぷりだ。

お嬢ちゃん、名前はなんてんだい?」

 

 

「…あれ、なんか随分人相が変わってるね。

人違いだったかな?いや、ニコだよな、アンタ」

 

 

「………いーや、俺だよ。セーレ」

 

 

頬から血を拭いながら立ち上がろうとする、ニコ。

その腕を蹴り払い、更にもう一発殴る。

殴って、殴るセーレ。

それを抵抗もせずにニコは受けていた。

暫く、それが続き。

 

 

「…ぜっ、はっ、はっ…

…あー、すっきりした。

アンタほんっと最低だね。最期お城に向かわせるのどころか、そもそもアタシと契約を結んだのもアレの為だったろ」

 

 

「…ああ、そうさ。

契約結んだのがその為ってのもその通りだし、最低ってものその通りさ。俺のこと軽蔑してくれたかい?セーレちゃん」

 

 

…セーレを前に、彼の様子はまた一変した。

それは恨まれる為にそうしたわけでも、彼女の前で生前を再現しているのでもない。どちらかが彼であったわけではなく、狂気に呑まれてあろうと、彼は、彼だったのだから。

それは狂気に呑まれていようが、彼だった。

ニコという人格の、その一つではあったのだ。

 

 

だから、その軽薄な様子に。

セーレは諦めたように笑った。

 

 

「軽蔑も何も、しっぱなしさ。

だからあたしの仕返しはこれでお終い。

十分にすっきりとしたしね」

 

 

 

ゆるされよ、許されるべくもない罪人故に。

ゆるされよ、ゆるしをこそ求めてない者故に。

 

ゆるされし罪人が、それを一番求めていなくとも。

求道せずともそれこそはつまり、救いとなるのだから。

 

 

ニコから軽薄な笑みが薄れた。

何かを言いたげに、口をもごもごと動かして。

そうしてから、一言放つ。

 

 

「……ありがとう」

 

 

軽薄でも、ぎこちなくもない。

心の底から溢れた笑みだった。

彼が生前に、全てを賭けて、家族をも捨てて求めた感情が、ただ死んだのちにのみ与えられる。

それは、何よりも残酷なことだ。

 

そうだ、何よりも残酷。

命と同等に大事であった家族を切り捨ててまで得たかった筈の感情は、こんな、こんな簡単に手に入るものだったなんて。

 

到底許すことはできないと思っていた白騎士を、しかしセーレはその姿を見て溜飲を下げたのか。はたまた自らの怒りや恨みすらをも赦すことができたのか。ただ、泣きそうな顔で笑っていた。

 

 

 

「ありゃりゃー!?

なーんで私の紅一点の枠にもう居んのぉ!?

さては浮気!浮気かおめーら!最低だぞこちとらずーっとこっちでスタンバッてたってのにそっちばっかり楽しみやがってこらーッ!」

 

 

 

………

 

……そんな空間を割り割くような声が聞こえる。

セーレは聞き覚えの無い声にぎょっと驚いた。

ゴイは、いたずらっぽくキキッと笑った。

そしてニコが苦笑しながら、頭を抱える。

 

 

 

「…相変わらずお前の声はやかましすぎる、77番」

 

 

「ん何だとこーの先輩ヅラしときながらその実一番メンタル弱弱なアホアホ野郎!よっくもゴイを殺してイドも殺して、よくも、よくも…」

 

 

 

言い淀んだナナの袖を、くいと引っ張る姿。それは小さくて、まだ年端も行かない幼女の姿だった。

 

その姿に、誰よりもただセーレが驚いた。

その顔の、その指の、いつか見た姿のようで。

 

そうして、口を開く。

ゆっくりと、口惜しむように。

 

 

 

「…そうか、あんたが『クシー』なんだね。

まったく、可愛い子だこと」

 

 

幼女は、彼らの娘であるクシーは。

ただ怯えて母親の背中に隠れてから、呟く。

 

 

 

「…その、あな、たは?」

 

 

「あたしはセーレ。

……あんたの父親の友達だった」

 

 

 

「たーっは!イドまさか本当に浮気してたの!?そりゃないよあの最低男!私必死に呪いを遺したからぜーったい操を守って私以外と付き合わないタイプだと思ったのに!もー最悪!」

 

 

「……ナナ、ちょっと静かにしてやれや。

色々と雰囲気が台無しになってらァ」

 

 

 

もごもごと、口を塞がれるナナの横で女性同士の話は進む。彼の娘と、彼に横恋慕をした愚か者。

 

 

「父さんは、どんな人だった?」

 

 

「…愚直なくらい、真っ直ぐだったよ。

見ていられないくらい、痛々しいくらい」

 

 

「…わたしの、せいだったのかな」

 

 

「そりゃ違う!

…あの人は、それを自分で選んだんだ。

例えもうそれしか目に映らなかったんだとしても、イドの旦那が選んだ行動だった。それを否定は、しないでやってくんないか」

 

 

 

「ぷはあっ!旦那!?旦那っつった!?え、ジョーダン抜きで本当に浮気!?いや子供がいるからこの場合不倫って奴!?あのやろ〜ベロ引っこ抜いてそこに焼き串突っ込んでもがっ」

 

「…77番…!」

 

 

「……いや、ニコ。口押さえなくていいよ。代わりにそこのナナさんと話させてくれ」

 

 

 

ようやく、拘束を解かれたナナ。彼女はしかし、そのまま捲し立てたりはせずにそのまま静かに立ち尽くした。

 

 

「…不倫なんかじゃ、ないさ。

結局のところ、旦那の中にはいつもアンタ達が居た。あたしなんて入る隙も何も、全くないくらいに。それは信じてやってくれ」

 

 

「うん。知ってる。

ごめん、冗談のつもりでも良くなかったね」

 

 

「……」

 

 

「く、アハハ。アタシって嘘つきでね。

本当は感情もそんな豊かじゃないし、今うるさくしたのだって特に理由があるわけじゃないの。人っぽく、ね。

だけど、ただ、そんなアタシでもね。

イドのことは、ずっと、信じてる」

 

 

ナナが、ぽつりと寂しそうに笑った。

 

 

「…だから、あいつが他を愛したのなら。

そのヒトもきっと、悲しいヒトなんだって」

 

 

ニコが横で、何とも言い難い顔をした。

セーレは顔を歪めた。

悲しみか、驚愕か。少なくとも愉悦などではない。

 

ゴイは、姿を消している。

暗闇の中に姿を消したように。

闇に身体を溶かされ、存在が無くなったように。

 

 

 

「……そう。アタシは過去だ。

だから、もう、彼から過ぎ去ってもいい。

だけど唯一心配なのは…」

 

 

そうして、ナナは娘の顔を見た。

クシーのその姿ももう、闇に溶け始めている。

 

そうだ。ここは、そういう場所なのだ。

ただ、揺るぎない後悔と未練のみが彼らをここに遺していただけ。それさえ無くなれば、こうして姿を無くしていく。

存在を消していく。何もかも、無くなっていく。

それはたましいと呼べるような、それすら。

 

 

 

「ううん、いい。

私は、……さんに」

 

「…お、とう、さんに」

 

 

 

そんな輪郭が溶け始めた姿ですらわかるくらい、照れくさそうにクシーははにかんだ。もじもじと、身体をよじりながら。

 

 

「…おとうさんには、あわなくてもいい」

 

「…今、きっと私がお父さんにあっても。

きっと、おとうさんを苦しめるだけだから」

 

 

 

照れ臭そうに。

それでいて、確固を持って言った。

声量こそ非常に物足りないがしかし、それは。

とても、『太い声』だった。

 

 

とろけていく娘を、身体いっぱいに抱きしめる母。

その姿は、一度たりとも出来なかった筈なのに。

人のふりをしているだけと嘯いた筈なのに。

何よりも、慈しみに溢れていて。

 

 

「いい子だね、ほんとに」

 

 

ぎゅっと、強く抱きしめた。

壊れるより、痛く感じる少し前くらいの力で。生きている内に伝えられなかった愛の、億分の一でも伝えられるように。せめて今持っている愛だけでも最期に伝えられるように。

 

 

 

「…地獄でも、貴女に逢えてよかった。

クシー、貴女は私の…

私たちの、自慢の娘だよ。

 

「うん。だからせめて、おかーさんに甘えな。

せいいっぱい、甘えな」

 

 

 

…腕の中で、笑いながら泣く姿が見えた気がした。

それすら幻のように姿を消す。

ナナはいつまでも虚空を抱き続けた。

自らも闇に溶けるまで、ずっとそうし続けた。

 

ずっと、ずっと。

 

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

ゆるされよ。

ゆるされるべき罪で無い故に。

 

ゆるされよ。

せめて彼の世界でのみ。

 

離別とは苦痛。苦痛にして悲痛。

 

しかし正しい離別は、苦痛と共に救いを与える。

救われなかった魂を、悲痛と共に救ってくれる。

 

 

故に余りあれ。救いあれ。

大仰な救いでは無い。

それでもただ、彼女たちに、ただ。

 

 

ただ、正しい離別を。

 

 






以上で本当に終わりです。
ありがとうございました。
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