【完結】血錆の騎士とはじめて愛された竜   作:澱粉麺

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永き悪夢、明けぬ夜

 

 

 

 

目を覚ました理由は、異常を感じ取ったからか。

異常を感じたからこそ目を覚ましたのか。

 

いずれにせよクシーは真夜中に目を覚ます。

眠気も鈍麻も残らない覚醒。そうだ、身体が人となろうと、竜としての本能が、ここで目を覚まさねばならないと確信している。そのような目覚め。全身の肌と毛が、総毛立つ。

 

 

駆け出し、ホテルのラウンジへ。何か、まずい事が起こっていることだけは覚醒の瞬間直ぐに分かった。

 

 

「…ッ!」

 

 

扉を壊すように蹴り開けた先の光景。

それは、意味のないうめき声を上げながら牙を向ける無数の死体達。

それらを一振りで首を刎ねていく騎士。その後ろで、果敢に鍋や包丁を振るうセーレの姿。

 

 

 

「!後ろに下がってなクシー!

アンタ、絶対前に出るんじゃないよ!」

 

 

こちらに気付いたセーレが震えた声を挙げる。だがそれに構わずクシーは前方へ躍り出る。ただ、彼の名を呼ぶ為に。名前を。

 

 

 

「イドッ!」

 

 

「下がって……いや」

 

「…力を貸せ、我が翼よ!」

 

 

互いに、一言で十分だった。交わした目とそれが、彼らにとっての全てだった。

ただそれに、ぎん、と契約が強く輝いた。赤く、それでいて仄暗く。そして何よりも力強く。呪いの力が身体に蔓延する。

 

 

 

「ええ、私の騎士…!」

 

 

べきべき、みきみき。

その小さな体に不釣り合いに、肥大化した翼。否、肥大化ではない。ただその部分だけが、あるべき姿に戻っただけ。

しかし細身の少女の姿に生えたそれは、まるで腫瘍の様にアンバランスだった。

 

イド達がその場で這うようにしゃがむ。

それに巻き込まれてしまわないように。

 

 

刹那、翼が空間を分断。全てを薙ぎ払った。

上顎、首、臍のすぐ上。両断された箇所は様々だったが、どれにせよ、全ての敵は動きを停止した。

のたうち回る音が暫く響き、すぐに沈黙が戻る。

 

 

 

「…す、凄いね、クシー。あんた…」

 

「……」

 

 

セーレが震えながら、こちらに声を掛ける。

その震えは、死体に襲われた冷めやらぬ恐怖からくるものか、はたまた本性を表した少女への畏れか。

 

 

 

「…イド、状況を教えてほしい」

 

 

「……最悪の事態だ。街を闊歩するリビングデッド。異常に活発に動く蝙蝠達。間違い無く、バンパイアだ」

 

 

「バンパイア?」

 

 

「知らないのか?意外だな。不死者については貴様の方が詳しいと思っていたが」

 

 

「きっと最近に生まれたんだと思う。中途半端な、古い記憶しかない私にはわからないから」

 

 

「待て、不死者に『新たに生まれる』という概念があるのか?

…いや、違う。気になるが、今はそんな事を話している余裕はない。手短に説明をしよう。最低限知らねばならない事だ」

 

 

こくり、と頷く。

 

 

 

「…バンパイア。吸血の鬼。血を食らう不死者の一つにして、最悪の病害。俗に、疾病の象徴とも呼ばれる事がある」

 

「全く持って困る事に、それは言葉負けしてない。奴らがいる所には死が蔓延する。その原因が奴らの食事、バンパイアの食事には漏れなく動く死体…ゾンビを伴う」

 

 

そう言いながら地面に転がる、今はもう動かない死体を指す。眼玉の光は既に腐敗し、白く濁っていた。

 

 

「バンパイアが捕食した人は、こうなるってこと?」

 

 

「正確には、人以外もだ。全ての生物は噛まれるか、その爪や牙にほんの少しでも傷を付けられようものなら例外無くこの生きる屍となり、そして……」

 

「……眷属に傷を付けられた者もまた、眷属となる」

 

 

「…まさか」

 

 

「そうだ。そのゾンビはまた誰かを喰らい、襲い、その喰らわれたものもゾンビとなる。それはどんどんと速度を増して行き…」

 

「…気付けば、街一つが滅びる災渦、病渦となるわけだ。そして産まれた大量の死人達はまた新たな餌を求めて他へ行く。

人が多くいる所を、蝗害のように渡り歩いて」

 

 

 

ただ、ぞっとした。これは、このゾンビは悪意を持って作られた存在なのではないかとすら思った。

 

この動く死体たちの恐ろしい所。それは異常な増殖能力もそうだが、何より人の姿を保っている事。

それはこいつらに、人が引き寄せられるという事。ふらふらと歩く姿に、善意を持つ人間が近寄るだろう。ゾンビを知らぬ人間が、不審に思い彼らに近づくだろう。何より、その食死鬼の元となった人間と親しい人。それらは喜び、ハグをしに行くだろう。

 

この見た目そのものが、生き餌となっているのだ。

まるで悪意の煮凝りのような、物体だ。

 

 

 

「…止めないと」

 

「ああ、だが…」

 

 

「ダンティ!」

 

 

二人の声は、その悲鳴に遮られる。

ヒステリックなそれは奥の部屋から聞こえてきたセーレの声。弟達が無事であるかを確かめに行った彼女の声だった。

 

 

「ダンティたちが居ない!

あのバカたち、部屋に居ないよ!」

 

 

それを聞き、竜はひくりと引き攣った。

あの日の約束が、脳裏を掠めた。

夜に秘密基地に集まる、その口約束。

 

最悪の想像が、クシーの脳をよぎる。

 

 

 

「…セーレ。俺たちが出たら直ぐに入り口を塞げ。出入口全てにバリケードを作り、二度と戻って来れないように」

 

 

「え」

 

 

「まだ生きている者がいるかも知れん。

貴様の弟も含めて、だ。それを探しに行く」

 

 

大剣を無造作に背に追い、ずんずんと歩き始めるイド。それに一瞬困惑をしてからついて行くクシーと、それらを見て困惑するセーレの姿。

 

 

「ちょっと待った!『俺たち』って…

その子も連れて行くつもりかい!?」

 

 

「…セーレ。私は、本当は人間じゃない。

だから心配する必要も…」

 

 

「知ることかい!アンタが何モンでも、アタシがアンタを守らない理由にはならないんだよ!」

 

 

 

…安心をさせる為の言葉は、かえって彼女の激情に油を注いでしまったようだった。クシーには、まだ人の心は分からない。

否、永遠に理解など出来ないのかもしれない。

 

 

「俺たちを信じろセーレ。この娘は、戦える。

俺たちを救ってくれる、傑物だ」

 

 

ただしかし、その激情は、真っ直ぐに見つめて言った騎士のその言葉にハッとした顔と共に消えざるを得なかった。

その目から、今の発言が真実であること。そしてまた、クシーがいなくば、この街はもう助からない事がわかってしまった。

果たして、本当に助かるのかは別として。

 

 

 

「……クソッ!イドの旦那。その子に少しでも傷を付けてみなよ!はっ叩いてボコボコにしてやるからね!」

 

「約束は出来ん。殴られる覚悟はしておこう」

 

 

「…クシー!……弟たちを頼む…!」

 

「………」

 

 

 

彼女もまた、約束は出来なかった。

だからただ、沈黙を返した。

 

 

 

そうして、痩せぎすの少女と見窄らしい騎士が、宿から風のように走り去る。

 

彼らを見送り、早速彼の言うように出入り口を塞がなければ。セーレが、そうして足に力を込めた時。

 

 

 

 

ずきん、と足首が痛んだ。

 

 

その痛みに青ざめる。

 

それは、切り傷、擦過傷などの、外傷の痛み。

いつ怪我をしただろう。思い当たる節は一つしか無かった。

 

息も荒く、ズボンを破り裂くように捲り上げる。

まさかと思いたかった。

何かの、間違いなのではないかと。

 

 

 

だがそこには、無慈悲にヒトの噛み跡があった。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

「…さっき」

 

 

「何だ」

 

 

「さっき、『だが』って言いかけたよね。何を言おうとしたの?結局、ぜんぶぜんぶ殺すんだから、放置しておいても手間が省ける、とか?」

 

 

「……俺は確かに人でなしだが、そこまでは言わん。何より、あのゾンビどもが蔓延る世界は、想像をしただけでも不愉快だ」

 

 

確かに、そんな事は言いはしないだろう。

彼ならば、言う前に行動をするのだろうから。

 

 

「言おうとしたことは、ただ…」

 

「…ただ、俺たちは確かにこれを止めねばならない。それは、間違いが無いが」

 

 

クシーには珍しく、その言葉の先が解った。

その、絶望的な、『が』の発音。

 

いつからこうなった。

どのタイミングで、吸血鬼はこの街に来た?

俺たちは、遅すぎたのではないか。

そう言わんとする、それ。

 

 

 

「……もう、手遅れかもしれん」

 

 

最悪が、彼らの脳をよぎる。先立って、常にある物。ただそれが、真実でさない事を祈りながら町を進む。

 

 

 

道中には大量のゾンビ。それら一つ一つを相手取れば、その間に夜は明け、生存者など居ない死の町を太陽が映し出す事となるだろう。

 

だから、それらは未だ無視をして進んだ。

その先にあるものに、クシーが足を止めるまでは。

 

 

 

それは、見紛う筈も無かった。ほんの昨日まで笑顔の弾けていた顔。今や、白い腐敗の目と、弛緩した表情のみになっている。

 

ダンティだった。

 

ただ竜は、足が止まり、口を抑える。

何も出来なかった。声を掛けることも、何も。

イドは静かに目を伏せ。

……その刹那に腰の短剣を引き抜く。

 

 

 

「……待って。ねえ、治す方法は」

 

 

「…」

 

 

「これを、ゾンビ達を元に戻す方法は」

 

 

「無い」

 

 

「……え」

 

 

「…そんなもの、何一つ無い。

感染の容易さ。致死率。そして治療法の欠如。

その全てを兼ね備えるからこそ、最悪なのだから」

 

 

 

止めねばと掴んだ手が、ずるりと離れる。

ああ、そうだ。きっとそんな事、竜は分かっていた。だがそれでも、一縷に縋らずにはいられなかったのだから。

 

 

どこかへと歩き去ろうとする死体。

その足取りは、確かに何かを目指している。それは、命の気配を感じ取り、それに向かっているのだと。

 

 

「クシー。…ダンティを殺すぞ。いいか」

 

 

「っ!だめ!」

 

 

「ならどうする。貴様が殺すか。奴らを苦しませずに。『一匹』を殺そう物なら、周囲の全てが貴様を襲って来るだろう。それが出来るか?」

 

 

「出来るに決まってるでしょッ、さっき…」

 

 

「違う。実際に行える実力を持つかの話ではない。

……今の貴様に、こいつらを殺せるか。

この、ダンティの姿をしたリビングデッドをだ」

 

 

「……」

 

出来る、と。直ぐに答えるつもりだった。

だが代わりに口から出たのは、意味の成さない吐息。

口が空いて、何も用を成さずに、ただ閉じた。

 

 

時間は、残酷だ。

ただそうして騎士が問い、竜が悩む間に、そのゾンビ達はどこかへと歩いて行く。それをただ、見失わないようについて行く。

どんどんと合流して、数が増えていく。

竜が答えを止める度に、その死は数を増やす。

 

 

「さあ、どうする」

 

 

 

……私が。

 

 

「………私が、ちゃんと殺すから。殺してみせる。

ぜったいに、そうする」

 

 

「良い答えだ。良い、目だ。

ならば貴様に、それは任せよう」

 

 

「…任せる?

イドは、ついてこないの?」

 

 

「ああ。…俺は、あいつを殺す」

 

 

 

じゃらん、と背の大剣が鎧と擦れながら引き抜かれる音。

イドの視線と、遊歩する死体達の足が進む先。そこは市場の大広間。人々の憩いの場であったそこは今や、ただ死体が埋め尽くす。小さな噴水はその清水を赤く、腐った水に変えている。

 

そして、その広間の中央。そこに貴族じみた瀟酒な姿をした男の姿がある。蝙蝠を操り、血と肉を貪る、不死身の姿。

バンパイアの姿。

 

 

「……!」

 

 

イドは、クシー以外の不死を殺す、と。

暗にそう言っているのだ。

 

 

 

「…行け」

 

「…ッ、わかっ、た」

 

 

 

ただそれでも、頷くしかなかった。

それは、一瞬なりとも彼の期待を裏切った事。小さな友人を、それでも追わねばならない事実。何より、自らの我儘がこの状況において邪魔にしかならない事が分かってしまった。だから、頷く事しか出来なかった。自らの執念を捨ててでも、しなければならない事があるのだと。

 

 

 

 

しかし、か。だから、と言うべきか。

クシーはイドに一抹の心配もしなかった。

 

彼が殺し合う相手は、バンパイアだ。

不死の化け物、最悪の病害。

少しでも傷を付けられれば死となる、理不尽な敵。

人が敵うべくもない、狂乱の怪物。

 

 

それでも、クシーは、彼を。イドを、そんなものを優に上回る怪物だと信じていた。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

 

意志、感情。そう云ったものには、匂いがある。

血の匂いとも少し違う。

錆びた鉄にも似て、より昏い。

 

脳をぴりぴりと刺激させる臭いが、闘いに不適合な思考を麻痺させて行く。そして同時に、感じる怪物の気配に身体から汗が滲み出る。身体が、生物としての本能が、あんなものと戦うべきではないと危険信号を発している。本能が逃げる事を選んでいるのだ。

 

 

どちらかが、感じたものではない。

どちらもが、感じ取った臭い。本能。

 

示し合わせたように、一対の視線がかち合った。

 

 

 

「……お前は…いや。あの男と似ている、が。

どうも違うな。誰だお前は」

 

 

「誰であろうと良いだろう。

どうせ、直ぐに何も分からなくなるのだからな」

 

 

 

会話はもうそれ以上交わされる事は無かった。

互いに、それが成り立たない相手だと察し取った。

互いが互いを、殺さねばならないと熟知した。

 

刺激臭が、その匂いを増して行く。

肌が、髪がゆらめかんばかりの張り詰めた空気。

 

 

 

 

ずん。

 

「!」

 

 

 

地面を踏み込む音は一つ。騎士が地を割れんばかりに踏み込み、剣を振るわんとした音。

 

だがしかし、驚愕したのも、イド。

踏み込みの音は一つで、あったのに。目の前の不死は自らの前に姿を現していたのだ。まるで、転移でもしたかのように。

 

 

「かッ!」

 

単純な、蹴り。

ただそれが、騎士の腹部に直撃する。

ただそれだけで、激しく後方に吹き飛ばされる。

ただの蹴爆での飛来距離では、あり得ないほど。

 

勢いを後転で殺し、そのまま迅速に体勢を整えるイドの視界を埋め尽くすは無数の蝙蝠。

生き物の群れとは思えぬほどの直線。熱線が如きそれらの、全てのその個体が牙と爪を妖しく光らせていた。

 

まだ膝立ちの状態で、大剣を構えた。そして、その不完全な体勢で奇形の剣を振るう。その一振りはそれでもしかし、風の流れを作り出し、蝙蝠を彼方へと飛ばす。ほんの少し掠った個体は、それだけで四散した。

 

 

「やはり通じんか!」

 

その声は、再び目の前から。

吸血の鬼の更なる追撃。

 

 

「…ッ!」

 

 

刹那の判断。イドは大剣から手を離す。短剣を抜き放ち、居合のように彼の敵の指を切り落とした。怪力を振わんとしたバンパイアは痛みに一瞬怯む。その隙を狙い澄まして、騎士が意趣返しのように蹴りを放った。ただそれに、敵が滑稽なまでに吹き飛んでいく。

 

だがそれを眺めている余裕は無い。

ちぃ、と舌打ちをしながら大剣を拾い上げ、猛スピードで横に走る。刹那、先程までいた場所に蝙蝠の大群。

 

彼は鎧を着込んでいる為、切り傷のような外傷を付けられることはまず無い。だが、蝙蝠にその内側に入り込まれたらまずい。

 

 

「面倒な、真似をする」

 

 

再び、剣を振るう。

十全な姿勢から振るわれたそれは、今度は地面へと叩きつけるような風の暴流となり、ただ蝙蝠を全て黒々とした染みに変えた。

 

 

 

……しばらくの静寂。

再び、睨み合う。

 

ずず、と切り落とした指の戻っていく音。

その再生能力は、他の不死者の比ではない。

 

 

(成る程。

出し惜しみをして殺せる相手では無いな)

 

 

先んじて奥の手を出し、その対策をされる。それを警戒しての咬合だった。だが、あのような再生の力を持つならば、一度行動不能にしてから介錯をするなどは出来そうも無い。

 

 

瞬間。

 

 

「!」

 

 

心が揺らめく。

それは、闘いに於ける高揚でも、怪物と戦う恐怖でも無い。

赫く、赫く光る、契約の印から伝わってくるもの。

 

ああ。激しい嘆きが薬指から流れ込む。

激流のような、竜のそれは、彼に力を与える。

呑まれそうになるほど、吐き気がする程に。

 

何を見た。

何を行った。

何を考えた。

どれでもいい。

そのどれであっても、それは彼女の血肉となる。

そしてそれはまた、彼自身の怨讐の餌と、なる。

 

 

 

ごう。

奇剣の周りに、熱が揺らめく。

青い光。黒く、昏い。

火という存在を侮辱するかのような青。

 

 

 

「…っ」

 

 

バンパイアの表情に、ありありと恐怖が浮かぶ。隠していた感情。読み取られんと努めていた畏れの感情が、隠しようの無い程に。

その、恐れる様子を見て。

騎士は分厚い兜の奥で口を歪めた。

 

 

焔を纏う剣を構える。

それを見て、吸血鬼は、嗤った。

 

 

 

「フ、ハハハ。やはり。お前は『不完全』なのだな。お前はその武器を十全に扱えていない。その青き炎も、ただ纏わせるのみで、その真の姿を作り上げる事は出来ないのだ」

 

 

その嘲りを聞き。

また、騎士は嗤う。

 

 

「クク。そうまで炎が怖いか。死が怖いか。

俺が未熟で、不完全な事は確かだ。

だが、不完全であろうとも、貴様は死ぬぞ」

 

 

びくり、と。その言葉に身体を震わせる。

先程までの勇壮さなど、影も無いように。

ただ心に付いた傷だけは、治らないように。

 

 

「……かァッ!」

 

 

そのワープじみた動きも、今や見抜いた。

蝙蝠の目眩しと純粋な筋力の産物であるその高速移動は、恐怖で平静を失った彼にはもうまともに出来はしない。

 

 

だからイドは、大剣から手を離した。

投げ付ける、投擲する、でも無い。

ただぐぁらんと、地面に乱雑に投げ去る。

 

 

呆気。

最も恐れていた武器が、炎が。

目の前から捨てられるというイレギュラー。

それに、不死者の思考が停止した。

 

 

「………ご、ぶ」

 

 

その虚を、心臓を、騎士の錆塗れの籠手が貫く。

 

ああ。そして青黒い焔が、彼自身の。

騎士の籠手に、燃え移っていた。

 

 

彼自身、身体を燃やしながら。不死を殺す炎を腕に纏い、それを不死身の体内にねじ込む。裂き貫いていく。

 

ぐち、ぶちぶちと繊維が裂ける音。

生臭く煙を発する、命が焼け落ちる音。

そして何よりも、はらわたを素手で引き裂かれる想像を絶する苦痛に依る、吸血鬼のぞっとするような悲鳴。

 

 

「ぎ…」

 

「……あああああアアアあアッ!」

 

 

苦痛の悲鳴は、それで最後だった。

それ以降はただ、悲鳴をあげる力すら残らない。

ただ、拷するような処刑が続いた。

 

 

 

……暫くの後、引き裂かれ、貫かれ、ボロ切れのようになった鬼と。それを見下す、騎士の姿。

 

 

 

「……たく…ない……」

 

「たすけ…死にたくな…死に」

 

 

「死にたくない。死にたくないか。それが数百、数千を殺し見下した不死の者が言う言葉か」

 

 

吐き出すように、言い捨てる。

地に置かれたままの大剣を拾い上げ、再び焔が猛る。

 

 

「貴様は、自身の命に、奪った数千よりも価値があるとでも思うか。笑わせてくれる」

 

 

どずり。

脳幹に、大剣が突き刺される。

体内から蒼い炎が燃えていく。

 

 

「呪われろ」

 

「呪われろ。貴様の命は誰にも祝福されぬ。

永劫に呪われろ。呪われろ」

 

 

どず、どずり、どず。

幾度も幾度も刺し、抜き、刺す音。

執念、狂気、憤懣。どれでもあり、どれでもない。

 

 

…不死者の一つ、吸血鬼。

その死は、ただその体躯がジャムのように、不定形になるまで続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

(ああ。私のせいなのかな。

イドなら、もっと早く、上手く出来てたのか)

 

 

 

じんわりと、心のどこかが出血する音。

血が止まらないような気がした。

不死の治らない傷とは、心の有り様なのだと。

 

 

 

(私があの時。

すぐに殺せれば、こんな光景を見ないで済んだのかなあ)

 

 

 

人の身体を得て、獲得した感情。

微笑ましさ。友情、嬉しさ。

その全てが、その傷の深さそのものになる。

 

 

 

 

(こんな、仲間が仲間を喰らう光景を)

 

 

 

『俺たちいつだって仲間な!』

 

声だけがリフレインした。その仲間の一人が、みんなを肉片にしながら喰らう光景を、どう思って眺めればいいのだろう。

そうして喰らわれた仲間が、欠損した死体のまま動くその様を。どう、感じていればいいのだろう。

 

 

 

腕が、竜の姿に戻っていく。

竜体となった部位は、震えず揺るぎない。

それだけは、唯一救いだったかもしれない。

 

 

 

「………アアぁああああッ!」

 

 

悲鳴を上げながら、竜の手を振り下ろす。

潰す、振り下ろす、潰す。

仲間たちを、その肉塊を、潰し、潰す。

 

屍に変わり果てた彼らの姿をもう見たくなかった。

そうなった事実の全てが、あまりにも残酷だった。

叫んで、潰さなければ、気が済まなかった。

 

涙を流しながら。

反吐を吐きながら。

 

 

「ああっ!ああっ、ああァッ!」

 

 

声を上げながら、何度も、何度も、潰す。

最悪の感触。最低の心情。それはまるで、永い、永い悪夢に身体を浸しているようだった。

 

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

 

「……イド、殺してきたよ。

あの子達だけじゃない。見かけた奴ら、全員」

 

 

「そうか。…疲れただろう」

 

 

「…うん。すごく、つかれた」

 

 

結局のところ、生存者など居なかった。その真実は歩き回るたびに残酷に、彼らに突きつけられた。

 

 

 

「だが、最後に一仕事を頼めるか、クシーよ」

 

「仕上げに、この街の全てを燃やさねばならん」

 

 

 

ああ、そうだろう。

そんな事、分かっていた。

 

確かに、人のゾンビは皆殺した。

だが、他は違う。

 

鼠が死体になっているだろう。

虫の何かが、ゾンビとなっていたらどうだ。

小さな蚊が、媒体になっていることもあるだろう。

 

それを残せば、また他の誰かが感染するやもしれない。

だからこそ、根絶やしにしなければいけないのだと。

 

 

 

「……ああ、やっぱりそうかい」

 

 

その声はクシーのものではない。

憔悴した、疲れ切った女の声。

さっきまで、張っていた筈の声。

 

 

 

「…セーレ。出るなと言ったはずだ。

何故、こんな所にいる」

 

 

「あははあ。心配する必要はないさ。

あたしはもう、とっくに噛まれてるからね」

 

 

「…何だと」

 

 

 

ヤケになったのだろう彼女は、そのままはだけるように脚を見せる。確かにそこには、噛まれた後。もう治らない病気の、刻印があった。

 

 

「……正直死ぬのは怖いけど。

でも、なんか安心したよ。

弟たちや、おっとさんのとこにあたしも行ける」

 

 

「違う」

 

 

 

…その否定は、イドが発したもの。問答の否定や事実の否定ではない。独り言の、それ。

 

 

 

「馬鹿な、あり得ない。どういう事だ。

これは、まさか。まさか、そうなのか?」

 

 

ぶつぶつと、心底狂ってしまったように呟き続けるイド。どうしてしまったのかと、竜が首を傾げた途端に彼はがばりと顔を上げた。

 

 

 

「……噛まれた者が、お前のように長く意識を保つ事などない」

 

 

「え?」

 

 

「問答無用で意識を失い、ゾンビとなるのだ。普通ならば、本来ならば」

 

 

「…何を、言ってんだ、旦那」

 

 

 

「一つわからないことが、ずっとあった。

バンパイアがどう繁殖し、増えていくのかということ」

 

「奴等には、性別が無い。

いや、正確には性別がある上で、生殖が出来ないのだ。その為の機能が抜け落ちてしまっている」

 

「ならばどうやって増えていくのか?

その答えが、今ここでわかった」

 

 

 

クシーと、イドが同時にセーレを見詰める。

その視線に彼女は、ぞっとした。

 

ぞっと、真実を悟ってしまったのだ。

理屈などを抜いて、その、一つの事実を。

 

 

 

 

「成る程、それは、一つの街どころか国を滅ぼしてすら1人できるか出来ないかというほどの確率なのだろう。普通はそんな非効率な繁殖なぞ、あり得ない。いや、非効率だからこそ、滅びたのか」

 

 

「……吸血の、眷属。その中で、限りなくゼロに近い確率で、耐性を持つ者がいる。それこそが、新たな不死者として、生まれ出るのだ」

 

 

 

 

その実、セーレには、彼の言っていることは少しもわからなかった。何がどうであるのとか、何の生態なのか、どうなのか。

そんな事はただどうでもいい。 

 

ただ恐ろしいのは、まさか、という事実だけ。

 

 

 

「…ふざけないでよ。なんだい。あたしは、バンパイアになったとでも言いたいのかい」

 

 

「ああ。そうだ」

 

 

「はは!なんだいそれ。ひどい冗談だよ。それじゃあたしは死ねないっての?」

 

 

「…ああ」

 

 

「弟たちも。父ちゃんが遺した宿も。生まれ育った所も。あの市場のパンの匂いも市場の騒ぎも全部全部、全部失って!

……なのに、あたしは死ねないのかい?」

 

 

「………」

 

 

 

沈黙。

だがその沈黙は、肯定よりよほど強いものだった。

 

膝から、崩れる。

 

 

 

 

「……はは…

…冗談きついよ………」

 

 

 

 

 

……失意の彼らと街を、太陽の光が差す。

朝が彼らを祝福するように顔を出していた。

 

 

長い、長い夜が、終わったのだ。

 

 

 

 

 

 

……

 

 

 

 

燃える。

偽物の世界樹も、町も。何もかもが。

ただ、火の粉になっていく。

 

 

遠巻きに、それを眺める。

1人の騎士と、2匹の不死者。

 

 

「ねえ」

 

 

「…なんだ、クシー」

 

 

「この町、良い人がたくさんいたね」

 

 

「そうだな」

 

 

「これまで滅ぼした所にも。

そんな人たちがいたのかな」

 

 

「居ただろうな」

 

 

「だよね。

そんなこと、わかってた。

わかっていた、筈だったんだ」

 

 

「…今になって、俺を恨むか?」

 

 

「ううん、まさか。そんなわけがない。

でも、私は……」

 

 

 

私は。

少女から、その先の言葉は出なかった。

ただ自らの腕を見つめた。

 

その手に、潰れた肉の感触が残って、仕方がなかった。

 

 

 

 

 

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