私の同期は『スーパーカー』 作:立焔
「……っ!」
息が切れる。あの
喉の奥に血の味が滲む。その強烈な鉄臭さすらも、酸欠に喘ぐ脳はうまく処理できていない。
前を見ろ。前を見ろ。
白く灼けた神経へ強引に指示を出す。
ぐんぐん遠ざかってゆく後ろ姿を、決して目を逸らしてはならぬと睨みつける。
怪物は止まらなかった。
余力を残していた彼女は最終直線でさらに加速して、熱戦が期待されたはずのレースは容赦無くとどめを刺された。
2,2秒差。距離に直して13バ身。
とても重賞で演出されるべき蹂躙劇ではない。
こんなレースがあっていいはずはない。認めたくない。
悔しさも何もかも、あらゆる感情が殺されたままゴール板を過ぎる。
息の乱れが治らない。狭まった視界が治らない。苦しい。辛い。
目の焦点が定まらないまま、私は最後の意地で前を向く。
ピンボケした視界に真っ赤な勝負服のウマ娘が映った。
「最高に楽しいレースだったわ!」
彼女は底抜けの笑顔で言った。
「──だから、また一緒に走りましょう?」
私にとって、それは呪いの言葉だった。
まずは私の話をしよう。
どうやら、私には才能があるようだった。
地を蹴れば景色は彼方へ飛び去り、
共に走っていたはずの友を置き去りにして、1人で先をゆく『
どうやら、私は努力ができるようだった。
走るという、見方によっては画一的で退屈極まりない作業の反復。
そこに目標と
どうやら、私はとかく強欲なようだった。
才能は何者にも邪魔されることなく発揮されるべきで、勝利と栄光は強者にこそ与えられるべきだと考えていた。
勝つことで強さを誇り、自らの才を確認しなければ気が済まなかった。
だから、私が
才覚を持ったあらゆるウマ娘が集い、高め合い、潰し合い、ただ1人の勝者を決める場。トゥインクルな煌めきに表層を塗りたくられた才能の最終処分場。
その
──ならば、勝つしかない。徹底的に。
期待と興奮で心を昂らせながら、私は中央トレセンの門を叩いた。
春は出会いと別れの季節。
誰が言ったか、その言葉は散りゆく桜を見ると妙にしっくりと来た。
それにしても、出会いの象徴であるはずの入学式で花びらを散らしまくるのはどうなんだろう? 自然現象だから仕方ないと言えば仕方ないのかもしれないけど。
──まあ、そんな事を考えても仕方ない。時間も押しているし、早く講堂に向かおう。
トレセン学園の正門を入ってすぐの場所。
艶やかな
物憂げに、それでいて悠然と歩く姿は、不思議と他のウマ娘の強者を感知するセンサーを反応させ、彼女と同じくして中央の門を叩いた新入生たちの注目を集めた。どこからか「……これが、中央」と気圧されたような声も聞こえる。
特に誰かが意図したものではなかったが、彼女の周囲だけ人口密度が減っているようにも見えた。
(みんな、入学前からの知り合いなのかな?)
漆黒という単語を真っ先に連想させるそのウマ娘は、あからさまに周囲から畏怖混じりに距離を置かれながらも、しかし雰囲気に反して心の中では呑気な事を考えていた。
中央に入学するレベルの高いウマ娘同士ならば、入学前からもジュニア大会等で交流する機会もたくさんある。
きっと周りの皆は元々仲がいいんだろう。私は
……頑張らないと。
まずは友達作りから。
気を引き締め、黒髪のウマ娘はグッと拳を握った。
同時に彼女から発せられる妙なプレッシャーはさらに強度を増し、周囲からはますます人が減る。
どうやら、彼女の友達作りはなかなか大変そうだ。
本人を除いたその場の全員がそう思った。
(凄い……多分、これでも全員じゃない、よね)
ほわ、と口を閉じ忘れたまま、黒髪のウマ娘はぐるりと巨大な講堂を見回した。
2,000名を超えると言われる生徒の、おそらく大半が収容されたその空間は『中央』の名を冠するに相応しい規模を誇っていた。
そして何よりも目を引く、ずらりと並んだウマ娘、ウマ娘、ウマ娘……
いずれも狭き門をくぐり抜けて中央の舞台に立つ事を許された精鋭たちだ。自身も負けず劣らず──いや、凌駕するほどの才能があると自負しながらも、彼女は思わずごくりと生唾を飲み込む。
(……これが、中央)
奇しくも、彼女は先ほどまで自身があたり構わず──本人に自覚は無いが──撒き散らしていた威圧感と全く同種の迫力を、現在進行形で勝負の世界を生きている先輩たちから感じ取っていた。それを至極当然の流れと取るか、それとも構造の皮肉な逆転と捉えるかは意見が分かれるところだが。
ともかく、新入生に付き物の
ゆっくりと理事長が登壇したのは、それから数分してからのことだった。
……しかし、いくら『中央』といえど、根底は普通の学校なのであって。
(退屈だなぁ)
理事長センセーのお話がつまらないのは、他所の学校と大差なかった。
油ぎった額をハンカチで拭い、絶妙に面白くない例え話を繰り返す『校長先生のお話』は、始まってから15分は経つのではないだろうか。
いよいよ緊張の糸も切れてしまった黒髪のウマ娘は、退屈しのぎに再びあたりを見回す。当然ながら他の生徒も話なんて聞いてやしなかった。むしろ15分も我慢を続けた彼女はかなり稀な方だった。
飽きっぽい年頃のウマ娘と退屈なお話は致命的に相性が悪いのだ。まさにウマ耳に念仏。
講堂は既にお喋りの囁き声で満ちていた。もともとお互いを知っている上級生たちは言うに及ばないが、今日ファーストコンタクトを取るはずの新入生同士でも、壇上で未だに何事か
と、上学年の席に座る1人のウマ娘が前触れなく席を立った。
彼女は風を震わす矢のように通路を駆け、勢いをそのままに脱兎の如く講堂から出ていく。
バタンと閉じた出入り口に消えていった後ろ姿を、新入生の黒髪のウマ娘は目を丸くして見送った。
「また逃げちゃったね」
「ああ、誰かと思ったら……レースじゃないんだから逃げなくたっていいのに」
「15分も耐えたし、よくやった方じゃない?」
彼女は最初に自らの目を疑い、次いで脱走犯の近くの座席から聞こえてきた会話に耳を疑った。
ひょっとして、この学校では式典から脱走するのが当たり前なのだろうか。今まで抱いてきた『中央』の崇高なイメージがガラガラと崩れてゆく光景を彼女は幻視した。
しかも、生徒が1人抜け出したというのに、壇上で喋る理事長は何のリアクションも見せていなかった。多分あれは自分の話に陶酔しきって周りが見えていない。いよいよ手遅れな気がした。今日初めて姿を見たけど、彼は早く理事長職を後進に譲ったほうがいい。
これはとんでもない学校に入ってしまったかもしれないぞ、と内心で焦る黒髪のウマ娘。一抹の不安を胸に、周りの見物を切り上げて正面を向き直す。
隣に座っていたウマ娘とバッチリ目があったのは、その途上だった。
「ヘイ彼女、暇してるならあたしとダベリングしない?」
「だ、だべ……?」
突然放り込まれた理解不能な単語に、黒髪のウマ娘は意図せず東北訛りっぽくなってしまった自分のセリフにも気づかず呆気に取られる。
「さっきエスケープした先輩、貴女も見てた? あんまり退屈だからあたしも便乗してドロンしちゃおうかなと思ったけれど、入学早々怒られちゃうのは勘弁だもの。折角だから駄弁りましょうよ」
「……あの」
「?」
「だべりんぐ? って、何ですか」
この学園で受けに回るとたぶん体がもたないと判断した黒髪のウマ娘は、知らない単語の濁流にも真っ向から立ち向かうことを決意した。勢いに流されたら負けだ。一つずつ解読していかねば。
彼女の質問に、対面する栗色の髪をしたウマ娘はその翡翠色の目を丸くした。
「あじゃぱー! 分からなかったのね、許してちょんまげ! 『ダベリング』ってのはお喋りをするって意味よ!」
「……」
凄い。言葉が通じているのに、言葉が通じない。
やはりとんでもない学校にはとんでもない生徒が集うのか。学園に来てはや2時間、既に今後のトレセン生活に暗雲が立ち込めているのを黒髪のウマ娘は感じ取った。
逐語訳は不可能だと悟った彼女は、目の前でニコニコと微笑む栗毛の同級生が言わんとする事を懸命に文脈から読み取る。……たぶん、お喋りの相手が欲しいのだろう。なんだか放っておいても1人で喋ってそうな気配はするけど。
「……いいですよ、どうせ私も暇ですから。理事長さんの話を聞いても仕方ないですし」
「やった! そういえば名前がまだだったわね」
気後れ……と言う程でもないが、若干のためらいが含まれた返答ではあったものの、栗毛のウマ娘は明るく笑顔を咲かせた。
その表情に黒髪のウマ娘は思わず目を奪われた。今更になって対面のウマ娘の姿をまじまじと観察してしまう。
澄んだエメラルドの瞳はぱっちりと大きく見開かれ、栗色の髪との色彩対比は心地よい鮮やかさ。ゆるやかなウェーブを描いた髪は肩の下まで伸びていて、滑らかに光を反射する様子からは絹の如き触り心地が想像される。
彼女の幼さが色濃く残った顔つきには、しかし同時に不思議と大人っぽさも滲み出ている。その混合具合がまた玄妙なバランスを醸し出していて、何歳であっても納得できる不思議な印象を抱かせた。本当に同い年だろうか、と疑問を抱かせるほどに。
「あたし、マルゼンスキー! よろぴく!」
そして相変わらずこのマルゼンスキーなるウマ娘の発する言葉はよく分からなかった。
残念美人、という単語が黒髪のウマ娘の脳裏を一瞬よぎる。
「
持ち前の判断力により、多分ツッコんだら負けなのだと察した黒髪のウマ娘──ヒシスピードは、しかし生来の負けず嫌いによって何とかマルゼンスキーに対抗しようと試み、彼女の独自言語を真似してみせた。
マルゼンスキーの表情に明るさが増す。多分正解だったのだろう。
「うん、挨拶はバッチグーね! なんだか貴女とはマブダチになれそうな予感がするわ〜」
両手でサムズアップするマルゼンスキーに、ヒシスピードは困惑混じりの曖昧な笑顔で応じる。
マブダチって何ですか、と尋ねる勇気は出なかった。
春は出会いと別れの季節。
誰が言ったか、その言葉は中央に来て初めて出来た
──このマルゼンスキーというウマ娘は、どれだけ強いのだろうか。
彼女のお喋りに懸命についていきながら、ヒシスピードはふと想像した。
マルゼンスキーはどんな走りを、どんなレースをするのだろうか。
一緒に走って楽しい娘ならもっと嬉しいんだけど。そこまで考えて、慌てて自身の考えを打ち消す。
(だめだめ、そういうのはターフに立ってからにしないと)
確かにレースは楽しくて、高いレベルの勝負は何物にも代えがたい喜びが伴うが、それを初めて出来た友人にまで求めるのは
何より、勝負と日常は切り離されなくてはならない。それがヒシスピードの個人的な矜持だった。
小さく頭を振って
たまには走ることなんて忘れてお喋りするのもいいよね、という考えが浮かぶとともに、ヒシスピードの笑顔には自然さが増していた。
「ところで
しかし、このウマ娘は一体何を言っているのだろうか。私にはさっぱり分からない。
誰か助けてほしい。
やっぱり激マブさんにはラスボスになってもらうのがいいですよね