私の同期は『スーパーカー』 作:立焔
青空。
鮮やかな緑の芝を、夏風が撫でる。
入学式から早くも3ヶ月あまりが過ぎ、新入生からも初々しさが抜け始めた頃。
トレセン学園にとうとう選抜レースの時期がやってきた。
年に四度の選抜レース。ウマ娘とトレーナーが運命の出会いを果たす選抜レース。
文字通りその後の人生を分ける一大イベントに、3分にも満たない疾走に、自身の全てを賭けるべくウマ娘たちはむんと気を引き締めている。まだまだ彼女たちにはゼッケンに『着られている感』が残っていたが、その身に宿る気合と闘志は紛れもなく本物であった。
うら若き少女たちによる夢と希望に満ちた青春が繰り広げられるその一方で、グラウンドの片隅にはひとり静かに自らの足の具合を確かめている黒髪のウマ娘がいた。
その身から溢れ出すは、周囲を圧倒する気迫。
足首をぐねぐねと回し、何か納得したように黙って頷く様子から漂う『強者の気配』は、あたり一帯の同級生から畏怖混じりの警戒の視線を受けている。
しかし当の本人にはそれを気にした様子もなく、ただ淡々と今度は肩甲骨周りのストレッチを始めていた。チラリと覗いたうなじにはしなやかで存在感ある僧帽筋が浮かび、こっちはスカウト対象を探すトレーナーたちの感嘆の視線を
(どう走ろうかな)
ヒシスピードは周囲から向けられる視線にちっとも気付いていなかった。案外そういう点で彼女は鈍いのだが、しかしレースへと向けられた思考は対照的に鋭く研ぎ澄まされていた。
早くも彼女は自らがレースに勝つ前提でいた。脳を巡らすは「どうやってレースに勝つか」ではなく「どんな勝ち方をするか」。傲慢と取られてもおかしくない態度ではあったが、ヒシスピードにはそれに見合うだけの実力があった。
「うん……問題なさそう」
最後に一度首をぐるりと回してどこにも違和感がないことを確かめたヒシスピードは──おととい寝違えたからちょっぴり不安だった──安心した微笑みを浮かべると、はたと何かに気づいて手を振った。
彼女の視線の先には、ぽてぽて駆け寄る芦毛のウマ娘。
「ヒシスピードさん! 出走は何番目ですか?」
「3番目だよ。トウ子は?」
「わたしは……あれ、何番目だっけ?」
「えぇ……」
相変わらずこの芦毛の友人はのほほんとしていた。
のんびりとポケットから紙片を取り出して出走順を確認するプレストウコウの姿に、仕方ないなあこの娘は、と言わんばかりにヒシスピードは一つ息を漏らす。
やたらと嬉しそうに「7番目です!」と教えてくれた彼女は、入学直後に比べて少しトモの筋肉が増えていた。
ヒシスピードと一緒に毎日欠かさず早朝練習に出ているお陰だろう。それは
元からスタミナお化けな所はあったけど、更に瞬発力も身に付き始めてるんじゃないかな。
視線をつと彼女の大腿に向けたヒシスピードは冷静にそう評していた。なかなか手強そうだ。
生来の負けず嫌い──言い換えれば、勝たないと気が済まないタイプのレースジャンキーであったヒシスピードは、友人の成長にやや屈折した喜びを見出していた。第7レースに出走するプレストウコウの走りだけは必ず目に焼き付けようと彼女は心に誓う。それは友人の応援と言うより、
「じゃあ、私はそろそろ行かなきゃ。トウ子も頑張ってね」
「はい! 応援してますから!」
内心の打算と闘争心はおくびにも出さず、ヒシスピードはひらひらと手を振ってプレストウコウと別れる。
(格好悪い所は見せられないな)
一瞬浮かんだ思いを、ヒシスピードは妙に恥ずかしく感じて脳裏から打ち消した。
(前走のあのウマ娘、結構やりそうだった)
ゲートに入る直前の待機時間。私はつい先ほど行われた第2レースのことを思い出していた。
確か……ラッキー何とかという名前だったか。かなりガタイが大きかったせいで出走前から無意識に目に止まっていたけれど、走りも豪快で迫力があった。
大柄な自身の体を持て余し気味だったのが残念だが、そこを克服して武器にできればかなり競り合いで強く立ち回れるのではないだろうか。
脳内で勝手な品評をしながら、全身でぐっと伸びをする。同時に、ちり、と焦げ付くような視線を横から感じた。
そちらを見ると、一緒に出走する黒鹿毛のウマ娘が私をじっと見つめて……いや、睨んで?いるのに気付いた。
随分と気合が入ってるね。そう思って、私は黒鹿毛のウマ娘をリラックスさせようと微笑みかける。
彼女の眉間の皺が増した。
どうやら違ったようだ。コミュニケーションとは難しい。
「スピちゃーん! がんばー!」
タイミングよくマルゼンの声が聞こえたので、私は名も知らぬ黒鹿毛の同級生から顔を背けた。
マルゼンはコースのすぐそばで見てくれていた。片手を挙げて応じると、輝くような笑顔と共に大げさに両腕を振りだす。彼女は今日も元気そうだ。
調子に乗って投げキッスを始めた彼女からはさっさと視線を外して、私はゲートインに向かう。
練習用とは言えど、中央のゲートはジュニアの時のそれに比べて作りがしっかりしていた。
試しにゲートの扉を撫でて、金属の確かな重厚感を味わおうとしてみる。
ひやり。指先を硬質な冷たさが襲う。
ぞくり。背筋が興奮に震えた。
トレセンに入学してからは初めてとなる、およそ3ヶ月ぶりのレース。抑えられぬ心の昂りを感じる。
繊細になった聴覚が、最後の1人がゲートインする気配を捉えた。
隣のウマ娘の吐息が聞こえた。
自分の心臓の鼓動も聞こえる。
真っ直ぐ正面を向く。
息を一つ吐く。
がしゃん!
音と同時に、脚を前へ。
視界が開ける。
私は自由だ。
少しスタートは良くなかった。
視界の左右に映るのは、半歩先をゆくウマ娘の姿。
それを、3歩半の加速で抜き去った。
横一列から抜け出して前方へ。
内から1人付けてきた。さっきの黒鹿毛のウマ娘だ。
に、とひとりでに口角が上がったのを自覚する。
序盤からの追い比べ。存分に楽しまねば。
横目で黒鹿毛の娘を捉えながら加速体制に入る。
少し加速。ぴったり併せてくる。
更に加速。ぴったり併せてくる。
まだ加速。少し苦しそうにしている。
でも加速。ここが限界だろう。
真っ向からやりあうのを諦めたのか、それとも私が無茶をしていると思ったのか、黒鹿毛の影は視界の端から後ろへと消えていった。
これで
(もう終わりかぁ)
若干の物足りなさを感じながらも、先頭に立った私はレースを支配してテンポを作る。
作るのは少しだけ遅めのペース。道中で余力を残すこの展開ならば、勝負を決めるのは最終直線の伸び──つまりスピード勝負だ。
端的に言って、負ける要素がない。
あとは流れ作業だった。
遅めのテンポを維持して最終直線に雪崩れ込み、スパート勝負。
前に位置取って堅実な先行策を選んだウマ娘たちは純粋な実力差で引き剥がし、後ろに控えていた差し足自慢をも突き放す。
ゴール板を駆け抜けたとき、後方からは足音一つしなかった。
『な、なんという伸びっぷりでしょうか! ヒシスピード、その名に恥じない超特急の走りを魅せつけました!』
実況と同時にワッと歓声と拍手が湧き起こる。
当然その喝采が向けられる先は、私だ。
若干息が乱れた身体を、心地よい全能感が支配する。
勝ったのは、私だ。今この瞬間の主役は、私だ。ああ、なんという素晴らしい響きだろうか!
この背筋を伝うゾクゾクする快感のために私は走っていると、そう言っても過言ではなかった。自分が強者である事を誰もが手放しに承認してくれて、脳内麻薬がドバドバと放出されるこの瞬間が、私の生き甲斐だ。
ひとしきり勝利の余韻に浸ったところで、視線をターフに戻す。
ゴール前には一緒に走った数名のウマ娘が残っていた。レースの疲労ゆえか、それとも敗北の悔しさゆえか、ウマ娘たちの打ちひしがれた様子からはすっかり覇気が失われていた。
その中でも唯一、闘志を失う事なく瞳に宿している者がいた。あの黒鹿毛のウマ娘だ。どうやら2着だったらしい。
息を荒らげ、私のことを間違いなく
私はそれを好ましく思った。きっと彼女はこの敗北を糧に強くなると感じたから。
だから、彼女に手を差し伸べながら、私は健闘を讃える言葉に期待の念を込める。
「次、期待してるから」
そっぽを向かれた。
やはりコミュニケーションは難しい。
「見てましたよ〜、すっごい走りでしたね!」
数多のトレーナーの勧誘を適当にあしらったヒシスピードが見物席まで引き上げると、今度はその代わりに目を輝かせて興奮した様子のプレストウコウが彼女に詰め寄った。
8バ身差の圧勝劇を見せた『スピード』の持ち主は、しかし先ほどまでトレーナー群に対して見せていた品定めするような無愛想な仮面を外すと、少女らしい年相応の顔を作った。
「まあ、毎朝早くからトレーニングしてるわけだし、これぐらいやらないと。トウ子だって当然同じぐらいできるんでしょ?」
それが不器用な照れ隠しであることを芦毛の友人に悟られているとは知らぬまま、ヒシスピードは自身の勝利を大した事でもないかの如く扱ってみせた。さらに彼女はいたずらっぽい笑顔を浮かべ、芦毛の友人へ反転攻勢を仕掛ける。
しかし彼女の期待とは裏腹にプレストウコウは、
「展開次第かなぁ」
泰然と答えてみせた。自分の得意な展開に持ち込めば同じぐらいの圧勝はできると暗に表明した言葉に、きょうも
のほほんとした、それでいて自分自身に対して絶対的な信頼をおいているこの芦毛のウマ娘を、どうにかして慌てさせてやるのが最近のヒシスピードの目標であった。
出会ってから3ヶ月が過ぎたが、未だにその企みは成功していない。
「ところで点呼は大丈夫? 7番目ならもうすぐ集合じゃないの」
「あっ、本当だ! じゃあ行ってくるね〜」
手を振って友人を見送ったヒシスピードは、きょろきょろと周りを見回してどこにもマルゼンスキーの姿が無いことに気づくと、手持ち無沙汰な様子でレースの見物を始めた。
視線を向けた先では都合よく出走の準備が始まったところだった。アナウンスに耳を傾けてそれが6番目のレースだと確かめたヒシスピードは、トウ子はちゃんと点呼に間に合ったのかな、と心配しながらぼうっとゲート前に出てきた次の走者を観察し始めた。
「……ん、あれって」
走者の1人にマルゼンスキーがいることに気づいたのは偶然だった。グラウンドを挟んだ反対側という長距離ではあったが、あの栗色の髪をしたウマ娘が自分の知っている人物だと確信したヒシスピードは、プレストウコウのレースを分析するために持参していた双眼鏡を急いで目にあてがった。
出走者の不安と緊張と虚勢とが滞留するゲートイン前のわずかな時間に、しかしマルゼンスキーは一切の動揺を見せず自然体を保っていた。
レンズ越しに確認できる普段と一切変わらない雰囲気に、仮に今話かけてもいつもの
「マルゼンはいつも変わらないなぁ」
双眼鏡を覗いたままヒシスピードは微笑んだ。トレセンに所属するライバルに向けた感想ではなく、いつも自分を引っ張り回す憎めない友人に対するそれであった。
そういえばマルゼンの走りは初めて見るかもしれない、と彼女は遅れて思い出した。友人が見せる初めての走る姿はどんなものだろうか。速かったらいいな、と呑気に彼女は考える。
この時点で、まだヒシスピードは気付いていなかった。『選抜レースという大舞台を前にしても、全く動じることなく自然体で臨む事ができる新入生』という存在がどれだけ異質で希少なのかを。
そして、彼女の考えは
ガコン!
本日の第6競争、マ