私の同期は『スーパーカー』   作:立焔

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『バラバラっとスタートしました、横一線とはならずやや乱れた状態、まず先頭に抜け出したのはマルゼンスキー!』

 

 ヒシスピードが覗き込んだ双眼鏡の向こうで、栗毛のウマ娘は若干出遅れた数名の走者を置き去りにしてハナを切った。

 重心を低く沈めた姿勢から繰り出される蹴り込みには、力強さがある一方で脚さばきの粗さも見られる。しかし、それでも「なかなか見どころのある走りだ」とヒシスピードに感心させるには十分だった。

 滑らかな加速とともに先頭に立ったマルゼンスキーは、後続を引き連れてコーナーへと入る。

 

「さ、まだまだ飛ばすわよ!」

 

 マルゼンスキーの言葉は誰の耳にも届かなかったが、彼女が更に走るペースを上げたのは明らかだった。自殺行為だ、そのハイペースは絶対にスタミナが保たない。後続の幾人かの冷静な判断をよそに、栗毛のウマ娘は脚の回転を早めて悠々と一人旅を開始する。

 ペース配分を心配したのはヒシスピードも同じだった。普段から何というか自由奔放な所はあるけれど、ひょっとして走るときも思う存分に好き勝手やってしまうタイプなのでは? と友人の()()に気を揉む。彼女のその懸念は半分だけ正解していた。

 

 後続との距離はかなり開き、レースはいよいよ最終直線へ。

 後先考えない逃げを打ったマルゼンスキーはここまでだろう。脚を溜めていた他のウマ娘が後ろから襲い掛かり、たちまちバ群に呑まれてしまう光景を観衆の誰もが想像したが──

 

「もっと……もっと速く、イケるわっ!!」

 

 現実は想像の更に上をいった。

 

『ま、マルゼンスキーさらに加速っ! 後続との差は開く一方!! もはや彼女の一人旅ですっ!!』

 

 実況の声色はその場にいる全員の心境を代弁していた。

 ここまで圧倒的ハイペースで逃げ続け、ひとときの先頭と引き換えにスタミナ切れと敗北を得ると思われていたマルゼンスキーが、あろうことか()()()()()()()()

 それは単にスタミナが残っていたことを意味するだけでなく、ここまでの無謀な逃げでも彼女はちっとも全力を出していなかった事も示していた。ひたすらにスペックで圧倒するだけの、常識を後方に置き去りにした無茶苦茶な走り。それは誰も選ばないのではなく、普通は誰もできない戦術だった。実力という非情な壁に阻まれて。

 玉石混合の選抜レースで、仮に偶然マルゼンスキー以外の走者の質が低かったとしても、ここまでの力量差を見せつけるのは容易ではない。それこそトゥインクル・シリーズを走る先輩ウマ娘を連れてきても出来るかどうかといったレベルだった。

 

 差し脚を残して待機していた2番手以降のウマ娘は、自分も全力疾走しているはずなのにみるみる小さくなってゆく先頭の背中を、驚愕と共にただ見送ることしかできなかった。

 しかし彼女たちはある意味で幸運だったかもしれない。あれだけの蹂躙劇を見せた1着のウマ娘がゴール直前まで余裕たっぷりの楽しそうな笑顔を浮かべていた、という事実を知らずに済み、その代わりに歯を食いしばって懸命に走るマルゼンスキーという都合のいい想像ができたのだから。

 

 遠ざかる小さな背中を見ているだけでよかった他の出走者と違って、観戦していたウマ娘やトレーナー含む一同は揃って彼女の底知れなさを目の当たりにさせられることになった。

 入り混じった驚きや羨望や畏怖などの濃度は、今見た走りが本当にトレセンに入ったばかりの新入生のものか確信が持てず、ひょっとして悪戯で上級生が混ざったのではないかと疑うあまりに、

 

『ゴールインッ! 1着はマルゼンスキー!! 他を一切寄せ付けない、圧倒的な走りでした!』

 

 などと月並みで無難なセリフしか発することのできなかった実況のアナウンスからも計り知れた。

 

 これまでに行われた5つのレースと違い、勝者に送られたのは賛辞の拍手ではなくどよめきと感嘆の吐息がほとんどだった。

 しかしその動揺の矛先が向けられていたマルゼンスキーは異様な雰囲気を気にする様子もなく、「最高に気持ちよくて楽しい走りだったわ!」とでも言いたげな満足そうな笑みを崩さないまま、観客席にあった黒髪の友人の姿を認めて早々に引っ込んでしまった。

 

「なに、あれ……」

 

 ヒシスピードは驚きを飛び越して呆然としていた。

 最終コーナーまでは「まさかこんなに速いなんて! マルゼンと一緒に走れたらどんなに楽しいだろう!」と友人の走りに心を躍らせていたが、その歓喜も最終直線を迎えるまでだった。トップスピードに乗った彼女の走りを見て、生来の負けず嫌いが激しく警鐘を鳴らしたのだ。

 

(私は、あれに勝てるかな)

 

 興奮から一転して冷めた心の中に、自問自答の声が忍び寄る。

 先ほど自身が走っていたレース中よりも更に集中した様子のヒシスピードは、今見たマルゼンスキーの走りを反芻して彼我(ひが)の実力差を計ろうと試みていた。

 

(とんでもない勝ち方だったけど、タイムで見るとそれほど私と大きな差はない。でもマルゼンは最後までちっとも全力を出している雰囲気ではなかったし、本気を出せばまだまだ加速できるのかもしれないから、今日のタイムだけを見て判断するのはいささか根拠に欠けるような──やめやめ、何にせよ一緒に走ればいい事なんだから)

 

 思索に耽るのを中断して軽く頭をふったヒシスピードに、ちょうど引き上げてきたマルゼンスキーが嬉しそうに走り寄った。

 

「スピちゃん! あたしの走るとこ、見てくれた?」

 

「見てたよ、お疲れ様。……思ったよりすごくて驚いちゃった」

 

「本当? ふふ、次はもっとシビれる走りを見せてあげるわね!」

 

 快活なウインクが返ってきて、ヒシスピードは複雑そうな表情を作った。

 ヒシスピードは迷っていた。何としてでもマルゼンスキーを早朝練習のメンバーに加えたかったが、すでに一度彼女からの遠回しな誘い──本人の意思はどうあれ、少なくともヒシスピードはあれをお誘いだったと認識していた──を断っているという事実が邪魔をしたのだ。

 

「……あの、さ。今更こんなことを言うのも何だけど……」

 

「なあに?」

 

 いつ見ても悩みなんて無さそうな天真爛漫な笑顔に、ヒシスピードは幾度か口を開いたり閉じたりを繰り返して何かを言おうとしたが、結局彼女は諦めてしまった。

 

「……ううん、なんでもない。次も楽しみにしてるね」

 

 誘えば悪くない返事がくるだろうと分かっていながらも、『走る速さだけで友人の価値を決めてしまうような厚顔無恥なウマ娘』に自らを堕とすことをヒシスピードは(ゆる)せなかったのだ。彼女の妙なプライドというか負けず嫌いは、ターフ上の駆け引きでは非常に強力な武器だったが、友人関係においてはむしろ不器用にさせてしまう諸刃の剣だった。

 相変わらず元気によく分からない(ナウい)喋りをする友人へ適当な相槌を打ちながら、ヒシスピードは少しだけ自分を情けなく思った。

 

『──外からプレストウコウが飛んできた! 一気に抜き去ってどんどん差を開いてゆくっ!』

 

「あら? あれってトウ子ちゃんよね?」

 

「ん? ……うん、そうだね。って見逃してた!」

 

 弾かれたように立ち上がったヒシスピードが慌ててレース模様に視線を移すと、ちょうど芦毛のウマ娘が余裕を持ってゴール板を通り過ぎたところだった。

 しょぼん、と黒髪に耳が寝そべる。

 

「トウ子のレース、応援するって約束してたのに」

 

「……ほら、あたしがその分見てたから、だいじょうV(ぶい)?」

 

 あちゃー、と額に手を当てたマルゼンスキーがフォローを入れたが、悄然とした様子のヒシスピードは小さく頷いただけだった。大したことのない失敗の割には随分と落ち込んでいる理由も、やはり彼女の完璧主義なきらいだった。繰り返すが彼女は割と対人関係については不器用なのだ。

 へこんでいる間にも時間は過ぎる。好奇と羨望の視線を背負ったプレストウコウが、さっきまでの疾走に疲れた様子もなくぽてぽてと2人のところに戻ってきた。

 

「トウ子ちゃん、お疲れ山!」

 

「やま……? えと、マルゼンさんもお疲れ様です。()()()()()はどうしてしょんぼりしてるんですか?」

 

「ごめんねぇ、あたしがずっとスピちゃんに話しかけてたから、トウ子ちゃんの走りを最後の方しか見れなかったみたいで……」

 

「……ゴール手前だけしか見てなかった。ごめん」

 

「そんな、別に気にしないのに! それに最後はしっかり見てくれてたんですから全然いいですよ!」

 

 見るからに元気を失った友人を何とか励ますプレストウコウは、その友人(いわ)く「いつの間にか」マルゼンスキーと交友を深めていた。

 『静』のプレストウコウと『動』のマルゼンスキーが出会ったらどんな化学反応が起こるのか、ヒシスピードはかなり興味を持っていたのだが、彼女の期待に反して案外2人はうまくいっていた。いや、プレストウコウの動じなさ(スルースキル)が一枚上手だったと表現するべきかもしれないが。

 

 それよりも最近ヒシスピードが気になっているのは、この芦毛の友人が何故かマルゼンスキーと一緒の時だけ自分のことを『スピちゃん』と呼んでくれる不可思議な現象だった。

 初めての時に「ついにこの瞬間が来たんだ!」と内心で喜んだ彼女は、次の日の早朝練習でいつも通りの呼び方に戻っていたことに少しがっかりして、そして同じ日の夕方に偶然3人で集まった時には、再び変わった呼称に我慢できずゆらゆら揺れ動こうとする尻尾を再び懸命に抑え込む羽目になった。

 よく分からないけどこれはこれで悪くないな、と1人で満足しているヒシスピードは、プレストウコウが友人の呼び方を状況に応じて変えるのは彼女なりのマルゼンスキー(友達の友達)への対抗心の表れであることを知らなかった。

 そして当然ながら、呼び方を切り替えるたびにヒシスピードの真っ黒な尻尾がむずむずと反応する様子が、この芦毛の友人のひそかな楽しみになっている事などは知る由もない。

 

「それにしても、初めてマルゼンさんの走りを見たんですけど凄かったですね〜」

 

「あら、嬉しいわ! トウ子ちゃんも立派な差し切りだったわよ?」

 

「どうもです。でも、思った展開にできなかったから少し不満なんですよね」

 

「トウ子は先行が得意だからね」

 

 少し元気を取り戻したヒシスピードが何故か得意げな口調で補足すると、マルゼンスキーはちょっぴり目を丸くした。

 

「インド人もびっくり! それじゃあ、本当はあれよりずっといい走りが出来るってことよね」

 

 インド人はどこから来たの?

 

 というツッコミは、もう慣れた(諦めた)ヒシスピードの喉の奥からそれ以上出てくることなく、消化不良のまま消えていった。

 一方のプレストウコウは少し首を傾げた後、

 

「あと……3バ身は増やせるかなぁ」

 

 と相変わらずの泰然自若ぶりをみせる。

 おかしいのは私の方なのだろうか、とヒシスピードが1人だけ表情を微妙な感じに変化させていくが、それも含めて3人で喋っている時の日常的な風景であった。

 

「えっと、もういい時間だからお昼でも食べに行かない?」

 

 これ以上ついていける気がしないと直感したヒシスピードは、やや控えめな口調で提案した。

 2人からほぼ同時に賛同の返事を得て、彼女はちいさく安堵の息を吐いた。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

 「この前見つけたイタ飯、ランチもやってるみたいなのよ!」とはしゃぐマルゼンスキーに引っ張られてたどり着いた学外のイタリア料理店は、妙に年季を感じる佇まいをしていた。店内に流れるBGMの音質や歌声の抑揚は、それを聞いたヒシスピードに不思議と両親が聞いていた音楽を思い出させる。

 昼間から制服で学校を抜け出しても大丈夫だろうかと彼女は心配したが、他の2人は全く気にする様子が無さそうだったので早々に腹を括ってしまった。万が一何かあったらマルゼンに押し付けよう。

 

「これよ、これ!」

 

 マルゼンスキーが満面の笑顔でスパゲッティ──「ナウなヤングはスパゲッティじゃなくて『パスタ』って呼ぶのよ!*1」と彼女は主張する──へと粉チーズを日本海側の豪雪のごとく降り積もらせる姿をよそに、ヒシスピードはイカ墨ソースが制服に飛ばないよう上手に食べることに必死になっていた。

 むむ、とフォークに絡みついた真っ黒な麺と真剣な顔で睨めっこする彼女に、ちゃっかり食べやすいメニューを選んでいたプレストウコウが声を掛ける。

 

「スピちゃん、そんなに固くならなくても良いと思いますよ?」

 

「でも、制服に黒い染みが付いたら嫌だから。髪につく分にはどっちも黒だし目立たなくていいんだけどね」

 

「目立たないから大丈夫って話ではないと思いますけど……」

 

「でもトウ子は髪につくと目立つし嫌でしょ? 綺麗な色してるし」

 

「……まあ、そうですね」

 

 何とも言いがたい表情をつくると、プレストウコウはその銀色の髪を揺らして首肯した。

 そこには突然褒められたことに面食らった感情も含まれていたのだが、あいにく『このおっとりした芦毛を動揺させてみたい』と毎日頑張っているヒシスピードは、初めて食べるイカ墨パスタとの格闘に気を取られるあまり無自覚な目標達成に気付かなかった。

 

「やっぱりトウ子ちゃんは髪のお手入れにも人一倍気を使ってるのかしら?」

 

 納得いくまでチーズをかけたマルゼンスキーが会話に加わった。不思議と上品さを感じる手つきで上手にパスタをからめ取る彼女のフォーク捌きを、ちょっぴり羨ましそうにヒシスピードが見つめる。

 

「どうなんでしょう? わたしは人並みだと思ってます」

 

「あら、そうなの? 朝シャンはいいわよ〜、心まで洗われる気がするもの」

 

「朝シャン、ですか。……朝練のあとにちょうどいいかもですね」

 

「一緒にやってみる? だったらあたしがバッチシやり方を教えてあげるわ!」

 

 交渉成立の雰囲気にあてられて、私も混ざるべきだろうかとヒシスピードは内心で検討していた。確かにマルゼンスキーの髪は見るからにサラサラしているのだ。マルゼン式朝シャンの効果でそうなるなら、少しぐらい早朝練習を早めに切り上げてでも参加するのにやぶさかではなかった。

 そんな彼女はさておいて、マルゼンスキーが再び口を開いた。

 

「トウ子ちゃんは()()()()()()()芦毛だし、もっと綺麗になったらきっと注目の的になるわね」

 

 おそらく当人からすると褒めたつもりであろう言葉に、しかしプレストウコウの耳は、ぴく、と剣呑に反応した。ぼんやり明日の朝のことを考えていたヒシスピードも同時に反応して、恐る恐るといった様子で横目で芦毛の友人のことを窺う。

 

「──いま、芦毛のことをバカにしました?」

 

 表面上は普段のおっとりとした雰囲気を保っていたが、プレストウコウは間違いなく機嫌を損ねていた。

*1
『パスタ』呼びが一般に広がったのは、イタ飯ブームと同じバブル初期の話である。

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