私の同期は『スーパーカー』   作:立焔

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 いつまでたってもマルゼンがトレーナーを決めようとしない。

 

 秋も終わりに近づいた頃、私の心配はますます膨れ上がっていた。

 もう有力な同級生はみんな担当を決めてしまっている。さっさと決めてしまった私は置いておくとして、慎重に考えると言っていたトウ子でさえも2ヶ月前には契約を済ませたというのに、道ばたの枯れ葉が目立つこの時期になってもマルゼンはトレーナーを決めきれないでいた。

 

「な〜んか、ピンとこないのよねぇ」

 

 私がそれとなく聞き出そうとすると、マルゼンはきまってこう答えた。

 

 その『ピンとくる』がどんな状態なのか私にはわからない。

 普段から少し浮世離れというか超然としているところが彼女にはあるから、自分と同じ基準で考えても意味がないのかもしれない。けれども、午後にみんながトレーナーの指導のもと本格的なトレーニングをしている時間に、たった1人で走っている彼女の背中は、見ていて不安をますます募らせた。

 

 ひょっとして、マルゼンにはそもそもトレーナーを選ぶ気が無いのではないだろうか?

 

 私の心配が疑念へと変わったのも、自然な流れだったかもしれない。

 トレーナー契約は『ピンとこない』からといってなあなあで済ませていい物ではないのだ。トレーナーなしでは間違いなく日々のトレーニングの質が落ちるし、なにより担当がいないウマ娘は原則としてトゥインクル・シリーズへの参加を認められない。それはつまりトレセン学園に在籍する意義をほとんど0にする行為だ。

 誰からも声を掛けてもらえないなら仕方ないだろう。実力主義であるこの世界は残酷で、そうやってデビューできないまま無為に過ごす生徒だって一定数存在する。誰の目にも止まらないのは『残念』だけど、『仕方ない』し『どうしようもない』事なのだ。

 

 でも、マルゼンの場合はそうじゃない。

 選抜レースであれだけ衝撃的な走りを見せたマルゼンは、あらゆるトレーナーやチームから引っ張りだこだ。

 彼女と一緒に歩いていると()()のトレーナーが勧誘を仕掛けてくる場面に頻繁に遭遇する。熱意と覇気に満ちた瞳で、または名誉欲と野心に溢れた微笑で、トレーナーたちはこの有望なウマ娘(マルゼンスキー)の担当という一つしか存在しない椅子を仕留めにかかる。

 けれどもマルゼンは毎回そのお誘いを丁重に──でも明確に──断り、そして未練がましい後ろ姿が見えなくなった頃合いになると、ちょっぴり恥ずかしそうに私にこぼすのだ。

 

「な〜んか、ピンとこないのよねぇ」

 

 私は、それに同意とも否定ともつかない曖昧な頷きで応じることしかできなかった。

 

 

 本当に切羽詰まった状況になったら、私のトレーナーを説得して強引に名義だけでも契約させてしまおうか?

 少しだけそんなことを考えたこともある。多分マルゼンは喜ばないだろうし、なんだか私もちょっとそれは癪に感じるから諦めたけど。でもそうやって1人でやきもきしているうちに時間はどんどん過ぎて、ついに雪がちらつき始める季節になってきた。

 残された時間は少ない。まずい。

 相変わらず『ピンとこない』マルゼンに、私の焦燥感は膨れ上がり続けていた。

 

 そんな状況が一変したのは、いつマルゼンに話を切り出そうかと検討しはじめたころだった。

 

 

◇ ◇ ◇

 

 

「聞いてよスピちゃん! あたし、ついに理想のトレーナーを見つけたの!」

 

 最初に浮かんだ感想は、「よかった」でも「おめでとう」でもなく、「本気(マジ)で言ってる?」だった。

 

 すっかり行きつけになった()()は、今日も落ち着いた空気を店内に閉じ込めている。

 少しお高い紅茶を一口含んで、流れ込んできた液体の確かな熱さにこれは現実だと再認識する。そこまで考えてからようやく私は口を開いた。

 

「……ごめん、念のためにもう一回言ってもらえる? 『トレーナーを見つけた』って聞こえたけど」

 

「ピンポーン!」

 

「えっ、本当に? 見つけたの? マルゼンが?」

 

「そうなのよ〜」

 

 にまにまと笑顔を作るマルゼンが、ココナッツミルクに浮かんだ()()タピオカをスプーンで掬った。

 優雅さを感じる手つきで口へ運んでから、彼女はさらに話を続ける。

 

「あたしもね、『このまま誰ともウマが合わないのかな』って不安に思ってたのだけれど──」

 

 きっとマルゼン自身もトレーナーを決めきれないことを不安に感じていたのだろう。ようやく気が晴れたといった様子で、彼女はつらつらとトレーナーと出会った経緯……いや、惚気話? を披露しはじめた。

 

 なんでも、その人はただマルゼンの走りを眺めるだけで、本人には決して声をかけようとしなかったらしい。

 「あたしを勧誘しないの?」とマルゼンの方から尋ねてみると、「いや、楽しそうに走るなぁと思って見てただけ……」なんてあさっての方向の返事をしたらしい。

 その後もしばらくマルゼンの走りを見ていたけど、満足したのか本当に勧誘せずそのまま帰ってしまったらしい。

 

「なんだか変な人だな〜って思ったわ」

 

 私もそう思った。

 

「でもね、あたしにはそれがピンと来たのよ! 『この人ならウマが合いそうな気がする!』って直感したの」

 

「そ、そうなんだ」

 

 きっとそれはマルゼンも少し変わっているからだろう。

 内心はおくびにも出さず、私は続きを促す。

 

「で、どうしたの? そのトレーナーさんは帰っちゃって、それでおしまい?」

 

「冗談はよしこちゃん! それだったらわざわざスピちゃんに話したりしないわよ。今日のお昼に偶然屋上で再開して、今度こそちゃんと話ができたの!」

 

「運命的だね」

 

「でしょ、運命的でしょう?」

 

 本当にマルゼンはお喋りが好きだなあと感心しながら適当な相槌を打つと、彼女は満足したように頷いた。どうやら正解だったらしい。

 その後も延々と話し続ける姿を、私はやっぱり適当に頷きながら飽きずに眺めていた。

 

「──でもね、やっぱりグンバツに嬉しかったのは『好きにやればいいと思う』って言ってくれた事なの!」

 

「いいじゃん、そういえばマルゼンも前に同じようなこと言ってたよね。かなり波長があってるんじゃない?」

 

「もうパーペキよ! まさか『()()()()()()()()()()()()』って打ち明けてもすんなり受け入れてくれるなんて思わなかったもの!」

 

「それは凄いね。……って、えっ?」

 

 聞き流そうとして、できなかった。私の耳がピンと立ったのを自覚する。

 

「マルゼンって、あんまりレースで勝つとかに興味ない感じなの?」

 

「ええ、実はね」

 

 彼女は歯切れ悪く答えた。「あんまり勝ち負けに興味はないの。ただ楽しく走れたら、あたしはそれで十分だわ」

 

 ちり、と。

 心のどこかがひりつくのを感じた。あまり良くない部類のそれだった。

 

 何か言葉を発しようとして、特に考えないまま喋ると変なことを言いそうだと自制した。

 ワンクッション置くために手元にあるカップを持ち上げる。紅い水面が不安定に揺れた。ぬるかった。やっぱり紅茶の味はわからないと思いながら、若干の苦さしかもたらさない液体を喉へ流し込む。

 

「……へえ」

 

 ようやくできた返事は、やや声が低かったような気がしたし、発音もぎこちない気がした。

 マルゼンはそれに気づいた様子もなく、乳白色の液体に浮かんだタピオカの粒をスプーンでつついてニコニコしている。普段なら「ブレないなあ」で済むはずなのに、それが妙に気に障った。

 

「私は好きなんだけどな、勝ち負けにこだわるの。やっぱり()()()()()()()を勝つのって一番楽しくない?」

 

「うーん……ごめんなさい、()()()()()()()()()()()()()()あたしにはピンとこないわ」

 

「そうなんだ。……まあ、人それぞれだからね」

 

(人それぞれ、か)

 

 多分それは本心からの言葉ではないとうっすら自覚しながら、私は誤魔化すようにもう一度カップに口をつけた。再び味のしない液体が口内に満ちる。我慢してそれを飲み込んだ。

 空になったティーカップの底には、わずかに残された茶葉のかすが汚くこびりついていた。

 

 表面上は何事もないように感じるやりとりのはずだ。なのに、私の心から妙なひりつきが抜けない。むしろマルゼンと会話を交わすたびにそれはますます強くなっていって、理性と離れた反応をする自分自身の心に困惑させられていた。

 何が引っ掛かっているのかわからない。わからないけど、うっすらとした気持ち悪さがある。

 

 なんだか無性に違う話をしたくなった私は、強引に話題を切り変えることにした。

 

「今日はスイーツも追加で頼もうと思ってるんだけど、マルゼンのおすすめはどれ?」

 

「! あたしのお気にはね、やっぱりティラミス!*1 このお店はちゃーんと本物のマスカルポーネを使ってるのよ!」

 

 同時にマルゼンが厨房の方へ目配せする。つられてそちらを見ると、店員さんが誇らしげに頷いていた。

 

「じゃあ、それにしようかな」

 

「ガッテン承知の助! 店員さん、ティラミス2つお願いね!」

 

「えっ、マルゼンも食べるの? もうタピオカ食べてるじゃん」

 

「こんなの誤差よ」

 

 誤差ではないと思う。

 

「まあ、あれだね。無事にマルゼンもトレーナーが決まったから、そのお祝いってことで」

 

「……そ、そう! それが言いたかったの!」

 

「本当かなぁ」

 

 訝しげな表情を作って言うと、彼女はスプーンを口に突っ込んだまま少し恥ずかしそうにこちらを睨んだ。その様子がおかしくて、つい笑いが込み上げる。

 いつの間にか心のひりつきはどこかへ行ってしまったようだった。

 気のせいだったのだろう。そう思うことにした。

*1
イタ飯ブームが訪れたバブル初期、同時にティラミスもナウなヤングの心を掴んだことで有名である。

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