一夏→→→←箒   作:佐遊樹

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いつも通りのジェットコースター展開。
日本に要人保護のための証人保護プログラムもどきがあるという設定。


一夏→←箒

【見ているだけの自分が――嫌いだった】

 

 

 

 何も、できなかった。

『なんとか保護プログラム』とやらによって引きずられていく、名残惜しそうにこちらを何度も振り返る幼馴染を見ているだけだった。

 

 何も、できなかった。

 

「いちかっ……!」

「ほうき! ほうきっ……! ほうきぃぃぃっ!!」

 

 姉が、少年の肩を強く抑える。

 少年はまだ知らない、世界の歪みの根源が真後ろにいる姉と、自身が今まさに手を伸ばす少女の姉であることを。

 

 もう元通りにはならない。

 二人で学校に行くこともない。

 授業中、手紙で会話をすることもない。

 道場で打ち合い、汗を流し、休憩中に水を掛け合うこともない。

 

 駄菓子屋への寄り道。

 互いの家に行って写し合った宿題。

 家族ぐるみで見に行った野球の試合。

 

 嗚呼――今なら、その情景が狂おしいほど愛しいものだったと分かる。

 手から零れ落ちてしまいそうな今だからこそ、分かる。

 

 すべての思い出を抱きしめても、あまりにも脆くて砕け散ってしまう。

 

 また会おうなんて約束も、あまりにも儚くて風に吹かれて飛んで行ってしまう。

 

 言わなきゃ。言わなきゃいけない。

 ただ一言、『好きだ』って、言わなきゃいけないんだ。

 

 少年は必死に喉を枯らす、枯らすけれど、名前しか出てこない。

 

 言わなきゃいけないのに。なにやってんだよ、はやく、はやく言えよ。

 

 ドアが閉まる。

 タイヤの駆動音。

 

 黒塗りのカローラが一夏の視界の中で小さくなっていく。

 スモークのせいで、幼馴染の表情はうかがえなかった。

 

 姉の腕を無理矢理に振り払って、駆けだす。車に追いつけるはずもないけれど、走る。

 

 走る。

 

 まだ車は見えている。リアガラスめがけて声を張る。

 

 走る。

 

 足がもつれて、顔から地面に飛び込んだ。

 

 アスファルトの上で転がり、肘から血が出る。膝も擦ったのか、焼けるように痛い。

 

 もう走れない。

 

 顔を上げる。ゆっくりと、カローラが曲がり角の右へ消えていく。

 

「ほうきっ」

 

 立ち上がろうとしても、体が、言うことを聞いてくれなかった。

 

 空が、町が、色を失っていく。

 

 自分以外が灰色になっていく。

 

 

 何もかもが壊れてしまった世界でただ叫んだ。

 

 

「ほうきいいいいいいいいいいいいいっ!!」

 

 

 

 

 

 

 

【理想には届かなくて、現実は届かなくて、けれど、それでも――】

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 篠ノ之箒は、死んだように生きていた。

 見知った人全てと引き離され、新しい小学校に入らされた。馴染めたかもしれないが、箒に馴染むつもりがなかった。

 

 また10年ほどしか生きていない少女だったのだ、無理もない。

 

 食事は、保護という名目で監視している大人たちが運んで来た。食べないことも多々あった。

 

 会いたい。

 姉さんに会いたい。

 父様に会いたい。

 母様に会いたい。

 祖父に、祖母に、そして、

 

 そして、大切な、大好きな幼馴染に、

 

(いちかに会いたい――)

 

 意味のない溜め息を吐く。それは箒が泥沼に浸かっていく合図。

 深く、脳髄の奥深くに潜っていく。

 楽しい記憶と遊ぶために、苦しくなかったころの世界へ回帰するために。

 

 それはきっと、大人の義務として、あってはならない子供の姿だっただろう。

 箒を学校に来させようとする教師は確かにいた。だが箒の濁った目、虚ろな溜め息は、そういった大人の熱意を折ってきた。

 

(いちか……)

 

 カーテンを閉め切った窓に視線を向ける。こんなことをしても部屋の中にある盗聴器で様子は分かるのだが、箒からすれば、とにかく外界から自分を遮断したい気持ちでいっぱいだった。

 誰とも関わりたくない。渡された携帯電話も用途を果たしたことは一度もない。

 無為に日々を過ごすことは苦痛ではなかった。それを上回る地獄に毎日いるから、何もかもどうでも良かった。

 

(いちか……)

 

 気まぐれにつけたテレビで、よく知る少年が剣道の大会で日本の頂点に立ったことを知った。

 久々に声を聞くことができて、耳が溶け落ちるようだった。

 嬉しかった。

 ただそれから、また声も聞けず、誰とも触れ合わない日々が始まるのが、何よりも苦痛だった。

 

 会いたいという気持ちはどんどん膨れ上がっていくのに。

 抱きしめたいという気持ちは際限なく積み上がっていくのに。

 

(苦しいよ、いちか……)

 

 部屋の電気を消す。ぼうっとしているだけで、もう夜が明けようとする時間になっていた。

 毛布にくるまり、自分で自分を暖める。

 それは世界から自分を守る庇護膜だ。

 

 もうこれ以上何も失いたくない。何も奪われたくない。

 そのためには、外界を完全にシャットアウトするしかない。

 

 あまりにも悲しい選択で、箒はそうすることを選ぶには幼すぎたが、そうせざるを得なかった。

 

 部屋の片隅に立てかけられた竹刀袋を見やる。かつての宝石のような思い出が染み付いた、出すのも億劫になる一振り。

 あまりにも思い出が多すぎて、重すぎて、きっと今の箒では持ち上げることもできない。

 それを振るっていた時は、一夏とつながっていた。大事な人たちと一緒にいた。

 でも今は違う。

 試合に勝っても誉めてくれる人は誰もいないだろう。

 剣を持ったところで、一時的な破壊衝動に身を任せて相手を叩きのめすだけに終わるだろう。

 

 世界から自分を遠ざけるという行為は、いつしか自分が世界から拒絶されているという絶望にすり替わっていった。

 もう少し齢を重ねていたら、その悲劇的な錯覚を避けられたのかもしれない。

 しかし現実として、箒は自身と世界との間に、深い溝を幻視してしまった。何人たりとも越えられない溝、線引きを。

 

 それを自分が引いたものでなく、世界に引かれたものだと考えた時の箒の絶望は、筆舌に尽くしがたい。

 親しいものだけでない。そもそも自分は、世界に弾かれていたのか。

 

 篠ノ之箒の時計は、ずっとあの時で止まっている。

 傍に一人、愛しい幼馴染がいたあの時で。

 

 今の彼女には何もない。

 

 何もない。

 

 目的も。

 

 生き甲斐も。

 

 大切な人も。

 

 誰かとのつながりも。

 

 何もない。

 

 すべて、失った。

 

(わたし、本当に、生きてるのかな……?)

 

 まるで亡霊のようだ。

 

 小学生には似合わない、自嘲の笑みを浮かべる。

 確かに、今の箒は死んでいた。生きているから生きている、というだけだった。

 リビングデッド、なんて言葉が想起される。

 まさに現在の箒はその言葉に相応しい。何の目的もなくただ日々を消化し、死へ向かって一歩ずつ進んでいるのだ。

 

(…………)

 

 シミ一つない天井を見つめる。

 こうして天井を見上げたことが、以前、あった。

 

(あ、そうだ。いちかの家だ)

 

 夏休み。一夏の家に泊まった時。

 同じ部屋で手を握り合いながら、この夏をどう過ごすかを話した。

 

 星を見る。

 海に行く。

 花火を見る。

 

(全部、したっけ……?)

 

 一夏は実際にすべてを実行しようとした。

 

 

 

(星を見たときは、いちかが星座の名前を教えてくれた)

 

(花火を見に行ったときは、いちかが手をにぎっててくれて、すごいキレイ、だった)

 

(海にだけ、行けなかった)

 

 

 

 思い出が思い出を呼び覚ます。

 次々に蘇る、まるで昨日のことのように色づいた情景。

 

 天井が急ににじんだ。

 

「ぐッ、ヒック……」

 

 泣かないよう力んだが、結局涙はこぼれ落ちた。

 

 思い出に押し潰されそうだった。

 

「ヒック、ぐずっ、いちか、ぐすっ、いちかぁ」

 

 目を閉じても彼の笑顔が消えない。涙が止まらない。

 過去の幻影が箒をがんじがらめに縛りつけ、身動きを取れなくさせてしまう。

 

「なんで、なんで会えないんだっ。こんなに会いたいのに、どうして傍にいてくれないんだ!」

 

 それがわがままであることは箒も知っている。

 でも、願わずにはいられない。

 

 会いたい。

 

 

 会いたい。

 

 

 

「いちかと、会いたい……ッ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「俺もだよ。だから、会いに来た」

 

【Ready to Go/準備はできてるだろ?,Count Zero/走り出す時だ】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幻聴、かと思った。

 

「ぇ……?」

「久しぶりだな、ほうきっ!」

 

 窓が開き、そこから一人の少年が部屋の中に乗り込んできた。

 

 掛け布団をはね飛ばし、まじまじと彼の顔を見つめる。

 

「ぁ、い、ち、か」

「おう!」

 

 ズパッと片手を挙げて答える彼は、紛れもなく。

 

 恋焦がれて、夢に見て、会いたくて、会えなくて。

 

 瞼を閉じればそこにいて、いつも頭の中を占めていて。

 

 ずっとずっと箒の中で生きていた/箒の中にしかいなかった。

 

 たった一人の幼馴染。

 

「いちか」

 

 震える手を伸ばそうとする。

 だが理性が、ギリギリのところで手を押しとどめた。

 

「ダメ、だっ……!」

「……ほうき?」

 

 歓喜の涙を流しながら、拒絶の言葉を吐き出す。

 苦痛が喉を焼く。早くあの胸に飛び込めと感情が声高に叫ぶ。でも、それを必死に抑える。胸の中の衝動を殺すのには、慣れてしまっていた。

 

「今の私は、政府に監視されているんだ! どうやってお前がここに来たのかは知らないが、ここにいてはダメだ! 外にいる人たちが、つかまえにっ」

「来ねえよ」

 

 一夏は親指で外を指した。

 外がやけに騒がしい。何かの騒ぎがあったようだ。

 

「束さんがうまくやってくれてるらしい。箒の居場所も、あの人が教えてくれたんだ」

「姉さんが……!?」

 

 だから大丈夫だと、一夏は親指を立てる。

 在りし日と何も変わらないその姿。

 

 寝る前だったから、髪を下している彼女は、月明かりに照らされ滴を光らせていた。

 とめどなく流れ落ちる涙。

 一夏は少し笑って、それを指で拭った。

 

「泣いてるのが似合うおんなのひとはずるいって、ドラマで言ってたぜ」

「はっ……下らない、な」

「でも俺は、泣き顔より、箒の笑顔の方が好きだ」

 

 声色が変わる。月の光に照らされているのは彼女だけではない、彼も月光を身に浴びている。

 その頬を静かに伝う涙もくっきりと。

 

「なんだ、お前も泣いているんじゃないか」

「う、うっせ。ほうきが悪いっ」

「はぁ? どう考えても、わたしは関係ないだろ」

 

 そういい合って、不意に二人は笑った。

 

「いちかっ」

 

 箒は髪を揺らして、一夏の胸に飛び込む。その華奢な体をしっかりを二本の腕で抱きとめる。

 

「「ずっと、こうしたかった」」

 

 ……一言だけで、互いの感情が余すところなくしみこんでいく。

 孤独なのは、自分だけじゃなかった。

 絶望していたのは、自分だけじゃなかった。

 

 互いが、互いにとっての、最後の希望だった。

 

 相手の体温が流れ込んでくるような感覚。全身をもって、その感覚と歓喜を甘受する。

 

「ずっとこうしていたいな」

「ああ」

 

 本当にそれは、たとえこの瞬間に世界が終ってしまうとしても、二人はこうし続けているだろうと――そう確信させる光景だった。

 

 

 

 

「さて」

 

 一夏が腕を解く。

 物足りなさそうな表情で、箒は一夏を見た。

 

「そろそろ逃げるぞ」

「は?」

 

 瞬間、ドアが蹴破られ、拳銃を持った男たちが押し入って来る。

 

「動くなッ!」

「そうら来た! 箒!」

 

 名を呼ばれただけで、何を求められているのかはわかる。

 彼の右腕にしがみつくと、そのまま抱きかかえられた。お姫様抱っこの体勢だ。

 

「その子をこっちに渡せ! その子は――」

「知ってる。あんたたちも仕事だ、譲れないだろう。だけど、こいつばっかりは俺も譲れない」

 

 窓の枠に足をかける。

 

 箒に不安はなかった。

 

 今自分を抱きしめている彼なら。

 

 この世界は一番心臓が近くにある彼なら。

 

 なんとかしてくれる。そう確信できた。

 

「行くぞっ!!」

「ああ!」

 

 飛翔。

 

 飛び出した体は、当然重力に引かれ落下する――が、光が二人を包んだ。

 温かい、優しい光。

 

 自分を抱く腕に鎧が着装される。真っ白で清潔なアーマーが、全身へ渡っていく。

 頭部だけを残し、彼の体はすっかり覆われてしまった。各部のリング状パーツから過剰エネルギーが音を立てて放電される。

 

「これは……」

「束さんが開発したIS、『白騎士』。俺に譲ってくれたんだ」

 

 高度がぐんぐん上がっていく。そのスピードも加速度的に速まる。

 箒はちっとも息苦しくなかった。恐らくそういう保護機能が働いているのだろう。

 ISでない兵器でISを追跡することは不可能だ。

 

「ステルス機能もあるし、まず見つからない。どこへだって行けるぜ?」

 

 もう箒の住処は見えない。

 町の明かりが、光の線となって視界を流れていく。

 こんなにも世界は眩しかったのか――箒は驚愕した。でも今は。

 

 今はそれ以上に。

 

 ただ、一夏を見つめていたい。

 

「……そう、だな」

 

 瞳を見つめるだけで体が熱に冒されていく。

 

「海に、行きたいな」

 

 あの日契り、ただ一つだけ果たされなかった約束。

 

 一夏も待っていましたとばかりに笑みを浮かべた。

 

 月はもう見えない。

 

 入れ替わりに、地平線の向こう側から太陽が貌を見せていた。

 

「行こう。二人でどこまでも」

 

 

 

 

 

 

 

 

『囚われのお姫様を救い出すのは、白馬に乗った王子さまって、相場が決まってるのさ』

 

『じゃあ後は、よろしくね? いっくん』

 

 

 篠ノ之箒が消え。

 

 織斑一夏が消え。

 

 

 物語はここで終わる。

 

 寂しがりのお姫様を、寂しがりの王子様が助ける。

 陳腐なストーリーはここでいったんお仕舞。

 

 

 

 再び幕が開くのは、時が流れ少女たちがIS学園の門を開くとき。

 

 

 

 これは、小さな、けれどとても大切な、愛と勇気のお伽話。




続かない。
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