ジューダス・ビショップと最強のイマジナリーフレンド   作:束田せんたっき

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チョコなんかねえよ

 ミカエラは年が明けても、姿を見せることはなかった。

 

 この頃になると消滅したという事実を、流石の俺も認めざるを得なかった。ある日突然現れたのなら、ある日突然消えても不自然ではないだろう。イマジナリーフレンドに相応しい幕引きだ。

 

 親友のいない日々は何をしてもつまらない。だからバレンタインデーも、俺にとっては超絶どうでも良いことだった。

 

 朝から大広間で、ロックハートが真っピンクのローブを着て、何やら騒いでいる。バレンタインだったら何だと言うんだ。俺はチョコレートなんか嫌いだ。チョコレートを好きだった人を思い出すから。

 

 仏頂面で朝食を食べていると、ネビルがおずおずと話しかけてきた。ここ2ヶ月、あまり会話が弾んだ記憶はない。

 

「おはようジューダス」

「……おはよう、ネビル」

「えーっと、何か悩んでる? 近頃の君、とっても辛そうだ」

「大丈夫だよ、大丈夫」

 

 俺は大丈夫だ。ミカエラがいなくとも生きていける。いつまでも親友に頼る弱い人間じゃない。

 

「僕で良ければ相談に乗るよ」

「相談することなんかないって」

「でも、このままじゃ駄目だよ。授業中も上の空だし……。みんな心配してるよ」

 

 みんなって誰だ? みんなとか言って、そんなこと思ってる人はいないんじゃないか? 多数派の専制を振りかざしているだけじゃないのか? ……多数派の専制って何だ?

 

 俺は思ったことを口にしようとして、飲み込んだ。否、飲み込まされた。真っピンクのロックハート教授がやって来たのだ。

 

「そんな顔をしたら、せっかくのバレンタインデーが辛気臭くなるじゃないか! それじゃあ私のように、女の子たちからたくさんのチョコレートを貰うことは出来ないよ! さあ笑って! スマイル!」

 

 俺はグニーっと頬を抓まれる。作り物の笑顔に、果たして価値などあるのだろうか。

 

「これで良し!」

「先生、やめてください」

 

 俺がロックハートの手を振り払うと、ロックハートは目を丸くした。拒絶されるとは思っていなかったのだろうか。

 

「これは重症みたいだね。ミスター・フォーリー、今夜私の部屋に来なさい」

「え? ですが先生にそんな権限は……」

「これは罰則さ。罪状は……バレンタインデーに辛気臭い顔をした罪」

「そんな横暴な」

 

 俺は助けを求めてネビルを見る。しかしネビルは生暖かい目を返してくるだけだ。おいネビルぅ! こうして、俺のバレンタインデーは最悪の滑り出しを迎えた。

 

 

 

「生物を変身させるには、その生物の体内構造をよく理解しておく必要があります」

 

 マクゴナガル先生による変身術の授業。先生が吊り下げられた大きなコガネムシの解剖図を、杖で指し示している。

 

「コガネムシの解剖図の模写を、宿題に出したのはこのためです。机にお出しなさい」

 

 俺は一時間クオリティの、精緻なコガネムシの解剖図が書かれた羊皮紙を取り出す。絵が描けるというのは便利なものだ。

 

 だが描いている時も、描き上がった時も、全くと言って良い程喜びを感じなかった。以前はあんなに楽しかったお絵かきが、ちっとも楽しくないのだ。口笛も、彫刻も、モールス信号も同じである。何でだろう?

 

「……ビショップ! ジューダス・ビショップ! 何をぼーっとしているのですか! 授業中ですよ!」

 

 いつの間にかマクゴナガル先生が説明を終え、俺の机の前に立っていた。眉を吊り上げている。

 

「私は一年生の最初の授業で言ったはずです。ふざけた態度を取った生徒は、教室から出て行ってもらうと」

「すみません、先生」

「もう一度はありませんからね? ……ミスター・フィネガン、頼みましたよ?」

「任せてください!」

 

 俺はギョッと隣の席を見た。去っていくマクゴナガル先生の背に、畏れ多くもサムズアップしているシェーマスが座っている。

 

 驚いた。俺はたった今、自分の隣席に誰が着いているのかを知ったのだ。こんなことは初めてだ。

 

 シェーマスは笑いながら俺の背を叩く。ダイナマイトが爆発した後のような、晴れ晴れとした笑顔。

 

「今は実技の時間だよ。この配られたコガネムシをボタンに変えろってさ」

 

 そう言ってシェーマスは、瓶詰めのコガネムシに杖を振る。即座に瓶の内部が爆発した。

 

「あははっ、また失敗しちゃった。でも大丈夫。直前で『あ、これ駄目なやつだ』と思って、コガネムシに爆発が当たらないようにしたから」

 

 シェーマスが言った通り、中のコガネムシは無事だ。ノソノソと動き回っている。

 

「そんな高等テクニック使えるなら、一発で成功してよ……」

「へ、変身術は難しいなぁ」

 

 明後日の方向を見るシェーマス。爆発と変身は勝手が違うらしい。

 

 俺は一つため息をつくと、向こうでネビルに杖の振り方を教えているハーマイオニーを注視した。ハーマイオニーの杖さばきは完璧。見事、コガネムシはエメラルド色のボタンに変身した。

 

 俺は目を閉じて、先程のハーマイオニーの杖の軌跡を反芻する。イメージが固まり、どう杖を動かせば良いのかがはっきりと脳内に浮かび上がった。俺はそのイメージに杖を委ねる。

 

 異変はすぐに訪れた。コガネムシが深緑のボタンに変わったかと思うと、そのボタンを中心として、さざ波のように瓶が、机がボタンに変化していく。俺は絶叫を発して、椅子から転げ落ちた。

 

「あ、あなやーッ!?」

「ぎゃああああああ!?」

 

 シェーマスが共鳴しておっ立った。俺はその叫び声で肩を大きく跳ねさせる。驚きは二度刺す。なんて卑怯な。

 

 机は足先まで深緑に染まると、ボタンでできたその身をジェンガの如く崩壊させた。ジャララララァ! と爆音が教室に響き渡り、大量のボタンが四方八方にうねりとなって拡散する。

 

 シェーマスは青ざめた顔で俺を見下ろしていた。その目には『ドン引き』という神聖四文字が如実に表れている。

 

 ある一つのボタンがコロコロと転がり、マクゴナガル先生の靴に当たった。マクゴナガル先生は呆然とこの惨状を見ていたが、気がついたように表情筋を引き締める。

 

「グ、グリフィンドールに10点」

 

 

 

 授業が終わり、俺は一人廊下を歩いていた。背後でドッと笑いが巻き起こったのが聞こえる。大方、ロンかシェーマス辺りが、何か面白いブラックジョークを披露したのだろう。だが俺はその輪に入っていく気分にはなれなかった。

 

 思い返すのはさっきの変身術のことだ。俺はしっかりとコガネムシ『だけ』に魔法をかけたつもりだった。しかし、なぜか周りの瓶やら机やらにまで、効果が波及してしまったのだ。俺が椅子から転げ落ちなかったら、床にまで及んでいたかもしれない。

 

「魔力の暴走……?」

 

 確かに、暴走に近い状態に陥っていた気がする。ボタンのかけ違いぐらいの、些細な差異で暴発してしまうような。そんな危うい予感。

 

 孤児院にいた時にはよくあった。特に自分の特殊性を認識し、それを封殺してしまおうとしていた頃だ。丁度、ミカエラと出会ってからはパタリとなくなっていたのだが。

 

「ミカエラ?」

 

 ミカエラが何か、魔力の制御と関係していたのだろうか。そういえば、ミカエラが居なくなってから、おかしな感覚に襲われることがあった。全能感というか、嫌悪感というか。

 

「んッ……!」

 

 俺の左手から、仄かに黒と橙の靄が立ち昇ったかのように見えた。見えただけだ。目をこすると、そんなものは消え失せていた。

 

 これは例のアレなのかもしれない。一部の選ばれし14歳の少年が罹るやつ。生涯に暗黒の歴史を刻み込んでしまう、恐ろしい病気だ。……あれ? 俺って今何歳だっけ?

 

「くぅッ! 左手が疼く……!」

「何やってんですか」

 

 俺は頬に熱を感じながら振り返った。レインが腰に手を当てて、呆れたようにこっちを見ている。肩口で切り揃えられた灰色の髪も、深緑の瞳も、最近めっきり見かけていなかったので、いやに新鮮に感じた。

 

「内なるフレンズパワーが暴走しないように抑えてた」

 

 レインはパチクリと瞬きを数回した後、吹き出した。手で口を隠して、笑いを堪らえようとしているが、堪らえ切れてない。レイブンクローの青いネクタイが、呼吸に応じて上下している。

 

「ちょっ、どうしたの?」

「す、すみません。ふふふっ、近頃ジューダスが元気がないと聞いていましたが、杞憂だったので。その、安心してしまって」

 

 他寮他学年のレインに届くまで、俺は意気消沈していたのか? 単にミカエラが居なくてちょっぴり寂しいだけなのに?

 

 レインは一頻り笑うと、ハンカチで目尻の涙を拭いた。泣くほど大笑いしたのか、この再従兄妹。

 

「レインは何か俺に用があったんじゃないか?」

「あ、そうでした。今から時間あります?」

「暇を持て余した神々の遊びごっこする程度には暇だな」

「めっちゃ暇じゃないですか。ついて来てください」

 

 こちらに背を向けて歩き出すレインを、俺はぼんやりと眺めながら後を追った。

 

 実際、レインと会わなければ、俺は読書するぐらいしかやることがなかっただろう。クリスマスにメアリーから貰った本も、佳境に差し掛かったし。

 

 レインは前を向いたままポツリと呟いた。

 

「私、不安だったんです。あのことを告げたのが、ジューダスの負担になっていたんじゃないかって」

 

 あのこと、とはレインが実は人狼だったことだろう。負担になるものか。イマイチ人狼が何なのか理解していないんだから。自分で調べようにもクリスマスから、別のことで頭が一杯だったからできなかった。

 

「……でも安心しました。ジューダスは私みたいな弱い人ではなかったですね」

「そうでもないさ」

 

 俺なんかより強い人なんて大勢いる。ミカエラ、ハリー、ダンブルドア先生、ハーマイオニー、フリットウィック先生……。

 

 レインは踏みしめるように階段を上がっていった。

 

「私はあの夜、ジューダスが手を握ってくれた時、とても嬉しかったです。初めて自分の存在が許された気がして」

「ヘクターさんには言ってなかったの?」

「セバスにしか伝えていませんでした。大叔父さんはあれで繊細な方ですから。知ってますか、ジューダス? 私とあなたとグリム以外、フォーリー家の本家筋はみんな亡くなってしまっているんですよ。私はまだ幼かったので、詳しい事情は判然としませんが……」

「そうだったのか……」

 

 だからあんなに血縁に拘っていたのか。ウサギの姿は、ヘクターさんの内面をえぐり出しているのかもしれない。

 

 レインは7階に出て、廊下を3回ほど往復した。俺が突然の奇行に困惑していると、忽然と壁に扉が現れる。

 

「着きました」

 

 一切躊躇わずにレインは扉の向こうに消えてしまった。仕方がないから俺も後に続く。

 

「ここは……」

 

 フツフツと沸く大釜、ゆらゆらと立ち昇る湯気、人の血管の中をはいめぐる液体の繊細な力、心を惑わせ、感覚を狂わせる魔力……。

 

 そこは魔法薬学に特化していると言っても過言ではないような部屋だった。本棚には多くの魔法薬の本が、隙間なく収められ、キャビネットには多種多様の瓶詰めのナニカが、静かに使われるのを待っていた。

 

「ここは必要の部屋です。使う人の求めているものを提供してくれます」

「はえー」

 

 ホグワーツにこんな素敵空間があったなんて。一年半通ってても知らなかった。俺は地に伏せ、悔し涙を流す。

 

「何でイッチ年生のレインの方が、俺よりホグワーツに詳しいんだよぉ!」

「私は、あの、ちょっとズルをしてると言うか……」

「ズル?」

 

 徐ろにレインは、紅い装丁の本を取り出した。薄汚れていて、少し古めかしい。

 

「ジューダスのお母さんの日記です」

「俺のママの!?」

「はい、あなたのママのです……」

 

 俺は半ば引ったくるように、マイ・マザーの日記帳を開いた。後ろからレインが、申し訳無さそうな声音で言う。

 

「勝手に読んでしまってすみません。あの、フィデスさんの部屋を掃除してて見つけまして、それで、ホグワーツがどんな所か気になったんです。入学前でしたから……」

「気にするなレイン。俺も読む権利があるわけじゃないから」

「確かに……!」

 

 そう、いくら息子といえども、親の日記を読む権利なんて何一つ持ってないのだ。むしろ軽犯罪と言っていい。だからレイン、何も気負うな。

 

8月1日晴れ

 ホグワーツからの手紙が届いたので、今日から日記を書こうと思います。明日は入学の準備にダイアゴン横丁に行きます。今から楽しみです。

 

8月2日曇

 ロンドンで汚らしい男の子を拾ったので、家に住めないかお父様にお願いしようと思います。

 

8月3日雨

 男の子はダニエル・ビショップという名前のようです。持っていた聖書にそう書かれていたので間違いありません。お父様はマグルの孤児だろうと仰りました。

 

8月4日曇

 ダニエルが私の杖で勝手に魔法を使いました。セバスはこれを見て、大慌てでお父様に伝えました。お父様は明日、ダニエルの杖も買いに行こうと仰りました。

 

8月5日曇

 ダニエルは住み込みでフォーリー家の執事見習いになることが決まりました。ダニエルは孤児院から脱走していたらしく、それを突き止めたお父様が正式に引き取る手続きを取ってくださったそうです。セバスは朝からダニエルの教育に張り切っていました。

 

8月6日雨

 従姉妹のソフィアが遊びに来ました。イケメン執事見習いがズルいと言ってきます。確かにダニエルはかっこいいですが、暇さえあれば聖句を唱えているのでうるさいだけです。

……

 

 日記は毎日、文量は変動するが休まず書かれていた。俺の母さんはマメな人だったらしい。

 

「この中に必要の部屋の記述があったんですよ」

「凄いけど、何か違和感があるんだよね」

「それは気恥ずかしいってことですか? このお嬢様と執事が結ばれた結果がジューダスですから、過程を知るのは中々のものがあると思いますけど」

 

 それとも違うんだけどなあ。何というか、形容し難い不自然さがあるというか。

 

 俺は日記帳をしまうと、部屋の時計を見た。ロックハートとの罰則の時間はとっくに過ぎている。

 

「あの、ジューダス――」

「ごめんレイン。先生に呼び出されてたの忘れてた」

「あっ……そうですか……頑張ってください」

 

 

 

 ロックハートの部屋の前まで、大急ぎでやって来た俺は、3度戸を叩く。一拍して、入りなさいと声。

 

 ロックハートは『私はマジックだ』を読んで待っていた。自分が書いたものを後から読み返すなんて、恥ずかしくないのだろうか。

 

「すみません先生。遅刻してしまって」

「本来なら追加罰則だけど……私は寛大だからね。許そう」

 

 このやり取りだけで、もう俺は疲れていた。今日は色々考え過ぎたのかもしれない。内容はバレンタインデーに全くそぐわないものだったけど。

 

 疲労とは時に、発想のスパイスになるらしい。自律神経がぶっ壊れていた方が、面白いアイデアが浮かぶこともあるのだ。要するに、俺は狂気的な罰則回避の方法を思いついたのである。

 

「ロックハート先生、これなんだかわかりますか?」

「それは……日記帳かな?」

「はい、俺の母の日記帳です」

 

 ガタッとロックハートが椅子から立ち上がりかけた幻聴がした。

 

「そ、そのお宝……ゴホン、その日記帳を私に見せて、どうするつもりなのかな?」

「先生は母と仲良くしてくださったそうなので、少しの間預かって貰えないかと思いまして」

「日記帳を?」

「はい。ただ、今日は俺、もう眠いんですよね」

 

 ベッドが恋しい。親友が恋しいんだよ俺は。

 

「眠いなら仕方ないね! 罰則はなし! 日記帳は私が預かろう!」

 

 計略は成功。まんまと引っかかったロックハートは、俺を解放した。

 

 しかし、なぜロックハートは俺を呼び出したのだろう。まさか俺を心配……? いや、それはないか。

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