ジューダス・ビショップと最強のイマジナリーフレンド 作:束田せんたっき
それから森を出て城に着くまでの間の記憶はほとんどない。気がついたら大広間にいて、ハロウィーンパーティーが始まっていた。賑やかな喧噪の中で俺はぼーっと、シェーマスがなみなみとブドウジュースで満たされたゴブレットをロケットのように打ち上げているのを見ていた。
死。それはまだ十三年しか生きていない俺には重すぎるテーマだった。もちろん何歳であろうが人は必ず死ぬ。腐ったハーポも無敵のアンドロスも、あのマーリンでさえ死んだんだ。俺だけが死なない道理はない。
でも、やっぱりまだ死にたくはない。やり残したことがたくさんありすぎる。『友達が出来たらしたいことリスト』も未だに全部埋められていないのだ。こんな状態では死んでも死にきれない。きっと友達を求め続けるゴーストとして永遠に現世を彷徨うハメになるだろう。それは嫌だ。
あれ? というか、俺の父親兼頭のおかしい聖職者であるダニエルは一昨年までピンピンしてたではないか。今はどうなっているかは知らないが、あの神出鬼没の牧師が野垂れ死んでいるとは考えがたい。つまり、死ぬとは言っても120歳で天寿を全うする形で死ねるのでは……?
目の前にそっと置かれたバタービールが、俺の思考を中断した。視線を上げる。片手にコップを持ったネビルが側に立っていた。
「ジューダス、ハッピーハロウィーン。隣座っても良い?」
俺が了承すると、ネビルは腰を下ろした。二人でオリバー・ウッドとマーカス・フリントの腕相撲を眺める。どういう流れで対決することになったのかは知らないが、グリフィンドールとスリザリンにとって世紀の一戦であることは間違いない。両者組み合い、睨み合う。
「ネビルはどっちが勝つと思う?」
「うーん…… わからないけど、同じグリフィンドールだしウッドに勝って欲しいな。君は?」
「俺はどっちも勝つと思う」
「え? どういうこと?」
「まあ見てなって」
ハッフルパフのクィディッチチームのキャプテンが固く握られた拳の上に手を置いた。空気が張り詰め、緊張感が辺りに満ちる。宴会の中でここだけピタリと喧噪が止み、ある種異様な雰囲気が醸し出されている。
「レディー…… ファイッ!」
審判が手を離すと同時に、戦いの火蓋が切って落とされた。膨らむ筋肉、軋む机。両陣営から野次が飛ぶ。俺も立ち上がって口撃に参加する。
「頑張れオリバー! 負けるなフリントー!」
「ジューダスはどっちの味方なの!?」
「どっちも」
「えぇ……」
一進一退の攻防戦が続く。互角のようだ。二人の歯を食いしばっている真っ赤な顔からは、滝のような汗が伝っている。野次もますます熱が入り、そろそろ黒塗りにされてしまうレベルの言葉も飛び出してきた。
「そこまでです」
突然魔法で引き剥がされる両キャプテン。生徒の波を割って現れたのはマクゴナガル先生だ。生徒たちから巻き起こるブーイングの嵐。しかし、先生は毅然と杖を片手に叱責した。
「クィディッチの試合が間近に控えているのですよ? それにもかかわらずこのような余興でグリフィンドールとスリザリンのキャプテンが杖腕を怪我したとなれば、悔やんでも悔やみきれないのはあなたたちだけではありませんよ。ミスター・ウッドにミスター・フリント。調子に乗って囃し立てたあなたたちもです。少し頭を冷やしなさい」
静まりかえる観衆。ロンがハリーに耳打ちしているのが聞こえた。
「結局、マクゴナガル先生は万全な状態のクィディッチが見たいだけなのさ」
マクゴナガル先生が去った後も、ウッドとフリントは反省したように項垂れていた。その様子を見ていたネビルが首を捻る。
「あれ? ジューダス、これ二人とも負けてない?」
「いや、よく見てみてみて」
「みて多くない?」
テーブルに両手をついたウッドが、ぽつりと呟いた。
「今まではただ卑怯なやつだと思っていたが、なかなかやるな。マーカス・フリント」
「へっ、オリバー・ウッドに遅れを取っているようじゃキャプテンは務まらねえよ。次はクィディッチでどちらが上か白黒つけてやる」
お互いの顔にはもう相手に対する侮蔑はなかった。両者、好敵手に向ける熱い闘志を瞳に宿している。俺は後方腕組みをしながら言った。
「この腕相撲こそが、彼らの友情の始まりだった……。友を得た者が勝者、間違いない」
「多分一ヶ月後にはウッドがスリザリンのずるい作戦に激怒してると思うよ……」
「そんなもんかねえ」
俺は寮の垣根を越えて新たに誕生した友情を目に収めながら、正面に置いてあるネビルが持ってきたジョッキを手に取った。何の気なしに口を付ける。少し離れたところで、パーシーが血相を変えて立ち上がった。
「ネビル! ジューダスにバタービールを飲ませるな!」
「え?」
グリフィンドールのテーブルに着いていたみなが、一斉に立ち上がった。飛びかかってくるのが酷く遅く見える。腹の底から迫り上がってきた熱と多幸感が思考を奪うのは一瞬だった。
「ああー、頭痛が痛い」
俺は一人、グリフィンドール寮への道を歩いていた。いまいち記憶がないのだが、目が覚めたときには大量の縄で縛られてネビルに監視されていたのだ。悪酔いの症状が酷かったし静かな場所で休憩したかったから、渋るネビルを泣き落としで説得し大広間から抜け出してきたのがついさっきのことである。それにしても吐き気が嘔吐しそうだ。
少し外の空気を吸って落ち着こう。俺は窓を開けて顔を出した。ひんやりとした夜風が頬に当たって気持ちが良い。
ふと右手の方向に目を向けると、ミカエラが近くの塔の屋根の上に膝を立てて腰掛けていた。黒髪は闇夜に溶けつつも、独特の光沢が彼女の存在を主張していた。橙色の瞳は熔けた鉄のような熱を持って遙か遠くを見据えている。月明かりに照らされた見知った横顔は、全く俺の知らない表情を映し出していた。その様子から彼女の感情を窺い知ることはできない。ただ、今宵のミカエラはいつになく浮世離れしていた。
3年生になってからというもの、俺はミカエラに戸惑ってばかりだ。ディメンターに酷く怖がったり、ボガートの一件だけで俺が彼女を恐れていると断定したり。どこか焦っているというか、昔のトラウマを刺激されているような慌てようだ。
バタービールの火照りが引いて、頭がはっきりしてきた。彼女は一人で黄昏れているかのようだったが、本当はそうではなかった。誰かと話している。遠目だから表情はよく読み取れないが、どこか楽しそうに見える。誰と話しているのだろうか? よく見ようと身を乗り出した。その瞬間見えたのは、ミカエラがこちらに振り返りかけている姿。とっさに俺はカーテンの後ろに隠れた。
なんで俺は隠れたんだ? 別に何も疚しいことはないじゃないか。そんな心情とは裏腹に、嫌に心臓の鼓動が大きく聞こえる。……本当に俺は彼女を恐れていないのか?
頭を振って馬鹿げた考えを否定する。違う、きっと彼女の態度が変わってしまったことを気にしすぎているだけだ。ならば、その元凶であるディメンターを何とかすれば良い。しかし、どうするべきか……。
ディメンターからミカエラを守る方法を考えながら廊下を歩いていると、ものすごい勢いで走ってきた誰かと正面衝突した。俺は尻餅をついた反動をそのままに、起き上がりこぼしのように立ち上がる。相手はぎょっとした目で俺を見た。
「す、すまない。大丈夫か?」
ボサボサの髪に、薄汚れた服。頬はげっそりとしている。まるで脱獄した囚人のようだ。
「あなたこそ大丈夫ですか? かなり疲れているようですけど」
「わ、私は大丈夫だ。君にも怪我はないようだし、もう行くとするよ」
足早に俺の脇を通りすぎようとする男の進路を、俺は身体を横にずらすことで塞いだ。
「ちょっと待ってください。どこかでお会いしたことありましたよね?」
「……いや、思い違いだろう。私たちは初対面だ。それでは私はこれで――」
今度は反対側から通り抜けようとした男の正面に再び身体を合わせる。知り合いになれるチャンスをやすやすと逃すほど俺は愚かにはなれない。
「いやいやいや、絶対どこかで会ってますって。うーん、その黒い瞳、どこかで……」
「君は私をからかっているのか? すまないがこれ以上付き合うことはできない。時間がないんだ! わかったのならそこをどいてくれ!」
「待ってください、あと少しで出てきそうなんです」
必死に先へ急ごうとする男を、俺も負けじと必死に妨害する。一進一退の攻防を繰り広げる中、俺は閃いた。
「あ! シリウス・ブラック! なんかすっげー悪いやつ!」
それと同時に、ブラックの背後から人の話し声が聞こえてきた。次第に大きくなってくる。
「ああ、なぜこうも上手くいかないのか」
ブラックは瞬く間に黒い犬へと変身すると、するりと俺の横を駆け抜けた。即座に俺はその背に飛び乗る。犬が驚愕の表情でこちらを見てくる。言いたいことは1つだろう。俺がなぜついてくるのかを!
「そりゃあクロなら安心して乗っていけるし、聞きたいこともあるしね」
矢のようにブラック改めクロは廊下を疾走した。急カーブを限界ギリギリで曲がったり、滅茶苦茶に背中を揺らしたりして、必死に俺のことを振り落とそうとしたが全て無駄に終わった。クロは俺の知らない抜け道や階段をたくさん知っていて、誰にも見つからずに城の外に出ることができた。
クロは物陰に隠れるとブラックに戻り、静かに俺を見据えた。空気を通して伝わる確かな殺気が、俺の肌を刺した。
「君の根気には負けたよ。それで、この私に一体何の用だ? もしも私をあの看守に突き出すというのならば、申し訳ないが君も始末しなければならない」
「用件はその看守についてさ。アズカバンから逃げおおせたあなたなら知っているはずだ。吸魂鬼の対処法を」
ディメンターの対抗策を学ぶのに、これほど最適な師もいない。なにせ不可能と言われたアズカバンから史上初めて脱獄した男だ。しかも、その正体は心優しい大型犬のクロときている。彼ならば信用できるだろう。もっとも、親友のためならば俺は殺人鬼と手を組んだかもしれない。
シリウスは鳩が豆鉄砲を食らったような唖然とした表情をした。
「守護霊の呪文、いや、アニメーガスか? それを教わるためだけに着いてきたのか?」
俺は大きく胸を張り、自信満々に答えた。
「そうだ」
深々とため息をついたシリウスは、先ほどまで纏っていたプレッシャーを霧散させた。低木の影に腰を下ろし、片膝を立てる。
「決意は固いようだな……。しかし、何も私に教えを請うことはないだろう。君は私が何をしたと言われているのか知っているのだろう?」
「ああ、あんたは無差別殺人犯だ。でも、もうそのことを俺は信じていない」
「それはまたどうして?」
「あなたが犬のクロだから」
「は?」
「あなたが犬のクロだから」
「いや、別にもう一度同じ事を繰り返して欲しかったわけではない。……クロ? どういうことだ?」
シリウスはいささか混乱したように天を仰いだ。俺は推定糖分不足で頭が回っていない目の前の愛すべき友人にして未来の師匠である男に対して、なるたけわかりやすいように歌にして言った。
「きょうのひるすぎに、いぬさんに、であった♪ はかさくもりのみちー、いぬさんにであった♪」
「ストップ! ストーップ! 普通に話してくれないか? 余計に意味がわからなくなってきた。あとなんだ墓咲く森の道って」
「えー、3番まで考えてたのに」
「いいから! 組分け帽子じゃあるまいし!」
そこまで言わなくてもいいじゃないか。やっぱり追われる身ともなると余裕をなくしてしまうものなのだろうか。気を取り直して、俺は真意を口にした。
「じゃあ三段論法で説明するね? クロは人を殺さない。シリウスはクロである。したがって、シリウスは人を殺さない」
「納得はできないが理解はできた。ありがとう」
「どういたしまして」
シリウスは小さな声で「皮肉だよ……」とぼやいた気がした。
「君、名前は?」
「ジューダス」
「よしジューダス、君にディメンターの対策を伝授するのもやぶさかではない」
「やったあ!」
「ただし、1つ条件がある」
そう言ってシリウスは人差し指を立てた。月光がその指に当たり、芝生に影が落ちる。俺は対抗して以前禁じられた森で出会った蜘蛛を影絵で再現した。
「ん? そんなに指をくねくねさせてどうしたんだ?」
「シリウスの影絵に張り合ってた」
「それはどういう……すごいなこれは」
堪えきれずに笑い出すシリウス。影の蜘蛛にタップダンスを踊らせたのだ。俺は持ち前のサービス精神を爆発させて、様々な影絵を披露した。
「これは河童か?」
「せいかーい! じゃあこれはどう?」
「わかった! ダンブルドアだ!」
「またまた正解!」
「いやはやほんとにすごいな、特にこの半月型の眼鏡の再現度が……って違う違うそうじゃない! 条件! 条件がある!」
「ちぇっ、あと少しだったのに」
「やはりそれが狙いか。いいかいジューダス、そのローブからして君はグリフィンドールだと思うが、ウィーズリー家の使いのネズミを知っているね?」
「スキャバーズのこと?」
シリウスが僅かに身を乗り出した。瞳に仄暗い輝きが灯る。
「ああ、そうだ。スキャバーズだ。
了承するかどうか少々悩む条件だ。第一に飼い主であるロンの許可を貰わないといけない。それにスキャバーズの話をしているシリウスはちょっと異常だ。彼を呼び出して友達になってはいおしまいという感じではない。もっとなんて言うか、執念のようなものを感じる。
「うーんと、ロンに一回聞いてみてからで良い? あと、できればスキャバーズに会いたい理由も教えて欲しいな」
「だめだ。バカ正直に私のことを聞いてペットを渡す魔法使いはこのイギリスで皆無だろう。理由に関しても、私は君が習いたい理由を知らないからおあいこだ」
「じゃあ今から話すね。実は――「あーあー! 聞きたくなーい!」
シリウスは耳を塞ぎ、全力でそっぽを向いた。そんなに理由を話したくないなんて、ますます怪しい。俺が再び影絵で注意を逸らそうとした時、シリウスの腹から大きな音がした。ピタリと動きを止めるワンコおじさん。
「お腹空いてるんだ」
「空いてない」
「教えてくれるなら毎日ご飯持ってきてあげるよ」
「……要らない」
「スキャバーズより腹持ちはいいと思うけどなー」
「誰があんなものを食うか!」
「そこにいるのは誰だ!」
突然、俺たちのいる木陰が照らされた。裏にいるのでまだ隠れてはいるが、見つかるのは時間の問題だろう。俺はシリウスに顔を寄せた。
「ここらで手打ちといかない? もう時間がないよ」
「どうやらそのようだ。では、また会おう」
犬に化けて(犬に戻って?)、シリウスは闇夜に紛れていった。ランタンを提げて現れたのは、もじゃもじゃひげの大男、ハグリッドだった。
「誰かと思えばジューダスか。こんなところでなにしちょった?」
「いやー、この木と友達になろうとしてたらこんな時間に」
「今はシリウス・ブラックが出たっちゅーんで、城中大騒ぎだ。送ってやるから早いとこ大広間に戻った方がええ」
「わかったよ」
俺はハグリッドについていきながら、シリウスの消えた方向を見つめた。その先は深い闇に包まれていた。
大広間の手前で、ミカエラがものすごい勢いで突撃してきた。俺の肩に手を置いて、忙しなく体中を検分してくる。俺はハグリッドに聞こえない声量で話しかけた。
「ど、どうしたんだよミカエラ」
「どうしたもこうしたもねえよ。おいアホジューダス、お前ブラックが出てるっつーのにどこほっつき歩いてたんだ?」
「いやーコモ湖畔で舞踏会に」
「なァにふざけてんだアンポンタン。このオレがいねえ時に限っていっつもそうだもんな。ただでさえ時間がねえのに……」
ミカエラは濡れ羽色のショートカットに手を突っ込み、ガシガシと頭をかいた。ミカエラのその言いように俺は頭に血が上っていくのを感じた。
「なんだよその言い方は。大体、ミカエラだって最近ふらっとどっかに出かけることが多いじゃないか。それなのに俺だけはしちゃだめなの?」
「お前なァ、オレがどんな思いでそのお出かけとやらに行ってるのか知ってんのか?」
「知らないし知りたくもないね」
「なっ、もうてめえなんか知らねえ! 勝手にしやがれクソが!」
顔を紅潮させ、ミカエラはスニッチ並のスピードで外に出て行った。その通った跡は、まるで嵐の後のようだった。
「うおっ、なんだあ今の突風は?」
「怒れる悪魔が通ったのかもね」
「ちげえねえ」
その後、待ち受けていたパーシーに熱い男の抱擁をされ背骨を折られかけていたところに、マクゴナガル先生が到着しこってり叱られ、ついでに減点された。親友とは喧嘩しちゃうし、総合的に見て散々な一日だった。