ジューダス・ビショップと最強のイマジナリーフレンド 作:束田せんたっき
翌日から、シリウスの特別講習が始まった。俺たちは禁じられた森の例の十字架の前に、夕方の一時間だけ集まった。俺が厨房のハウスエルフから譲り受けた食料を一通り腹に収めたシリウスは、木の周りを行ったり来たりしながら小枝を構えた。
「ディメンターに最も有効な魔法は守護霊の呪文だ。守護霊というのは、非常に強力なエネルギーのようなものだと思って貰えればいい」
「それがなんでディメンターに効くの?」
「そういう理論的なことはリーマス……君のDADAの先生に訊いてくれ。きっと私よりもわかりやすく教えてくれるだろう。とにかく呪文はこうだ。エクスペクト・パトローナム、守護霊よ来たれ!」
「エクスペクト・パトローナム……」
「そうだ。そしてこの魔法の大事なところなんだが……うーむ、説明が難しいな……。とりあえず、何か楽しかったことを思い出しながら唱えると出てくる。お手本は……ああ、自分の杖はなかったな。悪いが君の杖を貸してくれないか?」
「良いけど、雷に撃たれるよ?」
「面白いジョークだ」
シリウスは光沢のある黒い杖を受け取った。咳ばらいをして、軽く振る。
「エクスペクト・パトローナム!」
杖から銀色の光が放たれ、それらが1つの像を結んだ。顕現した犬の守護霊は周囲を駆け回る。シリウスは朗らかな笑みを浮かべて振り返った。
「これがパトローナスだ」
「シ、シリウス後ろ」
「ん?」
シリウスが目を離した隙に、守護霊は異様な変化を遂げていた。突然、発作のような挙動を示したかと思えば、体全体がどす黒いミカエラを彷彿とさせるような色に変貌した。一目散にシリウスへと躍りかかる。シリウスは咄嗟に横へ跳んで避けた。犬は近くの木に激突し、消えてしまった。
「君の言ったことがわかったよ」
苦笑してシリウスは杖を返してくれた。
「一度試しにやってみてくれ」
俺は幸福な思い出がなんだったか思い出そうとした。孤児院時代は初めの方は楽しかったような気もするが後半は丸きりつまらなかった。ミカエラと出会ってからは……いや、この思い出は使えない。今、彼女との思い出を使ったら負けだ。よし、この間のハロウィーンパーティーでシェーマスやネビルたちと大騒ぎした記憶を使おう。
大きく息を吸って、俺は杖を突きだした。
「エクスペクト・パトローナム、来たれ守護霊!」
楽しかったハイライトに神経を集中させる。爆発するブドウジュース、青ざめたネビルの顔、大笑いしているディーン……。
一瞬、銀色の何かが杖先からはみ出してきた。しかしすぐにそれは消えてしまい、それからはいくら念じても何も起こらなかった。息が切れ、俺は膝に手をついた。
「だめだ……できない……」
「初めてでこれは大したものだ。焦らずに練習していこう」
肩に手を置き、慰めの言葉をかけてくれるシリウス。俺はそんな師に礼を言いつつも、内心、あの思い出がそれほど幸福ではなかったと突き付けられた気がした。
最初のあの講習以降、俺とシリウスは会えない状況が続いていた。それというのも、天候が日に日に悪化していったのだ。仕方がないので、空き教室を見つけては一人でひっそりと練習する毎日を送っていた。
グリフィンドールとハッフルパフのクィディッチの試合を明日に控えた今日も、朝から雨が降っていた。そのせいだからかは不明だが、ルーピン先生が体調を崩したということで、いつにもまして不機嫌なスネイプ先生が闇の魔術に対する防衛術を臨時で担当した。
「我々が今日学ぶのは人狼である」
スネイプ先生は教科書の後ろのページを捲ってそう言った。当然、ルーピン先生はまだ前半のところしか教えていないため、教室中の生徒が反発した。先生はハリーやロン、ハーマイオニーと恒例のディベートバトルを繰り広げ、お馴染みの禁止カード「グリフィンドール〇点減点」を切って生徒たちを黙らせた後、開くべきページを指定した。
俺は未だに戦い続けるハリーたちとスネイプの口論をBGMに、人狼のページを開いた。俺の頭の中にレインの顔が浮かぶ。はとこが人狼なのに、人狼について何も知らないというのは非常に不味い事態であるような気がしてきた。
隣のネビルがスネイプに気取られないように蚊の鳴くような声で囁いてきた。
「人狼かあ、よく祖母ちゃんに悪いことしたら人狼に食べさせるって脅されたなあ」
「いやいや、人狼って人間のこと食べるの?」
「食べちゃうんじゃない? がぶって」
その場合、いつか俺はレインに喰われることになるんだが……流石にそんな未来は御免こうむりたい。
スネイプ先生は生徒の席を回って今までルーピンが課したレポートの出来をチェックし、難癖をつけていた。先生がまだ遠くにいることを確認した俺は会話を続けた。
「うーん、でも人を食べない心の優しい人狼もいるんじゃない?」
「そんな人狼いるのかな? 優しい人狼だなんて、怖くないスネイプ先生ぐらいありえないよ」
「ロングボトム、ビショップ、我輩は私語を許可した覚えはないが?」
いつの間にかすぐそばまで来ていたスネイプが、俺たちのことを見下ろしていた。深く刻まれた眉間を恐ろしいと思う日が来るなんて、思いもよらなかった。
「人狼は人間を食わん。ただ噛み殺すだけだ。3年生にもなってこのような簡単な問題すら判断がつかないなど、まったく嘆かわしい。グリフィンドール10点減点」
先生は教壇に戻り、散々ルーピンの教えぶりへの不満をぶちまけると、口を開いた。
「各自レポートを書き、我輩に提出するよう。人狼の見分け方と殺し方についてだ。羊皮紙2巻、月曜の朝までに提出したまえ。ビショップとロングボトムはなぜ人狼が人間を捕食しないかについて、羊皮紙1巻、追加で提出するように。このクラスは、そろそろ誰かが締めてかからねばならん。去年も今年も碌な授業を受けていないようであるからな。ウィーズリー、残りたまえ。処罰の仕方を決めねばならん」
授業が終わりみんなが教室を出ると、一斉に本日のスネイプへの真っ当な反論や誹謗中傷を始めた。ネビルは涙目になっていた。
「ただでさえレポートは大変なのに、追加されるなんて最悪だよ」
「あー、うん。それは災難だったね」
「なんで他人事感出してるのさ! ジューダスもだからね?」
「やめてくれネビル。俺の現実逃避の邪魔をしないでくれ」
「多分それ何の解決にもなっていないよ?」
「もっかいペトリフィカス・トタルスしようか?」
シェーマスがニヤニヤしながら肩を組んできた。何を言い出すかは大方予想できるぞこの野郎。
「そう突き放してやるなよ。貴重な地獄への同伴者、つまり友達だろ?」
「ウィンガー……」
「タンマタンマ! 冗談だろ? そいつはマジでシャレにならないって!」
慌てふためいているシェーマスを見て、留飲を下げる。ただの浮遊呪文なのに、何をビビり散らかしているのだろうかこの男は。
その後、ロンが医務室のおまるを魔法なしで掃除させられたと聞いて、同情すると同時に、それなら追加レポートの方がまだマシだと思った。
放課後、俺はいつも通り守護霊の呪文の練習にいい感じの空き教室を探していた。歩きながら、今日課されたレポートの構想を練る。
人狼の見分け方や人狼が人間を食べない理由はいくらでも調べられるのだが、人狼の殺し方はあまり乗り気になれない。なんだかレインの殺し方を学んでいるようで抵抗がある。
そんなことを考えていたら、廊下の片隅で何やら見知ったグレーの頭が蹲っているのを見つけた。近づいてみたら我がはとこだった。
「レイン? えーと、だいじょぶそ?」
「その声はジューダスですか。すみません、少し体調を崩しまして」
抱き起こしたレインの顔は青白く、汗で前髪が張り付いていた。体調不良の域を遥かに超えている。
「本当に大丈夫? 寮まで送っていこうか?」
「……すみません」
彼女に肩を貸してゆっくりと歩き出した。幸い、ここからレイブンクローの談話室まではそれほど距離が離れていない。俺の体力が落ちているとはいっても問題ないだろう。
レインは床に目を伏せながら口を開いた。
「すみませんジューダス、私なんかに付き合わせてしまって。迷惑ですよね?」
「迷惑? 家族を介抱するのは当然じゃない?」
「そうですか……」
しばらくお互い無言のまま、人気のない廊下を歩いていく。窓から差し込んだ西日が規則的な影を落としていた。暇なので俺はその影を踏み外したら死ぬゲームを勝手にやっていた。無論、身体を支えているレインには負担がかからないよう器用に足をさばいている。
少し経って、レインが正面を見据えたまま言った。
「以前、私が人狼だと言ったのを覚えていますか?」
「もちろんさ」
「私たちは満月が近くなると不調になるんです。今日も朝のうちは何ともなかったのですが、日没の今ではこの有様です。あなたには、見せたくなかったんですけれどね」
そのようにレインは自嘲気味に呟いた。夕日はほとんどが山に隠れ、城内は昼と夜が入り混じった様相を呈していた。
「ねえ、レイン」
「何ですか?」
「また何かあったら、遠慮せず呼んでよ? 俺はお兄ちゃんなんだからさ」
「私には……あなたを兄と呼ぶ資格はありません」
立ち止まるレイン。彼女に合わせて、自分も歩みを止めた。伏せた顔からその表情を窺い知ることはできない。
一瞬、影だけ歩く遊びの失敗が頭を過ったが、よくよく考えたらもう日が沈んでいたから全部影判定だった。
「去年、私はあなたに酷いことをたくさんしました。態度だって悪かったですし、森で危険な目に遭わせました」
「ゑ、そんな昔の些細なことで?」
「些細なことではありません。それに、あれらは私の醜悪な、恥ずべき考えのせいなんです。あなたが大叔父さんの孫だと紹介された時、私は何て考えたと思いますか? ジューダスがフォーリー家を乗っ取りに来たと思ったんです。私が5歳の時に、両親は人狼に殺され、大叔父さんに引き取られました。それから私はグリムが成人して当主になるまでに、フォーリーを守っていくことを考えてきました。大叔父さんは兎になってしまいましたし、他の人たちはいずれの方も亡くなっていたり、行方がわからなくなっていました。私たちの代でフォーリーを終わらせるわけにはいかない、その一心でした。……ただ、そのことで私は視野が狭くなっていました。あなたを連れてきた大叔父さんの喜びようは、見たことがないくらいでした。それを私は、あなたが上手く取り入った証だと考えたんです。行方不明の孫が生きていたことを喜ぶのは当たり前なんですけどね。そんなことも気づかなかった私は、あなたを敵視し、利用価値があるか天秤にかけていたんです。実はあの森に誘ったのも、脱狼薬の材料を採るため以上に、あなたの本性を暴く目的があったんです。暴かれたのは、私の方でしたが」
とうとうと心情を吐露したレインは、諦観が滲んだ目でこちらを見やった。
「どうです? 軽蔑したでしょう? 私は身だけではなく心も狼だったんです」
「やっぱすごいよレインは」
「私の話ちゃんと聞いてました? 私は苦しいんですよ。あなたのその善意が」
「レインは小さい時からハンデを抱えててもずっと弟と家のために頑張ってきたんでしょ? 偉いよ。偉いえらい」
一条の涙が彼女の頬を伝った。涙声が俺の鼓膜を打つ。
「……ずるいです。そんなこと言うのは卑怯ですよジューダス」
「知らなかったみたいだから教えるけど、俺はきょうだいと親友のためならいくらでも卑怯になれるんだぜ」
「何ですか、それ」
レインはまた前を向き、ゆっくりと歩き出した。歩調を合わせて二人で前進する。一言も発さなかったが、彼女の負い目が軽くなったことははっきりとわかった。
レイブンクローの談話室前のドアに着くと、レインは鷲の形をしたドアノッカーが出すなぞなぞを容易く答えて扉を開けた。
「ここまで来たらもう大丈夫です。ありがとうございました」
「良いってことよ」
レインは扉の隙間から中に入り、こちらに振り返った。内側から音と逆光が漏れてきている中で、彼女は頬を赤らめて言った。
「おやすみなさい、兄さん」
ぱたんと閉じられるドア。周囲は暗闇に包まれる。残された俺は唖然とブロンズの鷲と見つめ合った。
「美味でありながら後味が悪いものは?」
「知らないよ!」
その夜、俺は全然おやすみなされなかった。人狼の本を読み始めたのが運の尽き、夜を徹して読破してしまった。読めば読むほど出てくる人狼への差別と偏見の歴史。改めて、レインが俺に人狼であると打ち明けた重みがのしかかってくる。人狼であるだけで就職や結婚、その他諸々が極めて困難な状況に置かれる。ハンデってレベルじゃねえぞおい。そんなこともつゆ知らずに、彼女に言葉をかけてきたことが罪深いことのように思えてきた。
起床したネビルが、あくび混じりに言った。
「おはよう~って、その隈どうしたの?」
「ずっと起きてこれ読んでた」
「『狼の無法ぶり――なぜ狼人間を生かしておけないか』……?」
「ああ間違えた、それは3秒で読むのやめたやつだ。正しくはこっち」
俺は『毛だらけの鼻、人間の心』を手に取って見せる。ネビルはパラパラと開いた。
「結構分厚いね……。ジューダス、その、とっても言いにくいんだけど、わからないところがあったら教えてくれないかな?」
「ん? いいよ」
「頼りにしてるよ。……って、もうこんな時間!? ジューダス急ごう! クィディッチが始まっちゃうよ!」
慌ただしく寝癖を直すネビル。そういえば今日は試合当日だった。俺も彼に倣って支度を始めた。
そういえばミカエラはどこに行ったんだろう。毎回試合は一緒に観戦していたし……いや、だめだ。今はミカエラと口を効いていないんだった。放っておこう。……ま、まあ、ミカエラがどうしてもって言うなら一緒に見てあげてもいいけど。
外の天候は酷く荒れていた。暴風が吹きすさみ、豪雨が観客席を激しく打った。遠くの方では雷光が明滅している。こんな状況で箒に乗るなんて、クィディッチは正気じゃできないスポーツだ。
俺は天気と昨日の徹夜の疲れが相まって、試合展開が全く追えずにいた。なぜか、選手たちが地面にみんな降りていく。
「ネビル! 今どっちが勝ってるの!? 何が何だかさっぱりだ!」
「ごめん僕もわからない!」
「グリフィンドールが50点リードよ! ウッドがタイムアウトを要求したわ!」
ハーマイオニーがそう言って、席を立った。ロンがその背中に叫ぶ。
「ハーマイオニー! どこ行くんだ?」
「ちょっとハリーのところ!」
笑みを浮かべて去っていく彼女を、ロンは「僕も行くよ」と追っていった。
しばらくするとタイムアウトが明け、選手たちが荒天へ飛び立った。帰ってきたハーマイオニーに、ネビルが訊いた。
「何してきたの?」
「ハリーの眼鏡に水滴がついて邪魔みたいだったから、防水の呪文をかけてきたのよ」
「流石すぎる。俺の眼球にもかけて欲しい」
「それは無理な相談じゃないかしら」
悔しい。でもよく考えたら裸眼に防水魔法はやばそう。
そんなこんなで自然の猛威と戦っていたら会場にディメンターが現れて、ハリーが墜落した。慌てて観客席からダイブして助けに行こうとしたら、近くで観戦してたフリットウィック先生に魔法で取り押さえられた。解せぬ。
でもまあ、ディメンターが出たから、ミカエラは連れてこなくて良かったかもしれない。