よお。ミカドやで。
本格的な調教が始まって半年ほど経ったやで。身体も少しずつ大きくなってきたぜ。
今日は坂路調教になるんや。緩やかに蛇行はしているものの、坂路としては急だったり緩やかだったりと俺好みの坂道。
坂路を駆け登ることは昔から得意だった。その知識を活かして坂路の調教をこなした。結論から言うと、知識は偉大であったということだ。
では、ここで人間だった頃に見出して以来、長いことお世話になった坂路のコツを教えてしんぜよう。
・腰の位置と前傾姿勢の角度
・腕を大きく振って足を前に出すイメージを強くする
以上2つのポイントを心掛けよう。
詳しく説明するとしよう。こと走ることにおいて注意するのは重心のブレがないか、その1点である。それは距離も地形も関係なく大前提であることを理解して欲しい。なぜなら、重心のブレというのはスタミナや脚の運びに影響するからである。そして、疲労が溜まるに連れて踏ん張る力も減少するためにブレによる疲労が連続的に増加していくのだ。
1つ目のポイントである腰の曲げ方は、上記のブレを無くすために意識することである。言わば坂路における重心を定めることと、腰が高い位置にあることである。そして、前傾姿勢の角度だが、これが前に倒れすぎると腰に負担が大きくなる。腰に負担がかかるということは、重心にブレが生じやすくなるということである。このため、腰を中心とした前傾姿勢は最小限に抑え、肩甲骨の辺りから丸めることが重要である。ただ、重要なのは坂にもそれぞれ適した腰のまげ方が存在するということだ。これは、慣れれば一瞬で判断が着くようになるから回数こなすしかないぜ!
因みに、これが平地であるならば地面と背筋が垂直の状態を維持することで持久力の温存ができるため簡単な話になる。
2つ目のポイントは、坂路では腕を大きく振ることを意識することで脚を前へ進ませることが出来る。なぜこれが優れているかと問われると、坂路は脚への衝撃の負担が少ない反面、逆に足が本来地に着くであろう場所よりも後ろに下ろす。言ってしまえば、足が前に進みにくいことにある。細かく刻んでしまうと脚を動かす回数が多くなり、前へ出す筋肉に疲労が溜まりやすくなる。結果、大腿筋周辺に疲労が溜まることで最後の平坦や急激なアップダウンの変化に対応できないことが多い。故にストライドを広めに取ることが必要だ。
そうは言っても、残念なことに今は『
腕は振れないし腰の位置調整は出来ない。しかし、そもそも脚はは4つである。重心は固定しやすいし、足の運びを綺麗に揃えることで、ブレを無くすことが出来た。しかもストライドを変えたりすることでスピードそれぞれの地形やギアの変更を行いやすくなった。人間の時のよりも顕著に分かる。
「……ミカド、一体何本走るの?」
俺に騎乗している益城から伺うような声が聞こえてくる。確かに、そろそろいいだろう。……いや、最後の7本目を走ってから終わることにしよう。
距離にして約900m程度だろうか。整地されたところとは違い天然のため、足元の感覚は変わりやすい。ただそれは、俺にとって足場の善し悪しを一瞬で判断してコース取りを行うには持ってこいのトレーニングになっていた。
人を経てから馬になったため、感覚が十分に戻って来るまでに時間が掛かっていた。確かに、大観峰まで1年以上通い続けているがパッパカ走っているだけで、人間で言うジョギング程度。全力で走る時とはまた感覚が違うのだ。
特に、足の運びや重心の把握に始まり疲れにくい姿勢の作り方やスピードを出しやすい姿勢への移行などを夫々の練習を本数ごとに確かめる。そして最後は、全て意識してきたことを統合して自身の『現状』の最高の走りへと昇華させる。
さぁ、集中していこうか。
第4レース 準備
ミカドの集中力が、さっきの6本目の時よりもずっと深いものになっている。それは、八代と益城の感じ取ったものだった。
「……最後か?」
「なんか、さっきとは雰囲気が一段と違うというか、かなり集中してるって言うか……」
先程、鼻を一度だけ鳴らして再度スタート位置へ駆け足程度のスピードで向かう。既に道のりの3分の2を過ぎてもう少しで再度全力でスタートを切るだろう。
「……ミカド、君はほんとに強い子だね」
益城はミカドの上から声をかけた。聞こえているのかいないのか。再度鼻を鳴らすと益城の方に振り返った。益城から見たミカドの目は、『もっと速く』、口ほどに物を言うとこれほどに感じることは無かった。
「うん。じゃあ、今の君の最高の走りができる様に、手伝えるよう力を尽くすよ」
益城がそういうと、ミカドはやって見せろと言わんばかりに小さく歯を見せると前を向いた。
スタート位置に戻り息を整える。益城はミカドのタイミングを待つ。ミカドは普段から、集中力が最深部に達したところでスタートするからである。そのタイミングで体の後ろ足がピクリと動くのだ。
(……今っ!)
益城はミカドがスタートを切りやすいよう体勢を作った。それと同時にミカドの脚は動き出す。
疾走。只管に。
阿蘇の緩やかな湿った空気を切り裂くように。
「すっご……」
思わず漏れ出た感嘆は、これからも何度となく経験するだろうなと思った。
その中で益城はミカドが何かを探りながら、確かめながら走っていた様子に気づいていたが、今この時になって初めて気づいた。
(探しているのか。より早く走れる方法を……!)
先程よりもスピードに乗っている。少し過ぎてしまったが、事実ちらりと見た手元の時計では2ハロン地点で1秒の差が出ていた。
「行ける!」
大きく嘶きを上げると、さらにスピードを出した。残り2ハロンと少し。
ラストスパートと言わんばかりに大地を蹴りつける力は増していく。これがミカドの走りだと言わんばかりに、その存在感を知らしめるように。
ラスト1ハロン。
この時の光景をミカドの上から観ていた益城は、レースでこの背中に乗れないことを、まだ見ぬこの背に乗って勝つ騎手へ強い羨望と嫉妬を送ることになった。
⿴⿻⿸
地方で競馬するにも厩舎に入れるというのは当然のことである。
「荒尾先生、お久しぶりです」
「お久しぶりだね、山鹿さん。奥さんもお元気そうで」
荒尾調教師は、数年後には通算1100勝を上げるのは確実と話が出る大ベテランの調教師であった。そんな人物と40そこそこの山鹿が仲良く談笑しているのは、彼の父親の代から続く親交がある上、馬のことや経営のことを学ばせてもらった師でもあるからだ。
「最近はとても繁盛しているようだね。テレビでも見たよ」
「実は、今度また動物系バラエティ番組のスタッフさんが来るようでして」
「ハッハッハ、確かミナミノミカドだったよね。テレビで見た時に、一目でいいから見たいと思ったよ。一目惚れってやつだ、あんなに珍しい毛色は競馬関係だとサッカーボーイ以来だし、生で見たことないからね」
山鹿夫妻は顔を示し合わせた様に頷いた。
荒尾は空気が少し変わったことを不思議に思いながらも、どうしたんだと問いかける。
「今日来てもらったのは、そのミナミノミカドのことなんです」
それを聞いた荒尾の心の中は狂喜乱舞していた。それを表に出さずに続きを促す。
「ええ、実は来年荒尾でデビューさせようと思いよる」
「なるほどな。なんば調教中の動画とかあっとか?」
「……ええ。まあ、その、馬らしくないというか」
釈然としない返答に少し戸惑いながらも、荒尾は渡された馴致の様子や先日の坂路調教の映像を見た。
「……こんな馬見たことにゃーど。色んな馬ばたいぎゃー見てきたおいも初めて見るわ、こがん賢か馬」
「まあ、普段はあんま馬らしくなかすよ。特に飼葉食う時も寝転がっまま這い寄って体動かさんで食いよります」
「はっはっはっ、オンとオフがはっきりしてて良かったいね。そぎゃん馬は集中するところばしっかり分かっとっけん」
「そいならよかっすけどね……。今日見ていきます?今日は調教も軽めやったばってん、2回目の大観峰訪問すると思う」
ちょうどそのタイミングで山鹿夫婦と荒尾の元に八代と益城がやってきた。
「あぁれ?八代君どぎゃんしたと?あんま見んうちに痩せたね!」
「あー、まあ、そりゃあ一年の間にミカ、いや、ミカドと一緒に数百往復もすりゃ痩せもしますよ」
「もう既に15キロ痩せたようで」
「はぁ、こりゃミカド様々みたいです」
少し談笑した後に、思い出したように益城が口にした内容に荒尾は驚いた。
「あっ、そうそう。さっきミカドが脱柵してそこで待ってます」
「だ、脱柵?」
「あぁ、いつもんことです。大観峰ば行く時だけは必ず脱柵してそこの事務所の前で待っとんです。ええ頃合いやった。ちょうど荒尾先生も着いていく話になっとっけんよろしく頼む」
「分かりました。では、先生も行きましょうか」
「えぇ……?脱柵ぅ……?」
荒尾の心配を他所に八代と益城は熟れた動作のままミカドの方へ向かっていった。
荒尾は脱柵と聞いて賢いのかと疑問を浮かべたが、その数十分後、大観峰に着いたにはミカドの入厩を心待ちにする1人のおじいちゃんがいたとさ。
ダジャレに繋げられる文才欲しいンゴ……。