--- パウロ視点 ---
ルディが酒場から出て行った後、オレはしばらく呆然としていた。
拳には殴った時の感触がまだ残っている。
悪い夢でも見ているような気分だった。
その場に立ち尽くしていると、周りの団員たちがヒソヒソと非難の言葉を口にするのが聞こえた。
……年端もいかない娘を殴り飛ばしたのだ、当然か。
そうしていると、ノルンを任せていたはずのヴェラが戻ってきて、オレの肩を揺さぶった。
他の団員から一部始終を伝え聞いたのか、
ヴェラはルディを追いかけろと言ってきた。
追いかけて、謝るのだと。
弾かれたように身体が動いた。
オレは走った。
走って、ルディを追いかけた。
しかし、ルディがどっちに行ったのか分からず、
追いつくことはできなかった。
この辺りの宿場街は、入り組んだ細い路地が多いのだ。
小一時間ほど探しても、ルディを見つけることはできなかった。
途方に暮れていると、後ろから肩を叩かれた。
「よう、探したぜ」
そいつの顔を見るのは1年ぶりだった。
相変わらずのしたり顔で佇むギースの姿が、そこにはあった。
---
ギースに連れられて、さっきのとは別の酒場に入る。
とても飲み直す気分にはなれなかったが、そんなのはお構いなしだった。
「お前んとこの団員から聞いたぜ。
……再会した娘を殴り飛ばしたんだって?」
「……ああ。だがあれは」
「わーってるよ、どうせ勢い余ってぇとかの事故なんだろ?
昔から女にだけは手を上げねえって抜かしてたお前が、娘には容赦しないなんてあり得ねえもんな」
「……おう」
言い訳をする前に、ギースは面倒臭そうな表情でオレが言おうとしたことを言ってきた。
こんな時だってのに、ギースが寄せてくる変な信頼を嬉しく思う自分がいた。
……こんな時だからか。
あの場に居た団員たちからは、白い目でしか見られなかったからな……。
そうだ、あれは事故だったのだ。
だからって殴っちまったことの罪悪感は消えそうにないが。
「ま、わざとじゃないからって娘に手をあげた事実は消えねぇ。
父親として最低だ。
……ま、そのことはこの際置いとくぜ。
あとで思う存分殴られ返してやるこった」
「……そう、だよな」
酒場を出ていく時のルディの顔を思い出す。
ひどく怯えきって、震えながら俯くルディ。
オレの顔なんて見ようともしないまま、あの赤毛に連れて行かれた。
……あの様子じゃ、ルディはオレのことを殴ってくれさえしなさそうだ。
殴られれば許されるなんて考えているわけではないが、今は、顔を合わせてもらえるかすら怪しいと思った。
だが、直接見ていないギースにとっては、その話はもう終わりだったらしい。
通りかかったウェイトレスに酒を注文すると、テーブルに頬杖をついて半眼になった。
「んなことよりよ、そもそも、だ。
なぁんでエリオットの坊主と殴り合いすることになったんだよ。
ルーディアを間違えて殴っちまったのも、それが原因なんだろ?
なら、話はそっからだろうが」
そういうと、ギースはオレに話をするよう目線で促してきた。
こいつは昔から、他人の悩みを聞くのが上手な奴だった。
今回も、おせっかいを焼いてわざわざ聞いてくれるらしい。
「ああ、聞いてくれよ……」
ルディを殴ったことは、悪かったと思っている。
だが、そのことと、あいつがこれまで遊び呆けてたことに苛立ちを覚えるのは別のことだ。
とうに頭の中はぐちゃぐちゃだった。
全て吐き出してしまいたかった。
---
「お前さ、娘に期待しすぎじゃねえのか?」
ことの経緯を話し終えると、ギースはそう言った。
そして、たしかにルーディアは天才だが、まだ11歳の子供なのだと、念押しするように繰り返してきた。
「パウロ、お前、11歳の頃は何してた?」
「何って……」
11歳のガキの頃。
確か、実家で剣術を習っていた。
「その頃のお前に、魔大陸で生きていけつって、出来たか?」
「ハッ、ギース、そりゃ前提がおかしいぜ。
ルディはな、強い魔族に護衛についてもらったんだ。
Aランクの魔物だって一人で倒しちまうっつー、化け物みたいな奴にな」
「知ってるよ、ルイジェルドの旦那だな」
「それだけじゃねえ。
フィリップんとこの……たしか、エリオットとか言ったっけ?
認めるのは癪だが、あの赤毛だって相当強い。
殴り合ったから分かるが、ありゃあ聖級に片足突っ込んでやがる。
そんな連中に姫さまみてぇに大事にされてりゃ、オレじゃなくたって魔大陸縦断ぐらい出来るさ」
思い出したらまた疼いてきやがった。
くそっ、あの野郎ルディのことを馴れ馴れしく呼びやがって。
「ルディは2人とも上手いことたらし込んだんだろうな、
さすがはオレの娘だよ。
股が緩くなっちゃいねえか心配だ」
苛立ちからついそんな悪態をつくと、ギースが不快そうな顔をしていた。
「なんだよ怖え顔しやがって。
……まさかとは思うが、お前もたらし込まれたりはしてねえよな?」
「ある訳ねえだろ馬鹿、俺の好みはもっと上だっつの。
それにお前の息子になるなんざ死んでも御免……って、
そうじゃねえ」
ルディはゼニスに似て可愛いから、万が一の邪推をしてしまった。
そうだよな、ギースに限ってあるわけねえよな、
そんなこと。
「あのな、パウロよ。
お前今みたいに、『たらし込む』とか『股が緩い』とか、
冗談でもその手のことはあいつらの前で言うんじゃねえぞ?」
そう思って安心していると、ギースは本当にどうしようもない奴を見る目をしながら、ため息をついた。
なんなんだ、いったい。
「旅の間にチラっと聞いた話だがな。
あいつ、金に困って……身売りしかけたことがあるらしいんだ。洒落にならねえ」
「え」
「そん時は間に合って、エリオットにも泣かれちゃいましたーって軽い調子で言ってたけどよ。
本人はすげえ後悔してるみたいだったぜ」
「……」
「ルイジェルドの旦那にもきっちり叱られたようだしな。
ハッ、こりゃお前よりよっぽどルーディアの父親らしいぜ」
あいつ、そんな話一度も……。
オレの下世話な話には寛容だったが、それでもルディは、
時折ゼニスからミリス教の教えを学んでいた。
だから、貞操観念についてはしっかりしていたはずだ。
そんなルディが、そんなものに手を出すほど金に困るって、相当大変だったんじゃないのか。
「話を戻すけどよ。
仮に今のお前が魔大陸に行っても一人じゃ帰ってこられねえよ。
元Sランク冒険者で、三流派上級なんてイカれた腕前のおまえでもな。
それくらい、魔大陸ってのは過酷な土地なんだ」
ギースの例え話に反論をしたい気持ちはあった。
だが、うまく頭が回らない。
「そんな所で助けてくれる大人が現れりゃ、
そいつがスペルド族だろうとその手を取っちまうだろうさ。
断れば何されるか分からねえしな」
そうだ。
スペルド族の恐ろしさについては、ルディもロキシーから教えられていたはずだ。
「そこでルーディアは考える訳だ。
いざって時のために、恩を売りながら自分の力をつけようってな。
だから、あいつがルイジェルドの旦那を助けていたのは、
生きるために必要なことだったんだ」
なるほどな。
確かに賢いルディなら、そういうことには目ざとく気付きそうだ。
「それにな、エリオットに頼ることもできねえよ。
あいつはルーディアのことを大切に思っちゃいるが馬鹿だからな。
難しいことは全部頭の良いルーディアに丸投げだ。
……これで分かっただろ?」
そう言うと、ギースは指を広げた。
それを一つずつ折っておく。
「初めての土地、初めての冒険。
いくら賢いったって、知らねえことばかり。
騙されないために、自分も学んでいかなきゃならねえ。
その上で、いつ裏切るかわからねえ魔族相手に気を配り、
すぐ後ろには守らなきゃいけない弟分……」
ギースは淡々とした口調でいいつつ、指を全て折った。
そして、最後にこう締めくくった。
「これで転移した別の奴らまで探し出せってのは、明らかにオーバーワークだ。
ルーディアがいくら天才っても、人間には限界がある」
「……じゃあ、なんで限界ギリギリのやつがあんなに楽しそうに冒険の話を語るんだ」
ギースの言葉を理解しつつも、素直に頷いてやるのは憚られた。
オレのつまらないプライドがそうさせた。
「そりゃあお前、大好きな父親に心配かけたくねえからに決まってんだろうが」
「なんでルディがオレの心配なんかしてんだよ。
ダメな父親だからか?」
「そうだよ、よく分かってんじゃねぇか。
今のお前、ひっでぇ顔してやがるからな」
ひどい顔。
そう言われて自分の顔に触れると、何日も剃っていないひげがジャリっと音を立てた。
……もしかして。
最初にルディと会った時、ゼニスのフリなんかしていたのも、顔を見た時点で、オレのことが心配になったからだろうか。
だとしたら、オレがあの時、
ルディに吐き捨てた言葉は……。
言い知れぬ後悔が胸の中に広がっていく。
「なあ、パウロよ。なんで素直に再会を喜ばねえんだ?
いいじゃねえか、ルーディアがどんな旅してきたって。
お互い元気で会えたんだ。まずはそれを喜べよ」
そうだ。
オレだって、最初は喜んだはずだ。
「それとも、片腕を失って、目もうつろな娘に会いたかったのか?
死体になって再会って可能性も大いにあったんだぜ?
いや、魔大陸なら死体も残らねえな」
さっき会ったばかりの、元気そうなルディが。
オレのことを心配して、優しく抱きしめてくれたルディが。
……死ぬ?
数日前、酒に溺れても拭いきれなかった陰鬱な気持ちが甦ってきた。
「ハァっ……ハァっ……!」
気付けば、呼吸が荒くなっていた。
胸が苦しくなってきて、想像だけで吐きそうになってしまう。
「お、おい、大丈夫か?」
「んぐっ……はぁっ……。
大丈夫だ……」
テーブルの水差しから急いで水を注ぎ、吐き気と一緒に呑み込む。
「悪かったよ、今のは言いすぎた。
縁起でもねえこと考えさせちまった」
「いや、良いんだ……実際、そうなっててもおかしくないってのは、お前の言う通りだと思う。
けど、一つ、不思議なことがある……」
ルディがブエナ村の情報を知らなかった事だ。
ザントポートにだって伝言は残したはずなのに、だ。
オレはそのことを訊ねた。
するとギースは何かを隠すように苦々しい顔をしてから、
長いため息をついて、ことの次第を話し始めた。
要約するとギースはこの1年の間、大森林の各種族に連絡をして回ってくれていたらしい。
人族の迷い人がいたら、ミリシオンまで送ってくれと。
まったくもって頭の上がらない話だ。
「俺がルーディアに会ったのは、ドルディア族の村の牢屋だ。
ビックリしたぜ、なんせ年端も行かない女の子供が密輸人の嫌疑をかけられて、牢屋にぶち込まれた挙句に全裸で縛り上げられてんだからな……。
俺が来た時にゃ、冷水までぶっかけられてて…………、
そりゃあもう弱ってた」
「……マジかよ」
前にギレーヌから聞いたことがある。
ドルディア族にとっては、全裸にされる、檻に入れられる、鎖に繋がれる、冷水を掛けられる、といった事は、
この上ない屈辱なのだ。
ギースの話がフカシじゃなけりゃ、ルディはそれを全部やられた事になる。
11歳の少女にやっていい所業じゃない。
さっきまでの陰鬱な気持ちとは別に、フツフツと怒りが湧いてきた。
「……ギース、誰がルディにそんな事しやがった?
叩っ斬ってやる」
「その大事なルディちゃんをぶん殴った奴の言えたことかよ。
そのことはもう本人たちが折り合いも落とし前もつけてっから、引っ掻き回すんじゃねえぞダメ親父」
「ぐぅっ……!」
やめてくれ。
その口撃はオレに効く。
やり場の無くなった怒りが急速に情けなさへと変わっていくのが分かった。
くそっ……!
「ま、そういう訳だから、ルーディアが情報を知らねえのは仕方ねえんだ。
ザントポートには寄らなかったって話だしな」
「そうか……」
「お前も精神的に参ってたってのは分かるけどよ、
ここは大人として素直に謝るこったな。
せっかく無事で会えたんだ、変な意地張ってぎこちなくなってちゃ世話ないぜ」
もちろん、ギースに言われるまでもなくルディには謝るつもりでいる。
でも、ルディに会うとして、どんな顔をして行けばいいのか分からなかった。
いっそギースに仲介役を頼もうか。
「あそうだ、こいつを渡し忘れていたな。
お前らが暴れた後、酒場に落ちてたんだとよ。
ヴェラから預かってきた」
そんな情けないことを考えていると、ギースが何かを差し出してきた。
飾り気のない、簡素な便箋だ。
ポケットにでも突っ込んでいたのか、少し角が折れている。
「……これは?」
「ルーディアがお前に出そうとしてた手紙だよ」
そう言うと、ギースはいつの間にか飲み干した杯を残して、席を立った。
「明日の朝一番で『夜明けの光亭』に行け、いいな」
---
宿に戻ると、1階のロビーにいた団員たちから鋭い目線が飛んできた。ロクデナシを非難する目だ。
「……みんな。
昼間は胸糞悪いもん見せちまってすまなかった。
明日、娘に謝りに行こうと思う」
そう言って頭を下げると、団員たちは何を言うわけでもなく、オレから目線を外していった。
「……パウロ団長」
しかし、その中の一人は、オレに近づいてきて気遣わしげな目を向けてきた。
ヴェラだ。
「さっきは……すまなかったな。
ルディのことは見つけられなかったが……
おかげで、自分のしでかしたことを思い知ったよ」
「……はい。あの、手紙は……」
「ギースから受け取った」
「そうですか。……今日はもう、休んでください。
部屋で、ノルンちゃんも待ってます」
「ああ」
言われるがまま、フラフラと階段を上がる。
部屋の扉を静かに開けると、そこにはノルンが一人で寝ていた。
毛布を抱きしめるように眠るノルンの頭をさらりと撫でてから、手紙を開いた。
ざっと読んでみると、そこには、昼間にルディ自身の口から聞いたのとあまり変わり映えのしない内容が綴ってあった。
だが、ギースから聞いた話に当たる部分には、
「ドルディア村ではVIP待遇でもてなされた」といった内容が自慢げに書かれているだけだった。
牢屋に入れられたことも、ドルディア族の拷問を受けたことも、一切そこには書かれていなかった。
これも、オレを心配させないためか……。
「んうぅ……お父さん……」
ノルンが身じろぎをした。
起きてはいない。寝言だろう。
こうしているのを見ると、ルディがまだまだ小さかった頃を思い出す。
二人ともゼニスに似ているから、ノルンとルディもそっくりだ。
ルディは、旅の間の大変なことは一切オレに見せようとしなかった。
本当なら、ここにいるノルンのように、オレが守ってやらないといけなかったというのに、それを自分の力で乗り越えてきたのだ。
それなのに、オレはルディを鬱憤の捌け口にして、
あまつさえ手をあげて……。
頭の中を後悔ばかりが渦巻いた。
現実には起こらなかった悲惨な可能性を想像して、
身体が震えた。
その夜は、眠ることができなかった。
夜風にでも当たって、頭を冷やすか……。
--- ルーディア視点 ---
翌朝になると、ルイジェルドはいつの間にか部屋に戻ってきていた。
「昨晩は、どこに行ってたんですか?」
少し気になったので、アリバイを探る刑事のように聞いてみると、彼は少しだけ返答に困ったように目を逸らした。
「……夜風に当たっていた」
一応そう答えてくれたのだが、行き先を言わないあたり何かやましい事でもしていたんだろうか。
エッチなお店に行ってきたとか。
……まあ、この男に限ってそんなことはすまい。
単に、居づらくなって適当に散歩でもしてきたのだろう。
私の方はというと、一晩眠って少しばかり頭がスッキリしていた。
どん底に突き落とされたような気持ちが落ち着いて、昨日のことを冷静に振り返ることができるようになっていた。
思えばあの時、パウロは酔っ払っていて随分と感情的になっていたはずだ。
私のことをゼニスと見間違えて泣き出すし、精神的にも相当参っていたんだろう。
だから、安否不明で気を揉んでいた相手が、心配をよそに楽しそうにしていたらイライラするだろうし、そんなに余裕があるならと相応の働きを期待したりもするだろう。
あの時私は、変な見栄を張らずに、事実を伝えるだけで良かったのだ。
そうすればパウロだって、あんなに口汚く罵るような真似はしなかったはずだ。
捜索しなかったことについての指摘くらいはされただろうが……少なくとも、エリオットと殴り合うような事態にはならなかったと思う。
パウロが私を殴ったのだって、よくよく考えれば間の悪い事故だったのかもしれないしな。
昨日ルイジェルドが「よく考えてみろ」と言った理由が、
少し分かった気がする。
そんな風に頭を整理しながら、朝食を取るべく、
宿の1階へと階段を降りていく。
今朝のメニューは何だろうか。
結局、昨日の昼から何も食べていないし、ここの料理はそこそこ美味しいので楽しみだ。
などと思っているうちに、宿に併設された酒場に到着した。
少し早い時間だからか、酒場は閑散としていた。
見たところ私たち以外の客は1人しかおらず、座席はがらんとしていて……。
「あ……」
その客の顔を見た途端、思わず足を止めてしまう。
その男は、昨日とはまた違った風に元気のなさそうな顔でテーブルに座っており、すぐにこちらに気がついた。
「よ……よう、ルディ……」
パウロだった。
パウロは掠れた声で私の名前を呼んで、
軽く手をあげて挨拶をしてきた。
その顔、その声音。
昨日の荒んだ感じは鳴りを潜めていて、続きを吹っかけに来たわけでは無いと、一目見てわかった。
何か、思うところがありそうな様子を見るに、
この早い時間にわざわざ会いにきてくれたのだろう。
そうか、じゃあ、話をしないとな。
せっかく向こうから来てくれたのだから、
パウロが座ってるテーブルに向かって、
ちゃんと、話を……。
話を…………。
「……うぷ……っ!」
唐突に吐き気を感じて、咄嗟に手で口を押さえた。
顔を背けて、えずきながら必死で堪える。
ルイジェルドが背中をゆっくりとさすってくれて、
徐々に胃のムカムカが収まっていく。
「……っ、はぁ、はぁ……」
「大丈夫なのか?」
「ええ、なんとか……」
どうにか息を飲み込んで、呼吸を整える。
良かった。
胃が空っぽじゃなかったら、この場で吐いてしまっていたかもしれない。
「……何しに来たんだよ」
そうしているうちに、隣にいた筈のエリオットがズカズカとパウロに近づいていた。
昨日みたいに殺気を撒き散らして、今にも掴みかかりそうな雰囲気だった。
「娘に……ルーディアに、会いにきたんだ……」
「……ルーディアはお前に会いたがってなんかない」
蹲る私を見てか、エリオットはそう言った。
気に掛けてくれるのはありがたいが、今のは違う。
ちょっと、今のはなんていうか、アレだ。
ほら、一応まだ生理中だし、急に発作が出たみたいな……。
そうやって意味のない言い訳を考えていると、今度はルイジェルドが、いつの間にかエリオットの方へと向かっていた。
彼は無造作にエリオットの首根っこを掴んで持ち上げると、酒場の出口へと向かって行く。
「ちょっ……なにすんだよ! ルイジェルド! 離せよ!」
「2人にさせてやれ」
「お前も昨日のルーディアは見ただろ!?
今だって辛そうにして……!
なんであんな奴なんかに!」
「そう言ってやるな。奴にも奴なりの事情がある」
「ルーディア!
何かされそうになったら大声で呼ぶんだぞ!
くっそ、離せったら!」
なんて事を言いながら、2人は酒場を出て行ってしまった。
パウロは少しだけ呆気に取られているようだったが、
すぐにまたこちらを向いて、手招きをしてきた。
「……ルディ、そんなところに突っ立ってないで、
こっちに座らないか? 話を、しよう」
「……はい」
軽く深呼吸をしてから、返事をした。
うん、大丈夫だ。
さっきのは、少し急だったから、驚いただけだ。
話をするくらいの余裕は、私にもあるのだ。
席について、パウロと正面から向かい合う。
「それで……何をしに来たんですか?」
思った以上に、硬い声が出た。
すると、パウロはびくりと身を震わせた。
「いや……その、昨日のことを、謝ろうと思ってな」
「謝る必要はありませんよ」
謝ってもらえるのは好都合だが、
私だって、昨日のことは反省したのだ。
「ハッキリ言って、私はこれまで、遊び気分でした。
父様の言う通り、情報を集める余裕はあった筈なんです」
話くらいはできるだろうと思ったが、声が震える。
本当はまだ、少し怖いのかもしれない。
「それなのに初めての冒険だなんて浮かれて……
怒られて当然のことをしていました。
この大変な時期に、私の方こそすみませんでした」
昨日のように突き放されるのは、もうたくさんだった。
だから、素直に謝った。
「いや、そんな事はないだろう。
ルディだって、一生懸命だったんだろ。
それに……その、お前を殴った事は、どう考えてもオレが謝るべきことだ。
本当に、すまなかった」
だが、それを聞いて、私は少しホッとした。
昨日みたいに拒絶されるわけじゃないのだと分かったから、大丈夫だと思えた。
「あれは……私が、考えなしに割って入ったのが良くなかったんです。
わざとじゃないんでしょう?
父様は悪くありません」
「わざとじゃなかろうが、娘に手をあげるなんて、オレは……」
「治癒魔術で綺麗に治りましたから。
気にしてませんよ」
「そう、か……」
しかし、どうにも空気が重たかった。
そりゃ、ただでさえ4年ぶりの再会だというのに、
その上諍いのあった昨日の今日だから仕方がないとは思う。
でも、それにしたって、この息苦しさ。
元々、私はこういうのは苦手なんだ。
パウロの方から、なんとか打ち解けられるようにしてくれないかな……。
「……その、怪我は、痛まないのか?」
「もう、治ってますので……」
「そ、そうか、そうだよな、すまん……」
「いえ……」
ああ、くそ、何で私ってのはこうなんだ。
せっかく話しかけてくれたのに、うまく返せなかった。
会話の糸口が掴めない。
真っ暗闇の中を手探りで慎重に歩いているような気分だ。
窓の外はこんなに明るいというのに。
気まずい沈黙が続いた。
---
その後も、時折会話をしては黙り合うというのが繰り返された。
パウロが残したという伝言の内容を聞いたり、とりあえずはフィットア領に帰るつもりだという方針を伝えたり。
改めてフィットア領の現状を聞いたり、パウロがどうしていたのかを確認したり。
そうしているうちに、本当に話すことがなくなってしまった。
たった今済ませた情報交換だって、会話というよりも、
事務的な連絡だけをしているような感じだった。
必要なこと以外、何を話していいのか分からないのだ。
でも、以前はそんなこと考えずに会話をしていたはずだ。
昔は、どうしてたっけな。
昔は、もっとこう、顔色なんか伺わずに、
言いたい事を言える間柄だったはずなんだが……。
それができないのは、緊張しているからだろうか。
パウロは謝ってくれたし、私もパウロに謝った。
お互いに謝って、許し合ったのだから何も緊張することはないはずだ。
それなのに、どこか居心地が悪い。
そう思っているのは、私だけなのだろうか。
パウロは今、どう思っているのだろうか。
今この瞬間、何を感じて、どんな顔をしているのだろうか。
そう思って、窓の外に向けていた視線を、何気なくパウロの方に向けようとして。
視線がパウロの顔を避けるように下へ向いたことに、少々驚いた。
パウロの顔を見ようと思ったのに、見れなかったのだ。
まるで磁石の反発を受けているみたいだった。
愕然とした。
まさか、この期に及んで、私は怖がっているのだろうか?
無意識下では、パウロのことをまだ許せていないのだろうか?
……いいや、そんなことはない。
私はパウロを許している。
さっき吐きそうになってしまったのは、また、昨日みたいに拒絶されたらと考えてしまったからだ。
でも、パウロは拒絶などしなかった。
パウロだってこの1年半は大変だったろうに、私のことを慮ってくれたのだ。
それが分かったから、心底ホッとしたというのも本当なのだ。
だから、顔を見れないのは…………どうしてだろうな。
自分でもよく分からない。
でも、ここでは顔を見て話をしなければならないと、直感的に思った。
そうしなければ何かが壊れてしまうような、そんな確信めいたものがあった。
ごくりと唾を飲み込んだ。
意を決して、パウロの顔を見る。
「……!」
視界に飛び込んできたのは、ひどい顔だった。
不安に駆られた顔だった。
今にも泣きそうな顔だった。
とても、30歳にもなる男がするような顔ではなかった。
……そういえば、最初に目を逸らしてから、パウロの顔を見ていなかったな。
だからだろうか。
テーブルについてから初めて目線が合って、パウロはあからさまにビクついた。
「……なんですか、その顔は」
「なんだって……、なんだよ」
パウロは苦笑しながら、辛うじてそう答えた。
頬がこけて、元気がなくて、萎びれた表情だ。
その顔には、覚えがあった。
忘れもしない、前世で引き篭もり始めたあの頃だ。
一番情緒が不安定だった時期に、鏡の前で何度も見たことのある顔だった。
そうか。
パウロは今、情緒不安定なのか。
思い返せばあの頃の俺は、
現状を変えなくてはいけない事を認識しつつも、
何をどうすれば良いのかが分からなくなっていた。
きっと今パウロが不安そうにしているのも、
自分が手をあげてしまった娘に対して、
どうすれば良いのかが分からなくなっているからだ。
アレコレと手厳しいことを言った。
殴って、痛い思いもさせてしまった。
謝罪は聞いてもらえたが、本心はどうだろうか。
とっくに嫌われていてもおかしくない。
口を利いてくれなくなったらどうしよう……。
そんな感じの思考が、ありありと読み取れるようだった。
そんな顔をしていた。
どう接するべきか、決めあぐねているのだろう。
なるほどな。
パウロの気持ちが、少しばかりは理解することができた。
そうと分かれば、スッと気持ちが晴れていた。
私のするべきことは見えてきた。
なんだかんだ言って、私はパウロのことが嫌いではない。
好きだと言い換えても良い。
だから、まあ、今回は。
私がきっかけになるとしよう。
「父様」
「な……なんだ、ルディ?」
おっかなびっくり返事を返すパウロに、私は席を立って歩み寄る。
「一つ、お願いがあります」
そう言うと、強張っていたパウロの表情が少しだけ明るくなったような気がした。
「な、なんだ?
オレにできることなら、なんでもするぞ?」
なんでもか。
随分と気前の良いことだ。
しかし、今回はそう大それたことを言うつもりはない。
願い事は、一つだけ。
パウロの前に立って、私はそっと両手を広げた。
「抱きしめてください」
「え……? い、今か?」
「はい、今、ここで、お願いします」
「いや、お前、それはもちろん良いんだが……。
急に、どうしたんだ?」
パウロは困惑している様子で、すぐに抱きしめてはくれなかった。
オロオロとしながら、私の顔色を伺っているだけだった。
ああ、もう、こっちだって恥ずかしいんだぞ。
理由なんか聞かないでくれよ。
他に客がいないとはいえ、良い歳して「パパ、抱っこ」ってしてるようなものなんだぞ。
つべこべ言わずに察しろよ、バカ。
心の中で文句を言うが、依然としてパウロは固まっていた。
娘からハグをねだられて、嬉しさよりも困惑が先立つとは。
急なこととはいえ、父親の風上にも置けないやつだ。
……まあ、いいか。
既に十分恥ずかしい事を言っているのだし。
もう1つか2つ恥ずかしい事を言ったって、
そう変わりゃしない。
「実は……父様に殴られたこと、
本当は、まだちょっと、怖いんです」
そう言うと、パウロは更に身を強ばらせた。
まだ話の枕の途中だから、そう身構えないで欲しいと思う。
「あ、ああ……そう、だよな。
痛かったよな……。
本当に、すまなかったと思ってる。
殴り返してくれてもいいんだぞ……?」
「いえ、それは大丈夫です」
「そ、そうか……」
パウロが随分と殊勝なことを言っているが、
私が言いたいのはそういう事じゃない。
「痛かったのもそうですけど……
父様に、拒絶されたんじゃないかって……
それが一番怖いんです」
あの時、パウロの言動は確かに前世のトラウマを抉り出した。
心を抉った。
魂を抉った。
何度自分に言い聞かせても、刻まれた恐怖が消え去らない程に。
ガタンと椅子を蹴って、パウロが立ち上がった。
「お前を拒むなんて……そんなことあるわけないだろう!?」
「……はい。わかってましたよ。
こうして会いに来てくれたんですから」
そう。頭では、分かっているのだ。
「でも、どうしても……
まだ、心のどこかで思い出してしまうんです。
突き放された時の感覚を」
だから。
「だから、私を安心させてください。
形だけでも良いですから、抱きしめてくだ────」
ください、とは言い切ることが出来なかった。
話の途中だと言うのに、パウロが無遠慮に抱きしめてきたからだ。
「すまなかった……」
「昨日はひどい事を言って……殴って、本当に悪かった」
「でも、本当は、嬉しかったんだ」
「ルディが無事で……ルディに会えて……」
「会いたかったんだ……」
ギュッと、腕に力が込められた。
それに釣られて、空を彷徨っていた両腕をパウロの背中に回した。
体温を感じる。
パウロの温かさを、感じる。
ああ、止まらない。
止められない。
そんなつもりじゃなかったんだけどな。
本当は、パウロに抱きしめさせて、あなたの娘は父親を嫌ったりなんかしてないですよと伝えるだけのつもりだったのに。
でも、もう、いいか。
思ってたこと、ぜんぶ言ってしまおう。
いまさら大人ぶるのは、やめにしよう。
「私も、会いたかったんです」
「旅の途中で、何度も父様たちのことを思い出しました」
「私、これでも一応、頑張ってきたんです」
「昨日はつい見栄を張ってしまいましたけど。
ちょっと辛いこともあったんです」
「……ああ。……大変、だった、よな」
「だから、褒めてください」
「お前は頑張ったって、頭を撫でてください」
「……お願いは、1つじゃ、なかったのか……?」
「……本当は、昨日会った時、ゼニスって呼ばれて、
けっこう悲しかったんですからね?
だから、もっとお願い聞いてください……」
「……ああ。
父さんが、悪かったよ。なんだって聞くさ……」
「はい……ぐすっ」
パウロの大きな手が、無遠慮に頭を撫でてきた。
止まらなかった。
涙が止まらなかった。
でも、いいだろう?
たまには泣いたって。
顔は見えないが、どうせパウロだって泣いているのだ。
さっきから声が湿っぽいのだから。
そのまましばらく、私とパウロは抱き合ったまま、
一緒に泣いた。
泣いて、その内みっともなく声を上げて泣いて、
落ち着くまでずっと抱きしめ合いながら、泣いていた。
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泣いて、泣いて、本音をぶつけて。
こうして、私は約5年ぶりに父親と再会することが出来たのだ。