「神なる力は芳醇なる糧、力失いしかの者に再び立ち上がる力を与えん、
『ヒーリング』」
「ううぅ……」
蹲るエリオットの頭に手を当てて、私は治癒魔術を詠唱した。
船酔いに苦しんでいたエリオットの表情は少しばかり和らぐが、それも長続きはしない。効果はすぐに切れてしまうらしく、その度に私はエリオットにヒーリングを掛け直し続けていた。
普段のエリオットからは考えられないほどに弱々しい姿に、心配が募る。
募るのは心配ばかりではない。
昔パウロが、「男が弱った姿を見せてきた時は、情が湧いちまうのが女心だ。こなれた奴の常套手段だから気を付けろよ」とか言ってたが、確かにこれは思ったよりも情が湧く。
普段は強い奴なのに、弱っている。
たったそれだけのことだが、自分が守ってあげないと、という気分にさせられるのだ。
まあ、船酔いは体質によるものだし、エリオットにそんな計算高い真似ができるとは思えないが。
船酔い。そう、船である。
私とエリオットは、魔大陸の港町ウェンポートからミリス大陸へと移動するため、船に乗っていた。
乗り込んですぐの頃は、エリオットはそれもうはしゃいでいた。
が、港を出発してからしばらくすると、彼は吐き気と頭痛を訴えたのだ。
普段はあれだけアクロバットに剣を振るってケロリとしている癖に、不思議なものである。
俺は──私は、乗り物酔いなんて前世を含めてしたことがないので、その辛さがどんなものかは分からない。
けど、その様子を見ていれば、とにかく辛いってことだけは分かる。
なので、ここ数日間はこうして付きっきりで、エリオットの看病に追われていた。
「ぉえっ……。るーでぃあぁ……ヒーリング、ひーりんぐしてくれぇ……」
「はいはい。
神なる力は────」
借りてきた桶の前で真っ青になるエリオットの背中をさすりながら、再び詠唱をする。
もう吐くものが胃液しかないといった様子なのに、エリオットの気分は相変わらず悪そうなままだった。
今日で航海も3日目になるが、初日に船酔いを発症してからずっとこの様子なので、ロクに飯も食べれていない。
とても可哀想な状態なのでなんとかしてやりたいが、生憎と私にできることと言えば治癒魔術を掛けてやるくらいだ。
治癒を無詠唱で使えれば、自動で掛け続けることも出来たかもしれないだけに、自分の力不足が悔やまれる。すまないね。
「ごめん……ごめんな、るーでぃあ……」
そう思っていると、エリオットがうわ言のように、朦朧としながらも何かを言おうとしていた。
何だろうか。
「守るって言ったのに……こんな、情けないところ見せて……
きらいにならないで……」
あら可愛い。
そんな健気なことを言われたら、お姉さんはキュンときてしまう。
コイツのためにならなんだってしてやりたいという気分にさせられてしまう。
これが母性を感じるってことか。
……いいや、本当はそんなこと言われなくたって、俺が身売りをしてしまいかけたあの夜から、私は自分の気持ちに気付かずにはいられなかったのだ。その時からずっと、エリオットのためならなんだってしてあげたいと思うようにはなっていた。
そう、この気持ちは……
って言わせんなよ恥ずかしい。
こちとら恋愛弱者どころの話じゃないってのに。
あーあーイヤだね、恋ってのは人を盲目にさせる。
「……嫌いになんて、なりませんよ」
横たわるエリオットの手を握って、私は看病を続けた。
---エリオット視点---
気持ちの悪い感覚が抜け切らないまま、たった今起きたのだと自覚する。
吐き気と頭痛にうなされて、眠った方が楽になると分かりつつも都合よく寝つけず、かと思えばいつの間にか意識を失い、目を覚ましてはまた眠れない中で気持ち悪さに耐え続ける。
船酔いにやられてからずっとこうだ。
唯一の救いといえば、ルーディアが船酔いに罹らなかったことだ。
こんな気持ちの悪い思いを彼女がしないで済んだのは、本当に良かった。
彼女は、俺を看病してくれた。
付きっきりで、俺に治癒魔術を掛け続けてくれている。
そんな優しさについ甘えて、耐えきれない気持ち悪さを癒してもらいたいと、浅ましくも治癒魔術をねだってしまう。
情けないことだ。
俺にできるのは、剣を振るってルーディアを守ることだけなのに。
こんな状態では、もしも海の魔物に襲われても、ルーディアを守ることができない。
ルーディアによると、この船は専属のSランクパーティが護衛してくれているようだが……それじゃあ安心できない。
万が一にでも、俺がルーディアを守れない状況というのは耐え難かった。
ルーディアには、情けない姿ばかり見せてしまっている。
「守る」と言ったって、ルーディアは賢いし、近接戦にも対応できる強い魔術師だ。
本当は、俺なんか足手まといにしかならないのかもしれない。
もしかしたら、ミリス大陸についたら俺なんか置いて、一人で帰ってしまうんじゃないだろうか……。
ごめん。ごめんな、ルーディア……。
守るって言ったのに、こんな、情けないところ見せて……。
「きらいにならないで……」
ああ、声に出てしまった。
そんな弱音を吐いたら、本当にルーディアに嫌われてしまうのに。
そう思った。
でも、ルーディアはただ俺の手を握って、看病を続けてくれた。
優しいな……安心するな。
この子は絶対に、俺が……。
---
目を覚ますと、頭が気持ちよかった。
いや、船酔いで気分が悪いのはそのままなのだが、何かこう、心地よさを感じた。
もっと言うと、頭を支える感触が柔らかくて、良い匂いがして、頭を撫でてくれる手が気持ち良くて……。
「あ……」
「おはようございます。目、覚めましたか?」
見ると、丘の向こうからルーディアが顔を覗かせていた。
丘……丘? なんでこんなところに?
不思議に思って手を伸ばすと、手はすぐに丘に触れた。
ふにふにと柔らかく、でもハリと重みがあって、真ん中は少しかたい部分があって……。
「……こら、随分と元気そうじゃないですか。
もう看病は必要ないですかね?」
「あ、ご、ごめん」
丘じゃなかった。
触っていたのは、ルーディアの胸だった。
やんわりと手を払い除けられたので、慌てて手を引っ込める。
ルーディアは怒らないが、これはあんまり良くないことなのだ。
「どうですか? 少しは気分が良くなりましたか?」
言われて、今の自分の体勢に気が付く。
横たわっているのは変わらないが、多分これは、頭をルーディアの太ももに乗せてもらっているのだ。
どうりで良い匂いがするはずだ。
「気持ち良い……ずっとこうしてたい……」
「……、しょうがないですね、エリオットは。
はやく良くなってくださいね……」
船から降りない限りは良くなりそうにないんだが……いいか。
今は、ルーディアに甘えさせてもらおう。