ガールズバンドたちのBirthday   作:敷き布団

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【白鷺 千聖】彼が書いた脚本で

 微笑みの鉄仮面。それは人が私を喩えた言葉。言い得て妙だと思う。自分自身とてそのような自覚は持っているし、その仮面は、私がこの芸能界というどうしようもなく底が深い沼のような世界で生きていくためには、必需品なのであるから。本音を言えばそんな煩わしいものは取っ払ってしまいたい。そうは言ったって、私は仮面を被ることを甘んじて受け入れていたし、この仮面がある限り、私が所謂'普通の女子高生'として生きていくのは無理であることも理解していた。俗世で生きていくことなんて、私には許されていないと思い込むことで日々を無心で生きることに成功していたのである。

 成功することが私の芸能人としてブレてはいけない軸なのであれば、私が今していることはどれもが明白な矛盾だらけだ。矛盾に生きていると言っても過言ではないと、自分自身を罵ることだって出来る。それはある意味では私に残された最後の自分への慰めなのだ。予定通りの人生を幸か不幸か描くことが出来なかった自分への。

 

「千聖ちゃーーーん!」

 

「……彩ちゃん?」

 

 この子だって、私にとっては大いなる矛盾の一つだった。どこまでも汚れない純粋な心を、この芸能界に生きながらにして持ち続けている。一昔前からの私に言わせれば、『あぁ、すぐに消えるのだろうな』なんて嘲笑の対象であった。

 でも、この子はそんな私の嘲笑を覆すほどの躍進を今なお続けている。勿論それを支えているのは彼女1人の力というわけではないのだけれど、それでもPastel✽Palettesは彼女抜きには必ず存在し得ない。私の居場所の一つでもあるそれの中心に彼女は居続けているのである。今日だって、彼女は私以上に嬉しそうな表情で1日を送っていたのだった。

 

「今から帰り? それなら一緒に帰ろ!」

 

「え? いや……ちょっと!」

 

 芸能界で自分の心を壊し続ける私。彩ちゃんはその対極にいて、それでもなお私のことを何ら馬鹿にもしないし蔑みもしない。きっと世間の人に聞けば、100人に100人が彩ちゃんの方がよきアイドルと答える。でも、彩ちゃんも私もアイドルであることには違いなくて、私たちの挙措はアイドルそのものだった。少なくとも表向きは。

 

「えっ、帰らないの?」

 

「そういうわけじゃないけれど……」

 

「じゃあ帰ろっ」

 

「え、えぇ」

 

 かつては黒く汚れてしまっていた私の手。今でもあちらこちらにタコが出来て、決して綺麗な手ではないのかもしれない。そんな私の不満足な手が彩ちゃんの手と重なる。私と違って、本当に綺麗な手をしている。そこにはまさにアイドルがいた。私には描くことのできない道を歩み続ける、アイドルになるべくしてなったアイドルが。

 

「そういえばね、この間のライブのMC、事務所の人から上手だねって褒められちゃった!」

 

「……そう。彩ちゃんの場の回し方も以前に比べたらずっと上手くなったものね」

 

「たのバラとかライブとかでいっぱい経験したんだもん、当然だよ!」

 

 大きく胸を張る彩ちゃんに、以前のような気弱な部分は見受けられない。いや、前も気丈に振る舞うことはあったか、その内実は本当に泣き虫な彩ちゃんだったけれど。……今となっては、私の方がよっぽど弱い人間になってしまったかもしれない。

 

「やっぱり経験がモノを言うからねっ」

 

「彩ちゃんからそんな言葉を聞けるようになったなんてね」

 

「えへへ。すごいでしょ?」

 

「えぇ。一年前の彩ちゃんはアイドル初心者だったけど、今は半人前ぐらいかしら?」

 

「そ、そうかな? って、褒めてないよねそれ?!」

 

「ふふっ」

 

 だから私は、彩ちゃんの前ですら『微笑みの鉄仮面』を被っている。自分の弱さを見せないように。彩ちゃんにさえ見せることのできない私の素顔って、どんなモノなのだろうか。きっと薫や家族の前で見せる顔も、もしかしたら私の素顔ではないのかもしれない。自分でも、どれが素顔なのかすらわからない。どの人格が、1番本来の私に近いのか。

 

「……千聖ちゃん、どうかしたの?」

 

「え?」

 

 どうやら私の深刻な思惟は彩ちゃんの中に渦巻いた不安を掻き立てるには十分すぎたらしい。私の顔を覗き込もうとしてくる彩ちゃんが視界に写り、私は慌てて手を振っていた。それは私の中の醜い素顔を見られないためか。いや、これは素顔なのか。仮に素顔じゃないとしても、どうにも気恥ずかしかったから。

 

「何でもないのよ? ちょっと疲れていただけ」

 

「本当に? ……確かに千聖ちゃん、お芝居もまた新しく決まってたよね? 無理しちゃだめだよ?」

 

「えぇ。心配してくれるのは嬉しいけれど……。先週ぐらいからもう撮影の打ち合わせには行ってるわよ?」

 

「そうだったの?! 知らなかった……!」

 

 鈍感な彩ちゃんは茶目っ気があるから、それだけで私としてありがたかった。確かにこの子も時々私の中の素顔に踏み込もうとしてくることがあるし、もしかすれば私以上に私のことを見抜こうとしているのかもしれない。けど、彩ちゃんはまだまだ幼く可愛いもので、ポンコツさんだから本当の深層の私には触れてこないし、それが分かった上でどんな私でも白鷺千聖として認識しているのかもしれない。そう言う点でありがたかったのだ。

 

「……さて、ここら辺で私は失礼するわね」

 

 私はとある交差点の隅っこで彩ちゃんとお別れしようと立ち止まる。私が急に立ち止まってそんなことを言うものだからか、彩ちゃんはぴょんと飛び跳ねてて勢いよくこちらに振り返った。

 

「え? 千聖ちゃんのお家もうちょっとこっちだよね? いつも学校から帰る時一緒の道のりなのに」

 

 彩ちゃんが疑問に思うのも無理はない。私は敢えていつも自分の帰宅コースから逸れて帰ろうとしているし、何だったら今ここで疑問符を浮かべる彩ちゃんの目を掻い潜って逃げようとすらしている。彩ちゃんならきっと適当に醸成された文句を並べてたら騙されてしまうだよう、なんて舐めきっているから。

 私は確認のような意味合いを込めて、私の逃げようとする道の先を振り返る。間違いなく、普段の帰宅の道から考えればおかしい方角なのだが、果たして彩ちゃんは気がつくのか。

 

「えぇ。ちょっと寄るところがあるから、今日はそっちに寄ってから帰ろうとしていたから」

 

「そっか……。……私も付いていっちゃダメ?」

 

「ダメ」

 

「そんなぁ……」

 

 餌をお預けされた犬よりも犬っぽい可愛らしさでしょげる彩ちゃん。目に見えて落ち込むものだから、そんなに私の寄り道先が気になるのか、なんて不思議に思いつつも、私の手はどういうわけか彩ちゃんの頭を撫で回していた。

 彩ちゃんの髪はしっかりと手入れされていて、日頃口煩く言っているお手入れにはちゃんと励んでいるらしい。麻弥ちゃんもこれぐらい身嗜みに気を遣ってほしいなんて思ったけれど、身の振り方が不適切な私にこれ以上厳しく言う資格もないかと自嘲した。

 

「また今度一緒に寄り道しましょう? ね?」

 

「……ほんとっ?! うんっ」

 

 私の言葉に太陽のような明るさを取り戻した彩ちゃんは大きく手を振って、いつもの帰り道への帰っていく。私はそんな彩ちゃんに小さく手を振り返して、歩き始めた。

 彩ちゃんはもしかしたら()()()に憧れているだけなのかもしれない。こんなこと紗夜ちゃんが聞いたら頭ごなしに怒られてしまいそうだが、私が今からしようとしていることはもっと怒られるかもしれない、なんて。()()()という、規律に縛られすぎた人間には甘美に感じる響きに、正体不明の憧れを抱いている、それが彩ちゃんの実のところかもしれない。

 私はそんな()()()をしようとしている立場だが、その立場から言うと、()()()なんてするものではない。ならば何故するのか? それは分からない。何故か、ついしたくなってしまう、不思議な魅力があるのだ。

 既に歩いて揺れる影は不規則になっている。街並みも静かに1日を終える準備に入っていて、それは街を行き交う人々の顔にも現れている。私は何度も非行に走りたがる彩ちゃんに尾けられていないかなどと言う杞憂に駆られながら、とあるマンションの一部屋に辿り着く。

 勿論だけど、知り合いの家だ。けれど、白鷺千聖の友人であるということは殆ど知られていない陰の人の家である。私が呼び出し鈴を鳴らすと、少ししてドアがサッと開いた。

 

「いらっしゃい。入って」

 

 私は言葉や挨拶を交わすことなくすぐさま隠れるように扉の中に飛び込む。仮にも私は白鷺千聖の建前を背負って生きている。自らの能力を振り翳す権力者たちに無用な邪推を働かせられるのは不愉快だ。

 

「……ふぅ。暑いわね」

 

「これまたご丁寧に帽子にマフラーって……。逆に目立たない?」

 

「目立ったとしても、それが私だと悟られなければただの不審者で済むから」

 

 我ながら暴論だと思う。誤解して欲しくはないが、不審者になりたいわけではない。この時間になっても10℃を越えているこの時期に、そんな格好をして歩き回る人が不審者に見えるかどうかは疑問だけれど、万が一不審者に見えたらそれが白鷺千聖だと悟られなければいい。そういうことだ。

 私は重たくて仕方がない外套と身につけていたものを粗方壁際に鞄と一緒に投げ捨てる。とにかく体が軽かった。

 

「はぁ。毎度申し訳程度の変装なんて嫌になるわね」

 

「まぁ……表に生きる人間の運命だと思って諦めるしかないんじゃない?」

 

 表に顔が出ない人間は楽で良いな、なんて心の中で悪態をつこうとしたけど、私はそれを極めて遠回しである物理的な力に昇華しながら彼の胸に飛び込んだ。別に包み隠さず愚痴を吐き捨てても良かったのだが、そうするよりはこうした方がマシなのかもしれないと思って。

 

「……千聖、痛い」

 

「えぇ。痛くしているから、当然ね」

 

「文句を挟む余地もないんだね……」

 

 仮面を被り続けるツケはこんなところにまで回ってくる。彼の柔らかい体を押し潰しそうになるんじゃないかというぐらい力を込めて腕を回していた。しかし、彼が潰れるよりも先に私の腕の力の方が先に限界を迎えて、力の抜けた腕がぷらんと垂れ下がった。私は我儘にも体を彼に委ねながら、彼の顔を見たくて少しだけ顔の向きを上にあげた。

 

「満足した?」

 

「まだ」

 

「僕も原稿仕上げなきゃいけないんだけど」

 

「いつまでが納期なの?」

 

「納期は来週までだけど、先方のタレントさんがとっとと見せろって煩くて」

 

 彼の言うタレントが誰のことかは知らないが、そのタレントも齢18かそこらの物書きに自筆エッセイと偽って詞藻を書かせているとあってか、ふんぞり返っているのだろう。酷く気分が悪くて鬱々しくなる。

 

「そんな依頼断っちゃえば良いのに」

 

「そう言うわけにも行かないよ……。業界で生きていこうと思ったら、信用が大事だからね。その辺りは千聖もわかるでしょ?」

 

「そうだけれど……」

 

 でも、そのタレントはあくまでも彼のことをクライアントなどではなく、安い金で都合よく働くガキ、程度にしか思っていないのだろう。そんな低脳と見下す相手に書かせた文章でテレビの前で大きな面をするのもいただけないが、仮にも彼の傍にいる私としては彼がそんな労働を強いられていることの方がよっぽど重要であった。

 

「そんなタレントのエッセイに時間をとられるぐらいなら、私が将来出す本にでも寄稿してくれないかしら」

 

「出す予定もないのにそんなこと考えたって仕方ないじゃん……。というか、千聖はちゃんと自分で書いてね」

 

 そこは知己の特権だ、なんて言おうかと思ったが、それを言ってしまえば、私が散々軽蔑してきたそのタレントとやらと同列に堕ちてしまいそうで、私は仮面を逆さにつけた。

 

「なら、私が主演を取れそうな演劇の台本だとか」

 

「流石にそんなテレビドラマとか公演の題材にされるような脚本を書くのはまだ無理だよ……」

 

 手元に持っていた紙の束をペラペラとめくる彼。謙遜こそしているが、既にある舞台の脚本を共同で執筆していると言うのだからその潜在能力は計り知れない。私はあくまで舞台の上で踊るだけだから詳しくはわからないけれど、私もいつか彼の書く物語を演じきってみたいと願っているから、まだ訪れないいつかに期待した。

 私の無茶振りを呆れながらいなした彼は神妙な面持ちのままカーテンの奥の街並みを見ていた。既に真っ黒なガラス面には外を映すこともなく、部屋の中の殺風景な模様を反射していた。そこには必要最低限なもの以外は何もなく、部屋の中に突っ立っている私と彼だけが登場人物かの如く存在感を放っている。

 

「というか、僕も、薫が演劇部で何かやりたい劇があるって言われて、この間書いたばっかりだから、暫く演劇の脚本はいいかな」

 

「……薫の」

 

 それは私にとってどこか負けたみたいで、さっきのタレントが意気揚々と本を語るよりも腹立たしかった。薫に書くぐらいなら、私のために書きなさいなどという理不尽で我儘な、不器用な私の精一杯の甘えである。

 

「どんな話を書いたの?」

 

「なんだったかな……。確か亡国の姫が敵国の王子と駆け落ちしながら王家滅亡の復讐をするみたいな、そんな話だったかな」

 

「へぇ……」

 

「儚い話だったよ」

 

「……はぁ」

 

 脳のどこかで幼馴染が気取ったキザな表情と甘い声で観客を魅了しようとする光景が浮かんだ。あぁ本当に腹立たしい。ああいう風にならなかったら私は決して薫のことを冷たい目線で見ないのに、と本人にはどうあがいても伝わらない思いを一人で吐き捨てた。

 全く、あんな変な薫に黄色い声援を送り続けるファンの子達の考えがまるで分からない。それは女子校特有の男への憧れのようなものからくるものなのか、それとも薫自身の魅力に酔っているだけなのか、どちらなのか分からない。でも、少なくとも私からすればあれは仮面を被っている自分に酷似しているからこそ、嫌悪感が湧く以外の何物でもなかった。謂わばそれは同族嫌悪で、情けないと言われればそこまでのものだった。

 

「ごめんてば、薫のモノマネして」

 

「やっぱりモノマネだったのね」

 

「揶揄ったつもりだよ」

 

「もう帰るわ」

 

「どうぞ、ご勝手に」

 

「……止めなさいよ」

 

「自分で帰るって言ったんじゃん」

 

 そこは空気を読んでどれほど無様に慌ててでも帰ろうとする私を止めるところだろう。こいつはあんなに劇の脚本も、純文学も書いておきながら、こんなにも簡単な女子の気持ちすらわからないのか。別に私は仮面をつけているわけでも何でもないのに。今の私の気持ちはきっと一般的な女の子のそれとそこまで変わらないはずだろう。

 

「帰らないの?」

 

「帰って欲しいの?」

 

「帰らないで欲しいけど」

 

「じゃあ止めなさいよ」

 

「それはヤダ」

 

「天邪鬼ね」

 

 こんな三文芝居より安っぽい文章なんて書いてたら、仕事がなくなるわよなんて揶揄い返したら、彼は余計なお世話だと拗ねたまんまベッドの方へ仰向けに倒れ込んでしまった。大きなベッドのバウンドする音と一緒に、その衝撃に巻き込まれた彼の右手に掴まれていた紙束が音を立てて折れる。きっと彼の仕事道具のようなものだろうに、なんて心配するけど、彼は気にする様子もない。これじゃあ私の方がお熱で馬鹿みたいではないか。

 

「はあー。こんなこと書いたフリしてテレビに出て、何が楽しいんだろうね」

 

「そう思うのなら尚の事仕事を断れば良いのよ。仕事なんて最悪私があげるわよ?」

 

「出版社とかにもっとコネクション持ってから、そういうのは言って欲しいかな。……で、なんで乗っかってんの?」

 

 彼曰く、私程度の芸歴ではまだまだ本を書くには浅いと言う事らしい。それを言うなら彼だって本を執筆するにはまだまだ若いと言い返したいが、生憎彼は実力でそんなバイアスに負けた反論を捻じ伏せてしまうものだから何も言い返せずにいた。それがどうにも悔しくて、私は今彼を揶揄ってやろうと馬乗りになっているのである。

 

「なんでって、ベッドに寝転がったってことはそういうことじゃないのかしら?」

 

「違うよ? そういう……卑猥な話は今してないから」

 

「何も私は卑猥な話をしていたわけじゃないけれど?」

 

「……僕をハメたな」

 

 えぇ、とっても満足したわ、なんて口元に手を当てて微笑み返すと、彼の機嫌はあからさまに悪くなる。似たもの同士なのかもしれないが、その辺りは小さい頃から関わりがあり、似た境遇に生きているせいで性格そのものが凝り固まってしまったものらしい。

 本当に難儀な性格をしている。競争の世界に生きるからこそ周囲よりも自分が優れていると思い込むことと目標にひた走ることが同一視されてしまうから。これから私たちが旅立とうとする大人の世界は少なからずこういう陋習が蔓延っているだろうから、それを年端も行かないうちから経験し続けてきたのは人生におけるマシだったポイントの一つかもしれない。

 

「……ねぇ、重い」

 

「あのね……仮にもアイドル以前に女の子よ? そんな残酷な言葉軽々しく使わないでくれるかしら?」

 

「はしたないやつに女を語られたくない」

 

「それは女が淑やかじゃなきゃいけないという固定観念じゃないかしら?」

 

「煩い。僕の流儀だ」

 

「しょうもない流儀ね」

 

「文句を言われる筋合いはないよ?」

 

「文句じゃないわ。要らない流儀だと言っているだけよ?」

 

 彼は朴念仁というか、悟りを開いた聖人君子に等しいからか、どこまでもバカである。こんな奴が今日世の中に遍く隠れ住んでいる文章たちの産みの親だとは、神様もエラーを起こすことがあるらしい。

 

「貴方の女は淑女だから。仮面を外せば、はしたなくなるだけで、表向きは貞淑よ?」

 

「……今は?」

 

「私の顔のどこに仮面がついているのかしら?」

 

「性格がひん曲がってるのが丸見えってことは、取り繕ってないらしいね」

 

「一言余計よ。性格がひん曲がっているのはどっちかしら?」

 

 性格がひん曲がっている、なんて、こいつと薫にだけは死んでも言われたくない。ひん曲がっている自覚など十分すぎるほど持ち合わせているので、敢えて指摘されたくはない。指摘もされたくないし、それを再三注意されるようなのであれば、私の素顔がそんなひん曲がった人間であるということを認めざるを得なくなる。そんな気持ちにも気がつかずに、或いは気がついた上で指摘してくるこいつはよっぽどのバカかよっぽどのクズだ。

 

「貴方は生粋のバカかしら? それとも掛け値なしのクズ?」

 

「バカ」

 

「バカに文章は書けないわ」

 

「僕をクズと言いたいの?」

 

「いえ?」

 

「クズだよ」

 

「ど畜生ね」

 

 嘘だ。多分だけれどこんな誰が見てもバカだと感じるやり取りを彼の腹にのしかかりながら延々と続ける私の方がよっぽどど畜生だろう。

 

「……まぁ、バカかクズかで聞かれたら。……憶病者かな」

 

「2択にその他で答える貴方はバカだから安心しなさい」

 

 大体こんな喜劇のようなシュールな場面で、本当に辛辣な表情を突然に浮かべながら吐露をされてもこちらが困る。まるで散々罵っていたのが本当に彼の心を打ち砕いたみたいで、おふざけが完全に度を過ぎたみたいじゃないか。しかも、それを裏付けるように彼は私の冷静なツッコミにも何の反応も返すことなく屍が如く表情一つ動かさずに考え込んでいる。このやり取りにそんなに真剣に悩み抜くことがあるだろうか。

 

「……ねぇねぇ」

 

「どうしたの?」

 

「もうちょっとだけ、こっち」

 

 彼が広げた腕に、私は吸い寄せられるように前へとにじりよる。さっきこそ股上ぐらいにのしかかっていたわけだが、臍のあたりにまで前に出る。何が目的かと聞こうとした瞬間、彼の力強い腕が私の背中にまで回されて、私の上体は彼の方へと倒れ込んだ。急に私の視界は彼の顔で一杯になる。

 

「……もう。腰を痛めたらどうするつもりかしら」

 

「……体調管理のできない女優は女優失格だよ」

 

「貴方に女優を語られるとはね」

 

「紛いなりにも舞台には関わってるからね。白鷺千聖とも関わってるんだよ」

 

「でも今の私は、白鷺千聖じゃないとしたら?」

 

「腰を痛めたいの?」

 

「それだと私がマゾヒストみたいじゃない」

 

「違ったの?」

 

「……さぁ。どうかしら?」

 

 挑発の文句を彼の耳元で浴びせかける。出来る限り妖艶に。それこそ彼が発情して仕舞えばいいとまで思っている。そもそもそれまでに散々私は耳に彼からの口撃を痛いほどに食らっているわけだから多少の横暴は許されるだろう。この状況になった原因については私のせいだということもまぁ少しは認めるが、大半が彼のせいだから。いや、ここに()()()をしにきたのは私のせいか。

 

「痛いのが好きなの?」

 

「いいえ、嫌いよ?」

 

「痛みや苦しみは物語を面白くするスパイスだよ」

 

「じゃあ貴方はそんな面白みのために私を苦しめるのかしら?」

 

「……それは、本意じゃないな」

 

 私が白鷺千聖という物語を描くためのスパイスはもう散々降りかかっているだろう。そもそも芸能界に入った時点で私の苦しみは始まっているし、パスパレのライブで失敗した時なんかは瓶を丸ごと注ぎ込んだ程度には苦しかった。既に本来の味が消されてしまう程度には私は香辛料まみれなのである。

 

「今千聖は苦しいの?」

 

「……さぁ。どうなのかしら」

 

「僕は苦しい」

 

「息が?」

 

「ううん、気持ちが」

 

 私は一心不乱にその麗しい唇に吸い付いた。女の私よりもその花脣は魅力的なのは一体全体どういうことか。その疑問をぶつけるかの如く荒々しく私は息を奪い続ける。狂おしいほどの黒と白の入り混じる奔流をさらにかき混ぜる。

 

「……はぁ。大変ね、今度は私が苦しくなったわ」

 

「そりゃ大変だ」

 

「思っていないでしょう」

 

「何が苦しいか分からないもん」

 

「……今は苦しくないけれど、この家に来るまでは苦しかったわ」

 

「じゃあこの家に居ればいい」

 

「そういうわけにもいかないの」

 

 私は名残惜しく唇を押し当てる。雪が直ぐには溶けないように、私の唇はそう簡単には捕えた獲物を離さない。でも、都心は雪がとうに溶けてしまった。私の()()()もいい加減締めなければいけない。でもやっぱり未練がましいものだから、最後に甘い蜜を吸い込んだ。辛さと甘さが混じって、また本来の味が分からなくなっていく。

 

「……そろそろ帰るわね」

 

「うん。あ、待って」

 

「え?」

 

 さっきまで放心状態だった彼は、私の声にサッと起き上がると、うちよりも遥かに小さい冷蔵庫を開けて、何かの箱を取り出した。掌から相当はみ出してしまうほどのサイズの白地の箱には何も絵柄だとかが書かれていない。彼はその箱を袋に入れ、申し訳程度の保冷剤を詰め込んで私に手渡した。私はそんな彼の温かい手に思わずクラッとさせられながらも、顔を上げた。

 

「誕生日でしょ? おめでとう、千聖」

 

「……えぇ。ありがとう」

 

 つけなければいけない仮面が増えるからと、どうにも喜びづらかった誕生日。私はやっぱり仮面をつけねばならなかった。彼の瞳の奥の温もりに触れると、それは熱すぎて鉄をも溶かす高温になりそうだった。

 

「お店で買ってきたやつだけど、なるべく早く食べてね」

 

「えぇ。帰ったら直ぐ食べるわね」

 

 本当ならば今ここで食べて帰ってしまいたいぐらいだが、そんなことをすれば私は多分朝をここで迎えることになる。それは()()()をしたいお年頃の私には酷く魅力的であるし、なんの柵もなければ喜んでそうするのだろうが、如何せん私は仮面を被らねばならない。さっきまで散々外して気楽に過ごしていたのだから、今度はまた仮面を被るべき時なのだ。

 

「じゃあね。帰り道気をつけて」

 

「ええ、心配しなくても大丈夫よ」

 

「……送って行こうか?」

 

「貴方が家まで着いてきたら、今度は貴方が1人で帰るでしょう? だからダメ」

 

「……優しいんだね」

 

 いいや、優しくなんてないって否定しようとしたら、口元に人差し指を当てられる。まだ熱を持っていたその指に驚いた私は彼の目を真っ直ぐには見れなくなった。これなら折角外すまいと早々とここを出ようとした私の努力も水の泡ではないか。そんな恨言、彼にはぶつけたくはなかった。

 

「……えぇ。特別なのよ」

 

「はは、そうだと嬉しいな。……おやすみ」

 

「えぇ、おやすみなさい」

 

 扉がバタンと閉じて、私は駆け足で建物を出る。帽子を深くかぶりながら。勿論この()()()のケーキは傾けることなく。

 私のその日の()()()は満足いくものだった。だってきっと、彼ならば、私の予定通りに行かない人生を私の代わりに書いてくれそうだから。私は彼の書いてくれた脚本の通りに舞台の上で振る舞うだけで、私は大喝采の拍手を彼に返して、その作品を華々しくするだけだから。

 脚本は彼でヒロインは私。そうだ、ヒロインがいるならその相手がいるだろう。ヒロインが私なのであれば、私の王子様は彼以外考えられない。え、薫? それだけはちょっと……ね。薫は亡国の姫の王子様辺りが丁度いい。亡国って辺りが儚いから。

 兎に角、そんな人生が送りたいと思う私は、まだまだうら若き恋する乙女なのかもしれない。

 今日も私は仮面をつける。いつか外すシーンを待ち侘びて。

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