ガールズバンドたちのBirthday   作:敷き布団

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【今井 リサ】アタシだけの愛の泉

 外からの熱気が微妙に入り混じった廊下を抜けて、クーラーの効いているであろうスタジオのドアを開ける。その瞬間にアタシはお腹にグッと力を込めた。

 つい数秒前まで過ごしていた、Roseliaの練習の中の、ほんの僅かな一人の時間。決してRoseliaのみんなと一緒にいることが苦な訳ではないし、独りでいるよりはみんなといる方がいい。ただ、スタジオに居る時こそアタシが今ここに居る意味を心に刻まなければならないから、アタシにとってはRoseliaのみんなと一緒じゃない時間も大切だったのだ。

 

「みんなお待たせ〜☆ って……どーした?」

 

 アタシが居ない間スタジオに残されていた四人を取り巻く鬱蒼とした空気。アタシが無意識に出した声も慄いた震えが混じっていた。

 

「……いえ、特には」

 

「……そうね、練習を再開しましょう」

 

 なんか隠してるな、そう思った。普段以上に余所余所しい態度に、あこの不満そうな表情。

 

「友希那、誤魔化してても分かるよ? なにかあこに言ったんでしょ?」

 

「なっ……」

 

 名前を出しただけで分かりやすい反応を見せる幼馴染に呆れながら、アタシの目線はもう一人の渦中の人物に向く。その人物は下を向いたままで、アタシと目線は合わなかった。

 

「あーこ。なにかあったんでしょ?」

 

「あこちゃんは……! きっと場の空気を……良くするために!」

 

 あこが俯いて何も言わないでいると、何故かあこよりも先に答えたのは燐子だった。

 

「格好つけた言い回しも……、みんなのためで……!」

 

「あぁ……」

 

 言葉数が少なくても大体何が起きたかは分かった。大方、あこが厨二病めいた表現で友希那に何かものを言い、友希那も汲み取ろうとせずにバッサリ斬り捨てたとかそんなところだろう。アタシが抜けたからとはいえ休憩中だったはずなのに、何があったのかと、気づかれないようにため息をついた。

 でも、その切れかけの息が止まって、しょうもないことだと斬り捨てそうになった自分がいたことに気がついた。くだらない事で喧嘩をしたことを嗜めようとすらしていた。そこまで辿り着いて、アタシの発言でみんながどう思うかを考え直したのだ。

 

「燐子、ありがとうね。友希那はもうちょっとみんなの考えに寄り添う努力もしようね?」

 

「……えぇ、ごめんなさい」

 

「あこも、拗ねてるだけじゃ何も解決しないんだし、もっと素直に分かりやすく言う時もたまには必要だよ?」

 

「リサ姉……。ごめんね……」

 

 一先ずは友希那にもあこにも、どうすれば良かったかって伝えられたし良かった。前に比べたら遥かにみんなが上手く噛み合うようになったけど、ちょっとした綻びが偶に起きるのだ。一見くだらないと思えても、何も改善しようという努力をしなければ、多分この歪みは大きくなっちゃう。なんだか変な言い方だけど、お世話をしてるみたいなそんな感覚だ。

 

「紗夜も、傍観してるだけじゃダメだよー?」

 

「それは。……その、通りですね。反省します」

 

「って、アハハ。アタシが説教みたいなことしちゃった。ごめんね? 切り替えて練習しよっか?」

 

 結局自分はみんなに嫌なことを言っちゃった。どの立場でアタシは説教してるんだろ、なんて。もっとみんなが傷付かずに、頑張ろうって思えるような伝え方しなきゃいけないのにという反省が、ベースの方に歩いてる間も脳裏をよぎった。でも、その思考を中断したのは、他でもないあこだった。

 

「あの、リサ姉」

 

「ん? どーしたの、あこ?」

 

「リサ姉のおかげで、友希那さんのこと考えられてなかったことも分かったから、ありがとうって言いたくて……」

 

「もー……」

 

 ちょっとだけ元気なさげのあこの頭をそっと撫でる。

 

「気づけたなら良かった。頑張ろうね、あこ?」

 

「……うん!」

 

 あこは踵を返すと、先ほどの暗い空気を全て吹き飛ばすような明るい笑顔で燐子に話しかけている。あの分だと心配はなさそうだ。アタシはやがて始まるだろう練習へと気持ちを切り替えたのだった。

 

 

 

 帰り道。西から照りつける夕陽が川沿いを歩くアタシたちの影を作っていた。斜め後ろに大きく伸びる二つの影が揺れていた。

 

「うーん、今日も疲れた〜、ね、友希那?」

 

「えぇ、そうね」

 

 いつになく素っ気ない返答の幼馴染にほんの少しだけモヤモヤとした。友希那の淡々とした受け答えには慣れているつもりだったけど、今日の友希那はより一層心ここに在らずという状態のような気がする。少なくともアタシの振る話に考えを巡らせる余裕はないように見えた。

 

「友希那、どうかしたの?」

 

「えぇ」

 

 その返答は淡々とした、という表現で止まるものでは無い気がする。多分友希那はアタシの声を言葉として認識してない、そんな感じで。だからちょっとアタシはわざとらしく名前を呼んでみた。

 

「ゆーきなっ!」

 

「……わっ。どうかしたの?」

 

「こっちのセリフだよ」

 

 声を大きく、そして変に伸ばして呼んだ名前で、ようやく友希那はこっちの世界に帰ってきてくれた。その反応を見るに、アタシが道すがら必死になって話していたことはやっぱり友希那の頭に何一つ入っていないらしかった。

 

「ずっと考え事してるっぽかったから。どうかした?」

 

「……はぁ」

 

 友希那のため息に首を傾げていると友希那が足を止める。アタシもそれに釣られて立ち止まる。少し後ろを振り返って、友希那の口の震えを見た。

 

「今日のこと、リサに謝れていないと思って」

 

「今日のこと?」

 

「スタジオで私があこと揉めたことよ」

 

「え、あぁ〜……」

 

 言われてみて思い出した友希那の姿。何か友希那から深刻に謝られなければいけないことなどなかったはずなのだが。

 

「リサの言う通り、目の前のやるべきことに目を向けすぎて、みんなを見ることが疎かになっていたわ。リサに言われるまでその余裕がなかったの」

 

「……うん。でもそれはアタシに謝らなくてもいいと思うよ?」

 

「えぇ。だから、それと一緒にありがとうって言いたかったの」

 

「……アハハ、なんか友希那も妙に素直になったね」

 

「変かしら?」

 

「んーん」

 

 しおらしい、というか恥ずかしげもなく素直な気持ちを言える友希那をみて目を見張る。アタシの知らない友希那を見たみたいで。でも、それでもなんだか手のかかる我が子の成長を見守る気分だった。

 

「さ、遅くなっちゃうし早く帰ろっか」

 

 そろそろ沈みかけた夕陽をチラリとみて歩き始める。なんだか気恥ずかしくて友希那と顔を合わせられない。

 

「えぇ、そうね」

 

 小さく微笑んだ友希那を尻目にまた歩き始める。とはいえものの数分で家には着くから、少々無言の時間があっても問題はなかった。それに元から口数の少ない友希那なんだから。一言二言交わしているうちに、瞬く間に自宅に着く。友希那と横並びの家。当然のごとく二階に電気はついていない。

 

「じゃあ友希那、またね」

 

「えぇ、おやすみなさい」

 

 友希那が家に入る。そしてガチャリと音を立ててドアが閉まった。

 対してアタシは、友希那と一緒に帰っておきながら、自宅に飛び込むのではなくまた別の目的地に向かって歩き始めた。その足取りは、自己評価を多分に含んでもよいのなら恐らく軽い。ステップして歩いているんじゃないかと勘違いするほどには。

 

「友希那も、見てないよね」

 

 家の前の住宅街の道路。友希那の家の入り口が臨める曲がり角のギリギリから、隠れるようにして友希那の動向を探る。家に帰ったまま、あの分では今日は外に出てくることはない。だからアタシは安心してその目的地に向かった。

 

 

 

 幾度となく角を曲がってたどり着いたその家。表札がどこにあるかも分からない家に辛うじて使える状態で設置されたインターホンを押すと、中の方から枯れかけた声の返事が聞こえてきた。

 

「やっほ〜。お疲れ〜」

 

「あぁ、リサ。お疲れ」

 

 ドアから現れた彼。アタシの恋人。アタシはここが外だとか、周りから見えるとか何も気にせず、アタシよりも背が高くて、安定感のありそうな胸板に飛び込んでいた。勢いよく飛び込んだつもりだったけど、全く倒れそうになることもなく彼はアタシを支えた。

 

「今日のリサはお疲れかな?」

 

「……うん、充電したいかも」

 

 時間にすれば数秒ぐらいしかなかった。それが少し不満だったから、アタシは自分の不機嫌さとかを隠すことなく彼の後をついていく。限界状況のアタシとは違って、余裕たっぷりの彼は周囲にも気を配ってか足早に家に戻ろうとする。その手を握ったアタシの足音が外の空気に溶けて消えた。

 見慣れた設計の家の中はアタシに安心感をくれた。友希那の家ほど行ってないにしろ、そこそこの頻度では通っているものだから、どこにトイレがあるか、どこにお風呂があるか、どこにリビングがあるか、どこに彼の自室があるか、手にとるように分かる。階段を昇るルートから察するに、これから彼の部屋に行くことになるだろうということも予測がついた。内装は新しめの家屋に似つかわしくない、木目の重厚感が漂う柱にも幾度となく顔を合わせていた。

 

「練習帰りなんだ」

 

「ん? そうだよー」

 

「やっぱり」

 

 後ろを振り返って、彼がアタシの背中を指さす。アタシが背負っているのはベースケースで、それを見たからすぐわかった、なんて自慢げに語る彼の表情はどこか幼い。アタシよりも遥かに小さい中学生みたいな笑顔をしている。

 

「荷物気づいたんなら持ってくれてもいいんだよ?」

 

「あー、忘れてた」

 

「モテないだろうなー、そういう気遣いできないと。って、もう遅いから良いよ」

 

 部屋に入る直前で、代わりに持つと言われても、部屋で落ち着いたらどうせ降ろすのだ。絶望的に細やかな気遣いが出来ないあたり、やっぱり不器用で、まるで一つのことを見出したら他のことには目もくれない幼馴染のようだ。アタシが無碍に断って落ち込んだような仕草を見せるけど、多分それは構ってほしい時のそれみたいなものなんだろう。

 

「と、どこでも座って良いよ」

 

「んー、じゃあ……えいっ」

 

 ドアの横の壁に重たい荷物を立てかけて、アタシは思い切りベッドに飛び込む。さっきまでの重荷を全て取っ払ったものだから体が軽くて仕方がない。

 アタシが飛び込んだベッドは音を立てて軋み、同時に何故か懐かしい匂いが立ち上った。懐かしいとは言っても古臭いとか、そういうのとは少し違う。甘酸っぱいものを連想させる匂い。

 

「ん……はぁ……」

 

 ベッドに力なく横たわったアタシはため息と同時に、この家に来るまで抱えていた今日の練習風景なんかをふと思い起こした。思い出したくなかったのにな、なんていう後悔と共に。

 そこにあるのは満足感——練習をすればするほど、Roseliaの今井リサとしての経験が積み重ねられていくことへの充足感だろう——と、虚無感——Roseliaのみんなと過ごせば過ごすほど、満ち足りずに重苦しくなる、得体が知れない感覚——だった。それらが全てごちゃ混ぜになったものがため息となって部屋の中に漏れ出ていた。

 アタシはその愚かさに気がついて、すぐに口を手で押さえた。幸い彼は、アタシの憂鬱とかに気がついてなさそうで、暢気に鼻歌を垂れ流しながら、勉強机に向かって、その机の奥にある窓から外を眺めているようだった。

 

 ベッドに寝転んでいるアタシから見ると、それは端正な横顔だった。鼻先は外を向いて、目線はきっと殆ど赤が消えて黒ずんだだけの空を向いている。何よりも純粋に見えた。彼はアタシに触れてくれるわけでもなく、自分の世界の中に篭っているだけだった。

 その姿にアタシの興奮は高まる。ドMだとかそうではない。満たされないものを彼で埋めようとして、都合良く行かない彼の飄々さにドキドキしているのだ。それは例えるなら、誰かに片想いする時の切なさともどかしさを足し合わせたものに似ている。

 

「……ふふっ」

 

 側から見れば上手くいっていないように見えるのに、柔らかな笑みが止まらないアタシはどこかおかしいのかも知れない。充電したい、なんて言っておきながら充電できていないわけだし。それでもアタシは何の脈絡もなしに訪れたこの家に住む彼が、前と変わらぬ彼であったことに安心感を覚えていた。

 アタシがこの家に来る時は、大体いつも連絡をして、会う約束をしてからだ。そこからどっかに出かけたり、逆に家の中でのんびり過ごすだけだったり、日によって違うけどそれがルーティン。

 でも、今日は突然の訪問だった。会いたかったから、それだけ。もしかしたら家に居ないかもしれないとか、彼の家族しか在宅じゃないって可能性もあったけど、それならそれでいい。どうせ顔はバレてるし、丸一日家を空けることなんてないだろうし。

 彼はちゃんといた。そして、いつもと変わらぬ様子でアタシを迎えてくれた。アタシを気遣う姿勢が少ししかないのは減点ポイントだが、それは大目に見よう。多分素直に言い出せないアタシも悪い。なんだかんだ彼に対しても気を遣っているのかもしれない。

 

「リサ?」

 

「えっ?」

 

 もの思いに耽っていたから、アタシは反応が遅れた。というか彼の様子を見るに多分呼びかけは初めてではなかった。アタシが気づかないから、揺すって、それで漸くアタシが反応したんだ。

 

「えっと、どうしたの?」

 

「充電しないの?」

 

「へ?」

 

 キョトンとしていたアタシは懐からスマートフォンを取り出す。何も通知は来てない。そんな確認をしたアタシを見て吹き出したのは彼だった。

 

「え? 本当に充電ってそっち?」

 

「え? あっ」

 

 そこまで言われて初めて、自分がどれだけ頓珍漢な振る舞いをしているか気付いた。充電したいって言ってたのは自分じゃないか。その意味だって、そんなストレートな意味の発言じゃないし、彼だって分かってたのにアタシは何を考えていたのか。

 取り乱したアタシを他所に彼は微笑みながら両手を広げていた。いつのまにか彼はアタシが寝転がるベッドの縁に腰を下ろしている。

 

「おいで」

 

「うん」

 

 言葉数少なめに、のそのそと体を起こしたアタシは彼の方に倒れ込む。抱きつきに行くとかってよりは彼の腰めがけて倒れ込んだって言う方が近いかもしれない。

 

「今日のリサ、いつもより体温高いね」

 

「ん……」

 

 アタシは顔を彼の太もも辺りに埋めているから、何も喋れない。喋ってもいいんだけど、喋りたくない。今はただこの温もりを全身に浴びて、その温もりだけに集中していたかった。言葉にするのは難しいけど、ただここから動きたくない。離れたくない。

 

「……そっか。よしよし……」

 

「んー……」

 

 彼の手つきは柔らかく、アタシの髪の毛を撫で回している。それは物凄いスロースピード。おまけにストロークも長いから、ずっと同じところを撫でられているんじゃないかと思うぐらい。

 もし知っていてやっているのだとしたら彼は意地悪だろう。焦らすのが上手いから。本心で言えばもっともっと撫でられたいのに、その気持ちはとてもゆっくりとしか満たされない。

 でも、多分彼はそこまで意地悪ではなかった。焦らそうなんて気持ちは万にひとつもないだろう。不器用だから、そんなことは恐らくできない。どちらかと言うと、アタシが素直になれていないだけ。

 アタシも不器用か。そう思った瞬間、アタシの手は見えないながらに彼の手を掴んでいた。そしてアタシの右耳の後ろあたりを撫でていた手首を握りしめて、もっと慰めろと要求する。

 

「こう?」

 

「んー……ん」

 

 満足いったから、アタシはまたもや体を起こす。さっきまで暗闇だったところに、突然部屋の明かりが目に入って、クラクラとする。それでも彼の肩にアタシは手をついた。

 肩幅は広い。男の人だとそれだけで認識できるぐらい。アタシが多少体重をかけてもビクともしない。それだけでまた安心できた。

 けど、満たされない気持ちが爆発しそうだった。どれだけ彼から優しさを貰っても、それだけじゃ中々満たされない気持ち。

 

「ね、電気消していい?」

 

「何も見えなくならない?」

 

「月が出てるから大丈夫だって」

 

 デスクの上に乗っていたリモコン。消灯と書かれたボタンは細く小さい。乱暴にそのボタンを押して、部屋は一気に暗くなる。窓枠から青鈍の光が漏れ出ているだけ。その暗さはアタシが緊張の衣を脱ぎ捨てるには十分だった。

 

「アタシのこと見えてる?」

 

「シルエットは」

 

「じゃあいいかな」

 

 アタシがベッドに腰を下ろすと、妙に凹む。二人並んで座っているからだろうか。肩の触れ合いがその証人だった。

 

「ねぇ、キスしたいって言ったら?」

 

「ムードとかへったくれもないんだね」

 

「……そうかも」

 

 流れるようなダメ出し。アタシは彼の肩を強く押し込んだ。さっきはまるで動かなかった彼の体が嘘みたいに軽い。

 部屋に入ってくる薄白い光だけが彼の輪郭を映し出していたのに、アタシが覆い被さってそれも消えてしまった。けど、触れ合った熱と吐息が伝わってくる。ほんの僅かな光を反射した瞳が揺れた。

 

「んっ……はぁ、んぅ……」

 

 倒れ込んだまま、アタシは彼の唇を捉えた。瑞々しさが伝わってくる。凄まじい熱気を含んだ吐息がアタシの両頬を撫でた。

 激しいアタシの接吻にも彼は暴れたりしない。急に体勢を崩されて困惑の一つぐらいはしているだろうけど、初めは手持ち無沙汰のように見えた両腕は知らぬ間にアタシの背中へと回されている。密着で生まれる熱がもっと欲しくなって、アタシは上体の力を抜いて、彼の首の後ろへと腕を回した。

 

「今日のリサ、いつにもなく積極的だな」

 

「……ダメだった?」

 

「そんなことないよ」

 

「よかった」

 

 倒れた彼に折り重なったままのアタシは、遂に全身の力を抜いた。彼がアタシの背中に回していた腕が、肩を撫で、首筋を掠めて、頭頂部へ。アタシの髪を掻き分けるような手つきで、アタシは包まれていた。

 

「アタシだって」

 

「甘えたい時もあるって?」

 

「……お見通しじゃん」

 

「うん。分かってた」

 

 不器用で気遣いのできない彼にも分かるぐらい、アタシの様子は分かりやすかったらしい。連絡もよこさずにふらりとここに赴いた時点で、大体の事情はバレていたのかもしれない。

 

「慈愛の女神なんて言われてるけどね」

 

「リサがそう呼ばれてるってのは聞いたことあるな」

 

「……ちょっとだけ疲れちゃった」

 

「……うん」

 

「ねぇ、だからアタシが頑張れるように元気が欲しいな」

 

 ほんの少しだけでいいから、アタシが頑張らなくても良い瞬間が欲しい。でもいつかは頑張らなきゃいかないから、その時頑張れるだけの元気が欲しい。

 

「アタシの恋人だもんね?」

 

「こんなこと、リサにしか出来ないよ」

 

 恋人。愛おしい人。ライブハウスの外に出られる瞬間をくれる人。

 

「当たり前でしょ? アタシ以外の娘にこんなことしてたら……」

 

「浮気だもんね。怒る?」

 

「……泣く」

 

「リサだけの特権だよ」

 

 彼はアタシにだけ愛を注いでくれている。もしこの愛が他の人に漏れていたらアタシは泣くだろう。……なんて言っているのに、既にアタシは泣いている。泣いて、震えながら、彼の体を思い切り抱き締めている。多分彼は身動ぎ一つできない。

 これもアタシだけの特権なのだ。恋人という、甘美な響きを持つ存在だけの特権。彼の恋人はアタシだけだから。だからアタシはRoseliaの外の自分を彼に委ねることが出来ている。弱くなるアタシを見せられるのは彼だけだから。彼から元気をねだるのだ。

 

「Roseliaはリサがいないと、ダメなんだろうな。単に一つのパートとかの意味じゃなくて」

 

「うーん。まぁ、ね」

 

 自意識過剰とか、そう思われるかもしれないけど実際そうなんだろう。それは今日のお昼に証明されている。ずっと前から分かりきっていたことだ。青薔薇の名前に、布団に隠されたアタシの表情は歪んだ。

 

「俺も、リサがいないとダメかも」

 

 普段の飄々とした姿から、そんなことは読み取れなかった。でも、今の申し訳なさも漂う言い方からはそれが嘘だとは思えなかった。

 少なくとも普段は、まるで依存みたいなそんな望ましくない様子はない。……それに比べて、アタシは。

 

「アタシだって、そうだよ」

 

 逆だ。多分アタシは彼に物凄く依存してしまっている。彼の優しさが持つ毒みたいな甘さにしがみついている。タチの悪いことにその毒は弱毒である。

 

「此処がなきゃ、頑張れないもん」

 

 アタシは腕にさらに力を込めた。アタシにとってのオアシスを決して離さないように。

 Roseliaが華々しくなればなるほど、そのオアシスは遠くなっていく。アタシにとってRoseliaがかけがえのないものになればなるほど、アタシはこの甘い世界に浸りたくなる。そこはアタシが注ぎ続ける慈愛の源泉だった。

 

「ねぇ、もっと優しくして」

 

 暗闇の中で、アタシの声を彼の耳元に吹きかける。ちょっとだけ彼の髪の毛がくすぐったかったけど、それは彼も同じことだろう。アタシの髪の方が断然長い。

 

「もっと甘やかして」

 

 藍色に光る彼の首筋に吸い付いた。蕩けて、ほっぺが落ちそうになる味で、これ以上ないほどに甘かった。

 

「もっといっぱいアタシのこと愛して」

 

 アタシは全ての重みを彼に委ねて、唇を重ねる。何度も、何度も。彼が息苦しそうに喘ぎ混じりの声を漏らしてるのに、アタシは止めることなく彼からの愛を貪り続ける。

 愛に飢えているだとか、そういう訳ではなかった。普段の彼からの愛情表現が足りなかったとか、そういう訳でもなかった。

 ただ、今はとにかく甘えたかったのだ。アタシだけが貰える愛の形をいっぱい刻んで欲しかった。いつもは誰かに愛を注いでもらいたいって気持ちを抑えているんだから、今この瞬間ぐらいはワガママを言ったって良いじゃないか。そんな屁理屈でアタシは彼を求め続ける。

 

「ぶはっ、はぁ……はぁっ、リサ……」

 

 名前が呼ばれて、正気に戻った。恋人という存在の甘い誘惑に大敗北を喫したことを認識したアタシは即座に謝ろうとしたけど、それは叶わない。

 

「んっ……はぁ……」

 

 それまでのアタシの暴走を真似するような反撃にアタシは溺れる。絶対に逃げられないようにアタシの体は抱き締められている。そんなに強くしなくてもアタシは逃げないのに。

 ……そっか。でもアタシもそうだったもんね。そう考えると、なんだか納得がいった。全く根拠もない自信というか、アタシが求めていた元気が湧いてきたような気がした。

 

「……アハハ、すっごい幸せって感じする」

 

 アタシの微笑みはきっと陰になって見えていないだろう。その陰を作っているのは紛れもなくアタシ自身で、アタシは好んでそれを作っているわけで。アタシの笑みは彼に知ってほしいのに、アタシはそれがこの陰に隠され続けることを願っていた。まぁ、彼ならきっとアタシの気持ちも、今の表情も知っているのだろうけど。

 

「でもまだ甘え足りないな」

 

「いいよ? どれだけ甘えたって」

 

 アタシの心は砕けてしまう。頑張れないから優しくされたいのに、優しくされたら頑張れなくなってしまう。でもそれでも良かった。良いって思えた。弱くなってしまったアタシを肯定してくれるここから離れるのだけはイヤだから。

 

「ねぇ、……アタシ」

 

 朧がかっていた月の光明が部屋を照らした。街が暗くなればなるほど明るさを増した月明かりは、白というよりは紅く映っていた。静寂に沈んでいたような街にも人の営みの騒音が響き渡っていた。

 

「……なぁ、リサ」

 

 アタシの身に刻まれた、愛の刻印。アタシが刻んだ静かな誓いは、どこまでも紅かった。

 

 

 

 目が覚める。いつものアタシが眺めていた部屋の景色。太陽の光がカーテンの隙間から細い筋となって差し込んでいる。朝の訪れだった。

 体を起こそうとするけど、どうにも怠くて重たい。多分疲労だとかそういうのが溜まっているからなんだろう。それでも起きないという選択肢を取るわけにもいかず、けたたましく騒ぎ続ける目覚ましを止めた。

 思い切り伸びをして、光が斜めに差し込む窓の側へ。隣の幼馴染の家と接するカーテンを勢いよく開けた。

 

「友希那はまだ寝てそうだね」

 

 アタシは最低限の支度をして階段を駆け降りる。どうせもう一回家に帰ってくるだろうから、荷物は何も持たないで。

 朝に弱い幼馴染に可愛らしい呆れの籠ったため息をついて、アタシは友希那の部屋に入っていた。いつもと変わらず、仰向けで静かな寝息を立てる幼馴染の姿に、アタシは意識をせずとも柔らかな笑みを浮かべていた、多分。

 

「ほら、起きてー、友希那」

 

「んぅ……」

 

 目覚めを拒否する幼馴染を必死に揺すって、強引に目覚めさせる。薄らと目を開けた友希那は体こそ起こしたものの、まだ寝惚けているらしくポカンとしている。

 

「……リサ」

 

「うん、アタシだよ。起きた?」

 

 アタシの問いかけにも反応は薄い。まだ眠りと覚醒の狭間にいるらしい。

 

「もー! 友希那、起きて! 今日はライブも近いしみっちり練習するんでしょ!」

 

 アタシは今日も、Roseliaの今井リサとして輝いている。放っておけない幼馴染や、バンドのみんなに慈愛を注ぎながら。大切な仲間と音楽を続けるのだ。

 アタシは今、優しく居続けるために、紅の月の下で弱い自分を選んだのだから。

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