私の今日の帰り道。学校を終えて、Morfonicaの練習も終えて、疲労感と共に私の身に重くのしかかっていたのは、途方もない自分への呆れのような感情だった。空は曇天で、分厚そうな黒い雲がこのまま落っこちてくるのではないかと錯覚してしまうほど、私の今の気分は塞いでいる。この後、楽しみな時間があるはずなのに、その楽しい気持ちをぶち壊してしまうぐらいに。
「ふーすけ? 落ち込んでも埒があかないと思うけど?」
「そうは言ったって……。って、一番騒い……いや、なんでもない」
恐らく鬱々しい雰囲気を隠そうともせずに歩く私の隣で、透子ちゃんはどうにか励まそうとして声をかけてくれているのだ。でも、私は素直にその気遣いの声に感謝をするとかではなく、それどころか反論の言葉を探そうとしてしまっている。それに気がついて、さらに自分が嫌になって、口を噤む、なんてのをずっと繰り返していた。
透子ちゃんは私が言い淀む度に難しい顔をしているし、きっと私も何かを言葉にすれば良いとは思うのだが、ここで励まそうとしてくれている透子ちゃんに文句を言いそうになるのが嫌で仕方がなかった。だからこうして返事の度に閉口しているのだ。
「あー、えー、ふーすけは結構頑張ってると思うんだけどなー」
「頑張ってるって、何を?」
「え? その、な?」
「何も思い付いてないんでしょ!」
私が少し大きな声を出したからか、透子ちゃんは渋そうに私から目を逸らした。その反応を見るに図星で、多分私を励ますという目的だけの適当な声掛けだったのだと察した。透子ちゃんの適当さは偶に役に立つこともあるけど、今の私にとってはそういう中途半端な励ましは煽りにしか聞こえなかった。
「そんなことないって! え〜、ふーすけが頑張ってる姿はあたしもよく見てるし?」
「見てるって、じゃあどういう時に見てるの?」
「……あっ、ほら!」
「もうその反応の時点で、今パッと思いついただけでしょ!!」
隠すにしてももう少し隠せはしないのだろうか。思わず私もツッコミを入れざるを得ない。
「Morfonicaの練習でも、やっぱりふーすけがみんなをまとめてくれてるし? そこはリーダーとしての貫禄みたいなのって言うか、るいるいとかも練習に参加してくれてるじゃん?」
「だーかーらー!」
るいさんの名前が出てきて、改めて私はリーダーとしての自分の無力さに打ち拉がれる。自分の理想となるようなリーダー像からかけ離れた自分の姿に絶望以外、何も感じなかった。でも、悲しいかな、私がその理想像に近づくことは当面の間なさそうで、私は半ば自暴自棄みたいになる。
「そのるいさんに今日、『騒がしくてまるで練習にならないわ。効率も悪いだけだから、帰るわね』って言われたから私はここまで悩んでるんだよ?!」
「あっ、あっー! そ、そうだったなー?」
「もう! 透子ちゃんが騒ぎ続けたから、るいさんは怒って帰っちゃったんだからね?!」
「あ、あはは……」
「るいさんが怒ってるの透子ちゃんのせいって分かってる?!」
そこまで声を荒げて言い放ってから、私ははっと気がつく。今私がしていることはリーダーとしての注意だとかの度を超えてしまった、ただの八つ当たりのようなものだった。冷静になってみれば、私も透子ちゃんと話に興じていた時間だってあるし、るいさんが深い溜息のようなものと一緒に不機嫌になった気がしたのもその時間だった。あまり強くは言えなかった。
「……熱くなりすぎちゃった。ごめんね透子ちゃん」
「いやっ……」
その言葉を最後に、透子ちゃんは何も話さなくなってしまった。私の頭の中に残るのはひたすらに後悔の文句だった。透子ちゃんが何も喋らなくなったのはきっと、カッとなって捲し立ててしまった私のせいだから。
二人が並んで歩く道。多少冷静になった頭でも、その場の雰囲気を一転させるような気の利いた言葉は出てこないし、足音を除いてはただただ静かな空間が広がっているだけだった。そのせいもあってか、さらに自分の落ち度が頭の中でグルグルと回る。
Morfonicaの練習だけではなかった。そういえば今日は先生から渡された、みんなの授業ノートも階段で落っことしちゃったっけな。雪崩みたいにして下のフロアまで落ちていったし、挟んであったプリントも一緒にばら撒かれて、回収するのが大変だった。そのせいか終礼にも遅れるし散々だった。学級委員長が不在でも何の障害もなく回ってしまうクラスも嫌だった。
そういえば朝も大変だったっけ。妹たちの忘れ物にすぐ気がついて、それを手渡したところまでは良かった。それで満足しちゃったから、結局今日の授業で必要だった体操服を自分が忘れちゃって。手のかかる妹の世話が出来たことに浸りすぎたのかだろうか。空回りしてばかりだ。
「おーい、ふーすけっ!」
「……わっ?! 何? どうしたの透子ちゃん?」
何をやっても上手くいきそうにない自分の行いに恨み言を垂れているうちに、透子ちゃんが私を呼ぶ声がした。それでキョロキョロと辺りを見渡してから、私は立ち止まった。
「どうしたも何も、あたしがついていけるのはここまでだし、また明日っ」
そこでようやく自分が家の近くまで歩いて帰ってきたんだということを自覚した。気がつけば透子ちゃんの家との別れ道だった。透子ちゃんの家はこっちの方角じゃないし、ここから先は一人で帰るのか、なんて。
「ふーすけ、あたしが声かけてもうんともすんとも言わないからびっくりした」
「え、ずっと呼んでくれてたの?」
「呼んでたけど、何も返事してくれないから肩揺すって、それでようやく反応したんじゃん」
「それはごめんね……? 全然気が付かなかった……」
私が巡らせていた考えはやはり内容としては相当重い。現に私は悩んでいた結果、透子ちゃんの声がまるで聞こえていなかった。その口ぶりから察するにかなり大きな声で呼んでいたのかもしれないが、それでも何も聞こえていなかったのだから。
「あたしが言えることなのか分かんないけど……。悩みすぎても良いことないと思う!」
「そう……かなぁ」
「そーそー! ミクロンミクロン!」
透子ちゃんの明るい声。いつもならその声が醸し出す雰囲気で安心出来そうなのに、私の心はなかなか晴れてくれない。けれど、これ以上透子ちゃんを引き留め続けるわけにもいかず、私は努めて笑顔で、段々と小さくなっていく透子ちゃんに手を振る。向こうからも手を振り返してくれたけど、その背景の少し赤らんだ空によって、透子ちゃんの姿は暗く塗り潰されてしまっていた。
私は透子ちゃんの姿が完全に小さくなって見えなくなるまでその場で手を振り続ける。そして、長く振り続けていた手を下ろして、大きなため息をついた。いつもはこんなに大きなため息をつくこともなかったかもしれない。それほどまでに今日の自分のダメダメっぷりが堪えたのだ。そうして私は肩を落としながら、目前に迫った自宅へと歩き始める。
十分程度だろうか。予想よりも早く、すぐにたどり着いた家。家の廊下まで上がるとホッと一息つきたくもなるけど、余計な荷物をあらかた下ろして、私は再度家を出る。それは元々予定していた、楽しみだったはずの時間を楽しみに行くため。
朝の想定だと私の心は今頃弾んでいたはずなのに、実際には私の心はすっかりどんよりと落ち込んでしまっている。素直にこれからの時間を喜ばない程度には。自分が思っている以上に今日の自分への失望っぷりとダメージは大きかった。
重い足取りだった。少なくとも自分ではそう思ってるし、辺りはすっかり暗くなっていて、どうやら私はいつもよりも長い時間かけてここに辿り着いたらしい。私がたどり着いた門扉の隙間からは、石畳の脇で何か作業をしている女性の姿が見える。私が唸りながらここに着いたせいか、その声で私の存在に気が付いたらしく、ひょっこりと茂みの上に顔が出てきた。
「あら、二葉さん。いらっしゃい」
「おばさん、ご無沙汰しております!」
「いえいえ。愚息なら部屋にいるから上がって?」
そうして通された家。今日は家に来た段階で目的の人物の親御さんに遭遇したからか、いやに私の心臓がうるさく騒ぎ立てている。いつも以上に脈打つスピードは速いし、目を閉じて仕舞えば血管に大量の血液を送り出していそうな心臓の音が聞こえるぐらいだ。
私は興奮し続ける心臓を黙らせるように静かに唱えながら廊下を歩く。たまに訪れたことがあった部屋の扉の前までついた頃には、極度の緊張と興奮のせいで私の視界は数度光り、まるで立ちくらみが如く卒倒してしまいそうだった。
ノックをすると、部屋の中からちょっとだけ気の抜けた、『はぁい』なんていう声が聞こえてくる。私はその声を聞いて、理由もなく少し安心してドアを開ける。机にずっと向き合っていたらしい彼はクルクルと椅子で回りながら、最終的には部屋に入ってきた私の方を向いて、首をあざとくも傾げている。
「いらっしゃい、つくし。まぁ何もないけどゆっくりしていってよ」
「うん、そのつもり」
彼の言葉は謙遜だとかそういうのは一切含まれていない気がする。実際に彼の部屋はミニマリストと呼称しても差し支えがないくらい、机や椅子、ベッドを除いてはあまりにも殆ど何もない、殺風景な部屋だった。棚こそあるが、殆どが背板を見せている段ばかり。ローテーブルやクッションすらない。
自他ともに認める無趣味の彼の性格であったり、彼独特の雰囲気は確かに如実に現れている部屋なのだが、だからとは言え少し物寂しい。
そんな物寂しさや侘しさを感じる部屋の中で落ち着く場所といえば、単純な話彼の傍か、もしくは彼の部屋に一応、申し訳程度に設置されているベッドの上。申し訳程度だなんて、あまりに小馬鹿にした言い方のように聞こえるかもしれない。ベッドなんて自室には必要不可欠だろうと思っている人もいるかもしれない。
だが、彼についてはそのような批評は当てはまらない。長年の付き合いのせいか私にとっての理解はそんなものだ。けれど、独特なミステリアスさに似た何かを感じると私は落ち着くようになっていた。そんな仮初の感覚にありつくため、私はベッドに腰掛けながら、空回りで失い続けた心の平穏を取り戻そうとしていた。
「そういえばね、聞いてよ! 今日も『ふーすけはリーダー頑張ってて偉いな? 頑張ってるよな?』なんて適当な褒め方されたんだよ!」
「ふーすけ? あー、透子ちゃんか。良かったじゃん、褒められてて」
「全然褒められてない! わざわざ確認までしてくるなんて、本当失礼しちゃう! 絶対わざとだよ!」
「どーどー」
少し嗜められるような仕草をされて、そこで一旦矛を収めようと口を閉じる。かといって、それで私の中のモヤモヤ感というか、漠然と感じ続けている自分への落胆の感情は払拭されるわけではなかった。
「ま、褒めたくて褒めたって感じじゃなくて、どうにか褒め言葉探そうとした感じは否めないな」
「でしょ?!」
私の反応にいちいち笑いながら返してくる彼にも少し思うところはあったわけだが、そこには目を瞑って表面の透子ちゃんへの評だけを論う。そのように他人からも認めてもらえると、どこか自分が少しでも正しいことができたように錯覚できる。だからこそ私は満足感のままに両腕を目一杯高く伸ばして、伸びの体勢のまま思い切りベッドに寝転んだ。ボフンという音ともに掛け布団が私の形に凹む。
「……なんだか荒れてるねぇ」
「そう?」
ゴロゴロと向きを変えて、うつ伏せのまま返した返事は寝具の柔らかさに吸収されてくぐもってしまう。短すぎる返事だったが、彼には意図だとかは伝わったらしく、キュルル、と椅子が回転する時の摩擦音のようなものが聞こえた。
「心が荒んでるから慰めてくださいって言ってるように聞こえたけど」
「そこまでは言ってないでしょ!」
聞き捨てならない言葉を聞いて私は瞬時に体を起こして反論する。布団と自分の体が覆い隠していた光を一気に眼光に浴びて目が眩む。それにも負けじと私は上体を起こしきった。
すっかり広くなった視界に、心配そうに私を見つめている彼がいる。それはそれで、私にとって満足なんだけど、逆に考えていることをぴたりと言い当ててくることにもムカついてしまう。主にこんな単純で、わかりやすい自分に対して。きっと自分の性分だと言い切って仕舞えばそれまでだけど、なんだか子どもっぽく感じられてしまう自分が嫌なのだ。
「じゃあどこまで言いたかったの?」
「……それは」
そんな風に問い詰められてしまったら、所詮は心が弱りきった身なので、吐露せざるを得ない。彼は純粋な疑問のような表情のまま、私の心の中に足を踏み入れてくるのだけど、それは少々ありがたいようで、悔しかった。
私が何も返すことができずに押し黙っていると、彼もずっと待ち続けるだけなのは飽きてきたのか、目のやり場に困って部屋をキョロキョロとしている。かといって私も考えをまとめるのには時間がかかるし、何も言えずにいる。
すると、徐に椅子から立ち上がった彼は何かを考えるように顎に手を当てて、部屋を出る。ちょっとだけ待ってて、なんて言葉を残して。彼が出ていった部屋のドアがバタンと閉まって、無情な響きだけが部屋に残る。
「……いくらでも待つけど」
絶対に聞こえはしない呟きも、静かな部屋には意外と大きく響いた。彼が何をしに部屋から出ていったのかは分からないけど、私はそれを追ったりだとか、引き止めるとかいう考えもなくて、大人しく待つほかない。待ちたいとすら考えている。
部屋が静寂に包まれてから数分が経ったろうか。私も独り言をぶつぶつと呟くほどではないので、私一人放置された部屋は何の物音もしない。そんな静かな空間から一瞬にしてひんやりとした空気が流れ出ていく。彼が帰ってきた。
「ただいま。よし、バルコニー行くか」
「えっ、バルコニー?」
そう言われて私は部屋の東向きの窓を見た。カーテンは開かれ、明るい部屋の内側がぼんやりと映った窓。そのさらに奥には電線の細い影が脇に映り、近くの住宅の屋根とアンテナ、その背景の暗い空が広がるばかり。右上の辺りはほんのりと街灯のような明るさにも染まっている。
「こんな時間に外に出るつもり?」
「それを、こんな時間に男の家に来たつくしが言うの?」
「ちょっと! 変な言い方しないでよ! そもそも今日は会うって約束したでしょ!」
数日前ぐらいに彼からメッセージで会おうという約束が届いたのは記憶に新しい。元を辿れば私を誘ったのは彼である。そんな彼にやたらといやらしさが増すような言い方はされたくない。
「ごめんごめん。まぁ、外に出るって言ったって、バルコニーだからさ。今日は風も吹いてて涼しいし」
「う、うん」
半ば強引に彼に連れ出されて廊下を奥まで進む。外につながるドアを開けると、さらに広い夜空が広がるバルコニーに繋がっていた。彼の家を訪れたのは数え切れないぐらいあるけど、敢えてバルコニーまで来たというのはあまりなかったかもしれない。
そんな新鮮さに彩られた空間はさっきの部屋とは違って、曲線の美しいチェアやテーブル、プランターと、色んなものが置いてあって窮屈なぐらいだ。だが、窮屈さもマイナスなものではなく、むしろ落ち込んだ心は活気付く程度には賑やかさを感じる。
「ちょっと待ってな。明かりは……まぁいっか。チェアがいい? ベンチがいい?」
「それは何をしようとしてるかによらない?」
私は敢えて触れていなかった、彼の右手に抱えられたお盆の方を見ながら答える。お盆に載っけられたのは丸いお餅のように見える。暗いからハッキリとは見えないけど、多分色は白だった。
「それって、月見団子で合ってる?」
「そうだよ、正解正解」
「……じゃあ、ベンチかなぁ」
都合がいいことに、丁度今の時間に月が昇り始めた方角に向いたベンチ。まるでそれはここで空を見上げろと言わんばかりだった。視線を少し上に上げれば、そこに黄色というよりは金色に近い月が少し欠けた状態で空に浮かんでいる。
彼の後ろに続いて、盆と皿を挟んで隣に腰掛ける。残暑の暑苦しさのようなものは感じられず、むしろベンチの素材として使われている木の質感がやけにヒンヤリしているようにすら感じられた。
「今日って、お月見のために呼んだの?」
「そうそう。折角こんなに眺めがいいなら、一緒にここで見るのも乙なものかな、なんてな」
なんでも聞いたところによると、これを先日の中秋の名月、所謂十五夜で一足先に体験したとのことらしい。どうせならその望月の鑑賞に呼んで欲しかったとも思ったが、今眼前に見えている月も言葉にするのが憚られるほど綺麗なものだったから、私は何も言わずに、月見団子と一緒に喉の奥まで飲み込んだ。
その月見団子はほんのり甘かった。噛んだ瞬間にじんわりとした甘さが口に広がったけど、それは餡子のような口に残る甘さではない。むしろこどもの日に食べる粽のような、あまりに早く消えるので切なくなってしまうような甘さだった。私は無意識のうちに二つ目の団子に手を伸ばしていた。
「月より団子か」
「なっ……」
彼の煽りを込めた笑いに思わず手を戻す。けれど、彼がいつのまにか指で摘んでいた団子が私の口に運ばれてくる。拒む理由もないままに私は団子を口に放り込んだ。
「我慢せずに食べていいよ」
「……ん」
団子一つでこうやって黙らせられてしまう私はいかにちょろいのだろうか。そんな悩みを忘れるぐらい、今は口の中で小分けになっていく団子に考えを向けた。
私が団子に舌鼓を打っている間も、彼はもう一個団子を摘んでは、空に少し高めに翳して団子を覗き見ていた。角度からして、多分月とかその辺りに重ねているのだろう。丸の団子を月に重ねているのを見る辺り、彼の目には数日前の満月が浮かんでいるのかもしれない。隣に私がいるのにそんな風に見ているのがどことなく悔しくて、私はどうにか彼の気を惹こうと考え始めた。
「あっ。ねぇ知ってる? 今日の月は寝待月って言うんだって!」
「おお、流石つくしはよく知ってるな」
「へへん、でしょう?」
そういえば学校の古典の授業で、月の名前の話なんてのをしたことを思い出して、得意げに私は語り出す。狙い通り、彼は望月に思いを馳せるのをやめて口に放り込むと、団子は見て楽しむことをせずに食すようになった。
「それで、明日ぐらいの月は……えっと」
「更待月だな」
「あっそうそう! って、なんで先に言っちゃうのー!」
「ちゃんと物知りなつくしの話についていけるように予習してたからな」
「もう! 失礼しちゃう!」
いつのまにか私が握っていたはずの主導権は彼に移り、私は拗ねたようにするのだが、それはそれでさっきよりも数段楽しくて、私の気持ちは少しだけ晴れたような気がした。
「って、団子も最後だな。つくし、お口開けて」
「あー」
皿に残っていた最後の団子を彼は摘むと、またも餌付けされる。私は大人しくそれを食べると彼は盆と一緒に皿を片付け、ベンチの脇に寄せた。彼はどうやら知っての通りかなりずるい人間らしく、私の考えていることを何手先も読んだ上で私のことを弄んでいるらしい。私は彼の期待通りに、何故か少し冷えた体を温めに、彼に身を寄せた。
「やっぱり今日は甘えたかったんだ」
「……いいでしょ。それぐらい」
「まぁ、そんなに珍しいことでもないもんね」
「そんなこと! ……ない」
こっちがびっくりするぐらいに正確に言い当てられてばかりで、私は何も言い返せない。やり返すのがどうとかの考えも浮かばなくて、いじらしくも彼の袖をギュッと強めに握りしめるぐらいしか出来なかった。
「ほら、何があったか言ってみな。まず透子ちゃんだろ? 後はなんだ、学校か? 家か?」
「うーん。全部かな」
「なるほど。前途多難だな」
多分詳細までは伝えなくても、彼なら私が何でこんなに鬱蒼とした気分で塞ぎ込んでいるのかも察しているのだろう。たまに私も愚痴をぶつけることもあるし、今日だってその延長線上みたいなことは理解しているのだ。だからこそ、私は敢えて何が合ったのかなんてのは言わない。
「……私って、リーダーとか向いてないのかなぁ」
「リーダー? Morfonicaの?」
「……ううん、全部」
そう、全部が全部。Morfonicaのリーダーで悩む時もあるが、それ以外の時もだ。学級委員長だったり、お姉ちゃんとしての顔だったり。複数の顔を持ち合わせてはいるけど、誰かの前に立ってっていうのは向いていないんじゃないだろうか。常々そんな風に怯える時はあるし、今日なんてのはまさにそうだった。
「なんで向いてないって思った?」
「空回りしてばっかりだし。仕切るのとかもきっと下手だから。薄々分かっちゃうんだよ」
きっと今の私の目は諦めの色をしている。それはなりたい姿になれない自分への失望とか、望む姿からかけ離れていくような自分への諦めだった。自分の表情は見えないけど、暗い外でもよく分かるぐらい暗い顔をしているのだろう。
「だから、リーダーって向いてないのかな、なんて」
私がそこまで言い切ると、ふと自分の力が抜けた。さっきまでは後ろ手に支えていた腕になんだか力が入らなくなって、彼の方に倒れ込んだ。多分知らないうちに積み重ねられていたものがオーバーフローしたのだろう。
側からみればカップルが甘え、甘やかしているだけの光景に見えるかもしれないけど、当の本人としてはそんな幸せそうな姿が霞むぐらい自分に対するネガティブな感情が大きすぎた。
「リーダーに向いてるねぇ。まぁ、つくしはつくしの思うようなリーダーは向いてないのかもな」
「……っ、そっかぁ」
その言葉を聞いて、私は落胆した。心の中で彼ならどこか無条件で肯定してくれるだろうという期待を持っていたからだ。自分の勝手な期待に踊らされた私の表情はさらに曇る。
「けど」
でも、語調を変えた彼が数秒の間を作って、私は追い縋るように彼の顔を見上げた。本当に手を伸ばせば触れられるどころか、包み込めそうな距離にある彼の顔は優しい笑みを湛えていた。
「リーダーって、無理に仕切ろうとしなくても良いと思うから、俺の思うようなリーダーにはなれるかもな」
「え? ……俺の思うリーダーって?」
「例えば誰かを引っ張るんじゃなくて、誰かを支えようとすることに徹するとか。牽引するだけがリーダーじゃないと思うからさ」
そう言われて、どこか腑に落ちたような気がした。言われた通り、私のなりたいリーダー像に私が近づけるかは分からないけど、それだけがリーダーではなかった。私の納得のいったような表情を見て、彼が続けた。
「完璧なリーダーっていないと思うんだよ。なのにずっと完璧を目指し続けるのって辛くなるだけじゃない?」
「それは……そうだけど」
「あそこに浮かんでる月だって、綺麗だとは思うけど数日前は満月だったんだ。今、綺麗な金色でもあれだけ欠けてる」
「言われてみれば、そうかも」
彼が伸ばした指の先に浮かんでいるように見えた月は確かに三分の一程度が暗くて見えていない。数日前に見えていたであろう月は、人々が中秋の名月と褒めそやし、愛でつづけてきた、謂わば完璧な月だったろう。今日の月は中秋の名月と同じ月なのに、完璧な月ではない。けれど、その月を見るとなんだか明るくなれるような気がした。決して完璧な月ではないのかもしれないけど、それでも思わず見惚れてしまうぐらい綺麗な月だったから。
「……なんだか、ものすごく楽になった気がする」
「なら、良かったよ」
そう言って微笑んだ彼の細くなった目を見つめた。見つめ合うだけで彼が何を考えているのか分かった気がしたし、きっと私の今の気持ちだって伝わっているような気がした。なんだか段々と恥ずかしくなってきて目を逸らした私と、それを見て笑う彼の声。そのどれもが尊く感じられた。
そのうち、ぼんやりとした眠気が私を襲った。
「眠くなってきちゃった」
「おっと。家まで送っていくよ」
「……泊まりたいな」
「ダメ。明日も学校でしょ」
「うん」
きっと今感じている眠気は、肩の荷が降りて安心しきってしまったから感じるのだろう。きっと少しぐらい抜けている私でもいいと認めてもらえたようなこの感触がとてつもなく心地よかったから、きっとその安心感で眠くなったのだ。
彼の家に泊まれないというのは少しだけ寂しかったけれど、急にここでお泊まりなんてのはいけない。間違いなく普段の私でも同じことを言うはずだから。
彼の言葉に頷いた私は彼の家を後にする。夜も遅いと彼がついてきてくれたものだから、遠慮など全くなしに甘えきっていた。
「ねぇ、ありがとう」
「ん。どういたしまして。俺も、つくしのこと今日誘ってて良かったよ」
街灯のない暗い住宅街のアスファルトを、完璧じゃない月の光が照らしていた。想いを重ね合う、二人の影が揺れていた。