ガールズバンドたちのBirthday   作:敷き布団

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【奥沢 美咲】二人でステージ裏へ

 店と店の間を前から吹き抜けてきた風に煽られるように空を見上げた。高い空に棚引いている雲は思いの外速く動いている。

 そういえばもう秋が近づいてきたらしい。そんな風にあたしが感じたのは本当につい最近の出来事だった。外を歩いていれば、頬を涼しげな風が撫でていくし、少し前までは歩いているだけで額から流れ出ていた汗だって、まるで嘘だったかのようにかかなくなった。

 だけど、今この瞬間のあたしはそんな秋の訪れを実感することなんてまるでなかった。閉じ込められた空気があたしの全身を蝕み、あたしの手足は鉛のように重い。この季節でも灼熱を感じるこの場所が、あたしの居場所そのものだった。あたしだけに許された居場所でありながら、苦悶を感じるなどという理不尽な場所である。

 

「みんなー、ミッシェルだ、っておおぉ?!」

 

 あたしの分身と言っても差し支えないほどに見慣れてしまったピンクの熊。ミッシェルというその熊の外見をしたあたしは、とあるバンドの一人として活動することになった。もうそれも随分前の話だけど。元は商店街の着ぐるみに過ぎなかった熊はバンドを始め、そして以前と変わらないように、興奮した地域の子どもたちのサンドバッグになっている。今もである。

 

「ミッシェル大丈夫ー?」

 

「だ、大丈夫だよー」

 

 あどけない子どもたちの声に、あたしは着ぐるみの存在としてあるべき姿をすぐさまイメージし直して、ゆっくりと答えた。子どもたちの飛び込んできた勢いは良かったが、もふもふとしたお腹周りのクッションと強靭な足でなんとか体を支える。

 分身といえども、中身はあたしであることは変わらないから、あたしが変な動きをすればきっとこの子達はみな疑問を持つだろう。そうなってしまえば着ぐるみの役目は失われたのも同然。

 そんな見せかけのプロ意識に突き動かされたあたしもやがて体力の限界が来た。そして半ば子どもたちから逃げ出すようにイベント会場の裏の方へと捌ける。すっかり疲れ切ったあたしはご丁寧に用意されていた長椅子に座ることも出来ず、機材がどけられもたれ掛かれるようになった壁際に腰を下ろした。そして周りに誰も子どもたちが居ないのを確認して、頭部を脱ぎ捨てた。閉じ込められていた空気が一斉に逃げ出した。

 放心状態だった。水を欲していた喉で咄嗟に花音さんを呼びそうになった。けど、今日は花音さんやこころたち、ハロハピのメンバーは誰もいない。純粋な商店街のマスコットとしてのミッシェルになっていたわけだが、いつもの感覚でついつい探してしまうのだ。

 

「暑い……はぁ」

 

 辛さに耐えかねてついつい愚痴の一つも吐き出したくはなるが、それを考えるだけでも頭をブンブン振って、周りに誰かがいないかを確認した。もしも聞かれていたら大変だ。それが商店街の大人とかならまだしも、子どもたちにこんな光景見られたら最悪だ。

 こんな考えばかり巡らせているあたり、今のあたしはすっかりこのピンクの熊に思考回路を奪われているのかもしれない。最初はなんの気もなしに始めたバイトで出会ったミッシェルという存在。なんだったらミッシェルではない自分を見ると不安を感じる程度だ。

 

「ミッシェル、……いや、美咲か。お疲れ」

 

「え?」

 

 ステージ裏だというのにあたしの名前が聞こえてきた。ミッシェルとしての姿を歩み始めた頃の記憶をゆっくりと辿り続けていたものだから、少しだけぼうっとしていたあたしは突然現実に引き戻される。

 キョロキョロと辺りを見回す前にあたしの方に近づく足音。それとさっきの声で方向は察しがついていたから、顔を上げてそっちの方へ。今のあたしが座り込んでいたからか、余計にそこで伸びている影が高く見えた。

 

「あぁ、びっくりしたぁ」

 

「ごめんな、驚かせるつもりはなかったから許してくれ」

 

 見知った声と一致する見知った顔。最初こそ、完全にオフモードだったミッシェルの姿を見られてしまって焦りを隠せなかったあたしだけど、こういうことなら全然問題ないや。

 

「というわけで、驚かせたお詫びに飲み物。買ってきたぞ」

 

「あたしが驚くの想定してたんだ? だとしたらもうちょっとタイミングあったでしょ」

 

 あたしのほんの少しだけ意地悪な指摘にも、悪びれる様子もない彼を見て安心した。安堵の息を吐くとともに、このステージ裏の空間に改めて他の人が誰もいないことを確認する。

 ここには商店街の備品らしき屋外用のテーブルやら、パイプ椅子が粗雑に置かれていたりするだけ。ただ、周囲の店舗兼住宅から伸びる庇だとか、そもそも少し高い壁面だとかのせいで少々薄暗い。座り込んでいることで、さらに空は狭く見えていた。

 商店街の大人たちも自分のお店の切り盛りで忙しいから、こんな裏の方になんて誰も来やしない。況してや子どもも。人気のない空間に二人の、いや、一匹の熊と一人の人間がいて、殺風景と形容するに相応しい光景が広がっているだけだ。

 誰も見ていない。誰も知らない。ここにいる人間にしか分からない空間が裏の方には広がっているのだ。

 

「着いた時にはもう生身の美咲がいたんだよ」

 

「そういうことね。ん、お水ありがと」

 

 彼がずっと体に隠すように持っていたのは自販機で見かけるような、何の変哲もないペットボトル。ただ、天然水と書かれたそれは今のあたしが一番求めているものかもしれない。目の前でその中身が揺れているのを見ると、まだ口にすら含んでいないのに喉が潤うような気がした。

 

「良いんだよ。頑張ってる恋人を見に行くのに、差し入れの一つもないのはダメだろ」

 

「そんな現金な理由なんだ」

 

 疲れからくる乾いた笑いなのか、はたまたその場しのぎの笑いなのか、自分でもよくわからないまま軽口を叩く自分と彼を笑う。彼の放り投げた、潰れやすそうな水のペットボトルを体の脇に置いて、全身の力をもう一度抜いた。ありがたく差し入れは頂いたわけだが、生憎このミッシェルの手じゃなかなか上手くは開けられないだろう。気持ちだけ今は受け取っとこう。

 あたしがそこそこの重さのミッシェルの頭をのけると、そこに外を走ってきたのであろうってぐらい汗をかいた彼がそのポジションを奪うように腰を下ろした。腰を下ろすだけじゃなく、あたしが飲むのを諦めたペットボトルのキャップを代わりに開けてくれるらしい。

 

「何から何までお世話になります」

 

「いやいや、ミッシェルのサポートとあらばなんでも」

 

 低姿勢なままペットボトルを開栓した彼があたしの口に水を流し込む。無駄に暑いだけの着ぐるみの中にいたあたしからすれば天の恵みだ。それこそ乾燥した大地に降り注ぐ恵みの雨と同じぐらいありがたい。自分一人じゃありつけなかった幸せをありがたく享受して、あたしは力なく向かいの壁を見つめる。

 

「今日はやけに元気がなさそうなミッシェルだな」

 

「いやいやー、ミッシェルにだって限界はあるんだよ。いくら夏の時期じゃないっても、流石に数時間立ちっぱなしはねぇ」

 

 あたしがそんな話をしている間にも、秋を告げる風が一陣戦ぐ。着ぐるみの中には吹き付けなかった風のありがたみに心の中で拝みながら、夏の時期の地獄をふと思い出した。

 単純に太陽に照り付けられて中の温度があがるのが苦しいのは間違いない。それだけじゃなくて中にこもってしまう湿気や、暑さに耐えかねたあたしの発する汗がベタつく感触。全てが全て、あのシーズンにおいてはあたしを、そしてあたしのような全てのキグルミの人を苦しめることになる。

 そんな地獄を今年も乗り越えたあたしでも、降りかかった疲労感に余裕綽々で勝てるわけではない。純粋な疲れに加えて、心労に押し潰されそうになりながら、あたしは徐に狭っ苦しい天を仰いだ。背中を壁に預けて体自体は安定していたはずだった。けど、既に力が抜け切りそうなあたしの頭はクラクラとしている。熱中症で休もうとしている時のあの感覚にも近いかもしれない。

 

「今日も朝九時からこんな感じだから、もう四時間とかだよ。クタクタ」

 

「本当にお疲れ様だな。そりゃあ休憩中にも疲れがどっと噴き出すか」

 

「そうそう。あー、疲れた……もう帰りたい……」

 

 話の中で労働時間の話が出るだけで憂鬱になる。まだお昼の時間帯を少し過ぎたぐらいだというのに。

 肉体労働が過酷なのはいうまでもない。でも、商店街の人の計らいで休憩時間が普通よりも多めに取られている。それでもまだまだミッシェルになる必要はあるし、少しの間だけでもミッシェルを投げ捨てていたいあたしは地面に転がったキラキラの目を見ながら大きなため息をついた。

 

「イベントの時間終わるまでだっけ」

 

「うん。だから……うへぇ、休憩時間過ぎてもまだあと二時間半もあるんだ」

 

 自分で自分の将来の姿を言葉にする度に自分の絶望的な状況に気がついた。疲労困憊のこの体にまだまだ鞭を打って、休み休みとはいえ五時過ぎぐらいまで働かなきゃなんない。普通の女子高校生のあたしにこんな仕事、させちゃダメだって。そんな文句も言ってみたくもなるが、このバイトをすると決めたのもあたし本人だし、多くの人の期待も意図しないうちに背負っている。

 

「休憩時間って二時半までかな?」

 

「……うん。そうそう」

 

 あぁ、やばい。何もしてないし、強いて言うなら子どもと少々強度高めに戯れて、少しパフォーマンスをして、それぐらいの疲れを覚えた体で水を飲んだだけでものすごく眠たくなってきた。子どもと戯れているということ自体が相当体力を消費していることは否定できないが、あたしの体も随分と鈍ってしまったらしい。

 

「って、美咲?」

 

「……んぅ?」

 

 それまであたしの体と心を支えていたものが急に弱々しくなって、真っ直ぐにもたれていたはずの体は傾き、目の前に並べられていた長椅子の類は斜めに立っていた。実に不思議に見える。さっきまで地面に垂直に立っていたように見えた家や壁も歪んで見える。

 

「寝るか? それなら起こすけど」

 

「ん……」

 

 仮にも恋人という存在から心配をされているはずなのに、何かを返事するのも面倒くさい。どうせならこのままうっすらと消えかかっている視界に引きずられていくように感覚を全て遮ってしまいたい。何も難しいことを考えずに、辛いこともしなくてもいいようにこのまま夢の世界に飛び立ってしまいたいぐらいだ。

 ふと気を抜くだけで、倒れそうになったあたしの体は支えを失ってしまいそうだ。いや、もう自分で自分の体は支えていないか。肝心のあたしの意識はほとんど飛びかけているし。頭の中はぐちゃぐちゃである。

 

「まぁ、美咲がまた出る時間になる前に起こすよ」

 

 彼の声もどこか小さく、遠いところに消えていく。ハキハキとしていた彼の声が何故かふにゃふにゃと、聞き取れない声になっていた。あたしはその声を子守唄のように聞き流しながら倒れていた。

 

 

 

 

 

 なんだか懐かしい頃の記憶を見た。これは、あたしがミッシェルになる直前の頃の思い出だろうか。多分、内側と外側の境界線などというものすら知らなかった頃。孤独とやり切れなさを感じてすらなかった頃だ。

 あたしは多分、何の変哲もない、普通の少女だった。少なくともその時の自分はまさか着ぐるみの中に入ることになるだなんて考えていなかったし、着ぐるみのDJになる予想図なんて、微塵も頭の中になかった。

 遠い空から、自分の過去の姿を俯瞰していた。あたしは精一杯あの時の自分に声をかけようとしていたけど、街を気の向くままに歩くあたしにはその声が届かなかった。

 ただ意味もなく、『いいな』と思ってしまった。あまり考えないようにしていた感情が夢の中でふと溢れ出してしまった。この思い出の頃に戻れるなら、ミッシェルに身を包むことなく商店街をぶらつきたい。切実に。

 

 

 

 

 

「美咲ー」

 

 どこか離れた場所から、駆け寄ってくるような感じであたしの耳にあたしの名前を呼ぶ声が届いた。でも、視界はなんだか真っ暗だし、よくわからないままあたしは唸り声のように小さく声を上げた。

 

「おーい美咲。そろそろ再開の時間近づいてるけど、起きないのか?」

 

「……えっ?」

 

 あたしは揺すられる体の元凶に物申したくなるのを必死に堪えて、ゆっくりと目を開けた。太陽の光が眩しかったから薄目にして、目の前にある斜めの景色を見て、自分が今目覚めたのだと理解した。間違いなくさっきまでの光景は夢で、彼の声が聞こえていたあそこまでがあたしが覚醒していた時の意識だったんだろう。

 

「……あっ、今何時」

 

「まだ二時過ぎたところ。大丈夫だよな?」

 

「……あー、うん。大丈夫」

 

 まだ寝ぼけている頭を必死に叩き起こした。それと同時にもう二度と返ってこないような絵空事がリフレインした。何度も、何度も。大層なことでもない、何も特別なことを望んでいるわけでもなかった。

 

「……美咲」

 

「あ……」

 

 あたしの頬をいつのまにか伝っていた生温かい感触は、涙の這う跡だった。止めどない感情が結露して、すぐさま流れていった残滓だった。それを掬っていたのはふわふわで子どもたちを受け止めていたあたしの擬似の腕ではなくて、他でもない人の指だった。

 あたしは何かを考える暇もなく、肩と頬に軽く挟まれていた掌に、自分の頬を押し付けた。体を捻り、首は横を向いて、自分の顔の全てを温もりあふれる空間へと捩じ込み、埋めた。

 このステージ裏は残酷なほどに静かだった。幸運なことに静かな空間が続いていた。あたしは人目も憚らず、気にするような人の視線は一筋だけだったが、服で涙を拭った。

 

「なんでだろ、何で泣いてんのかわかんない、あたし」

 

 そこに明確な答えもないし、彼に聞いているわけですらもない問いをぶつけて、答えるような圧を物理的に加える。あたしが露出している首から上。彼はあたしの頭の後ろまで腕を回して、泣き崩れるあたしを抱き抱えている。

 

「ま、泣けば良いんじゃない」

 

「……泣けば良いじゃんなんて、適当すぎ、でしょ」

 

 あたしの心の慰めにもなっていない言葉に恨みを持てる道理はない。だってあたしとて理不尽な問いをぶつけているから。もう少し気の利いた言葉なら良かったのかと問われれば、そういうわけですらないからだ。もしもこれが恋愛ドラマなら、イケメンな俳優がヒロインのトラウマを打ち砕くような活躍をして、視聴者の胸を打つようなセリフを言い放ち、ハッピーエンドを迎えるのだろう。

 

「なんで、泣いてんのあたし」

 

 自分のことですら何もわからない。そんな八方塞がりを無理やり具現化したような奇妙で、切実で、強烈な叫び。彼の答えは変わらなかった。

 

「泣けば良いじゃん。誰も見てないんだから」

 

 あたしと彼。二人っきりのステージの裏で、ひたすら泣いた。

 

 

 

「あーあ。もう休憩時間終わりじゃん」

 

「本当だ、二時半じゃん。休めたのか?」

 

 あたしがふと気がついた時、焦ったあたしの考えを読んだように彼がスマートフォンを取り出した。あと二分か三分で、また表に戻らなきゃ行けない時間になっていた。休憩の時間だというのに、夢を見る程度には寝て、かといって疲れが取れたのかと言われればそういうわけでもなく、さめざめと泣いていたのである。

 

「……逆に休めたと思う?」

 

「泣いてたな」

 

「言わなくて良いから!」

 

 誰のせいだ、なんて言おうかと思ったけど、冷静に考えたら最初に泣き出したのはあたしだった。ただ彼はあたしをさらに泣かせようとした、シンプルな意地悪みたいなものである。多分小学校とかでよくある、好きな子にちょっかいをかけて泣かせたいとかいう、あの類のやつなんだろう。絶対に違うけど、悔しいからそういう解釈にしといてやった。

 

「休めてようが、疲れてようが、あと一分でまたミッシェルに戻らないとな」

 

 ミッシェル。その単語を耳にして、ふっと我に帰る。とりあえず現状を考えよう。さっきまで、疲れ切ってしまった自分の体の限界からくるヘルプコールに応じるようにあたしは仮眠を取ったんだ。それで、気がついたらあのざまと。今の整理しなければいけないことといえばそれぐらいで十分だ。

 あたしは無理やり自分を納得させると、手を伸ばせば届く位置に転がっていたミッシェルの頭を引き寄せる。なんだか久しぶりに触ったような気がした。触ってみると、どういうわけだか目が覚めたような感覚にも陥る。

 

「……頑張るしかない、か」

 

「急にやる気出たんだな。何かあったのか?」

 

「……ん。でもよく寝れたから、かな」

 

「なら俺の肩枕が良かったんだな」

 

「……うーん。それは自惚れ過ぎかな」

 

「そっかぁ」

 

 喜んだばかりかと思えば、すぐさま悲しそうな顔を見せる彼は、ミッシェルを無敵と思ってタックルを仕掛けてくる小学生とかとそれほど成熟度合いは変わらないのかもしれない。それでもなんだか温かな気持ちが胸に込み上げてくるあたり、それもそれで良い、なんてことをあたしも薄々考えている。

 彼は小学生と変わらないような無邪気さを持ってるなんてあたしに思わせておいて、それでいて実はあたしと変わらないぐらい大人だ。自分のことを大人って言うのも恥ずかしいけど。

 

「さて、そんな無駄口を叩いてる間にそろそろ時間だぞ」

 

「はいはい、言われなくてもわかってますよ……っと」

 

 あたしは踏ん張るように立ち上がる。彼の助けを借りるでもなく。首から上もピンク色になって、すっかり子どもたちの前に姿を現わせるようになった。あたしは意気揚々と商店街の表と裏を遮る垂れ幕に駆け寄る。

 

「美咲、これが終わった後、ちょっとデートしようか」

 

「えっ?」

 

「じゃあな、頑張れよミッシェル」

 

「は、ちょ、デートって、え?」

 

 普段は恥ずかしくなるから口にもしない単語を突如不意打ち的に言われて、柄にもなく着ぐるみの中で焦る。だが、焦ったあたしのことなんか知らない彼は、垂れ幕に向かってあたしの背中を、そっと押した。

 

「おわっ、あっ」

 

「あっ、ミッシェルだーー!」

 

 その瞬間に伝播していく子どもたちの歓声。こちらに駆け寄ってくる幼い影。あたしはそれを受け止めようと身構える。一方で、あたしは一瞬だけ振り返って、垂れ幕を少し捲ってこちらを覗き込む彼を一瞥した。こちらとしては抗議の気持ちを前面に押し出したつもりだが、まぁこの姿じゃ分からないか。あたしは突然受けたお誘いとやらに胸を躍らせながら、外に駆け出した。

 

 

 

 

 

 かなり前に時刻は五時を回った。既に外は夜に近づいていることを予感させるような空の色と街の姿で彩られる。あたしは与えられていた着ぐるみを脱ぎ捨てて、商店街の倉庫に返しに行った後、指定されていた場所で待っていた。

 そこはさっきまであたしが子どもたちの前で風船でパフォーマンスをしたり、戯れていたりしたスペース。ついさっきまでは親子連れがたくさん闊歩していたはずの街路は少しずつ静けさを取り戻している。いや、取り戻しているどころか人影は疎らだ。普段なら夕飯の買い物をする人たちが集うはずの商店街も、祭りの後のように静かだった。

 

「おっ、美咲。片付け終わった?」

 

「うわっ、びっくりした」

 

 今日の昼をまたなぞるように、あたしの意識の外から声がかかる。あたしが気がつかない間に店の脇の柱にもたれかかっていたのだ。

 

「うん、まぁ見ての通り」

 

「じゃ、約束通りデート行こうか」

 

「約束通りって……、あたしは約束した覚えないけどね」

 

「まぁ、決定事項だったな」

 

 彼の差し出してきた右手。今度はしっかりと温もりを感じながら握ることが出来た。商店街という地でそんなあからさまなことをするのは酷く恥ずかしかったが、人気が少ないというその場の雰囲気が、あたしを積極的にさせていたのかもしれない。あたしはその手を強く握り返した。

 

「それで、どこ行くの? まぁまぁ夜遅いよ?」

 

「遅いって言ったって、まだ夕飯の時間でもないだろ?」

 

「いやいや、人によってはもう晩御飯だよ」

 

 なんだったらあたしとて今晩外食をするとか何も言っていないものだから、家では晩御飯の用意が進んでいるかもしれない。けど、デートと言うからには多分それなりに外を歩くのだろう。

 

「え、どこまで行こうとしてる?」

 

「ショッピングモールだな、ひとまず」

 

「ひとまずって」

 

「そんな長くはならないから安心しろって」

 

 そう言ってあたしの手を握ったまんま足早になる彼。あたしは別に言い返すわけでもなく、引かれるがままに歩いた。

 商店街からそんなに距離が離れているわけでもないショッピングモール。そうは言っても着いた頃にはもう陽はとうに落ち、あたしたちのような高校生が出歩いているのもなんだかドキドキするような時間帯になっていた。

 

「なんだ、落ち着きないな」

 

「いやいや、ほら、知り合いとか会うかもしれないし」

 

「その時はその時だな」

 

 もしもあたしが彼ほど割り切れる人間だったら、生きるのは幾分か楽だったかもしれない。きっとハロハピの活動をやるのも、もう少し早く踏ん切りがついたはずだ。ミッシェルとなって駆け回るのだって喜んでやっていそうだ。嫌々やっているわけではないけど、何のモヤモヤもなく駆け回っていそうだ。

 あたしが彼との手を少し控えめに握り始めた頃、開けた広場のようなところに面したエスカレーターに乗っていた時だった。あたしがぼんやりと広場を見ている隣で、あたしの一つ下の段で彼は広場中央を指さしていた。あたしがそれに気を取られて目を凝らすと、そこにいたのは多分販促とかのマスコットキャラクターのような、着ぐるみだった。

 

「あれ、ミッシェルじゃないよ?」

 

「分かってるよ流石に。色もモチーフも全然違うからな」

 

 馬鹿げたやりとりに含み笑いが漏れた。丁度その時、あたしは突然足元がグラリとして、覚束なくなった。エスカレーターの丁度降り口に来たからだったけど、気がつかなかったのだ。でも、やばい、と思ったその時には彼があたしを支えていた。

 

「あ……ありがと」

 

「おお、怖い怖い」

 

 そんな風に茶化しながら、彼はあたしの手を強く握り直した。それを振り解こうなんて微塵も思わなくて、むしろもっと強く握りたくなって、エスカレーターを降りたあたしはフロアを歩き出すのにも関わらず、今までやったこともないのに彼と腕を組んだ。

 

「……どうした、美咲」

 

「見ないで、恥ずかしいから」

 

 本当に、今見られたらあたしはどうにかなってしまうかもしれない。知り合いに見られたりなんてのはもっと嫌だけど、この腕を離してしまうのはもっともっと嫌だった。彼は、そんなわがまましか言うことのできないあたしを拒絶するわけでもなく、むしろ何も言わずに腕を組んだままにして歩いていた。

 円形に縁取られた吹き抜けを回るように歩きながら、あたしの方を見ることを禁じられた彼は、吹き抜けの一番下のフロアを見ていた。

 

「そんなに着ぐるみが気になる?」

 

「まぁな」

 

「……そのー、彼女が、着ぐるみやってるからとか?」

 

 恥じらいだとか、全てを投げ打ってそう問いかけてみる。絶対に普段のあたしなら自分のことを彼女だとか、そんな震え上がるほど恥ずかしいワードで自分のことを表現できるわけもない。今日はどうやらおかしい。そんな風に思いながら、あたしは彼の顔色を窺った。

 

「ま、そういうことだな」

 

 もしかしたら他の着ぐるみばかりを見る彼氏に、ミッシェルは嫉妬とかの感情を向けるべきかもしれない。それは冗談としても、なんだか少し複雑な気持ちもある。

 

「着ぐるみ、入ってみたいんだよな」

 

「……え?」

 

「いやだから、着ぐるみ」

 

 予想外の反応にあたしは間抜けな返事をするしかなかった。じゃあ、ミッシェル一緒にやってみる? なんて気の利いたというか、ウィットに富んだ返事も出来なかった。

 

「えっと、なんで?」

 

「……んー。秘密」

 

「……えぇ」

 

 なぜ教えてくれないんだ、なんて拗ねたような表情を作りながら、あたしは横目で彼を見た。でも、その瞬間に彼はその着ぐるみからは目を離して、突然こちらに振り返った。思わずドキリとしたあたしはギュッと手を強く握った。それこそ彼の皮膚に爪が食い込んでしまうんじゃないかってぐらい。

 

「……痛い」

 

「わ、ごめん」

 

「ミッシェルのもふもふの手なら怪我しないだろうに」

 

「……あっちの方が好き?」

 

 どうしたものか、今日はあたしの口の暴走が止まらない。思考とは別に喋り出している。

 

「いや?」

 

「……そっか」

 

 そして、ショッピングモール全体が水を打ったように静かになった。いや、あたしがそう思っただけ。だからあたしは彼を誘った。

 

「また二人でさ」

 

「うん」

 

「ステージ裏、行こうよ」

 

「奇遇だな。俺も同じこと、言おうと思ってたんだ」

 

 ずるいなぁ、なんて思いながら、嘘偽りない本心だと確信した。だからこそ、恥ずかしさが募ってばかりで、とうとうあたしの心の余裕は無くなってしまった。

 あたしは咄嗟に目を逸らした。彼よりもさらに奥、吹き抜けのさらに上、天井、吹き抜けの直上を見つめた。そこには空が広がっていた。星の瞬く夜空が。あたしはまたも潤んだ目を擦りながら、隣を歩く彼の手を握り締めるのだった。

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