ガールズバンドたちのBirthday   作:敷き布団

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【白金 燐子】恋人の前だけの姿

 モノクロの部屋。わたしが長い時間を過ごしていた自分の部屋は、そう形容することがぴったりかもしれない。壁や床に使われている白い建材。部屋の一角で佇むピアノの反射する黒。普段異世界に没頭するのに使っているモニターも今日は音も出さずに黒いままだ。

 そんな彩度の少ない世界で、わたしは一人ベッドの縁に腰掛けて一冊の本を読み進めている。ブックカバーに包まれていて表紙は見えなくなっているその本はわたしの持ち物ではなく、借り物であった。

 

「……ふぅ」

 

 長時間細かな文字を見続けていたからだろうか。なんとなく目が疲れているような感覚がして、わたしは視線を本から外して部屋に向ける。

 本の世界から飛び出すと、自分が集中しすぎた結果肩の凝りにも気がつかなくなっていたことを察した。わたしが少し肩甲骨を動かそうとしただけで音がしそうなほどに。生徒会室なんかで堅苦しい文章の書かれた数多の書類を見ている時でさえ、そうなることなんてのは滅多にないのに。

 どうやら今日のわたしはその本が織りなす世界に吸い込まれるように時間を潰してしまったらしい。代わり映えのない部屋に飽き飽きとしながら窓を見れば、昼過ぎで青かったはずの空が既に茜色に染まっていた。秋も深まって日が落ちるのが早くなってきたとはいえ、わたしが数時間に及んでこの本に囚われていたのは明白だった。

 

 わたしがこの本を読むことに相当集中していたのは、そんな変な理由ではない。別段この本が呪いの本だとか、RPGに出てくる魔導書だとか、そういうことではない。目玉が飛び出るほどの稀覯本とかでもなく、単に今井さんから借りた恋愛小説だ。たしか、この頃流行りになっているとかで、本屋さんの店頭でも並んでいるのを横目で見た記憶もある。ただ、自分からは手を取らずにこうして今井さんに借りるまで読んでみようとはあまりならなかった。

 それなのに、ここまで読んでいて引き込まれるのは、この本が特別素晴らしいシナリオを備えているだとか、レトリックの癖に取り憑かれるだとか、そういう大衆に迎合する理由じゃなくて、極めてわたしの個人的な問題だったのだろう。薦めてきた今井さんすらも知らない、わたしだけの悩みだとか、そういうものだ。

 

 本と自分の重なりに気を遣っていると、完全に気が抜けてしまっていたらしい。ベッドの傍に置いていた自分のスマートフォンの振動音に、これでもかと言うほどにびくりと心臓が、そして文字通り体が跳ね上がった。読んでいる最中はスマートフォンのいかなる通知すらも気にならなかったのに、ふと現実に帰ってきた瞬間こうだ。

 びっくりとした心を休ませながら、黒かったはずの画面をタップすると、メッセージが届いているという通知だった。今まさにメッセージが届いたのは、わたしの悩みの元凶と言っても過言ではない、わたしの恋人だった。

 元凶が云々と言っても、決して彼が何か悪さをしているだとか、そういうことは一切ない。むしろわたしがお付き合いをしているのが申し訳ないほどに彼は良い人間であるが、ただ、そこに萎縮してしまっている自分もいる。

 

『燐子って明後日暇?』

 

 届いたメッセージをみて、カレンダーを思い浮かべる。平日だから多分夕方とか放課後のことなのだろう。それならあまり遅くならなければ時間を作ることなど造作もない。その日は生徒会の集まりもRoseliaの練習もないし、予定らしい予定と言えば夜になったらあこちゃんとNFOをプレイすることぐらいだ。

 さっきまで散々彼のことで悩みがあるなんて言っておきながら、わたしは何一つ淀みのない手つきで返信を打つ。多分面と向かって喋っていたらもっと途切れ途切れの言葉しか伝えられないけど、これならわたしは気持ちもすぐに伝えることが出来た。

 

『暇だよ。会えるかな?(o^^o)』

 

 送信されたメッセージを見てため息をつく。そして、もう一度目を見開いてそれを目撃した瞬間、急に鬱々しい気分になる。彼からの返事は断りでなくて、快諾の返事だったのに。

 曖昧な立ち位置で揺れる二人の()()()がそこにはいて、わたしはふと怖くなったのだ。このメッセージを見た彼は今頃何かを思っているのだろう。

 自分がこの恋愛小説を読んでからずっとモヤモヤとしていた部分が頭によぎって、ちくりと心が痛んだ。緑の吹き出しの上の暢気な顔文字を見て、わたしの中の不安は一気に増大した。これは謂わばわたしの恐れの象徴であり、()()()()()()の違う部分を最も端的に表していたからだ。

 わたしは何もかもが嫌になって、スマートフォンの電源を切って柄にもなくベッドの端の方へと放り投げた。こんな乱雑なこと普段なら絶対にしないはずなのに。そんな自嘲の気持ちを込めて、わたしはふわふわの枕に倒れ込んで顔を埋める。特に匂いとかはしなかったけど、その無機質さによって不安は少したりとも和らがなかった。

 部屋の電気を暗く落として、枕元の小さなシェードランプだけをつける。元々白黒だった部屋にオレンジが足されて、少し心が落ち着いた気がした。外はいつのまにか赤を失っている。

 

「これ、最後まで……読まないと……」

 

 いつもまにか床の下へと落としていた本を拾い上げたわたしは寝転びながら本を読むだとか、行儀の悪い真似をしながらこの夜を過ごすことに決めた。褒められた行動ではないのはわかっているが、どうせわたしを咎める人なんてのはいやしない。晩御飯を食べないわたしを心配した親が部屋に来るかもしれないけど、そんなことどうとでもなる。

 そんな瑣末なことよりも、わたしの中では何よりもこの本の続きを読むことが大事だった。白い紙に印刷された文字もランプの黄色を吸い込んで、なんだか優しい感じがした。

 さっきまでこの本を読んでいる間は何も気が散らずに、ただ黙々と読み進められたのに。今こうして読んでいると、このお話には出てこない、登場人物と同じ土台にすら上がることのできない自分が脳裏をよぎって邪魔をしてくる。台詞もないわたしの視線の先には、ぼんやりと霞みがかった彼が立っている。しかも、わたしがそれを追いかけようとしても、一向に近づかないままで。

 わたしは何度も本を放り投げた。さっきまでどこを読んでいたのかすら朧気なまま、何度も枕に顔を伏せては、閉じてしまった本のページをめくり続ける。結局その日の晩は、この本を読み終わるまで眠ることはできなかった。

 

 

 

 次の日。わたしはRoseliaの練習でCiRCLEに来ていた。心があの本によって乱されたからといって、わたしのキーボードが狂ってしまうだとか、そういった心配は杞憂となった。近づいている次のライブに向けて練習は厳しいものであったが、それでも特に苦を感じることもない。

 

「一旦ここで休憩を挟みましょう」

 

 友希那さんがそう声をかけると緊張の糸が一気に切れた。あこちゃんは急いでスタジオから出て行ったし、わたしもどこか疲れた体を解そうと伸びをした。スタジオの向こうのテーブルでは、ある意味でRoseliaの名物と化している今井さんの絶品のクッキーを嗜む会が行われている。

 友希那さんに微笑んでいる今井さんを見て、わたしは昨日のわたしを惑わし続けたあの小説を返すために持ってきていたことを思い出した。わたしは小さく今井さんの名前を呼ぶと、カバンからブックカバーに包まれた小説を取り出して手渡した。

 

「あの……ありがとう、ございました。すごく……面白かったです」

 

「えっ、燐子もう読めたの?」

 

「はい、昨日……時間があったので」

 

 今井さんが驚くのも無理はない。この間の練習の時に借りた訳だから、そうか、一昨日借りたばっかりではないか。決して本を読むのが遅いとかそういうわけではないけど、忙しさに負けそうになっているぐらいには時間に追われている自覚はある。

 わたしが返した小説を、今井さんはパラパラと開いてうんうんと頷いているようだった。多分だけど、読んでいた本に想いを馳せているだとかそんな感じだろう。

 

「うんうん、本当に良いよねぇ……。すれ違ってもいつも通りに接しようとする女の子も、気まずさを理由に逃げてた男の子が帰ってくるシーンも全部最高なんだよ〜!」

 

「その、すごく……感動しました」

 

「だよねぇ。クールだった女の子が男の子の前だけであんな甘々な態度取ってるところのも見ると……、あぁ、恋愛したいなぁって思っちゃうよねぇ」

 

 その言葉に少しだけ反応してしまったわたしは、その動揺を表に出さないようにしながらふと考え込んだ。今井さんの表情はどこか遠いところを見るように、まだ見ぬ恋愛の甘酸っぱさを妄想して楽しんでいるような、そんな感じで。

 けど、この本を読み通して改めて自分の曖昧さに揺れていたわたしはどうしても悩まざるを得なかった。わたしはこの世界の女の子のようになれるのか。違う世界にいるかのように、絵空事のようにしか思えなかった。

 

「リサにそういう相手はいないの?」

 

「あっはっは、アタシ? アタシは友希那一筋だよ〜」

 

「……そう」

 

 冗談めいた文句で友希那さんに顔を寄せる今井さんは心の底から楽しんでいるように見える。揶揄われた友希那さんは少し恥ずかしくなっているのか、僅かに赤らんだ頬を丸出しにしながら顔を逸らした。

 

「でも彼氏が出来たらもうそっちに夢中で友希那に構ってあげられなくなるかも〜」

 

「なっ」

 

「いっぱいキスとかして、その先も……。彼氏だけにしか見せないアタシの顔もあったり?」

 

「……そ、そう。きっと、リサにもいつかそういう人が見つかるんじゃないかしら」

 

「そうかな? 探しちゃおっかな〜?」

 

 素直になれそうにはない友希那さんをすっかり手玉にとった今井さんは人差し指で友希那さんの頬をぐりぐりと押している。目の前でそんな光景を見せられてしまって少々複雑ではあるけど、今井さんにとって彼氏だけにしか見せない素顔とはこんな感じなのかもしれない。

 そこまで考えが及んだところで、またもや心がちくりと痛んだ。原因はもう明白だった。

 

「どーしたの? 燐子」

 

「えっ、あ、いや」

 

 心の中の澱みに気を取られていたわたしは自分の表情に気を向ける余裕なんてなかった。否定も肯定も出来ずにオドオドとするわたしを見た今井さんはまるで獲物を見つけた猫のように目を大きく見開いた。

 

「そろそろ練習戻ろっか? あ、燐子? もっと燐子に読んでほしい小説いっぱいあるから今日アタシの家までちょっとだけ来てよ☆」

 

「えっ、わ……わかりました」

 

 わたしにその提案を断ることなんて出来ず、何が起こるのかドキドキとしながらキーボードの元へと戻る。すっかりと動揺しきっていたわたしは前半に殆ど起こさなかったミスを連発するのだった。

 

 

 

 練習の帰り際。いつもは今井さんと友希那さんが二人で帰っているところにお邪魔した。幼馴染ということもあって相当な仲の良さを見せている二人に割り込むのはどうにも憚られる。だけど、今井さん直々に呼び出されたということもあって、わたしは逃げることもできないまま、二人の家に着いてしまった。友希那さんは早々に帰り、残されたのはわたしと今井さんの二人だけ。

 

「それで……今井さん?」

 

 確かわたしに読んでほしい小説がもっとあるということだった。それなら家に入るのかと思ったのだけど、今井さんは一向に玄関に向かう様子もない。既に暗くなった外で、友希那さんを見送ってから、なんとも言えない時間が過ぎるだけだった。

 

「燐子、ちょっと聞いても良い?」

 

「えっ、ど……どうぞ」

 

 いつになく真剣な表情で話しかけてきた今井さんの様子に困惑したけど、わたしはさらなる衝撃に晒されることになった。

 

「好きな人とかできた?」

 

「……?!」

 

 突然の今井さんの質問に、わたしの思考はフリーズした。多分その反応を見た今井さんはわたしの心のうちだとかを全て見抜いてしまったのだろう。あの時、CiRCLEのスタジオの中で見せたニヤニヤとした表情を今も浮かべている。それを見た瞬間にきっとバレているのだと思った。

 まさかバレることはないとたかを括っていた。友希那さんはそういうのには疎そうだし、氷川さんも破廉恥なことだってめくじらを立てていそう。あこちゃんはもしかしたらそういう感情を持つにはちょっと早いかも。けど、今井さんは流石に誤魔化せなかった。

 

「ビンゴか〜。そっかそっかぁ……燐子にも春が……」

 

「……あ、あの! 今井さん!」

 

 何か感じ入ったような反応の今井さんの思考を遮るように、わたしは大きな声で今井さんの名前を呼んだ。もしかしたら今井さんは揶揄うつもり満々でここまでわたしを連れてきたのかもしれないけど、この際だ。わたしの心の憂鬱を消してくれる光明を求めていたのだ、多分。

 

「どーしたの?」

 

「……その、相談が……あって」

 

 わたしの様子を窺うなり、にっこりと笑った今井さんに手招きされて、わたしは家にあげてもらった。多分話が長くなりそうなことも察されていたのだろう。部屋に通されたわたしは、リビングの方から上がってきた今井さんからホットミルクを受け取る。

 

「相談って?」

 

「その……好きな人……というか、その、恋人の、こと、なんですけど」

 

「……えっ? 恋人ってまさか、もう付き合ってるの?!」

 

「は、はい」

 

 相当に驚いた様子の今井さん。それもそうか、自分が冷静に自分を客観的に見たら、今井さんの方が恋人とかが居そうにも思えた。

 

「でもアタシ恋人なんて出来たことないからなぁ。あんまりちゃんとしたアドバイスとか出来ないかもだけど」

 

「そんなこと……ないです。きっと、参考になると、思います」

 

 わたしの反応を見るとふぅ、と大きく息をついた今井さんはニコニコとわたしの次の言葉を待っている。わたしはポツリポツリと悩んでいることを言葉にしようとした。

 

「その、……今井さんは、やっぱり恋人ができたら、恋人の前と、普段の、姿って変わりますか?」

 

「えっ? うーん、出来たことないから分かんないけど……」

 

「その、想像で、いいので」

 

「……多分変わるんだろうなぁ。きっといっぱい甘えるだろうし、わがままだって言うだろうし、それこそRoseliaとか友希那の前での姿とそれは違うと思う」

 

 今井さんはかなり悩んで、悩んで、苦笑いのままでそう答えた。今井さんがわがままを言う姿なんてものはあまり想像つかないけど、それはそれこそ普段の姿と違う顔を持つ故だろう。

 それでも、ただの想像の話とはいえ、まるでわたしの恋愛の態度をやんわりと否定されているようで悲しくなった。自分が思う自分のダメなところを認められてしまったようで。

 

「燐子は、いっつも彼氏さんと過ごす時どんな風に過ごしてるの?」

 

「どんな風にって、その……例えば、一緒に本を読んだり……」

 

「うんうん」

 

「……勉強とか」

 

「なるほどなるほど?」

 

「……ご、ごめんなさい!」

 

「え、え?! なんで謝るの?!」

 

 その時、わたしは今井さんに向かって勢いよく頭を下げていた。きっと今井さんの求めるような話は何も出来ていないし、わたしがしている恋愛擬きは今井さんが聞きたがっている恋愛からはかけ離れているだろうから。そんな気持ちを込めて下げた頭は、わたしがいつまでも上げずにいると、いつのまにか今井さんの手が添えられていた。

 

「え……?」

 

 わたしがそれにびっくりして顔を上げると、今井さんの表情はさっきよりもっと緩んでいて、今井さんは微笑みを浮かべたままわたしの頭を撫でていた。それでいて何かを言うというわけでもなく、ただぽかんとしているわたしが話すのを待っているようだった。

 

「……わたし、恋人と一緒にいる時でも……、いつも、こんな感じ、なんです」

 

「うん、それで?」

 

「だから、……その……。お借りした小説みたいに……、恋人同士の空気とか、分からなくって……」

 

「恋人同士の空気、ねぇ」

 

「……彼は何も、言わないけど、……でも、チャットとかするときは、わたし……饒舌だから……」

 

 だから、きっと彼は不満を言わないだけでいつまでも緊張してオドオドとしっぱなしのわたしを見て呆れているに違いないと。わたしは理想の自分との乖離に悩む自分を打ち明けた。

 それは最後の頼みの綱を頼るような気分だった。今井さんなら延々と人見知りを続けるわたしを変えてくれるようなアドバイスをくれるという期待。わたしだって、今井さんみたいに、そしてあの小説の恋人たちのように、気兼ねなく、そしてスイーツのような甘さの空気を吸うことが出来るはずだから。

 

「うーん。そんな、小説通りになるのを目指さなくても良いんじゃないかな?」

 

「えっ?」

 

 でも、そんなに天から伸びる蜘蛛の糸は甘くなかった。わたしの期待を百八十度裏切るような答えにわたしは目を丸くした。けど、今井さんは先ほどと変わらない微笑みのまま続けた。

 

「無理に変わろうとしなくてもいいと思うけどな、アタシは」

 

「でも」

 

「だって彼氏くんは何も言ってないんでしょ?」

 

「それはその……はい」

 

「じゃあ、聞いてみようよ! 今度いつ会うの?」

 

「えっ、えっ、あ、明日……です」

 

 そこまで聞き届けて今井さんは今日見た中でも一番の優しい笑顔に変わった。まるでお母さんのような暖かさで、明るい声で。

 何度もわたしの頭を撫でてくれた手がようやく離れた。そのままわたしは今井さんと二人で玄関まで降りて、そして家から送り出される。

 

「大丈夫だよ燐子! きっと大丈夫! 何か文句言ってきたら今度はアタシが怒りにいくから! 『うちの燐子を虐めるなー!』ってね!」

 

「……はい。でも……それは、ダメです」

 

「アハハ、冗談だよ? でも燐子を虐めるやつがいたら許さないのは本当だよー?」

 

「だ、ダメです! 今井さん……可愛いので……盗られたく……ないです」

 

 玄関の前で今井さんからエールを貰った。それ気持ちは嬉しかったけど、もしも今井さんと彼が出会って、彼が今井さんに一目惚れでもしてしまったら、わたしはもっともっと困ってしまう。そんな光景を思わず想像してしまって、声が小さくなりながらも口に出す。

 恥ずかしくなって下を向いていたけど、ふと顔を上げると今井さんはちょっと驚いているようだった。けど、わたしと目が合うと、またいつもの微笑みに戻って。

 

「だーいじょうぶ。今の燐子の方が、ずっとずっーと、可愛いよ?」

 

 冗談めかして、『彼氏くんから燐子のこと奪っちゃおうかな』なんて言う今井さんと話していると、なんだか不安だとかは全て消えていくような気がした。

 

 

 

 そんなエールに送り出されるように、次の日の放課後になった。わたしは学校の帰り道で彼と待ち合わせをしていた。今井さんに励ましてもらったときこそ不安は何も感じなかったけど、いざこうして二人で会うとなると、いつにも増して緊張した。

 

「ごめん、お待たせ。燐子」

 

「あ……、いえ……その、待って、ないです。そんなに」

 

「なら良かった。行こうか」

 

 世の中に数え切れないほど流通している恋愛物であれば、ここで彼の手をお淑やかに握ったりするのかもしれない。けど、わたしはそんなこと恥ずかしすぎてできないし、彼の方からわたしの手を握ってくることもない。それは至極当然な話で、前には彼から手を繋ごうとしてくれたこともあったけど、わたしが恥ずかしいからと断ってしまったのだった。

 そういうわけもあって、結局待ち合わせをしただけで、特に長い世間話をしたりすることもなく目的地の図書館に向かって歩き始める。道中ちょっとした会話こそ挟むけど、わたしは相槌を何度か打つだけで、どう話を広げたらいいのかもよく分からないまま時間だけが無情に過ぎていった。

 昨日、今井さんと約束したように、いつまで経っても恥ずかしさを理由に人見知りを彼の前でも続けるわたしに対して、不満の一つも持っていないのか、と何度も聞こうと思った。けど、いざ聞こうとすると勇気が出ないまま、わたしは押し黙ってしまっていた。むしろそれが彼にとって変に写っていないかが心配でたまらなかった。

 

「あ……あの」

 

「ん、どうした? 燐子」

 

「いえ……なんでも」

 

 こんな具合に、何度も話しかけては何もない、なんて返すだけ。絶対に疑われるだろうし、下手したら揶揄っているのだと怒りを買うかもしれない。

 そして、案の定、こんなやりとりを数回繰り返しているうちに、彼は足を止めてわたしの顔を覗き込んだ。こんな近くで直接彼と目を合わせるなんてとてもできなくて、びっくりしたわたしは頑張って目を逸らそうとする。けど、二人とも足を止めているのだから限界があった。

 

「……やっぱり、燐子何かあったんだよな?」

 

「……その……はい」

 

 疑われたわたしは観念する他なかった。どう考えたって、この状態で何もないはずがなくて、もしわたしが彼であったとしても疑っていたはずだし、何もないと言われて信じるわけがない。

 だからわたしは諦めて認めてしまったのだが、彼はそれを追及するでもなく、前を向いて歩き出してしまった。そんな予想外の彼の行動に驚いたわたしは慌てて彼の歩調に合わせる。

 

「そ、その。……聞か、ないんですか?」

 

「ん? 聞かれたいのか?」

 

「いえ……」

 

「ん、じゃあ深くは聞かないよ?」

 

 そういって彼は笑ったのだ。そして切り替えるようにまた歩き出そうとしたから、焦ったわたしは。

 いつのまにかわたしは歩き出そうとしていた彼の腕を掴んでいた。驚いた彼は驚きを隠そうともせずにわたしの方を見ていた。

 

「……こんな、わたしでも、いいんですか?」

 

「えっ? えっ? どういうこと?」

 

「……わたし、ずっと引っ込み思案で……、チャットだとあんなに饒舌、なのに、リアルだと……。恋人の前でもわたしは……よそよそしくしかできないのに、それでも……いいんですか?」

 

 わたしはそこまで言い切ると、何を言われるかわからないのが怖くて怖くてたまらなくなった。聞いておきながら、その疑問に対する答えを聞きたくなかった。だって、それで、別れようかなんて言われてしまったら。呆れられてしまって、つまらない人間だなんて言われてしまったら、わたしはきっと耐えられないから。

 今井さんに励まされて、この話をするって決めた時点で覚悟はしていたはずなのに。それでも怖くて仕方がないのだ。

 もしも本当はもっと彼氏に遠慮なく甘える子の方が彼の好みだなんてことだったら。わたしはそんな女の子になれるのだろうか。今だってなれそうにないのに、わたしは彼から捨てられてしまうんじゃ、そんな思考が脳内を支配するのだ。

 

「あぁ。たしかに、燐子ってチャットとリアルじゃ全然違うよね」

 

「……! そう、ですよね」

 

 正直に言えば、彼がその違いにすら気が付かない鈍感だったら、なんて淡い希望を持っていた。けど、そんな甘いことはなく、彼はしっかりと二人のわたしの乖離にも気がついていた。

 わたしは悩んだ。ここで、やっぱり今の質問は忘れるように強く言うべきなのか。迷いに迷って、わたしは彼の方に視線を向けるなんてできなくて、ただただ無機質な地面を見つめることしか出来なかった。

 でも、わたしの迷いを斬り捨てるように彼の声が先に届いていた。

 

「俺はそういうギャップもあって良いと思うけどな」

 

「えっ……。……嫌じゃ、ないんですか?」

 

「別に嫌ではないかな」

 

 ぽかんとするわたし。それを見てなのか、彼はニッコリと笑った。

 

「どうしたの? まだ悩んでる?」

 

「その……」

 

「俺が嫌じゃないなら、それで良いじゃん?」

 

 ただ笑うだけじゃなくて、彼の声は優しかった。今井さんの……いや、比べるのは無粋かもしれない。そして、優しい声だけじゃなくて、彼はいつのまにかわたしの目の前に手を差し出していた。わたしの手は導かれるようにそれを握っていた。

 

「よし、じゃあ図書館行こっか」

 

「……はい!」

 

「……ま、折角だから一緒に手を繋いで歩くぐらいはしたいな〜」

 

「そ、それは……人に見られたら……恥ずかしい、です」

 

「じゃあ家とかなら?」

 

「……大丈夫、です」

 

 そしてわたしたちは歩き始めた。勉強という名目で図書館に向かうために。外を歩いているというのに手を繋いで。

 二人で勉強をしていたって、至って真面目な会話しかそこにはない。恋人同士が二人だけの時間を濃密に過ごすようなやり取りはない。けれど、それでも何もおかしくないじゃないか、そんなふうに思えたのは今井さんと、彼のおかげだった。

 

 結局、二人で二時間程静かに勉強をして、その日は帰路に着いた。手を繋いで歩くこと以上に進展らしい進展はない。けど、待ち合わせに行くまでとは違って、帰り道に憂鬱な感情は何もなかった。

 家に着いたわたしは、部屋に戻るなり、今日の自分の言動を振り返って枕に突っ伏した。

 

『好きです、こんなわたしで良ければこれからもずっと一緒に居てください』

 

 そして、顔文字に身を隠すこともなく、何十分も悩んだこの文章を彼に送るのだった。いつかこんな言葉を気兼ねなく伝えられる日が来ることを淡く願いながら。

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