ガールズバンドたちのBirthday   作:敷き布団

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【美竹 蘭】いつも通りから連れ出して

 あたしにとってのいつも通り。それはモカがいて、ひまりがいて、巴がいて、つぐみがいる。それがあたしにとってずっと欲しかったいつも通りで、それが得られないからこそあたしはいつも通りじゃないことに反発を繰り返していた。

 

「蘭。バンドもいいが、もう少し華道のことも……、今日だって」

 

「ライブ近いから」

 

 そんなあたしのいつも通りの中には、華道はそれほど含まれていなかった。全くなかったわけではない。バンドの曲を書くときに花をモチーフにすることは大いにあるし、花を生けることをやめたわけでもない。父さんとの関係だって、ある程度は改善したはずだ。ライブの度に差し入れしに来るのは恥ずかしいしやめて欲しいけど。

 それでも、華道はあたしのいつも通りの多くを占めるには至らない。それはあたしの足掻きのようなものかもしれない。Afterglowの助けになることもあれば、柵にもなる華道は、そういう意味でふわふわとしていた。

 家に帰ってきたばかりで、あたしのことを嗜める父さんをそこそこに流して、あたしは自室に飛び込む。別に心の底から嫌悪しているとかそういうのではなく、ただ煩わしいだけなのだと言い聞かせながら、あたしは迫るライブのことに想いを馳せようとした。

 

「……作品のテーマも、決めなきゃ」

 

 だが、あたしがどれほどいつも通りからそれらを排除しようとも、あたしの意思とは無関係に作品展の時期はやってくるし、華道の周囲の人間はあたしをAfterglowの美竹蘭ではなく、美竹流の正統な継承者たる美竹蘭として見てくるものだから、溜まったものではない。

 本当に煩わしい。夏場に無限に湧いて出る蚊よりも煩わしいかもしれない。同時に2つも複雑なことを考えるのがこんなにも大変だとは。バンドのことを考えて悩むのはAfterglowのみんなのことを考えることと同義だから苦ではないけど、作品展に出す生花の構想を考えるのは伝統に雁字搦めにされた頭をフル回転させなくてはいけなくて、只管にストレスなのだ。

 こうして部屋の中で1人で山積したタスクと改めて向き合うと、自分の生まれを少しだけ呪ってしまいたくなる。決して悪い文化とは言わないし、これを悪い文化と呼称したいとは微塵も思っていない。そんなことをすれば幼き頃からのあたしを否定することに繋がりかねない。ただ、美竹流という看板を外すだけでどれほど楽か。

 

「ちょっと良いか、蘭」

 

 あたしが目の前に降りかかった尽くを見つめてため息をついていると、突然自分の部屋にノックの音と父さんの声が聞こえてきた。普段父さんがあたしの部屋にまでわざわざ来ることなんてのはないものだから、相当に驚いたあたしは途端に現実に引き戻された。

 

「……何、父さん」

 

「今日は寄合と稽古があると言っていただろう。さっきは適当に流していたが……、忘れてないな?」

 

「……あ」

 

「やっぱり忘れていたのか……。今日の寄合は大事なものだから出席してもらうからな。6時半からだから、準備をしておけよ」

 

 どうやらあたしは近い未来の大きな出来事が気になりすぎて、目の前の予定すら意識の外に置いていたらしい。父さんに言われるまで本気で頭になかった。もしも今日巴とひまりがバイトじゃなかったら確実にみんなでどこかに行ってすっぽかしているところだった。ヒヤヒヤとしながら部屋の扉を閉める父さんを見送る。

 華道の集まり自体も、物凄く嫌いというわけではない。憂鬱にこそなるが、それは美竹流の名前を背負わざるを得ないことを嫌でも自覚するからであって、極論、自由に華道を極めることが出来るのならば、あたしは華道の道に進むというのも選択肢の一つとして認められるだろう。現実にはそうはいかないのだが。

 

「……着付けしてこなきゃ」

 

 あたしは迫った集まりに向けて、自室を後にした。

 

 

 

 あたしの家は、伝統的かつ典型的な日本家屋だ。それをどうにかこうにか悪く言えば、無駄に広い家、そう言えるだろう。家で父さんの弟子の人たちが稽古に励むこともあるし、今日みたいな集まりを家ですることだってある。あたしはそんな時、華道への厭悪感を覚えざるを得なかった。

 どこの誰とも知らぬ、高名な高齢男性。新進気鋭の華道家。多分この中にいる人はみな、それなりに名の通った人ばかりだから、父さんも物凄く真剣だし、そんな場に居合わせることができるあたしはある意味では幸せかもしれない。

 挨拶だけを済ませたあたしは最早その場に参加する意味合いも薄まって、早々と退席する。多分あとで父さんから多少なりとも嫌味を言われるかもしれないが、あたしには関係ないだろう。どうせこの後も稽古だなんだで駆り出されるならちょっとぐらい休息の時間を、と思って、集まりの部屋を抜け出して、離れの廊下へと逃げ出した。

 

「……あれ?」

 

 時刻は6時半を過ぎたばかりで、稽古場にお弟子さんたちが来る時間ではない。けれど、どういうわけか稽古場の襖が空いていて、中からは光が漏れている。気になったあたしはどうせ前の廊下を通るからと、少しだけ中を覗き込んだ。

 

「……あ、美竹さん」

 

「……早いですね」

 

 うちの流派に属する人たちは殆どが30代かそれ以上の年齢を重ねた人が多い。それがどういう経緯かは知らないが、どうも若い人は入りにくいらしく、それこそあたしが小さい頃稽古をしている時なんてのは、自分よりも一回りも二回りも歳上の人しかいなかったものだ。それこそ『蘭ちゃん』『蘭ちゃん』なんて可愛がられた覚えがある。

 だが、今部屋で粛々と剣山に刺された花茎と向き合う彼は、唯一と言って良い、あたしと年齢の近い会員であった。歳こそあたしの一つ上の彼は物腰も柔らかく、乱暴な言葉遣いはしない。それでいてどうやらあたしと似たような境遇を家長より押し付けられそうらしい。あたしとはある意味で似ていて、正反対だった。

 

「……どうも。稽古って、7時半からですよね」

 

「まぁ。……でも、ちょっと、早く着いてしまったものだから、ね」

 

 この時間にはいたということは下手をすればあたしが着付けをしている時にはとうに生け始めていたのかもしれない。彼はトレーに乗った花々を様々な角度から見つめながら、優柔不断を体現するように慎重に花を選ぼうとしている。このペースで生けようとしているということは、多分だけれど、相当の時間が経っているだろう。

 

「……あっ、邪魔したら悪いから、失礼しますね」

 

「え? 気にならないから良いんだよ。何だったらむしろ居てくれた方が」

 

 どうせ稽古の時間は変わらないからと立ち去ろうとしたのだが、引き止められてしまった。あたしがこの部屋に居たところで、別に人様に教えられるほど自分が優れているとはとても思わないし、本当に言葉の通り邪魔をするだけなのだが。

 

「あたしがいて、良いんですか?」

 

「話し相手が欲しくて」

 

「話してたら進まないじゃん……」

 

 話してなくてもこのスピードなのに。この人は何を間抜けなことを言っているんだ、なんて仮にも歳上相手だけれど、心の中で少し呆れていた。

 

「話していると、作品に邪念が混じるからね」

 

「……余計にダメなんじゃ」

 

「いやいや。むしろ……1人でしていても、先生の真似にしかならない」

 

「父さんの……ね……」

 

 流派が決まっているということは、ある程度前例や流派の大事にしている概念を踏襲すれば良いから、真似ができる点では楽とも言える。だが、ただ前例を模倣し続けるだけではいけない。完全に模倣をし続けるだけでは他者の盗作に過ぎず、そこにさらに自分自身の感性を植え付けていかないといけない。盗作と模倣は全くの別物だ。

 流派に縛られると、模倣から独創性を加え続け、自らの作品を作り上げるところに難しさがある。あたしとて過去にも何度も我を作品に加えることで悩んだ。作品が独りよがりになってもいけないのだから、非常に難儀な世界だ。

 それを理解しているからこそ彼の言う言葉の意味はさっぱりである。邪念が混じり過ぎては、それはまるで意味をなさないから。

 

「自分の想いとか、考えとかを華で表現しようなどというのが、僕にはよくわからないものだから、雑念混じりの作品ぐらいの方が丁度いいんじゃないかって」

 

「……なんで華道の道に来たんですかそれ」

 

 そんな気持ちでこの道に来るのであれば、小さい頃から半ば無理やりにやらされているあたしとこのポジションを代わってほしいぐらいである。だが現実的にはそれは不可能だから、尚のことこういう適当な考えで来られるところに腹が立つ。

 

「……まぁ、強制された嗜み、というやつだね。僕はあくまで俳人なんだけど、ね」

 

 今までは、歳こそ近けれど、それほど込み入った話なんてのはしたことがなかったものだから、てっきりあたしは彼の親も華道関連の何かなのだろうと思っていた。でも、そういうわけではなくてあくまでも彼にとって華道は趣味の範疇とかでしかなくて、そういうことならば余計に立場を逆にしたいと思った。

 

「俳句、ですか」

 

「うん。楽しいよ」

 

 文字を扱うのであれば、あたしがAfterglowの歌詞か何かを書くのにも通じるような気がする。5・7・5なんて縛りがあるけど、文字数の縛りなんてのはあたしだって歌う時に問題になるから気にしたりはするし。

 

「生けるの休暇しようかな」

 

「やっぱりあたし邪魔してます?」

 

「いやいや、元から稽古の時間ではなかったから」

 

 本当に家に早く着いてしまっただけらしく、優柔不断で悩んでいた彼は意外にも早く今まさに刺そうとしていた花をトレーに戻した。

 

「生花漬けなのもね。俳句詠んでみる?」

 

「でもあたし、俳句とかやったことないんですけど」

 

「誰だって最初はそうだから。分からなかったら単に七五調に季節の風物詩を乗っけるだけでもいい。それこそ、お花とか、ね」

 

「……桜とか? あ、でも旧暦だと今は夏か」

 

 あたしは土壁の間に抜けた格子窓の奥に見える、葉桜になろうとしている桜の木の幹を見ながらそう呟いた。4月も半ばに差し掛かり始めて、都内の桜はほとんどが吹雪となって地に落ちてしまった。庭を彩っていたピンクはほとんどが色を落とした。

 

「んー。俳句でいう春は立春から立夏の前の日までだから、4月の桜は春の季語だよ。もう庭の桜はほとんど散っちゃったみたいだけどね」

 

「……じゃあ桜で1つ、詠んでみてくださいよ」

 

「えー。美竹さんが僕の代わりに生けてくれるなら」

 

「それならいいです」

 

 そこまでして彼の俳句を聞きたいわけではない。そもそも俳句を即興でポンと作るのと、あたしがここから一つの作品を生けるまでじゃ、時間の手間と暇が違いすぎるだろう。それはちょっと不公平だと思った。

 

「俳句ってのは、詠みたくなった時に詠めばいいからね。美竹さんだって、歌いたい時に歌うでしょ?」

 

「確かに……。って、え?」

 

「ん? どうかした?」

 

「……もしかして、あたしがバンドやってるの、知ってるんですか?」

 

「うん。ライブも行ったことあるよ? カッコよかった」

 

「え、ええぇぇっ?!」

 

 しまったと思った時にはもう遅い。あまりに衝撃を受けて思わず大きな声を出してしまう。ちょっと行ったところで父さんたちはまだ集まりで難しい顔をしているだろうから、予定を無視して集まりから抜け出しておいて、これは怒られると思ってあたしは焦った。

 

「ちょっ、あたし行くんで」

 

「僕を巻き込んどいて逃げるつもりなのか……。というか廊下から行ってもすぐ見つかるんじゃない?」

 

 廊下に逃げようとしたあたしの手を取ったのは、彼だった。

 

「え?」

 

「折角だし、このまま庭の方行こうか」

 

「わわっ」

 

 和装で歩くのは慣れてないわけではないけど、流石にあたしは足袋だから履物なしに外に出て行くなんて無謀なことはしたくなかった。けれど、彼は見かけによらず強引にあたしを庭先の方に連れ出す。

 

「ど、どこ行くんですか?」

 

「まぁ、とりあえずその場凌ぎでも隠れておけば、他の出席者もいる手前先生も無闇に探したり、口煩く言ったりしないだろうし、一旦隠れようか。歩ける?」

 

「は、はい」

 

 この部屋からすぐ出たところじゃ、部屋に入られた瞬間に見つかるし、とにかく暗くなり始めた庭の方に行こうか、なんて彼はあたしの手を未だに握りながら歩き始めた。

 

「……いたっ」

 

「そっか、足袋だもんね。……ちょっとだけ、ごめんね」

 

「え、わっ」

 

 暗くなって足元の見えていなかったあたしは気がつかずに尖った石を踏んだ。その声を聞いた彼はどういう了見だか知らないけど、あたしをまるで姫のようにそっと担ぎ上げてしまった。線の細いと思っていた彼にいきなり持ち上げられたことと、突然そんな現実離れした何かが起こった衝撃で、あたしの頭からは言葉が飛んだ。

 

「少しだけ我慢してね」

 

 そう言ったまま彼は庭の低木の近くまであたしを運ぶと、彼の羽織を脱いで草地に敷いた。

 

「気にせず座って良いよ」

 

 正直これを敷いたとて着物が汚れそうな感は否めないが、立っているわけにもいかなかったあたしは彼の不器用な好意に甘える。稽古場からは少し離れて、時間帯的に外も暗さを増してきたから、余程探しに来ない限りは見つからないだろう。

 

「……そこまでして逃げることなかったのに」

 

「ごめんね。目の前でそんな無謀な逃走するのを無視するのもって思ったら。流石に嫌だったよね」

 

「……別に。嫌なんて言ってない」

 

 確かに抱えて逃げる過程であたしの体に触れられたのは少し気恥ずかしいが、そんなに嫌だったわけではない。そもそも面倒ごとになるのを避けて逃げようとしたのはあたしだし。ここまで逆に逃げることになるとは思ってはいなかったが。

 わざわざ庭にまで逃げてきてしまったものだから、低木の影の草地の上に、着物姿で腰掛けているなんて、普段なら考えられない絵面ができている。しかも、足の裏は石を踏んだりしたせいで痛いし。こんなことなら諦めて集まりから逃げ出さずにずっとみんなの前で静座しておけばよかったかもしれない。

 

「……というかお花そのままにしてきちゃったや」

 

「……あ」

 

「ま、その時は先生に怒られよう」

 

「開き直ってるし……」

 

「逃げ出した時点で今更だよ」

 

「……そうだ。え、なんでAfterglowのこと知ってるんですか?」

 

 逃げ出した原因を辿っていけば、あたしがバンドをやっているなんてことを不意打ち的に言われて思わず叫んでしまったことにあった。あたしにとって華道の世界とバンドは完全に別れているから。作品のためのモチベーションになることはあっても、人付き合いや人間関係では決して交わらない。だからこそ驚いたのである。

 

「先生に美竹さんと仲良くなりたいって相談されてね。ならもう差し入れだけじゃなくてライブに兎に角通い詰めたらいいんじゃないですかってアドバイスしたんだけど、そうしたら僕もって誘われてね」

 

「……父さん」

 

 そうか、あの親バカ気味の父さんの差金か。バンドを続けることに理解を示してくれるのは有難いけど、毎度毎度ライブに来るのは恥ずかしいからそれはそれで辞めて欲しいとは思っていた。というか父さんがライブに通い詰めるようになった原因の一端にはこいつも絡んでいるのか。さっきまでは最低限の歳上への敬意のようなものを持っていたが、そう考えた瞬間、そんなものを持っていた自分がアホらしくなった。

 

「僕はいいと思うよ。自由で」

 

「……まぁ、父さんに何か言われることは減りましたけど」

 

「ちょっとだけ羨ましいな」

 

「え?」

 

「いいや、独り言みたいなものだよ」

 

 暗がりでもその顔の向きはどこか遠くを見つめて物思いに耽っていることはよく分かった。そういえば彼だって、ある意味ではあたしと同じ被害者のようなもので。プライベートにはこれまでそんな踏み入ることなんてなかったから親近感を抱くことなんてなかったけど、なんだか彼の気持ちのほんの一部が分かるような気がした。

 

「……親が俳人とか?」

 

「まぁ、そんなところだね。俳句は華道みたいに流派って概念はないけど、それでも親がその道を志してると親は無意識のうちに自分の子どもにもその道を歩ませようとしてくるんだよ」

 

 そう言われると改めて自分の境遇のありがたみがとてもよく分かった。父さんは美竹流という代々受け継がれてきた華道の一つの系譜をあたしに継がせることも考えているはずだ。その中でバンドを続けることに少なからず理解を示し、応援までしてくれる父さんは、彼の家に比べればずっとマシかもしれない。上には上がいるし、下には下がいるとは分かっていても、どうしても自分が可愛く見えるから、悲観的に酔い、無意識に反発しようとしているのだ、多分。

 

「Afterglowとして活動する美竹さんのことは、先生から聞いたことしか知らないけど、そんな華道だけじゃない美竹さんがあるというのは、僕はとても良いことだと思うよ」

 

「華道だけじゃない……、Afterglowとしてのあたし?」

 

「なんて言っても、僕は欣羨の文句を吐き続けてるだけだから、何も格好つかないけど、ね」

 

 そう呟いた彼は、障子の和紙越しに光が透過している離れを見つめていた。そこはあたしにとって美竹流の継承者たらしめるあたしを形作ってきた場所で、謂わばあたしはそこでこの看板を背負い続けているのだ。今こうやって、自分が看板を背負わざるを得ない部屋から抜け出して、それでいてその華道の源泉たる自然に逃げ込んで、あたしにはいつも通りが分からなくなってしまった。

 

「……俳句は、やめたいんですか?」

 

「いいや? そんなことをしたら僕からは何もなくなっちゃうよ」

 

 乾いた笑いはあたしにも通じるところがあって、僅かに身震いした。あたしがその看板を投げ捨てれば、いや、あたしから華道を完全に取り去れば、Afterglowに生きるあたしはあたし本来の、いつも通りのあたしになれるのだろうか。

 

「僕だって、惰性で俳句を続けてるわけじゃないからね」

 

「あ、そうだったんですか?」

 

 話を聞いている限りじゃ、あたしみたいに押しつけられた風流を究めることに反感を持っているものだとばかり思っていたから、その一言はあたしの心に深く突き刺さった。あたしの華道のいつも通りは惰性になっていやしないか。そう聞かれて仕舞えば、あたしはまず間違いなく言葉を濁す。

 

「でも自由になりたいんじゃ」

 

「自由にはなりたいよ。でも、その代償に俳句を捨てるぐらいなら、自由は要らない」

 

「……意味がわかんないです」

 

 さっきから話がチグハグすぎる。強制された嗜みに嫌気を差している、みたいなことを言い出すかと思えば、今度は自由になれない嗜みは不可欠だと言うのだ。もしかすると彼はその場その場で適当なことを言っているだけなのかもしれない、そんな風にすら思えた。

 

「僕は俳句で自由が阻害されるとは思っていないからね。美竹さんは、華道があるから自由を感じないのかい?」

 

「……わかんないです」

 

「花を生けることは嫌いかい?」

 

「……別に」

 

「なんで、美竹さんは華道が嫌なんだい?」

 

「……嫌なんて、一言も」

 

 耳元で浮遊する虫たちよりも煩わしかった。彼に何がわかるというのか。例え似たような境遇とはいえ、あたしはバンドもやってるし、華道だって真剣にやっている。それをどうして部外者に散々に言われたりできようか。

 

「まぁ美竹さんの口からは聞いてなくとも、先生からは色々と聞いているからね」

 

「父さんのせい、か……」

 

「華道に向き合うって言うけど、反発してばかりだ、なんてのはよく聞くね」

 

「……あたしは、その」

 

 上手く言葉が纏まらない。どうして華道を嫌に感じてしまう時があるのか。それはAfterglowのみんなといつも通りが送れないからなのか? いや、華道があったとしてもいつも通りは送れているし、Afterglowにだってあたしの花は生きている。だとすれば、華道の何が嫌なのか。それは。

 

「あたしが……美竹、蘭だから」

 

 突き詰めて言ってしまえば、そこに帰着する。あたしが邪魔に感じてしまうのも、あたしにはその看板を背負う自信も、勇気もないから。いつも通りという言葉で日々を覆いながら、華道をあたしの日常生活の一部に昇華させたいと思いながらも、あたしの未来にある、その看板を背負わない可能性を捨てないようにしていた。父さんがどうしても継いでくれと言うようなら、あたしはその名前を受け継ぐ選択を取るかもしれない。けれど、そこでその選択を取らない可能性を残しておきたいのだ。

 今まではそれをずっと心のうちに留めて、誰の目にも触れないようにしていた。だからこんな風に誰かに打ち明けることなんて、考えてはいなかった。思わず口に出してしまったことを後悔したけれど、時既に遅し、抑圧していたからこそ、我慢が出来なかった。

 

「あたしは、……父さんの娘、いや。美竹先生の継承者って見られるのが、ずっと、辛かった……。小さい時はAfterglowのみんなと一緒に居る時間が減るってだけで華道を毛嫌いもしてたけど、今は、美竹の名前を背負うのが、怖い……」

 

 あたしは定まってしまうかもしれない未来が怖かったのだ。いつも通りを大切にしながらも、いつも通りでは居られないということをAfterglowで知ったからこそ、逃げ場がなくなることが怖かった。華道はあたしのそれ以外の部分を縛るから嫌いなのではなくて、あたしの中の華道の部分そのものを縛ってしまうから、嫌気が差してしまっているのだ。

 

「美竹流……ね」

 

 あたしは華道が嫌いではなかった。じゃあ今はなぜ華道と向き合えないのか。それはAfterglowのみんなとのいつも通りに囚われているからではなくて、華道の内実と向き合えていないのだ。

 

「美竹さんにとって、花って何かな?」

 

「……え?」

 

「花。なんでもいい、それこそ君の名前である、蘭の花でもいい」

 

「あたしにとって花は……。生花で使ったりとか、歌のテーマにしたりとか」

 

「うんうん。僕も花を詠むこともあるし、そんなところかな」

 

「……それが何か?」

 

「花と言われて思い浮かべた花は色んなものがあったんじゃないかな」

 

「それは、まぁ」

 

 ただ漠然と、花、としか言われていないのだから。当たり前だと言ってやりたい。勿論彼があたしの名前を持ち出したからこそ、胡蝶蘭なんかの蘭を思い浮かべはしたけど。

 

「僕は先生が、……美竹さんのお父さんやお母さんが何を考えて、美竹さんの名前をつけたかは聞いたことがないし、推測でしかないけどね。ランというのはものすごい種類がある。どれくらいか知ってる?」

 

「まぁ、……知らないですけど」

 

「僕も詳しくは知らないんだけどね」

 

 揶揄っているのかと睨みつけようとしたけど、あたしの奥に広がっているどこか遠い空を仰ぎながら言葉を紡ぐ彼の表情を見たら、言葉を発することはできなかった。

 

「世界中にランは自生してる。だから種類なんて数えてられない」

 

「……何が言いたいんですか?」

 

「一口にランと言っても、一つには定まらないんだよ」

 

「……うん」

 

「華道でも、作品によって使う花の種類も、刺す場所も向きも違う。一つには縛られない」

 

 生ける花が一本違えば見た目からして一変する。向きも然り、位置も然り。

 

「そんな傾向の一つを美竹流って呼ぶだけで、他だって素晴らしい作品だ。そうでしょ?」

 

「そう、かも」

 

「先生の指し示す道に縛られすぎないで良いんだよ。それこそ君はバンドという道にだって踏み出そうとしたじゃないか。……なんて、僕が言っても説得力はないけどね」

 

 振り放け見る彼の瞳には何が映っているのか、それは分からない。けれど、彼の飄々とした優しさがあたしに微笑んでいた。誰かにそっと手を引いて欲しかったんだ。

 

「……ううん。ありがとう」

 

「どうしても美竹流を継がなきゃならないなら、僕が継いであげよっか?」

 

「……ぷっ。まだまだあたしの足元にも及ばないのに?」

 

「これは一本取られた」

 

 あたしの胸にのしかかっていた重りを急に外されたように、あたしの肺は新鮮な空気を吸い込んだ。

 何かから解き放たれた感覚がした。それまでずっと、華道の世界にいるあたしは美竹蘭であって美竹蘭ではなかった。散々反発しておきながらも、あたしの全てをまるで否定してしまいそうで怖くて反発出来なかったのだ。けれど、どんなあたしだって、あたしだ。自分の好きなように、花を生けるのだ。

 

「さて、帰って先生に怒られようかな」

 

「あたしも怒られに行きますけど」

 

「娘さんを傷物にしてごめんなさいって」

 

「やっぱり1人で怒られてきてください」

 

 ずっと心の端で流れ出さぬように溜まっていた涙の筋は、暗くなり終えた春の空の下で乾いていった。表情には自然と笑顔が綻んでいた。移り変わらぬものなどない。いつも通りはいつも通りとは限らない。一瞬だけ心の隅に湧いた仄かな香りも移り変わるものだと思っておこう。

 あたしは光の揺蕩う花園へ、一歩足を踏み出した。一つ大人になった気がした。

 蘭が咲くのが待ち遠しい。

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