ガールズバンドたちのBirthday   作:敷き布団

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【湊 友希那】猫のように気まぐれな君と

 思えば、これまで私が音楽に類するもの以外にここまでの興味を示したのは初めてだったのかもしれない。

 幼い頃から父の音楽に憧れを抱き、己の持てる力の全てを音楽に注ぎ込んできた。Roseliaが誕生してからも、音楽という道に転がっているものしか見た覚えはなかった。学校の勉強はてんで興味がなく、にゃーんちゃ……猫との戯れこそインスピレーションを与えるための手段として有効活用はしているものの、やはり私のほぼ全てを構成しているのは音楽だった。端的に言えば、音楽以外のものの尽くに疎かったわけである。

 だからこそ、これから先も自分は音楽というものにおいてのみ生き続けるのだと考えていたし、だからこそ、今の私はまるでハンマーで頭を殴られてしまったような衝撃に恐れ慄いている。

 あれから私の中の歯車は大きく狂い出した。恋愛などという不確実極まりない無秩序な歯車のせいで、私はこうして静かに涙を流すこととなっているのだ。

 

 

 

 

 

 私の初めてでかつ唯一の恋人と交際が始まったのは、実に今年の初め、いや去年の暮れ頃だったろうか。正確なことは覚えていないが、そんな頃だった。幼馴染というほどには付き合いも長くないが、そこそこの仲の良さを保っていたし、交際というものに発展するのは当然だったのかもしれない。そこにはリサが大きく絡んでいるのはいつもの通りかもしれないけれど。

 とはいえ、お付き合いしていようが特段変わったことがあるわけではない。強いて言うなら、今のように互いの家を行き来する機会がやたらと増えたことぐらいか。それでも各々好きなことをして時間を過ごすことが殆どだし、戯れの類は数えるほどしかないかもしれない。

 恋人同士の関係でそれがおかしいのかと問われると分からない。少なくとも私はこんなものでもいいだろうと思っていた。猫が甘えたがる時のように、そういう気持ちが湧いて出た時に戯れをすればよい。彼もそんなスタンスだし、それなら自分もそれでいいだろう。

 以前リサに問われてこう答えた時はたいそう驚かれたものだ。リサの中では恋人なら、二人だけの時は常にベタベタとしているとか、そんな甘酸っぱいものらしい。少なくとも彼と私の間でそれは考えられそうもなかったのだった。

 

「……くしゅん!」

 

 彼の部屋で考え込みながら寝転んでいた私は、唐突に感じた肌寒さにびっくりしてくしゃみをした。ベッドの上で大胆にも寝転んでいたものだから、くしゃみの勢いで上体を起こしてしまって、すぐに柔らかな敷き布団へと倒れ込んだ。

 

「友希那寒いの?」

 

「大丈夫よ」

 

「そっか」

 

 私のくしゃみを聞いて一応は心配したらしい彼は、手元の本から目を離したが、私の無事を確認して短い返事だけを返すと、すぐに視線を本に戻した。いつもならこんなものか、という雰囲気で終わらせていたはずだった。

 だけど、なんだか私はそれが無性に気に入らなかった。理由が明確にあるわけではないけれど、ただ無性に。そして、ゆらゆらとベッドから立ち上がったのだ。

 幸いなことに、彼は私が立ち上がったことにすら気がついていない。音もなく体を起こしたからかもしれない。けれど、気配の一つも感じ取れないほど自らの気配を消したつもりもなかったし、できることならば気がついてもらいたかった。そんな自分に都合の良い我が儘を垂れながら、彼の背後を取った。残念なことに、彼は未だに短編小説集に見えるその本に夢中であった。

 

「……ねぇ」

 

「うわ、びっくりした」

 

 声をかけるよりも先に体が動いていて、私は背後から彼の首筋に指を這わせ、間髪入れずに体の前の方へと腕を回した。彼が椅子に座っているのを良いことに、遠慮なく私は体重をかけ続けた。思いの外勢いが強かったのか、私の視界を銀の毛髪がたがい違いに舞って、彼の頭を何度も隠した。

 いくらなんでも、流石にそこまで私に好きなようにされたら彼も気がつかないわけもない。ただ、いつものごとく反応はどこか淡白で、驚いているというのも口先だけのような気がしてきた。

 

「友希那、どうかした?」

 

「いいえ、別に」

 

「そう」

 

 多分、いや間違いなく私は今、彼に悪戯を仕掛けようと思っていたのだろう。悪戯とは名前を借りただけの恋人なら普通に行われるはずの戯れである。私にはあまりに愛らしい表現は似合わないだろうから、なんだったら恋人なんて関係性もそぐわないだろうから、自分でも意識をしないためにもこうして変な表現で納得させているのだ。

 だが、彼は知ってか知らずか、私の行動の意味を全く知らないらしい。現にここまで私が大胆にもスキンシップをしているというのに、私が淡々と返事をすれば、何事もなかったかのようについ先刻をもう一度なぞり始めるのだ。

 それが悔しいのか、腹が立つのか、どういう感情なのかはあまりに疎い私では皆目見当もつかない。だが、私は徐々に腕に込める力を強くしていく。それで彼が流石に反応を示すだろうと。

 それでも彼はさして反応もしてくれない。私が非力すぎただけかもしれない。決して彼が窒息で昏倒しているわけでもないし、そうだとすればここまで力を込めているつもりなのに無反応なのは、彼からすれば蚊に刺された以下の外的刺激でしかないということだ。

 

「ん……はぁ」

 

 やがて先に疲れが来てしまった私は、諦めて彼の首から腕を解く。それで彼の方もチラリとだけ後ろを、私の方を確認した。けれど、疲れ切って、飽きてしまった私は彼の浮かべる不思議そうな表情を一瞥して、彼の空のベッドの方へとすたすたと帰ってしまった。

 どうしてこんなにも無反応なのか、という気持ちは当然あった。リサが言うには、女性がここまで激しく体の接触を交わせば、それは恋人たちにとっては始まりの合図らしい。何が始まるのかは詳しく教えてもらえなかったけれど、愛情を酌み交わす時間が始まることと同義だとかどうとか。

 果たしてそんな一般論じみた論理は私と彼の間に成り立つのだろうか。リサも私たちな過ごす時間を異端だとか言っていた気がする。ならば、きっと私たちの関係性はこれとは程遠いものであるのだろう。現に彼が私を求めて私の手を握ってくれる時も、私が眠たい時はそのまま寝たりすることもあるし、むしろ握り返したりする方が稀である。

 

「んぅ……」

 

 でも今の私はどこか不満だった。それでいいと、なあなあにしていた頃の自分ではないらしい。その不満をぶつけるかのように、彼の髪の毛が二本ぐらい落ちた枕に顔面を埋めた。先程まで私が乗っかっていたはずなのに、その表面はどこか冷たかった。

 どうして私は今、彼ともっと戯れたいと思ってしまったのだろうか。それは今の私にはまるで分かりそうにはなかった。

 

 

 

 翌朝。自室のベッドで仰向けに寝ていた私の目はごく自然に目覚めた。いつもだったら朝の目覚めなんてのは少々憂鬱を感じる程度には朝が苦手なのだが。一瞬夢の世界かと疑いを持ったけれど、どれほど左右を見回しても家具や雑貨は私の部屋だということを証明していた。

 窓の外の街はまだ眠っていた。東の空が僅かに赤くなりそうな予感を孕んでいるだけで、その下々はどこかしこも灯りのない姿をしていた。それは私の部屋とて例外ではなくて、私のお隣も右に同じらしい。いや、リサならもしかしてこんなに早い時間であったとしても起きているのかもしれない。普段からこういう時間に起きて、朝にご飯を作ったりだとか、そんなことをしている偏見もあった。

 私は寝巻きのまま一階に降りる。当然この時間に起きているのはこの家でも私だけで。若干の肌寒さを感じながらも私は家を出た。向かう先は一件隣の幼馴染のもとで、貰い受けた合鍵を堂々と使っていた。この時間に人様の家に上がり込むのは少々後ろめたくなるけど、リサだからと言い訳をして私は家に上がった。

 

「リサ」

 

 一応ノックをしてリサの部屋に入る。返事はなかった。静かにドアを開けると、その部屋はまだ暗いまま。外の明かりがまるでないのと同じように、この部屋も未だに真っ暗なのだった。

 ただ、奥の方から人の気配はしていて、それは紛れもなくこの部屋の主人だった。まだ夢の世界を彷徨っている幼馴染を起こすのは忍びないと思いつつも、私は枕元にまで忍び寄った。

 左を向いて静かな寝息を立てているリサの姿を見てひどく安心した。起きていたとすれば、それこそお化けが出たと思われたがごとく大騒ぎされるに違いない。

 そして私は、何の遠慮もなく、何の許可も得ずに、リサの布団に入り込んだ。当然リサの部屋のベッドは一人用だから、少し狭くはあるけど、小柄な私にとっては大した問題ではなかった。冷たい外気を布団の中に持ち込むのは大いに反省しつつ、私は図々しくもリサの横に添い寝する形でベッドインするのだった。

 

 それからリサの動きがあったのは数十分ぐらいした頃だったろうか。隣でもぞもぞと動き出したリサに気づいた私は一足先に覚醒した。どうやら眠りが浅かったらしい。

 

「んんぅ……?」

 

 リサは寝返りを打とうにも打てない違和感を覚えたらしく、寝ぼけ眼を擦ろうとしているのが横目で見えた。リサと私の今の距離は実に十数センチ。自分のパーソナルスペースを満たす空虚さに朝方から気分が落ち込みながらも、もうすぐ目覚めるであろうリサの反応を待った。

 

「んぇ……?」

 

 視界が明るくなってきたのだろうか、多分隣で添い寝をしているという、端的に言えば意味の分からない状況にあるリサも、目の前の状況を少しずつ咀嚼しているのだろう。リサは何度も何度も目を擦って、そこでようやく私がいることにはっきりと気がついた。お化けが出たとか、それこそ金縛りに遭っただとか、大騒ぎされるかもしれないとも思っていたけれど、意外とリサは冷静だった。

 

「ゆきなぁ……?」

 

「おはよう、リサ」

 

「……なんでいるの?」

 

 きっと今頃、リサは自分が夢でも見ているのではないかと錯覚しているのだろう。現に、自分のほっぺたを何度も引っ張ってみたりしているようだけど、その度に目をパチクリとさせていた。

 やがてこれが本当なのだと悟ったリサはのそのそと起き上がり、伸びをしていた。私もどうしてここにいるか、なんていうリサの質問に答えない意地悪をしていたものだから、多分リサは余計に手持ち無沙汰になっていたのだろう。

 

「って、まだ七時前じゃん。友希那今日は朝早いんだね」

 

「えぇ、太陽が昇る前には起きていたかしら」

 

「明日はこれは雪でも降るのかな……」

 

 物珍しそうに朝から活動的な私を見て呟くリサ。失礼なことを言われてはいるような気がするけど、事実として私がこの時間に起きているのは珍しい。基本的には朝はいつも私が起こしてもらう立場なのだ。なんだったらリサにお世話をされていると言っても過言ではないのかもしれない。

 そんな私が早朝からベッドに入り込んでいたものだから余計にリサとしては何かがあったと思ったのだろう。物凄く深刻そうな顔色のまま、こちらの表情を覗き込んできた。朝、寝起きの状態のリサの深刻そうな表情というのはかなりレアで、本当に調子が悪いのはリサの方なのではないかと疑ってしまうほどでもある。

 

「何かしら」

 

「……ううん、何かあったんだなって」

 

「流石ね」

 

 まだまだ寝惚けていてもおかしくはない時間帯と状況。それなのにリサは私の今の心理状況を細かく理解してくれているらしい。これぞ幼馴染、十数年の付き合いの賜物なのだろうか。

 言葉数少なめの私を見て、リサは大きくため息をついた。そして、私に部屋で待つように伝えると、急いでリビングの方に降りて行ってしまった。

 一人部屋に残されて何もすることが思い浮かばなかった私は、先程まで二人で眠っていたベッドに再度もぞもぞと潜り込む。足先は冷えてもおかしくないこの時期、布団の中の空気は形容し難いほどにあったかい。先程まで二人分の睡眠を保守していたのだからその布団が暖かいのは当然として、自分が欲しいものを仮初でも手に入れたようで、心まで満たされていたのだ。それでいて、なお空虚だった。

 数分もしないうちにリサが戻ってきた。その手には薄水色のお盆と、その上にマグカップが二つ見える。リサはマグカップをローテーブルに置くと、布団の中で縮こまる私の隣に座っていた。

 

「飲んでもいいのかしら」

 

「うん、友希那のために淹れてきたんだから、飲んでくれないと困るよ?」

 

「そう、頂くわ」

 

 マグカップからは湯気が上がり、部屋の景色を歪ませている。中に入っていたのはホットミルクで、マグカップ自体もどこかほんのりと熱を持っていた。

 

「落ち着くわね」

 

「でしょ? ゆっくり飲んでね、火傷しちゃうから」

 

 リサに諭される通り、私はゆっくりと時間をかけて喉にミルクを流し込む。先程までカラッカラだった喉が急に潤うような気がした。そういえば今日は自分の部屋で目覚めてから一滴も水分を摂っていなかった。ならば当たり前か。

 私はほとんど休みなしに飲み続けて、リサが手に持っていたものを飲み終えるよりも先にミルクをありがたく飲み干した。マグカップはお盆の上に戻し、再度布団の中に、巣篭もりのように帰る。そこでリサは自分が飲んでいた途中のマグカップをローテーブルに戻して、話をしようとしているのかこちらを覗き込んでいた。

 

「それで、友希那。何があったの?」

 

「いえ、別に」

 

「嘘でしょ? そうでもなかったら友希那がこんなに朝早くに起きることも、私の布団に潜り込むなんてこともないでしょ?」

 

 どうやら私のしょうもない自己満足は全てお見通しらしい。反射的に答えてしまったことを少し後悔しつつ、これ以上無駄に引き延ばしたとしても仕方がないかという諦めがついた。

 

「彼のことなんだけど」

 

「えっ? あぁ……。そっか、友希那には恋愛はやっぱりまだ……」

 

 私はまだ何の話をするかだなんて一言しか言っていないのに、リサは既に頭を抱えていた。その口ぶりから察するに、私に音楽以外のところに興味を持つのはまだ早かったとかそんなことを言いたいのだろう。それがどうにもこうにも複雑で、私は少々機嫌が悪くなったような気がした。

 

「それで、友希那」

 

「え?」

 

「別れるなんてのはきっと尚早だから、一回考え直した方が……」

 

「別れる? 何の話?」

 

「えっ?」

 

 布団の中に寝転がりながらこんな話をするというのも変な話かもしれないが、私は変な話をし始めたリサに向かい直る。リサは私の言っていることをどうやらひどく勘違いしているらしく、毛頭もなかった別れるなんて話に持って行こうとしていた。

 

「えっと、じゃあ、何かがあったのって」

 

「別に、彼と別れる予定はないわよ」

 

「よ、よかったぁ……」

 

 私がリサの勘違いを訂正すれば、リサは力なく後ろに手をついて天を仰いでいた。とは言っても見えるのは天井だけで、強いて言うなら部屋の側面につけられた窓の外では朝の到来が騒がしくなってきていた。

 

「リサは早とちりしすぎよ」

 

「ごめんごめん……。えっと、それだったら一体何が?」

 

「えぇ、私は彼ともっと戯れたいのだけれど、何かいい手段はないかしら」

 

「え? 戯れ?」

 

「だから、恋人同士でするような戯れをしたいだけれど、私が迫っても彼からの反応は冷たいのだけど、何か良い案はないかしら」

 

「えっ、えっ、えぇっ?!」

 

 私が胸に突っかかっていたモヤモヤ感を全て吐き出した時、リサは鼓膜を突き破るぐらいの大声と一緒にこちらに振り返って、ずいっと迫ってきた。まだ眠っている人もいるかもしれないような朝の時間にここまでの騒ぎは近所迷惑なのは百も承知だが、それほどまでにリサの予想をはるかに上回ることだったのだろう。

 横向きに寝転がったままの私の肩を握りしめたリサが私を何度も何度も大きく揺さぶった。どこからどう見ても、リサの困惑っぷりは単なる動揺だとか、そんなレベルで収まっているものではなかった。

 

「ゆゆゆ友希那?! どういうこと?! 大人の階段昇っちゃったの?!」

 

「大人の階段? どこの階段よそれ」

 

「そういうことじゃなくて! ……え、えっと……その、しちゃった……?」

 

 しちゃったのかどうか、そこだけ聞かれても何の話かは分からないが、多分文脈的に戯れを既にしているのかどうかということを聞きたいのだろうか。やたらとリサは噛み噛みの口調で、表情もどこか赤く染めながらで話しているのだが、どこでそんな緊張をするようなことがあったのか。

 

「しようとはしたけれど、二人で一緒のタイミングでしようとはならないから困っているのよ」

 

「そっか……そうだよね……。友希那も……女の子だもんね……。そういうのに興味が出てきたら変っていうお年頃ってわけじゃないんだよね……」

 

「何の話よ」

 

 リサはどこか遠いところを見つめるかのように力ない瞳で焦点も合わずに外の景色を眺めていた。何かリサにも思うところがあるのだろうか、私にはよく分からないけれど。

 

「ううん、こっちの話。友希那はアタシが思ってる以上に大人になってたんだなって……」

 

「当たり前じゃない。それで、どうやったら彼の読書をやめさせられるかしら」

 

「……へ? 読書? 読書って本を読むで読書?」

 

「そうよ。私が後ろから抱きついたとしても本を読む手をやめないから。リサなら私が何かすればすぐに反応を返してくれるというのに」

 

「……え?」

 

 その瞬間、リサの反応が今度はフリーズした。まるで何も受け付けなくなってしまった機械のように、思考が停止したリサはやはり焦点が合っていなかった。

 

「……友希那。友希那の言ってる戯れって何のこと?」

 

「戯れは戯れよ。恋人同士なら色々なことをするんでしょう? 手を繋いだり、ハグしあってみたり、……その、キスをしてみたり」

 

「……あぁ、良かった」

 

「えぇ? どういうことよ」

 

 リサは徐に納得したように深く首を縦に振るだけだった。キスという単語を言うのでさえ少し恥ずかしさを感じたのだが、リサの考えている戯れと私の思う戯れは違ったらしい。

 

「じゃあもう、当たって砕けるしかないよね!」

 

「当たって砕ける? つまりどうすればいいのよ?」

 

 先程まですっかり意気消沈していたはずのリサ。急に息を吹き返したかと思えば、リサは何もかも理解したように余裕の笑みを浮かべていた。

 

「今まで友希那がどんなアクション起こしてきたのかはよく分かんないけど、もう後は想いをしっかり伝えるだけだから!」

 

 リサのウィンクは寝起きであるということを忘れさせるほどの明るさを持って、私の背中を押していた。細かな小手先のアドバイスなんかを貰うよりも、私はもっと根本のところに立ち返った方が良かったのかもしれない。そんな風に思わせるリサはやっぱり私の空虚さを埋める仮初であり、暖かさを蓄えた幼馴染なのであった。リサの表情は、まるでリサに以前借りた恋愛小説で描かれた女の子のような表情へと切り替わっていた。

 

 

 

 幼馴染から保証をもらって数日、私はまた彼の家を訪れていた。いつもであれば、このドアを、この敷居を跨ぐことに対して、特段躊躇することなんてのはなかったのに、今日はどういうわけか、私の胸騒ぎに呼応するように、なかなか自分の足が踏み出せなかった。

 とはいいつつも時間は刻一刻と迫っているし、玄関の前でずっと立ち竦み、挙動不審という言葉がお似合いのやつがずっと佇んでいるなんて状況は良くない。これで警察に通報されでもしたら、出鼻を挫かれるだとかのものではない。

 彼と約束した時間は既に差し迫っていたもので、私は覚悟を決めて玄関を踏み越えた。いつもは軽かった足取りがやけに重かった。

 

「ん、いらっしゃい」

 

「えぇ」

 

 まるで儀式のように慣れたやりとり。これが普通であるかのように幾度となく交わされ、疑問も持たずに続けていた淡白なやりとり。それは自分たちの気まぐれさの象徴で、今の私からすればある種憎むべきものなのに、私は今日もそれがあったことをひどく喜んでもいた。

 

「どこでも座ってもいいよ」

 

 部屋に入って彼は開口一番、ベッドの方を指し示していた。それは多分、私の定位置のようになっているからなのだろう。私はいつも彼のベッドの上に寝転がって、静かな時間を過ごすことを楽しんでいて、その間彼は自分の椅子に腰掛けたまま本を読んだり、はたまた真面目なことに勉強に勤しんでいたり、思えば私たちは二人で何か同じことをしたというのはなかったのかもしれない。

 それが予定調和であるかのように、彼はベッドを指し示して、私の反応を見るよりも先にいつもの椅子に腰掛けていた。机の上には栞の挟まった、この間よりもさらに分厚い本が真ん中に鎮座していて、彼はそれを読むのに夢中になっていたのかもしれない。

 

「ねぇ」

 

「……ん? 座らないの?」

 

「えぇ、座るわ」

 

 いつまで経っても部屋の入り口に立ちっぱなしの私にようやく気がついたらしい。彼は多分私が言った言葉をベッドの上に座るものなのだと解釈したのだろう。けれど違う。私が言ったのはそう言う意味ではなかった。

 

「……え?」

 

「いい感じね」

 

 彼が驚くのも無理はなかった。だって、私は椅子に座る彼の膝の上に座ったのだから。これまで一度もしたことがないような座り方をされて、それはもう驚いているのだろう。焦ったように口をパクパクとさせている様もなんだか面白おかしく見えてきていた。

 

「えっと、友希那? なんで僕の上に」

 

「良い椅子じゃない」

 

「椅子って」

 

「あったかくて良い椅子よ」

 

 彼が何かを言いたげにはしているが、私は何も気にせずに彼の体の前に座り続ける。もしかすると、彼はこの机の上にある分厚くて、小難しい本を飲みたいのかもしれないが、私とてそれなりの覚悟を持って来ているのだ。そんな粗雑なことはさせたくなかった。

 

「重くないかしら?」

 

「まさか、友希那は軽いぐらいだよ」

 

「そう、良かったわ」

 

 最初、私は彼とは目を合わせずに、彼の体の向きと合わせて、同じ壁の方を向いて話していた。けれど、こうして暖かい膝の上にいるだけで自然とそれなりに考えてきた覚悟を伝える勇気が湧いて出てきたのだ。

 

「今日はあなたに話したいことがあるの、聞いてくれるかしら」

 

「話したいこと? 大切なことなんだね」

 

 私は小さく頷くと、腰を捻って、どうにか彼と正対できるように体の向きを変えた。その距離はとてつもなく近い。それこそこの間添い寝をしたリサとの距離感と同じか、それよりも近いぐらいかもしれない。思えば彼の姿をここまで近くで、それでいて正面から見たのは初めてかもしれない。

 

「えぇ、とても大切なことよ」

 

「友希那がここまで真剣そうな顔してるの、そんなに見たことなかったもんね」

 

 どうやら彼の目から見れば、私はかなり真剣な表情をしているらしい。私としては心穏やかに、リラックスしているつもりだし、普段ももっとキリリとしているつもりだから心外なのだけど。

 

「それで、聞いてくれるかしら」

 

「勿論。なんでも」

 

「二人でもっと、恋人らしいことをしないかしら」

 

「……え?」

 

 彼は大きく目を見開いている。そんなにも今の私はおかしなことを言ってしまっているのかもしれない。恋人らしいことなんてのは確かに自分でも言い出すのはおかしく感じられる。

 

「例えば……」

 

 私はすっかり大人しくなってしまった彼の両腕を取って、自分の背中の方へと回した。思えば、こうされることもそれほどなかった気がする。いや、私自身が自覚してなさすぎただけかもしれない。

 力の抜け切った彼の腕は軽く、簡単に私の背中へと回された。椅子に座り、その上から私がのしかかり、彼の逃げ場は完全に絶ったのだ。こうすれば猫は逃げられなかった。

 

「こちらを向きなさい」

 

「……友希那」

 

 辿々しい動きかもしれないが、私は半ば倒れ込むように彼に唇を差し出した。猫の戯れにこんな色めかしいことがあるのかは不明だけど、私の求めていた答えの一つがここにあった。

 彼は何も抵抗するでもなく、背中に回した腕で強く私を抱き寄せていた。私は倒れないように彼の腰を抱き抱えながら、初めての蜜の味を堪能することに全ての意識を注いでいた。

 

「……友希那って、大胆なんだね」

 

「んっ……。そうなのかしら。分からないわ」

 

 唇はやがて離れて、気恥ずかしさからか互いの視線がすれ違っている。ただ、私の頭は麻酔を打たれたようにぼうっとしていて、浮遊感に襲われていた。

 

「……特別だから」

 

 私はいつのまにか彼の膝の上で涙を流していることに気がついた。多分それは、自分の心の中に巣食っていたものをようやく解放できたことの達成感とかなのだろう。プライドの高い私は、自分の顔を彼の服に包み込んだ。

 それは、とても温かい。言葉だけでは言い表せないような満足感が私の空虚だった心の中を満たしていた。彼の手は未だに私の背中を離れずに摩っている。いつもならここには冷たい空気か冷たい布地だけだったものが、今日はとにかく温もりに満ちていた。

 私は今日も気まぐれだった。彼も気まぐれなのは同じだった。

 遠くの方で、猫が甘えて鳴いていた。

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