世間一般では、引きこもりと言われるとマイナスなイメージを持たれるかもしれない。家から出ない奴、誰ともコミュニケーションを取りたがらない奴。散々な言いようかもしれないけど、多分これは一定数過去の私には当てはまっている事実だった。
かつての私は狡猾にも、いや、利己的にも、自分の都合の良いように適度に引きこもって、自宅でのびのびと生活をしていたものだった。
盆栽と戯れ、ネットに蔓延る数多の情報群を流し読み、そうしているだけで時間というものはかなりのスピードで過ぎていく。敢えて学校まで赴いて、勉強をしたりしなくても、勉強なんてものは学校外でも出来るし、私は家の外に出る理由をあまり見出せないでいたのだ。私が家の中に居続けたのはそんなネガティブな理由であることに違いなかった。
『有咲ー! 会いにきたよー!』
私が部屋に引きこもって、少々センチメンタルな気分に浸っていると、玄関の方から私の名前を呼ぶ大声が聞こえてきた。多分どうせあいつだろう。今日はばあちゃんが出掛けてるから、インターホンを鳴らしても誰も出なかったのだろうか。
それはそうとあまりに大きな声で外から呼ばれるというのは近所迷惑云々の前に恥ずかしいからやめて欲しいのだが。それをあいつ、香澄に言えるわけもなく、私は大きなため息を漏らしながらのそのそと部屋を出た。
「あっ、有咲いた!」
「家なんだから当たり前だろ……、で、なんだ? ポピパの練習なら今日は休みだぞー?」
「遊びに来たよ!」
「ちょ、待てっておい!」
私を振り回して止まない香澄は、私の制止を聞くわけもなく私の横を素通りして家に上がってしまう。香澄が私が止めるのをそんなすぐ止めるわけではないということは分かり切っていても、一応でも声をかけてしまうのはやめられない。それをまるで様式美のように楽しんでしまう自分がどこかにいるのも考えものだが。
香澄は私を振り切る勢いで家に上がり込み、慣れたような動きで私の部屋まで一直線で駆け抜けていった。今日の家にばあちゃんが居なくて本当に良かった。居たら騒々しいことに巻き込んでしまっていたかもしれない。そういう不幸中の幸い的な事情に少しだけ安堵しながら、飲み物を冷蔵庫から取り出して、部屋にいるであろう香澄を追いかけた。
「香澄、もう少し慎み……って、本当すっごい寛いでんな……」
部屋に入るなり形ばかりの説教をしようとしていた私の口が止まる。というのも、既に香澄は私の部屋のクッションを複数積み上げて、そこに頭や体を無造作にのっけてベッドの縁にもたれかかっていた。その光景はどこからどう見ても自分の部屋レベルの寛ぎようである。仮にも不躾を怒ろうとしていた人間のそんな気持ちを削いでしまうほどなんてのは、相当な態度であるということは簡単に想像がつくだろう。
「有咲の部屋のクッション、本当に柔らかいよね」
「クッションだから硬かったらあんま意味ねーだろ? というか私にも一つぐらいクッション寄越せ」
持ってきた麦茶とコップをローテーブルに置くと、私は半分寝転がりそうな香澄の真正面に仁王立ちをする。だが、それでも香澄は臆することがないというのは当然のこと、どういうわけか一つのクッションを僅か数十センチずらしただけで、こちらを見上げながらニコニコしているのみである。それなりに怒りを見せている人にこれだけの笑顔を返すというのは相当な胆力がないと出来なさそうだが、それが出来てしまうのが香澄というわけか。
「……どーいうつもりだよ?」
「有咲もこっちおいでよ!」
「は、はぁっ?! そんなの……近すぎだろ?」
「えぇー、だってクッション二つある方が柔らかいもん!」
その香澄の口調は、まるでおもちゃを買ってもらえずにごねる小さな子どもを彷彿とさせる。それを良しとしてしまいそうなのは私の悪いところなのだろうか。いや、多分この香澄に何を言ったとて、いつも通りのスルー能力で流されてしまうに違いない。それで私が丸め込まれると言うのがいつものお決まりのパターンか。
いつもの自分の不甲斐なさを自覚した私は諦めてまたもため息を吐きながら、ゆっくりと腰をベッド際に下ろして、香澄がスペースを作ってくれたところに頭を乗っけて寝転がる。こうして横に並んでいるのを見ると、仲の良い姉妹か恋人みたく見えてしまう自分がどこか悲しい。横から見ても香澄のご機嫌な顔というのはよく分かる。
まぁ仕方もないだろう。これまで引きこもりをベースとして生きてきた私の人生を大きく変えたのはこの香澄たち、ポピパのメンバーと、もう一人の似たようなあいつが。
『有咲ー、来たぞー!』
「……はぁ」
噂をすればなんとやら。どうして私は私の日々を騒がしくしてしまった人、その張本人を同時に二人も思い浮かべてしまったのだろうか。多分この家に集ってしまったのは私がそうやって噂をしてしまったからか。どうやら今日の平穏な私の日常は消えてしまうことが確定したらしい。
「有咲、出ないの?」
「……別に。どうせ勝手に入ってくるだろ」
鍵もばあちゃんに許可取って渡してあるし、なんて香澄に聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で悪態をつく。鍵を渡すということはそれなりの信頼の証であることには違いないのだが、それを言うと調子つくのは嫌というほど分かっているので絶対に言わないようにしている。謂わば私の心の中に仕舞い込んだ秘密だ。
まぁ、男であるあいつに鍵を渡しているということで関係性はお察しの通りだし、普通に考えたらそれがどういう親密さの証かなんてものは考えるまでもないわけだが、それに気がつかないところはあいつらしかった。
『有咲ー! 居ないのかー?!』
「ほら、出てあげないと」
香澄から心配されてしまうほどにうるさく騒ぎ立てる恋人(仮)に、思わず頭を抱えたくなってしまう。もう近所迷惑がどうこうとかそういうのを本当に抜きにしてただただ恥ずかしい、そんなレベルじゃない。頼むから止めてくれというものである。それで止めてもらった試しなんてのはそうないのだが。
「出たら出たで面倒くせーだろ」
「えー、でも有咲の顔緩みっぱなしだよ?」
「なっ?!」
香澄にそう指摘されて、思わず私は自分のほっぺたをぺたぺたと触っていた。そのままバンと飛び起きると、部屋に置いてある鏡を見て、自分の顔を再確認する。
自戒を込めて言おうか。本当に自分でも驚くべきことに、予想以上に私はニヤニヤが抑えられないでいた。これは他人が見たとしてもすぐにわかる。あっ、こいつ今めちゃくちゃ気分が良いんだなって、そう思ってしまうほどに。
そこでハッとして思わず背中の方を振り返った。こちらを見上げている香澄はニコニコと、何か生温かい目線のまま私を眺めている。それがどうしようもない大失敗だなんてことに気がつくのが遅過ぎた。
「あぁー!! 行けば良いんだろ! 行けば!!」
それはもう自暴自棄と形容するのが、悲しいけれど一番妥当。香澄の目線に急かされるように、外から聞こえてくるあいつの声に導かれるように、そしてこの恥ずかしさに突き動かされるように私は部屋を飛び出した。
私を何か意味深な目線で見送ってくる香澄から逃げたかったというのが大きな理由ではあるけど、決してあいつにすぐに会いたいとかそういうのではない。だってそれなら私は声が聞こえてきた時点ですぐさま部屋を飛び出しているはずだから。だから私は決してあいつの顔を見たいから走っているわけではないのだ。この心臓の鼓動は羞恥の焦りとか多分そういう系の何かのせいなのだ。
廊下をドタドタと大きな音を立てながら走った私の息は上がっている。荒い息を隠すこともなく、私は走った勢いのまま玄関の戸を開ける。そこには期待通りの。
「有咲遅いぞ、もっと早く出ろよな」
「はぁ?! 急に来といて文句言うのか?!」
「じゃ、お邪魔しまーす」
「あぁっ! もうたくっ……お前らは揃いも揃って……」
私の心ばかりの抗議もまるで意味をなさないらしい。迷惑だとかいう言葉を辞書に持たない馬鹿二人の行動は大体同じらしく、私の横をまたも素通りして勝手に上がっていく。というよりも、玄関で応対したとはいえ、上がって良いなんて一言も言っていないのに上がり込むのは如何なものだろうか。
そんな文句を言ったところで聞く耳を持たないのはどこかの誰かと一緒みたいで呆れ返るしかなかった。私は鬱憤を晴らすように大きく息を漏らしながらピシャリと戸を閉める。そして流しに立ち寄って、コップをもう一個引っ掴んで板張りの廊下を力無く歩いた。
「有咲の家、本当に落ち着くよね」
「あぁ、天国だよな、もうここ」
「だぁ!! やっぱりかよ!」
部屋に戻った私を待ったいたのはさっきも見たような光景。香澄は香澄でさらに寛いで、頭と腰の下に置いていたクッションの数がなんだか増えている。
さらに問題児なのは、言うまでもないだろう。人の部屋に上がり込むなり勝手に人のベッドの上に寝っ転がり、スプリングの反動をつけてボンボン跳ねているあいつである。常識というものを一体全体どこに捨て置いてきてしまったのかと小一時間問い質したいぐらいである。あれをされると埃が舞ったり、良いことが何一つない。本人は楽しいのかもしれないけども。
「マジでお前らもうちょい慎みを覚えろよな!」
「えぇ……、有咲だったらこれぐらい許してくれるかもって……」
「ま、まぁ……クッション使って寛ぐぐらいなら別に」
香澄はもしかしたら私の扱い方みたいなものを覚えてきているのだろうか。いや、これはもはや無意識なのだろうか。そんなにシュンと目に見えて落ち込まれると私とて強くは言えないのだ。
それにまぁ、友達の家だと考えたら多少クッションの上に座ったりぐらいは許容範囲なのかもしれない。それがクッションの役目だと言われればその通りだし。
ところがどっこい、それとは段違いの問題行動というのも存在するのである。
「まぁ寛ぐぐらい許されるよなぁ」
「お前は本当に慎めって!! だぁぁ!」
「……有咲なら、許してくれるんじゃないかなって思ったんだけどな」
「うっ……」
ダメだ、おそらくこいつは確信を持ってわざとこの態度を取っている。もはや反省の色もない。こうすれば多分私は何も言ってこないだろう、みたいな悪意にも満ちた意図が見え透いている。
いくらなんでも私とて、そんなあからさまな態度で騙されるほどのお人好しではない。目の前で迷惑行為なんてのが繰り広げられてたら注意はするし、それが自分のプライベートな空間を荒らされているとくれば当然である。
「……有咲も、嫌だったよな、ごめん」
「ちょ……そんなに謝ることねぇって……。確かに嫌なのは嫌だけどお前だったら仕方ないというか、そういうとこも……」
急に反省に満ち満ちた態度を取るのはやめてほしい。そんな態度を取られたら私だって申し訳なくなってしまうじゃないか、そんな文句の一つでも言いたくはなったが、それをグッと喉の奥に飲み込んだ。
ただ、これ以上先のことをつらつらと述べるのはなんだか気恥ずかしさがどんどんと増して、思わず叫んでしまいそうだから口を噤むことにした。
すると、さっきまで煩かった二人は何も物言わず静かになり、何だったら二人で顔を見回しながら私の方をチラチラと見てきている。その態度はまるで私の顔に何かがついているかのような反応だ。それまで騒いでいたせいでこの空間が静かだということにも耐え難くて、私は思わず口を開いた。
「……な、なんだよ」
「有咲って、チョロいよね?」
「あぁ、俺も今おんなじこと思ってたところだ」
「はぁぁっ?! お前ら良い加減にしろよなぁ?!」
静かにしていたのはどうやら私をおちょくるための布石でしかなかったらしい。香澄は完全に乗せられてやっているし、あいつはもう言わずもがなだ。すっかり良いように面白がられている私はフラストレーションも少々溜まっているのだが、その反応もどうやらこの二人にとっては余興にしかならないらしい。諦めて私は頭を抱えながら部屋の隅に腰を下ろした。疲れたという言葉が今の心境を表すのにぴったりだった。
「そうだ、有咲! 遊びに行こうよ!」
「そうそう、折角三人揃ってるんだしどっか遊びに行こうぜ」
「無理、却下。パス。私は嫌だ」
流れるように私はこの二人の馬鹿な提案を退けた。この二人に付き合っていたら体力がいくらあっても足りない。その自信はある。私が引きこもっていたからとかどうこうではなくて、そもそものバイタリティのレベルがまるで違うのだ、多分。
「えぇ、なんでぇ?!」
「なんでもクソもねー! 私は疲れてんだよ!」
「有咲……何かあったのか……?!」
「誰のせいだと思ってんだー!」
まるで三文芝居を打つかのような反応に思わず私は叫んだ。今日はやたらと叫んだり、ため息を吐く回数が多いような気がするのだ。まず間違いなくこいつらのせいである。それでいて私が疲れている原因、それもまず間違いなくこいつらのせいである。
その当の元凶たちにこんな態度を取られることによって私の疲労度はさらに加速度的にオーバーフローしそうになるのだ。叫び終わった私ははぁはぁ、と肩で大きく息をしていた。こんなの授業で無理やり長距離を走らなければいけなかった時ぐらいな気がする。
「えぇー、有咲と一緒に外に遊びに行けないのかぁ」
「疲れてるからな、主にお前らのせいで」
しょんぼりと肩を落とす香澄だが、ここで情けをかけられるほど今の私に余裕はない。心というよりは主に体力的な意味で。
そもそもこの二人はこの家に来た時点で、うちで時間を過ごすつもりだと勝手に思い込んでいたが、ここに来たのはそもそも私を外に連れ出すためだったのか。そういえば机の上に置いた、私の分を含めた麦茶を淹れたコップは何一つ減っていない。私が飲んでいないのは当然として香澄も殆ど飲んでいないらしい。
「そんな釣れないこというなよ有咲ー」
「まず自分の行いを振り返ってから言ってくれ……」
疲れ切った私は壁にへなへなともたれかかった。これ以上は叫んだりする元気も出てきそうにない。引きこもり体質の私がそんなに無理をしたら多分容易に倒れるだろう。
「そっかぁ……」
「ん、どうした香澄ー?」
申し訳程度の休息で麦茶を半分ぐらい飲み干したところで、それまでクッションに寝転んでいた香澄がいきなり立ち上がった。私がどうかしたのかと目を向けたが、香澄はベッドに寝転がる別の問題児に手招きをして、何やら耳打ちをしているらしかった。
「何してんだよ香澄」
「こっちの話だよ有咲!」
私が問い詰めようとしても軽くいなされてしまい、そこから少しして話が終わったらしく香澄はくるりと私の方へ振り返った。
「それじゃ私は先に帰るね!」
「は? まだ来て一時間も経ってねーぞ?」
時計の方を見てもまだ夕方から夜に差し掛かる少し前というところで、外の景色もちょうどその頃合いだということを示している。だが、香澄はすぐさま持ってきていた僅かな荷物をまとめてしまう。
「もう帰るのかよ?」
「うんっ、ダメだった?」
「ダメじゃねーけど……」
「有咲が元気なところ見られただけで十分だよ!」
「そ、そーか?」
無理やり元気な風を装わさせたのは香澄たちだろうとも言いたくなったが、やけに素直に帰ろうとする香澄の行動が意外で、私はそれ以上に何も言えなかった。色々詰め込んでいそうな小さなポーチを持った香澄は颯爽と部屋を出て行こうとする。
「それじゃあ有咲、またね!」
「お、おー、またな」
慌ただしく香澄は部屋から去ってしまった。当然部屋に残されたのは私とさっきからベッドの上で暴れたりとやりたい放題のあいつ。別に二人きりになったから気まずいなんてことはないが、それでも突然この状況になると未だに私はどうも落ち着きがないような気がする。
「なぁ、その」
「ん?」
突然与えられた沈黙が私にとっては嫌過ぎたもので、特に話す内容なんてのも思い付いていないのについ声をかけてしまう。それまでベッドの上で跳ねて暴れていたこいつも流石に二人きりになったからかテンションは少し下げ気味だったらしい。
「その、な、何する?」
「何するって、家でか? そもそも有咲は一人家でいつも何やってんだ?」
「わ、私?! 別に、そんな変わってねーよ、盆栽いじったり、調べ物したりとか」
「じゃあそれをやればいいじゃん」
「それだと私一人だけが楽しむことになるだろ? じゃなくて、二人で出来ることをな」
私がしたいことの意図は半分も伝わっていなかったらしい。私とて一応恋人と二人の空間に居るのに自分一人の趣味に興じるなんて無粋なことはしないし、こういう時は多分恋人同士でイチャイチャしたりとかするのが普通なんだろう。だが、それを私の口から言うなんてのは確実におかしい。私の中のプライドが許さないし、第一絶対に今後百年間ネタにされてしまう。
そういう葛藤の末のトークテーマがさっきの有様なわけで。私の隠れ過ぎた意図は何も伝わっていなかった。
「んー、んじゃこっち来い」
「は? あぁ。……こっちって?」
「膝。座って良いぞ」
「……はぁっ?! そんな、は、破廉恥なことするわけねーだろ?!」
私の反応が初心過ぎるのか、それともこいつが恥ずかしげもなく言い過ぎるだけなのか。私は少々ベタな反応であることを理解しつつも、無意識のうちに反論しようとしていた。だが、こいつは何も動じずにただ手をこまねいているだけで、私は自分に仕方がないのだと言い聞かせて腰を下ろした。
本当はこういうことをしたかったというのはその通りだが、それを絶対に口にしないように今一度戒める。すると、お腹の方に腕が回ってきて、私は一層背中の方へと体重をかけた。
「急に大人しくなるんだな」
「……うるせー。良いだろ別に」
「元気そうなら全然外に連れ出したのにな」
「さっきも言っただろ? 却下だ却下」
悪態をつきながらも、私はこっそりと体の前にあるがっしりとした腕を堪能することに意識を向けていた。これは謂わば自分の特権なのだと、そういう気持ちはずっとあるから。
「引きこもりだぞ? そうやって毎日外に出るほどの元気はねぇっての」
「引きこもりねぇ。生徒会でバンドもやってる女子高校生がアクティブじゃないとはな」
「良いだろ別に。家が好きなんだから」
「こうやってイチャつけるからか?」
私は一瞬で頬の温度上昇を自覚して、馬鹿なこいつに後頭部で頭突きを食らわした。背後から鈍い音が聞こえてきたが、それは私の預かり知らぬところなので、絶妙にスルーする。自分のせいなのだからこいつも諦めがつくだろう。
「いったた……。随分凶暴なお嬢様だな……」
「お前が恥ずかしいこと言うからだろ……」
「でも有咲何も抵抗しないじゃん」
「別に、抵抗したらお前が悲しむかなって心配してんだよ」
「優しいんだな」
「うるせー」
言葉の刺々しさとは裏腹に、私の声が弱く小さくなっていることの自覚はあった。そもそもこの状況になってまで悪態をつき続けられるほどの根性もない。
「……それに、香澄の気遣いを無駄にする程、バカになったつもりはないからな」
「なんだ、気がついてたのか」
多分香澄とこいつが示し合わせていたような談合はそれなんだろうと、鎌をかけただけではあったが、やっぱりそういうことらしい。その時は少しだけモヤモヤとした気持ちで覆われて深く考えられなかったが、今になって考えたらあれは香澄なりの気遣いだとかそういうものなんだろう。
「……まぁな」
でも、そう考えると今こうしているのがどこか気恥ずかしくなって思わず身じろぎをした。けれども、私は現に捕まっているような体勢なので、それもこいつの腕によって封じられてしまう。それがどこか嬉しくもある自分のこの複雑な感情がもどかしかった。
「それじゃ、今日はこのまま過ごすか? ツンデレ引きこもりさん」
「……あぁ。って、ツンデレでも引きこもりでもねぇ!」
心の中を読み取られたかのような言い当てぶりに思わず驚いた。多分ここを読み取ってしまう辺りもこいつは香澄と似ているのだろう。
「まぁツンデレではないのかもな、引きこもりだけど」
「引きこもりってわけじゃ……。まぁ、そういう気質なだけで……」
「だな、しかもデレデレだし」
「デレデレじゃっ、……ねーよ」
そこまで言いかけて改めて今の自分の状況を考えた。丁度正面のあたりにある鏡には女の子の気持ちをなんだかんだ読み取ってくれる彼氏に抱きかかえられる女の子がいた。その表情はすっかり緩み切っている。
私は正直に認めるのが癪なのだが、この際これは認めてしまおう。言葉として外に出さない限りはそれをどうこう思い悩む必要があるわけでもないし。そりゃあ私だって好きな人にこうして抱きつかれて、耳の近くで軽口を叩きながら、二人きりの時間を過ごしているのだ。心の内ぐらい乙女になったって問題ないだろう。
「よしよし、分かった分かった」
「何も分かってねーだろ……」
多分この反応だって私をとりあえず諌めようとするだけの口ぶりで、少しだけ意地悪なこいつの掌の上なのは、私にとって大問題だった。
「有咲が引きこもりでデレデレだってことぐらいだな」
「やっぱり……。引きこもり……は認めるけどさ」
「ほら」
どっちがマシなのかと吟味して、もう諦めて私は引きこもりの部分は認めた。だって意図的に引きこもっているわけだから、それはこいつも薄々勘づいていたのだろう。
「前から思ってたけど、有咲ってなんでそんなにずっと引きこもってんだ?」
「あ? 別に授業とか出なくても単位取れたら卒業できるからな」
「違うって、そんな表向きの理由なんか要らないから」
「なっ」
当然不意に確信をついてくるこいつの勘の良さに、私は思わず振り返った。当然ほぼゼロ距離にいるわけで、すぐそばに顔があって、尚のこと恥ずかしくなった私は俯いた。絶対に顔もいつもの数倍増しで赤いはずだ。
「もちろんだけど、家にいるのが好きとかそういうのは知ってるから、それ以外な」
「なっ……」
どうやら私は完全に追い込まれていたようで、逃げ場すらもないらしい。こいつの調子づいた顔を見る限り、私の考えていることも多分九割方バレてしまっていそうだった。
もうどうしようもない。だから私は諦めて、堂々と言い切ってしまうことでせめてもの、一矢報いようとしてみた。
「……引きこもってたら、香澄とかお前が、私に会いにきてくれるだろ」
「やっぱり」
「やっぱりってなんだよ!! 私がちゃんと本音を吐き出したんだからせめてもう少しちゃんとした反応をくれよ!」
翻弄されまくった私のメンタルは既にブレイクしているし、恥ずかしさがオーバーフローした私はもはや泣き出しそうなレベルだったのかもしれない。近くに二人でくっついていると言うのにお構いなしで私は大声を出しているし、こいつも妙なぐらい冷静だった。いや、私の回答を聞けて安心したと言うか、えらく満足げにも見えた。
「あぁ、毎日でも会いに来てやっから」
「な……な……あ……もう、本当に……」
私のことをツンデレだとか表すのは、もしかしたらその通りなのかもしれない。だが、ここまで言われて仕舞えば、正直相手にツンツンと接するのがどうとかなんて頭の中には微塵も残っていなかった。
そりゃあそうだ、恥ずかしさなんてもの全て投げ捨てて吐露するのであれば、私だって毎日でも会いに来て欲しいし、私が引きこもることでこいつや香澄が来てくれるのなら、それが善意を利用していると言われようが嬉しいものは嬉しいのである。謂わば、ポジティブな理由なのだ。
「本当に?」
「……なんでもねーよ。言わなくても分かるだろ」
これ以上は粋ではないだろう。だって、私は既に言葉以上に行動でこいつへの感謝を伝えているつもりなのだ。これ以上は無理というものだろう。だから私は、向き直って、向こうからの一方的な抱擁をやり直した。
「あぁ、……有咲、お前本当に香澄と俺のこと大好きだな」
「……はぁっ?! す、好きなんかじゃねー!!」
どうやら私がこいつに翻弄されるというのはこれからもそうらしい。多分香澄だって無意識のうちに私の心を掻き乱し続けるだろう。ただ、こいつはそれと同じぐらいで私の心を香澄とは違うベクトルで掻き乱してくるし、私もそれを既に楽しんでしまっていた。
だから私は今日も言葉とは正反対の行動で示し続ける。私の口にしている言葉は、あべこべとなっている時ばかりなのかもしれない。
いつかは私もこいつのように、恥ずかしげもなく思っていることを素直に口にできる日が来るのだろうか。私が心の弱さを感じずに、人と接するようなことができるのだろうか。
そんなまだ見ぬこれからに想いを馳せながらも、今は私はこのぬるま湯のような甘さを堪能することにした。これはツンデレで、引きこもりで、素直になれない私の、私だけの特権なのだから。